2014年1月31日金曜日

2014-01-31

常識破りの手法からうまれたしなやかな発想で、30歳女性研究者が万能細胞作成に成功。



春秋
2014/1/31付
 そんなにもあなたはレモンを待つてゐた――。世に知られた高村光太郎の「レモン哀歌」である。死の床の智恵子がその柑橘(かんきつ)をがりりと噛(か)むと「トパアズいろの香気」がわき立ち、しばし意識がよみがえる。レモンの刺激によって智恵子は「もとの智恵子」に戻るのだ。
▼理化学研究所などのチームが、常識破りの手法で新たな万能細胞作製に成功した。マウスの細胞を弱酸性の溶液に浸すだけで、さまざまな臓器や組織の細胞に育つべく「初期化」されるという。やはり酸っぱい刺激は生命を突き動かす……とは小欄の勝手な連想だが、目からウロコのこの大発見は全世界を興奮させている。
▼開発をリードしたのは理研の小保方晴子さんだ。哺乳類では木の枝やトカゲの尻尾みたいに簡単な刺激で細胞が再生することはない、という生物学の常識に挑んで実験を続けた。笑われもしたが、いろいろ試すうちに弱酸性の液がその力をもつことを突きとめたという。30歳の女性研究者の、しなやかな発想の勝利である。
▼白衣にかえて祖母にもらった割烹(かっぽう)着をまとった姿は自然体で気負いなく、新世代の活躍に心洗われる思いだ。もっともこの万能細胞がヒトでも作製可能か、再生医療に役立つようになるか、今後の研究は多難だろう。「僕の前に道はない/僕の後ろに道は出来る」。光太郎の「道程」を胸の底に、惜しみないエールを送る。

そんなにもあなたはレモンを待つてゐた――。世に知られた高村光太郎の「レモン哀歌」である。死の床の智恵子がその柑橘(かんき  :日本経済新聞より

2014年1月30日木曜日

2014-01-30

舵輪に込めた松下氏の思いと、先行きが不透明な状況下での経営者による舵取りの重要性。

(40字)

春秋
2014/1/30付
 大阪府門真市にはパナソニックの本社や工場とともに、同社の歩みを紹介する松下幸之助歴史館がある。1933年、大阪市内から門真に移転して新築した本店を再現した建物だ。屋上に取り付けたものも当時の様子をよみがえらせている。船のカジを操る丸い舵輪(だりん)だ。
▼神戸で解体された船から松下氏が見つけて買い取ってきた。「会社を船にたとえるなら、本店は指令室にあたる。ここで会社のかじ取りをしていくのだ」。そう考えて、新社屋の上に掲げるようにして据え付けた。そのとき松下氏は38歳。もっと会社を成長させるんだという決意を、壮年の経営者は舵輪に込めたのだろう。
▼門真への進出は、企業の倒産が相次いだ昭和恐慌の記憶がさめやらぬなかでだった。7万平方メートルもの広大な土地を買収し、いくつも工場を建てるという計画は、ほかの企業から無鉄砲な経営ともいわれた。しかし、「経営の神様」にすれば、リスクがあっても創意と工夫で乗り越えるのが経営だと、思っていたに違いない。
▼くすぶる中国の金融不安や不透明な新興国経済……。いまの経営者も世界経済の先行きが見通しにくいなか、会社をかじ取りする力量が問われている。門真に移転した年に松下氏が始めたのが、製品分野ごとに採算をはっきりさせ、利益への意識を高める事業部制だった。困難に立ち向かうときこそ知恵も出てくるようだ。

大阪府門真市にはパナソニックの本社や工場とともに、同社の歩みを紹介する松下幸之助歴史館がある。1933年、大阪市内から門 :日本経済新聞 より