2017年1月31日火曜日

2017-01-31

ひたむきに勝利貢献をめざす元巨人鈴木のいぶし銀の技にも、孤高の心を秘めた寒桜に似た存在感がある。

 先週末、東京の上野公園で1本のカンザクラを見た。無数の花びらが冷たい風に揺れている。周りの木々は葉をすっかり落として、真っ青な空を背景に寒さに耐えているふうだ。そんななかで、ソメイヨシノのあでやかさはないが、気品に満ち、どこか誇らしげである。

▼思わずカメラを向けたくなるこの木の姿に、昨年末の本紙運動面の連載「引退模様」を思い出した。走塁の達人としてならした元プロ野球巨人の鈴木尚広(たかひろ)さんが登場している。福島の高校から1997年、ドラフト4位で巨人入り、6年目に1軍へ上がって代打、代走、守備固めで定着。やがて「代走の専門家」となった。

▼本塁を狙う際には、待機する次打者が球を追う視線まで参考にしたと話す。若いころは「チームのなかでどう動き、必要とされる人になるか」を模索したという。たった数秒の盗塁のため、試合7時間前から球場に来て、いつとも知れぬ出番に備え調整に努めた。83%の盗塁成功率は歴代1位で、まさに「走りの職人」だ。

▼あすから各球団がキャンプインし球春が訪れる。「神ってる」派手なプレーはむろん魅力的だが、一方で、ひたむきに勝利への貢献をめざすいぶし銀の技にも、孤高の心を秘めたかのようなカンザクラに似た存在感がある。人は野球に指導者像や組織と個人の問題も探ってきた。今年はどんな教訓を授けてくれるだろうか。
先週末、東京の上野公園で1本のカンザクラを見た。無数の花びらが冷たい風に揺れている。周りの木々は葉をすっかり落として、真  :日本経済新聞

2017年1月30日月曜日

2017-01-30

情報があふれる現代社会の真偽を見分けるためには、話の真贋を見極める目が問われる。

 「見えない洪水」。情報があふれる社会に潜むあやうさを、宇宙開発で有名な工学者、糸川英夫さんたちはそう名づけた。いずれ訪れるかもしれない危機を「ケースD」という近未来小説にまとめたのは1979年。インターネットなど、まだ影も形もなかったころだ。

▼小説の舞台は20世紀末。米ソ冷戦は終わり世界の中心は国連に移っている。その国連が特定の勢力にこっそりのっとられ、食料、エネルギー、気象などの偽情報が流され続ける。本当の修羅場はその次だ。この事実が暴露されると、人々は不安から口コミだけを信じ、不確実な情報の拡散とテロで世界は大混乱に陥る――。

▼小説と異なり現実の世界は幸い破局には至っていない。しかし見えない洪水はひたひたと押し寄せているかのようだ。「××氏が××候補を支持」といった偽ニュースがネットで拡散し米大統領選に影響を与えた。当選した新大統領スタッフは「就任式の聴衆は過去最大」などとすぐわかる事実誤認を大まじめに主張する。

▼恐ろしいのは、大統領から一般のネット投稿者まで、あからさまな嘘を連発する人が増えて受け手が「嘘慣れ」し、事実が何かなどどうでもいいと感じ始めることかもしれない。糸川さんらは見えない洪水への対抗策の一つに「高水準の教育に支えられた人々の情報選択能力」を挙げた。話の真贋(しんがん)を見極める目が問われる。
「見えない洪水」。情報があふれる社会に潜むあやうさを、宇宙開発で有名な工学者、糸川英夫さんたちはそう名づけた。いずれ訪れ  :日本経済新聞

2017年1月29日日曜日

2017-01-29

 「悪い子は地獄行きだぞ!」。恐ろしい鬼の声が響く。巨大な角が生え全身を毛が覆う。鈴を鳴らし街を練り歩く。仮装の若者が異界のものを演じるウィーンの祭りだ。ここで育った民族学者ヨーゼフ・クライナーさん(76)はよく似た風習のある日本の研究を志した。

▼昭和37年春、22歳だった。列車と船を乗り継ぎ、奄美の加計呂麻島についた。風景に息をのむ。子供たちと遊び古老に話を聞いた。去り際に「ノロの神祭り」に出合う。海のかなたからの来訪神「まれびと」が幸せを運ぶ祭りだ。どんな小村にも奥深い習俗がある。肌で感じたことが、日本学などの数々の業績につながる。

▼政府は近く奄美群島などの地域を世界自然遺産に推薦する。多様な自然の保全が急がれている。そこで生きる人の営みも変わった。人口が減り活気が消えた。祭りも途絶えたままだ。島のある瀬戸内町が写真集「加計呂麻島」を作った。昔の景色を呼び戻したいとの思いからだ。当時クライナーさんが撮った写真が蘇(よみがえ)った。

▼島には移住者が増え、神社や拝所などの建物を再建する動きも出てきたそうだ。写真には海や山、暮らしや祭りが鮮明に写る。子供の笑い声や祈りの言葉も聞こえてくる。ハブよけの棒を手に山道を行く若い研究者の姿もある。別世界からの訪問者のようだ。半世紀を経た「まれびと」の贈り物が島の再生を応援している。
「悪い子は地獄行きだぞ!」。恐ろしい鬼の声が響く。巨大な角が生え全身を毛が覆う。鈴を鳴らし街を練り歩く。仮装の若者が異界  :日本経済新聞

2017年1月28日土曜日

2017-01-28

 1953年は冷戦が深まった年である。このころ、米国とソ連は核兵器の開発競争にしのぎを削り、相次いで水爆実験に踏み切っていた。第2次大戦の直後から「世界終末時計」を公表してきた米科学誌は、破滅までの残り時間を「2分」に縮めて警鐘を鳴らしている。

▼今年は、それ以来の危機だという。「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」誌が示す時計は、午前0時の地球最後の日まで残り「2分半」。昨年より30秒進んだ。冷戦終結期には十数分前まで巻き戻されていたのが幻のようである。こんど針を進めた犯人のひとりは、もちろん米国のトランプ大統領だ。

▼排外主義と敵意の拡散で大衆を引きつけ、外交も安全保障も「取引」の対象にする指導者がいま、核のボタンを手にしている。人類に牙をむく地球温暖化の防止にも後ろ向きで、およそこの星の行方についての洞察は感じ取れぬ人なのだ。就任から1週間。次々と署名した大統領令が変えていく世界を想像するだけで怖い。

