2014年2月28日金曜日

2014-02-28

通貨は信用による交換の手段であり、ビットコインはシブヤの軽さを象徴しているようだ。

2014/2/28付

 金銀、宝石を所狭しと積み上げた店が、迷路のような路地の奥底にある。少し偉そうな顔つきの店主。民俗衣装に全身を包んだ女性客の群れ。その袖口に、金の腕輪がジャラジャラと何重にも光っている……。中東やインドの街にある市場で、よく出くわす光景である。

▼貴金属を肌身離さず持ち歩くのは、何か異変が起きた時に貨幣として使えるという古来の価値観の名残だという。戦争や政変があれば、紙幣は紙くずになるかもしれない。銀行に預けても、銀行そのものが消えるかもしれない。砂漠の民に限らず、国家と中央銀行より金銀や宝石の信用が勝る途上国、新興国は少なくない。

▼金の腕輪も仮想通貨のビットコインも、法的な通貨ではない。ネット空間を行き交う情報データか、身につけられる現物か。その違いはあるが、手軽な交換の手段である点は同じだ。リスクを承知で根強い人気があるのは、ドルや円などの公的な通貨や銀行サービスに、何らかの不満や不安を抱く人が多いからに違いない。

▼ユーロ誕生の際、ドイツはフランクフルトに中央銀行を置くことにこだわった。インフレと戦う独連銀(ブンデスバンク)の伝統と威信が染み込んだ土地である。仮想通貨の取引拠点がアキバと並ぶ日本のポップ文化の名所シブヤだったのは、象徴
金銀、宝石を所狭しと積み上げた店が、迷路のような路地の奥底にある。少し偉そうな顔つきの店主。民俗衣装に全身を包んだ女性客  :日本経済新聞

2014年2月27日木曜日

2014-02-27

TPP交渉において関税分野で日米が対立する中で、安部首相の一大決心が求められる。

2014/2/27付
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 「瑞穂の国」というのは安倍首相がよく使う言葉のひとつだ。日本人は古来、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣(ほうじょう)を祈ってきたと著書「新しい国へ」にもある。そんな日本には、米国流の「強欲」ではない「瑞穂の国の資本主義」がふさわしい、と。

▼だからといって旧態依然の農業でよしと安倍さんが言っているわけではない。しかし首相のこうした「瑞穂の国」への思いは、環太平洋経済連携協定(TPP)参加にあらがう人々の心のよりどころになっているようだ。聖域死守に躍起の農協はもちろん、右から左からも「瑞穂の国を守れ」のスローガンが聞こえてくる。

▼こんどこそ大枠合意、の観測もあったシンガポールでのTPP交渉閣僚会合は関税分野での日米の対立が響いて物別れに終わった。あてどなき漂流が始まる気配だが、この土壇場でことを動かそうというなら首相が一大決心をするほかない。触れただけで火花が散りそうなニッポンの聖域である。ほかに誰が踏み込めよう。

▼そんな挙に及べばどんなしっぺ返しを食らうかと、政権としてはやはり恐怖が先に立つだろうか。「日本は名誉ある孤立を選べ」などという言説の飛びかう昨今だから、交渉離脱の誘惑さえ沸いてくるかもしれない。けれど、その先に何がある。瑞穂の国と言いつつ耕作放棄地が滋賀県の面積に匹敵する列島に、何がある。

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「瑞穂の国」というのは安倍首相がよく使う言葉のひとつだ。日本人は古来、汗を流して田畑を耕し、水を分かち合いながら五穀豊穣  :日本経済新聞

2014年2月26日水曜日

2014-02-26

「アンネの日記」関連書籍が破られた事件で、人の記憶やアンネの生命力が揺るぐことはない。

2014/2/26付  ことさら覚えようと思わなくても、書き出しの一節がぼんやり、長いこと頭に残っている本がある。「あなたになら、これまでだれにも打ち明けられなかったことを、なにもかもお話しできそうです」(深町眞理子訳)で始まる「アンネの日記」も、一冊に挙げられる。 ▼いや、読者個人の記憶だけではない。キティーと名づけた日記帳に少女が2年あまりつづったあけすけな話は、ナチスドイツによるユダヤ人虐殺という人類すべての記憶につながっている。東京や横浜の図書館で「アンネの日記」や関連の書籍が破られた事件が気味悪いのは、人の記憶を切り裂くような仕業だからである。 ▼ジャーナリストか作家になりたかったアンネは記している。「わたしの望みは、死んでからもなお生きつづけること!」。本を書いたり新聞記事を書いたりという夢はナチスに砕かれてしまったが、命という重すぎる代償を払って、彼女とその文章は類いまれな生命力を得た。事件は生命力に対する卑劣な挑戦ともいえる。 ▼菅官房長官は「恥ずべきこと」と述べ、警視庁は捜査本部をつくった。事件はこの国のいまの空気を感じさせもするが、まだ背景は分からない。だから犯人には、言いたいことは堂々と言え、とだけ伝えておく。こそこそ本を破いて回るような甘ったれに、人の記憶やアンネの生命力が揺さぶられるはずなどないのだから。

