2017年3月31日金曜日

2017-03-31

力によるテロの封じ込めは必要だが、多くの市民らが犠牲になっている事実も忘れるな。

 理髪店に最も多く置かれている漫画は、さいとう・たかをさんの「ゴルゴ13」だという。大人の男性なら一度は手に取ったことがあるはずだ。「デューク東郷」を名乗る主人公は一匹おおかみの超A級スナイパー。国際政治の舞台裏で、請け負った仕事を完璧にこなす。

▼そんな人物に依頼をしたというのだから、ただごとではない。外務省が海外に進出する中小企業向けに、ゴルゴ13がテロへの備えなどを指南する漫画の連載をホームページで始めた。トーキョーの外務省に招かれたG(ゴルゴ)が、「用件を聞こうか……」と切り出す。外相が安全対策への協力を求め、物語は幕を開ける。

▼ただし最近のテロは、Gの得意な銃だけではない。車で歩行者の列に突っ込み、ナイフで襲うといった蛮行が目立つ。英ロンドン中心部で起きた事件もそうだった。治安関係者に聞けば過激派組織「イスラム国」(IS)は、「銃や爆弾がないのなら車や岩、ブーツ、拳で襲え」などとテロ行為をあおり立てているという。

▼米国などによる空爆が続き、ISは中東での支配地域を失いつつある。力によるテロの封じ込めはもちろん必要だが、その一方で多くの市民らが爆撃の巻き添えになっている事実も忘れてはなるまい。テロ対策を推し進めながら、かみしめるべきGの名言を一つ。「その正義とやらは、お前たちだけの正義じゃないのか?」
理髪店に最も多く置かれている漫画は、さいとう・たかをさんの「ゴルゴ13」だという。大人の男性なら一度は手に取ったことがあ  :日本経済新聞

2017年3月30日木曜日

2017-03-30

トランプ氏の大統領令で温暖化対策が撤廃され、世界には異常気象の暴風雨がやってくる。

 夢のようだ。指がふれると、リンゴが金にかわった。木の枝もテーブルもたちまち、まばゆい黄金になる。うかれるうちに、恐ろしいことに気づく。パンも飲み物も口にできない。娘を抱きしめようとしたら、彫像になってしまう。ギリシャ神話のミダス王の話である。

▼さわる。つかむ。もつ。つくる。ひろげる。人は手をはたらかせて、社会とかかわる。世界もかえてきた。「手にいれる」と、思うままにできる。自由に支配できる。ついには、さわったものをすべて、自分の思いどおりに動かしたくなる。「黄金の手」には、そんなとほうもない願いが、こめられているのかもしれない。

▼魔法の手をもった気分だろうか。また、トランプ米大統領が大統領令を出した。一時は温暖化対策を引っぱる構えをみせた米国の手のひら返しだ。国内産業を助けるとして、発電所の二酸化炭素の規制をゆるめ、新たな対策もやめるという。わがまま放題、なんでもできる。はしごを外された各国が、怒るのもむりはない。

▼ミダス王はのちに、発言が神の怒りにふれ、動物の耳をもらう。必死に隠しても、草原の風が「王様の耳は、ロバの耳」とつぶやきだす。いまは、風の声だけではすまない。「放言王」がスマホに指先をすべらせ、好き勝手をつぶやく間も、温暖化は進む。とまどう世界はおかまいなしに、異常気象の暴風雨がやってくる。
夢のようだ。指がふれると、リンゴが金にかわった。木の枝もテーブルもたちまち、まばゆい黄金になる。うかれるうちに、恐ろしい  :日本経済新聞

2017年3月29日水曜日

2017-03-29

雪崩の犠牲になった高校山岳部を引率していた教諭らの、リスクへの対処は正しかったのか。

 メタボ対策が主の一登山者の分際でも、雪の怖さなら少々覚えがある。ミズバショウを探した初夏の尾瀬で残雪に何度も尻もちを突いた。梅雨時分、雪原が広がる谷川岳の山頂付近で立ち往生したこともある。東京の奥多摩でさえ北斜面の道は連休ごろまで凍っていた。

▼山の雪解けは下界と長い時差を伴い、時に大きな悲劇を呼ぶ。栃木県の那須町で前途ある高校生7人と20代の教諭が雪崩の犠牲になった。あまりに痛ましい。県内の7校から計51人の生徒が参加する「安全登山講習」の場だった。専門知識のあるベテラン教諭らが引率していたというが、リスクへの対処は正しかったのか。

▼以前の雪が昼の暖かさで解け、再び凍った所へ新雪が積もった。気象台は雪崩注意報を出している。そんな場所での雪上歩行訓練だ。新幹線並みの速さという表層雪崩が起きれば避けるのは難しい。ベテランの知識になかったわけではあるまい。若い命を預かる身として危機管理のあり方が問われよう。捜査を見守りたい。

▼亡くなった生徒たちが所属していた高校の山岳部は全国大会の常連だったという。インターネット上のサイトを開くと、40人ほどの部員が遠くかすむ富士山をバックに、山陵で拳を突き上げる写真が掲載されていた。岩や緑の美しさはもちろん、人生の感動もこの仲間らと分かち合うはずだった。もう、永遠にかなわない。
メタボ対策が主の一登山者の分際でも、雪の怖さなら少々覚えがある。ミズバショウを探した初夏の尾瀬で残雪に何度も尻もちを突い  :日本経済新聞

2017年3月28日火曜日

2017-03-28

歪んだ基準をあてはめる文科省のルール作りでは、現場の杓子定規の度合いが進むだろう。

 文部科学省は不思議な役所である。職員の再就職をめぐっては、ルールを大胆に破って天下りのあっせんに余念がない。その同じ官庁が、こと教科書検定となるとにわかにルール墨守の石部金吉と化すのだ。小中高校、どの科目にも杓子(しゃくし)定規な注文をつけてばかりいる。

▼こんど公表された、道徳教科書の初の検定はその最たるものだろう。「消防団のおじさん」が登場する話は、学習指導要領が高齢者への尊敬と感謝を求めているとして「おじいさん」に修正された。町でパン屋を見つけたという記述は「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」との観点から和菓子屋に変わった。

▼道徳の教科化は、長年の論争の末に実現した経緯がある。「心の教育」は大事だが、かえって道徳心を型にはめる恐れはないか。子どもが評価を気にするようにならないか。そんな指摘が少なくなかったから、中央教育審議会も画一化を避けるよう念を押していた。それがふたを開けてみれば案の定、いつもの文科省流だ。

▼この調子だと現場の先生たちは指導要領からの逸脱を恐れ、杓子定規の度合いがどんどん進むかもしれない。そういえば杓子定規というのはもともと、杓子の曲がった柄、つまりゆがんだ基準をあてはめることを言うそうだ。自分たちだけのルールを作っていた天下りあっせんのほうも、まさに杓子定規だったわけである。
文部科学省は不思議な役所である。職員の再就職をめぐっては、ルールを大胆に破って天下りのあっせんに余念がない。その同じ官庁  :日本経済新聞

2017年3月27日月曜日

2017-03-27

森友等の土地に春のいぶきが感じられないのは、大地の営みに思いを致さなかったからだ。

 春の足は速い。もう3月がつきる。年度替わりである。職場の異動や引っ越しで、あわただしい。雑事にかまけている間にたちまち過ぎる。開花のしらせや寒の戻りは気にしても、風景の変化は見えにくい。それでも、敏感な目は、季節の俊足をしっかりとつかまえる。

▼チェコの作家、チャペックは「自然の行進」と名づけた。3月末、ネコの額ほどの庭にしゃがむ。すると枝先に小さな金の星が光る。若々しい緑が顔を出す。ついに芽の行進が始まったのだ。左、右、と前へ進む。どよめきも聞こえるようだ。しずかな庭が「凱旋行進曲」をかなで出した(小松太郎訳「園芸家12カ月」)。

▼曲が聞こえない場所もある。土地がだまっている。「森友学園」の用地には、ゴミがあふれていた。東京・豊洲市場はいまだに汚染問題がくすぶる。東日本大震災の被災地には、近づけない区域がある。汚れたままの地面もある。芽ぶきの響きは、耳にとどかない。悲しげな緑の声が、かすかに鳴っているのかもしれない。

▼先を考えない。今がよければと、大地の営みに思いをいたさなかったからではないか。そんな土地ばかりが増えては、春のいぶきも感じられなくなる。将来を考え、庭を整え、草木を育てる。園芸家精神にちょっと学んではどうか。チャペックは木を植えると、100年後、ここが巨大な森になると心の中で思ったそうだ。
春の足は速い。もう3月がつきる。年度替わりである。職場の異動や引っ越しで、あわただしい。雑事にかまけている間にたちまち過  :日本経済新聞

2017-03-26

女性の活躍をうたうなら、保育所の数を増やすとだけでなく質を高めることが大事だ。

 そこでの食事風景は一見すると「地獄絵図」を思わせた。ジャーナリストの小林美希さんが、訪ねた保育所の一部について、著書「ルポ保育崩壊」で感想を記している。手間がかからぬよう、身動きできなくされた子がいた。泣く子を怒鳴る保育士たちの姿も目立った。

▼保育士を責めるだけでは問題は解決しない。サービス残業で行事の準備をこなす。休みもとりにくい。辞職者が増え、経験の浅いスタッフだけで職場を支える。ある園長は、待機児童解消のために定員以上の子を受け入れろと役所から命じられたと嘆く。志や夢を持ちこの道を選んだ人でも、これでは丁寧な対応は難しい。

▼兵庫県姫路市の認定こども園が、定員を超す子供を入園させ、わずかな食事しか与えないなど問題のある運営をしていたとわかった。春からの利用予定者は全員辞退したという。保育士にも「遅刻したら罰金」といった裏ルールを強いていた。ここまでひどい話は例外だろうが、子を持つ親は不安感が高じたかもしれない。

▼仕事と子育てを両立させたい親たちが、子の預け先を必死に探している。しかし、見つけた先が「わが子をここに預けて大丈夫か」という疑念を感じさせるようでは、仕事を続ける決心も揺らぐ。女性の活躍をうたうなら、ただ保育所などの数を増やすだけでなく、「安心して」預けられる先を用意することが大事になる。
そこでの食事風景は一見すると「地獄絵図」を思わせた。ジャーナリストの小林美希さんが、訪ねた保育所の一部について、著書「ル  :日本経済新聞

2017年3月26日日曜日

2017-03-25

大幅値引での森友学園払い下げが重層的な忖度メカニズムによるものなら、度が過ぎる。

 「例の案件、こっちの関連だから」と先輩が親指なぞ立てて目配せする。「わかってます」と後輩。正式な指示でも機関決定でもないが、なぜか最優先事項となる。「聞いてないですよ」と反論しようものなら、KY(空気読めない)とレッテル貼りされるのが落ちか。

▼日本中、どの職場でもありそうな、上役やら得意先の意向の「忖度(そんたく)」である。言葉の意味自体「他人の心中をおしはかること」(広辞苑)とニュートラルだ。しかし、実際に使われる時は「力を持つ上の者の気持ちを先取りし、機嫌を損ねぬよう処置すること」といったニュアンスになろうか。書いていて嫌な汗がにじむ。

▼「神風が吹いたと思った」。森友学園をめぐる国会の証人喚問の場で、籠池泰典理事長はこんな表現をした。小学校の設立に当て込んだ国有地が、ゴミを理由に大幅に値引きされて払い下げられた一件についてだ。首相夫人と学園の関係や国会議員による「言葉がけ」が、財務省や出先の判断に影響を及ぼしてはいないか。

▼「重層的な忖度メカニズム」。今回、こんなものが働いたかと疑われる。理事長は首相と信条の近さを強調し、夫人付の職員名で問い合わせもあった。公開文書では確かに「ゼロ回答」だが、連絡すること自体、役所へのボディーブローだったかもしれない。究明に必要な交渉の記録は廃棄された。忖度なら度が過ぎよう。
「例の案件、こっちの関連だから」と先輩が親指なぞ立てて目配せする。「わかってます」と後輩。正式な指示でも機関決定でもない  :日本経済新聞

2017年3月24日金曜日

2017-03-24

国有地売却額が大幅に値引きされた森友問題は、後押しがあり土地売却は進んだのか。

 関西には「おため」という習わしがある。結婚祝いなどを受け取ったときに、その場で1割ほどのお礼を返すことだ。お祝いを包んでいた風呂敷に、ちょっとした品物を入れて返したのが始まりらしい。森友学園の籠池泰典理事長が語った話は、この風習を彷彿(ほうふつ)させる。

▼きのう、国会の証人喚問に臨んだ籠池氏いわく――一昨年9月、学園の幼稚園を訪れた安倍晋三首相の妻、昭恵さんから寄付金100万円を受け取り、かわりに「感謝」と書いた封筒入りの講演料10万円を「お菓子の袋」とともに渡した――。先日来の発言を補強して、立て板に水の能弁ぶりだった。鮮明な記憶だという。

▼事実なら政権の危機である。森友問題の核心は、小学校建設のための国有地売却額が大幅に値引きされたことだ。しかしこの100万円と講演料の行き来だけでもとんでもない爆弾だろう。国民注視の喚問の場で言いたい放題だった籠池氏。全面否定する与党側は偽証罪での告発に動くのか、ほかに何か打つ手はあるのか。

▼謎だらけの森友問題だが、ここは昭恵夫人の話も聞きたい。籠池氏は、国有地をめぐる相談に夫人サイドが送ってきたというファクスを読み上げてみせた。これまた経緯不明なれど、森友に何やら後光が差すなかで土地売却は進んだのかもしれぬ。評価額の9割引きだから、国もずいぶん「おため」をはずんだ格好である。
関西には「おため」という習わしがある。結婚祝いなどを受け取ったときに、その場で1割ほどのお礼を返すことだ。お祝いを包んで  :日本経済新聞

2017年3月23日木曜日

2017-03-23

東京で開花宣言があり歌でもよみたいが、歌心がないうえスギの花粉にも悩まされ難しい。

 できることなら春に桜の花の下で死にたいものだ。お釈迦様が亡くなられたという2月の満月のころに……。西行がこんな思いを歌によんだことは、よく知られている。おどろくのは、その願いがかなったことだ。旧暦の2月16日。827年前の今の季節に世を去った。

▼列島の住民たちは昔から桜に心ひかれてきたようで、たくさん歌を残してきた。あでやかだった花が色あせたように自分の美貌も衰えた、と嘆いたのは、西行より300年ほど前の人とされる小野小町。我が身をむしばむ病魔を、花を散り急がせる風にたとえてうらんだのは、西行より400年ほど後の武将、蒲生氏郷だ。

▼魅力的すぎる。そんな八つ当たりめいた歌をよんだ人もいる。小野小町と同時代を生きたらしい在原業平だ。この世に桜が一切なければ、春はのどかな気持ちでいられるのに、と。桜に向けるまなざしも、桜に触れて湧いてくる感情も、ひとそれぞれなのだけれど、日本の文化にとってとても大切な花なのはまちがいない。

▼東京ではおととい開花宣言があった。伝統をふまえるなら歌のひとつでもよみたいところだが、これがなかなか難しい。生来うたごころに恵まれていないうえ、数年前から開花に不快な生理現象がつきまとうようになった。浮かぶのは業平の歌のパロディーだ。世のなかにスギの花粉がなかったら、は、は、ハークショイ。
できることなら春に桜の花の下で死にたいものだ。お釈迦様が亡くなられたという2月の満月のころに……。西行がこんな思いを歌に  :日本経済新聞

2017年3月22日水曜日

2017-03-22

新横綱稀勢の里は絶好調だが、頂点で連勝すると嫌い衰えると支えるファンは複雑だ。

 「でかかったよ。ゲタがまな板みたいで。文ちゃんと呼ばれてた」。東京は小岩育ちの70代の男性が回想する。大相撲の元関脇、出羽ケ嶽文治郎のことだ。身長2メートル超、体重200キロ余。戦前に活躍し、引退後は小岩で焼鳥店を開いた。1950年、47歳で没している。

▼数奇な運命である。山形県に生まれ、東京では青山脳病院を営む斎藤家へ厄介になった。後に院長となる歌人の茂吉と知り合う。少年期の文治郎は利発だったらしい。当初は医師を志したが、親方らの勧誘で角界入り。長身を生かしたさば折りを武器に相撲人気を支えた。脊髄を病んで、幕下まで陥落し土俵を去っている。

▼巨漢に小兵、「技のデパート」など、世の縮図のごとき多彩な力士が長年、国技館やお茶の間を沸かせてきた。いま注目の稀勢の里は10連勝と絶好調だ。新横綱で優勝すれば95年の貴乃花以来、全勝なら83年の隆の里以来である。厳しい稽古を付けてくれた師匠に並ぶのも夢ではない。表情に不敵なずぶとさが漂ってきた。

▼しかし、ファンは複雑だ。出世の途上では声援を送るが、頂点で連戦連勝されるのは嫌う。そして、衰えだすと再び支えたくなる。「断間(たえま)なく動悸(どうき)してわれは出羽ケ嶽の相撲に負くるありさまを見つ」。茂吉は不調の旧友を何度も詠んだ。文治郎には別の人生もあったのではとの思いがにじむ。自らへの問いでもあったか。
「でかかったよ。ゲタがまな板みたいで。文ちゃんと呼ばれてた」。東京は小岩育ちの70代の男性が回想する。大相撲の元関脇、出  :日本経済新聞

2017-03-21

森友学園問題と豊洲についての証人喚問で議会はどう追求するのか、力量が試される。

 「記憶にございません」。国会での証人喚問をめぐる名ゼリフといえば、何といってもこれが記憶に残る。戦後最大の疑獄、ロッキード事件を追及する場面でのことだ。国際興業社主だった小佐野賢治氏はこの言葉を繰り返して議員らの質問をかわし、流行語になった。

▼同じく政界を揺るがした東京佐川急便事件では、元自民党副総裁の金丸信氏が病室での尋問で「そんなこと覚えているようじゃ代議士なんかやってない」とけむに巻いた。上には上がある。さて国会喚問の地方版、東京都議会百条委員会の証人喚問である。こちらは名言も迷言も聞かれないまま、ヤマ場を過ぎてしまった。

▼都の元幹部、浜渦武生元副知事、石原慎太郎元知事と、大物の役者たちが日替わりで登場した。しかし見応えがあったのは、時折、強い言葉で質問者ににらみをきかす浜渦氏の迫力ぐらいだったか。汚染が懸念される豊洲に市場を移転する絵を誰が描き、主導したのかという素朴な疑問にはっきりとした答えは出なかった。

▼23日には大阪市の森友学園の問題で、国会でも5年ぶりの証人喚問が行われる。何やらここでは流行語が生まれそうな気配もするが、そもそも証人を呼んで聞けばたちまち謎が解けるといった都合のいい制度などあるはずがない。豊洲についてもこの先、議会はどう追及していくつもりなのか。そこでこそ力量が試される。
「記憶にございません」。国会での証人喚問をめぐる名ゼリフといえば、何といってもこれが記憶に残る。戦後最大の疑獄、ロッキー  :日本経済新聞

