2014年8月31日日曜日

2014-08-31

認知症の母を映した関口氏の映画から、観客は自らの未来の希望や手がかりを得ている。

2014/8/31付

 認知症の母親と暮らし、介護しながらその姿を映像に記録し続けている娘さんがいる。関口祐加さんという。たまった記録を映画にし「毎日がアルツハイマー」との題で2年前に発表。その続編が現在、都内などで公開され、上映期間を延長するヒット作になっている。

▼第1弾の作品に対し「年老いた認知症の母親をさらけ出すとは、という批判もいっぱいあった」と雑誌「シネマ・ジャーナル」で語っている。しかし老いも認知症も、関口さんは恥と思っていない。実際、画面の中の母親はユーモアにあふれる魅力的な人間に映る。お母さんのその後を気にする声も続編制作を後押しした。

▼昔は違った。まじめな母と闊達な娘はしばしば衝突。認知症で喜怒哀楽をはっきり出すようになり、娘とも自由にものを言いあえる関係になった。物忘れなどのいら立ちも、病状が進んでもう感じない。認知症が進行して母の世界は逆に広がった、と関口さん。「最終章に向かっていく母をしっかり撮り続ける」つもりだ。

▼団塊の世代があと数年で70代になる。認知症患者も急増すると予想されている。関口さんの作品も客席に中高年が目立つ。自分はどうなるのか。家族や専門家には何ができるのか……。「忘れるのは幸せ」と語り、イケメン介護士にときめき、娘と笑いあう。そんな母親の姿に、希望や手がかりを得ているのかもしれない。
認知症の母親と暮らし、介護しながらその姿を映像に記録し続けている娘さんがいる。関口祐加さんという。たまった記録を映画にし  :日本経済新聞

2014年8月30日土曜日

2014-08-30

内閣ポストを巡る首相と石破氏のかけひきは、大人の対応で解決したがスッキリしない。

2014/8/30付

 「大統領のラストチャンス」。フランスで26日にあった内閣改造を評し、ルモンド紙がこんな見出しの社説を載せた。なんともベタな言い回しから、政権の経済政策をおおっぴらに批判した大臣の首を側近にすげ替えたオランド大統領の切羽詰まった立場が透けてくる。

▼支持率は10%台、失業率も10%台、経済はゼロ成長。人気も国の行方も先が見えないなか、与党内の対立まで噴き出した末の改造劇を同紙は「有り金はたいた大ばくち」と書いている。翻ってわが国の内閣改造である。一時は安倍首相と石破自民党幹事長がすわ衝突か、と見えたのだが、どちらも大ばくちは避けてみせた。

▼幹事長にとどまりたい石破氏には、だめなら無役になるという選択肢があった。かたや安保法制担当相を示して拒まれた安倍氏にも、石破氏を無役にするという選択肢があった。石破氏は「幹事長を更迭されるいわれはない」と尻をまくれたし、安倍氏は「人事権は自分にある」と大義を振りかざすことができたのである。

▼そうせずに済ませたのが、ご本人方に言わせれば大人の対応であり、懐の深さなのだろう。が、その分はた目には分かりにくさが残った。来年秋の自民党総裁選に向け、二人の懐の奥の埋(うず)み火が赤く燃えさかる日が来ないとはかぎるまい。この間の顛末(てんまつ)を評して「雨降って地固まる」とするのは、ベタに過ぎて気が引ける。
「大統領のラストチャンス」。フランスで26日にあった内閣改造を評し、ルモンド紙がこんな見出しの社説を載せた。なんともベタ  :日本経済新聞

2014年8月29日金曜日

2014-08-29

ツケ代などの消滅時効の統一をきっかけに、身近な民法に触れるのも悪くない。

2014/8/29付

 どなた様に限らず、現金でお願いいたします。こんな貼り紙を、飲食店などでたまに目にする。いまでは「クレジットカードは使えません」を意味することも多いだろうが、もとは「ツケお断り」の意思表示である。裏返せばそれだけツケが通用していたということだ。

