2014年4月30日水曜日

2014-04-30

スポーツによって生じる差別意識がはびこる欧米の現実を、日本の明日の姿にしたくない。

2014/4/30付

 1903年に現在のポーランドに生まれたユダヤ系の物理学者フリッツ・ハウターマンスは機知あふれる性格で知られた。ドイツで暮らした時期、何度も言っていたという。「君たちの先祖が森で暮らしていたときに、俺たちの先祖はもう小切手を偽造していたんだぜ」

▼ジョークには重すぎる一言に、差別に抗する精神のギリギリの発露が感じられる。もちろん1人の諧謔(かいぎゃく)が歴史を変えることはなかった。現実はナチスの反ユダヤ政策が彼に亡命を迫り、人生を翻弄した。ハウターマンスの示した精神など不要な世になれば、それに越したことはない。しかし、いまだにそうなってはいない。

▼先の日曜には、スペインの名門サッカークラブ、バルセロナに属するブラジル代表の黒人選手が、試合中に観客席から投げ込まれたバナナの皮をその場でむいて食べ、話題になった。試合後、「11年前からスペインにいるがずっと同じだ」と選手は言ったそうだ。その行為には機転と気丈だけでなく、うら悲しささえある。

▼バナナに罪はないが、使い方次第では黒人を猿と結びつけて侮蔑する道具だ。米国で人気のプロバスケットでも黒人差別が問題になっている。スポーツが解き放つ人の性根に潜んだ差別意識を退治しようとして退治しきれない。そんな欧米の現実を、無観客のサッカー試合があったばかりの日本の明日の姿にしたくはない。
1903年に現在のポーランドに生まれたユダヤ系の物理学者フリッツ・ハウターマンスは機知あふれる性格で知られた。ドイツで暮  :日本経済新聞

2014年4月29日火曜日

2014-04-29

富岡製糸場は建物や機械だけでなく、改革に挑んだ物語を伝える世界遺産になってほしい。

2014/4/29付

 勤め先がどこかと聞かれて、得意げに会社の名を言う人もいる。逆に「ごく普通のサラリーマンです」などと口の中でぼそぼそ語る人もいる。世間に名が知れた有名企業なら、相手は「なるほど」と納得した表情になり、聞いたことがない社名だと顔に疑問符が浮かぶ。

▼明治初期に富岡製糸場で働く工員たちは、どうだったか。工場を案内するボランティア男性によれば「全国の若い女性のあこがれの職場だった」という。フランス人教官から洗練された習慣やマナーを学び、官営らしく待遇もよかったそうだ。ここで技能とハクをつけ、他の会社に指導役として転出する工員もいたという。

▼ワインを飲む外国人の姿が「生き血を吸われる」と恐れられた時代である。それでも日本中から四百人以上が集まった。見知らぬ土地に飛び込んだ本人も、娘を送り出した家族も勇気が要ったに違いない。いま風にいえば「ブラック企業」の風評がもし広がれば、国運を賭けた官営事業は失敗に終わっていたかもしれない。

▼その「富岡」が世界文化遺産に登録される見通しとなった。海外に名が知られ、来訪者も増えるだろう。たしかにレンガ造りの工場は立派だが、建物や機械など「モノ」だけを見学するのなら物足りない。工業化への道の裏側には、悩みながら改革に挑んだ地域社会と人がいる。変革期の物語を伝える名所になってほしい。
勤め先がどこかと聞かれて、得意げに会社の名を言う人もいる。逆に「ごく普通のサラリーマンです」などと口の中でぼそぼそ語る人  :日本経済新聞

2014年4月28日月曜日

2014-04-28

介護のために離職・離散する家族が増えている中、担い手への手助けや心配りは十分か。

2014/4/28付

 年をとってから認知症になる人をあまり見かけない職業が2種類ある。毎月1000人近い認知症患者を診察するという専門医の長谷川嘉哉さんが、自身の経験などから、そんな見方を披露している。作家や音楽家、画家などの芸術家と、やり手の創業経営者だという。

▼感情を遠慮なく表現し、逆境も楽しむ。そうした人は比較的、認知症と縁遠い。頭を使うと認知症の防止になるというが、毎日同じような仕事で頭を使っても効果は乏しいそうだ。とはいえ自由奔放に生きられる人は多くない。むろん芸術家などもリスクゼロではない。誰もが無関係ではいられない話と覚悟すべきだろう。

▼2007年、徘徊(はいかい)中の認知症男性(当時91)が電車にはねられ死亡した。同居する妻が数分間うたた寝をした間に1人で家を出たのだ。鉄道会社は損害賠償を求め、先日の控訴審判決は妻(同85)に約360万円の支払いを命じた。老いや病で自立困難なとき、夫婦は介護や監督の義務がある。それを怠ったという理由だ。

▼認知症患者は約300万人。25年には470万人になると政府はみる。判断力は陰っても感情やプライドは大人。集団生活よりも、慣れた自宅で暮らすのが望ましいとされる。介護する人もされる人も認知症という「認認介護」や、家族が介護のために離職・離散する例が増えていく。担い手への手助けや心配りは十分か。

2014年4月27日日曜日

2014-04-27

世間の不祥事によく登場する「欠」だが、元々の由来の欠伸のような緩さが人生に欠かせない。

2014/4/27付

 「みんな欠伸(あくび)をしていた」――。1959年に刊行された三島由紀夫の小説「鏡子の家」の、よく知られた書き出しである。戦後10年あまり、ある資産家の娘の邸宅に集う4人の男の物語だ。かれらの抱える退屈さと時代の空気を、三島は冒頭の一文で言いあらわした。

▼作品に出てくるような金持ち令嬢のサロンには縁がないが、近ごろの陽気だとうっかり人前で大あくびをしそうになり、慌てて口を覆うことがある。「欠」という字はそれだけであくびのことで、口を開けて立つ人を横から見た形だという。そう知って駅のホームなど眺めやればあちらもこちらも欠、欠、欠……の春日だ。

▼しかし「欠」といえば頭に浮かぶのはもっぱら「欠ける」のほうだろう。欠陥、欠如、欠落などと、世間の不祥事を語るときにこの文字はしょっちゅう登場する。こちらの意味の「欠」は本来は「缺」という字だったが、かつて当用漢字を決めるときにあくびの「欠」で代用させた。思えば大ざっぱな漢字改革だったのだ。