2017年3月21日火曜日

2017-03-20

春分は、暑さ寒さの切り替わりと共に青物の主役も移っていく季節である。

 東京の下町を散策していて街角の和菓子屋でまんじゅうを買った。二つに割ると、あんこが緑色だ。昨今は抹茶ブームだからな、と思いつつ齧(かぶ)りつくと見当外れだった。草団子風だが、よもぎとはやや味わいが違う。店員に聞くと、菜っ葉を練り込んであるのだそうだ。

▼戦後しばらくまで、隅田川から江戸川にかけては野菜畑があちこちにあった。さかのぼる江戸時代、鷹(たか)狩りに訪れた将軍吉宗が通りがかりの神社で一休みした際、この地の菜っ葉を食べて気に入り、近くを流れる川にちなみ、小松菜と名付けた。そんな言い伝えが残っている(亀井千歩子著「小松菜と江戸のお鷹狩り」)。

▼命名には異説もある。「この菜は何という」と問われた神主が名を知らず、「困ったな」とつぶやいたのを吉宗が聞き違えたというのだ。かなり眉唾っぽいが、話としてはこの方が面白い。いずれせよ、寒さに強い小松菜は冬の食卓に香味と彩りをもたらしてきた。「小松菜の一文束や今朝の霜」。俳人の小林一茶の句だ。

▼きょうは春分。暑さ寒さも彼岸までとよくいうが、青物の主役も小松菜からほうれん草や菜の花へと移っていく季節である。調理方法も菜の花となると、鍋ものでなく、やはりおひたしだろう。酒のさかなにもよいが、おにぎりの具にするのも悪くない。あの和菓子屋でも練り込む具材を変えるのだろうか。聞きそびれた。
東京の下町を散策していて街角の和菓子屋でまんじゅうを買った。二つに割ると、あんこが緑色だ。昨今は抹茶ブームだからな、と思  :日本経済新聞

2017年3月19日日曜日

2017-03-19

挑発を繰り返す北朝鮮と強気外交の米国の指導者は、戦争を終らせる難しさを思い出せ。

 太平洋戦争に幕を引いた鈴木貫太郎が首相の座に就いたのは、72年前の4月7日である。サクラは満開のころだったろうか。親任式の控室で閣僚らは「大和」が撃沈された、との報に接した。世界最強を誇った戦艦である。戦局悪化を改めて思い知らされた瞬間だった。

▼「余に大命が降(くだ)った以上、機を見て終戦に導く、そうして殺される」。鈴木は覚悟していたという。海軍で日清、日露両戦争に従軍した古つわものである。侍従長時代には二・二六事件で銃弾を浴び死の淵をさまよった。独断専行する軍人の怖さも含め、戦争は始めるより、終わらせる方が何倍も難しいと知っていたのだ。

▼今月「在日米軍基地の攻撃訓練」と称し、北朝鮮が4発の弾道ミサイルを撃った。うち1発は能登半島の沖200キロの海上に落ちている。庭先だ。米トランプ政権も、やまない挑発に強気の外交に転換した。先制攻撃や体制転換も選択肢という。米韓の軍事演習には米海軍特殊部隊も動員されているとかでキナ臭さが漂う。

▼互いにディール(取引)めいた力の誇示を続けては、偶発的な衝突にもつながりかねない。日本も何らかの関与を求められる可能性があろう。周辺国の利害も絡めば、引き際は、法則通り難しくなる。鈴木は辞世で「永遠の平和」と2度繰り返した。挑発に走ったり、実力を振るったりする前に指導者に思い出してほしい。
太平洋戦争に幕を引いた鈴木貫太郎が首相の座に就いたのは、72年前の4月7日である。サクラは満開のころだったろうか。親任式  :日本経済新聞

2017年3月18日土曜日

2017-03-18

技術が進化した通信でデマや風評を運べば国が行方を誤るので、かつてない用心がいる。

 たいしたことはないよ。福沢諭吉の学力をずばっと斬った人がいる。榎本武揚である。幕府がたおれると、海軍を率い北海道を占領。新撰組の土方歳三とともに箱館戦争を戦った軍人だ。降伏し刑に服すが、洋学の大家なにするものぞ。日本一の化学者を自負していた。

▼知識は最新だった。幕府が軍艦、開陽丸を発注したオランダで学んでいる。砲術や国際法など多分野に及ぶ。情報通信が大事と考え、下宿にモールス電信機を備えつけた。トンツーの信号でSOSを送る。あの技術だ。使いなれ、相当の腕前になったという。装置と回線などを持ち帰るが、動乱でお蔵入りになってしまう。

▼その通信の子孫がオランダを揺さぶった。たやすく発信できる交流サイト(SNS)などが勢いづく。極右・自由党の党首は「オランダのトランプ」とよばれ、この方式で反移民などの過激な情報を流す。感情に訴え、振り回す。うなずく人も増えた。選挙では、第1党もと心配されたが伸び悩んだ。それでも勢いは残る。

▼榎本武揚は「北海道共和国」をうちたてた。欧州の先端技術に触れ民主政にあこがれたのだろう。日本初の選挙で、臨時政府の総裁にもなっている。通信は民主主義のいしずえだ。デマや風評を運べば、国の行方をあやまる。150年で技術はすばらしく進化した。やっかいな落とし穴も広がった。かつてない用心がいる。
たいしたことはないよ。福沢諭吉の学力をずばっと斬った人がいる。榎本武揚である。幕府がたおれると、海軍を率い北海道を占領。  :日本経済新聞

2017年3月17日金曜日

2017-03-17

GPS追跡機能の技術発展に伴い、プライバシーや人権を守るためのルールをつくるべきだ。

 俵万智さんの「サラダ記念日」に、電話に出ぬ恋人への邪推をあれこれ巡らす歌がある。「この時間君の不在を告げるベルどこで飲んでる誰と酔ってる」。ケータイやメール全盛の昨今でも相手が反応しないとき、あの人はどこに……といらだつ向きは少なくあるまい。

▼そんな欲求にこたえた「カレログ」なるスマホアプリが、ひところ問題になった。全地球測位システム(GPS)を通じてカレシ、カノジョの居場所や通話履歴がわかる仕掛けに批判が相次いだものである。しかし実は、こうしたアプリはいまも進化を続け、GPSの発信器も浮気調査などにしばしば使われているという。

▼プライバシーや人権を侵す危うさをはらみつつ、効果は抜群で需要も断てない――。この悩ましい利器と犯罪捜査との関係をめぐり、最高裁大法廷が初判断を下した。裁判所の令状なしに、クルマにGPS端末を取り付けるのを違法とする判決である。警察の大事な仕事だ、ここは大目に見よう、とはならなかったわけだ。

▼GPSの追跡機能は子どもや認知症患者の見守りに、宅配便の管理にと用途がどんどん広がっている。技術はさらに進むだろうから、さまざまな場面での運用についてルールをつくるしかあるまい。さて当方、やましい点はないがどこで飲んでる、誰と酔ってると監視されるのは困る。そうだ、カバンの中を調べておこう。
俵万智さんの「サラダ記念日」に、電話に出ぬ恋人への邪推をあれこれ巡らす歌がある。「この時間君の不在を告げるベルどこで飲ん  :日本経済新聞

2017年3月16日木曜日

2017-03-16

今は日本でも脳死移植で多くの命が救われているが、募金を頼りに海外へ渡る事例も続く。

 並外れた技量や信念を持つ人は、強いオーラを放っている。1988年、米ピッツバーグ大の付属病院を訪ねた際にもそれを感じた。目立った特徴があるわけでもない一人の男性がこちらに歩いてくる。片手はポケットに突っ込んだまま、ゆっくりとした足取りだった。

▼写真で見たことさえなかったが、その瞬間、この人が臓器移植の父、トーマス・スターツル教授であると確信した。コロラド大で世界初の肝臓移植を手がけ、その後ピッツバーグにやって来ていたのだ。鉄冷えに苦しむかつての工業都市は教授をヒーローとして迎え、移植医療を看板に掲げる新たな街づくりを進めていた。

▼教授が漂わせる空気感と同じくらい驚いたのは、患者に対する情報提供の徹底ぶりだ。病室のベッド脇の壁には、毎日の検査の結果や投与している薬の分量などが張り出されていた。小児病棟では、おなかを開けるとリアルな内臓模型が出てくる「ザディーちゃん人形」を使い、子どもの患者に手術の手順を説明していた。

▼当時、脳死での移植が行われていなかった日本の実情を話すと、病院のスタッフは「大切なのは患者との信頼関係だ」と話した。いまは日本でも脳死移植で多くの命が救われている。だが乳幼児の臓器提供は少なく、募金を頼りに海外へ渡る事例も続く。スターツル教授の訃報を聞き、ピッツバーグの街並みを思い出した。
並外れた技量や信念を持つ人は、強いオーラを放っている。1988年、米ピッツバーグ大の付属病院を訪ねた際にもそれを感じた。  :日本経済新聞

2017年3月15日水曜日

2017-03-15

万博大阪誘致のテーマ案のいくつかは注意に欠け、ネットに溢れる寒々しい書込と同類だ。

 今年が没後10年の作家、小田実さんの名言に「人間みなチョボチョボや」というのがある。人は生まれながらに自由で対等で、平等な存在だ――。標準語で説けばこんなふうに小難しくなろう。そこを大阪弁でかみ砕いてみると、胸にすとんと落ちるから方言は面白い。

▼そういう効果を狙って経済産業省の面々も筆を走らせたようだ。大阪への誘致をめざす2025年万博について、報告書案の「関西弁バージョン」をおととい公表した。テーマ案の「いのち輝く」の部分を「いのちがキンキラキンに輝く」としたり、「レガシー、セクシーとちゃうで」とふざけたり、全編がそんな調子だ。

▼ため息が出るのは万博の役割を「人類共通のゴチャゴチャを解決する方法」と主張したくだりである。いくつか「ゴチャゴチャの例」を挙げるなかで、そのひとつは「社会重圧、ストレス(例えばやな、精神疾患)」と記した。さすがにあちこちで批判が噴出したらしく、世耕弘成経産相は一夜で撤回表明に追い込まれた。

▼個々の表現がどうこうではなく、この文書は言葉への注意が本質的に欠けているというほかない。ネット空間にあふれる寒々しい書き込みとチョボチョボではないか。経産省は先月末から、情報管理徹底のためとしてすべての執務室に昼間でも施錠するようになった。そのドアの向こうで、こんなものをつくっていたとは。
今年が没後10年の作家、小田実さんの名言に「人間みなチョボチョボや」というのがある。人は生まれながらに自由で対等で、平等  :日本経済新聞

2017年3月14日火曜日

2017-03-14

大半が汚職スキャンダルで退任した韓国大統領の、選出の仕組みは改善の余地は大きい。

 指導者を選んだり政策を決めたりするうえで、完全に民主的な仕組みはありえない――。みもふたもない理屈である。これを理論的に証明したとされるのが、2月下旬に亡くなった米国の経済学者、ケネス・アロー氏だ。社会選択に関する「不可能性定理」などという。

▼正直なところ高度な数学を駆使した証明は手に余るのだが、その結論はすんなりと胸におちる。というより、多少なりとも世の風に当たってきた大人なら、直観か常識でわかっていることだろう。人の営みに完全なんてありえない、と。だからこそ、たゆまぬ改善をこころがけ、すこしでも実行していくしかないのだ、と。

▼「真実はかならず明らかになる、と信じている」。弾劾によって罷免された韓国の朴(パク)槿恵(クネ)前大統領は12日の夜、青瓦台(大統領府)を去るにあたってこんな声明を出した。憲法裁判所の判断を正面から受けとめていない、として韓国ではあまり評判がよくないらしい。とはいえ無念の思いが伝わってくるひとことではある。

▼韓国で「第6共和国」と呼ばれる今の政治体制がはじまったのは、1988年、ソウル五輪の年だった。それからおよそ30年。この間の6人の大統領は、大半が退任した後、ときには在任中に、親族あるいは本人の汚職スキャンダルに見舞われた。もとより完全な仕組みは無理としても、改善の余地は大きいのではないか。
指導者を選んだり政策を決めたりするうえで、完全に民主的な仕組みはありえない――。みもふたもない理屈である。これを理論的に  :日本経済新聞

2017年3月13日月曜日

2017-03-13

伊勢丹社長の業績不振による退任には、逆風下でのビジネスの舵を取る難しさを感じる。

 空襲で焼け野原になった終戦直後の東京。ほどなく子どもたちの笑い声が戻った場所のひとつが、百貨店の屋上だった。評論家の川本三郎さんが随筆集「東京おもひで草」に、そう記している。戦前から戦後しばらく、珍しい遊戯具が並ぶ屋上は最先端の遊園地だった。

▼豆汽車、飛行塔、メリーゴーラウンドという三種の神器のほか、動物園やロープウエーを設けた店もあった。大食堂には定番のお子様ランチもある。「この時代、子どもがデパートの主役になっていた」と川本さんは振り返る。盛り場の主が大人の男だった頃、子どもとその母親や祖母の関心を引きつける斬新な策だった。

▼百貨店からテーマパークやショッピングモールへと、家族で丸1日過ごせる場が移って久しい。百貨店業界の売上高は最盛期の9兆円台から5兆円台に縮んだ。店の数だけでなく扱うモノの幅も減り、屋上に遊具を備えた店も見かけない。百貨店という店のあり方が時代と合わなくなったのか。寂しく思う向きも多かろう。

▼勢いのある低価格店にフロアごと貸したり、高齢客に特化したり。各社各様の試みがある中で、最先端という百貨店の原点に戻り、流行を先取りしたファッションで一段の成長を図ったのが集客数世界一を誇る伊勢丹新宿店だった。その旗振り役だった社長が業績不振で退く。逆風下でビジネスの舵(かじ)を取る難しさを感じる。
空襲で焼け野原になった終戦直後の東京。ほどなく子どもたちの笑い声が戻った場所のひとつが、百貨店の屋上だった。評論家の川本  :日本経済新聞

2017年3月12日日曜日

2017-03-12

疑惑が次々に飛び出す森友学園問題を、国会が問題解明せねば政治のこけんにかかわる。

 「思い知ったか」。接待役がいきなり、大先輩に切りつけた。大事な催しの直前。江戸城内でのけんかである。大騒ぎになった。斬った赤穂の殿様は切腹となり藩はつぶれる。太平の世をあっと驚かせる「忠臣蔵」の始まりだった。300年以上前のいまごろのことだ。

▼原因はわかっていない。武士のこけんにかかわる。よほどの恨みがあったのだろう。こけんは、体面や品格を意味する。もとは売り買いに使う紙、沽券(こけん)のことだ。平安のころに、土地の売買などで登場した。話がまとまると、売り主が、買い手に渡す。いくらで、だれに売ったのか。みんなに証明できる大切な証文だった。

▼国有地売買をめぐる「森友学園」問題はびっくり箱だ。疑惑が次々に飛び出した。理事長は小学校の認可申請を取り下げたが、自説をならべるだけで、多くの疑問に答えていない。驚くほどの安値のわけも、いまだに、はっきりしない。国や大阪府に出した校舎建設費はすべて食い違っていた。なぞは深まるばかりである。

▼四十七士はプライドに命をかけた。土地の証文は時をへて、体面などをさすようになった。内容にごまかしやウソがあれば、品格が傷つくからだろう。国の土地の利用や学校の設立に、インチキはなかったのか。政治家はどこまでからんだのか。なぞ解きはやはり国会の仕事だ。知らぬふりでは、政治のこけんにかかわる。
「思い知ったか」。接待役がいきなり、大先輩に切りつけた。大事な催しの直前。江戸城内でのけんかである。大騒ぎになった。斬っ  :日本経済新聞

2017年3月11日土曜日

2017-03-11

原発事故以来廃墟と化した帰還困難区域が、元の活気を取り戻すのはそう簡単ではない。

 数日前、福島県いわき市から国道6号を北へ向かって車を走らせた。好天の中、群青色の太平洋が光る。白い花は梅か。やがて「この先、二輪車、歩行者は通行禁止」といった表示が目立ち始める。原発事故の影響で放射線量が高いレベルのままの「帰還困難区域」だ。

▼民家の入り口は鉄パイプと金網で封鎖されている。飲食や衣料のチェーン店は、高々と看板を掲げてはいるが中に人けはない。ガソリンスタンドを一面の雑草が覆う。信号は黄が点滅しているだけの所が多い。交差する道から車も人も来ないのだ。日本の歴史上、初めて出現したと思われる光景だが、すでに6年が過ぎた。

▼国費での除染も進め、5年先には住民が戻って来られる段取りにはなっている。しかし、他の地区の前例から、ふるさとが元の活気やにぎわいを取り戻すのは、そう簡単ではあるまい。平穏な暮らしを奪った事故への怒りや無念。さまざまなわだかまりを胸に、数十年とされる廃炉への工程を身近にしながらの日々になる。

▼「チッソの人の心も救われん限り、我々も救われん」。石牟礼道子さんが水俣病患者のこんな言葉を書き留めている。直後にこう添えた。「そこまで言うには、のたうち這(は)いずり回る夜が幾万夜あったことか」。甚大な厄災を、年月をかけて乗り越えた魂の粘り強さと気高さを感じる。郷土を取り戻す道をも照らすようだ。
数日前、福島県いわき市から国道6号を北へ向かって車を走らせた。好天の中、群青色の太平洋が光る。白い花は梅か。やがて「この  :日本経済新聞

2017年3月10日金曜日

2017-03-10

東日本大震災後の理念は実を結ばぬままだが、後世この時代を俯瞰すると何が見えるのか。

 「災後」という言葉は昔からあったようだ。たとえば18世紀末の雲仙・普賢岳噴火を記録した明治時代の文献には「災後藩庁ノ用意」なる項目があるという。やはり明治期には、濃尾地震についての行政文書が「災後ノ処置ヲ図ルヘシ」などの表現を使っているそうだ。

▼もっとも、これらは単に災害後を指しているだけである。そういう言葉にうんと大きな意味を持たせ、東日本大震災後の時代を「戦後」を超える「災後」と位置づけようとする声が、一時期は説得力を持った。この震災を機に、しがらみと既得権でがんじがらめの日本を造り直そう――。そんな夢と気概が宿っていたのだ。

▼あの日から、あすで6年。残念ながら共生や共助、開かれた国づくりといった「災後」の理念は実を結ばぬままである。むしろ世間ではナショナリズムが高まり、人々の気分は内向きになっているようだ。日本スゴイの自己愛がはやり、閣僚が古色蒼然(そうぜん)たる教育勅語を評価するのだから、時節が変わったといえば変わった。