▼それでも株式市場はにぎわい、今週はダウ平均が初めて2万ドルを超えた。公約を次々と実行に移す「腕力」への期待が根強いようだ。水晶玉に映る未来よりも、いまは水晶玉自体のオーラが魅力なのだろうか。米誌が終末時計の進行を1分未満にとどめたのは、就任からまだわずかしかたっていないための様子見だという。
1953年は冷戦が深まった年である。このころ、米国とソ連は核兵器の開発競争にしのぎを削り、相次いで水爆実験に踏み切ってい  :日本経済新聞

2017年1月27日金曜日

2017/01/27

競争激化で禁止された御免富の失敗を繰り返さぬよう、カジノの共倒れ防止策も考えたい。

 江戸時代には「富くじ」という賭博の興行があった。まず、番号を記した「富札」を人々に売る。抽選日には、同様の番号を書いた木札入りの箱を用意。大勢が見守る前で、柄の長いキリで箱の中を穴から突き、刺さった札の番号の人が当選金をもらえるというものだ。

▼富くじは、まぐれ当たりへの期待をあおるとして元禄期に禁じられる。が、その後、寺社が修繕や再建費用を賄うため興行主になる場合は公認されることになった。「御免富」と呼ばれる興行で、江戸、京都、大坂をはじめ各地に広がった。裏には、寺社に資金援助する余裕のなくなった、幕府の厳しい台所事情があった。

▼資金面の助けにしたいという点で、カジノの解禁も御免富と似ている。自民党はカジノの開設に道を開く法律を先の国会で成立させるにあたって、誘致する自治体の税収増が見込めることを利点として挙げた。観光振興でのカジノの効果を期待する自治体は少なくない。御免富のように盛んになることも考えられるだろう。

▼御免富は開催する寺社が増えるにつれ競合が激しくなり、富札が売れず赤字になる興行が続出し始めた。これでは意味がないということで天保の改革で禁止される。カジノ解禁の制度設計に向けた議論が自民党のプロジェクトチームで始まった。ギャンブル依存症対策などに加えてカジノの共倒れ防止策も考えた方がいい。
江戸時代には「富くじ」という賭博の興行があった。まず、番号を記した「富札」を人々に売る。抽選日には、同様の番号を書いた木  :日本経済新聞

2017年1月26日木曜日

2017-01-26

就任式の人出を過去最多と嘘の強弁するトランプ氏の奢りは、歴史に汚点を残しかねない。

 「洛中」とは京都の古くからの市街地をさす。その域内で最も古い建造物といわれるのが大報恩寺、別名、千本釈迦堂の本堂だ。1227年建立の国宝である。太い柱には「応仁の乱」の時の刀傷とされるものが残る。やりを刺した、と伝えられる親指ほどの穴もある。

▼滋賀県の大通寺の脇門には「本能寺の変」の際についたという矢弾の痕がある。秀吉の長浜城の大手門を移したもので、まだ城にあった時に「変」に呼応した勢力に攻められたのだという。何百年来のいい伝えなら、確たる証しがなくても、建物の由緒やゆかりの人物を頼りに、真偽を離れたロマンに浸るのも許されよう。

▼しかし、ひと目でわかるリアルな現実に「うそだ」と言い放たれては、話しの土台にも上れない。トランプ米大統領就任式の人出をめぐる混乱である。「150万人にもみえた」などとして、少ないと報じたメディアを「地球で最も不誠実」となじった。180万人だった前任者の時の写真と比べれば、差は明白なのだが。

▼側近にも開いた口がふさがらない。「過去最多」との強弁を批判されると「何千万人もがネットなどで見た」とけむに巻いた。45年前、7年8カ月の長期政権を終える記者会見で「僕は国民に直接話す」「新聞は出て行け」と机をたたいた首相が日本にいた。おごりは歴史に汚点を残しかねない。後世、ロマンも語れまい。
「洛中」とは京都の古くからの市街地をさす。その域内で最も古い建造物といわれるのが大報恩寺、別名、千本釈迦堂の本堂だ。12  :日本経済新聞

2017年1月25日水曜日

2017-01-25

19年ぶりの日本人横綱誕生に、国籍関係なく力士としての稀勢の里の横綱昇進を祝いたい。

 外国出身の力士、とりわけモンゴルから人材を受け入れるようになって以降の相撲界は、ウィンブルドン現象と皮肉られたりもする。テニスのウィンブルドン大会で地元の英国勢が振るわず、外国選手が活躍するさまを表す言い回しだ。そこへ満を持しての吉報である。

▼あと一歩で届かない賜杯。心が弱い、との酷評。ようやく決めた優勝の後のひと筋の涙。稀勢の里の満面の笑みを見ればこちらも自然とうれしくなる。日本出身の横綱誕生は19年ぶりとあって祝福ムードは盛り上がるが、いまや角界の屋台骨を支えているのは言葉や文化の壁を越えて、遠く草原の国から来た元少年たちだ。

▼インタビューを受け、たどたどしさの残る日本語で相撲の心を語るモンゴル人力士たちの姿には感動すら覚える。相撲通で知られた作家、宮本徳蔵は著書「力士漂泊」で、力士=チカラビトはアジアの北辺、いまのモンゴルのあたりで生まれたと論じる。そうであれば現在の相撲界の状況にも不思議はないのかもしれない。

▼チカラビトの系譜に連なる男たちが東から西から集い来て、同じまわしを締め土俵でぶつかり合う。ここに至る悠久の時を思えば、大相撲の取り組みが壮大な絵巻のように思えてくる。宮本は同書でこうも記している。「相撲が国技だなんて、小さい、小さい」。チカラビトの一人としての稀勢の里の横綱昇進を祝いたい。
外国出身の力士、とりわけモンゴルから人材を受け入れるようになって以降の相撲界は、ウィンブルドン現象と皮肉られたりもする。  :日本経済新聞

2017年1月24日火曜日

2017-01-24

人の脳の一部が培養可能になったことで新たな治療法の期待ができ、人類の進歩を感じる。

 先週、世界でもかなり重量級といえる首脳たちの演説に、相次いで触れる機会があった。まず中国の習近平国家主席。スイスのダボスで開いた国際会議で保護主義への反対を訴えた。次いで、わが安倍晋三首相。施政方針演説で日米同盟を「不変の原則」と位置づけた。

▼そして米国のドナルド・トランプ新大統領。就任式の演説のなかで「米国第一主義」を宣言した。残念ながら、というか、予想通りというべきか、どれも大して胸に響くことはなく、知的な刺激やユーモアにも乏しかった印象だ。それにつけてもトランプさんの前任者は演説が上手だったなあ、と、いささか寂しくなった。