▼ツケ払いでたまった飲み代を、年の瀬に店のママさんが徴収して回る。そんな職場風景も昭和の昔はそこかしこで見られた。笑顔を浮かべていても、いつもと違うママの気迫の表情。なにしろその年のうちに取り立てないと、飲み代のツケは1年たつと回収の権利がなくなるのだから無理もない。法律では消滅時効という。

▼民法はこの消滅時効を細かく規定している。飲食代は1年で、弁護士費用は2年、診察料は3年といった具合だ。ややこしさゆえ、トラブルも起きる。そこでこれをわかりやすく、5年に統一する民法の改正案がまとまった。ツケの支払い請求を無視する不心得者にも、少なくともママは5年の長期戦で臨むことができる。

▼法律と聞けばお堅い世界と思うが、改正案には飲み代に限らず身近な問題が広く含まれる。たとえばそれまで規定がなかった家を借りる際の敷金や、商品を買うときの約款についてもルールが設けられる。なじみの薄かった民法を肴(さかな)にして、行きつけの店で一献傾けるのも悪くない。もちろんここは現金払いで済ませたい。
どなた様に限らず、現金でお願いいたします。こんな貼り紙を、飲食店などでたまに目にする。いまでは「クレジットカードは使えま  :日本経済新聞

2014年8月28日木曜日

2014-08-28

高齢者の減少や記憶の忘却により戦争が忘れられてきているので、戦争の記憶を忘れるな。

2014/8/28付

 おととい80歳で急逝した俳優・米倉斉加年さんの生家は福岡市の大きな炭屋で、三和土(たたき)に絵を描くのが幼いころの遊びだった。まだ小学校に上がる前のある日、通りがかりの人に「うまいね。マルは描けるかい?」と声をかけられた。で、しゅっと描いてみせたという。

▼飄々(ひょうひょう)として繊細なその演技を愛する人も多かっただろうが、とても副業とはいえぬ画家、絵本作家としての原点が、しゅっと描いたマルにあった。才能を生かした代表作が絵本の「おとなになれなかった弟たちに…」である。1987年から今日まで、中学1年の国語の教科書(光村図書)にも本人の挿絵つきで載っている。

▼父が44歳で中国に出征した。直後に生まれた弟は終戦間近の7月末、疎開先で栄養失調で死んだ。2歳前だった。「おとなに…」は普通の生活のなかの戦争を書いた。斉加年少年は母の目を盗んで配給のミルクを缶からちゅっちゅっと飲んでいた。「罪悪感はいまも消えない」。米倉さんは昨年、ラジオでそう語っていた。

▼「だから弟の命日には仏前にミルクをあげることに決めたのに、最近はそれすら忘れる。人間って忘れっぽいんですね」。戦争の記憶を持つ人が減っていく、ということは、国の記憶の総体が減るということだ。8月15日が過ぎれば戦争のことはまた来年、といった風潮もある。米倉さんの死が「忘れるな」と訴えている。
おととい80歳で急逝した俳優・米倉斉加年さんの生家は福岡市の大きな炭屋で、三和土(たたき)に絵を描くのが幼いころの遊びだ  :日本経済新聞

2014年8月27日水曜日

2014-08-27

テストの点数で能力評価する世の中の意識は高いが、点数だけが能力を図る指標ではない。

2014/8/27付

 東京大学の入試では0.0001点の差で運命が分かれることがある。センター試験の成績を圧縮して2次試験と合計するから、小数点以下の世界に当落すれすれの秀才英才がひしめくのだ。ちなみに今春の文科1類(前期)の合格最低点は332.7444点である。

▼ということは332.7443点の受験生は涙をのんだことになる。そこには究極の公平さがあるが、人間の能力をみるモノサシとしてはいささか安易だろう。そんな声を背に、昨今は入試改革の動きが慌ただしい。センター試験に代わる「達成度テスト」では受験機会を複数化し、成績は段階別の表示にとどめるそうだ。

▼くだんの東大も2016年度から推薦入試枠を設けるというから、多様な尺度でおもしろい学生を見いだす動きは本物かもしれない。もっともその一方で、文部科学省の全国学力テストをめぐる各地の一喜一憂ぶりなど昔ながらの風景である。今年から学校別の成績公表も可能になっただけに点取り競争が激化しかねない。