▼じつはこれこそが「災後日本」なのかどうかは、もっと時間がたたないとわからない。歴史は行きつ戻りつして進んでいく。節目に気づくのはずっと後のことなのだ。長かったような、短かったような6年である。後世、この時代を俯(ふ)瞰(かん)するときに何が見えるだろうか。もしかしたら、いまだ「災中」であるかもしれない。
「災後」という言葉は昔からあったようだ。たとえば18世紀末の雲仙・普賢岳噴火を記録した明治時代の文献には「災後藩庁ノ用意  :日本経済新聞

2017年3月9日木曜日

2017-03-09

森友学園は道徳教育を大切にしてきたが、新設予定学校を巡る疑惑の山は道徳とは縁遠い。

 「シ、ノタマワク……」。湯川秀樹博士は子どものころ、祖父から四書五経を徹底的に仕込まれたという。意味はまるでわからなくとも、文字だけをひたすら声に出して読む「素読」だ。漢字の群れを前に、つらかった、逃れたかったと自伝「旅人」に書き残している。

▼それでもこの苦労は長じて大いに役立ったというのが、のちに日本人として初のノーベル賞を受賞した博士の述懐だ。偉人のそんな体験談も手伝ってか、いまでも漢籍素読をモットーにする学校がたまにある。目下、政界を巻き込んだ大騒動を巻き起こしている学校法人「森友学園」の運営する塚本幼稚園もそのひとつだ。

▼私学だから教育内容にはさまざまな工夫があっていい。とはいえ運動会の選手宣誓で「安倍首相がんばれ」「安保法制国会通過よかったです」などと政治的主張まで「素読」させるのは脱線が過ぎよう。湯川博士は素読の効用を「漢字への慣れ」だと説いた。この学園も、軟らかい幼児の頭を慣らすのに余念がないらしい。

▼理事長は道徳教育の大切さをしきりに訴えてきたようだが、新設予定の小学校をめぐる疑惑の山は道徳とは縁遠い。ここは国会に関係者を呼び、あれこれ尋ねてみるのも手だ。会計検査院に解明作業を任せて済む話ではなかろう。四書五経の素読は「大学」から始まる。その一節にいわく「物に本末あり、事に終始あり」。
「シ、ノタマワク……」。湯川秀樹博士は子どものころ、祖父から四書五経を徹底的に仕込まれたという。意味はまるでわからなくと  :日本経済新聞

2017年3月8日水曜日

2017-03-08

内外とも眉根寄せることの多いニュースが続くが、笑顔は忘れず楽しく日々を送りたい。

 昔、映画評論家の淀川長治さんがラジオ番組で、映画から学んだ人生訓の一つとして「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ」という言葉をあげていた。これは実際に心理学や脳科学でも議論になることがあるテーマで、人間の「不思議さ」が伝わってくる。

▼こちらは「楽しいから笑うのではない。笑うから楽しいのだ」という話である。近畿大学と吉本興業などが協力して、笑いが心身の健康にどんな影響を与えるのかを調べる研究が始まった。被験者にお笑い芸人の舞台を定期的に見てもらい、表情や心拍数といったデータを集めて病気の発症率との関連などを調べるという。

▼近く開設される大阪の病院も、がん医療に笑いがどう役立つか研究する。患者をお客に病院の中で落語や漫才の会を開き、笑う前と後で免疫細胞の働きや、ストレスの度合いを示す物質がどのように変化するかを分析していく。「笑うだけならタダでっしゃろ」との声も聞こえてきそうな、笑いの本場らしい試みといえる。

▼その大阪で発覚した国有地の不透明な払い下げからミサイル発射による威嚇まで、内外とも眉根寄せることの多いニュースが続く。笑ってコトが解決するはずもないが、笑顔は忘れず日々を送りたい。淀川さんは晩年に入院した際、病室の前にこんな貼り紙を出したという。「このドアを開ける人は、笑って開けて下さい」
昔、映画評論家の淀川長治さんがラジオ番組で、映画から学んだ人生訓の一つとして「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいの  :日本経済新聞

2017年3月7日火曜日

2017-03-07

東日本大震災を経験した麻生川校長曰く、震災時は人としてどう動くかが問われる。

 宮城県南三陸町の戸倉小学校は、かつて海岸から300メートルの所にあった。授業で磯遊びをし、サケを飼育した。そんな恵みの一方で、津波の被災マップでは危険ゾーン内。校長だった麻生川敦さんが先生らと避難の方法を協議しだしたのは東日本大震災の2年前だった。

▼話し合ううち、職員室にはラジオがないことがわかり驚いた。非常時の学校運営に必要な事柄を詰めるなか、3.11の大きな揺れが襲う。「必ず津波が来る」。子どもら100人と近くの高台へ。だが、そこも30分後に泥流がのみ込んだ。さらに小高い神社へと駆け上がり、空腹に耐えながら、余震におびえ夜を明かした。

▼子どもらは自宅が全壊し、各地の避難所へ散り散りになっている。先生らも自らの生活の立て直しに追われた。それでも「学校再開が日常への第一歩」と麻生川さんは信じた。外部団体から教材の支援を受け2カ月後、内陸の廃校で始業式にこぎ着ける。長いバス通学にめげず、子どもらは校舎や校庭で歓声をひびかせた。

▼麻生川さんは今、仙台近郊の小学校校長だ。体験を研修などで80回余り伝えてきた。「想定外の事態の前では、時に大胆な判断も必要だ」「地域をよく知る人こそ防災力が高い」など教訓は重い。甚大な被害の下では「教員」としてより、人としてどう動くかが問われると強調する。来るべき日の備えとしてかみしめたい。
宮城県南三陸町の戸倉小学校は、かつて海岸から300メートルの所にあった。授業で磯遊びをし、サケを飼育した。そんな恵みの一  :日本経済新聞

2017年3月6日月曜日

2017-03-06

情報公開といいながら黒塗りの書類を提出した政府は、よほど世間の目が怖いのだろう。

 ぎょっとした。明け方、がさごそと音がした。明るくなってみると、夫の顔が真っ黒である。妻は確信する。やっぱりね。また、女のところに行っていたに違いない。してやったり。べっとりと墨塗りの顔が動かぬ証拠だ。こんな話が鎌倉時代の「古本説話集」にある。

▼男はいつも水さしを持ち歩いていた。その女のところで、愛情があるんだよと、そら泣きしてみせていたのだ。これを知った妻は、水と墨を入れ替えておいた。しらずに顔や袖をぬらしたから、たまらない。鏡を見た男は、しかけに気づく。あまりに情けない。それからは、ニセモノの涙を流すのはやめてしまったそうだ。

▼いま、べっとりで、ぎょっとするのは役所の文書である。「森友学園」問題の始まりは、黒塗りの書類だった。文科省の天下りの件でも次々でてきた。情報公開といいながら、まるで機密書類だ。小池百合子都知事は「のり弁」とよぶ。「日の丸弁当」のように白く公開すると宣言したが、根が深い。どこまで、できるか。

▼墨塗りには、魔よけの意味もある。邪鬼は黒がにがてだからだ。むかしは正月の羽根つきで負けると、顔に塗ったものだ。各地に無病息災を祈る墨塗りの祭りが残るが、それほど多くはない。とっくにすたれたか。と思ったら、どっこい、役所の世界では、伝統が生きていた。鬼みたいに、よほど世間の目が怖いとみえる。
ぎょっとした。明け方、がさごそと音がした。明るくなってみると、夫の顔が真っ黒である。妻は確信する。やっぱりね。また、女の  :日本経済新聞

2017年3月5日日曜日

2017-03-05

大手通販会社との契約が疲弊を招いたヤマト運輸は、元社長の遺産を健全に発展できるか。

 最大の顧客である老舗百貨店、三越と決別し、同社の配送業務から撤退する――。38年前、ヤマト運輸の社長だった小倉昌男さんは決断した。胸中を後に著書「小倉昌男 経営学」に記している。問題は百貨店そのものではなく君臨するワンマン社長のやり方にあった。

▼高価な絵画や別荘地、映画の前売り券を買わされた。こうした点は浮世の義理と諦めたが、百貨店の業績悪化の穴埋めに配送料金を下げられ、物流センターでは駐車料金を徴収された。業績回復後もこれらの措置は変わらず、ヤマトの三越担当部門は赤字に転落。契約解除で社内の空気はすっきり明るくなったと振り返る。

▼大口荷主を切ることができた背景に、この3年前に始めた新規事業である宅急便への自信があった。街の人々から小さな荷物をこつこつと集め、迅速に間違いなく配る。正確できめ細かなサービスは信頼を集め、生活や仕事に不可欠の存在となった。その宅急便の現場が疲弊し、総量を抑制しようかとの事態に陥っている。

▼個人からの集荷は効率こそ悪いが「主婦は運賃を値切らず、現金で払ってくれる」。そろばんもしっかりはじき、倉庫の自動化などに投資も怠らなかった。今の混乱は4年前、大手ネット通販会社との取引を広げたことから始まっている。小倉さんの遺産を健全に発展させていけるか。現経営陣の度胸と自信の程はいかに。
最大の顧客である老舗百貨店、三越と決別し、同社の配送業務から撤退する――。38年前、ヤマト運輸の社長だった小倉昌男さんは  :日本経済新聞

2017年3月4日土曜日

2017-03-04

豊洲市場を巡る石原氏の会見では、真相解明の難しさと在任中の無責任体制が露呈された。

 山岳小説で名を成した新田次郎さんが第34回直木賞に輝いたのは1956年だ。芥川賞の方の「同期生」は石原慎太郎さんである。授賞式は2月に当時、銀座8丁目にあった文芸春秋のビルで行われた。約30人が集まり、正賞にスイス製の腕時計、副賞は10万円だった。

▼「何に使いますか」と記者に問われ、石原さんは「こういうお金はみんなして飲んでしまうものじゃあないですか」と答えたという。新田さんが自伝で触れている。「都庁で会おうぜ」と知事に初当選した際の記者会見を終えたり、小池百合子知事を「厚化粧」と評したり、この人の奔放な弁舌は何かと注目を集めてきた。

▼そして、昨日「果たし合いに向かう侍の気持ち」と臨んだ豊洲市場の整備をめぐる記者会見である。「権威ある科学者が、豊洲は問題ないと言っている。移転しないことに不作為の責任がある」などと、初っぱなで小池知事に一太刀浴びせはしたものの、後は「記憶にない」「自分は専門家ではない」と守勢に立たされた。

▼「裁可した責任はある」と反省する一方「行政や議会、みんなで決めた」と続ける。「太陽の季節」の主人公が打ち込むボクシングでいえばクリンチに逃れたといえようか。会見で2点明らかになった。この件で石原さんをただしても真相解明は難しそうだということ。そして、13年半に及ぶ在任中の都政の無責任体制だ。
山岳小説で名を成した新田次郎さんが第34回直木賞に輝いたのは1956年だ。芥川賞の方の「同期生」は石原慎太郎さんである。  :日本経済新聞

2017年3月3日金曜日

2017-03-03

男女同権推進の為、政党擁立候補者の男女比を均等にする法律制定に踏み出す事が重要だ。

 「男どもが天下国家を論じて武器などを担いであちらこちら走り回っている間も、女たちは着実にエレガントに次の世代を用意してきた」。作家の池澤夏樹氏がそう書いている。人類が女性だけになれば、世の中からもう少し争いごとが減るのでは、と思わなくもない。

▼勇ましい女性がいなかったわけではない。巴御前やジャンヌ・ダルクは自ら戦場に立った。とはいえ、それは例外だから歴史に刻まれたのだ。多くの女性は銃後にあって、戦地の夫や息子の無事を祈ってきた。男性優位の時代と戦争の世紀はかなり重なる。男女同権を推進することは、世界を平和に導く一歩となるはずだ。

▼きょうはひな祭りである。男の子の節句は祝日なのに、女の子の節句が普通の日なのはどうなのか。たいていの女性はそう思った経験があろう。子ども時代の刷り込みは、社会の深層心理に大きな影響を与える。女性の地位を高めていくには、こどもの日を3月と5月でときどき入れ替えてみるのも、一案ではなかろうか。

▼政党が擁立する候補者の男女比を「均等」にするように促す法律が間もなく制定される。義務付けにしろ、「同数」と明記しろ、などの批判はあるが、まずは踏み出すことが重要だ。米国の女権運動家アリス・ポールは参政権を得たあと、力説している。「ここで満足してはいけない。私たちはもっと遠くまで行ける」と。
「男どもが天下国家を論じて武器などを担いであちらこちら走り回っている間も、女たちは着実にエレガントに次の世代を用意してき  :日本経済新聞

2017年3月2日木曜日

2017-03-02

トランプ氏は雰囲気をなごませる手段として、ジョークをきめるチャンスがたくさんある。

 1981年、米共和党のレーガン大統領が狙撃されて、病院に運び込まれた。手術台を取り囲んだ医師団を見上げ、「ところで君たちは共和党員だろうね?」。米国では気のきいたジョークを口にできるかどうかもまた、大統領を評価する重要なポイントになるという。

▼このエピソードには続きがあり、医師の一人が「今日は全員共和党員ですよ」と応じたというから素晴らしい。レーガンさんは緊迫した場面でもジョークを飛ばして、国民に広く愛された。さて現大統領、トランプさんの技量はどうであろうか。残念ながらいまのところは、攻撃的な弁舌や憤った表情ばかりが目に浮かぶ。

▼世界中が注目した施政方針演説では、公約に掲げていたメキシコ国境の壁の建設や、不法移民対策の必要性を改めて強調していた。ただ選挙戦を引きずった激しい物言いは控え、戦闘モードはずいぶん和らいだ印象だ。これからは糾弾ではなく、対話を通して政策を実行したい。そんな決意の表れだとすれば大歓迎である。

▼ジョーク好きで知られた落語家の立川談志さんは、「政治家がジョークを織り込まなくてもいいのは宣戦布告ぐらいだ」と話していた。ジョークはぎくしゃくとした雰囲気をなごませ、ピンチを切り返す力を持つ。そうだとすれば、トランプさんにはこの先、しゃれたジョークをきめるチャンスがたくさんあるように思う。
1981年、米共和党のレーガン大統領が狙撃されて、病院に運び込まれた。手術台を取り囲んだ医師団を見上げ、「ところで君たち  :日本経済新聞

2017年3月1日水曜日

2017-03-01

天皇、皇后両陛下のベトナム訪問が、互いが両国のつながりを知る契機になるといい。

 林芙美子晩年の代表作「浮雲」のキーワードは「仏印」である。いまのベトナムなどにあたるフランス領インドシナ――これを仏印と呼んだ戦時中に当地で出会った男と女。日本に引き揚げてきた2人は戦後の社会に戸惑いつつ追憶に浸る。戦争が翻弄した恋の物語だ。

▼男は農林省の技師、女はタイピストで、日本軍の仏印進駐を受けて役所から高原都市のダラットに派遣される。フランス風の街並み、内地とは別世界の穏やかな日々……。太平洋戦争末期の東南アジアに、こんなエアポケットのような場所があったのだ。それはもちろん、かりそめの平和、かりそめの豊かさではあったが。

▼そういう歴史を記憶にとどめる人は、いまわずかだろう。しかし終戦時、仏印駐留の日本兵は約8万人にのぼった。芙美子が描いたような人々も少なからずいたはずだ。ベトナムは日本と深い縁を持つのである。この国を巡る旅を、天皇、皇后両陛下がきのう始められた。お互いが両国のつながりを知る契機になるといい。

▼「浮雲」の2人は苦労しながらも祖国の土を踏むが、日本兵のなかには現地に残ってベトナム独立戦争に加わった人もいた。両陛下はその家族にも面会されるという。「この戦争は、日本人に多彩な世界を見学させたものだ」と芙美子は主人公に述懐させている。さまざまな物語をようやく終わらせる、初の訪越であろう。
林芙美子晩年の代表作「浮雲」のキーワードは「仏印」である。いまのベトナムなどにあたるフランス領インドシナ――これを仏印と  :日本経済新聞

2017年2月28日火曜日

2017-02-28

自衛隊日報や国有地売却記録破棄の問題の、歴史検証に堪える気概は政府から伝わらない。

 台湾で「二・二八事件」が勃発したのは70年前のきょうのこと。鬱積していた中国国民党政権への不満が各地で反政府暴動として火を噴き、それを国民党政権は激しく弾圧した。当時の緊迫した情勢を描いた1989年の映画「悲情城市」で広く知られるようになった。

▼国民党による独裁体制の下にあって、事件は長らくタブーとされていた。いまも真相は十分に究明されたとはいえない面がある。たとえば犠牲者の数。当局は1万8000~2万8000人とする推計を明らかにしたことがある。だが、実際には10万におよんだとの声や、逆に、1万に達していないという見方が出ている。

▼とりわけ解明が進んでいないのは当局の動きのようだ。先週、蔡英文総統は「被害者だけがいて加害者のいない現状は改めなくてはならない」と述べ、かつての「白色テロ」の追究に意欲を示した。関連する公文書の機密解除につとめる考えも明らかにした。過去と向き合い、人々の和解をめざす取り組み、といえようか。

▼いうまでもないが、歴史の検証はもとになる史料があってこそだ。当局が公文書を残していなければ、難しくなる。ひるがえって日本である。自衛隊の南スーダン派遣部隊の日報をめぐるドタバタ。大阪府豊中市の国有地の売却に関する交渉記録の破棄。歴史の検証に堪えようという気概は、霞が関からは伝わってこない。
台湾で「二・二八事件」が勃発したのは70年前のきょうのこと。鬱積していた中国国民党政権への不満が各地で反政府暴動として火  :日本経済新聞

2017年2月27日月曜日

2017-02-27

東芝再建には、土光氏が目指した社員の体温や力強さを我が身に感じた手法が必要だ。

 1970年代、旧ソ連のカスピ海沿岸の街、バクー。東芝がプラントを輸出し、エアコン工場の建設が進んでいた。そこを訪れたのが土光敏夫さんである。当時は経団連会長だ。ロシア語を買われ、現場で通訳をしていた北海道出身の寺島儀蔵さんが手記に書いている。

▼朝8時、土光さんは日本人社員一人一人と握手し「ご苦労さま」とねぎらったという。寺島さんにも手をさしのべた。東芝社長への就任時も、土光さんは全国の工場や営業所を強行軍で回っている。その流儀を異国でも貫いたのだろう。同時期、ソ連副首相も街に来たが、工場の労働者の前に現れることはなかったようだ。

▼その東芝で2年前、会計不祥事が発覚した。「チャレンジ」と称し、上層部が現場に無理な利益のかさ上げを求めていたという。標語自体は土光さんの発案だが、中身は別物だ。本紙の「私の履歴書」によると、目標が未達の時に説明を求め、話し合いを通じて、上司も部下も仕事では同格との意識を共有する趣旨という。

▼土光さんが活気のある職場を目指した様子がうかがえる。だが数十年後、極端な上意下達の風の中で、脱法的な行為を強いる意味に変質した。原子力事業の処理や新たな収益源の創出など東芝には難題が待ち受ける。社員の体温や力強さを我が身に感じた先達の手法。そこに立ち返ることは、再建への遠回りではあるまい。
1970年代、旧ソ連のカスピ海沿岸の街、バクー。東芝がプラントを輸出し、エアコン工場の建設が進んでいた。そこを訪れたのが  :日本経済新聞