ことさら覚えようと思わなくても、書き出しの一節がぼんやり、長いこと頭に残っている本がある。「あなたになら、これまでだれに  :日本経済新聞

2014年2月25日火曜日

2014-02-25

「女性の社会参加は昔から日本のテーマであり」、安倍政権の「女性が輝く国」戦略は実を結ぶか。

2014/2/25付

 林芙美子の絶筆となった未完の作品に「めし」という小説がある。舞台は新聞に連載していた昭和26年当時のサラリーマン家庭だ。大阪・北浜の証券会社に勤める岡本初之輔を夫に持つ、28歳の三千代。結婚して5年たち、家事で毎日が過ぎていく暮らしが物足りない。

▼同窓会で、料理店に嫁いでのびのびとした時間が持てないという友達から、「御主人が、お勤めだから、一番、幸福なンじゃないの?」と言われる。が、決してそうは思えない。とうとう初之輔に、「私ね。こんな、女中のような生活、たまンないンですッ」と怒りをぶつける。女性の内面の丁寧な描写は作者ならではだ。

▼戦争が終わり、ようやく人々の生活が安定し始めてきたころから、早くも芙美子は家庭に入る女たちの悩みをかぎ取っていた。高度成長期に入ると、男性は一家を養い、女性は家庭を守るといった風潮が広がったが、それよりだいぶ前のことだ。「女性の社会参加」はかれこれ60年以上も昔からこの国のテーマといえよう。

▼今では働く女性はだいぶ増えたが、企業や官庁の要職は大部分を男性が占める。子供を預ける場所が身近にないなどの問題に、真剣に手を打ってこなかったツケが回っている格好だ。安倍政権の「女性が輝く国」戦略は実を結ぶかどうか。若いころ職を転々とし苦労を重ねてきた芙美子は、泉下でしっかりみているだろう。
林芙美子の絶筆となった未完の作品に「めし」という小説がある。舞台は新聞に連載していた昭和26年当時のサラリーマン家庭だ。  :日本経済新聞

2014年2月24日月曜日

2014-02-24

五輪に向けての準備に拍車がかかるが不可避の事由で中止になる可能性も知っておきたい。

2014/2/24付

 今年映画化された中島京子氏の直木賞受賞作「小さいおうち」は、戦前の中流家庭を描く。作中で玩具会社に勤める男性が、ベルリンで開催中の五輪の報道に興奮しながら、こう語る場面が登場する。「これが、東京であってみたまえ、どれだけ玩具が売れることか!」

▼昭和11年夏、ベルリン五輪開幕の直前に4年後の東京開催が決まった。これで日本人だけでなく、外国人にも五輪をテーマにした玩具が売れると踏んだわけだ。実際に外国人の財布は期待を集めた。橋爪紳也氏の著書「あったかもしれない日本」が、雑誌「商店界」の付録「オリムピック新商売集」の内容を紹介している。

▼この冊子は商人に、英語を学び、値札は算用数字で書けと説く。「金儲(もう)け新プラン集」というページでは、絵はがきは「芸術的」なものより「ケバケバしい」ものが好まれると解説。内装に加え服や食器まで昔の日本を再現した飲食店はどうか、との提案も。「商売人たるもの大いに腕によりをかけなくては」と勇ましい。

▼ソチ五輪も終わり、東京の出番が「次の次の次」に迫った。競技場を建て、サービスに知恵を絞るなど準備に拍車がかかる。昭和11年の日本人も国際交流やビジネスの好機に胸躍らせたが、2年後に戦争などで開催を中止。10年もたたず多くの街が焼け野原になった。そんな「あったはずの五輪」も時には思い起こしたい。
今年映画化された中島京子氏の直木賞受賞作「小さいおうち」は、戦前の中流家庭を描く。作中で玩具会社に勤める男性が、ベルリン  :日本経済新聞