▼ペーパーテストの成績は子どもの能力の大きな指標だが、決してそれがすべてではない。当たり前の事実に気づいて大学入試改革は進むけれど、点数なるものへの世の中の意識にはなかなかしぶといものがある。こんどの学力テストの正答率はA校よりB校が0.0001%リード、などという話が出てこなければいいが。
東京大学の入試では0.0001点の差で運命が分かれることがある。センター試験の成績を圧縮して2次試験と合計するから、小数  :日本経済新聞

2014年8月26日火曜日

2014-08-26

原発事故を繰り返さないために、原発建屋汚染水問題の原因を追求し解明を急ぎたい。

2014/8/26付

 雪煙のなかを落ちていった友が残したものは、切れるはずのないザイルのすり切れたような跡だった。井上靖の「氷壁」は親友の墜死の真因を、一緒に登山していた主人公が追う長編小説だ。1955年に前穂高岳で起きたナイロンザイル切断事故が題材になっている。

▼この事故で弟を失った登山家の石岡繁雄氏は原因究明へ独自に実験を重ねた。その結果、切れないとされてきたナイロンザイルが、鋭利な岩角でこすれると切断されやすいことを突き止める。石岡氏の熱意は国を動かした。弟の死から20年後、ザイルの安全基準ができる。製造物責任の考え方を広げるきっかけにもなった。

▼事故を二度と起こさないために一番大事なのは、それがなぜ発生したかを明らかにすることだ。福島第1原子力発電所の事故が起きた時、所長として現場を指揮した吉田昌郎氏(故人)に当時の状況を聞いた記録が公開されることになった。福島の事故は今もはっきりしない部分が多い。「吉田調書」を究明に役立てたい。

▼電源喪失で原子炉を冷やせなくなったのは地震が理由か津波のせいか。吉田氏と政府や東京電力本社との間にはどんなやりとりがあったのか。原因を追究しなくてはならないのは汚染水問題も同じだ。原発建屋から汚れた水が広がるのを防ぐ「氷の壁」は、なぜ十分に凍らないのか。小説の主人公のように解明を急ぎたい。
雪煙のなかを落ちていった友が残したものは、切れるはずのないザイルのすり切れたような跡だった。井上靖の「氷壁」は親友の墜死  :日本経済新聞

2014年8月25日月曜日

2014-08-25

敵兵の価値観をも変えた日本最大の資産は、混乱時でも礼節を失わない日本人の人柄だ。

2014/8/25付

 昭和20年の夏も盛りを過ぎたころ。占領軍の一員として日本に上陸した米国の従軍写真家ジョー・オダネルさんは福岡の農村で、ある墓を見る。木で手作りした十字架に、「米機搭乗員之墓」とある。墜落した米軍機の搭乗員を、地主夫妻が手厚く葬ったものだと知る。

▼「墜落した飛行士も気の毒な死者のひとりですよ」と地主の妻は語った。別の日、ある市の市長宅でごちそうを振る舞われる。奥さんが作ったのだと考え「奥様にお会いしたい」と請うと、市長は穏やかに答えた。「1カ月前の爆撃で亡くなりました」。オダネルさんは動揺し、おわびを述べ、逃げるように宿舎に帰った。

▼敵国日本を憎み軍に入ったオダネルさんは、こうして現実の日本人と交流を重ねる。教会で仲良く並ぶ米兵の靴と日本人の草履を見て、このように皆が平和に暮らせればいいと思うようになった。撮影された写真と体験記は「トランクの中の日本」という題で出版され、2007年の没後も増刷されるロングセラーになる。

▼日本の最大の資産は誠意、寛容、潔さを備えた日本人だとの説がある。戦後、政府と占領軍の交渉でも日本側の誠意が米側の好意を引き出したと、五百旗頭真氏は「占領期」に書いている。オダネルさんの場合も市井の日本人が元敵兵の価値観を変えた例だ。毎年この時期、混乱の中で礼節を失わなかった先人たちを思う。
昭和20年の夏も盛りを過ぎたころ。占領軍の一員として日本に上陸した米国の従軍写真家ジョー・オダネルさんは福岡の農村で、あ  :日本経済新聞