2017年2月26日日曜日

2017-02-26

ニセの情報がはびこる現代社会では、気をつけなければ人はデマや噂に惑わされてしまう。

 「降る雪や明治は遠くなりにけり」。昔を懐かしんだ俳人、中村草田男に、ただならぬ雪の句がある。「此日(このひ)雪一教師をも包み降る」「頻(しき)り頻るこれ俳諧の雪にあらず」「世にも遠く雪月明の犬吠(ほ)ゆる」。81年前の二・二六事件当日詠んだ連作には不穏な感じがただよう。

▼首都を血に染めたクーデターの試みは、4日間で治まった。戒厳令で報道は制限され、雪の中で何が起きたか伝わらない。根も葉もないデマやうわさがひろがった。反乱軍の仲間は全国にいる。戒厳軍が毒ガスを発射した。風評が空想をかきたて、新たなテロへの不安をふくらませた。実態がわかってくるのは戦後である。

▼非常時でもないのに、デマが世界をかけめぐる。ウソで相手を攻める政治も幅をきかせる。トランプ米大統領は都合の悪い報道を「偽ニュース」とよぶ。一方で、でまかせ発言をやめない。“つぶやき”情報があふれ、事実より気分が大事との風潮に乗じているからだろう。これでは、そのうち何がホントか分からなくなる。

▼暗く重たい「昭和の雪」も遠くなった。経験をかさねて賢くなったはずだが、ときに、人はデマやうわさにまどわされる。根っこの弱さは相変わらずだ。ひどい吹雪では、空と地面を区別できず、どこにいるかも分からなくなる。いまはニセの情報が雪のように降りつもる。よほど気をつけなければ、道を見失ってしまう。
「降る雪や明治は遠くなりにけり」。昔を懐かしんだ俳人、中村草田男に、ただならぬ雪の句がある。「此日(このひ)雪一教師をも  :日本経済新聞

2017年2月25日土曜日

2017-02-25

村上春樹の新作が賞賛や反感を語り合う機会を作り、人々の喪失感や孤独感を埋めている。

 何年に1回かの「ハルキ祭り」とでもいうべきか。村上春樹さんの新作長編「騎士団長殺し」がきのう発売になり、例によって午前0時には一部の書店で売り場に行列ができた。2巻合計ですでに130万部の印刷が決まっている。本が売れない時代には珍しい存在だ。

▼中身について予告が一切ないことを逆手にとり、熱心なファンは「内容予想」の会を開いて盛り上がった。発売後にはまた集まり、感想や解釈をつきあわせるに違いない。好きな人が多い分、嫌う人もいる。反・春樹派もまたそれはそれで熱い春樹論をカフェやネットで戦わせている。1人の作家が人と人をつなげていく。

▼作品の多くは主人公が喪失感を抱え生きている。自作が世界で受け入れられた理由を、8年前のインタビューで、人々が今の世界に現実感を感じられなくなったからではないかと語っている。冷戦終結、テロ、原理主義の台頭などで足元が定まらない、おかしな世界になった。そんな不安から主人公に共鳴しているとみる。

▼新作の主人公は36歳の男。妻に離婚を切り出されるところから物語が始まる。小説の中であれ現実の世界であれ、喪失感や孤独感を救うのは具体的な人とのかかわりやつながりだろう。誰かとつながりたいと願う人々が一斉に同じ本を買い、読み、共通の体験をもとに称賛や反感を語り合う。これもベストセラーの効用か。
何年に1回かの「ハルキ祭り」とでもいうべきか。村上春樹さんの新作長編「騎士団長殺し」がきのう発売になり、例によって午前0  :日本経済新聞

2017年2月24日金曜日

2017-02-24

世界中の映画人の胸に迫る天才職人の故・鈴木清順監督は、世におもねらぬ生き方だった。

 極彩色の映像をちりばめた「ピストルオペラ」のなかで、鈴木清順監督は女の殺し屋に印象的なセリフを言わせている。「左から右へと、現れては消えていく」――。この世の営みをすべて生々流転と見定め、虚無感と喪失感を漂わせる清順ワールドを象徴する言葉だ。

▼背景にあったのは戦争体験である。学徒出陣でフィリピンへ向かうが輸送船が撃沈され、まさに九死に一生を得て戦後を生きた。「あたしは日本橋の江戸っ子ですからね。生まれたのは関東大震災の年。刹那的な気分が染みついてますよ」。傘寿を迎えたころのインタビューでそう語り、人懐っこく笑った顔が忘れがたい。

▼日本映画界の異端児ながら欧米にもたくさんのファンを持つ清順さんが、93歳で逝った。ふすまを開けるとぱっと色が変わる、空に浮かぶ月が緑色……。独特の美意識から生まれた作品は魔物のような魅力をまとい、ときに論争の的になった。仕掛けが満載の「殺しの烙印(らくいん)」に日活社長は怒り、とうとう映画界を追われる。

▼そんな時代にも淡々と次の機会を待ち、やがて華々しい復活を遂げた。戦争で命を失いかけた人の、世におもねらぬ生き方がそこにあったのだ。米アカデミー賞の有力候補「ラ・ラ・ランド」のチャゼル監督は、清順美学の極致「東京流れ者」にいたく刺激されたという。世界中の映画人の胸に迫る、天才職人の死である。
極彩色の映像をちりばめた「ピストルオペラ」のなかで、鈴木清順監督は女の殺し屋に印象的なセリフを言わせている。「左から右へ  :日本経済新聞

2017年2月23日木曜日

2017-02-23

アスクルの巨大倉庫での火災を、届く速さを競わせている現状を見つめ直す契機としたい。

 1657年1月18日は、いまの暦に直すと3月初旬である。江戸の街には2カ月間も雨がなかった。昼すぎ、本郷の寺から出た火は、折からの強風で湯島、神田方面へと広がる。19日未明にいったん収まるが、午前11時ごろになり、今度は小石川辺りから燃え上がった。

▼これが江戸城に飛び火し、天守閣が炎上、再建されぬまま現在に至る。火は20日朝、ようやく消し止められた。世に言う「明暦の大火」である。死者数万ともされる。これを機に延焼防止策のため大名屋敷には庭園を設けさせ、市街地には広小路を造った。消防隊も増強するなどして、江戸は火事への備えを固めていった。

▼埼玉県三芳町の事務用品通販アスクルの巨大倉庫での火災は、発生から6日たって鎮圧状態となった。いまが盛りのネット通販で、法人や消費者向け商品約7万種を扱う心臓部である。重要な社会のインフラといっていい。出火原因の特定はこれからだが、開口部の少ない構造で消火しにくいという意外な弱点もわかった。

▼整ったインフラに頼り、私たちも昨今は「当日配送を」という感覚だ。倉庫の高機能化や大型化はさらに進むだろう。折しも配送現場からは疲弊の声が伝わる。「明暦の大火」は江戸の都市づくりの画期となった。今回も防火体制の検証は無論だが、利用者が届く速さを競わせているような現状を見つめ直す契機としたい。
1657年1月18日は、いまの暦に直すと3月初旬である。江戸の街には2カ月間も雨がなかった。昼すぎ、本郷の寺から出た火は  :日本経済新聞

2017年2月22日水曜日

2017-02-22

府立医大病院学長と暴力団組長の癒着を取り持つ府警OBの関係性には、ただため息が出る。

 新聞に見出しが躍る「組長」というのはほとんどの場合、暴力団幹部の肩書である。ところがそういう面々とはまったく無縁の乙女の花園、宝塚歌劇団にも「組長」がいるのをご存じだろうか。トップスターとは別の、花組や月組を率いる経験豊富なジェンヌのことだ。

▼「大学の学長が組長と会食」と報じられているから、これはきっと歌劇ファンの先生がベテランの役者さんと懇親の図だ……などと思ったら相手はホンモノの組長だった。京都府立医大病院が暴力団組長の虚偽診断書を作り、刑務所への収監を逃れさせていた疑惑で浮かび上がった「学長・組長」のただならぬ関係である。

▼学長は数年前から、京都の盛り場で組長と何度か食事をともにしていたという。どんな話題で盛り上がったのか、神経の太さにあきれるばかりだ。癒着の果てがウソの診断書作成だったとしたら医療への信頼は地に落ちよう。学長は産学官の連携に熱心だったようだが、そこにもうひとつ「暴」も加えたかったのだろうか。

▼府立医大と協力関係にある民間病院も事件に介在しているとみられ、京都府警は徹底捜査の構えだ。とはいえ、そもそも学長と組長を取り持ったのは、長年にわたり暴力団を担当していた府警のOBだったという。医大と暴力団と刑事と――。こちらの花園には「悪の」を冠するほかあるまい。そしてただ、ため息が出る。
新聞に見出しが躍る「組長」というのはほとんどの場合、暴力団幹部の肩書である。ところがそういう面々とはまったく無縁の乙女の  :日本経済新聞

2017年2月21日火曜日

2017-02-21

矢継ぎ早に買収合併を繰り返すバフェット氏のような、投資家の存在感は高まるばかりだ。

 インドで日用品の最大手は英蘭系ユニリーバの現地法人だ。農村の女性たちに商取引や契約の知識を教え、低所得者も買える値段でせっけんを売ってもらう事業モデルを築いた。現地法人の従業員には一定の期間、農村での生活を義務づけ、地域密着に力を入れている。

▼米食品大手のクラフト・ハインツにとってはそうした新興国市場での成長力も、取り込みたかったのかもしれない。1430億ドル(約16兆1600億円)での買収提案はユニリーバが拒否し、早々に撤回したが、実現すれば巨大な消費財企業が誕生するはずだった。世界再編が水面下でもうごめいていることを感じさせた。

▼注目したいのはクラフト・ハインツの大株主でウォーレン・バフェット氏率いる投資会社、バークシャー・ハザウェイの動きだ。投資ファンドと組み、2013年にケチャップで有名なHJハインツを買収。15年にブランド力のあるクラフト・フーズと合併させ、そして今回の提案だ。矢継ぎ早というのはこのことだろう。

▼最近はアップル株の保有を大幅に増やし、上位株主に入ってもいる。バフェット氏は業績が大きく振れやすいハイテク株を嫌ってきたが、配当などの株主還元が充実していることに着目したようだ。賢く資金を使うためなら変わることをいとわないというわけだろう。再編の黒子として、投資家の存在感は高まるばかりだ。
インドで日用品の最大手は英蘭系ユニリーバの現地法人だ。農村の女性たちに商取引や契約の知識を教え、低所得者も買える値段でせ  :日本経済新聞

2017年2月20日月曜日

2017-02-20

10年ぶりに大統領が代わるエクアドルは遠い国だが、日本とも国交があり興味はつきない。

 世界地図を広げ赤道が領土を通っている国を数えると、11になる。一方、国名に赤道がつく国は世界中で2つある。そして、その双方に名を連ねているのは南米のエクアドルだけだ。首都のキトはまさしく赤道直下にあり、国名はスペイン語で文字通り赤道を意味する。

▼この国できのう、大統領選の投票があった。というより、時差の関係で、この新聞が読者の手元に届くころにはまだ投票が終わっていないはずだ。2007年から政権の座にあるラファエル・コレア大統領は立候補しなかったので、10年ぶりのトップ交代は間違いない。問われるのは、コレア路線を継承するのか否か、だ。

▼混乱をきわめていた政治に安定をもたらしたコレア政権の実績は、だれもが認めるところ。ただ、経済政策と対外政策には異論が少なくない。いささか乱暴なまとめ方をすると、反米左派路線である。最大の貿易相手が米国で、米ドルを唯一の法定通貨に採用していることなどを踏まえるなら、たしかに違和感をおぼえる。

▼目下の世界的な関心事は、在英エクアドル大使館に逃げ込んだジュリアン・アサンジ氏の扱いだろう。内部告発サイト「ウィキリークス」を立ち上げ、性犯罪の容疑で国際指名手配を受けている人物である。日本とエクアドルは来年で国交100周年。なお遠い国と感じる人は少なくないかもしれないが、興味はつきない。
世界地図を広げ赤道が領土を通っている国を数えると、11になる。一方、国名に赤道がつく国は世界中で2つある。そして、その双  :日本経済新聞

2017年2月19日日曜日

2017-02-19

音楽教室から著作権料徴収する方針を打ち出したJASRACの独占ぶりには、閉口する。

 きちんとピアノを弾ける子が、田舎町の小学校でもクラスに一人や二人はいたものである。担任の先生よりずっと上手で、講堂のグランドピアノに向かってワルツなど奏でる女子の格好良さときたら……。そういう児童はみな音楽教室に通っていて、家に余裕があった。

▼昭和の時代に広まったさまざまな習い事のなかでも、音楽教室は別格だったろう。暮らしがどんどん豊かになっていく高度成長期、親はわが子にしきりにピアノを習わせたのだ。いわば「中の上」の象徴であった。公益社団法人発明協会は「戦後日本のイノベーション100選」のひとつに、ヤマハ音楽教室を選んでいる。

▼いまやこうした教室は全国で1万を超え、演奏される曲も多様だ。そこで日本音楽著作権協会(JASRAC)が、教室から著作権使用料を徴収する方針を打ち出した。教室といってもカラオケなどと同じビジネスだと主張するJASRAC。かたやヤマハなどは、聞かせることが目的ではないと猛反発して対立は深刻だ。

▼しゃくし定規な対応は文化を衰退させるとの声もあれば、むしろ見過ごしてきたほうがおかしいという考えもあろう。溝は簡単には埋まるまい。もっとも、かのJASRACのコワモテぶり、著作権管理の独占ぶりにはいささか閉口する。ややこしいからと、レッスンはクラシック限定にする教室が出てくるかもしれない。
きちんとピアノを弾ける子が、田舎町の小学校でもクラスに一人や二人はいたものである。担任の先生よりずっと上手で、講堂のグラ  :日本経済新聞

2017年2月18日土曜日

2017-02-18

イメージが傷いた韓国から学び、日本の企業経営や政治が評価されているか振り返りたい。

 韓国ドラマ「冬のソナタ」が日本で放映されてから14年がたつ。大人の女性を中心に韓流ブームが起こり、作品を撮影した街は日本からの旅行者でにぎわう。韓国の音楽、服、電気製品などの存在感は世界で高まり、ビジネス界には「韓国に学べ」との空気が広がった。

▼日本の経済産業省が数年前に作った資料に、韓流ブームで韓国が狙うものを分析した項がある。俳優や歌手が人気者になる。次にDVDなどの関連商品が売れる。そのイメージから化粧品などの韓国製品が普及する。最後は韓国好きを増やし国家ブランドの向上へ、という内容だったが、道半ばで壁にあたったかのようだ。

▼きのう韓国サムスン電子の事実上のトップが逮捕された。話題の人である大統領の友人に賄賂を贈った疑いがあるという。昨年はスマートフォンの発火事故により世界シェアも低下。他の大手企業の経営陣も不祥事が目立ち、国の頂点に立つ大統領も国民の信を失った。企業も国家もブランドイメージは傷つき続けている。

▼一度は輝きを放った存在がくすむ姿は、何であれもの悲しい。もっとも韓国の現状は対岸の火事ではない。現代文化の人気をてこに観光客を呼び製品を売り込むクールジャパン政策は韓流を手本にしたもの。日本のサービスやものづくり、企業経営や政治のありようは外からの期待に応えているか。いま一度振り返りたい。
韓国ドラマ「冬のソナタ」が日本で放映されてから14年がたつ。大人の女性を中心に韓流ブームが起こり、作品を撮影した街は日本  :日本経済新聞

2017年2月17日金曜日

2017-02-17

欧州各地で広がる移民抑制という大きな箱が目につきだすと、いつしか独裁国家が現れる。

 箱はふしぎだ。たいていは四角い。中に何があるのか、知りたくなる。見せてはならない大切なものだろうか。金銀財宝か。いにしえの人は魂を封じこめたり、幸福をよぶ力をおさめたりできると信じていた。浦島太郎の玉手箱のような謎めいた話が各地に残っている。

▼むかし、魔物が美少女をさらっていった。白いハトが現れて、少女のあやうい命を助ける。教えに従い、大きな箱舟を造って隠れた。窓も戸もない。食べ物を積みこみ、海を漂う。流れ着いた土地で、王子さまに出会う。はるばる追ってきた魔物をみんなで退治する。東欧ハンガリーに残る、箱が幸せをつれてくる民話だ。

▼こちらは、ずいぶん様子が違う。ハンガリー政府がシリア難民などを船のコンテナで造った施設に入れるそうだ。柵などでの流入制限に加え、すべての難民を鉄の箱に集めて、外出もさせない。オルバン首相は、トランプ米大統領に共感している。イスラム圏7カ国の入国制限などをみて、管理を強める気になったらしい。

▼ハンガリーだけではない。欧州各地でも、移民抑制など大衆受けする政策をかかげる動きが広がっている。国の権限を強める政治運営も頭をもたげる。鉄の柵や箱で、なにやらよみがえるのは、強制収容所の悪夢だ。つごうの悪いものは押しこめる。大きな箱が目につきだすと、いつしか独裁国家という魔物がやってくる。

2017年2月16日木曜日

2017-02-16

殺害された正男氏のフーテンの風情は、粛清を繰り返す正恩氏から身を守る術だったのか。

 家を飛び出し、あちこち渡り歩く奔放な異母兄――といえば「男はつらいよ」の寅さんである。本妻の子である妹さくらの心配をよそに、父と芸者の間に生まれたこの兄は足の向くまま気の向くままの自由人だ。ふるさと葛飾柴又の実直な面々とはまるで肌合いが違う。

▼北朝鮮の金正男なる人を寅さんに重ねてみたら、映画のファンに怒られるだろうか。しかし亡くなった金正日総書記の長男なのに異母弟の正恩氏とは距離を置き、ひょうひょうとしてアジア各地に出没する姿はやはりフーテンの寅であった。陰惨な空気の漂う金ファミリーのなかで、人間の顔が見えていたのは確かである。

▼そんな正男氏らしき男性が、マレーシアの空港で殺害されたという。衆人環視のターミナル内で北朝鮮の女性工作員に毒針を刺された、毒液をかけられた、などと報じられている。中国の保護下に置かれた兄の復権の芽を、かの異母弟が念のために摘んだ……という解説もあって背筋の凍ること甚だしい。いまは何世紀か。

▼これでは寅さんワールドとかけ離れ、映画は映画でもおどろおどろのスパイものだ。これまでも多くの幹部や側近を粛清してきたとされる正恩氏だが、その疑心はとどまるところを知らぬようである。異郷をさまよった兄も、じつはずっと前から狙われていたという。フーテンの風情は身を守るすべであったかもしれない。
家を飛び出し、あちこち渡り歩く奔放な異母兄――といえば「男はつらいよ」の寅さんである。本妻の子である妹さくらの心配をよそ  :日本経済新聞