▼もともとはユルい風情だった「欠」の字も、そんなわけで現代ではすっかりあくびの面影が薄れた。せめて古典にこの字の本当の味わいを求めようと興膳宏さんの「漢語日暦(ひごよみ)」をひもとけば、白居易の朝寝の詩がある。いわく「枕を転じて重ねて安寝し、頭(こうべ)を廻(めぐ)らして一たび欠伸(けんしん)す」。こういう「欠」が人生に欠かせない。
「みんな欠伸(あくび)をしていた」――。1959年に刊行された三島由紀夫の小説「鏡子の家」の、よく知られた書き出しである  :日本経済新聞

2014年4月26日土曜日

2014-04-26

近所の花や草を名前で呼ぶと親しみがわき、身近にある植物の豊かさを再度実感できる。

2014/4/26付

 小学校の放課後に子どもたちを預かる学童クラブで、愉快な話を聞いた。みんなで使う文房具一つ一つに名前をつけているというのだ。たとえば赤いはさみは「はなこ」で、青は「こたろう」。「ナンシー」「ダニエル」といった外国生まれ?のホチキスもあるらしい。

▼「ねぇ、はなこ貸して~」。名前がつくと、子どもたちはそれだけで丁寧に扱い、使った後もきちんと片付ける。人でもモノでも、名前を知って、名前で呼んではじめて親しみがわくということであろうか。職場でも「課長」などと肩書で話しかけるよりは、名前を口に出してみた方が風通しはずいぶん良くなる気がする。

▼「雑草という名の草はない」は、昭和天皇が語った言葉だ。それぞれの草に名前があり、それぞれに生きている。たしかにこの季節、雑草だと思っていたら庭の片隅や道ばたで愛らしい花を咲かせていることに気づき、驚くことがある。慌てて植物図鑑を引っ張り出してみれば、それとおぼしき名前にたどり着くのである。

▼今年もゴールデンウイークがめぐってきた。「昭和の日」や「みどりの日」が続く大型連休である。すがすがしい初夏の一日、家族で近所の花や草の名を調べてみるのも楽しいのではないだろうか。咲き競うパンジーやチューリップなど定番の花々だけでなく、身の回りに生きる植物の豊かさを改めて感じることができる。
小学校の放課後に子どもたちを預かる学童クラブで、愉快な話を聞いた。みんなで使う文房具一つ一つに名前をつけているというのだ  :日本経済新聞

2014年4月25日金曜日

2014-04-25

国益や思惑で難航するTPP交渉に、日米代表2人の本能は合意のへ答えを導き出せたのか。

2014/4/25付

 第34代のアメリカ大統領アイゼンハワーが「私が最もいやなのは、へたな手紙にサインしなければならないときだ」と言ったそうだ。当時の副大統領で後に大統領になったニクソンが著書で明かした話だが、部下の代筆に署名だけ、では面白くないことが確かにあろう。

▼首脳同士が話し合ってから公にする共同声明にも、舞台裏で部下が準備万端整え、2人の署名にせいぜい握手を加えて、という場合が往々にしてある。ところが、きのうの安倍首相とオバマ大統領は予定していた共同声明の発表を見送り、部下に協議を続けるよう命じた。ガチンコ勝負のふうがうかがえ、悪い話ではない。

▼異例のなりゆきは環太平洋経済連携協定(TPP)の交渉がいかに難物かの証しでもある。「変化(チェンジ)」を標榜してオバマ氏が就任したのが5年前。熱はあらかた冷め、中国やロシアで起こる変化への対応に追われるばかりの米国にとって、TPPは世界の枠組みを望み通りチェンジさせる数少ない切り札である。

▼安倍さんも国益に加え国会や選挙民の思惑も背負っている。が、難しいのはお互い先刻承知だろう。ニクソンの本によれば、ドゴール元仏大統領は「神との間に直通電話があると信じ、決断するときは神の声を聞くのだ」と評されていたという。神の声とは本能のことらしい。はたして2人に「合意」の声は聞こえたのか。
第34代のアメリカ大統領アイゼンハワーが「私が最もいやなのは、へたな手紙にサインしなければならないときだ」と言ったそうだ  :日本経済新聞

2014年4月24日木曜日

2014-04-24

人災の教訓を生かす道は長く、歳月を重ねても忘れるなと海底のセウォル号は発している。

2014/4/24付

 韓国語というとハングル文字の印象が強いけれど、もともとは漢字を使っていた。語彙の6~7割が漢語由来とされ、それを韓国式に音読みしてハングルで書いているわけだ。たとえば食堂はシクタン、料理はヨリ。耳にすれば戸惑うが、そこには漢字がひそんでいる。

▼珍島沖で沈没事故を起こしたセウォル号のセウォルも、漢字だと「歳月」である。日本でもよく使う言葉だが、韓国ではもっとなじみが深いらしい。演歌の歌詞にも、過ぎた歳月を忘れて――などと頻繁に登場する。そんな親しみある名をいただき、多くの修学旅行生を乗せた旅客船の、なんというむごい最期だったろう。

▼発生から1週間たったというのに、捜索や救助ははかどらない。そのいらだちもあってか韓国の人々のあいだには、惨事を招いた社会のひずみを問う声が高まっているという。安全を顧みぬ効率至上主義、真っ先に逃げ出した船長が物語る職業倫理の崩壊……。失意はあまりに深く、さまざまな不信が渦巻いているようだ。

▼こういう痛恨事は、しかし、なにも韓国だけの話ではない。安全、安心が売り物の日本でも人災は数知れず、3年前にはあの原発災害が起きたばかりだ。そのたびに来し方を振り返り、教訓を糧にしようとするのだが道は長い。どんなに歳月を重ねても失敗を忘れるなと、海底のセウォル号は信号を発しているに違いない。
韓国語というとハングル文字の印象が強いけれど、もともとは漢字を使っていた。語彙の6~7割が漢語由来とされ、それを韓国式に  :日本経済新聞

2014年4月23日水曜日

2014-04-23

歴史叙述は動機や内面にも迫ることが大事で、それが不明瞭な閣議議事録はいかがなものか。

2014/4/23付

 イタリアのフィレンツェはルネサンスが花開いた都市だ。19世紀の文化史家ブルクハルトによれば、歴史叙述の仕方も進歩した。政治の出来事を並べるだけではなく、指導者たちが権力闘争に駆り立てられる動機や彼らの内面にも迫り、そこから何かをつかもうとした。