2014年8月24日日曜日

2014-08-24

故・木田元さんが天職に就いたように、本当にやりたい事を一途に追求すれば道は開ける。

2014/8/24付

 ドストエフスキーは極限の体験をしている。反政府運動に加わったかどで投獄。死刑宣告を受け、冬の練兵場に引き出される。刑場の光の中に浮かぶ家族や友人の顔。押し寄せる恐怖と怒り。救いのなさは計り知れない。銃殺寸前、恩赦が伝えられシベリア流刑となる。

▼十数年後、世界的作家となり「罪と罰」「カラマーゾフの兄弟」などの作品を生む。人間の本質に迫る表現の背後に、極限体験があるともいわれる。先日亡くなった哲学者の木田元さんは若き日に耽読(たんどく)し、「主要な登場人物がみな絶望している」と思った。「深く絶望していた」自分を同じ年ごろの主人公と重ねたという。

▼広島の海軍兵学校で終戦。17歳で路上生活者に。闇商売で食いつなぎ、やっと農業の学校に入っても先が見えない。どうすれば不安と絶望から逃れられるか。小説でも救われず悩んでいたとき、独哲学者ハイデガーの「存在と時間」を知る。原書を読めば、生きる道筋が見える。その一心で独学し、東北大学哲学科に入る。

▼絶望は追い払えなかったが、天職は探し当てた。ハイデガー研究の第一人者となり、膨大な業績が残った。本紙「私の履歴書」に「本当にやりたいことを見つけて一途(いちず)にそれを追求していれば、なんとか道は開ける」と書いた。後ろを振り返らずに進むうちに、望みのない人生がいつしか、「面白い人生」に変わっていた。
ドストエフスキーは極限の体験をしている。反政府運動に加わったかどで投獄。死刑宣告を受け、冬の練兵場に引き出される。刑場の  :日本経済新聞

2014年8月23日土曜日

2014-08-23

増税で消費減少する地方の景気回復には、全国へのバラマキでなく、政策の中身が大事だ。

2014/8/23付

 お盆を過ぎたのに連日の猛暑、どうか熱中症にご注意を……などと残暑見舞いの文句を書きかけて、いや違うと筆を止めた関東在住の方は少なくあるまい。今年の夏は東京あたりのカラカラ天気と、大きな災害も伴う西日本などの天候不順との落差がことのほか大きい。

▼景気のほうも首都圏と地方ではずいぶん様子が異なるようだ。たとえば7月の食品スーパーの売上高は、関東では前年同月比で2.0%増えた。ところが中国・四国や近畿、北海道・東北は軒並みマイナスだという。百貨店でも同じような傾向らしく、不安定な空模様がこういう雰囲気に拍車をかけはしないか心配になる。

▼もともと都市部より賃金が低く、それなのにじりじり上がる物価は地方にも容赦がない。おまけにクルマに頼る暮らしだから、ガソリンの高騰が財布にこたえる。そんな事情が重なって東京と地方の乖離(かいり)が広がっているらしい。こんどの消費税アップの影響は軽微、と見定めたい政権にとってはとりわけ悩ましい話だろう。

▼来月初めの内閣改造を控え、この週明けからは政治がそろりと動き出す。こんな景色を目にしては、かねて「全国津々浦々に景気回復の実感を」と唱える安倍首相としても「地方創生」にいよいよ力が入ろうというものだ。さてしかし、中身は何をどうするか。全国津々浦々にバラマキというのでは地方に熱さは戻らない。
お盆を過ぎたのに連日の猛暑、どうか熱中症にご注意を……などと残暑見舞いの文句を書きかけて、いや違うと筆を止めた関東在住の  :日本経済新聞

