2014年5月31日土曜日

2014-05-31

拉致被害者の再調査は、北朝鮮に惑わされぬよう安部首相には冷静な交渉をお願いしたい。

2014/5/31付

 北朝鮮が、拉致された人々ら彼(か)の国にいる可能性のある日本人の安否を再調査することを約束したという。もちろん悪いニュースではないのだが、あの国の座標軸はゆがんでいる、ともう身にしみている。こんどこそ前進か、と期待しつつも、半身に構えざるを得ない。

▼言い出せばキリはないのだ。そもそも拉致は無辜(むこ)の市民に対する北朝鮮の国家犯罪である。日本側が認めた拉致被害者17人のうち、2002年に帰国した5人をのぞくと、8人が死亡し4人は入国していない、というのが北朝鮮の言い分だったが、その間に横田めぐみさんの遺骨と称して別人のものを出してきたりもした。

▼今回の日朝の合意には「従来の立場はあるものの(再調査する)」との北朝鮮側の文言がある。その立場とは「拉致問題は解決済み」ということだろうから、「これまでウソをついていた」と白状したに等しい。調べるまでもなく被害者の現況を知っている、と思って勘繰りともいえまい。筋の通らぬ話ばかりなのである。

▼「すべてのご家族がお子さんたちを抱きしめる日がくるまで使命は終わらない」。おととい安倍首相が力を込めたこの一節、そういえばことし初めの施政方針演説にも入っていた。情に訴えるのが得意なのだ。ただし、前のめりは困る。相手のゆがんだ座標軸に惑わされることのないよう、冷めた頭での交渉をお願いする。
北朝鮮が、拉致された人々ら彼(か)の国にいる可能性のある日本人の安否を再調査することを約束したという。もちろん悪いニュー  :日本経済新聞

2014年5月30日金曜日

2014-05-30

日本維新の会の分党は、橋本維新の再編が自民1強支配への批判勢力となれば価値がある。

2014/5/30付

 「僕たち、きれいに別れよう」。メロドラマのセリフみたいだが、日本維新の会の分党を石原慎太郎氏はこんなふうに持ちかけたそうだ。対する橋下徹氏はハラリと涙を落とし……かどうかは知らないがこれで話が決まったという。映画ならばBGMが高鳴るところだ。

▼東京と大阪のあいだを取って、名古屋での決別シーンだった。もっとも観客の大半は「この2人、無理があるよなあ」と思って見ていたからそんなに感動したかどうか。役者は両方とも大物で、なかなか力んだ芝居が続くのだが見るほうは白けてしまう作品でもある。上映中なのに帰りじたくを始める人も多いに違いない。

▼面白いのはこれからさ、という見巧者の声も聞こえる。慎太郎節を逃れた「橋下維新」が結いの党と合体するのは確実で、そうなれば民主党と肩を並べる野党になりそうだから政界再編に弾みがつくというのだ。理念や政策を軸にした再編が進み、自民1強支配への批判勢力が整うのであればこの物語にも値打ちが出よう。

▼慎太郎節といえば、きのうの石原氏の記者会見はその独擅場(どくせんじょう)だった。現行憲法の「醜悪な前文」をやっつけ、自主憲法制定へのたぎる思いをぶちまけ、ファンはさぞ留飲が下がっただろう。氏が名古屋へ向かうとき、同志らは日の丸に寄せ書きをして渡したそうだ。この場面はメロドラマでなく古色蒼然(そうぜん)の戦記ものである。
「僕たち、きれいに別れよう」。メロドラマのセリフみたいだが、日本維新の会の分党を石原慎太郎氏はこんなふうに持ちかけたそう  :日本経済新聞

2014年5月29日木曜日

2014-05-29

誰でもよかったという犯人の言い訳に惑わされず、悪意に負けない社会作りを考えよう。

2014/5/29付

 忌まわしいあの言葉を、また聞かされることになった。「人を殺そうと思った」「誰でもよかった」である。アイドルグループ、AKB48のメンバーに切りつけ逮捕された男が、調べにこう話しているという。過去にも同様の事件で、犯人らが口にしてきた言いぐさだ。

▼不敵な犯罪者気取り、という心情なのかどうかは知らない。だが、どううそぶこうとも、卑劣な性根に変わりはない。こうした手合いは、多くの場合、力の強い大人の男性を襲ったりはしないものだ。「誰でもよかった」という相手は子どもや女性、お年寄りである。あざとい計算を働かせ、自分より弱い者を狙っている。

▼幸い、襲われたメンバーの傷は快方に向かっているそうだ。それでも不快な思いが一向に消えないのは、弱者を無差別に狙うこうした犯行が、時として次の犯行を誘発するおそれがあるからだ。AKBの事件のすぐ後にも、金沢市で開かれていた小学校の運動会に刃物を持った男が侵入して、児童を追い回す事件が起きた。

▼「他人のすることが、なんでもかんでも気に入らない人が世の中にはいる。自分の気に入らないことを見つけると、まずそれをぶっこわしておいてから理由をでっちあげる」。作家の宮部みゆきさんの「火車」のなかに、こんな一文があった。定型のような妄言に惑わされず、悪意に負けない社会づくりに知恵を絞りたい。
忌まわしいあの言葉を、また聞かされることになった。「人を殺そうと思った」「誰でもよかった」である。アイドルグループ、AK  :日本経済新聞

2014年5月28日水曜日

2014-05-28

2014/5/28付

 「愛新覚羅(あいしんかくら)」という不思議な名字を新聞の訃報に見つけて、おやっと思った人も多いに違いない。300年も続いた清朝王室の姓である。中国のラスト・エンペラーとして知られる溥儀(ふぎ)はそれを受け継いだ最も有名な人物だろう。その王族の最後のひとりが亡くなった。

▼北京で暮らし、95歳の長命を保っていた愛新覚羅顕琦(けんき)さんである。溥儀の生涯もすさまじいが、顕琦さんも凄絶な人生を送った。戦前、日本に8年間も留学した「お姫さま」は、共産党が天下を取った故国で右派分子として投獄される。服役15年、そして農村での強制労働。自由の身になったときはもう還暦を過ぎていた。

▼のちに著した手記「清朝の王女に生れて」には彼女のたくましさと、天性の明るさがにじんでいる。監獄で「思想報告」を求められて「甘いものが食べたくてたまらない」と言ってのけたり、農村の過酷な生活のなかで再婚を果たしたり、どこまでも精神の自由を失わない。こういう女性が中国現代史に息づいていたのだ。