▼政治思想家マキアベリが晩年に著した「フィレンツェ史」もそうした新しさがある。メディチ家支配下のこの街で次々に起こった抗争の様子を詳しく描きながら歴史に学ぼうとした。国は秩序ある状態から無秩序へ、そして再び秩序ある状態へと移り変わる。敗者もまた立ち直るための時間を持っている――などと書いた。

▼政府が首相官邸のホームページで閣議の議事録の公開を始めた。政府の最高意思決定の場でどんなやり取りが交わされているかを知ることは、この国の動きをしっかり理解し、後世の人たちにも役立ててもらうため必要だ。議事録を公開するのは1885年に内閣制度が発足して以来、初めてだという。遅すぎた感がある。

▼問題は閣僚のやり取りが中身のあるものかどうかだ。閣僚懇談会を含めきのう公開された今月1日分の議事録をみる限り、事前に準備された資料に沿ったとおぼしき発言が並んでいる。形式的な発言からは、いま起きていることの背景や本質をくみ取るのが難しい。期待して議事録を見たのちの歴史家は何を思うだろうか。
イタリアのフィレンツェはルネサンスが花開いた都市だ。19世紀の文化史家ブルクハルトによれば、歴史叙述の仕方も進歩した。政  :日本経済新聞

2014年4月22日火曜日

2014-04-22

現代人は季節変化を見過ごし不調がちなので季節毎の祝祭で心体の再生を促してはどうか。

2014/4/22付

 戦国武将の黒田官兵衛は、キリシタンだった。秀吉の「九州攻め」の総司令官として戦う間も、教会建設や布教に東奔西走。宣教師を支援して多数の大名、家臣に伝道した。「住民すべてがキリスト教徒の国」を建設する夢を抱いていたそうだ(フロイス「日本史」)。

▼大分・中津に居城を定めた1587年のイースター(復活祭)に大規模な洗礼式を行い、多くの武将を改宗させた。イエスの復活を祝う最大の祭日で、布教への情熱も高まったらしい。いまでも教会によっては、深夜から始まるミサに、ロウソクを手に信者が集まる。夜を徹して祈りを捧(ささ)げ、賛美歌を合唱して再生を祝う。

▼20日にかけて東京で開いた第5回「六本木アートナイト」も徹夜の催事だった。作品を展示した街角や美術館に数十万人が集い、踊り、パレードに参加した。この時節、各地で開かれる祭りは、大なり小なりよく似ている。それもそのはず。復活祭と同様、厳冬を抜け出て、やっと到来した春を喜ぶ気持ちが重なるからだ。

▼季節ごとの祝祭には、自然のリズムに合わせて、心や体の再生を促す力があるという。戦国武将も昔の為政者も機微に通じていた。だが、忙しい現代人は季節の変化を見過ごし不調を招きがち。ときには立ち止まり若葉の梢(こずえ)を眺めてはどうか。特別な力があると信じられている、祝福に満ちた陽光がきらきらと降ってくる。
戦国武将の黒田官兵衛は、キリシタンだった。秀吉の「九州攻め」の総司令官として戦う間も、教会建設や布教に東奔西走。宣教師を  :日本経済新聞

2014年4月21日月曜日

2014-04-21

春の大安の結婚式に苦言を呈した、佐佐木茂索の祝辞の偏屈、気骨さにはほれぼれする。

2014/4/21付

 一流の近代国家には一級の辞書がなければならぬ。というわけで、政府が命じて明治期に編まれた初めての本格的な国語辞典が「言海」である。4分冊がすべて完成したのが123年前のあす4月22日なのだが、出版を祝う会にまつわる福沢諭吉の逸話が伝わっている。

▼会の次第を見ると祝辞の順が伊藤博文の次である。もう首相も経験していた伊藤は比肩する者のない政界の大物だ。しかし諭吉は言った。「学問について政治家と相伍(あいご)するわけにはいかない。ましてその後になるとは。自分ひとりの名誉だ恥だという話ではない、日本の学問のためだ」。結局、次第から諭吉の名が消えた。

▼偏屈か気骨か。どちらともいえようが、語らずして発した強烈なメッセージではある。春の大安の日曜日、やり方はいろいろになったとはいえ、きのうの結婚式で席次づくりに悩んだりスピーチに汗ばんだりした方も多いだろう。式帰りの人の列に諭吉の顔が浮かび、もう一つ、山口瞳が書き残した名祝辞を思い起こした。

▼眠狂四郎を生んだ人気作家・柴田錬三郎の娘さんの挙式が帝国ホテルであった。末席からは花嫁が見えぬほどの盛会で、立ったのは文芸春秋の社長も務めた佐佐木茂索。ただ「シバレンが結婚するわけではあるまいし……」と言ってしばし黙り、それで着席してしまったという。その偏屈、気骨。ほれぼれするほどである。
一流の近代国家には一級の辞書がなければならぬ。というわけで、政府が命じて明治期に編まれた初めての本格的な国語辞典が  :日本経済新聞

2014年4月20日日曜日

2014-04-20

人や社会の素顔を描く文学の豊かさは、一歩間違えれば誰かを傷つけるから難しいなあ。

2014/4/20付

 若い教師が地方都市の旧制中学に赴任した。ところが生徒からは嫌がらせを受け、教師の多くは事なかれ主義だったりゴマすりだったり。あれこれトラブルが続き、短期間で辞職、東京の実家に戻ることを余儀なくされた。こう聞くと、どんなひどい町や学校かと思う。

▼お分かりだろうが作品は夏目漱石の「坊っちゃん」、舞台は漱石が実際に教師を務めた愛媛県の松山市とされる。いま松山では、この作品の名を掲げた文学賞を設けるなど町おこしに大いに利用している。ただし10年ほど前のアンケートでは、地元が悪く描かれており不快だという人も少なからずいた。率直な感想だろう。

▼村上春樹さんがおととい発売の短編集で、2作品について申し入れを受け雑誌発表時から内容を書き換えたと説明している。1つはある北海道の町ではタバコのポイ捨てを「みんなが普通にやっている」のだろうと主人公が思う場面で、架空の町に変更。もう1つはビートルズの歌の関西弁での替え歌。ぐっと縮めている。

▼村上さんは関西出身で北海道とビートルズに愛着を持っているのも有名な話だが、当事者や関係者は許せなかった、ということだ。ヒット曲「襟裳岬」の何もない春、という詞に地元が怒った例もある。揶揄(やゆ)や反語も駆使しつつ人や社会の素顔を描くのが文学の豊かさだが、一歩間違えれば誰かを傷つける。難しいものだ。
若い教師が地方都市の旧制中学に赴任した。ところが生徒からは嫌がらせを受け、教師の多くは事なかれ主義だったりゴマすりだった  :日本経済新聞