▼そんな後ろ向きの気分が吹き払われたように感じたのは、科学誌「日経サイエンス」の3月号に目を通したときだ。オーストリアの科学者J・A・ノブリヒ氏が寄せた一文によると、胚性幹細胞(ES細胞)やiPS細胞といった、いわゆる「万能細胞」から、ヒトの脳の一部を実験室で培養することに成功した、という。

▼統合失調症やアルツハイマー病などの脳の病気を研究し、治療法を生み出すのに役立つ、との期待があるそうだ。今はやりの人工知能(AI)どころか文字通り「人工脳」の時代が来るのか、と、SFめいた夢にも誘われる。政治の世界をみていると気がめいることも少なくないけれど、人類はしっかり前にすすんでいる。
先週、世界でもかなり重量級といえる首脳たちの演説に、相次いで触れる機会があった。まず中国の習近平国家主席。スイスのダボス  :日本経済新聞

2017年1月23日月曜日

2017-01-23

家事が合理化され鍋料理はずいぶん進歩したが、女性の活躍は同じくらい進歩したのか?

 「寒いなあ、今晩は鍋だね」「何鍋にする? 鶏? 牡蠣(かき)?」。きょうも日本中で、こんなやり取りが繰り返されているはずだ。冬は鍋にすれば献立がラク、という主婦も多い。家事に追われながら句作に励んだ杉田久女も詠んでいる。「寄鍋やたそがれ頃の雪もよひ」

▼とはいえ久女が台所をあずかっていた大正から昭和の初めごろは、鍋料理も支度にいささか手間がかかったに違いない。あまりバリエーションもなかっただろう。それが今はありとあらゆる鍋スープが売り出され、スーパーの棚は鍋戦争の様相だ。薬膳、激辛、塩ちゃんこ、カレー風、トマト味……。何でもござれである。

▼こんなさまざまな鍋を食卓で囲めるようになったのも、先人が発想を転換してくれたおかげらしい。柳田国男の「明治大正史 世相篇」によれば、かつて食べ物を調理する「清い火」は荒神様が守る台所のみにあるとされた。その拘束を離れて「竈(かまど)の分裂」を進めたことで、近代になって鍋料理がどんどん普及したという。

▼してみれば、鍋物の発達は家事合理化の象徴にほかならない。現代も流れは止まらず、手軽に楽しめる「家鍋」がますます隆盛というわけだ。「足袋つぐやノラともならず教師妻」。久女が自由になれぬ身を嘆いた時代から1世紀。鍋料理はずいぶん進歩した。女性の活躍がそれと同じくらい進んだかどうかは定かでない。
「寒いなあ、今晩は鍋だね」「何鍋にする? 鶏? 牡蠣(かき)?」。きょうも日本中で、こんなやり取りが繰り返されているはず  :日本経済新聞

2017年1月22日日曜日

2017-01-22

敵を避難し国民の支持を得るトランプ大統領を生んだ米国は、日本の未来を映す鏡だ。

 自分のすぐ近くにいる前任者の統治を、あからさまに非難する。20日のトランプ米大統領の就任演説は支持者たちの耳には痛快に響いたことだろう。エリート層への富の集中を非難し、口先だけの政治家を否定し、今日から権力は国民の手に戻ったと高らかに宣言した。

▼テレビに映るオバマ氏の硬い表情が印象に残る。新大統領は演説で一般の米国民を被害者だと位置づけた。敵の一つはワシントンなどのエリート層。もう一つは外国だ。奪われた工場や雇用を取り戻すのだという。あなたが苦しいのは被害者だから。犯人はあいつらだ――。耳に心地いい訴えではあるが、果たして的確か。

▼反トランプ氏のデモも多かった。「アメリカ人の大きな特権は、失敗を犯してもこれを正す自由がある点にある」(トクヴィル「アメリカのデモクラシー」松本礼二訳)という言葉を思い出す。祝賀の日ですら異議を申し立てる人々は米国社会の活力の表れでもある。打ち上げ花火のような施策だけなら、先は苦しかろう。

▼さて、わが日本はどうか。文部科学省の役人が有名大学へ不正に天下りをしていたことがわかった。真面目に働く人々の間にいら立ちが募る。ヘイトスピーチなど、特定の集団などをやり玉にあげ、憎悪をあおる言説も目立つようになった。トランプ大統領を生んだ米国は日本の未来を映す鏡。そういう点でも注視したい。
自分のすぐ近くにいる前任者の統治を、あからさまに非難する。20日のトランプ米大統領の就任演説は支持者たちの耳には痛快に響  :日本経済新聞

2017年1月21日土曜日

2017-01-21

先が読めないトランプ氏の不意打ちに動じぬよう、周囲のリスクに注視し備えを固めよう。

 1920年代に米大統領だったハーディングとクーリッジは総じて評判が良くない。ある史家は「史上最低」とまで書く。前者は在任中に急死後、取り巻きによる汚職が発覚した。後者に目立つ業績はなく「栄光を追わず権威をふりかざそうともしなかった」との評だ。

▼政治の停滞の一方、経済や文化は黄金期に入った。ニューヨークに摩天楼が林立して、自動車やラジオが普及、ジャズが街角に流れた。好況の持続に政治の介入は不要、との思いが各層にあったのか。20年代の米社会を描く書「オンリー・イエスタデイ」に「実業家らは大統領に行動的な人物を望まなかった」などとある。

▼第45代トランプ大統領が就任の日を迎えた。直前の調査では最近の大統領の中で支持率40%と際立って低く、不支持が上回る。初日から打ち出すというさまざまな施策で人気は上向くのか。それとも、大底が待っているのか。「難題かかえ船出」や「真意測れず」といった新聞の大見出しが、多くの人の不安を映している。

▼「ドルが高すぎる」と突然言い出し、閣僚候補との政策不一致も浮かぶ。混乱を招く前に、もの静かだった先輩を見習ってほしいとさえ思う。とはいえ大統領の行動を変えるのは難しそうで、我々が備えを固める以外あるまい。不意打ちに動じぬよう腰を落とし、周囲のリスクを注視する。防災か武道の心構えに似てきた。
1920年代に米大統領だったハーディングとクーリッジは総じて評判が良くない。ある史家は「史上最低」とまで書く。前者は在任  :日本経済新聞

2017年1月20日金曜日

2017-01-20

曖昧な疑惑情報だけでの断罪を防止するため、日本将棋連盟は組織体制を見直すべきだ。

 「よし、わかった!」。角川映画の「金田一耕助」シリーズには、事件に出くわすと早合点してこう叫ぶ警部がいつも出てきた。大して調べもしないうちに「わかった」だから、その推理は見当違い。名探偵の金田一に軽くいなされ、観客の微苦笑を誘う展開であった。