▼姉のひとりには、日本へ里子に出された川島芳子がいる。関東軍の手先とされ、やがて銃殺刑に処された悲劇的な芳子のぶんまで顕琦さんは生きたといえるかもしれない。波乱に富んだ歳月を重ねながら、片時も忘れないのが日本のことだったという。日中のはざまで揺れた「愛新覚羅」の人々の思いでもあっただろうか。
「愛新覚羅」という不思議な名字を見つけて(春秋)  :日本経済新聞

2014年5月27日火曜日

2014-05-27

東南アジアとの連携を強める日本が、バングラディッシュとどんな関係になるか楽しみだ。

2014/5/27付

 ドイツのメルケル首相、リベリアのサーリーフ大統領、ブラジルのルセフ大統領、お隣の朴槿恵大統領……。女性が国のトップをつとめることは、今やそう珍しくない。それでも、2人の女性が20年以上も争い続けているバングラデシュの政治の風景は、独特だろう。

▼かたやハシナ首相。軍事クーデターで殺害されたムジブル・ラーマン初代大統領の長女。こなたジア前首相。初代大統領殺害の6年後に暗殺されたジアウル・ラーマン大統領の夫人。ともに政治が生んだ悲劇のヒロインといえよう。1991年以来、クーデターによる軍政をはさみながら、ほぼ交代で政権を担ってきた。

▼2回目の首班をつとめているハシナ首相が、3年半ぶりに来日した。きのうの安倍晋三首相との会談では「包括的パートナーシップ」を立ち上げることを決めた。経済はもちろん、政治や文化などの面でも連携を強めるという。東アジアを重視してきた日本のアジア戦略だが、いささか懐が深くなってきたような印象だ。

▼政治の面では変転を繰り返す一方、近年のバングラデシュの経済発展には目覚ましいものがある。「世界の縫製工場」と呼ばれるほど繊維産業が厚みを増し、進出する日本企業も着実に増えている。世界的に関心が高まる「インド洋経済圏」の一角を占めてもいる。どんなつながりを築いていくか。これからが楽しみだ。
ドイツのメルケル首相、リベリアのサーリーフ大統領、ブラジルのルセフ大統領、お隣の朴槿恵大統領……。女性が国のトップをつと  :日本経済新聞

2014年5月26日月曜日

2014-05-26

廃炉の挑戦には、現場の頑張りを支える社会の理解が必要で、情報の共有が欠かせない。

2014/5/26付

 活気にあふれた職場では、決してない。かといって、希望がなく悲壮感だけが覆っているわけではない。音が少ない静かな現場である。やらなければならない仕事が目の前にある。職員は黙々と働いている。事故から3年2カ月がたった福島第1原子力発電所を訪ねた。

▼溶けた炉心はどんな状態なのか。放射線が強い建物の中に人間は入れない。医療の内視鏡などを使えば、診断はできるかもしれない。けれども治療の方法はまだ分からない。廃炉には最低でも30~40年かかる。ひとりの働き手が一生を費やす年月である。誰かがやらなければならない。分かっているのは、その事実だけだ。

▼吉田昌郎元所長への政府事故調の聴取で、事故直後に9割の職員が現場から撤退していたと一部で報じられた。待機の指示が届かなかったか。指示を聞かなかったのか。だが、あの日の壮絶な状況を思い出したい。パニックの中で自分ならどうしたか。退避した人を責めるのではなく、残った人々に感謝すべきではないか。

▼途方もなく長い道を、福島第1は手探りで歩んでいる。現所長の小野明さんは「新しいものを作っている感覚」と語る。そうであってほしい。廃炉という未踏の挑戦に希望の光をともせるか。難しい職務に立ち向かう時、人は金銭では動かない。現場の頑張りを支えるのは社会の側の理解だろう。情報の共有が欠かせない。
活気にあふれた職場では、決してない。かといって、希望がなく悲壮感だけが覆っているわけではない。音が少ない静かな現場である  :日本経済新聞

2014年5月25日日曜日

2014-05-25

中世欧州の交易をも左右したコショウの、今回の価格高騰はなかなか手強いかもしれない。

2014/5/25付

 ラーメンにいきなりコショウを振りかけるかどうか――。ある店の店主に聞くと「かける派」「かけない派」はほぼ半々らしい。丼が出てくるや大量に「かける派」としては、とても心配なニュースを知った。この香辛料の品不足が続き、取引価格が高騰しているのだ。

▼先日の本紙電子版によると、今年のマレーシア産黒コショウの国際価格は前年同期に比べ4割ほども高い。国内の卸値も史上最高値をつけていて、いずれ末端商品にも影響が及びかねないそうだ。背景のひとつは中国でのカップ麺の普及だという。スープの味をピリリと決める一振りも、積もり積もれば膨大な需要となる。

▼コショウほど歴史を揺り動かしてきたスパイスはない。中世ヨーロッパでは金銀財宝のごとく扱われ、交易を支配したベネチアなどに繁栄をもたらした。やがて大航海時代になると、あの刺激を求めて野心家たちが荒波をこえる。値段が落ち着いたのは、インド以外でも広く栽培されるようになった18世紀末からだという。

▼かくも人類を魅了してやまぬ香辛料だから、今回の価格高騰もなかなか手ごわいのかもしれない。コショウの木は植えてから実がなるまでに4~5年もかかるという。そんなことにも思いをいたして、このさい使いすぎは自粛するとしよう。そこのお客さん、ひとり耳かき1杯かぎりだよ! なんて事態を招かないように。
ラーメンにいきなりコショウを振りかけるかどうか――。ある店の店主に聞くと「かける派」「かけない派」はほぼ半々らしい。丼が  :日本経済新聞

2014年5月24日土曜日

2014-05-24

民生混乱の度に軍がクーデターを起こす堂々巡りのタイは、やはり軍と政治の分別がない。

2014/5/24付

 ヌーベルバーグ(新しい波)といわれた時代のフランス映画に「大人は判(わか)ってくれない」という傑作があった。フランソワ・トリュフォー監督の1959年の作品である。原題を直訳すると「400発」。タイトルが意味するところは、無分別やらんちき騒ぎだという。

▼400発の「発」にあたるフランス語「クー(COUP)」は、いろんな意味になる。銃の一発、剣の一突き、酒の一杯、サッカーの一蹴り、チェスの一手、箒(ほうき)の一掃きなどなど、すべてクーである。とはいっても普段はなじみがないのだが、この単語を世界で有名にしているのが「クーデター(国家への一撃)」だろう。