2017年2月15日水曜日

2017-02-15

決算発表で失態が相次ぐ東芝は、時間をかけてもやり遂げる稀勢の里らの姿に学ぶべきだ。

 海原が奏でる波の音が聞こえ、風に乗って潮の香りが漂ってくる。東山魁夷が奈良・唐招提寺の御影(みえい)堂のために描いた障壁画だ。別の作品の前におもむくと、滝の音が響く山中で、雲が谷から湧き上がる気配が迫る。完成に10年を要した68枚を茨城県近代美術館で見た。

▼御影堂には仏法を広めんと、失明を乗り越えて6度の挑戦で日本に渡った唐の高僧、鑑真和上の像が安置される。東山は像を拝し、その強い精神力を仰ぎ尊んで、この仕事を引き受ける決意をしたという。日本各地や中国へスケッチの足を伸ばし、数多くの下絵を準備した緻密で息の長い作業は、鑑真の足跡をも思わせる。

▼12日には県出身の新横綱、稀勢の里も展示を見た後、鑑真や東山の「不撓(ふとう)不屈の精神」をテーマにトークショーに臨んだ。「時間がかかってもやり遂げる姿は見習いたい」と綱取りへの道を顧み、決意を述べている。目標は必ず達成するとの気概で我々を鼓舞する3人に、かつて名門と冠された企業も学んでほしいものだ。

▼東芝が14日、予定していた決算発表をめぐりドタバタを演じた。一昨年の会計不祥事以降、開示で失態が相次いでいる。より危機の度合いが深まっている今回、適切な情報公開は市場との間だけでなく、社会全体との約束ごとのはずだった。春一番の便りはまもなくだが、140年を経たのれんに吹く風は限りなく冷たい。
海原が奏でる波の音が聞こえ、風に乗って潮の香りが漂ってくる。東山魁夷が奈良・唐招提寺の御影(みえい)堂のために描いた障壁  :日本経済新聞

2017年2月14日火曜日

2017-02-14

サイバー攻撃の技術力を競う大会で5位の日本は、「正義のハッカー育成」の課題は多い。

 いまから20年ほど前。普及し始めたばかりのインターネットで、薬を売ると偽って代金をだまし取る事件があった。この闇の薬局の「店主」はなんと中学生。若いから、でもあったろう。家のパソコンで遊んでいるうち、自然とネットのスキルが磨かれていったようだ。

▼東京・秋葉原の電器店に展示してあるパソコンから企業のシステムに入って、研究報告書をのぞき見た。大学は簡単に侵入できるので、かえって面白くない。ネットは頭と技術をフル回転させる勝負の場。負ける方が悪い――。ネット犯罪で捕まる少年たちの話を聞いて、当時の捜査幹部らは文字通り目を丸くしたものだ。

▼あのころからこんなイベントがあれば、少年たちも違った道を歩んだのではないだろうか。そう思わずにいられない。先月末、東京都内でサイバー攻撃から身を守る技術を競う大会が開かれた。予選を勝ち抜いた世界9カ国の24チームがサーバーを占拠したり、奪い返したりしながら、2日間にわたって熱戦を繰り広げた。

▼大会が目指すのは、悪意を持った攻撃と戦う「正義のハッカー」の育成だ。政府も企業も、とにかく優秀な技術者に来てほしい。遅ればせながら日本でもこうした大会が盛んになっていくことで、社会の備えも強まるだろう。熱戦の結果は1、2位ともに韓国で、3位は中国。日本チームの最高は5位だった。課題は多い。
いまから20年ほど前。普及し始めたばかりのインターネットで、薬を売ると偽って代金をだまし取る事件があった。この闇の薬局の  :日本経済新聞

2017年2月12日日曜日

2017-02-12

日米首脳会談での親密さに安心の体だが、今後の針路や機関の異常など警戒も怠れない。

 いきなりのハグに、アームレスリング風の固い握手である。首脳会談でトランプ米大統領からどんなぶちかましがあるのか、安倍首相や日本企業トップらは戦々恐々としていたのではないか。ところが、ふたを開ければ、同窓会で旧友に再会したかのごとき接遇だった。

▼日本側から安堵のため息が聞こえてくるようだ。実は首相の下には、9日に米国へたつ直前まで、外務、経済産業両省の高官がひっきりなしに出入りしていた。本紙政治面にある「首相官邸」という小さな記事が教える。会談内容の綿密な擦り合わせに加え、通商や安保で変化球を投げられたときの対応も議題だったろう。

▼共同声明の発表の後は、保養地の別荘で5度も食事をともにし、さらにゴルフだ。約160年前、砲艦を差し向けて開国を迫った米国と、イエスともノーとも答えず「ぶらかし」続けようとした日本。途中、大きな犠牲を払った負の歴史をもはさみ、首脳同士がこれほど親密さを前面に出したことはなかったように思える。

▼身を委ねられる大船に首相も安心の体だろうか。だが、針路や機関の異常など警戒も怠れない。トランプ氏をめぐり、雑誌「文芸春秋」に立花隆さんがこんな趣旨で書いていた。「アメリカ大統領選は完全に終わったわけではなく、まだ途中経過ぐらいに考えたほうがいい」。大変動の予感は、どこか納得できるゆえ怖い。
いきなりのハグに、アームレスリング風の固い握手である。首脳会談でトランプ米大統領からどんなぶちかましがあるのか、安倍首相  :日本経済新聞

2017-02-11

増え続ける空き家をリノベーション等で資産として活用し、見慣れた風景を守っていこう。

 東京都内の巨大ターミナル駅、池袋から徒歩で20分。私鉄を使えば1駅という商店街に、1軒のとんかつ店があった。地域の人たちに愛されたものの約20年前に閉店。長く空き家だったこの建物がいま、主婦のグループやカップル、外国人旅行者などでにぎわっている。

▼街のために役立てたいという家主の希望もあり昨年、地元の若手企業家らが出資しカフェと宿に改装したのだ。1階は畳敷きのカフェに変身し、子連れの女性がくつろいだり手芸教室を開いたり。街歩きの若者は昭和を感じさせる空間が新鮮そうだ。2階の元住居は客室になり日本の生活を味わいたい外国人に人気が高い。

▼古い家や店の持ち味を生かしつつ、新しい生命を吹き込む。そんなリノベーションという手法を街づくりにつなげる例が広がっている。地方商店街の店舗はショーウインドーを生かし、広い窓のある明るい家に。京都の路地に並ぶ町家4軒をしゃれた現代版長屋にした例もある。主に地元の若い建築家などが手がけている。

▼国土交通省の発表によれば、昨年の新設住宅着工戸数は前年に比べ6.4%増えた。一方で全国の空き家はすでに800万戸を超え、16年後は2000万戸に達するとの試算もある。空き家や空き店舗を街の邪魔者とみるか、資産とみるか。くしの歯が欠けるように更地が増え、見慣れた風景が消えていくだけでは悲しい。
東京都内の巨大ターミナル駅、池袋から徒歩で20分。私鉄を使えば1駅という商店街に、1軒のとんかつ店があった。地域の人たち  :日本経済新聞

2017年2月10日金曜日

2017-02-10

不正や汚職を憎んだ胡堂がバッハを好んだのは、罪悪を厭う姿勢にも共感したからだろう。

 エィッと、悪いやつらに銭が飛ぶ。江戸のヒーロー、銭形平次親分の得意技だ。生みの親の野村胡堂は、大のクラシック音楽好きでもあった。40年間に集めたレコードが1万数千枚。重さで家がひっくり返ったと噂もたった。「あらえびす」の名で多くの評論も書いた。

▼生演奏などめったに聴けない戦前、重いSP盤を抱え、全国を講演で回った。大学生の長男が病床で、ヘンデルの「メサイア(救世主)」の総譜を読み、全曲を聴きたがった。英国から全18枚を取りよせたが、聴けずに亡くなる。楽譜は棺(ひつぎ)に納めて、母校で全曲をかけた。3千人の学生が集まり、後々まで語り草になった。

▼ヘンデルと並ぶ巨匠、バッハの自筆譜が地元ライプチヒに戻り式典が行われた。ナチスの蛮行から逃れて国外に流出し、没後約260年の里帰りとなった。曲は「おお永遠、そは雷(いかずち)のことば」。罪悪には永遠の苦しみが待つと歌う。早く両親をなくし苦労を重ね、ひたすら神に捧(ささ)げる音楽を作り続けた大家の人柄がにじむ。

▼胡堂は書斎にバッハの肖像を飾り、レコードを聞きながら書いた。父の死で学費が続かず、帝大法科を中退。30年いた新聞社では、社会部長などを務めた。とりわけ、法をすりぬける不正や汚職をにくんだ。罪悪をいとう音楽家の姿勢にも共感したのだろう。耳をすませば、活劇の向こうから、心を洗う調べが流れてくる。
エィッと、悪いやつらに銭が飛ぶ。江戸のヒーロー、銭形平次親分の得意技だ。生みの親の野村胡堂は、大のクラシック音楽好きでも  :日本経済新聞

2017年2月9日木曜日

2017-02-09

道徳の格上をする傍ら文部科学省が天下り斡旋する行為は、初歩の道徳を蔑ろにしている。

 少年易老学難成/一寸光陰不可軽。日本で広く知られた漢詩のでだしである。「少年老いやすく学なりがたし/一寸の光陰かろんずべからず」と読み下せば、わかりやすいかもしれない。若いうちは、わずかなときも惜しんで勉強しなさい――。もっともな趣旨である。

▼宋の時代に儒教の中興をなしたとされる朱子の「偶成」という詩である、と習ったおぼえがある。実は違うらしいと知ったのは、少年の日が遠く去ってからだった。専門家による考証がすすんだ結果、室町時代の日本の禅僧がつくった、との見方が強まっているそうである。それがどうして、朱子の作として広まったのか。

▼これまた専門家の研究によれば、明治政府が検定した中学生向けの漢文の教科書がはじまりだった、とのこと。教育にたずさわる立場からは、子どもたちの心に刻みつけたくなる詩だったことは、理解できる気もする。とはいえ、その目的のために朱子の権威を借りようとして誤解を広めたのだとすれば、本末転倒だろう。

▼教科書検定制度の守護神というべき文部科学省が、組織的に「天下り」をあっせんしていたという。なんとも間の悪いことに、小中学校で「道徳」を「教科」に格上げする準備がすすんでいるところである。多感な子どもたちに人の道を説こうと旗をふるかたわらで、初歩の道徳をないがしろにする。伝統芸なのだろうか。
少年易老学難成/一寸光陰不可軽。日本で広く知られた漢詩のでだしである。「少年老いやすく学なりがたし/一寸の光陰かろんずべ  :日本経済新聞

2017年2月8日水曜日

2017-02-08

米トランプ政権の通商政策に対する日本の対応は、民間の粘り強い活動も取り組もう。

 米国では1970年代から80年代にかけ、企業に不利な税制を採用する州が広がった。「合算課税」といって、州内にある工場などの事業所の利益だけでなく、州外の親会社や関連会社の所得も合わせて課税する仕組みだ。二重課税なうえ、税額の高騰にもつながった。

▼撤廃をめざし、率先して動いた企業人がソニー共同創業者の盛田昭夫氏だった。経団連の使節団を何度も組み、各州に税制の見直しを訴えた。レーガン大統領にも自ら「対米投資を妨げる」と直訴。日本企業の米法人の責任者らは直接、議員に接触を図った。政府間協議だけに任せず、企業自身による活動を広げたわけだ。

▼商品とお金が地球を駆け回り、各国の産業人はグローバル化に適応しようとしているのに、政治がこれを阻んでいる――。盛田氏は、政治家や行政が自国の国境を高くしてしまうことを問題視した(「新版MADE IN JAPAN」)。企業人の考えを「世界の政界人に知ってもらうべきだと思うのだ」と書いている。

▼米トランプ政権が通商政策などでどう動き出すか、日本の経済界は静観中だ。だが、行動力が問われるときが来るかもしれない。合算課税の問題は86年、焦点のカリフォルニア州が制度の見直しを決め、峠を越えた。盛田氏が最初に同州知事に撤廃を求めてから10年目のことだ。民間の粘り強い活動が実を結ぶこともある。
米国では1970年代から80年代にかけ、企業に不利な税制を採用する州が広がった。「合算課税」といって、州内にある工場など  :日本経済新聞

2017年2月7日火曜日

2017-02-07

中間層の支持で当選したはずの米トランプ氏の居丈高で突飛な手法に、世界が疲れてきた。

 福沢諭吉は1860年、江戸幕府の軍艦、咸臨丸で初めて米国へ渡った。自伝に初代の大統領だったワシントンの子孫について、ある人に尋ねた際の逸話が載っている。「今どうしているか知らない」などとする冷淡な答えに福沢は「これは不思議だ」と一驚している。

▼彼には、幕府の創設者とその一族のように、建国の父の子孫も人々から畏敬されているはずとの思いがあったらしい。祖先や家門と無関係に、国民の投票でリーダーを選ぶ米国の仕組みに感嘆したようだ。ワシントンには子どもの時分、おので桜を切り、それを正直に父親に話して、逆にほめられたとの伝説も残っている。

▼民主主義のあり方や、人の道について教訓を残してくれる偉人がいる一方で、45代のトランプ米大統領には反面教師にしたくなる言動がやまない。イスラム圏7カ国からの入国を一時禁止する大統領令への司法によるストップに、裁判所や判事を非難する内容のツイッターを投稿している。三権の分立を忘れたかのようだ。

▼福沢は「学問のすゝめ」で、国の文明を興すのは「ミッヅルカラッス」(ミドルクラス)と述べる。トランプ氏も現状に不満を持つ中間層の支持で当選した。国力の回復や豊かな暮らしの実現へ期待は大きい。メディア、企業などへの威圧めいた態度で、なし遂げられるのか。居丈高でとっぴな手法に、世界が疲れてきた。
福沢諭吉は1860年、江戸幕府の軍艦、咸臨丸で初めて米国へ渡った。自伝に初代の大統領だったワシントンの子孫について、ある  :日本経済新聞

2017年2月6日月曜日

2017-02-06

利用者減と値上げに歯止めをかけるため、タクシー初乗り値下げ改革の様な知恵を絞ろう。

 いまの値段だと何千円だろう。戦前の東京や大阪では、1円ポッキリで市内ならどこにでも行ってくれる「円タク」が隆盛だった。ところが1938年にはメーター制が導入されたというから、円タク時代は意外に短い。その呼び名だけがしばらくは残ったようである。

▼均一料金は戦後も復活せず、タクシーといえばメーター制が常識となって現在に至る。便利で快適、ぼったくりの心配もないのだが、料金がカチャカチャと上がっていく「恐怖」がつきものだ。しかも初乗り運賃は値上がりが続き、東京などでは700円を超えた。思い返せば80年代には、五百円玉でお釣りがきたはずだ。

▼そんな昔を思い出す「410円」の表示である。こんど東京23区などで運賃が大幅に安くなった……といっても初乗りを従来の2キロメートルから1キロメートル強に縮めて値下げし、「ちょい乗り」をしやすくしたわけだ。距離が長いと割高になるとはいえ使い勝手はなかなかよい。利用者減と値上げの悪循環に歯止めがかかるだろうか。

▼効果のほどはまだ見通せないが、こういう改革ができたのだからいろいろ知恵は絞れよう。スマホの配車アプリを使った料金事前確定や相乗りシステムも実証実験に向かうという。そういえば、成田や羽田との行き来にはすでに定額タクシーがある。メーターにハラハラせずに済む、21世紀版の円タクが街を走ってもいい。
いまの値段だと何千円だろう。戦前の東京や大阪では、1円ポッキリで市内ならどこにでも行ってくれる「円タク」が隆盛だった。と  :日本経済新聞

2017年2月5日日曜日

2017-02-05

米国から悪い影響を受ける日本の政治状況は、じっと観察しているだけでは改善されない。

 けはいは見えるものらしい。窓際に置いた鉢のチューリップがみるみる伸びた。室内だからか思いのほか成長が早い。夜ふくらんだつぼみが、朝にはもう開いていた。薄紅の花びらのまわりだけが、あかるく華やいでいる。いち早く季節を見つけたようでうれしくなる。

▼外はまだ寒い。ビルの林をわたる風が耳をたたいていく。郊外では肌を刺すようなこがらしが吹いている。今年も列島には寒波がくりかえしやってきた。北海道や日本海側は記録的な大雪や低温に見舞われている。ゆるんだかと思うと、もどってくる。こんな冷え込みがいつまでも続くと、春ははるかに遠い気がしてくる。

▼俳人の高浜虚子は、じっと眺めることが大事だと説いた。この時節、鎌倉を歩き、神社の横の溝を見つめていた。雪国を思わせるほど風は冷たい。小石を投げ入れると、ぽかぽか柔らかい泥が浮いた。その姿に「水温(ぬる)む」春を見つけた。大地の下から押し上げてくる力が温めていると感じたという(「俳句の作りよう」)。

▼「東より春は来ると植ゑし梅」(虚子)。立春が過ぎ、東風が氷を解かすころである。観察していれば、兆しもわかる。やがて街も野も春めいてくる。政治の世界は勝手が違うようだ。「嘘つきめ!」。東の国からは、罵声や横紙破りの音が鳴り響く。じっと見ているだけでは、この国にも寒々しい暴風が吹きつけてくる。
けはいは見えるものらしい。窓際に置いた鉢のチューリップがみるみる伸びた。室内だからか思いのほか成長が早い。夜ふくらんだつ  :日本経済新聞

2017年2月4日土曜日

2017-02-04

高校生にノルマを課すコンビニのコネと根性の販売方法は、経営近代化に逆行し続かない。

 医師で芥川賞作家の南木佳士さんが「稲刈り」という随筆で、子供のころ家の米作りを手伝い、たしなめられた思い出を振り返っている。好きな落ち穂拾いに精を出し、ほめられた。それがうれしく、鎌を持てるようになると祖母より速く刈ってみせようとしたという。

▼祖母は南木さんにこう語った。「百姓仕事は続けるのが大事なもんだから、そんなに急いじゃあいけねえ。からだに無理をかけちゃあいけねえ」。親戚が助け合い収穫する。その後の宴(うたげ)は楽しく、大人になってもこの季節には体がうずいたそうだ。無理なく、長く続けられるのが仕事――。体験から出た言葉は心にしみる。

▼節分のきのう、「恵方巻き」と呼ばれるすしを食べた方も多かろう。近年コンビニエンスストアが広めた風習だ。この恵方巻き販売でアルバイトの高校生にもノルマが課され、学校で友人に売ったり自腹でいくつも購入したりする例があり社会問題になっている。クリスマスケーキなどもこうした無理な手法があるという。

▼厚生労働省によれば、コンビニでバイトをした学生の11.6%が商品の買い取りを強要された経験を持つ。本部は関知していないというが本当か。若者らの心に販売という仕事はどんな思い出として残っただろう。零細小売店の経営近代化がコンビニの旗印だったはず。コネと根性頼みの売り方は続かないし、似合わない。
医師で芥川賞作家の南木佳士さんが「稲刈り」という随筆で、子供のころ家の米作りを手伝い、たしなめられた思い出を振り返ってい  :日本経済新聞

