民生混乱の度に軍がクーデターを起こす堂々巡りのタイは、やはり軍と政治の分別がない。
2014/5/24付
ヌーベルバーグ(新しい波)といわれた時代のフランス映画に「大人は判(わか)ってくれない」という傑作があった。フランソワ・トリュフォー監督の1959年の作品である。原題を直訳すると「400発」。タイトルが意味するところは、無分別やらんちき騒ぎだという。
▼400発の「発」にあたるフランス語「クー(COUP)」は、いろんな意味になる。銃の一発、剣の一突き、酒の一杯、サッカーの一蹴り、チェスの一手、箒(ほうき)の一掃きなどなど、すべてクーである。とはいっても普段はなじみがないのだが、この単語を世界で有名にしているのが「クーデター(国家への一撃)」だろう。
▼タイでクーデターが起きた。陸軍司令官が自ら首相の権限を握り、憲法を停止し、夜間外出禁止令を出し、テレビ局を掌握し、となれば、まさに軍が分を越えて国家に非合法な一撃を加えたことになる。他方、バンコクの市民は平穏な生活を送っていると伝えられる。政治の右往左往に軍がからむ事態への慣れもあるのか。
▼8年前のクーデターのあとは、軍が政権にはとどまらないと早々に宣言、翌年の総選挙で民政に戻す筋道をつけた。その民政がごたついてまた軍が割り込む。堂々めぐりに思える。民主主義国家の政治の表舞台に戦車や銃を背景にした力がしばしば顔を出す。混乱の調停役といえば聞こえはよくても、やはり無分別である。