▼タイでクーデターが起きた。陸軍司令官が自ら首相の権限を握り、憲法を停止し、夜間外出禁止令を出し、テレビ局を掌握し、となれば、まさに軍が分を越えて国家に非合法な一撃を加えたことになる。他方、バンコクの市民は平穏な生活を送っていると伝えられる。政治の右往左往に軍がからむ事態への慣れもあるのか。

▼8年前のクーデターのあとは、軍が政権にはとどまらないと早々に宣言、翌年の総選挙で民政に戻す筋道をつけた。その民政がごたついてまた軍が割り込む。堂々めぐりに思える。民主主義国家の政治の表舞台に戦車や銃を背景にした力がしばしば顔を出す。混乱の調停役といえば聞こえはよくても、やはり無分別である。

2014年5月23日金曜日

2014-05-23

労働時間規制見直し等で労働者の要望に柔軟に対応し、やりがいのある働き方を考えたい。

2014/5/23付

 自動車の排ガス計測装置などを製造する堀場製作所の創業者、堀場雅夫氏(現在は最高顧問)が、「おもしろおかしく」という独特の社是を定めたのは1978年だった。そのころ社員の働き方についても、ほかの企業にない制度を考え始めていた。完全週休3日制だ。

▼月曜から木曜の労働時間を1日8時間から10時間に増やし、残り3日は休む。週の労働時間は週休2日のときと同じ40時間。密度を濃くして働き、休みはたっぷりとった方が、仕事の能率が上がりアイデアも出てくると考えた。通勤時間もなるべく省こうと、会社の近くに寮を建て、週前半は社員を泊まらせる案もあった。

▼ところが完全週休3日制は実現しなかった。理由はコスト増だ。労働基準法では1日8時間を超す労働時間は残業扱いになり、賃金を割り増す必要があるため人件費が膨らむ。仕事にメリハリをつけ、効率を上げようという働き方の改革に、規制の壁が立ちはだかった。それと同じような構図が30年以上たった今もみえる。

▼労働時間規制を見直し、柔軟に働けるようにする動きには、残業代がゼロになるなどの反発がある。しかし働く人のなかには、残業で稼ぐのでなく、成果で勝負したい人もいるはずだ。希望者に限って徹底した成果主義賃金制度のもとで、労働時間規制を緩める手もあるだろう。やりがいのある働き方とは何か、考えたい。
自動車の排ガス計測装置などを製造する堀場製作所の創業者、堀場雅夫氏(現在は最高顧問)が、「おもしろおかしく」という独特の  :日本経済新聞

2014年5月22日木曜日

2014-05-22

南シナ海で近隣諸国との経済権益争奪が激化する中国の、昔からの帝国気質は不変だ。

2014/5/22付

 新緑がすがすがしい。初夏の風がさわさわと若葉を揺らす。詩人王維が浅緑の輝きを歌っている。「渭城(いじょう)の朝雨軽塵(けいじん)を●(さんずいに邑、うるお)す 客舎(かくしゃ)青青(せいせい)として柳色(りゅうしょく)新たなり」(雨が洗った柳の柔らかな新芽が目にしみる)。この季節、辺境に旅立つ友人を見送る情景を描いた七言絶句だ。

▼詩人は阿倍仲麻呂に送別の詩を贈ったことでも知られる。奈良時代、仲麻呂は10代で唐に留学し科挙に合格、玄宗皇帝に仕えた。高官となり、なかなか帰国できない。50歳を過ぎてようやく許された。送別の宴には多くの詩人が姿を見せた。出発に際して詠んだ望郷歌が百人一首「天の原ふりさけ見れば」の歌といわれる。

▼祖国の土は踏めなかった。帰りの船が暴風雨に遭う。唐統治下の安南(現在のベトナム)に漂着し、帰国を断念する。安南の総督を務めたのち73歳で長安に没した。船が漂ったであろう南シナ海。その島々の領有権をめぐる中国とベトナムなどの対立が激化している。石油などの海洋資源がからむだけに、双方が譲らない。

▼唐は軍事力で広大な領域を治めた大帝国だった。重要な商業拠点である安南が奪われると軍を動かし奪還している。経済権益の争奪戦はいまも激しいが、武力でのごり押しは国際社会が許さない。そういえば習近平主席は「中華民族の偉大な復興」を目標に掲げていた。千年を経ても帝国気質は容易には変わらないらしい。
新緑がすがすがしい。初夏の風がさわさわと若葉を揺らす。詩人王維が浅緑の輝きを歌っている。「渭城(いじょう)の朝雨軽塵(け  :日本経済新聞

2014年5月21日水曜日

2014-05-21

規模拡大するスーパー業界はコンビニが苦手な新鮮食材を高齢者にどう届けるかが課題だ。

2014/5/21付

 「スーッと出て、パッと消えるのがスーパーだ」。1960年代、誕生したばかりのスーパーマーケットは、そう揶揄(やゆ)された。だが年を追って消費者に支持を広げ、トップランナーであるダイエーが三越から小売業として売上高日本一の座を奪う。1972年のことだ。

▼物価は上がって当たり前という時代、大量仕入れやセルフサービスで安値を実現したスーパーは、まさに消費者の味方だった。「小売りの輪」という米国発の学説がある。勢いのある小売業は安さを武器に、旧来の企業からシェアを奪う。その地位もまた、さらに新しいやり方で安売りする新興勢に奪われるという内容だ。

▼百貨店からスーパーへの交代は学説通りだ。そのスーパーも、町外れの大通りにできた衣料品や家電製品の専門店チェーンに安さで押されていく。しかし主力の食品部門では、日本育ちの伏兵が米学者の説をひっくり返した。時間を大事にする現代の消費者が、必ずしも安くはないコンビニエンスストアに流れ始めたのだ。

▼コンビニに押されたスーパー業界で経営統合や買収が相次ぐ。規模拡大を安売りに生かすだけでは、消費者は呼び戻せまい。例えば身近に食料品店がなく困っている高齢者は600万人以上と試算されている。コンビニの不得手な新鮮な野菜や魚を、足腰の弱い人たちにどう届けるか。挑戦のしがいがある課題ではないか。
「スーッと出て、パッと消えるのがスーパーだ」。1960年代、誕生したばかりのスーパーマーケットは、そう揶揄(やゆ)された  :日本経済新聞

2014年5月20日火曜日

2014-05-20

すっぱり割り切れぬ相撲界だからこそ、現役時代から変わらぬ魁傑の誠実さが貴重だった。

2014/5/20付

 不祥事を起こす。幹部が並んで頭を下げ、謝罪し、組織の出直し・再生を誓う。おおかたの口をついて出るのは「一丸となって」である。ただし、常(じょう)套句(とうく)になればなるほど言葉の持つ重みはうせていく。そして、はた目には一丸となることの難しさばかりが見えてくる。