2014年4月19日土曜日

2014-04-19

2014/4/19付

 ウイルスと聞けばインターネット空間を思い浮かべることが多くなった。これはこれで現代社会が生んだ難題に違いないが、本物のウイルスの方は昔も今も変わらず人類の大きな脅威であり続けている。この冬もインフルエンザやノロウイルスが各地で猛威を振るった。

▼今度は、はしかが流行の兆しを見せているという。今年の患者数は4月はじめまでに253人で、昨年1年間の総数を上回った。一度は経験する通過儀礼を「はしかのようなもの」と言い表す。しかし現実には、重症化すると千人に1人が命を落とす恐ろしい病である。最近は予防接種を受けていない成人の感染も目立つ。

▼ウイルスの姿は20世紀に入り電子顕微鏡が登場して初めて確認された。孫子の格言に「敵を知り己を知らば百戦危うからず」とある。ウイルスとの長い戦いの歴史を思えば、私たちは敵を知ってまだそれほどたってはいない。今なお新種や亜種が見つかり、変異して薬剤への耐性を獲得する。戦いは果てしなく続くだろう。

▼はしかの感染が本格的に広がるのは毎年5月から6月にかけての時期だという。これからがウイルスの勢いを押さえ込むための正念場となる。感染してしまってからでは遅い。パソコンをワクチンソフトで守るのと同じように、特に乳幼児に対しては予防接種を受けさせることが何より大切だ。まずは備えを固めなくては。
ウイルスと聞けばインターネット空間を思い浮かべることが多くなった。これはこれで現代社会が生んだ難題に違いないが、本物のウ  :日本経済新聞

2014年4月18日金曜日

2014-04-18

賞はお金と切り離せぬ存在で、太宰が受賞していたら無頼派として注目されなかったかも。

2014/4/18付

 昭和11年のことだ。太宰治は芥川賞選考委員の佐藤春夫に懇願の手紙を書いた。「佐藤さん一人がたのみでございます。芥川賞をもらえば、私は人の情に泣くでしょう。どんな苦しみとも戦って、生きて行けます。元気が出ます。お笑いにならずに、私を助けて下さい」

▼その時代に「本屋大賞」があったなら、太宰など全国の書店に「私を助けて下さい」と手紙を出しただろうか。なにしろ既存の文学賞と違って作家は選考にいっさい関わらず、書店員たちの「イチオシ」で受賞作が決まるのだ。11回目の今年は479書店・605人の投票を経て和田竜さんの「村上海賊の娘」が選ばれた。

▼回を重ねるごとに注目度が高まり、いまや芥川賞・直木賞をしのぐほどである。和田作品は受賞後1週間で40万部ほど増刷されたという。編集者が候補作を挙げ、エライ先生方が料亭にこもって品定め――というプロセスを否定した読者感覚がビジネスに直結するのだろう。こんなに作家のふところを潤す賞はないそうだ。

▼批判も少なくないが、そもそも賞というものがお金と切り離せぬ存在だから悩ましい。太宰は佐藤への懇願むなしく賞金500円を逃し、次は川端康成に訴えた。「最近やや貧窮、経済的に救われたなら、私、明朗の蝶蝶(ちょうちょう)……」。結局このときも選に漏れたが、受賞していたら無頼派・太宰は生まれなかったかもしれない。
昭和11年のことだ。太宰治は芥川賞選考委員の佐藤春夫に懇願の手紙を書いた。「佐藤さん一人がたのみでございます。芥川賞をも  :日本経済新聞

2014年4月17日木曜日

2014-04-17

ロシアの主権がはびこるウクライナでの対立、世界はこの解決策を有すると切に願いたい。

2014/4/17付

 歴史の墓場に眠っていたはずの幽霊を、現実が呼び覚ますことがある。ウクライナとロシアの対立をめぐって時に語られる「制限主権論」という言葉もそうだろう。もとは、社会主義体制全体の利益のためには個々の国の主権は制限されることがあるという理屈である。

▼結局、理屈は社会主義を守るのでなく旧ソ連を守るためにあった。一人前はソ連だけ、東欧の国々は半人前で「衛星国」と呼びならわされた。半人前が不遜な挙にでれば、一人前が武力で押さえ込んだ。それでも、1968年の「プラハの春」の後のような悲劇は東西冷戦の副葬品として墓場送りになったはずだったのだ。

▼そこに住む人の意思という名分を盾にクリミア半島を奪ってしまったのだから、いま、ロシアはウクライナを半人前どころか子ども扱いである。それでは済まない。ロシア人が多く住むウクライナの東部では親ロ派勢力とウクライナの治安部隊がぶつかり、プーチン大統領が「内戦寸前」という事態にまで立ち至っている。

▼起こりうるのは内戦なのか、それともロシア軍も加わった内戦以上のものなのか。防ぐ手立てはあるのか。クリミアはもはやロシアの持ち物なのか。そしてつまるところ、ウクライナを跋扈(ばっこ)する幽霊をもう一度墓場へと送り返せるのか。日々発せられる難問を解く知恵を世界は持っている、とこれほど思いたいことはない。
歴史の墓場に眠っていたはずの幽霊を、現実が呼び覚ますことがある。ウクライナとロシアの対立をめぐって時に語られる「制限主権  :日本経済新聞

2014年4月16日水曜日

2014-04-16

氷見の獅子舞が面した伝統存続の危機に対し、集落が一丸となり対処する姿に元気をもらう。

2014/4/16付

 寒ブリなど豊かな海産物で知られる富山県氷見市は「獅子舞の里」と呼ばれたりもする。市内の100を超える集落で、春や秋のお祭りに合わせて獅子が舞うからだ。4月は春のお祭りが集中する時期。太鼓やカネ、笛の音、そして囃(はや)し声が、あちらこちらで聞こえる。

▼「日本書紀」によれば、獅子舞が中国から伝わってきたのは7世紀。長い時をかけて日本の風土に根を下ろし、土地ごとに独自の成長をとげてきたらしい。氷見の獅子舞は、天狗(てんぐ)やその仲間が刀や薙刀(なぎなた)を振るって獅子と対決する物語性が、特徴の一つ。大勢で舞う「百足(むかで)獅子」と呼ばれるタイプの中でも勇壮な部類だとか。