2014年2月23日日曜日

2014-02-23

故シーガーの詞は進路が定まらないウクライナやけん制しあう国々を見透かしているよう。

2014/2/23付

 娘が花を摘んで若者にささげる。若者は兵士になり、やがて墓に帰ってくる。墓にはまた花が咲き、花を娘が摘む……。ベトナム戦争のころ、どこでも歌われたフォークソング「花はどこへ行った」は、ぐるぐる回るばかりの世界を描いた反戦歌の名作として知られる。

▼曲をつくった米国のピート・シーガーが1月末、94歳で死んだ。訃報に、メロディーや歌詞がふと口の端にのぼった人もいるだろう。はやりの言葉を使えば、シーガーは米フォーク界の「レジェンド(伝説)」だった。彼は、ショーロホフの小説「静かなるドン」のなかに引用されたウクライナ民謡に曲の想を得たという。

▼ウクライナはいま、混乱のなかにある。欧州連合(EU)よりロシアとの関係を重んじるヤヌコビッチ大統領の側と、これに反発する勢力との武力衝突は、一時は内戦と見まがうほどにも激しさを増した。1991年に旧ソ連から独立して20年あまり、国の針路は親欧米と親ロシアの間をぐるぐる回るばかりで定まらない。

▼それぞれの後ろ盾だったEUや米国、ロシアも、これまでけん制しあうだけだった。「花は娘が刈る/娘は嫁に行く/男は戦へ行く」。シーガーは民謡の3行に誘われ、肉付けしていったという。つくった曲では「いつになったら人は学ぶのか」という詞を呪文のごとく繰り返した。まるで今を見透かしていたかのように。
娘が花を摘んで若者にささげる。若者は兵士になり、やがて墓に帰ってくる。墓にはまた花が咲き、花を娘が摘む……。ベトナム戦争  :日本経済新聞

2014年2月22日土曜日

2014-02-22

浅田選手があきらめず挑戦し遂げた大健闘は、結果ばかり案ずる大人達を深く恥入らせる。

2014/2/22付

 べらんめえ調の江戸っ子なら「利いたふうな口をききゃあがって」とねじ込むところだろう。森喜朗元首相が、フィギュアスケートの浅田真央選手を評した言葉のことである。「真央ちゃん、見事にひっくり返りました。あの子、大事なときにはかならず転ぶんですね」

▼ショートプログラムで失敗を重ね、まさかの16位。翌日のフリーでどんなに頑張ってもさほど挽回はできそうもない――と残念無念の思いで口にしたに違いない。浅田選手への同情から出た発言なのだろうが、この人は2020年東京五輪組織委員会の会長である。いまに始まった話ではないけれど、どうにも軽いご仁だ。

▼そんな森さんを尻目にかけるように、浅田選手は失意の底から1日で立ち直って最高の演技を見せた。リンクに流れるラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。おごそかな調べに乗ってトリプルアクセルを決め、それから先は華麗なジャンプ、ジャンプ、ジャンプである。深夜のテレビの前で涙ぐんだ方もたくさんおられよう。

▼メダルには届かなかったが、それはたいした問題ではない。あきらめない心、可能性に挑む勇気の大切さを、この大健闘は教えてくれたのだ。もうどんなに頑張ったって、どうせ、どうせ……。森さんではないが、世間を眺めて、つい利いたふうな口をききそうになるオトナたちを「あの子」は深く恥じ入らせるのである。
べらんめえ調の江戸っ子なら「利いたふうな口をききゃあがって」とねじ込むところだろう。森喜朗元首相が、フィギュアスケートの  :日本経済新聞

2014年2月21日金曜日

2014-02-21

日本人は不要なものに囲まれ窮屈に暮らしているが、者に執着せず想念 を大切にしてほしい。

2014/2/21付

 色あせた写真、古い領収書。箸が1本、なにかの部品、そしてお年玉袋……。中身まで残っていて思わず歓声を上げる。引っ越しで家具を動かすと、乱雑な過去と遭遇する。でも、その度に感慨にふけっていては、日が暮れてしまう。喜怒哀楽を封じて手だけを動かす。

▼今年もまた異動や転勤の季節がやってきた。住宅地のあちこちで、停車中のトラックや粗大ゴミが目立つようになった。この週末からが一番忙しい勝負の時。引っ越し業者の親方が、そう張り切っていた。消費税の引き上げで住宅の工事も増えている。街全体がそわそわした空気に包まれ、経済の鼓動が聞こえる気がする。