▼物語の一コマならこういう慌て者がいるのも楽しいが、日本将棋連盟の「わかった」はつくづく罪深い。対局中にコンピューターソフトを不正使用した疑いがあるとして、昨秋、三浦弘行九段をいきなり出場停止処分にした問題のことだ。断罪したものの証拠は出ず、谷川浩司会長が事実上の引責辞任をする仕儀となった。

▼盤に向かえば冷静沈着な人々の集団がこんな悪手を繰り出すとは、何という皮肉な話か。背景には、急速に進化するソフトへの恐怖心があったのかもしれない。いまや将棋も囲碁も人工知能(AI)が人間を脅かす。とはいえあいまいな疑惑情報だけで、すわAIめっ、と色めき立ったのでは戦う前の敗北というほかない。

▼史上最年少のプロ棋士誕生や女性の活躍などで、将棋界への世間の関心は高まっている。こんどの混乱にファンから批判が殺到したのも注目度の高さゆえだ。このさい、連盟も組織のあり方を見直したらどうだろう。「わかった」の早とちりを正してくれる金田一さんみたいな人に、外の世界からお出ましを願ってもいい。
「よし、わかった!」。角川映画の「金田一耕助」シリーズには、事件に出くわすと早合点してこう叫ぶ警部がいつも出てきた。大し  :日本経済新聞

2017年1月19日木曜日

2017-01-19

生活保護受給者を罵るジャンパーを着て受給者の不正を正そうという姿勢は、行き過ぎだ。

 勢いのある毛筆調の文字で「膝頭から肘方向」。こう大書きしたTシャツ姿の外国人を都内の観光地で見かけ、つい声に出して笑ってしまったことがある。海外の人がカッコいいと感じる文字を選んで作るからだろうか、ヘンな意味の日本語シャツは結構出回っている。

▼逆のパターンも多い。英語で「私はもう死んでいるが、たまに出歩く」というトレーナーを着た若者を見たこともある。嫌な思いをする人がいるようでは困るが、デザインとして面白いとか、半分冗談で楽しんでいるなら他人があれこれ言う話ではない。では「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」はどうだろう。

▼生活保護を担当する神奈川県小田原市の職員らが、こんな文字が並ぶジャンパーを着て受給者宅を訪問していたという。背中には「不正受給して欺く人はクズだ」という趣旨の英文もあるというから、意味も分からず着ていたわけではなさそうだ。不正を正す仕事の大変さは想像にかたくないが、行き過ぎというしかない。

▼生活保護を略した「生保」を読み替えて「ナマポ」。インターネット上には、受給者を侮蔑する言葉があふれている。とにかく過激で、攻撃的な物言いがはやる昨今である。他者をののしる形相をつくって自撮りし、プリントしてみてはどうだろう。間違いなく、家族や友人の前では決して着られないシャツができあがる。
勢いのある毛筆調の文字で「膝頭から肘方向」。こう大書きしたTシャツ姿の外国人を都内の観光地で見かけ、つい声に出して笑って  :日本経済新聞

2017年1月18日水曜日

2017-01-18

米・英・日の国々が抱える問題解決には、せめて「光の春」の兆しがあれば希望が持てる。

 凍えながら空を見上げても気付きはしないが、この時期、日本の上空約1万メートルには西から東へ猛烈な風が吹いている。蛇行して地球を巡るジェット気流だ。時に秒速100メートルにもなる。かつて米国発台湾行きの飛行機が逆風で燃料が尽き、九州に着陸した一件もあった。

▼ある書によると、太平洋戦争中にサイパンから日本へ向かった米軍機のパイロットが西風に悩まされた体験から、気流の存在が広く知られるようになった。一方の日本側も早くからこの強風に気付き、米本土への風船爆弾に活用したという。いずれにしろ、新幹線超えの速度は、南北の温度差が大きい冬場に特有のものだ。

▼あさっては大寒で、来月4日の立春まで一年で最も寒いころを迎える。受験生や保護者には重苦しい半月だ。しかし、四季の移ろいは日の長さの変化に表れている。昨年の冬至ときょうを比べれば札幌で27分、東京では20分と、かなり昼は伸びた。これが立春ともなると札幌で1時間以上長くなる。気分も前向きになろう。

▼ロシアで2月を「光の春」と呼ぶ。気温はまだ低いが、日差しの力強さが次の季節を約束しているのである。美しい言葉だ。新大統領を待つ米国、EU離脱に揺れる英国、デフレからの脱却が正念場の日本と、厳冬の暴風下にルートを探すがごとき国々である。せめて「光の春」の兆しがあれば、希望の灯となるだろうが。
凍えながら空を見上げても気付きはしないが、この時期、日本の上空約1万メートルには西から東へ猛烈な風が吹いている。蛇行して  :日本経済新聞

2017年1月17日火曜日

2017-01-17

中・露の暴挙により日本が世界で活躍する土台が潰されているので、国際法は守るべきだ。

 「これから何をやるつもりか?」。江戸幕府の大政奉還の直後、西郷隆盛が坂本龍馬に聞いた。「新政府の役人などまっぴらごめんだ。世界の海援隊でもやるかな」。倒幕に奔走した志士の答えに、西郷は二の句がつげなかったそうだ(平尾道雄著「海援隊始末記」)。

▼龍馬が隊長の政治結社・海援隊は貿易商社に育ちつつあった。西洋列強に対抗するには、日本を鎖国の眠りから覚ます。新しい海運国家をつくり世界に乗り出す。その夢を実現できる組織だった。新国家を守るには何が大事かを考えた。刀ではない。ピストルでもない。万国公法(国際法)を学ぶべきだと常に説いていた。

▼龍馬の手紙が新たに見つかった。「新国家」の文字が初めて確認された重要史料だという。海援隊で海運業を営んだことで、国の財政基盤がなにより肝心と痛感していた。手紙では福井藩の重役に、財政通の藩士を早く新政府に派遣するよう求めている。安定した政権ができなければ、海運国家の夢も逃げてしまうからだ。

▼150年後の世界はどうか。中国は南シナ海で勝手に島を埋め立てて軍事基地を造った。ロシアはクリミア半島を武力で併合したままだ。どちらも国際法を無視している。日本が世界で活躍する土台がないがしろにされているのである。幕末の風雲児は、口をとがらせるだろう。「おまんら、ルールは守らんといかんぜよ」
「これから何をやるつもりか?」。江戸幕府の大政奉還の直後、西郷隆盛が坂本龍馬に聞いた。「新政府の役人などまっぴらごめんだ  :日本経済新聞