2014年8月22日金曜日

2014-08-22

半世紀を隔てても変わらぬ黒人冷遇の事件が、人種差別の根の深さを語っている。

2014/8/22付

 成績には何の問題もない一人の黒人の若者が大学への入学を希望する。その願いを町ぐるみで潰しにかかる。最高裁は入学を認めるよう大学に命じ、ついにはケネディ大統領が派遣した軍に守られ、白人群衆が罵声と怒号を浴びせるなか、若者は大学の門をくぐる――。

▼1962年、人種差別意識が強いといわれた米ディープ・サウス(深南部)、ミシシッピ州の名門ミシシッピ大学に初めての黒人ジェームズ・メレディスが入学したとき、こんな経緯があった。白人の暴動で死者まで出た事件から半世紀あまり、いまは黒人大統領を持つこの国を分かつ人種間の壁の高さ、厚さを思い知る。

▼きっかけはやはり黒人の若者だった。ミズーリ州ファーガソンで白人警官が18歳の黒人少年を射殺した。少年は両手を挙げ無抵抗だったとの目撃証言があるという。一方、事件に抗議する黒人の一部が暴徒化し、商店が襲われたりした。オバマ大統領は被害者を悼みつつ、こうした行為を「正義とは逆行する」と批判した。

▼黒人は当たり前のことを求めて白人に妨げられてきた歴史、同じ罪なのにより重い罰を科せられてきた長い歴史を持っている。ミシシッピで黒人の若者一人を護衛した軍と、ファーガソンで黒人と向き合う重装備の警官隊と。半世紀を隔てて現前した二つの異常な光景が、人の心の奥に巣くうものがいかに根深いか、語る。
成績には何の問題もない一人の黒人の若者が大学への入学を希望する。その願いを町ぐるみで潰しにかかる。最高裁は入学を認めるよ  :日本経済新聞

2014年8月21日木曜日

2014-08-21

広島土砂災害は、災害の多い地域で住む工夫をした歴史を忘れるなと教えている。

2014/8/21付

 「浜の真砂(まさご)」といえば古くから数がおびただしいことのたとえだ。万葉集をひもとけば「八百日(やほか)行く浜の真砂(まなご)も我(あ)が恋にあにまさらじか沖つ島守」という歌がある。通り過ぎるのに800日もかかる海岸の砂の多さだって、わたしの果てしない恋心にはかなうまい……。

▼なかなかロマンチックな一首だが、この国にはそれとは正反対の「真砂」もある。記録的な豪雨による土砂崩れで大きな被害が出た広島市の住宅地は「まさ土」と呼ばれる土壌の上にあった。真砂が転じた専門用語で、花こう岩が風化してもろくなった地質を指すという。中国地方などに広く分布し、時として災厄を招く。

▼今回と同じ地域では15年前の夏にも土砂崩れが発生し、たくさんの人が亡くなった。豪雨で地表の「まさ土」が崩れ、それを引き金に次々に大きな崩落が起きる――。そんなメカニズムが指摘され、警告が発せられていたのだが悲劇は繰り返された。宅地開発のありようも避難体制も、あらためて問われなければなるまい。

▼万葉の恋歌を生んだ美しい島国は、古代から天変地異とのたたかいに明け暮れる災害列島でもあった。その経験を糧に自然との兼ね合いを見いだし、住まい方にも工夫を凝らしてきた歴史を忘れるなと、こんどの惨事も教えているのかもしれない。そう胸に言い聞かせるにもつらすぎる犠牲の大きさ痛ましさであるのだが。
「浜の真砂(まさご)」といえば古くから数がおびただしいことのたとえだ。万葉集をひもとけば「八百日(やほか)行く浜の真砂(  :日本経済新聞

2014年8月20日水曜日

2014-08-20

高付加価値バナナの生産に成功した田辺農園の様な経営革新を、国内農業にも期待したい。

2014/8/20付

 世界で1番バナナの輸出量が多い国はどこか。フィリピンではない。南米のエクアドルである。ガラパゴス島で有名なこの赤道直下の小さな国で、バナナ農業に一大革命を起こした日本人がいる。広さが東京ディズニーランド7個分の大農場を経営する田辺正裕さんだ。