▼伝統芸能のご多分に漏れず、氷見の獅子舞も時代の波に激しく洗われている。とりわけ影響が大きいのは少子高齢化の荒波だ。伝統的に獅子舞を担ってきたのは、10代半ばから30歳までの男性が集まった「青年団」。だが、その世代の男性が足りなくなっている集落が少なくないのだ。やむなく断念しているところもある。

▼それでも何とかやりくりしている集落が目立つ。かつての青年団員、つまり中高年のオジさんたちも加わって、保存会を立ち上げる。舞い手が集まりやすいように、日程を調整する。従来は裏方だった女性たちが参加する……。世の中の移り変わりにしなやかに対処しながら伝統を守っていこうとする姿に、元気をもらう。
寒ブリなど豊かな海産物で知られる富山県氷見市は「獅子舞の里」と呼ばれたりもする。市内の100を超える集落で、春や秋のお祭  :日本経済新聞

2014年4月15日火曜日

2014-04-15

最後まで咲き切り見事に散った後に芽吹く桜の若葉から、潔く生きる勇気が伝わってくる。

2014/4/15付

 何十万枚か。それとも何百万枚だろうか。桜の花が満開のころ、日本全国でどれだけ多くの人が、携帯でシャッターを切ったことだろう。明日では遅い。今を逃せば、もう散り始めてしまう。人の背中を押し、何かせわしい気分にさせる霊力が、桜の花にはあるらしい。

▼けれども、散る時期の桜の見事さも忘れたくない。最後の瞬間まで気力を張って咲き切り、ふと思い立ったかのように飛び去っていく。今その花びらが、色あせないまま地面や川面を覆っている。「風にちる花の行方は知らねども、惜しむ心は身にとまりけり」。西行は咲くだけでなく、人の心の内に残る桜を多く詠んだ。

▼西行が登場する世阿弥の能に「西行桜」がある。西行は嵯峨の山奥の庵(いおり)で、ひとり静かに桜を楽しみたいが、都からガヤガヤと花見客が押しかけて来る。「人が群れるのが桜の欠点だ」とこぼすと、老人の姿をした桜の木の精が現れて、こう反論する。「わずらわしいと感じるのは人間の心の問題であり、桜の罪ではない」

▼桜の気持ちになってみれば、ただ咲き、ただ散るだけかもしれない。人間から見るとそれは出会いと別れになる。木の精は「あと少し、あと少し」と舞い続けるが、夜明けとともに姿は消え、後に花が散り敷いていた。桜の季節が終わる。寂しさは胸にしまい、芽吹く若葉を見上げてみる。潔く生きる勇気が伝わってくる。
何十万枚か。それとも何百万枚だろうか。桜の花が満開のころ、日本全国でどれだけ多くの人が、携帯でシャッターを切ったことだろ  :日本経済新聞

2014年4月13日日曜日

2014-04-13

日本文化輸出のための課題は人材育成で、多様な人材を生かせるかどうかがカギである。

2014/4/13付

 タイのバンコクに近年できた「ターミナル21」という商業ビルは、階ごとに異なる海外の街を「再現」したのが特徴だ。パリ、ロンドン、サンフランシスコなどと並び東京をテーマにした階もある。内装を見ると、タイの人が東京の何に魅力を感じているか垣間見える。

▼等身大の相撲取りの人形が2体、本物の柱を相手にけいこしている。床に目を転じると横断歩道が描かれている。壁には「原宿」など山手線の駅名表示やコスプレ写真。ずらり並んだちょうちんには「奇想天外」「完全無欠」などの熟語。落ち着いた洋服店などが並ぶ他の階と違い、お祭りのような楽しさが際立っている。

▼自由で楽しく便利な日本の文化や消費生活に興味を持つ人が、世界で増えている。日本をもっと深く知りたいと思ってもらうにはどうするか。政府は昨年、映像や和食などの文化産業を支援するファンドを官民共同で立ち上げた。5年間で1500億円を投じ、ホテルを改装し茶室をつくるといった事業に投資するそうだ。

▼ある演劇人は、目先の資金より「人」の育成が課題だという。それぞれの国に合う演目を選び、いい劇場を押さえ、宣伝に助言する。そんな人が世界にほしいと語る。一から育てるのもいいし、海外在住者や外国人に頼るのもいい。文化輸出のカギは、多様な人材を生かせるかどうかにある。普通のビジネスと変わらない。
タイのバンコクに近年できた「ターミナル21」という商業ビルは、階ごとに異なる海外の街を「再現」したのが特徴だ。パリ、ロン  :日本経済新聞

2014年4月12日土曜日

2014-04-12

不通のJR山田線を抱える三鉄は無駄の多い状態だけど被災地を元気にする誇り高い存在だ。

2014/4/12付

 誰が言いだしたのか「盲腸線」という言葉がある。鉄道の本線からちょこんと突き出した支線のことだ。行き止まりのその形もさることながら、こういう路線の大半は乗客もごく少ない無用の長物と見なされ、それが人みな腹中に抱える盲腸と同じ、というわけだろう。

▼そんな比喩に使われる盲腸、いや正しくは盲腸から突き出ている虫垂なのだが、最近の研究では役立たずどころか意外に大切な組織だとわかってきたそうだ。先日の本紙によると、虫垂は免疫細胞をつくって大腸や小腸に供給し、腸内細菌のバランスを保っていることを大阪大などのチームがマウスで明らかにしたという。

▼虫垂を切り取ったマウスとそうでないマウスを比べると、切除されたほうの大腸は免疫細胞が半減していたとのことだ。失って初めて知るそのありがたさだが、かつて廃止された盲腸線にもそうした効用は少なからずあったろう。赤字に苦しみ、やむを得ず消えたとはいえ、鉄道のない寂しさは地域をまた廃れさせもする。

▼岩手県の第三セクター、三陸鉄道が北リアス線、南リアス線の全線で運行を再開した。東日本大震災で大きな被害を受けながら復活できたのは、鉄道への熱い思いがあったからに違いない。南北リアス線をつなぐJR山田線は不通のままだから、三鉄はいま盲腸線状態だ。けれど被災地を元気にする、誇り高き盲腸である。
誰が言いだしたのか「盲腸線」という言葉がある。鉄道の本線からちょこんと突き出した支線のことだ。行き止まりのその形もさるこ  :日本経済新聞

2014年4月11日金曜日

2014-04-11

ブッシュ前大統領の絵画を揶揄したいところだが人生を豊かにする趣味は結構ではないか。

2014/4/11付

 「あなたの仕事は、私の体のなかに捕らわれの身になっているレンブラントを解放してやることだ」。絵を習っていて、先生にそう注文したというユーモアの感覚は大したものだ。かくして世に出た当代のレンブラントは、光と影の画家とは似ても似つかぬ作風である。