2017年1月16日月曜日

2017-01-16

国別参加枠が東京五輪低調の要因になるのであれば、個人参加にした方が絶対盛り上がる。

 ゴルフのロリー・マキロイ選手が3年後の東京五輪に参加しないと表明した。ジカ熱への感染を懸念してスター級がほとんど出なかったリオ五輪に続き、凡戦を見せられるのかとがっかりである。本紙に「個人の選択なので尊重してほしい」とのコメントが載っていた。

▼日本の衛生状態はブラジルほど心配いらないぞ、とぶつぶつ言っていたら、事情は全然違った。マキロイ選手は英国とアイルランドの二重国籍。リオ五輪ではアイルランドから出ると決めたが、金メダル候補に逃げられた英国でかなり悪く言われたらしい。嫌気がさしてジカ熱を理由に出場を取りやめたというのが真相だ。

▼したがって、五輪参加が国単位である限り出場する気はないそうだ。大会ごとに国籍を変える渡り鳥選手ならばともかく、生まれつき二重国籍なのは彼の罪ではない。五輪憲章には「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と書いてある。メダル競争に奔走する国が多いせいで、居場所を失う選手がいるのは残念だ。

▼だから二重国籍に目くじらを立てるべきでないと書くと、異を唱える人が多いだろうが、二重国籍嫌いの愛国者であればあるほど東京五輪が低調でよいとは思うまい。ゴルフは特定国に有力選手が偏りがちで、世界ランク30位までに米国は12人も入っている。国別の参加枠を取り払い、個人参加にした方が絶対盛り上がる。
ゴルフのロリー・マキロイ選手が3年後の東京五輪に参加しないと表明した。ジカ熱への感染を懸念してスター級がほとんど出なかっ  :日本経済新聞

2017年1月15日日曜日

2017-01-15

世界経済を発展させた自由貿易に反する、トランプ氏の保護主義政策は正しいのか?

 米国の経済学者ポール・サミュエルソンは若いころ、著名な数学者のスタニスワフ・ウラムに問いかけられた。「真理であり、かつ自明でない社会科学の定理を、ひとつ教えてくれ」。自然科学の研究者が社会科学に向ける冷ややかな視線をうかがわせる、逸話である。

▼ご本人の回想によれば、ずいぶんと後になってサミュエルソンは答えを思いついた。英国の経済学者デビッド・リカードが1817年に明らかにした「比較優位」の理論である。明快な論理によって導き出される結論は確かに直観に反し、自明とはいいがたい。自由貿易を支える考え方として、世に及ぼした影響も大きい。

▼リカードの鮮やかな仕事から200年。現実の世界経済にはいろんなことがあったが、大きな流れとしては自由貿易が広がってきたといえるのではないか。19世紀には英国が、20世紀なかばからは米国が、それぞれ自由貿易を推し進めるエンジンだった。そうした流れはしかし、大きな曲がり角をむかえたのかもしれない。

▼5日後に米国のトップに立つドナルド・トランプ氏。第2次世界大戦が終わってからの歴代大統領のなかで、自由貿易に後ろ向きの姿勢は際だってみえる。型破りの言動の背景には、ビジネスで成功をおさめたという自信があるのかもしれない。やはりビジネスで巨富を築いたというリカードに、コメントを求めたくなる。
米国の経済学者ポール・サミュエルソンは若いころ、著名な数学者のスタニスワフ・ウラムに問いかけられた。「真理であり、かつ自  :日本経済新聞

2017年1月14日土曜日

2017-01-14

NPOの低賃金問題を働き方改革で是正し、社会貢献意識が高い若者たちを定着させよう。

 かつてはごく普通に、むしろ肯定的な意味合いで使われていたが、いまでは使うべきではないとされる言葉がある。「寿退職」もそのひとつだ。結婚した女性はみな会社を辞め、それが祝福された時代。あの新婦たちは心から笑っていたのだろうかと、いまにして思う。

▼この「寿退職」という言葉が今も生きている場がある。大学を卒業した後、NPOなど社会貢献の世界で働く男性が自嘲を込めて使う。家族ができたのを機に一般企業に転職する例が目立つからだ。NPOの有給職員の年収は平均で200万円前後。社会貢献意識が高い若者たちが関心を抱く職場の、これが現実でもある。

▼その一方で、非営利分野の取材では前向きで元気な女性に会うことが多い。留学経験者などが大企業やITベンチャーから転じてくるからだ。貧困者支援などのNPOで働く女性を近著「N女の研究」で紹介したノンフィクション作家の中村安希さんは、政府や自治体の支援をあてにしない若い世代の覚悟を感じたと記す。

▼社会をよくしたいと奮闘するそんなN女たちも、夫のリストラなどで家計を支える立場になれば企業社会に戻っていく。行政に代わる社会課題の解決役として期待され、新しい生き方として注目されているNPOも、低賃金という壁を越えなければ、一時のブームで終わりかねない。ここにもまた働き方改革の課題がある。
かつてはごく普通に、むしろ肯定的な意味合いで使われていたが、いまでは使うべきではないとされる言葉がある。「寿退職」もその  :日本経済新聞

2017年1月13日金曜日

2017-01-13

米トランプ氏の政権移行に気をとられ、知らぬ間に中国から足をすくわれぬようにしたい。

約300と0。トランプ次期米大統領が、昨年11月の選挙での勝利後「ありえない!」などツイッターに投稿をした数と記者会見に応じた回数だ。その0が、やっと1になった。10本もの星条旗を背に、赤のネクタイで腕を大きく上下させての正調トランプ音頭である。

▼まもなく就くのは、一時の勢い衰えたりとはいえ、自由と民主主義の価値観で世界を導く超大国のトップの座だ。それなのにのどや節回しは激しかった選挙戦と比べ少しも変わらない。「私は最大の雇用創出者になる」と自信たっぷりに宣言してみせる一方、中国、日本との貿易不均衡を嘆き、おなじみの壁にも言及した。

▼自画自賛や被害の訴えに加え「米国を去る企業には高い関税をかける」と威圧も忘れなかった。駆け引きでは巧者の手練手管に周囲は当分振り回されるのだろう。見逃せないのがメディアへの厳しい批判だ。「ロシアに弱みを握られた」との報道をした社が質問を求めると「おまえの報道は偽ニュース」と拒み続けていた。