▼父親に連れられ、高校生だった47年前に日本から移住した。麻の栽培からバナナへと手を広げたが、ある時「バナナは農産物ではなく工業製品になってしまった」と気づく。農薬や化学肥料をふんだんに使えば短期で成長し、大手企業がどんどん買い取っていく。でも誰がつくっても同じなら、農業の付加価値は先細りだ。

▼そこから孤独な戦いが始まった。茎や葉を発酵させて肥料を作り、ミミズを育てて土を豊かにする。コストは通常の2倍近くかかる。一緒にやろうと地元農家も誘ったが、手間のかかる農法に目を丸くするばかりで、誰もついて来なかった。そのバナナが日本で100円以上で売れている。1房ではなく1本の値段である。

▼たかがバナナ。されどバナナ。丁寧に育てれば、味と香りは格段に良くなる。買いたたかれず、高くても売れる人気商品となる。日焼けした田辺さんは仕事が楽しそうだ。田辺農園の成功は、1次産品の輸出に頼るエクアドル経済に一石を投じた。日本国内の農業はどうだろう。消費者を驚かせる経営の革新に期待したい。
世界で1番バナナの輸出量が多い国はどこか。フィリピンではない。南米のエクアドルである。ガラパゴス島で有名なこの赤道直下の  :日本経済新聞

2014年8月19日火曜日

2014-08-19

日本の天候変化により、季語の持つ深い季節感を失うことは、杞憂であってほしい。

2014/8/19付

 あいの風、という言葉が北陸地方にある。いささかロマンチックに響くけれど、実際には、初夏から盛夏にかけて吹く東風、を意味しているらしい。ところによっては、あえの風と呼んだり、あゆの風といったりする。日本海に面した地域では広く使われているそうだ。

▼奈良時代に越中、つまり今の富山県に国司として赴任した大伴家持が、この言葉を取りこんだ歌を万葉集に残している。「あゆの風 いたく吹くらし」。ひらがなやカタカナがなかった時代なので、まず漢字で「東風」と表し、万葉がなで注釈をつけた。この歌でもうかがえるように、海を荒らす風だ。優雅な風ではない。

▼同じように東風と書いても「こち」と読む場合には、ずいぶんと意味あいが違ってくる。平安時代に菅原道真がよんだ有名な歌が、良い例だろう。「東風吹かば にほひおこせよ 梅の花」。春の到来を告げる風、を意味している。歳時記では「あいの風」は夏の季語。これに対し「こち」の方は、春の季語となっている。

▼このところ日本列島のお天気が変だ。お盆を過ぎたのに前線が居座り、梅雨に戻ったような印象を受ける。地球温暖化のせい、と断言できるわけではないが、そうでない、とも言い切れない。「あいの風」や「こち」といった味わい深い言葉がまとう季節感も、いずれ失われるのではないか。杞憂(きゆう)であってほしい、と思う。

2014年8月18日月曜日

2014-08-18

谷村吉郎の手がけたロビーを再建する息子吉生には、父を超える和の空間を創って欲しい。

2014/8/18付

 明治時代の建造物を移築した愛知県犬山市の博物館明治村は来年で開業から50年になる。貴重な古い建物が取り壊されていくのを惜しみ、この野外博物館の構想を描いたのは、東宮御所や帝国劇場を手がけた建築家の谷口吉郎だ。明治建築の何に彼はひかれたのだろう。

▼れんが造りのなかは天井に竹のすのこが組まれ、窓の光を反射し伸びやかな空間をつくっている教会堂。石造りの壁に花の文様をいくつも刻み、雰囲気を和らげている電話交換局――。明治村に集めたものは、日本で育まれた素材や意匠を西洋建築に上手に織り込んでいる。そこに谷口の視線は注がれていたのではないか。

▼彼自身、日本の文化の巧みな使い手だった。評価が高いのがホテルオークラ東京の本館メーンロビーだ。柔らかな光を生む、そろばん玉のように連なる「切子玉形」の照明は古墳時代の首飾りを模した。テーブルと椅子は上から見ると梅の花のよう。和洋が調和した世界を創り上げたのは明治村が開業する3年前のことだ。