▼おととい急死した日本相撲協会の放駒前理事長(元大関魁傑)が任にあったのは4年前からの1年半ほどでしかない。その間、ことあれば「一丸となって」を繰り返した。やむを得まい。野球賭博に続いて八百長が発覚した大相撲は大揺れに揺れ、もはや国技の体をなしてはいないと思われて仕方のないありさまだったのだ。

▼大相撲がいまあるのはこの人がいたからだという感慨を、幾つもの追悼記事を読んで新たにした。まったく休場することがなかった現役時代のまっすぐな相撲も目に浮かんだ。しかし、力士に親方、行司や呼び出し、まげを結う床山らを合わせても千人ほどだという狭い社会が一丸になった結果の、大相撲再生だったのか。

▼抵抗もずいぶんあったという。そもそも、相撲はスポーツであり神事、芸能である。角界は実力社会であり徒弟社会である。「相撲の基本はやっぱり反デモクラシーだと思います」とは元横綱審議委員長の独文学者高橋義孝の言だ。すっぱり割り切れぬ世界だからこそ、「クリーン魁傑」を生き抜いた誠実さが貴重だった。
不祥事を起こす。幹部が並んで頭を下げ、謝罪し、組織の出直し・再生を誓う。おおかたの口をついて出るのは「一丸となって」であ  :日本経済新聞

2014年5月19日月曜日

2014-05-19

ワールドカップ開催を控えたブラジルに交番が根付き、安全な街づくりに貢献して欲しい。

2014/5/19付

 時代を超えて、読み継がれる漫画がある。「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)」もその一つだ。なにしろ週刊少年ジャンプの連載は一度も休むことなく38年続いている。単行本だけですでに189巻、累計1億4千万部の売れ行きだ。国民的漫画といっていい。

▼ところが作品名にある「派出所」は、実はいまは日本に一つもない。警察庁が20年前、通称だった「交番」に改めたからだ。もちろん住民と警察をつなぐ役割が変わったわけではなく、その存在は海外からも注目される。交番となった派出所は海を越えてKOBANに変わり、シンガポールやインドネシアに広がっている。

▼サッカーのワールドカップ開催を来月に控えたブラジルも、交番の輸入国だ。国際協力機構(JICA)と警察庁の支援を受け、これまで12の州に交番をつくった。200以上の交番があるサンパウロ州で殺人事件が激減するなど、効果は大きいという。27すべての州に広げる計画で、近くJICAの職員が調査に向かう。

▼現地では、ワールドカップの開催に反対するデモの一部が暴徒化し、略奪に走るなど混乱も起きている。治安の改善はなお道半ばだ。交番という建物が安心につながるのではない。地域を歩いてパトロールする。道案内や住民の相談を受ける――。交番システムがブラジルに根付き、安全な街づくりに一役買うことを願う。
時代を超えて、読み継がれる漫画がある。「こちら葛飾区亀有公園前派出所(こち亀)」もその一つだ。なにしろ週刊少年ジャンプの  :日本経済新聞

2014年5月18日日曜日

2014-05-18

小集団の隠語が知らぬ間に世間に浸透することもあり、言葉の変化に順応するのは大変だ。

2014/5/18付

 エイトマーン! 小学生のころか、そんなふうに呼んだり呼ばれたり、という記憶がある。劇画のヒーローみたいだと褒めあったわけではない。ABCと数えていって8番目がH。つまりは「おーい、エッチ野郎!」。子どもなりの隠語でお互いをからかったのである。

▼教室のたわいない出来事なら罪もないが、8やHが特別な意味を持つ国はそれで済まない。米国のプロクター・アンド・ギャンブル(P&G)社がドイツで売り出した洗剤のパッケージに「88」「18」とあるのをとがめられ、同社が販売をやめた。数字には、従来より少量で洗濯できる性能を誇る意図しかなかったという。

▼8がHなのは同じでも、ナチスをいまも信奉する極右の集団のなかでHはヒトラーだ。だから、88はハイル・ヒトラー(ヒトラー万歳)、18はAとHでアドルフ・ヒトラーになる。会社は消費者の指摘でことの重さを知ったという。ドイツはナチスを礼賛することを法律で禁じる国である。販売中止の判断はやむを得ない。

▼英語でいう「86」は、由来ははっきりしないらしいが、レストランなどで客を追い出すことを意味する。フランス語ではHが麻薬のハッシッシやヘロインを指すことがある。小集団の隠語が、気づくと普通の人々の口から漏れていたりもする。よくも悪くも変化してやまない言葉の生命力に、ついていくのは容易ではない。
エイトマーン! 小学生のころか、そんなふうに呼んだり呼ばれたり、という記憶がある。劇画のヒーローみたいだと褒めあったわけ  :日本経済新聞

2014年5月17日土曜日

2014-05-17

地方が衰退しないよう人口流出を止める行動を起こさなければ、消える町が増え始める。

2014/5/17付

 町が突然、消滅した。一体、何が起きたのか。理由は分からない。爆音も振動もなく住民数万人が消えた。人がいた痕跡も残っていない。立ち入りは柵で制限された。沈黙が支配する街路には草木が生い茂る。荒涼とした風景の中で放置された家並みが朽ち果てていく。

▼初めから町はなかった。そう見なさないと怪現象は伝染するらしい。政府は町の名を抹消し思い出に浸ることを禁じる。語ってもいけない。次の消滅を防ぐために、住民の記録、写真などを運び去る。それでも地図の空白は広がっていく。むろん現実の話ではない。小説(三崎亜記「失われた町」)が描いた寒々しい光景だ。

▼空想とばかり笑ってはいられない。先に、民間の「日本創成会議」が公表した推計は衝撃的だった。約30年後には日本の市区町村の半数、約900自治体が消える恐れがあるそうだ。子どもを産む女性が減り、人口が減少。地方から大都市への人口流出が進んで福祉、教育などの役目を維持できない自治体が増えるという。

▼自治体の数は「平成の大合併」で3千超から約1800に減ったものの、1千という国の目標には遠かった。推計通りなら労せずして目標に届く。行政の効率化、質向上につながればいいが、地方衰退の結果では本末転倒だろう。人口流出を止める即効薬はないが、とにかく行動を起こさなければ、消える町が増え始める。
町が突然、消滅した。一体、何が起きたのか。理由は分からない。爆音も振動もなく住民数万人が消えた。人がいた痕跡も残っていな  :日本経済新聞