▼モンゴルの遊牧民は、引っ越しに特別の感情を抱かないそうだ。年に4回も移動するのだから当然だろう。物をため込めば、運ぶのが面倒で置き場所もとる。日本人ひとり当たりの所有物の数は約1万個だが、モンゴル人は約3百個だという。おそらく多くの日本人は、本当は要らない物に囲まれて、窮屈に暮らしている。

▼「放した馬は捕まえられるが、放した言葉は捕まらない」「百歳の人はいないが千年の言葉はある」。モンゴルの格言である。物に執着しない人々は、その代わり言葉を大切にするという。言葉とは、心の記憶であり想念であろう。見習うべきかもしれない。引っ越しは、自分にとり何が本当に大切かを問う好機でもある。
色あせた写真、古い領収書。箸が1本、なにかの部品、そしてお年玉袋……。中身まで残っていて思わず歓声を上げる。引っ越しで家  :日本経済新聞

2014年2月20日木曜日

2014-02-20

他国との過当競争が進むスマホ市場で、国産メーカーに力強さを感じる日は来るだろうか。

2014/2/20付

 「靴メーカーでも明日からスマホを作ることができる」。中国の電機業界ではこう語られているそうだ。実際、炭鉱の経営者やソフトウエア開発会社の経営者ら、異業種からの参入が相次いでいる。一昨年に政府が確認したメーカーは377社あったというから、驚く。

▼当然のことながら競争は激しい。中国最大の電気店街とされる広東省深圳市の華強北では、1台につき1万円以下で売られているスマホが珍しくない。値段だけではない。画面が飛び出してくるような3D映像を見ることができる製品がある。女性にターゲットを絞り、カラフルなデザインと独自アプリで勝負する製品も。

▼すさまじい価格破壊が進行する一方、多彩なスマホが次から次に登場している印象だ。原動力はもちろん、靴メーカーでも、と言われるほどに参入障壁が低くなったこと。背景には、スマホの頭脳に当たるチップを製造する半導体メーカーの戦略がある。自社製のチップと一緒にスマホ全体の設計図も売り込んでいるのだ。

▼事情はインドでも似ているようで、地場メーカーが作る1万円前後の「100ドルスマホ」が人気という。世界的にみると「2013年は低価格スマホ元年だった」とも。中国からは過当競争を心配する声も聞こえてくるが、日本の消費者としてはいささか羨ましい。国産メーカーにダイナミズムを感じる日は来るだろうか。
「靴メーカーでも明日からスマホを作ることができる」。中国の電機業界ではこう語られているそうだ。実際、炭鉱の経営者やソフト  :日本経済新聞

2014年2月19日水曜日

2014-02-19

日韓不仲の悪循環を解消するために、韓国を自分の目で見て素顔の韓国を知ってほしい。

2014/2/19付

 「日本海を韓国式に東海と呼ぶ法案を米国の州議会が可決」「米国には従軍慰安婦の碑を建立した町も」「伊藤博文を暗殺した安重根の記念館が中国に開館」――。日々伝えられる、この種のニュースを聞き流せる日本人は少なかろう。ネット空間など罵詈雑言(ばりぞうごん)の嵐だ。

▼たしかに愉快な話ではない。しかし韓国人や世界のコリアン系の人々は、みんなこういう騒ぎに明け暮れているのだろうか。百聞は一見にしかず。限られた情報で判断するより、一度この目でかの国を見るのも手だ。日本にいちばん近く、とても似ているがやっぱり違う不思議な世界がそこにある。日帰りでだって行ける。

▼ところが日本人旅行者は減りつづけているという。なんだかキライだから行かない。そんな人が増えれば素顔の韓国は日本人の視界から消えて、ますますキライが幅をきかせる悪循環である。サッカーのワールドカップ共催や韓流ブームで日韓は長年のわだかまりをずいぶん解消した。あの融和ムードを忘れてはなるまい。

▼国と国とが不仲だからこそ草の根レベルの交流を……などときれい事は言わないが、買い物ツアーでもいい、焼き肉三昧も悪くない、つながりを少しでも増やすことだ。はやりの「嫌韓本」やネット世論に気を取られず、思いきってソウルの街角の食堂にでもまぎれ込んでみればいい。普通の人々の息遣いが知れるだろう。
「日本海を韓国式に東海と呼ぶ法案を米国の州議会が可決」「米国には従軍慰安婦の碑を建立した町も」「伊藤博文を暗殺した安重根  :日本経済新聞