▼本館は老朽化で38階建て高層棟への建て替えが決まった。今のメーンロビーがなくなるのを残念がる声は外国人からも多いが、ホテルに聞くと新しい本館も日本の伝統美を受け継いだ造りにするそうだ。基本計画づくりには谷口の息子で建築家として数々の受賞歴がある吉生氏が加わる。父を超える和の空間を期待したい。
明治時代の建造物を移築した愛知県犬山市の博物館明治村は来年で開業から50年になる。貴重な古い建物が取り壊されていくのを惜  :日本経済新聞

2014年8月17日日曜日

2014-08-17

都市近郊で育った世代増加や若者の車離れにより、帰省ラッシュがなくなる日が来るのか。

2014/8/17付

 この週末で夏季休暇も終わり、という職場も多かろう。まだ夏休みの続くわが子をうらやましく眺めている方もいようか。きのうの土曜日、大荷物を抱えた客でにぎわう東京駅をのぞいてみた。下りの新幹線に「空席あり」の表示が並び、夏も盛りを越えたと実感する。

▼都会へのUターンラッシュはこの週末が山だとニュース番組が伝える。しかし帰省による高速道路の渋滞も、鉄道の混雑も、かつてに比べずいぶんましになった。休暇時期の分散、交通網の充実、自宅を早めに出るなど一人ひとりの工夫に加え、長旅を伴う帰省先を持たない人たちが増えたことも、その一因かもしれない。

▼明治安田生命が現役社会人に夏休みの過ごし方を聞いたところ、「国内旅行」が「帰省」を2年連続で上回った。JTBの調査でも帰省目的の旅行者が減り、グルメや温泉、友人との親睦に休暇を費やす人が増えている。田舎から上京した団塊世代から、都市近郊で生まれ育った世代へ。都会に住む人の変化が垣間見える。

▼今年は燃料代も高騰した。ソニー損害保険によれば、車を持つ人のうち「ガソリン高で帰省中止か手段の変更を考えた」人が、若者を中心に2割弱いた。地方で町や村が消える。休みの時期も過ごし方も分かれる。若者の車離れもある。「昔この国に帰省ラッシュという現象があった」。そう語られる日が来るのだろうか。

2014年8月16日土曜日

2014-08-16

京都五山の送り火や人々の暮らしを灯す火のような、炎の色を深くこころに刻みたい。

2014/8/16付

 見つけたとき、どれほど驚いたか。闇の怖さは薄れ、寒さを防いだ。人々の暮らしは一変し、団欒(だんらん)が生まれた。煮炊きすれば、生と違う香味がした。悪霊も退散すると信じた。大発見の衝撃が起源なのだろう。はるか古代ペルシャで山上神殿の火を拝む宗教が生まれた。

▼そのゾロアスター教が飛鳥時代、伝来していたという仮説がある。かつて、松本清張が小説「火の路」で示し議論を呼んだ。渡来人が伝えた教えが益田岩船など謎の多い遺跡と関連がある。そんな壮大なロマン、大胆な推理を裏付ける記録は見当たらない。祭儀の名残もないらしい。が、どこかに痕跡がないとも限らない。

▼今宵(こよい)、京都では五山の送り火がともる。大文字、鳥居などが夜空に浮かぶ。お盆で戻った精霊を松明(たいまつ)が再び冥府へと送り届ける伝統行事。平安、江戸時代など諸説あって起源は不明だ。拝火教では、火は魂を天上に蘇(よみがえ)らせると信じられた。闇を焦がす五山のかがり火は古代の神殿と似た役目を果たしているのかもしれない。

▼送り火は戦中、灯火管制で中止された。街灯も消え、夜道は暗かった。このころ、柳田国男は「火の昔」を書いて火の来歴、明かりのありがたさを説いている。もちろん、当時、国中に降り注いだ火の雨、いまも世界でくすぶる戦さの火は敬えない。山上から魂を導く火。静かに夜を照らす炎の色を深くこころに刻みたい。
見つけたとき、どれほど驚いたか。闇の怖さは薄れ、寒さを防いだ。人々の暮らしは一変し、団欒(だんらん)が生まれた。煮炊きす  :日本経済新聞