2014年5月16日金曜日

2014-05-16

具体性のない集団的自衛権の議論に、先進的な憲法草案を作った明治人の様な情熱が欲しい。

2014/5/16付

 明治のむかし、自由民権運動のころに各地で憲法草案づくりが盛んになった。植木枝盛がしたためた「東洋大日本国国憲按(あん)」や立志社の「日本憲法見込案」など、その数60本余に及ぶという。なかでも異彩を放つのが、東京都あきる野市に原本が残る「五日市憲法」だ。

▼農民や小学校教員らの討議を経て完成したこの草案は、自由や人権を重んじるきわめて先進的な内容だった。五日市を訪問されたことがある皇后さまも、昨年、こんな印象を述べられている。「近代日本の黎明(れいめい)期に生きた人々の、政治参加への強い意欲や自国の未来にかけた熱い願いに触れ、深い感銘を覚えたことでした」

▼現行憲法だって同じかもしれない。占領軍の押し付けを問う声があるが、そこにはかつて潰(つい)えた理想も映されていよう。そしていま施行から67年。集団的自衛権は行使可能か、可能と解釈するなら根拠は何か。いよいよ本格化する議論は、条文にこめられた思いと現実とのはざまに細い橋を架けられるかどうかの難事業だ。

▼きのう記者会見した安倍首相はイラスト入りのパネルを使い、情感にも訴えて得々と持論を説いた。意気込みはわかるが、本当に行使する局面はどんなときか、それがどこまで許されるのか、なお見えてはこない。ともすれば迷走するこのテーマだ。向き合うのに、炉端で侃々諤々(かんかんがくがく)の憲法談議を重ねた明治人の熱がほしい。
明治のむかし、自由民権運動のころに各地で憲法草案づくりが盛んになった。植木枝盛がしたためた「東洋大日本国国憲按(あん)」  :日本経済新聞

2014年5月15日木曜日

2014-05-15

殺人ロボット兵器の革新が人類の生存を脅かす時代にならないように、知恵を絞ろう。

2014/5/15付

 テレビアニメ「機動戦士ガンダム」が初めて放映されてから、35周年を迎えたという。この間に世をにぎわしてきた派生作品や関連イベント、関連グッズなどは数え切れない。いまやファンは世代をまたぎ、国境さえもまたいで広がる。一大市場を築きあげた観がある。

▼宇宙に浮かぶ人工的な居住空間で暮らす人々が、地球で暮らす人々と戦争をくり広げる、という設定。ずっと進んだ科学技術を前提としながら、結構リアルに感じられる世界が印象的だった。いま振り返ると意外だが、最初の放映時の視聴率は決して高くなかった。予定より早く打ち切られた後、口コミで評判が広がった。

▼優れたSFは時に、科学技術と人間の相克を鮮やかにあぶり出す。未来の戦争を題材とするガンダムは、とめどない兵器の革新が人類の生存さえ脅かす様を描いていた。「寒い時代だとは思わんか」。わずか数シーンにしか登場しない脇役の一言が鋭く胸に響いたのも、ヒトの業のようなものを感じ取ったからだ、と思う。

▼いわゆる殺人ロボット兵器を国際的に規制するための議論が、ジュネーブで始まった。人間の判断を通さず、いわば兵器自らの判断で、標的を選び、攻撃するかどうか決める。そんな兵器のことだ。実戦配備こそされていないが、開発が進んでいるらしい。本当に「寒い時代」を招かないよう、知恵を絞っていかなくては。
テレビアニメ「機動戦士ガンダム」が初めて放映されてから、35周年を迎えたという。この間に世をにぎわしてきた派生作品や関連  :日本経済新聞

2014年5月14日水曜日

2014-05-14

神通力を失った国王と首相失職が招いたタイの混乱を、自ら解決できる知恵や努力を願う。

2014/5/14付

 タイのプミポン国王は地図好きで、国内のどこを視察するにも専用の地図をつくって持っていく。椅子のない広い部屋の床に地図を何枚も広げ、のりで貼り合わせて大きな1枚にする。旅の前の研究がまた楽しみで、地図づくりに人の手を借りることはなかったという。

▼その国王も86歳、6月には在位満68年を迎える。健康の不安が伝えられ、地方への旅行も差し控えているようだ。と同時に、ときに政治に向けて発する寸鉄人を刺す一言も聞こえなくなった。この国の民主主義が持つ「絶妙」とも評された国王の神通力も今は昔、ということか。混乱はもはや普段の景色になってしまった。

▼先週、人事をめぐり職権乱用があったとの憲法裁判所の判決でインラック首相が失職した。2月の総選挙には無効の裁定が下り下院は不在だ。だから、立法と行政はいま体をなしていない。では、とりあえずの首相はどうするのか。総選挙はいつなのか。政治家同士の対立に双方の街頭デモもからんで、先は見えぬままだ。

▼もとはといえば、インラック前首相の兄、タクシン元首相を支持する勢力と、対抗する勢力の争いである。農村部・貧困層がタクシン派なら都市部・中間層が反タクシン派と色分けはできようが、国の実情はちぎれた地図のようにもみえる。日本とも縁の深い国だ。大きな1枚の未来図を自ら描く知恵を、努力を、と願う。
タイのプミポン国王は地図好きで、国内のどこを視察するにも専用の地図をつくって持っていく。椅子のない広い部屋の床に地図を何  :日本経済新聞

2014年5月13日火曜日

2014-05-13

3Dプリンターの可能性を封じぬよう、悪用する使い手だけを規制する術はないものか。

2014/5/13付

 たとえば交通事故で失った顔の骨をそっくりそのまま再現し、患部にぴたりとはめ込めば容貌は元通り――。夢のような話だが、じつはこれ、3Dプリンターを使った医療革命のなかでも実用化目前の技術だ。立体物を完璧にコピーする「印刷機」の威力を知らされる。

▼かくなる福音をもたらす道具も、ひとたび悪用されたら……とは当初から懸念されていたことだ。さまざまな武器をテロ組織などが量産できてしまう。カード情報を盗み取るスキミング機器も密造できる。精巧な偽ブランド商品だってこしらえられるだろう。人の心の正邪をくっきりと映し、形にあらわす新技術ではある。

▼心配していたとおり、邪心に満ちた使い手はやはり日本にもいた。3Dプリンターで作った拳銃を所持して逮捕された男は、かねて「銃を持つことは基本的人権」などとツイッターに書き込んでいたという。実弾製造も考えていたらしい。妄念というほかないが、こういう手合いはこの男だけではないだろうから恐ろしい。