2014年2月18日火曜日

2014-02-18

イタリアに改革を訴える若い首相が生まれ政治をめぐる議論の声は一段と高くなるだろう。

2014/2/18付

 「北からおりてくる列車は花の匂いがするが、北へのぼっていく列車は汗の匂いがする」と書いたのは開高健である(「夏の闇」)。ヨーロッパを南北に行き交う人の流れをスパッと描写して無駄がない。欧州連合(EU)が抱えてきた南北問題まで垣間見る気がする。

▼北の代表がドイツなら南の大国はイタリアだろう。メルケル首相が9年目に入ったドイツと毎年のように首相が代わるイタリアは、それだけで対照的なのだが、そのイタリアに39歳の首相が生まれるという。「旧世代をスクラップする!」と改革を訴えるマッテオ・レンツィ氏。「壊し屋」と称される新世代の旗頭である。

▼そういえばおととしは経済学者が首相を務めていた、くらいは覚えていても、イタリア政界の生々流転についていくのは容易ではない。唯一、良くも悪くもこの人、というベルルスコーニ元首相は昨年11月に脱税で国会から追放された。レンツィ氏の年齢はちょうど半分、国民は待望久しい若きカリスマを見いだしたのか。

▼一服したといえ、イタリアはまだ「欧州リスクの震源」だと「北」の目には映る。行く末は彼ら自身にだって分からない。それでも新しいスターである。開高健は北へのぼる列車の光景を「人びとは声高くしゃべったり、叫んだりし……」と描いた。車内に限らぬ。政治をめぐる議論の声音は一段と高くなっているだろう。
「北からおりてくる列車は花の匂いがするが、北へのぼっていく列車は汗の匂いがする」と書いたのは開高健である(「夏の闇」)。  :日本経済新聞

2014年2月17日月曜日

2014-02-17

災害時は他人も同士となり自分一人の力で生きているわけではないと思いだしておきたい。

2014/2/17付
 雪に慣れない首都圏はたった一日の吹雪で大混乱になる。先週末は高速道路が止まり、ダイヤが乱れた鉄道で衝突事故まで起きた。悪いニュースばかり目立つが、都会の大雪には良い点が一つある。困っているはずなのに街で会う人々が明るく生き生きとした顔になる。

▼歩行者が滑らないよう店先で雪かきに精を出す店員さんに、ありがとうの一言が素直に出てくる。駅の掲示板を見上げる赤の他人が、同じ困難と闘う「同志」になる。靴の中までぬれて冷たくて苦痛でも、すれ違う際に目が合うと、ふと笑みが漏れる。誰をも等しく襲う悪環境に遭遇すると、人は他者に優しくなるらしい。

▼3.11の時もそうだった。子供と老人が被災地で助け合い、支援者が日本全国から駆けつけた。災害時に起きやすい不正行為は、ほとんどなかった。他人の苦しみを自分の事として考える。外国から「秩序正しい日本人」と褒められたが、当事者にとってはごく自然な行動だったに違いない。あれからもうすぐ3年になる。

▼あたりの景色が雪で白く変わると、薄れかけていた大切な記憶が、色鮮やかによみがえることがある。天災は誰かのせいで起きるのではない。誰も悪くないから人は力を合わせて頑張るしかない。溶けきれぬ雪はビショビショで厄介だが、消える前に思い出しておきたい。自分が一人の力で生きているわけではないことを。
雪に慣れない首都圏はたった一日の吹雪で大混乱になる。先週末は高速道路が止まり、ダイヤが乱れた鉄道で衝突事故まで起きた。悪  :日本経済新聞

2014年2月16日日曜日

2014-02-16

自身と闘い、勝利を祝い、敗北を受け入れた選手たちが自らに与えるメダルは何色だろう。

2014/2/16付

 「世界一」や「勝利」の価値とは何か。作家の森博嗣氏が随筆で考察している。敗者から何かを奪い、彼らの不幸を見るのが楽しいのか。それでは精神が貧しい。自分をコントロールし、努力と鍛錬を続けられたことに楽しさや喜びを感じるのだろう。森氏はそう記す。

▼選手が闘う相手は自分であり、舞台は競技場だけではないということだ。ソチ五輪フィギュアスケートで羽生結弦選手が優勝した。しかし直後の言葉は「金を取って言うのも何だけど、悔しい」。思い描く演技ができなかったのだ。日の丸勢に待望の金、と茶の間で浮かれた大人も、19歳の向上心に思わず居住まいを正す。