2017年2月3日金曜日

2017-02-03

国は求人詐欺に罰則を科す方針だが、使い捨て前提の求人会社は詐欺集団というべきか。

 空き巣、すり、ひったくり。金品を奪う犯罪の代表といえばこうした「盗み」である。だが近年窃盗事件は大きく減り続けている。かわって猛威を振るうのは詐欺だ。総被害額は窃盗にほぼ並ぶ。その手口のあれこれを見てみると、折々の社会情勢がうかがえるようだ。

▼昭和の一時期には保険金詐欺がはやり、インターネットが普及するとワンクリック詐欺やオークション詐欺が登場した。そして高齢化の進む現代を象徴するのが、おれおれ詐欺だろう。一方で最近目立つ悪行の中に、刑法でいう犯罪には当たらないものの、実態とかけ離れた好条件で労働者を募集する「求人詐欺」がある。

▼給与に最初から残業代が組み込まれていた。違う職種を強いられる――。それでも卒業したばかりの新社会人は「こんなものか」と思い込み、無理をして働き続ける。学生時代に抱えた奨学金の返済に迫られて、という事情のある人も多い。やがて心身を病んで、ほかでやり直すこともできなくなる。そんな悲劇まで聞く。

▼ハローワークには、賃金や就業時間などが実際と異なる求人票が年間4千件近く出されていたという。国は求人詐欺に罰則を科す職業安定法の改正案をまとめ、いまの国会で成立させる方針だ。そうなれば立派な「犯罪」の仲間入りとなる。使い捨てるつもりで人を集める会社はもともと詐欺集団というべきなのだろうが。
空き巣、すり、ひったくり。金品を奪う犯罪の代表といえばこうした「盗み」である。だが近年窃盗事件は大きく減り続けている。か  :日本経済新聞

2017年2月2日木曜日

2017-02-02

大谷が投手でのWBC不参加表明したので、起用法に悩むことなく豪快な打棒を楽しみたい。

 いまから100年前、米名門球団レッドソックスで入団4年目の左腕投手が大活躍していた。初年度こそ2勝だったが、翌シーズンから18勝、23勝と積み上げ、この年は24勝を記録。審判を殴って食らった出場停止10試合がなければ、あと3勝はできていたに違いない。

▼そのエースの登板数が翌年から急減する。勝ち星も13勝、9勝と少なくなり、7年目以降はあまりマウンドに立つこともなくなった。肩を壊したとかではない。お気づきだろう。彼の名はベーブ・ルース。抜群の打力を買われ、毎試合出場できる外野手への転向を命じられた。通算714本塁打は現在でも歴代3位である。

▼どの行動を選ぶかで生じる利益の差は「機会費用」で説明できる。経済学者マイケル・リーズの試算では、3番手の外野手をルースに置き換えて増えた得点は年間合計29点。ルースの穴埋めに控え投手を先発に回して損したのは10点だった。「相対的にベストな活動に特化する方が状況の改善につながる」とリーズは説く。

▼そうした常識を超えると目されていた大谷翔平選手が、ワールド・ベースボール・クラシックに投手としては参加しないことになった。世界に二刀流を見せつけられないのは残念だが、起用法の機会費用に悩む必要もなくなった。出場するとなれば、打者のみでもかなりの戦力になるはずだ。豪快な打棒を楽しみにしたい。
いまから100年前、米名門球団レッドソックスで入団4年目の左腕投手が大活躍していた。初年度こそ2勝だったが、翌シーズンか  :日本経済新聞

2017年2月1日水曜日

2017-02-01

トランプ氏によるテロ懸念国市民の入国制限は、根本的な制度づくりと意識改革が必要だ。

 日本で働く外国人労働者が初めて100万人を超えたそうだ。飲食店などでさまざまな国から来た従業員に出会うから実感のある数字だが、多くの人が「勝手口」から入っている。裏口ではないが正面玄関でもない。留学や技能実習という迂回ルート経由の就業なのだ。

▼多様性の尊重だ、人材開国だと言葉は躍るけれど、こういう根本的なところで制度づくりも意識改革も遅れている現実は覆い隠せない。難民認定だって多くて年に数十人、ひとけたにとどまる年もある。トランプ米大統領による「テロ懸念国」の市民の入国制限に、腹立たしさを募らせながらも負い目のつきまとう我らだ。

▼「コメントする立場にない」「コメントを差し控えたい」。この問題について国会でただされた安倍首相の答弁だ。威勢よくトランプ批判ができる国々とは、まさに「立場」が違うといえば違うのだが寂しい話である。大統領の顔色をうかがっていた米企業も反発を強め、違憲訴訟を起こす州政府さえ出てきたというのに。

▼トランプ氏は、大統領令を否定したイエーツ司法長官代行を解任した。そのくらいは覚悟の反旗だったに違いなく、多くの米国人にとって多様性の確保がいかに大きな価値であるかが知れる。吹き荒れるこの嵐に、日本人はただ首をすくめているしかないのだろうか。まずはご都合主義の勝手口を点検しなくてはなるまい。
日本で働く外国人労働者が初めて100万人を超えたそうだ。飲食店などでさまざまな国から来た従業員に出会うから実感のある数字  :日本経済新聞

2017年1月31日火曜日

2017-01-31

ひたむきに勝利貢献をめざす元巨人鈴木のいぶし銀の技にも、孤高の心を秘めた寒桜に似た存在感がある。

 先週末、東京の上野公園で1本のカンザクラを見た。無数の花びらが冷たい風に揺れている。周りの木々は葉をすっかり落として、真っ青な空を背景に寒さに耐えているふうだ。そんななかで、ソメイヨシノのあでやかさはないが、気品に満ち、どこか誇らしげである。

▼思わずカメラを向けたくなるこの木の姿に、昨年末の本紙運動面の連載「引退模様」を思い出した。走塁の達人としてならした元プロ野球巨人の鈴木尚広(たかひろ)さんが登場している。福島の高校から1997年、ドラフト4位で巨人入り、6年目に1軍へ上がって代打、代走、守備固めで定着。やがて「代走の専門家」となった。

▼本塁を狙う際には、待機する次打者が球を追う視線まで参考にしたと話す。若いころは「チームのなかでどう動き、必要とされる人になるか」を模索したという。たった数秒の盗塁のため、試合7時間前から球場に来て、いつとも知れぬ出番に備え調整に努めた。83%の盗塁成功率は歴代1位で、まさに「走りの職人」だ。

▼あすから各球団がキャンプインし球春が訪れる。「神ってる」派手なプレーはむろん魅力的だが、一方で、ひたむきに勝利への貢献をめざすいぶし銀の技にも、孤高の心を秘めたかのようなカンザクラに似た存在感がある。人は野球に指導者像や組織と個人の問題も探ってきた。今年はどんな教訓を授けてくれるだろうか。
先週末、東京の上野公園で1本のカンザクラを見た。無数の花びらが冷たい風に揺れている。周りの木々は葉をすっかり落として、真  :日本経済新聞

2017年1月30日月曜日

2017-01-30

情報があふれる現代社会の真偽を見分けるためには、話の真贋を見極める目が問われる。

 「見えない洪水」。情報があふれる社会に潜むあやうさを、宇宙開発で有名な工学者、糸川英夫さんたちはそう名づけた。いずれ訪れるかもしれない危機を「ケースD」という近未来小説にまとめたのは1979年。インターネットなど、まだ影も形もなかったころだ。

▼小説の舞台は20世紀末。米ソ冷戦は終わり世界の中心は国連に移っている。その国連が特定の勢力にこっそりのっとられ、食料、エネルギー、気象などの偽情報が流され続ける。本当の修羅場はその次だ。この事実が暴露されると、人々は不安から口コミだけを信じ、不確実な情報の拡散とテロで世界は大混乱に陥る――。

▼小説と異なり現実の世界は幸い破局には至っていない。しかし見えない洪水はひたひたと押し寄せているかのようだ。「××氏が××候補を支持」といった偽ニュースがネットで拡散し米大統領選に影響を与えた。当選した新大統領スタッフは「就任式の聴衆は過去最大」などとすぐわかる事実誤認を大まじめに主張する。

▼恐ろしいのは、大統領から一般のネット投稿者まで、あからさまな嘘を連発する人が増えて受け手が「嘘慣れ」し、事実が何かなどどうでもいいと感じ始めることかもしれない。糸川さんらは見えない洪水への対抗策の一つに「高水準の教育に支えられた人々の情報選択能力」を挙げた。話の真贋(しんがん)を見極める目が問われる。
「見えない洪水」。情報があふれる社会に潜むあやうさを、宇宙開発で有名な工学者、糸川英夫さんたちはそう名づけた。いずれ訪れ  :日本経済新聞

2017年1月29日日曜日

2017-01-29

 「悪い子は地獄行きだぞ!」。恐ろしい鬼の声が響く。巨大な角が生え全身を毛が覆う。鈴を鳴らし街を練り歩く。仮装の若者が異界のものを演じるウィーンの祭りだ。ここで育った民族学者ヨーゼフ・クライナーさん(76)はよく似た風習のある日本の研究を志した。

▼昭和37年春、22歳だった。列車と船を乗り継ぎ、奄美の加計呂麻島についた。風景に息をのむ。子供たちと遊び古老に話を聞いた。去り際に「ノロの神祭り」に出合う。海のかなたからの来訪神「まれびと」が幸せを運ぶ祭りだ。どんな小村にも奥深い習俗がある。肌で感じたことが、日本学などの数々の業績につながる。

▼政府は近く奄美群島などの地域を世界自然遺産に推薦する。多様な自然の保全が急がれている。そこで生きる人の営みも変わった。人口が減り活気が消えた。祭りも途絶えたままだ。島のある瀬戸内町が写真集「加計呂麻島」を作った。昔の景色を呼び戻したいとの思いからだ。当時クライナーさんが撮った写真が蘇(よみがえ)った。

▼島には移住者が増え、神社や拝所などの建物を再建する動きも出てきたそうだ。写真には海や山、暮らしや祭りが鮮明に写る。子供の笑い声や祈りの言葉も聞こえてくる。ハブよけの棒を手に山道を行く若い研究者の姿もある。別世界からの訪問者のようだ。半世紀を経た「まれびと」の贈り物が島の再生を応援している。
「悪い子は地獄行きだぞ!」。恐ろしい鬼の声が響く。巨大な角が生え全身を毛が覆う。鈴を鳴らし街を練り歩く。仮装の若者が異界  :日本経済新聞

2017年1月28日土曜日

2017-01-28

 1953年は冷戦が深まった年である。このころ、米国とソ連は核兵器の開発競争にしのぎを削り、相次いで水爆実験に踏み切っていた。第2次大戦の直後から「世界終末時計」を公表してきた米科学誌は、破滅までの残り時間を「2分」に縮めて警鐘を鳴らしている。

▼今年は、それ以来の危機だという。「ブレティン・オブ・ジ・アトミック・サイエンティスツ」誌が示す時計は、午前0時の地球最後の日まで残り「2分半」。昨年より30秒進んだ。冷戦終結期には十数分前まで巻き戻されていたのが幻のようである。こんど針を進めた犯人のひとりは、もちろん米国のトランプ大統領だ。

▼排外主義と敵意の拡散で大衆を引きつけ、外交も安全保障も「取引」の対象にする指導者がいま、核のボタンを手にしている。人類に牙をむく地球温暖化の防止にも後ろ向きで、およそこの星の行方についての洞察は感じ取れぬ人なのだ。就任から1週間。次々と署名した大統領令が変えていく世界を想像するだけで怖い。

▼それでも株式市場はにぎわい、今週はダウ平均が初めて2万ドルを超えた。公約を次々と実行に移す「腕力」への期待が根強いようだ。水晶玉に映る未来よりも、いまは水晶玉自体のオーラが魅力なのだろうか。米誌が終末時計の進行を1分未満にとどめたのは、就任からまだわずかしかたっていないための様子見だという。
1953年は冷戦が深まった年である。このころ、米国とソ連は核兵器の開発競争にしのぎを削り、相次いで水爆実験に踏み切ってい  :日本経済新聞

2017年1月27日金曜日

2017/01/27

競争激化で禁止された御免富の失敗を繰り返さぬよう、カジノの共倒れ防止策も考えたい。

 江戸時代には「富くじ」という賭博の興行があった。まず、番号を記した「富札」を人々に売る。抽選日には、同様の番号を書いた木札入りの箱を用意。大勢が見守る前で、柄の長いキリで箱の中を穴から突き、刺さった札の番号の人が当選金をもらえるというものだ。

▼富くじは、まぐれ当たりへの期待をあおるとして元禄期に禁じられる。が、その後、寺社が修繕や再建費用を賄うため興行主になる場合は公認されることになった。「御免富」と呼ばれる興行で、江戸、京都、大坂をはじめ各地に広がった。裏には、寺社に資金援助する余裕のなくなった、幕府の厳しい台所事情があった。

▼資金面の助けにしたいという点で、カジノの解禁も御免富と似ている。自民党はカジノの開設に道を開く法律を先の国会で成立させるにあたって、誘致する自治体の税収増が見込めることを利点として挙げた。観光振興でのカジノの効果を期待する自治体は少なくない。御免富のように盛んになることも考えられるだろう。

▼御免富は開催する寺社が増えるにつれ競合が激しくなり、富札が売れず赤字になる興行が続出し始めた。これでは意味がないということで天保の改革で禁止される。カジノ解禁の制度設計に向けた議論が自民党のプロジェクトチームで始まった。ギャンブル依存症対策などに加えてカジノの共倒れ防止策も考えた方がいい。
江戸時代には「富くじ」という賭博の興行があった。まず、番号を記した「富札」を人々に売る。抽選日には、同様の番号を書いた木  :日本経済新聞

2017年1月26日木曜日

2017-01-26

就任式の人出を過去最多と嘘の強弁するトランプ氏の奢りは、歴史に汚点を残しかねない。

 「洛中」とは京都の古くからの市街地をさす。その域内で最も古い建造物といわれるのが大報恩寺、別名、千本釈迦堂の本堂だ。1227年建立の国宝である。太い柱には「応仁の乱」の時の刀傷とされるものが残る。やりを刺した、と伝えられる親指ほどの穴もある。

▼滋賀県の大通寺の脇門には「本能寺の変」の際についたという矢弾の痕がある。秀吉の長浜城の大手門を移したもので、まだ城にあった時に「変」に呼応した勢力に攻められたのだという。何百年来のいい伝えなら、確たる証しがなくても、建物の由緒やゆかりの人物を頼りに、真偽を離れたロマンに浸るのも許されよう。

▼しかし、ひと目でわかるリアルな現実に「うそだ」と言い放たれては、話しの土台にも上れない。トランプ米大統領就任式の人出をめぐる混乱である。「150万人にもみえた」などとして、少ないと報じたメディアを「地球で最も不誠実」となじった。180万人だった前任者の時の写真と比べれば、差は明白なのだが。

▼側近にも開いた口がふさがらない。「過去最多」との強弁を批判されると「何千万人もがネットなどで見た」とけむに巻いた。45年前、7年8カ月の長期政権を終える記者会見で「僕は国民に直接話す」「新聞は出て行け」と机をたたいた首相が日本にいた。おごりは歴史に汚点を残しかねない。後世、ロマンも語れまい。
「洛中」とは京都の古くからの市街地をさす。その域内で最も古い建造物といわれるのが大報恩寺、別名、千本釈迦堂の本堂だ。12  :日本経済新聞

2017年1月25日水曜日

2017-01-25

19年ぶりの日本人横綱誕生に、国籍関係なく力士としての稀勢の里の横綱昇進を祝いたい。

 外国出身の力士、とりわけモンゴルから人材を受け入れるようになって以降の相撲界は、ウィンブルドン現象と皮肉られたりもする。テニスのウィンブルドン大会で地元の英国勢が振るわず、外国選手が活躍するさまを表す言い回しだ。そこへ満を持しての吉報である。

▼あと一歩で届かない賜杯。心が弱い、との酷評。ようやく決めた優勝の後のひと筋の涙。稀勢の里の満面の笑みを見ればこちらも自然とうれしくなる。日本出身の横綱誕生は19年ぶりとあって祝福ムードは盛り上がるが、いまや角界の屋台骨を支えているのは言葉や文化の壁を越えて、遠く草原の国から来た元少年たちだ。

▼インタビューを受け、たどたどしさの残る日本語で相撲の心を語るモンゴル人力士たちの姿には感動すら覚える。相撲通で知られた作家、宮本徳蔵は著書「力士漂泊」で、力士=チカラビトはアジアの北辺、いまのモンゴルのあたりで生まれたと論じる。そうであれば現在の相撲界の状況にも不思議はないのかもしれない。

▼チカラビトの系譜に連なる男たちが東から西から集い来て、同じまわしを締め土俵でぶつかり合う。ここに至る悠久の時を思えば、大相撲の取り組みが壮大な絵巻のように思えてくる。宮本は同書でこうも記している。「相撲が国技だなんて、小さい、小さい」。チカラビトの一人としての稀勢の里の横綱昇進を祝いたい。
外国出身の力士、とりわけモンゴルから人材を受け入れるようになって以降の相撲界は、ウィンブルドン現象と皮肉られたりもする。  :日本経済新聞

2017年1月24日火曜日

2017-01-24

人の脳の一部が培養可能になったことで新たな治療法の期待ができ、人類の進歩を感じる。

 先週、世界でもかなり重量級といえる首脳たちの演説に、相次いで触れる機会があった。まず中国の習近平国家主席。スイスのダボスで開いた国際会議で保護主義への反対を訴えた。次いで、わが安倍晋三首相。施政方針演説で日米同盟を「不変の原則」と位置づけた。

▼そして米国のドナルド・トランプ新大統領。就任式の演説のなかで「米国第一主義」を宣言した。残念ながら、というか、予想通りというべきか、どれも大して胸に響くことはなく、知的な刺激やユーモアにも乏しかった印象だ。それにつけてもトランプさんの前任者は演説が上手だったなあ、と、いささか寂しくなった。

▼そんな後ろ向きの気分が吹き払われたように感じたのは、科学誌「日経サイエンス」の3月号に目を通したときだ。オーストリアの科学者J・A・ノブリヒ氏が寄せた一文によると、胚性幹細胞(ES細胞)やiPS細胞といった、いわゆる「万能細胞」から、ヒトの脳の一部を実験室で培養することに成功した、という。

▼統合失調症やアルツハイマー病などの脳の病気を研究し、治療法を生み出すのに役立つ、との期待があるそうだ。今はやりの人工知能(AI)どころか文字通り「人工脳」の時代が来るのか、と、SFめいた夢にも誘われる。政治の世界をみていると気がめいることも少なくないけれど、人類はしっかり前にすすんでいる。
先週、世界でもかなり重量級といえる首脳たちの演説に、相次いで触れる機会があった。まず中国の習近平国家主席。スイスのダボス  :日本経済新聞

2017年1月23日月曜日

2017-01-23

家事が合理化され鍋料理はずいぶん進歩したが、女性の活躍は同じくらい進歩したのか?