▼むき出しの対決姿勢では多様な意見を政策に反映できないし、求められる説明責任も果たせまい。折しも政権移行期の隙をついて、中国軍が対馬や台湾周辺で活発に動く。「策士、策に溺れる」のたとえもある。いつの間にか、こんなことになっていないよう祈りたい。渡辺白泉の一句だ。「戦争が廊下の奥に立ってゐた」
約300と0。トランプ次期米大統領が、昨年11月の選挙での勝利後「ありえない!」などツイッターに投稿をした数と記者会見に  :日本経済新聞

2017年1月12日木曜日

2017-01-12

翌元日に新天皇即位という歴史の節目が一刻と迫ってくると思うと、感慨深いものがある。

 平成の世も来年かぎりか……。こんな感慨に包まれている人は少なくないだろう。天皇陛下の退位のスケジュールがにわかに浮上した。菅義偉官房長官のコメントは「承知していない」だが、2019年の元日に新天皇が即位し、新しい元号も適用へと報じられている。

▼28年前の1月7日を思い出す。昭和天皇が亡くなった朝、記者たちはポケットベルの音で一斉にたたき起こされた。まだ携帯電話など普及していなかったのだ。午後になって「平成」が発表され、翌日からただちに改元となる。怒(ど)濤(とう)のような2日間をピークとする昭和の終わりの記憶は、あまたの日本人になお鮮烈である。

▼ああした事態は避けたいというのが、陛下が退位を望まれる理由のひとつだろう。たしかに前もって元号を発表し、整然と代替わりを果たせるなら国民生活への影響は最小限に抑えられる。さまざまな印刷物だけではない。前回とは比較できぬほど進んだデジタルへの対応にも余裕が持てよう。ポケベル時代とは違うのだ。

▼それにしても、誰もが不思議な体験を持つことになりそうである。事前に歴史の節目が定められ、それが一日一日、カウントダウンで近づいてくるのだ。胸に迫るのは愛惜か、新しい世の中への期待か。ふと、真新しい今年の手帳をめくってみれば最後のページは来年のカレンダーだ。平成30年――しみじみと眺めている。
平成の世も来年かぎりか……。こんな感慨に包まれている人は少なくないだろう。天皇陛下の退位のスケジュールがにわかに浮上した  :日本経済新聞

2017年1月11日水曜日

2017-01-11

物議をかもす言動の絶えないトランプ次期米大統領に待ち受けるのは、どんな未来なのか?

 ウィリアム・シェークスピアはちゃめっ気があった。ある時、王役の人気俳優がファンと密会の約束をするのを盗み聞いた。なりすまし先回りする。本人が来ると「(英王室の開祖)ウィリアム征服王が先に御入来だ」と追い払う。悲劇も喜劇も書いた人らしい逸話だ。

▼その俳優が演じた王様が「リチャード三世」である。芝居は世界を憎む露悪的なせりふから始まる。「思い切り悪党になって見せるぞ。筋書きはもう出来ている」(福田恆存訳)。弁舌と謀略を使って、多くの血を流し、イングランド王になる。兄や幼い王子2人をロンドン塔にとじ込めて殺すなど、非道の限りを尽くす。

▼トランプ次期米大統領の振る舞いはへたな悪役芝居のようだ。物議をかもす言動に名優メリル・ストリープさんがかみついた。選挙中に障害を持つ記者をまねし愚弄した様子を人権や報道の自由への侵害と批判した。次期大統領はツイッターで「最も過大評価された女優」とののしった。遊び心のかけらもない反応だった。

▼「トランプ劇場」は予告編だけではらはらする。「あり得ない、米国に工場を造れ」。メキシコ工場の計画撤回を求める発言にトヨタも困惑した。11日には初の記者会見が予定される。報道の自由など様々な疑問にどう答えるのか。いよいよ幕開きだ。筋を想像するとどうにも悩ましい。待つのは悲劇か。それとも喜劇か。
ウィリアム・シェークスピアはちゃめっ気があった。ある時、王役の人気俳優がファンと密会の約束をするのを盗み聞いた。なりすま  :日本経済新聞

2017年1月10日火曜日

2017-01-10

シリアやイラクで戦う将兵達が自ら反省できれば、戦闘やテロも少しは静まるかもしれぬ。

 2011年から12年、本紙に連載された安部龍太郎さんの小説「等伯」の終盤は、何度読んでも心が揺さぶられる。絵師の長谷川等伯が首をかけて豊臣秀吉のために描いた水墨画「松林図屏風」を伏見城で披露する場面だ。家臣の徳川家康や前田利家らも着座している。

▼霧の中に濃く淡く浮かぶ木々の幽玄さに名だたる武将が魂を奪われる。「わしは今まで、何をしてきたのであろうな」。秀吉が深いため息とともにつぶやいた。「心ならずも多くの者を死なせてしまいました」。家康は懐紙で涙を拭う。乱世を生き抜くなかで犠牲にした仲間や家族を思い、自らの仮借なき行いをも省みる。

▼大自然を活写した芸術が、人間の業をねじ伏せた――。そんな瞬間を見事に描いた一幕である。この屏風は東京国立博物館で15日まで特別公開中だ。前に立つと、細く砕いた竹か、束ねたわらを使ったという筆致から、風と光の動きや、葉と霧が交わすささやきが伝わってくるようだ。白と黒のひたすら深遠な世界である。

▼物語に触発され、リメーク版を考えた。今、シリアやイラクで血みどろの勢力争いを繰り広げている将兵たちが感動で立ち尽くす芸術は生まれないものか。「自分は何をしてきたのだろう」。そんな境地にいざなえれば、苛烈な戦闘や陰惨なテロも少しは静まるかもしれぬ。空想が入り込みそうもない複雑な状況であるが。
2011年から12年、本紙に連載された安部龍太郎さんの小説「等伯」の終盤は、何度読んでも心が揺さぶられる。絵師の長谷川等  :日本経済新聞

2017年1月9日月曜日

2017-01-09

18歳以上選挙権導入で成人年齢を下げ、何が大切か分かる大人が増えれば未来は暗くない。

 夏の朝、1機の偵察機が消息を絶った。撃墜されたようだ。第2次大戦末期、イタリアの島からフランスに向けて、地中海を飛行中だった。操縦士は仏作家サン・テグジュペリ。ナチスドイツに脅かされている祖国のために、志願して高射砲弾をくぐり飛び続けていた。

▼その2年前、米国滞在中に「星の王子さま」を書いた。飛行士が不時着した砂漠で、小さな王子に出会う童話だ。ゾウをぺろりとのみ込むウワバミの恐ろしさが語られる。バオバブの木は、芽のうちにつまないと、いつのまにか巨大になって、小さな星を破壊してしまう。子供が気づく危うさに大人はちっとも気づかない。