▼一方、ケガに悩まされつつ最後の大舞台に臨んだ高橋大輔選手は6位。「これが僕の実力。気持ちをこめて滑ることができた」と笑みを浮かべた。そんな若手が仰ぎ見てきたロシアのプルシェンコ選手は、競技直前に腰痛でまさかの棄権。「最後までトライしたことはわかってほしい」と言い残し、競技人生に幕を引いた。

▼「勝利を気高く祝い、敗北を気高く受け入れる」。国際オリンピック委員会のバッハ会長は開会式で、五輪の精神をそう語った。優勝すら挑みのバネにする若者。笑顔の6位。燃焼の末の、無念な引退。彼らだけではない。ほかの誰でもない、自分自身と闘い続けた選手たち。自らに与えるメダルがあるなら、何色だろう。
「世界一」や「勝利」の価値とは何か。作家の森博嗣氏が随筆で考察している。敗者から何かを奪い、彼らの不幸を見るのが楽しいの  :日本経済新聞

2014年2月15日土曜日

2014-02-15

昭和10年代前半に大人気だったテンプルさんの死により20世紀が少し遠ざかる気持ちだ。

2014/2/15付

 どこのデパート、おもちゃ屋もテンプル人形を並べ、七五三には彼女にあやかった髪形が大流行、晴れ着までテンプル風が登場するほどのフィーバーぶりだった――と秋山正美著「少女たちの昭和史」にある。先日亡くなった米国のシャーリー・テンプルさんのことだ。

▼世界中で愛された往年の名子役だが、日本での人気は特にすさまじく、昭和10年代前半にその名を知らぬ少女は皆無だったといわれる。映画は大入り、雑誌はしばしば特集を組み、スクリーンには和製テンプルちゃんも現れた。昭和戦前期の日本に、すでに米国文化がしっかり浸透していたからこそのブームであったろう。

▼日米開戦の前年までアメリカ映画は大量に封切られていたし、遠慮がちにでもジャズを聴く人は多かった。それがあっという間に世は反米一色に染め変えられ、あげく「鬼畜米英」などというスローガンが飛びだすのだから戦争というものは怖い。押し入れの奥深くの、たくさんのテンプル人形が空襲で焼けたに違いない。

▼当のテンプルさんは戦後まもなく映画界を離れ、外交官として第二の人生を歩んだ。国連代表やアフリカのガーナ大使を務め、チェコスロバキア大使だったときには「ビロード革命」に立ち会うことになる。人に歴史あり、歴史のなかに人ありを深く感じさせる軌跡というほかない。享年85歳。20世紀がまた少し遠ざかる。
どこのデパート、おもちゃ屋もテンプル人形を並べ、七五三には彼女にあやかった髪形が大流行、晴れ着までテンプル風が登場するほ  :日本経済新聞

2014年2月14日金曜日

2014-02-14

遠隔操作する真犯人と、人前で朗読した仲代から、顔を合わせる大切さを改めて実感した。

2014/2/14付
 電車の中、だしぬけに大声が響きわたる。「私は役者のタマゴです。朗読するので聴いてください」。それから終点に着くまで30分ほどか、顔を真っ赤にして戯曲や詩の一節を読み続ける青年がいた。60年近く前になる。劇団に通う20代前半の仲代達矢さんの姿である。

▼引っ込み思案だった仲代さんは、こうして俳優としての自意識を鍛えたという。その殺気立つような覚悟に比べ、なんとも薄っぺらい自意識ではないか。そう思ったのがパソコン遠隔操作事件だった。もう昔のようだがおととしの話だ。4人も誤認逮捕された記憶が、おとといの初公判を機によみがえった人もいるだろう。

▼事件では、真犯人を名乗る人物から、奥多摩の雲取山山頂や神奈川県江の島にいる猫の首輪に犯行の手がかりを残した、というメールが報道機関などに届いた。他人のパソコンに入り込んで犯罪予告をばらまくだけではない。安全な場所に身を置きながら、悪知恵をひけらかしたくなる下卑た心根が頭をもたげたのだろう。

▼被告は一貫して犯行を否認し、犯罪と被告を直接つなぐ証拠はないという。だから裁判の行方は分からないのだが、いずれにせよ真犯人はどこかにいる。暗がりでパソコンを操るその犯人と恥ずかしさで赤面した若き日の仲代さん。顔をふたつながら想像してみれば、人と人が顔突きあわせる大切さにあらためて思い至る。
電車の中、だしぬけに大声が響きわたる。「私は役者のタマゴです。朗読するので聴いてください」。それから終点に着くまで30分  :日本経済新聞