▼だからしっかり規制しろという声が、あちこちから上がっている。たしかに対応を急がねばならないのだが、それでこの新技術の大いなる可能性を封じてしまうなら正が邪に屈する構図となろう。多くの使い手に罪はないのだ。よこしまな心の持ち主が操ればプリンターから魔物が現れて……。そんな機能はつかぬものか。
たとえば交通事故で失った顔の骨をそっくりそのまま再現し、患部にぴたりとはめ込めば容貌は元通り――。夢のような話だが、じつ  :日本経済新聞

2014年5月12日月曜日

2014-05-12

アナと雪の女王がヒットしたのは、現代風で強いヒロイン達の女性像が共感を得たからだ。

2014/5/12付

 「レリゴー、レリゴー」。街や家で子供や女性たちが口ずさむ。元はヒット中のディズニー映画「アナと雪の女王」。主人公の一人が自分らしく生きようと決め「Let it go」と歌い上げる。これでいいの、という意味合いの英語が耳にレリゴーと残るわけだ。

▼ディズニーが長編アニメを作り始めて80年。53作目のこの作品には、2つの「初めて」があるという。ヒロインが2人いることと、監督に女性を起用したことだ。舞台は王族が国をつかさどる昔の欧州。しかし製作者は「王子様の愛を待ち焦がれるお姫様ではなく、現代風の、とても強い女性を描きたかった」と振り返る。

▼地味で弱い女性が、力や地位のある男性に選ばれハッピーエンドへ。そんな物語の代表格ともいえる童話「シンデレラ」をディズニーがアニメ化して60年余り。今回の作品でも、女性同士が助け合う点などを喜ばない向きもあったと監督は語る。しかし「偶像化された過去のお姫様」は参考にせずヒロインを描いたそうだ。

▼製作者は監督に女性を選んだ理由を、能力や情熱に加えて「女性の視点が非常に大事」な作品だから、とも説明している。狙いは当たり、世界でも日本でもヒット。国境を越えて「レリゴー」が広がる。王子様と結婚すればメデタシメデタシじゃない。人生を切り開くのは自分自身。そうした共感を含んだ歌声にも感じる。
「レリゴー、レリゴー」。街や家で子供や女性たちが口ずさむ。元はヒット中のディズニー映画「アナと雪の女王」。主人公の一人が  :日本経済新聞

2014年5月11日日曜日

2014-05-11

甘えと期待を絶った大人同士の母子の関係だからこそ、心に届く感謝の言葉もある。

2014/5/11付

 職種は「現場総監督」です。原則1日24時間の勤務。年間365日、休暇はありません。食事をとる時間はありますが、他の同僚が食べ終わってからです。徹夜で働く場合もあります。サラリー? 無給です。世界で一番大事な仕事ですよ。やってみる気はありますか。

▼こんな就活の面接に、応募者たちの顔が見る見る硬くなっていく。いまどき、これほどひどい会社があるのだろうか。それとも何かの冗談だろうか。ネットで話題になった、ある企業の広告の動画である。面接官は自信たっぷりで語り続ける。世界で何億人もの人がこの仕事に就いているという。「母」という職業である。

▼電車の中で気まずい空気の親子を見かけた。部活の様子や体調などあれこれ問いかける母親に、中学生らしき男の子は横を向いたままだ。煩わしくて仕方ない風で舌打ちなどしている。母親は怒って、ますます声が高くなる。大人になっていく子供をいつまでも心配し、管理下に置こうとして、疎まれるのもまた母である。

▼奉仕は無償で無限。けれども総監督を引退する年齢は意外に早く来る。子は10代後半には母から自立し、母は子離れをして再び自分自身と向き合わねばならない。どちらも甘えと期待を絶つ、ほんの少しの勇気と葛藤が要る。お母さん、ありがとう。素直に言えるだろうか。大人同士だからこそ心に届く感謝の言葉もある。
職種は「現場総監督」です。原則1日24時間の勤務。年間365日、休暇はありません。食事をとる時間はありますが、他の同僚が  :日本経済新聞

2014年5月10日土曜日

2014-05-10

企業は公共の利益のために、直感的に未来への投資へ踏み出す活動をすることが大事だ。

2014/5/10付

 渋沢栄一が設立した数ある会社の中で、先行きが心配でならなかったのが1890年開業の帝国ホテルだ。景気の波に翻弄され、業績は低調。そこで彼は開業後20年がたとうとしていたころ、巻き返しに動く。東京・北区の渋沢史料館で開催中の企画展が紹介している。

▼ひとつは有能な支配人のスカウトだった。海外の上流階層と交流が深く、後に経営を立て直す美術商の林愛作を広い人脈を使って獲得。新館建設の長丁場の用地交渉にも尽力した。それがホテルの顔となった、芸術性の高い「ライト館」につながる。会社の成長のため人と設備の両面で手を打った。実業人の意地をみせた。

▼渋沢は「論語と算盤(そろばん)」で、「能(よ)く集め能く散ぜよ」と書いた。世の中から集めたお金を、企業の活動が活発になって社会に元気が出てくるように使えという意味だ。トヨタ自動車の豊田章男社長は決算発表で、「将来の成長に向けた種まきを積極的に進める」と語った。未来への投資に企業はどれだけ踏み出せるだろうか。

▼「論語と算盤」は道徳心のない経済活動を批判し、企業は公共の利益のために活動すべきものと説く。ただ冒頭に、「大なる欲望をもって利殖(利益)を図ることに充分でないものは、決して(前に)進むものではない」というくだりもある。「アニマルスピリット」が企業活動には大事なのだと言っているようにみえる。
渋沢栄一が設立した数ある会社の中で、先行きが心配でならなかったのが1890年開業の帝国ホテルだ。景気の波に翻弄され、業績  :日本経済新聞

2014年5月9日金曜日

2014-05-09

小保方さんのSTAP細胞はあるという発言に証拠はなく、証明するのが科学者の責任だろう。

2014/5/9付

 口の中にこっそりパン1切れとわずかなワインを含むと、少年は家に飛んで帰った。教会で聞いたように、このパンがキリストの肉となりワインは血となるものなのか。ふだん食卓に並ぶものと何が違うのだろう。そう思って父にもらった愛用の顕微鏡にかじりついた。

▼残念ながらパンが肉になる証拠は見つからなかったが、現在のウクライナ出身の理論物理学者ジョージ・ガモフはのちに、「この実験が私を科学者にした」と振り返っている。胸ときめく科学の楽しさを思うとき、よく頭に浮かぶ逸話である。STAP細胞をめぐるゴタゴタに、そんなときめきはもう微塵(みじん)も感じられない。