 「寒いなあ、今晩は鍋だね」「何鍋にする? 鶏? 牡蠣(かき)?」。きょうも日本中で、こんなやり取りが繰り返されているはずだ。冬は鍋にすれば献立がラク、という主婦も多い。家事に追われながら句作に励んだ杉田久女も詠んでいる。「寄鍋やたそがれ頃の雪もよひ」

▼とはいえ久女が台所をあずかっていた大正から昭和の初めごろは、鍋料理も支度にいささか手間がかかったに違いない。あまりバリエーションもなかっただろう。それが今はありとあらゆる鍋スープが売り出され、スーパーの棚は鍋戦争の様相だ。薬膳、激辛、塩ちゃんこ、カレー風、トマト味……。何でもござれである。

▼こんなさまざまな鍋を食卓で囲めるようになったのも、先人が発想を転換してくれたおかげらしい。柳田国男の「明治大正史 世相篇」によれば、かつて食べ物を調理する「清い火」は荒神様が守る台所のみにあるとされた。その拘束を離れて「竈(かまど)の分裂」を進めたことで、近代になって鍋料理がどんどん普及したという。

▼してみれば、鍋物の発達は家事合理化の象徴にほかならない。現代も流れは止まらず、手軽に楽しめる「家鍋」がますます隆盛というわけだ。「足袋つぐやノラともならず教師妻」。久女が自由になれぬ身を嘆いた時代から1世紀。鍋料理はずいぶん進歩した。女性の活躍がそれと同じくらい進んだかどうかは定かでない。
「寒いなあ、今晩は鍋だね」「何鍋にする? 鶏? 牡蠣(かき)?」。きょうも日本中で、こんなやり取りが繰り返されているはず  :日本経済新聞

2017年1月22日日曜日

2017-01-22

敵を避難し国民の支持を得るトランプ大統領を生んだ米国は、日本の未来を映す鏡だ。

 自分のすぐ近くにいる前任者の統治を、あからさまに非難する。20日のトランプ米大統領の就任演説は支持者たちの耳には痛快に響いたことだろう。エリート層への富の集中を非難し、口先だけの政治家を否定し、今日から権力は国民の手に戻ったと高らかに宣言した。

▼テレビに映るオバマ氏の硬い表情が印象に残る。新大統領は演説で一般の米国民を被害者だと位置づけた。敵の一つはワシントンなどのエリート層。もう一つは外国だ。奪われた工場や雇用を取り戻すのだという。あなたが苦しいのは被害者だから。犯人はあいつらだ――。耳に心地いい訴えではあるが、果たして的確か。

▼反トランプ氏のデモも多かった。「アメリカ人の大きな特権は、失敗を犯してもこれを正す自由がある点にある」(トクヴィル「アメリカのデモクラシー」松本礼二訳)という言葉を思い出す。祝賀の日ですら異議を申し立てる人々は米国社会の活力の表れでもある。打ち上げ花火のような施策だけなら、先は苦しかろう。

▼さて、わが日本はどうか。文部科学省の役人が有名大学へ不正に天下りをしていたことがわかった。真面目に働く人々の間にいら立ちが募る。ヘイトスピーチなど、特定の集団などをやり玉にあげ、憎悪をあおる言説も目立つようになった。トランプ大統領を生んだ米国は日本の未来を映す鏡。そういう点でも注視したい。
自分のすぐ近くにいる前任者の統治を、あからさまに非難する。20日のトランプ米大統領の就任演説は支持者たちの耳には痛快に響  :日本経済新聞

2017年1月21日土曜日

2017-01-21

先が読めないトランプ氏の不意打ちに動じぬよう、周囲のリスクに注視し備えを固めよう。

 1920年代に米大統領だったハーディングとクーリッジは総じて評判が良くない。ある史家は「史上最低」とまで書く。前者は在任中に急死後、取り巻きによる汚職が発覚した。後者に目立つ業績はなく「栄光を追わず権威をふりかざそうともしなかった」との評だ。

▼政治の停滞の一方、経済や文化は黄金期に入った。ニューヨークに摩天楼が林立して、自動車やラジオが普及、ジャズが街角に流れた。好況の持続に政治の介入は不要、との思いが各層にあったのか。20年代の米社会を描く書「オンリー・イエスタデイ」に「実業家らは大統領に行動的な人物を望まなかった」などとある。

▼第45代トランプ大統領が就任の日を迎えた。直前の調査では最近の大統領の中で支持率40%と際立って低く、不支持が上回る。初日から打ち出すというさまざまな施策で人気は上向くのか。それとも、大底が待っているのか。「難題かかえ船出」や「真意測れず」といった新聞の大見出しが、多くの人の不安を映している。

▼「ドルが高すぎる」と突然言い出し、閣僚候補との政策不一致も浮かぶ。混乱を招く前に、もの静かだった先輩を見習ってほしいとさえ思う。とはいえ大統領の行動を変えるのは難しそうで、我々が備えを固める以外あるまい。不意打ちに動じぬよう腰を落とし、周囲のリスクを注視する。防災か武道の心構えに似てきた。
1920年代に米大統領だったハーディングとクーリッジは総じて評判が良くない。ある史家は「史上最低」とまで書く。前者は在任  :日本経済新聞

2017年1月20日金曜日

2017-01-20

曖昧な疑惑情報だけでの断罪を防止するため、日本将棋連盟は組織体制を見直すべきだ。

 「よし、わかった!」。角川映画の「金田一耕助」シリーズには、事件に出くわすと早合点してこう叫ぶ警部がいつも出てきた。大して調べもしないうちに「わかった」だから、その推理は見当違い。名探偵の金田一に軽くいなされ、観客の微苦笑を誘う展開であった。

▼物語の一コマならこういう慌て者がいるのも楽しいが、日本将棋連盟の「わかった」はつくづく罪深い。対局中にコンピューターソフトを不正使用した疑いがあるとして、昨秋、三浦弘行九段をいきなり出場停止処分にした問題のことだ。断罪したものの証拠は出ず、谷川浩司会長が事実上の引責辞任をする仕儀となった。

▼盤に向かえば冷静沈着な人々の集団がこんな悪手を繰り出すとは、何という皮肉な話か。背景には、急速に進化するソフトへの恐怖心があったのかもしれない。いまや将棋も囲碁も人工知能(AI)が人間を脅かす。とはいえあいまいな疑惑情報だけで、すわAIめっ、と色めき立ったのでは戦う前の敗北というほかない。

▼史上最年少のプロ棋士誕生や女性の活躍などで、将棋界への世間の関心は高まっている。こんどの混乱にファンから批判が殺到したのも注目度の高さゆえだ。このさい、連盟も組織のあり方を見直したらどうだろう。「わかった」の早とちりを正してくれる金田一さんみたいな人に、外の世界からお出ましを願ってもいい。
「よし、わかった!」。角川映画の「金田一耕助」シリーズには、事件に出くわすと早合点してこう叫ぶ警部がいつも出てきた。大し  :日本経済新聞

2017年1月19日木曜日

2017-01-19

生活保護受給者を罵るジャンパーを着て受給者の不正を正そうという姿勢は、行き過ぎだ。

 勢いのある毛筆調の文字で「膝頭から肘方向」。こう大書きしたTシャツ姿の外国人を都内の観光地で見かけ、つい声に出して笑ってしまったことがある。海外の人がカッコいいと感じる文字を選んで作るからだろうか、ヘンな意味の日本語シャツは結構出回っている。

▼逆のパターンも多い。英語で「私はもう死んでいるが、たまに出歩く」というトレーナーを着た若者を見たこともある。嫌な思いをする人がいるようでは困るが、デザインとして面白いとか、半分冗談で楽しんでいるなら他人があれこれ言う話ではない。では「HOGO NAMENNA(保護なめんな)」はどうだろう。

▼生活保護を担当する神奈川県小田原市の職員らが、こんな文字が並ぶジャンパーを着て受給者宅を訪問していたという。背中には「不正受給して欺く人はクズだ」という趣旨の英文もあるというから、意味も分からず着ていたわけではなさそうだ。不正を正す仕事の大変さは想像にかたくないが、行き過ぎというしかない。

▼生活保護を略した「生保」を読み替えて「ナマポ」。インターネット上には、受給者を侮蔑する言葉があふれている。とにかく過激で、攻撃的な物言いがはやる昨今である。他者をののしる形相をつくって自撮りし、プリントしてみてはどうだろう。間違いなく、家族や友人の前では決して着られないシャツができあがる。
勢いのある毛筆調の文字で「膝頭から肘方向」。こう大書きしたTシャツ姿の外国人を都内の観光地で見かけ、つい声に出して笑って  :日本経済新聞

2017年1月18日水曜日

2017-01-18

米・英・日の国々が抱える問題解決には、せめて「光の春」の兆しがあれば希望が持てる。

 凍えながら空を見上げても気付きはしないが、この時期、日本の上空約1万メートルには西から東へ猛烈な風が吹いている。蛇行して地球を巡るジェット気流だ。時に秒速100メートルにもなる。かつて米国発台湾行きの飛行機が逆風で燃料が尽き、九州に着陸した一件もあった。

▼ある書によると、太平洋戦争中にサイパンから日本へ向かった米軍機のパイロットが西風に悩まされた体験から、気流の存在が広く知られるようになった。一方の日本側も早くからこの強風に気付き、米本土への風船爆弾に活用したという。いずれにしろ、新幹線超えの速度は、南北の温度差が大きい冬場に特有のものだ。

▼あさっては大寒で、来月4日の立春まで一年で最も寒いころを迎える。受験生や保護者には重苦しい半月だ。しかし、四季の移ろいは日の長さの変化に表れている。昨年の冬至ときょうを比べれば札幌で27分、東京では20分と、かなり昼は伸びた。これが立春ともなると札幌で1時間以上長くなる。気分も前向きになろう。

▼ロシアで2月を「光の春」と呼ぶ。気温はまだ低いが、日差しの力強さが次の季節を約束しているのである。美しい言葉だ。新大統領を待つ米国、EU離脱に揺れる英国、デフレからの脱却が正念場の日本と、厳冬の暴風下にルートを探すがごとき国々である。せめて「光の春」の兆しがあれば、希望の灯となるだろうが。
凍えながら空を見上げても気付きはしないが、この時期、日本の上空約1万メートルには西から東へ猛烈な風が吹いている。蛇行して  :日本経済新聞

2017年1月17日火曜日

2017-01-17

中・露の暴挙により日本が世界で活躍する土台が潰されているので、国際法は守るべきだ。

 「これから何をやるつもりか?」。江戸幕府の大政奉還の直後、西郷隆盛が坂本龍馬に聞いた。「新政府の役人などまっぴらごめんだ。世界の海援隊でもやるかな」。倒幕に奔走した志士の答えに、西郷は二の句がつげなかったそうだ(平尾道雄著「海援隊始末記」)。

▼龍馬が隊長の政治結社・海援隊は貿易商社に育ちつつあった。西洋列強に対抗するには、日本を鎖国の眠りから覚ます。新しい海運国家をつくり世界に乗り出す。その夢を実現できる組織だった。新国家を守るには何が大事かを考えた。刀ではない。ピストルでもない。万国公法(国際法)を学ぶべきだと常に説いていた。

▼龍馬の手紙が新たに見つかった。「新国家」の文字が初めて確認された重要史料だという。海援隊で海運業を営んだことで、国の財政基盤がなにより肝心と痛感していた。手紙では福井藩の重役に、財政通の藩士を早く新政府に派遣するよう求めている。安定した政権ができなければ、海運国家の夢も逃げてしまうからだ。

▼150年後の世界はどうか。中国は南シナ海で勝手に島を埋め立てて軍事基地を造った。ロシアはクリミア半島を武力で併合したままだ。どちらも国際法を無視している。日本が世界で活躍する土台がないがしろにされているのである。幕末の風雲児は、口をとがらせるだろう。「おまんら、ルールは守らんといかんぜよ」
「これから何をやるつもりか?」。江戸幕府の大政奉還の直後、西郷隆盛が坂本龍馬に聞いた。「新政府の役人などまっぴらごめんだ  :日本経済新聞

2017年1月16日月曜日

2017-01-16

国別参加枠が東京五輪低調の要因になるのであれば、個人参加にした方が絶対盛り上がる。

 ゴルフのロリー・マキロイ選手が3年後の東京五輪に参加しないと表明した。ジカ熱への感染を懸念してスター級がほとんど出なかったリオ五輪に続き、凡戦を見せられるのかとがっかりである。本紙に「個人の選択なので尊重してほしい」とのコメントが載っていた。

▼日本の衛生状態はブラジルほど心配いらないぞ、とぶつぶつ言っていたら、事情は全然違った。マキロイ選手は英国とアイルランドの二重国籍。リオ五輪ではアイルランドから出ると決めたが、金メダル候補に逃げられた英国でかなり悪く言われたらしい。嫌気がさしてジカ熱を理由に出場を取りやめたというのが真相だ。

▼したがって、五輪参加が国単位である限り出場する気はないそうだ。大会ごとに国籍を変える渡り鳥選手ならばともかく、生まれつき二重国籍なのは彼の罪ではない。五輪憲章には「選手間の競争であり、国家間の競争ではない」と書いてある。メダル競争に奔走する国が多いせいで、居場所を失う選手がいるのは残念だ。

▼だから二重国籍に目くじらを立てるべきでないと書くと、異を唱える人が多いだろうが、二重国籍嫌いの愛国者であればあるほど東京五輪が低調でよいとは思うまい。ゴルフは特定国に有力選手が偏りがちで、世界ランク30位までに米国は12人も入っている。国別の参加枠を取り払い、個人参加にした方が絶対盛り上がる。
ゴルフのロリー・マキロイ選手が3年後の東京五輪に参加しないと表明した。ジカ熱への感染を懸念してスター級がほとんど出なかっ  :日本経済新聞

2017年1月15日日曜日

2017-01-15

世界経済を発展させた自由貿易に反する、トランプ氏の保護主義政策は正しいのか?

 米国の経済学者ポール・サミュエルソンは若いころ、著名な数学者のスタニスワフ・ウラムに問いかけられた。「真理であり、かつ自明でない社会科学の定理を、ひとつ教えてくれ」。自然科学の研究者が社会科学に向ける冷ややかな視線をうかがわせる、逸話である。

▼ご本人の回想によれば、ずいぶんと後になってサミュエルソンは答えを思いついた。英国の経済学者デビッド・リカードが1817年に明らかにした「比較優位」の理論である。明快な論理によって導き出される結論は確かに直観に反し、自明とはいいがたい。自由貿易を支える考え方として、世に及ぼした影響も大きい。

▼リカードの鮮やかな仕事から200年。現実の世界経済にはいろんなことがあったが、大きな流れとしては自由貿易が広がってきたといえるのではないか。19世紀には英国が、20世紀なかばからは米国が、それぞれ自由貿易を推し進めるエンジンだった。そうした流れはしかし、大きな曲がり角をむかえたのかもしれない。

▼5日後に米国のトップに立つドナルド・トランプ氏。第2次世界大戦が終わってからの歴代大統領のなかで、自由貿易に後ろ向きの姿勢は際だってみえる。型破りの言動の背景には、ビジネスで成功をおさめたという自信があるのかもしれない。やはりビジネスで巨富を築いたというリカードに、コメントを求めたくなる。
米国の経済学者ポール・サミュエルソンは若いころ、著名な数学者のスタニスワフ・ウラムに問いかけられた。「真理であり、かつ自  :日本経済新聞

2017年1月14日土曜日

2017-01-14

NPOの低賃金問題を働き方改革で是正し、社会貢献意識が高い若者たちを定着させよう。

 かつてはごく普通に、むしろ肯定的な意味合いで使われていたが、いまでは使うべきではないとされる言葉がある。「寿退職」もそのひとつだ。結婚した女性はみな会社を辞め、それが祝福された時代。あの新婦たちは心から笑っていたのだろうかと、いまにして思う。

▼この「寿退職」という言葉が今も生きている場がある。大学を卒業した後、NPOなど社会貢献の世界で働く男性が自嘲を込めて使う。家族ができたのを機に一般企業に転職する例が目立つからだ。NPOの有給職員の年収は平均で200万円前後。社会貢献意識が高い若者たちが関心を抱く職場の、これが現実でもある。

▼その一方で、非営利分野の取材では前向きで元気な女性に会うことが多い。留学経験者などが大企業やITベンチャーから転じてくるからだ。貧困者支援などのNPOで働く女性を近著「N女の研究」で紹介したノンフィクション作家の中村安希さんは、政府や自治体の支援をあてにしない若い世代の覚悟を感じたと記す。

▼社会をよくしたいと奮闘するそんなN女たちも、夫のリストラなどで家計を支える立場になれば企業社会に戻っていく。行政に代わる社会課題の解決役として期待され、新しい生き方として注目されているNPOも、低賃金という壁を越えなければ、一時のブームで終わりかねない。ここにもまた働き方改革の課題がある。
かつてはごく普通に、むしろ肯定的な意味合いで使われていたが、いまでは使うべきではないとされる言葉がある。「寿退職」もその  :日本経済新聞

2017年1月13日金曜日

2017-01-13

米トランプ氏の政権移行に気をとられ、知らぬ間に中国から足をすくわれぬようにしたい。

約300と0。トランプ次期米大統領が、昨年11月の選挙での勝利後「ありえない!」などツイッターに投稿をした数と記者会見に応じた回数だ。その0が、やっと1になった。10本もの星条旗を背に、赤のネクタイで腕を大きく上下させての正調トランプ音頭である。

▼まもなく就くのは、一時の勢い衰えたりとはいえ、自由と民主主義の価値観で世界を導く超大国のトップの座だ。それなのにのどや節回しは激しかった選挙戦と比べ少しも変わらない。「私は最大の雇用創出者になる」と自信たっぷりに宣言してみせる一方、中国、日本との貿易不均衡を嘆き、おなじみの壁にも言及した。

▼自画自賛や被害の訴えに加え「米国を去る企業には高い関税をかける」と威圧も忘れなかった。駆け引きでは巧者の手練手管に周囲は当分振り回されるのだろう。見逃せないのがメディアへの厳しい批判だ。「ロシアに弱みを握られた」との報道をした社が質問を求めると「おまえの報道は偽ニュース」と拒み続けていた。

▼むき出しの対決姿勢では多様な意見を政策に反映できないし、求められる説明責任も果たせまい。折しも政権移行期の隙をついて、中国軍が対馬や台湾周辺で活発に動く。「策士、策に溺れる」のたとえもある。いつの間にか、こんなことになっていないよう祈りたい。渡辺白泉の一句だ。「戦争が廊下の奥に立ってゐた」
約300と0。トランプ次期米大統領が、昨年11月の選挙での勝利後「ありえない!」などツイッターに投稿をした数と記者会見に  :日本経済新聞

2017年1月12日木曜日

2017-01-12

翌元日に新天皇即位という歴史の節目が一刻と迫ってくると思うと、感慨深いものがある。

 平成の世も来年かぎりか……。こんな感慨に包まれている人は少なくないだろう。天皇陛下の退位のスケジュールがにわかに浮上した。菅義偉官房長官のコメントは「承知していない」だが、2019年の元日に新天皇が即位し、新しい元号も適用へと報じられている。

▼28年前の1月7日を思い出す。昭和天皇が亡くなった朝、記者たちはポケットベルの音で一斉にたたき起こされた。まだ携帯電話など普及していなかったのだ。午後になって「平成」が発表され、翌日からただちに改元となる。怒(ど)濤(とう)のような2日間をピークとする昭和の終わりの記憶は、あまたの日本人になお鮮烈である。

▼ああした事態は避けたいというのが、陛下が退位を望まれる理由のひとつだろう。たしかに前もって元号を発表し、整然と代替わりを果たせるなら国民生活への影響は最小限に抑えられる。さまざまな印刷物だけではない。前回とは比較できぬほど進んだデジタルへの対応にも余裕が持てよう。ポケベル時代とは違うのだ。

▼それにしても、誰もが不思議な体験を持つことになりそうである。事前に歴史の節目が定められ、それが一日一日、カウントダウンで近づいてくるのだ。胸に迫るのは愛惜か、新しい世の中への期待か。ふと、真新しい今年の手帳をめくってみれば最後のページは来年のカレンダーだ。平成30年――しみじみと眺めている。
平成の世も来年かぎりか……。こんな感慨に包まれている人は少なくないだろう。天皇陛下の退位のスケジュールがにわかに浮上した  :日本経済新聞

2017年1月11日水曜日

2017-01-11

物議をかもす言動の絶えないトランプ次期米大統領に待ち受けるのは、どんな未来なのか?