▼アメリカのブッシュ前大統領が引退後に油絵に手を染め、テキサス州のダラスで展覧会を開いている。目玉が首脳外交で相まみえた世界の指導者20人あまりの肖像画である。ブレア、メルケル、サルコジ、プーチンといった面々に並び、小泉元首相を描いた一枚も飾られている。映像を見る限り、うーん、似顔絵にみえる。

▼先日は英紙に投書を見つけた。「ブッシュ政権を酷評した私がこんなことを口にするとは考えもしなかったが、その“芸術”作品を見て、彼は政界に居続けるべきだったと思った」。なるほど、標的は諧謔(かいぎゃく)まじりの旦那芸である。レンブラントを期待したってやぼというもの、皮肉や揶揄(やゆ)でさばくのが世界に通じる粋だろう。

▼水彩画を描いたチャーチル元英首相の著作に触発され、絵画を始めたそうだ。そのチャーチルは「趣味を持とう。人生の終盤に新たに興味を持てるものを見つけるのは難しい」と言い、前大統領は「絵は私の人生の最終章を豊かにしてくれた」と喜んでいる。結構ではないか。人目にさえ触れなければ、などとは申すまい。
「あなたの仕事は、私の体のなかに捕らわれの身になっているレンブラントを解放してやることだ」。絵を習っていて、先生にそう注  :日本経済新聞

2014年4月10日木曜日

2014-04-10

STAP細胞騒動での小保方さんのチグハグな弁明が、苦しい言い訳ではないと信じたい。

2014/4/10付

 きのうヨシミにきょうハルコ……などと冷やかすつもりはないけれど、なんだか日替わりのように「時の人」が謝罪、釈明、反論の記者会見に出てきてテレビ桟敷もあわただしい。8億円問題の渡辺喜美先生に続き、こんどはSTAP細胞の小保方晴子さん登場である。

▼いかにも政治家の、のらりくらりの弁解が退屈だったみんなの党前代表に比べると、理化学研究所という大組織を向こうに回した若き女性研究者の姿は見ものではあった。問題が問題だから専門用語が飛びかう一方で涙あり声張り上げての訴えあり。世間に記者会見なるもの数々あれど、こういう混沌ぶりは珍しいだろう。

▼「STAP細胞の作製には200回以上成功している」とは驚きの「新事実」だ。しかしそんな名手が論文は自己流で「不注意、不勉強、未熟さ」ゆえにおかしなものを仕上げてしまったとはじつにチグハグである。そういうことがありうる気もするが、その乖離(かいり)があまりに奇妙で画面のなかの人に目を凝らすほかはない。

▼奇妙といえば彼女と一緒に研究を続け、論文執筆を手伝った先輩同輩の感覚もいよいよ謎である。今回の会見をどんな思いで眺めたことだろう。それにしても科学の世界からはひどく遠いところにきてしまったこの騒ぎ、つまるところ証拠物件があるかないかの勝負だ。ヨシミの「熊手」とは話が違う、と信じたいのだが。
きのうヨシミにきょうハルコ……などと冷やかすつもりはないけれど、なんだか日替わりのように「時の人」が謝罪、釈明、反論の記  :日本経済新聞

2014年4月9日水曜日

2014-04-09

小林一三も出世は遅かったので、工夫を怠らず新入社員を育成すれば大成することもある。

2014/4/9 3:30

 小林一三といえば、アイデアが泉のように湧いた独創的な実業家である。大正時代、ターミナル駅百貨店の開業や沿線住宅などそれまで誰も思いつかなかった事業を次々実現する。先日、100周年の記念式典を開いた宝塚歌劇を生み出したのも、そのひらめきだった。

▼初めから順風満帆ではなかった。三井銀行に入るが、やる気がない。当時は1月入社だが、小説執筆に没頭して、4月にようやく顔を出した。出世は遅れ、窓際に5年いた。後の活躍からは想像できないほど不遇だった。だが、鉄道事業に転じてから「商売はいくらでもある。仕事はどこにでもある」と目覚め、豹変(ひょうへん)する。

▼この季節、新入社員研修が真っ盛りだ。何をすればいいか、右も左も分からない。緊張気味の新人たちを一日でも早く育てようと、会社は知恵を絞る。自衛隊への体験入隊や地域での草刈りを導入した会社、謎解きで出口を目指す現実版「脱出ゲーム」を採用した企業もある。協調性や団結力などを培う狙いがあるそうだ。

▼研修、配属と進むうちに、新入社員は気がはやるかもしれない。会社間の競争は激しい。社内での先陣争いもある。すぐに頭角を現す同僚もいるだろう。だが、焦ることはない。先は長い。工夫さえ怠らなければ、いずれ芽が出ることもある。小林一三の才能だって、花開くまでに新人時代から数えて14年もかかっている。
小林一三といえば、アイデアが泉のように湧いた独創的な実業家である。大正時代、ターミナル駅百貨店の開業や沿線住宅などそれま :日本経済新聞

2014年4月8日火曜日

2014-04-08

異質から学び自己改革するカイゼンで日本の農業は強くなるのに、農協が保守的では困る。

2014/4/8付

 必要なものを、必要なときに、必要なだけ――といえば、ひろく知られたトヨタ生産方式だ。車を組み立てるときの部品の調達を必要最小限にして、在庫を持たない効率経営を追求するこの方式は、じつは意外なところからヒントを得た。米国のスーパーマーケットだ。

▼スーパーで消費者は、セルフサービスで食料品や日用品を手に取っていく。まさに必要なときに、必要なものを――。この光景に、トヨタ自動車の技術陣はピンときた。日本にまだスーパーが登場していない昭和20年代のことだ。自動車産業の競争力を押し上げた新しい生産方式は、流通業から刺激を受けての産物だった。

▼異質なものに触れることで、自らが変わる。いまトヨタに、農業が学ぶ。コメ生産の農業法人の間では、トヨタ生産方式にならった経営の効率化が広がり始めている。多めに作っていた苗は必要なだけの量にする。田植えや収穫の時間もIT(情報技術)で管理。作業の無駄を徹底的に省いて、資材費や労務費を削減する。