▼小保方晴子さんの不服申し立てを受けた理化学研究所が、やはり論文に改竄(かいざん)、捏造(ねつぞう)があったと結論づけ論文も撤回するよう勧告した。追って処分の沙汰もあるという。研究を不正と断じれば当事者を処分するのは組織なら当然だが、むろん小保方さんの側は納得していない。双方の争いは今後何幕にもわたることになろう。

▼一方「STAP細胞はあります」「200回以上作製に成功しています」という小保方さんの言葉は、人の耳にだけ残って今も宙に浮いている。科学者の公の発言なのに奇妙なことだ。「ある」というなら何をおいても証明するのが彼女の側の責任だろう。素人だから言うが、これではパンが肉になる話と区別がつかない。
口の中にこっそりパン1切れとわずかなワインを含むと、少年は家に飛んで帰った。教会で聞いたように、このパンがキリストの肉と  :日本経済新聞

2014年5月8日木曜日

2014-05-08

インドが数年でポリオを制圧した事実が、人類がポリオを根絶できることを証明している。

2014/5/8付

 安保反対デモで騒然となった1960年は、ポリオ大流行の年としても日本の戦後史に刻まれている。子どもがかかりやすく、もっぱら小児マヒと呼ばれたこの感染症の患者はその年に5000人を超え、300人余が亡くなった。世情の混乱をいや増したに違いない。

▼翌年も流行が続くなかで劇的な効果をもたらしたのが、ソ連などから輸入した生ワクチンだった。当時は冷戦の真っ最中で、共産圏からの調達には慎重な声もあったという。しかし古井喜実厚相が決断を下して1300万人分の緊急輸入が実現し、患者はみるみる減る。80年を最後に日本で通常のポリオ患者は出ていない。

▼近年はワクチンも改良され、人類のポリオ根絶はもう一息、のはずだが敵はしぶとい。世界保健機関(WHO)は先日、パキスタンやシリアなど10カ国で感染が拡大しつつあるとして緊急事態宣言を出した。WHOは2000年をポリオ根絶の目標にしていたが達成できず、ここへきて状況はむしろ悪くなっているようだ。

▼背景には甚だしい貧困があり、戦争や内乱がある。往年の日本とは比べものにならない困難が横たわる感染地域なのだが、それでも国際社会の力を集めてウイルスに挑まねばなるまい。09年に世界の患者の半数を抱えたインドは、その後わずか数年でポリオ制圧を果たした。危機はきっと克服できると、事実が教えている。
安保反対デモで騒然となった1960年は、ポリオ大流行の年としても日本の戦後史に刻まれている。子どもがかかりやすく、もっぱ  :日本経済新聞

2014年5月6日火曜日

2014-05-06

LCCの飛行に携わる人達の不屈の精神がなくては、乗客の空の旅や飛行への情熱も色褪せる。

2014/5/6付

 風の壁を抜けると急に、視界が広がる。小さな街並みや工場、光る川が目に飛び込んでくる。壮大な音楽に体をさらわれ、空を滑っていく。作家ヘッセは約100年前、開発まもない単葉機でベルン上空を飛び、その時の高揚感を書き残した(天沼春樹訳「空の旅」)。

▼見習い職人の経験があり、機械に詳しい。好奇心が強く新技術に抵抗が少ない。空中散歩がよほど気に入ったのか。1928年には、開設早々のルフトハンザの定期旅客機でベルリンからチューリヒに旅した。「航空機が何カ月も暮らせる航続距離を持つようになったら、即座にでかけて切符を求める」と書くほどだった。

▼研究家V・ミヒェルス氏によると、ヘッセがそれほど飛ぶことに熱中したのは、飛行に携わる人たちの「不屈の精神」に魅せられたからだという。戦争が起きても夢を追い続けた技術者やパイロットたちの開拓者魂。そこに「なにがなんでも何事かをなしとげなければ」という芸術家の姿勢に通じるものを見ていたようだ。

▼格安航空会社(LCC)ピーチが逆風に揺れている。機長不足で約2千便の減便を発表。旅客機が異常降下も起こした。LCCは低価格・効率経営で大手と競う挑戦者ではなかったか。ずさんな人繰りや運航計画からはチャレンジ精神は見えてこない。「不屈の精神」が失われていては、空の旅、飛行への情熱も色あせる。
風の壁を抜けると急に、視界が広がる。小さな街並みや工場、光る川が目に飛び込んでくる。壮大な音楽に体をさらわれ、空を滑って  :日本経済新聞

2014年5月5日月曜日

2014-05-05

徳育を型にはめる構想が現実化する中で、教科書での教育は人を騙す教育にならないか。

2014/5/5付

 「銀の匙(さじ)」というと、最近ではもっぱら同名の人気漫画を指すようだ。しかし「こどもの日」で思い出すのは、昔から有名な中(なか)勘助(かんすけ)の自伝的小説のほうである。明治時代の子どもの世界を子ども心に戻って描いたこの作品は物悲しく、いつ読み返しても胸にじんと迫る。

▼修身の授業のくだりがほほ笑ましい。みんなの興味を引こうと、ある先生はさまざまな物語の掛け図を前に面白おかしい講釈をする。ときには児童らにも話をさせるが、当てられた子は「足袋と足袋が川を流れてきて、たびたびご苦労さま」などとダジャレで済ます始末だ。教師としては、とても難しい授業であったろう。

▼明治の昔も今も、徳育なるものの悩ましさに変わりはあるまい。しゃくし定規ではなく、規範意識をいかに自然に養うか。そのために戦後の道徳教育は、教科の枠を外して学校生活全体でルールやマナーを身につけさせようとしてきた。それを大転換して「特別の教科」という型にはめる構想がいよいよ現実化しつつある。

▼安倍首相がかねて意欲を示してきたテーマだから文部科学省も躍起だ。しかし教科書のあり方など難問山積で、教科化への疑念は保守層にも少なくない。「銀の匙」では進級して修身で教科書を使うようになって少年は一転、授業が大嫌いになる。「私は修身書は人を瞞着(まんちゃく)するものだと思った」。至言であるかもしれない。
「銀の匙(さじ)」というと、最近ではもっぱら同名の人気漫画を指すようだ。しかし「こどもの日」で思い出すのは、昔から有名な  :日本経済新聞

2014年5月4日日曜日

2014-05-04

人手不足時に不要な人材も採用するといずれ人余りに悩まされ、経営者は知恵の絞りどころだ。

2014/5/4付

 「早く仕事をしなさい、この『人手不足』っ」。食堂の女将が店員をしかる。1970年代の刑事ドラマ「俺たちの勲章」の一こまだ。人手不足でなければおまえを雇っていないというのが呼び名の由来。口は悪いがきっぷのいい女将と剽軽(ひょうきん)な店員の近しさを表現した。