 ウィリアム・シェークスピアはちゃめっ気があった。ある時、王役の人気俳優がファンと密会の約束をするのを盗み聞いた。なりすまし先回りする。本人が来ると「(英王室の開祖)ウィリアム征服王が先に御入来だ」と追い払う。悲劇も喜劇も書いた人らしい逸話だ。

▼その俳優が演じた王様が「リチャード三世」である。芝居は世界を憎む露悪的なせりふから始まる。「思い切り悪党になって見せるぞ。筋書きはもう出来ている」(福田恆存訳)。弁舌と謀略を使って、多くの血を流し、イングランド王になる。兄や幼い王子2人をロンドン塔にとじ込めて殺すなど、非道の限りを尽くす。

▼トランプ次期米大統領の振る舞いはへたな悪役芝居のようだ。物議をかもす言動に名優メリル・ストリープさんがかみついた。選挙中に障害を持つ記者をまねし愚弄した様子を人権や報道の自由への侵害と批判した。次期大統領はツイッターで「最も過大評価された女優」とののしった。遊び心のかけらもない反応だった。

▼「トランプ劇場」は予告編だけではらはらする。「あり得ない、米国に工場を造れ」。メキシコ工場の計画撤回を求める発言にトヨタも困惑した。11日には初の記者会見が予定される。報道の自由など様々な疑問にどう答えるのか。いよいよ幕開きだ。筋を想像するとどうにも悩ましい。待つのは悲劇か。それとも喜劇か。
ウィリアム・シェークスピアはちゃめっ気があった。ある時、王役の人気俳優がファンと密会の約束をするのを盗み聞いた。なりすま  :日本経済新聞

2017年1月10日火曜日

2017-01-10

シリアやイラクで戦う将兵達が自ら反省できれば、戦闘やテロも少しは静まるかもしれぬ。

 2011年から12年、本紙に連載された安部龍太郎さんの小説「等伯」の終盤は、何度読んでも心が揺さぶられる。絵師の長谷川等伯が首をかけて豊臣秀吉のために描いた水墨画「松林図屏風」を伏見城で披露する場面だ。家臣の徳川家康や前田利家らも着座している。

▼霧の中に濃く淡く浮かぶ木々の幽玄さに名だたる武将が魂を奪われる。「わしは今まで、何をしてきたのであろうな」。秀吉が深いため息とともにつぶやいた。「心ならずも多くの者を死なせてしまいました」。家康は懐紙で涙を拭う。乱世を生き抜くなかで犠牲にした仲間や家族を思い、自らの仮借なき行いをも省みる。

▼大自然を活写した芸術が、人間の業をねじ伏せた――。そんな瞬間を見事に描いた一幕である。この屏風は東京国立博物館で15日まで特別公開中だ。前に立つと、細く砕いた竹か、束ねたわらを使ったという筆致から、風と光の動きや、葉と霧が交わすささやきが伝わってくるようだ。白と黒のひたすら深遠な世界である。

▼物語に触発され、リメーク版を考えた。今、シリアやイラクで血みどろの勢力争いを繰り広げている将兵たちが感動で立ち尽くす芸術は生まれないものか。「自分は何をしてきたのだろう」。そんな境地にいざなえれば、苛烈な戦闘や陰惨なテロも少しは静まるかもしれぬ。空想が入り込みそうもない複雑な状況であるが。
2011年から12年、本紙に連載された安部龍太郎さんの小説「等伯」の終盤は、何度読んでも心が揺さぶられる。絵師の長谷川等  :日本経済新聞

2017年1月9日月曜日

2017-01-09

18歳以上選挙権導入で成人年齢を下げ、何が大切か分かる大人が増えれば未来は暗くない。

 夏の朝、1機の偵察機が消息を絶った。撃墜されたようだ。第2次大戦末期、イタリアの島からフランスに向けて、地中海を飛行中だった。操縦士は仏作家サン・テグジュペリ。ナチスドイツに脅かされている祖国のために、志願して高射砲弾をくぐり飛び続けていた。

▼その2年前、米国滞在中に「星の王子さま」を書いた。飛行士が不時着した砂漠で、小さな王子に出会う童話だ。ゾウをぺろりとのみ込むウワバミの恐ろしさが語られる。バオバブの木は、芽のうちにつまないと、いつのまにか巨大になって、小さな星を破壊してしまう。子供が気づく危うさに大人はちっとも気づかない。

▼大蛇も大木もナチスやファシズムを表すとの見方がある。「大人ってほんとにへんだ」。童話の登場人物は、政治家も実業家も危機が見えない。どっちつかずで、打算的だ。そうした大人が戦争の厄災を招いた。作家自身も責任を感じ、反省と罪滅ぼしの気持ちをこめているという(塚崎幹夫著「星の王子さまの世界」)。

▼「18歳以上選挙権」の導入で、成人年齢を下げる動きもでてきた。社会は若者に早く大人になってほしいのである。米欧など世界には激動の気配が漂う。混乱は日本にも及びかねない。作家は何が大切か分かる大人になってほしいと子供たちに希望を託した。困難が近づいても、そんな人々が増えてくれば未来は暗くない。
夏の朝、1機の偵察機が消息を絶った。撃墜されたようだ。第2次大戦末期、イタリアの島からフランスに向けて、地中海を飛行中だ  :日本経済新聞

2017年1月8日日曜日

2017-01-08

長時間労働是正と消費促進の政策は、実質賃金を伸ばさずして経済効果は上がるのか?

 バブル期の日本で、ハナキンは輝いていた。若い人たちは聞き慣れぬだろうが「花の金曜日」の略である。ちょうど週休2日制が普及しつつあったから金曜の夜は心ウキウキ、街に出てパァーッと楽しもうという気分にあふれた言葉だったのだ。お気楽な時代ではある。

▼久々に、そんなハナキンを復活させようというのだろう。経済産業省や流通業界が連携して「プレミアムフライデー」なるものを仕掛けるそうだ。毎月末の金曜日は午後3時での退社を促し、買い物や外食、土日にかけての旅行を楽しんでもらうという。ニコニコマークみたいなロゴも登場し、来月24日が最初のその日だ。

▼長時間労働の是正と消費促進。いまどきの二大テーマを取り込んだキャンペーンだが、何それ? といった声も聞こえる。「月末の金曜日はいちばん忙しい」「有給休暇の消化が先決では」「肝心のお金がない」などなど、突っ込みどころに事欠かない。そもそも時給制で働く非正規雇用の人々には縁の薄い話ではないか。

▼それにしても月イチの、2時間ほどの時短で「プレミアム」とはいじましい。どうせなら、ハナキンよりずっと昔からあった土曜日の「半ドン」を毎週金曜にやってみたら……。いやいや相変わらず実質賃金は伸びないし、みんなさっさと家に帰るだけかもしれぬ。正月明けのこの3連休にも、残念だが先立つものがない。
バブル期の日本で、ハナキンは輝いていた。若い人たちは聞き慣れぬだろうが「花の金曜日」の略である。ちょうど週休2日制が普及  :日本経済新聞

2017-01-07

今を謳歌するトランプ次期米大統領に、栄華のはかなさを説く故事の感想を聞いてみたい。

 コンビニのおにぎりや弁当が並ぶ棚に、見慣れぬ黒い容器を見かけ手に取った。「七草がゆ」とある。小袋の塩もついていた。店員さんによると「お昼時にはバーッとはけますよ」とのことだ。大きく変わった社会の中でも、古くからの風習はしっかり根を張っている。

▼「正月七日、雪のない所から菜を摘む」と枕草子にある。7種の菜を吸い物にする習わしがあったようだ。おかゆにし始めたのは室町時代から。江戸期には害鳥を追い払う「鳥追い」の行事と結び付き、「鳥が渡ってくる前に」などとはやしながら、まな板をたたいたという。災いを遠ざけ、豊作を祈る意味があったのだ。

▼「かゆには十の利益あり」。福井県の永平寺で修行する僧は、食事の前にこんな経文を唱える。「色つやがよくなる」「気力が増す」など主に体への効用が続くが、かゆが出てくる中国の故事には「栄華のはかなさ」を説くものもある。「邯鄲(かんたん)の夢」だ。貧乏書生が邯鄲の町の茶店で、仙人に身の不幸を嘆く所から始まる。

▼仙人は書生に青磁の枕を授けた。書生は夢の世界で50年間、人生の絶頂とどん底を味わい尽くす。目覚めれば、仙人と会った同じ日で、眠る前に作りかけのかゆは、煮上がってもいなかった、というものだ。いま、トランプ次期米大統領が「わが世の春」とばかりつぶやきを続けている。故事への感想をぜひ聞いてみたい。
コンビニのおにぎりや弁当が並ぶ棚に、見慣れぬ黒い容器を見かけ手に取った。「七草がゆ」とある。小袋の塩もついていた。店員さ  :日本経済新聞

2017-01-06

交通事故死者は67年前と同水準に戻ったが、少子高齢化と人口減を解決せねばならない。

 「輪タク全盛」と、物の本にある。1949年、つまり終戦から4年後の話だ。自転車に急ごしらえの座席をつないで客を運ぶ銀輪タクシーが道にあふれ、この年、全国で1万3000台にのぼったという(「昭和・平成家庭史年表」)。焼け跡を走り回ったのだろう。

▼昨年の交通事故死者が67年ぶりに4000人を下回り、そんな時代と同じ水準にまで戻ったそうだ。輪タクゆきかう戦後まもないころとは比較にならぬ交通事情なのに、そこまで犠牲者を減らせたのだから驚くほかない。警察や行政が地道な努力を重ね、人々がルールをきちんと守ってたどり着いた「1949年」である。

▼もっともこの統計からは、いまの世の中の別の顔もうかがえる。死者数の半分以上は65歳以上の高齢者で、これまでで最多の割合だ。背景にはむろん、高齢者人口の増加があろう。それに事故死の減少そのものが、クルマ離れと関係があるのかもしれない。若者が減り、教習所だって生徒を集めるのに苦労する昨今なのだ。

▼輪タク全盛の49年は自動車が急増しはじめた年だと、冒頭にあげた年表にある。交通死もこのころから高度成長期を経て増え続け、交通戦争と呼ばれる深刻な事態に至った。その敵をどうにか抑え込んできた日本社会だが、いまはまた新たな戦争に向き合っている。少子高齢化と人口減――この敵に打ち勝たねばならない。
春秋要約。

2017-01-05

ネットを介した非行から子供達を見守る為、大人社会にはスキルを磨き続ける責任がある。

 夜の街から子どもが消えた――。年末年始、繁華街の見回りをしていた知人の防犯ボランティアにこんな話を聞いた。以前は盛り場をうろつき、飲食店やゲームセンターにたむろする中・高生の姿をよく目にした。それがここ数年で、すっかり見かけなくなったという。

▼少子化だけでは説明がつかない変わり様らしい。実際、警察による補導の件数なども大きく減っている。背景にはやはり、インターネットやスマートフォンの普及があるようだ。交流サイト(SNS)や通話アプリで連絡を取り合えばすむのだから、わざわざ深夜の街に繰り出して会う必要もない、ということなのだろう。

▼落ち合う場所は、親が外出している仲間の家が多いと聞く。飲酒や喫煙に及ぶこともあるようだ。「出会い」を求めて客を探す少女たちもまた、街頭ではなくネット上で誘いをかけている。外から見えにくくなった非行に危機感を強める警察は、一般人のフリをして彼女らに接触を試みるサイバー補導に力を入れはじめた。

▼だがなにしろネットの世界では、子どもたちの方が一枚上手なのだ。サイバーポリスの存在は先刻承知。不自然な受け答えがあれば、「こいつ、サイポリじゃね?」と即、拒絶されてしまう。IT(情報技術)の進展を追いかけるのは疲れるけれど、子どもたちを見守るため、大人社会にはスキルを磨き続ける責任がある。
夜の街から子どもが消えた――。年末年始、繁華街の見回りをしていた知人の防犯ボランティアにこんな話を聞いた。以前は盛り場を  :日本経済新聞

2017年1月6日金曜日

2017-01-04

人の仕事がAIに取って代わられる変革期は、廃れる仕事も、伸びる仕事も出てくる。

 公認会計士という職業は産業革命が進んだ19世紀半ばの英国で誕生したとされる。企業は巨額の資本を調達するため、財務諸表に第三者のお墨付きを得る必要が出てきた。そこで登場したのが、国王の認める会計帳簿のチェック役だった(渡邉泉「会計の歴史探訪」)。

▼会計士の活動は大西洋を越えて米国にも広がり、鉄道会社の決算に監視の目を光らせた。資本主義の発展に少なからぬ貢献をしてきたといえよう。ところが今、この専門的な職業の存続を危ぶむ声があがっている。人工知能(AI)に不正会計の事例を学習させることで、すばやく虚偽を見抜けるようになってきたからだ。

▼技術革新が人の仕事を奪った例としては産業革命下の英国で起こったラッダイト運動が知られる。機械に職をとられた織物職人たちが、機械を打ち壊した騒動だ。これに対してAIに取って代わられる恐れが指摘される仕事は、ものづくり関係に限らず幅広い。高度な専門職などホワイトカラーも安穏としてはいられない。

▼帳簿の点検がAIに置き換わり始めたとき、会計士はどうしたらいいか。「決算をもとに経営者との議論を深め、業績改善策の助言に力を入れる」。ある会計士は提供するサービスの付加価値を高めるという。産業構造の変革期は廃れる仕事がある半面、伸びる仕事も出てくる。AI革命の今、そのただ中に入ったようだ。
公認会計士という職業は産業革命が進んだ19世紀半ばの英国で誕生したとされる。企業は巨額の資本を調達するため、財務諸表に第  :日本経済新聞

2017-01-03

苦労や曲折から生まれた漱石の言葉から、今を生きるヒントを探すのもいい。

 今年秋に完成した後は、おそらく人気スポットになるであろう施設の建設が進んでいる。場所は東京都内にある閑静な住宅街の一画。作家の夏目漱石が晩年に住んだ家の跡に新宿区が記念館を建て、空襲で焼けた書斎やベランダなどを復元、庭の一部も再現するという。

▼戦後は公営住宅や公園として使われてきた。いったんは漱石との関連を忘れられた土地だ。今後は古い資料なども集め、観光だけでなく研究の拠点にもする。漱石の本格的な記念館は全国でも初だそうだ。昨年が没後100年、今年が生誕150年。49年の生涯が生んだ言葉の数々が、時を経てますます注目を集めている。

▼文豪のイメージとは違い、歩みは泰然自若とは遠い。留学で心は疲れ果て、奉職した大学は数年で辞めた。迎え入れられた新聞社でも後に冷ややかな扱いを受けている。病に悩まされつつ読者を引きつける連載を亡くなるまでつづり続けた。そんな仕事人としての苦労や曲折を知れば、改めて親しみを覚える向きもあろう。

▼家族には厳しかったが、死の間際、涙を流す娘に「もう泣いてもいいよ」と優しく声をかけたという(十川信介著「夏目漱石」)。小説では男らしさになじめない「悩む男」を描き、評論では国家主義を嫌い自由主義を擁護した。多くの人にとって明日は仕事始め。1世紀を経た言葉に、今を生きるヒントを探すのもいい。
今年秋に完成した後は、おそらく人気スポットになるであろう施設の建設が進んでいる。場所は東京都内にある閑静な住宅街の一画。  :日本経済新聞

2017年1月5日木曜日

2017-01-01

選挙に乗じて広がるポピュリズムを手なずけ、政治の活性化につなげられるか

 「あらたまの年の始めのくりやにて水に触れれば時うごきだす」。本紙の歌壇に載った名古屋市の稲熊明美さんの一首だ。くりやは台所。歌には「近年は薄れつつある新年の聖性が描かれている」と選者の穂村弘さんが評していた。清らかで神々しいリセット感が響く。
▼古来、正月には縁起の良い方角から年神が家々を訪れて、健康や豊作を約束するとされた。地方によっては、屋内の棚に野菜などの供物を並べる。年神は大みそかの朝から動き出すらしい。迎える目印となる門松などを31日になって準備しては、年神の目に触れないこともある。いわゆる「一夜飾り」を避ける理由という。
▼「どうぞ」と招き入れたい神様の一方、いま世界をうろうろするのは、マルクス流に言えば「ポピュリズム(大衆迎合主義)という名の怪物」だ。昨年、世界を揺さぶり、今年は欧州の国々での選挙に乗じ、さらに勢いづきそうな気配である。敵を探し、過激な物言いで変革を訴える手法の広がりをどう考えればよいのか。
▼「民主主義の不均衡を是正する自己回復運動のようなもの」と北海道大教授の吉田徹さんはポピュリズムの一面を説く。代議制デモクラシーに避けられない現象で、飼いならすくらいの発想が必要と主張している。現状への否定を原動力に政治の活性化にも資するという。さて、時は動き出した。怪物は手なずけられるか。
「あらたまの年の始めのくりやにて水に触れれば時うごきだす」。本紙の歌壇に載った名古屋市の稲熊明美さんの一首だ。くりやは台  :日本経済新聞