▼野菜や果物にも「カイゼン」が広がれば日本の農業はぐんと強くなる。心配なのは農協に、自己改革の意気込みがあまり感じられないことだ。全国農業協同組合中央会の「革新プラン」は企業との提携などの案が具体性を欠く。国際競争に勝てる農業を、という世の中の期待が伝わっているのだろうか。タコツボでは困る。
必要なものを、必要なときに、必要なだけ――といえば、ひろく知られたトヨタ生産方式だ。車を組み立てるときの部品の調達を必要  :日本経済新聞

2014年4月7日月曜日

2014-04-07

夢を持ち出会いを大切にし達成した矢島さんの軌跡は同世代の人達にも参考になりそうだ。

2014/4/7付

 「次の出荷は5月の下旬」。販売元のホームページに、そう表示している食器がある。生産が注文に追いつかないのだ。底の平らな茶わんや深めの皿のような器が、3点セットで3000円台から5000円台。決して安くはない。想定する使い手は6歳までの幼児だ。

▼商品名は「こぼしにくい器」。内側の上部をちょっとした出っ張りが一周しており、そこで食べ物を押さえればスプーンに載せやすい。生産には手間がかかる。手づくりするのは各地の漆器や陶磁器の職人たちだ。漆器の場合、ふつうなら木を削るのにカンナ2本で済む。この器は形が複雑なので5本を使い分けるそうだ。

▼企画・販売する「和(あ)える」は、矢島里佳さん(25)が慶大卒業と同時に立ち上げた会社だ。中学で茶道、華道を習い伝統工芸に引かれた。大学に通いながら職人を訪ね歩き、週刊誌に記事を書く中で、安い物に押され職人も減っていると知る。技を守るには理解者を増やすこと。それには早くから本物に触れることだ――。

▼こうして伝統技術で作る幼児用品というアイデアが生まれた。ただしこうした技は本来、高級品のためのもの。突飛(とっぴ)な思いつきに協力してくれたのは取材で出会った職人たちだった。今では有名百貨店も和えるの品を扱う。夢を持つこと。出会いを大切にすること。矢島さんの軌跡は同世代の人たちにも参考になりそうだ。
「次の出荷は5月の下旬」。販売元のホームページに、そう表示している食器がある。生産が注文に追いつかないのだ。底の平らな茶  :日本経済新聞

2014年4月6日日曜日

2014-04-06

相次いで水揚げされる深海魚は、気軽に捨てたゴミが海の底まで汚すというメッセージか。

2014/4/6 3:30

 リュウグウノツカイをご存じだろうか。海や湖の底に理想郷があるという竜宮伝説にちなんだ、ロマンチックな名前を持つ深海魚のことだ。大きな目と口は人の顔のようにも見え、赤く伸びたひれが髪の毛を思わせる。人魚のモデルともなった神秘的な生きものである。

▼深海にすむはずのこの魚が、今年に入って各地で見つかっている。漁の網にかかったり浜辺に打ち上げられたりして、日本海側を中心に少なくとも10匹ほどが確認された。リュウグウノツカイ以外にも、ダイオウイカやサケガシラといった深海からの珍客が相次いで水揚げされている。今年は深海生物の当たり年のようだ。

▼深海のこうした生きものが、なぜ人間の前に姿を現すのだろうか。なにしろ生態のほとんどは謎に包まれている。ただ東海大学海洋科学博物館の話を聞けば、人間の側が原因を作っている面もあるようだ。深海魚のミズウオを解剖すると、9割近い確率で胃の中からレジ袋やペットボトルのキャップなどが出てくるという。

▼陸の上で気軽に捨てたゴミが回り回って、海の底まで汚す。物語の中で浦島太郎を背中にのせ、竜宮城へといざなったウミガメも、好物のクラゲと間違ってビニールやプラスチックを飲み込み、死んでしまうことが少なくない。打ち上げられた深海魚は、竜宮から新たなメッセージを届けに来ているということであろうか。
リュウグウノツカイをご存じだろうか。海や湖の底に理想郷があるという竜宮伝説にちなんだ、ロマンチックな名前を持つ深海魚のこ :日本経済新聞

2014年4月5日土曜日

2014-04-05

海外を手本に個性を磨く日本の大学は、急がないと国内の優秀な学生からも見放される。

2014/4/5 3:30

 満開の木々がざわめくようだ。薄桃の雲が千鳥ケ淵、上野公園など名所を覆う。植物分類学の父、牧野富太郎博士なら、まだまだ貧相と言うだろう。なにしろ、東京を桜で埋め尽くし、世界に誇る「花の都」にしよう、上空からの眺めはさぞ壮観と夢を語った人だから。

▼「私は植物の精」というほど草木好きだが、学校嫌いで小学校を2年で中退した。以降は採集、観察に明け暮れ、英語や欧米の植物学も独習した。「学生同様の待遇」(「植物記」)で教室に入れ書籍や標本を見せた東京帝大の寛大さも味方した。新種を多数見つけて世界に知られ、苦難の末、東大講師となり学位も得る。

▼現代の大学も度量が広い。東大などが14日からネットで、講義の無料配信を始める。日本史や国際政治などをビデオで学べ、宿題や試験もある。やる気さえあれば距離や年齢、経済事情も関係ない。大卒資格ではないが、修了証を企業が採用・昇進の参考に使う動きもある。普及すれば学歴の意味もずいぶん変わってくる。

▼少子化や国際競争で大学の役割が変化してきた。優秀な学生を集め、個性を磨かないと生き残れない。実は日本の大学は周回遅れ。手本となった米国の無料講座は世界で1千万人以上が受講し、モンゴルなどアジアからも秀才を次々に発掘している。急がないと国内で進路に悩む学校嫌いの異才からも置いてきぼりを食う。
満開の木々がざわめくようだ。薄桃の雲が千鳥ケ淵、上野公園など名所を覆う。植物分類学の父、牧野富太郎博士なら、まだまだ貧相 :日本経済新聞

2014年4月4日金曜日

2014-04-04

常識にとらわれず感性や好奇心を尊重することも、若者を超国際人に育てる術であろう。

2014/4/4付

 「超」だの「めちゃ」だのというと薄っぺらに聞こえるが、英語で「スーパー」と言い換えればもっともらしいお役所言葉になるものだ。文部科学省が全国の高校56校を「スーパーグローバルハイスクール(SGH)」に選んだというニュースには、そんな感想である。

▼世界を舞台に活躍できる人物を育てようという高校を文科省が応援するのだという。56校には原則これから5年間、毎年1500万円ほどの援助が国から出る。申請は246校からあったというから、スポーツや有名大学進学で名をはせるのと同じように、高校にとっても「国際人育成」の宣伝文句は魅力があるのだろう。