▼戦後復興から高度成長へと、長く人手不足が当たり前だった。そういう時代の作品だと改めて感じる。山田洋次監督が手がけた映画「男はつらいよ」シリーズにも、人手不足を印象的に描いた場面がある。小さな町工場を経営している通称・タコ社長が、主人公の実家である団子店の店員に「うちに来ないか」と誘うのだ。

▼いつも金策に苦労していた社長が、増える仕事をこなそうと人集めに走り回る。作品の公開は1991年。バブル景気の余熱がまだ冷めぬころだ。有名企業も学生を大量採用した。それからほんの数年後、大手も中小も「人余り」に悩み始め、安い労働力を使い低価格や長時間営業で売る「デフレビジネス」が全盛となる。

▼人を巡る環境が、また節目を迎えた。人手不足から居酒屋などで閉店や営業短縮が相次ぐ。かつての人手不足時代ですら、学歴、性別、年齢、性格などで門戸を閉ざす企業があった。今の採用にも「元気な若者男性」だけを求める面はないか。様々な壁を乗り越えて働きたいという人は多い。経営者は知恵の絞りどころだ。
「早く仕事をしなさい、この『人手不足』っ」。食堂の女将が店員をしかる。1970年代の刑事ドラマ「俺たちの勲章」の一こまだ  :日本経済新聞

2014年5月3日土曜日

2014-05-03

冤罪を防ぐための取り調べの録音・録画が、本音を話しにくくし真相解明を難しくする。

2014/5/3付

 「むきあって同じお茶すするポリと不良」。風天の号で俳句を詠んだ俳優の渥美清にこんな一句がある。ガランとした薄暗い取調室。出がらしが入った粗末な湯飲み。空気の密度も伝わってくるような句だが、そこにカメラやレコーダーがあると空気はどう変わるのか。

▼警察や検察の取り調べを録音・録画すると取調室はもはや密室でない。そうすれば取調官が無理やり自白を迫ったり暴言や暴力がまじったり、がなくなり、ひいては冤罪(えんざい)を防ぐことになる。分かりやすい理屈である。一方、調べる側からは「相手が本当のことを話さなくなり、真相の解明が難しくなる」と反対が出ている。

▼だから、録音・録画する事件の範囲をめぐる法制審議会の議論は3年前に始まり、まだまとまらない。かつて自白を得るため使われた拷問は今の憲法で禁じられた。それで捜査に支障が出たとは決して言えないように、本来なら、密室でない取調室でも通用する取り調べの手法をつくり上げねばならない。それが筋だろう。

▼さて、風天の句の続きだ。警察官が自ら少年期の不幸な境遇のことなどぽつりぽつり語り始め、不良も心を開いていく――。そんな筋書きだろうか。しかし、録音・録画するなら私事を明かしたりはできないという警察官がいるそうだ。気持ちは分かる。筋を通す大切さは重々承知してなお知る、その難しさの一例である。
「むきあって同じお茶すするポリと不良」。風天の号で俳句を詠んだ俳優の渥美清にこんな一句がある。ガランとした薄暗い取調室。  :日本経済新聞

2014年5月2日金曜日

2014-05-02

時代の技術進歩を描写した地下鉄車内風景が、皆メガネ端末の同じ顔という日がくるのか。

2014/5/2付

 居眠りする中年女、ぼんやり前を見つめるオヤジ、子をあやす母親、ひそひそ話のサラリーマン2人、いちゃつくアベック……。写真家の荒木経惟さんはかつて、東京の地下鉄車内で乗客らの日常を撮り続けた。その作品の一部が近刊の「往生写集」に収められている。

▼そこにあるのは1972年の、ふつうの日本人のたたずまいだ。見事に「時代」が写りこんでいるが、人々の姿かたちに現在と格段の変化があるわけではない。が、しかし、いまだったらこういう十人十色のポートレートは成立するかどうか。見わたせば車内のみんながスマートフォン(スマホ)に夢中で前かがみである。

▼7人がけのロングシートで、いつも3、4人は端末をいじっている。先日は向き合う14人全員が一心に小さな画面を見つめていた。歩きスマホなどと違って危険を伴うわけではないけれど、こんな光景、やっぱりどこかヘンだよ、と嘆くのは旧弊だろうか。昭和世代としてはアラーキー作品の老若男女がとてもいとおしい。

▼地下鉄の客といえば、米国のウォーカー・エバンスが戦前のニューヨークですでに多くの肖像を撮っているが、その所作は70年代とさほど変わらない。ところがこの数年で人々は激変した。技術進歩の加速と、その渦中の人間をものがたる車内風景なのだ。乗客はみんなメガネ端末で同じ顔――という日もやってこようか。
居眠りする中年女、ぼんやり前を見つめるオヤジ、子をあやす母親、ひそひそ話のサラリーマン2人、いちゃつくアベック……。写真  :日本経済新聞

2014年5月1日木曜日

2014-05-01

今の論文は厳密な手順でのデータ整理を要し、山中教授の謝罪は科学が高水準になった証か。

2014/5/1付

 80年近くも前のことだ。経済学者のケインズは、偉大な自然科学者ニュートンの遺稿が詰まったトランクをオークションで落札した。ケインズにとってニュートンは母国の誇りであり、母校ケンブリッジ大学の大先輩でもあった。その遺稿の散逸を防ごうとしたようだ。

▼手に入れたトランクを開けて中身に目を通したケインズは、少なからず驚いたらしい。予想していたのとは違っていたからだ。万有引力の発見、運動方程式や微積分の発明、光のスペクトル分析……。ニュートンの科学的な業績はとてつもない。ところが遺稿の大半を占めていたのは、怪しげな錬金術に関する文書だった。

▼ケインズのニュートン評は面白い。後世の人々が考えているような「近代に属する最初の科学者」ではなく、むしろ「最後の魔術師」だったというのだ。実際、後にニュートンの遺髪を分析したところ、通常の40倍以上の水銀が含まれていた。いうまでもなく水銀は、錬金術の世界で最もよく用いられた物質の一つである。

▼今の科学者の仕事の現場は、ニュートンの時代に比べると様変わりした。厳密な手順に沿った実験を踏まえてデータを整え、論文を書き上げなくてはならない。iPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥京都大教授が以前に発表した論文をめぐって反省の意を表明したのは、科学の水準が高くなった証しともいえようか。
80年近くも前のことだ。経済学者のケインズは、偉大な自然科学者ニュートンの遺稿が詰まったトランクをオークションで落札した  :日本経済新聞