▼大蛇も大木もナチスやファシズムを表すとの見方がある。「大人ってほんとにへんだ」。童話の登場人物は、政治家も実業家も危機が見えない。どっちつかずで、打算的だ。そうした大人が戦争の厄災を招いた。作家自身も責任を感じ、反省と罪滅ぼしの気持ちをこめているという(塚崎幹夫著「星の王子さまの世界」)。

▼「18歳以上選挙権」の導入で、成人年齢を下げる動きもでてきた。社会は若者に早く大人になってほしいのである。米欧など世界には激動の気配が漂う。混乱は日本にも及びかねない。作家は何が大切か分かる大人になってほしいと子供たちに希望を託した。困難が近づいても、そんな人々が増えてくれば未来は暗くない。
夏の朝、1機の偵察機が消息を絶った。撃墜されたようだ。第2次大戦末期、イタリアの島からフランスに向けて、地中海を飛行中だ  :日本経済新聞

2017年1月8日日曜日

2017-01-08

長時間労働是正と消費促進の政策は、実質賃金を伸ばさずして経済効果は上がるのか?

 バブル期の日本で、ハナキンは輝いていた。若い人たちは聞き慣れぬだろうが「花の金曜日」の略である。ちょうど週休2日制が普及しつつあったから金曜の夜は心ウキウキ、街に出てパァーッと楽しもうという気分にあふれた言葉だったのだ。お気楽な時代ではある。

▼久々に、そんなハナキンを復活させようというのだろう。経済産業省や流通業界が連携して「プレミアムフライデー」なるものを仕掛けるそうだ。毎月末の金曜日は午後3時での退社を促し、買い物や外食、土日にかけての旅行を楽しんでもらうという。ニコニコマークみたいなロゴも登場し、来月24日が最初のその日だ。

▼長時間労働の是正と消費促進。いまどきの二大テーマを取り込んだキャンペーンだが、何それ? といった声も聞こえる。「月末の金曜日はいちばん忙しい」「有給休暇の消化が先決では」「肝心のお金がない」などなど、突っ込みどころに事欠かない。そもそも時給制で働く非正規雇用の人々には縁の薄い話ではないか。

▼それにしても月イチの、2時間ほどの時短で「プレミアム」とはいじましい。どうせなら、ハナキンよりずっと昔からあった土曜日の「半ドン」を毎週金曜にやってみたら……。いやいや相変わらず実質賃金は伸びないし、みんなさっさと家に帰るだけかもしれぬ。正月明けのこの3連休にも、残念だが先立つものがない。
バブル期の日本で、ハナキンは輝いていた。若い人たちは聞き慣れぬだろうが「花の金曜日」の略である。ちょうど週休2日制が普及  :日本経済新聞

2017-01-07

今を謳歌するトランプ次期米大統領に、栄華のはかなさを説く故事の感想を聞いてみたい。

 コンビニのおにぎりや弁当が並ぶ棚に、見慣れぬ黒い容器を見かけ手に取った。「七草がゆ」とある。小袋の塩もついていた。店員さんによると「お昼時にはバーッとはけますよ」とのことだ。大きく変わった社会の中でも、古くからの風習はしっかり根を張っている。

▼「正月七日、雪のない所から菜を摘む」と枕草子にある。7種の菜を吸い物にする習わしがあったようだ。おかゆにし始めたのは室町時代から。江戸期には害鳥を追い払う「鳥追い」の行事と結び付き、「鳥が渡ってくる前に」などとはやしながら、まな板をたたいたという。災いを遠ざけ、豊作を祈る意味があったのだ。

▼「かゆには十の利益あり」。福井県の永平寺で修行する僧は、食事の前にこんな経文を唱える。「色つやがよくなる」「気力が増す」など主に体への効用が続くが、かゆが出てくる中国の故事には「栄華のはかなさ」を説くものもある。「邯鄲(かんたん)の夢」だ。貧乏書生が邯鄲の町の茶店で、仙人に身の不幸を嘆く所から始まる。

▼仙人は書生に青磁の枕を授けた。書生は夢の世界で50年間、人生の絶頂とどん底を味わい尽くす。目覚めれば、仙人と会った同じ日で、眠る前に作りかけのかゆは、煮上がってもいなかった、というものだ。いま、トランプ次期米大統領が「わが世の春」とばかりつぶやきを続けている。故事への感想をぜひ聞いてみたい。
コンビニのおにぎりや弁当が並ぶ棚に、見慣れぬ黒い容器を見かけ手に取った。「七草がゆ」とある。小袋の塩もついていた。店員さ  :日本経済新聞

2017-01-06

交通事故死者は67年前と同水準に戻ったが、少子高齢化と人口減を解決せねばならない。

 「輪タク全盛」と、物の本にある。1949年、つまり終戦から4年後の話だ。自転車に急ごしらえの座席をつないで客を運ぶ銀輪タクシーが道にあふれ、この年、全国で1万3000台にのぼったという(「昭和・平成家庭史年表」)。焼け跡を走り回ったのだろう。

▼昨年の交通事故死者が67年ぶりに4000人を下回り、そんな時代と同じ水準にまで戻ったそうだ。輪タクゆきかう戦後まもないころとは比較にならぬ交通事情なのに、そこまで犠牲者を減らせたのだから驚くほかない。警察や行政が地道な努力を重ね、人々がルールをきちんと守ってたどり着いた「1949年」である。

▼もっともこの統計からは、いまの世の中の別の顔もうかがえる。死者数の半分以上は65歳以上の高齢者で、これまでで最多の割合だ。背景にはむろん、高齢者人口の増加があろう。それに事故死の減少そのものが、クルマ離れと関係があるのかもしれない。若者が減り、教習所だって生徒を集めるのに苦労する昨今なのだ。

▼輪タク全盛の49年は自動車が急増しはじめた年だと、冒頭にあげた年表にある。交通死もこのころから高度成長期を経て増え続け、交通戦争と呼ばれる深刻な事態に至った。その敵をどうにか抑え込んできた日本社会だが、いまはまた新たな戦争に向き合っている。少子高齢化と人口減――この敵に打ち勝たねばならない。
春秋要約。

2017-01-05

ネットを介した非行から子供達を見守る為、大人社会にはスキルを磨き続ける責任がある。

 夜の街から子どもが消えた――。年末年始、繁華街の見回りをしていた知人の防犯ボランティアにこんな話を聞いた。以前は盛り場をうろつき、飲食店やゲームセンターにたむろする中・高生の姿をよく目にした。それがここ数年で、すっかり見かけなくなったという。