2014年2月13日木曜日

2014-02-13

まだアンバランスさが宿る若い人たちの明暗のドラマに大人たちの心も空に吸われていく。

2014/2/13付

 「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」。旧制盛岡中学の生徒のころ、恋と文学に夢中だった石川啄木がのちに自身を回想した一首である。季節は春だろうか。北国の高い空は、少年の不安や焦燥や野心をゆったりと吸い込んでくれたに違いない。

▼まだまだ子どもに見られるけれど少し大人の感情も宿り、そのアンバランスに自分でも戸惑う――。15歳といえばそういう時期だ。だからこそ怖いもの知らずでもある。ソチ五輪のスノーボード男子ハーフパイプの平野歩夢選手はそんな「十五の心」と、よく鍛えた体とを会場の夜空に誰よりも高く吸わせて「銀」を得た。

▼雪上競技では五輪史上最年少のメダル獲得だという。歴史に残る快挙だが、ゴーグルを外せば面立ちにあどけなさが浮かび、記者会見での言葉もイマドキの中学生らしくて飾りがない。こういう若者が世界のひのき舞台で悠然と闘って優勝に肉薄した。テレビの前の観客たちはその軽やかな精神に触れ、声をのむばかりだ。

▼「銅」をもぎ取った平岡卓選手も18歳。2人が表彰台に上るのと前後して、ジャンプ会場では17歳の高梨沙羅選手がまさかの失速でメダルを逃し、涙にくれていた。無心の勝利と、重圧下の敗北……。若い、ほんとうに若い人たちの明暗のドラマが胸に迫る五輪だ。遠いソチの空に、大人たちの心も吸われていくのである。
「不来方(こずかた)のお城の草に寝ころびて/空に吸はれし/十五の心」。旧制盛岡中学の生徒のころ、恋と文学に夢中だった石川  :日本経済新聞

2014年2月12日水曜日

2014-02-12

他国との類似性回避のため自国の独自性追求も大事だが、平和的な解決が大前提である。

2014/2/12付
 カザフスタンのナザルバエフ大統領が先週、国名の変更を提案した。新しい呼び名の候補として打ちだしたのは「カザフエリ」。カザフ語で「カザフ人の国」という意味だそうだ。実をいうと現在の国名も同じ意味。どうも大統領は「スタン」がお気に召さないらしい。

▼モンゴルは末尾に「スタン」とついていないから外国人に魅力的なのだ――。国名を変えるという大胆な提案の理由について、大統領はこう説明したとか。北はカザフスタンから南はパキスタンまで、ユーラシア大陸中央部には「スタン」で終わる国がいくつもある。大統領としては自国の独自性をアピールしたいようだ。

▼ニュージーランドではキー首相が、国旗のデザインを改めようと提案している。隣国オーストラリアの国旗と似すぎている、というのが理由だ。見比べると、確かにどっちがどっちか迷う。首相は「個人的な好み」として、ラグビーの同国代表「オールブラックス」の象徴でもあるシダをあしらったデザインを推している。

▼外洋との接点がないカザフスタンと、四方を外洋に囲まれたニュージーランド。お国柄は随分と違うが、国としての独自性を追い求める思いを両首脳がはからずも共有した。そんな印象だ。時として国には、そんなダイナミズムが求められるのだろう。もちろん、透明性の高い手続きで平和的に進むことが大前提だけれど。
カザフスタンのナザルバエフ大統領が先週、国名の変更を提案した。新しい呼び名の候補として打ちだしたのは「カザフエリ」。カザ  :日本経済新聞

2014年2月11日火曜日

2014-02-11

大丈夫という言葉が、若者の優しさ、自信のなさに染まり随分変わってしまったなあ。

2014/2/11付

 「金銭の誘惑に負けたり、権威に屈したりしない、志の高い男子」。ユニークな注釈で知られる新明解国語辞典は、「大丈夫」をこう説いている。これがもとの漢語の意味に近いのだが、読みは「ダイジョウフ」。日本に伝わってから二通りに読むようになったらしい。

▼もちろん「ダイジョウブ」の方は「彼に任せておけば大丈夫」のように使われる。しかし、昨今の若者が口にする大丈夫は「新明解」にもない。先日は仙台の飲食店で、店員と客が「領収書は?」「あっ、大丈夫です」と言葉を交わしていた。これで英語の「ノーサンキュー」だとみなに分かるのが、思えば不思議である。