▼もちろん英語を学ぶだけではない。大学や企業、国際機関の力も借りて「深い教養や国際的素養を身につける」という高邁(こうまい)な目的、それこそがスーパーのスーパーたるゆえんなのか。いや、深い教養や国際的素養は一生かけて学ばねばならない難物である。それを安直に目的に掲げる薄っぺらさの方が、むしろ心配になる。

▼物理学者のアインシュタインは常識が大嫌いで、「18歳までに身につけた偏見の寄せ集め」とこき下ろしたそうだ。彼は特別な才能だが、それでも澄んだ感性や好奇心を常識が邪魔する経験は誰にもある。せっかくスーパーと銘打ったのだ。若者に小賢(こざか)しい常識の衣を着せないこと。それも超国際人を育てるすべであろう。
「超」だの「めちゃ」だのというと薄っぺらに聞こえるが、英語で「スーパー」と言い換えればもっともらしいお役所言葉になるもの  :日本経済新聞

2014年4月3日木曜日

2014-04-03

日本の伝統芸能は奥が深いので、新演出をきっかけに興味を持ってもうらう方がいい。

2014/4/3 3:30

 時に情熱的に、時にはしんみりと。伝統芸能の文楽では、太夫が場面を言葉で語り、三味線が音で情景を描く。太夫と三味線が築き上げたその精緻な時空の中で、人形が絶妙な呼吸で物語を紡いでいく。この文楽という日本の一大芸術の主役は、いったい誰なのだろう。

▼美術家の杉本博司さんが新演出を施した「曽根崎心中」が、文楽の地元である大阪で大好評を博した。背景に映像を投映したり、黒子の人形遣いが客席に全身を見せたりと、本来ならご法度とされた大胆な手法が満載である。演じるのは、古典文楽の第一人者の面々。三味線の人間国宝、鶴沢清治さんが作曲を買って出た。

▼人形の動作を指導する振付師は、日本舞踊の名手でもあるそうだ。自分の体を使って美しい人形の動きを表現し、それを見て人形遣いが操作を工夫していく。舞台を見て分かったのは、動き回る人形だけでなく、人形を扱う人々もまた美しく舞っていることだ。フランス公演では人形遣いは「ダンサー」と呼ばれたという。

▼格式が高いのか、国立文楽劇場は普段なかなか客席が埋まらないそうだ。補助金の削減を突きつけて文楽協会と対立した橋下徹市長が、客席から盛んに拍手を送る姿が見えた。伝統が崩れると心配する声もあるが、新演出をきっかけに文楽の魅力に触れる人も多かろう。日本の伝統芸能の奥は深い。入り口は広い方がいい。
時に情熱的に、時にはしんみりと。伝統芸能の文楽では、太夫が場面を言葉で語り、三味線が音で情景を描く。太夫と三味線が築き上 :日本経済新聞

2014年4月2日水曜日

2014-04-02

STAP細胞捏造の悪意のほどはわからず、第一幕の背景にどんな意図があったのか知りたい。

2014/4/2付

 あの華やかな第1幕はまだ2カ月前のことだ。弱酸性の刺激を与えるだけで万能細胞ができるという画期的な発見である。理化学研究所の小保方晴子さんはおしゃれなリケジョ。意表をつく割烹着(かっぽうぎ)。小欄だって、まずそういう物語に飛びついた不明を恥じねばなるまい。

▼第2幕は文字どおりの暗転である。舞台は荒涼として、次から次へと疑惑が噴き出す。ただし肝心のSTAP細胞が存在するのかどうかは謎のまま――となれば、きのうの理研の「最終報告」は解決編の第3幕のはずだと思って誰もが注目しただろう。ところが核心部分では歯切れが悪く、なんだか隔靴掻痒(かっかそうよう)の発表だった。

▼ようするに理研の調査は、論文のチェックに終始している。そこに画像の捏造(ねつぞう)などがあったという結論だから深刻極まるのだが、ならばそういう不正は最初から何ごとかを企(たくら)んでのものだったのかどうか、いわゆる「悪意」のほどはわからない。STAP細胞の存否確認は「調査委のミッション(任務)を超える」そうだ。

▼渦中の人は沈黙を破って「とても承服できかねる」というコメントを出した。混沌たる第4幕が始まる気配だが、いっそ彼女も含め、今回の問題にかかわったみんなが舞台に上がって洗いざらい打ち明けてくれないだろうか。思えば第1幕の、あの念の入った演出にはどんな背景があったのか、ほんとうの物語が知りたい。
あの華やかな第1幕はまだ2カ月前のことだ。弱酸性の刺激を与えるだけで万能細胞ができるという画期的な発見である。理化学研究  :日本経済新聞

2014年4月1日火曜日

2014-04-01

増税前は衝動による買いだめを行ったが、増税後は商品を吟味し倹約して過ごすしかない。

2014/4/1付

 新年度を迎え「さあ、やるぞ」というときに、少しぜい肉がついた気がする。腰回りではない。生活万般、身の回りを見わたしての話である。あれもこれも、とあおられてはいないつもりでも、モノが確実に増えている。バイキングでつい食べ過ぎたときの感覚に近い。

▼消費税率引き上げは17年ぶり。5%が8%になれば国民1人にすると年に5万円ほど出費がかさむ。「税金というのは、ババぬきのババです。自分のところにこなければ、むしろ快感であったりします」と書いたのは劇作家の野田秀樹さんだが、消費税は皆ババを引くようにできている。だからこその買いだめなのである。

▼この時期にまったく後悔のない買い物をした方、それは名人芸に等しい。「駆け込み需要」と聞いては走りだし、1万円プラス税の同じモノが間もなく300円上がると思えば手が伸びる。「ババ怖さ」は当たり前でも、吟味と衝動とを載せた天秤(てんびん)が普段にまして衝動の側に傾くのが、増税前夜に街へ出た人の心中だろう。

▼天秤をこんどは吟味の側に調整し直すのがきょうである。著書「案外、買い物好き」のなかで、作家の村上龍さんがブランドものの魅力から自由になる唯一の方法は「充実した時間を持って、買い物を面倒くさいと思うこと」だと言っている。その境地は至難だが、さしあたっては「倹約」の旗印を掲げて過ごすしかない。
新年度を迎え「さあ、やるぞ」というときに、少しぜい肉がついた気がする。腰回りではない。生活万般、身の回りを見わたしての話  :日本経済新聞