▼少子化だけでは説明がつかない変わり様らしい。実際、警察による補導の件数なども大きく減っている。背景にはやはり、インターネットやスマートフォンの普及があるようだ。交流サイト(SNS)や通話アプリで連絡を取り合えばすむのだから、わざわざ深夜の街に繰り出して会う必要もない、ということなのだろう。

▼落ち合う場所は、親が外出している仲間の家が多いと聞く。飲酒や喫煙に及ぶこともあるようだ。「出会い」を求めて客を探す少女たちもまた、街頭ではなくネット上で誘いをかけている。外から見えにくくなった非行に危機感を強める警察は、一般人のフリをして彼女らに接触を試みるサイバー補導に力を入れはじめた。

▼だがなにしろネットの世界では、子どもたちの方が一枚上手なのだ。サイバーポリスの存在は先刻承知。不自然な受け答えがあれば、「こいつ、サイポリじゃね?」と即、拒絶されてしまう。IT(情報技術)の進展を追いかけるのは疲れるけれど、子どもたちを見守るため、大人社会にはスキルを磨き続ける責任がある。
夜の街から子どもが消えた――。年末年始、繁華街の見回りをしていた知人の防犯ボランティアにこんな話を聞いた。以前は盛り場を  :日本経済新聞

2017年1月6日金曜日

2017-01-04

人の仕事がAIに取って代わられる変革期は、廃れる仕事も、伸びる仕事も出てくる。

 公認会計士という職業は産業革命が進んだ19世紀半ばの英国で誕生したとされる。企業は巨額の資本を調達するため、財務諸表に第三者のお墨付きを得る必要が出てきた。そこで登場したのが、国王の認める会計帳簿のチェック役だった(渡邉泉「会計の歴史探訪」)。

▼会計士の活動は大西洋を越えて米国にも広がり、鉄道会社の決算に監視の目を光らせた。資本主義の発展に少なからぬ貢献をしてきたといえよう。ところが今、この専門的な職業の存続を危ぶむ声があがっている。人工知能(AI)に不正会計の事例を学習させることで、すばやく虚偽を見抜けるようになってきたからだ。

▼技術革新が人の仕事を奪った例としては産業革命下の英国で起こったラッダイト運動が知られる。機械に職をとられた織物職人たちが、機械を打ち壊した騒動だ。これに対してAIに取って代わられる恐れが指摘される仕事は、ものづくり関係に限らず幅広い。高度な専門職などホワイトカラーも安穏としてはいられない。

▼帳簿の点検がAIに置き換わり始めたとき、会計士はどうしたらいいか。「決算をもとに経営者との議論を深め、業績改善策の助言に力を入れる」。ある会計士は提供するサービスの付加価値を高めるという。産業構造の変革期は廃れる仕事がある半面、伸びる仕事も出てくる。AI革命の今、そのただ中に入ったようだ。
公認会計士という職業は産業革命が進んだ19世紀半ばの英国で誕生したとされる。企業は巨額の資本を調達するため、財務諸表に第  :日本経済新聞

2017-01-03

苦労や曲折から生まれた漱石の言葉から、今を生きるヒントを探すのもいい。

 今年秋に完成した後は、おそらく人気スポットになるであろう施設の建設が進んでいる。場所は東京都内にある閑静な住宅街の一画。作家の夏目漱石が晩年に住んだ家の跡に新宿区が記念館を建て、空襲で焼けた書斎やベランダなどを復元、庭の一部も再現するという。

▼戦後は公営住宅や公園として使われてきた。いったんは漱石との関連を忘れられた土地だ。今後は古い資料なども集め、観光だけでなく研究の拠点にもする。漱石の本格的な記念館は全国でも初だそうだ。昨年が没後100年、今年が生誕150年。49年の生涯が生んだ言葉の数々が、時を経てますます注目を集めている。

▼文豪のイメージとは違い、歩みは泰然自若とは遠い。留学で心は疲れ果て、奉職した大学は数年で辞めた。迎え入れられた新聞社でも後に冷ややかな扱いを受けている。病に悩まされつつ読者を引きつける連載を亡くなるまでつづり続けた。そんな仕事人としての苦労や曲折を知れば、改めて親しみを覚える向きもあろう。

▼家族には厳しかったが、死の間際、涙を流す娘に「もう泣いてもいいよ」と優しく声をかけたという(十川信介著「夏目漱石」)。小説では男らしさになじめない「悩む男」を描き、評論では国家主義を嫌い自由主義を擁護した。多くの人にとって明日は仕事始め。1世紀を経た言葉に、今を生きるヒントを探すのもいい。
今年秋に完成した後は、おそらく人気スポットになるであろう施設の建設が進んでいる。場所は東京都内にある閑静な住宅街の一画。  :日本経済新聞

2017年1月5日木曜日

2017-01-01

選挙に乗じて広がるポピュリズムを手なずけ、政治の活性化につなげられるか

 「あらたまの年の始めのくりやにて水に触れれば時うごきだす」。本紙の歌壇に載った名古屋市の稲熊明美さんの一首だ。くりやは台所。歌には「近年は薄れつつある新年の聖性が描かれている」と選者の穂村弘さんが評していた。清らかで神々しいリセット感が響く。
▼古来、正月には縁起の良い方角から年神が家々を訪れて、健康や豊作を約束するとされた。地方によっては、屋内の棚に野菜などの供物を並べる。年神は大みそかの朝から動き出すらしい。迎える目印となる門松などを31日になって準備しては、年神の目に触れないこともある。いわゆる「一夜飾り」を避ける理由という。
▼「どうぞ」と招き入れたい神様の一方、いま世界をうろうろするのは、マルクス流に言えば「ポピュリズム(大衆迎合主義)という名の怪物」だ。昨年、世界を揺さぶり、今年は欧州の国々での選挙に乗じ、さらに勢いづきそうな気配である。敵を探し、過激な物言いで変革を訴える手法の広がりをどう考えればよいのか。
▼「民主主義の不均衡を是正する自己回復運動のようなもの」と北海道大教授の吉田徹さんはポピュリズムの一面を説く。代議制デモクラシーに避けられない現象で、飼いならすくらいの発想が必要と主張している。現状への否定を原動力に政治の活性化にも資するという。さて、時は動き出した。怪物は手なずけられるか。
「あらたまの年の始めのくりやにて水に触れれば時うごきだす」。本紙の歌壇に載った名古屋市の稲熊明美さんの一首だ。くりやは台  :日本経済新聞