▼推測するに、席を譲られかかったお年寄りが「大丈夫、立っていられますから」と言うふうに、かつては必ず理由がついていたのだろう。その理由がどこかに消えて、何にでも使える婉(えん)曲(きょく)の拒絶だけ残ったのだ。「なら『結構です』があるじゃない」と声をかけても、「あっ、大丈夫です」と返されてしまうかもしれない。

▼作家の池澤夏樹さんによれば、20世紀の米国の法律家が「言葉というのはカメレオンで、環境に合わせて色を変える」と言ったそうだ。日本語も、断定を嫌う若者の優しさだか自信のなさだかに染まり、どんどん変わっていく。それにしても「志の高い男子」から「ノーサンキュー」へ。同じカメレオンには到底見えない。
「金銭の誘惑に負けたり、権威に屈したりしない、志の高い男子」。ユニークな注釈で知られる新明解国語辞典は、「大丈夫」をこう  :日本経済新聞

2014年2月10日月曜日

2014-02-10

学問の才と洒落っ気とを併せ持つのだろう舛添さんには、創造する改革者になってほしい。

 春秋 2014/2/10付  司馬遼太郎が言っている。「幕末、江戸にぼつぼつ蘭学塾ができ始めたころ、蘭学の先生が旗本か御家人の入塾志願を『学問は田舎者に限る』といって、断ったそうです」。そのころ、学問のように洒落(しゃれ)っ気のない根気仕事は江戸の人間に向かぬと思われていたという。 ▼関西人の司馬自身は「僕は寸毫(すんごう)も東京が語れない」と断っている。それでも、日本中の人々を撹拌(かくはん)してできている今の東京のどこかにそんな気質も残ってはいるのだろう。それが知事に伝染したわけでもあるまいが、まる3年たたない間に3度の都知事選は慌ただしい。記録的大雪の後遺症もあって、投票率も低調だった。 ▼およそ改革を掲げぬ政治家はない。舛添要一氏が率いていたのはその名も「新党改革」だ。「信長が古い体制を壊し家康が江戸の世をつくったように、改革は破壊と創造とで成し遂げられる。破壊者が同時に創造者たりえないのは歴史が語っている」が持論だと承知する。続きは「今日の日本には創造者がいない」である。 ▼いよいよ自ら「創造する改革者」になろうという新知事にとって、五輪を控える東京という大舞台に不足はないだろう。その舞台ではきのう、多くの人が慣れぬ雪かきをした。東京の人間だって雪かきほどの根気仕事はやる。学問の才と洒落っ気とを併せ持つのだろう舛添さんには、根気仕事にも精を出すようお願いする。
司馬遼太郎が言っている。「幕末、江戸にぼつぼつ蘭学塾ができ始めたころ、蘭学の先生が旗本か御家人の入塾志願を『学問は田舎者 :日本経済新聞

2014年2月6日木曜日

2014-02-06

受験生は今後も、厳しい冬とともに試験をうけることになるようだ。がんばってほしい。



春秋
2014/2/6付
 春は名のみの風の寒さや――。立春という言葉をあざ笑うような寒波の襲来に、早春賦の出だしが頭の中を流れる。それまで寒の内とは思えない暖かさが続いていた分、風の冷たさもひとしおだ。体調管理に気をつけたい。とりわけ、年に1度の勝負に挑む受験生は。
▼共通一次試験、今でいうセンター試験を受けた時の記憶をよみがえらせてみる。自宅から試験会場までは、列車を乗り継いで1時間あまりの距離。雪のためにダイヤが乱れるのは日常茶飯事という土地柄だったので、前の日のうちに会場近くに宿をとった。当日は寒く雪が降ったが、幸いにも体調が崩れることはなかった。
▼今となっては懐かしい思い出だ。とはいえ、ずいぶんと手間をかけさせられたものだ、と思う。そして試験の呼び名が変わった今でも、日本海側の受験生が面倒な事情は相変わらずだ。もちろん、インフルエンザが全国的にはやりやすい季節なので、太平洋側の受験生にとっても十分に大変な受験シーズンなのだけれども。
▼一昨年、東京大学が秋入学を検討するとのニュースを目にしたときは、グローバル化への対応という名目とは別に、かつての受験生として期待した覚えがある。残念ながら構想は尻すぼみとなって、これからも受験生たちはインフルエンザを警戒し続けることになるようだ。日本海側では雪との闘いも。がんばってほしい。
春は名のみの風の寒さや――。立春という言葉をあざ笑うような寒波の襲来に、早春賦の出だしが頭の中を流れる。それまで寒の内 :日本経済新聞