2014年8月15日金曜日

2014-08-15

8月15日は、国が発したスローガンにより国民が傷く事の無いよう心構えを新たにしたい。

2014/8/15付

 三つ揃(ぞろ)えを着込み、ふかふかのソファに身を沈める憂い顔の金持ち紳士に向かって、5歳くらいか、その膝にちょこんと座った娘が問いかける。「この大戦争でパパはなにをしたの?」。第1次世界大戦の初期、英国ではこんな図柄のカラー刷りポスターがつくられた。

▼英国は当時、参戦した主要な国の中で唯一徴兵制度がなかった。軍に志願せず子どもの疑問に答えられるのか。身内も肩身の狭い思いをするぞ。ポスターはそんな脅しを込めている。敵味方を問わない大々的な宣伝合戦は第1次大戦で始まった。勃発から100年の今年は「武器によらない戦争」を振り返る試みも盛んだ。

▼結局のところ、戦時に国が国民向けに発するメッセージにはどこも差はない。祖国を蛮行から救え。正義のため立て。家族を守れ……。それでも「必要以上に召使を雇うな」とは英国らしいが、「古着姿を恥じてはいけません」などは「欲しがりません勝つまでは」と見まがう。こうして人々は一色に塗りたくられていく。

▼揚げ句、命を失い、傷つくのは国民である。しょせん子どもだましだ、と高をくくっているうちに安手のスローガンが再び国を覆うおそれは金輪際ないか。ないと言い切ることはできない。せめて惨禍を胸に刻み、もう一色に塗りたくられはしないという心構えをあらたにする。69回目の8月15日は、そうした日でもある。
三つ揃(ぞろ)えを着込み、ふかふかのソファに身を沈める憂い顔の金持ち紳士に向かって、5歳くらいか、その膝にちょこんと座っ  :日本経済新聞

2014年8月14日木曜日

2014-08-14

墓は、残された者が己の心と向き合うためのものなので、近場にあった方が良い。

2014/8/14付

 3代前から東京で暮らしている。祖父母が生まれた広島に、今はつき合う親戚もいないけれど、先祖代々の墓は広島の寺にある。東京で亡くなった祖父母も、広島に長く住んだわけではない父も、そこに眠っている。墓参りに行かねばとも思うが、足が遠のいて久しい。

▼墓とは誰のためにあるのだろう。3.11から半年たった頃、津波の被災地を走った折の光景が忘れられない。建物の跡形もない土地が延々と続く中で、太陽を反射してキラリと光る一画が所どころに現れる。真新しい御影石の墓石が整然と並んでいた。地元の人々が何よりも先に再建したのは、失われた命の居場所だった。

▼親鸞は、墓の下に死者の霊が集まることなどないと教えた。自らの死期が近づいたときに、こう語ったと伝えられる。「某(それがし)閉眼せば賀茂河にいれて魚に与うべし」(改邪鈔(がいじゃしょう))。それでも人は亡き親や友に手を合わせる所がほしい。墓とは去った者のためでなく、残された者が己の心に向き合うための装置であるに違いない。

▼ならば墓は近い方がよい。豪華な本堂の改修やら行事やら、高額の寄進を催促する手紙を送ってくるばかりの寺との関係には、いささか疲れてしまった。そう嘆く声が少なくない。不義理を気に病むより、思い立ったら行ける近場で簡素に樹木葬を、という人も多い。親鸞が現代の宗教の姿を見たら、なんと言うだろうか。
3代前から東京で暮らしている。祖父母が生まれた広島に、今はつき合う親戚もいないけれど、先祖代々の墓は広島の寺にある。東京  :日本経済新聞

2014年8月13日水曜日

2014-08-13

サッカー代表新監督が日本の国民性を理解することはチーム強化のマイナスにはならない。

2014/8/13付

 どちらも最近の話である。ロシアの若い女性記者が言った。「日本人は人前で笑わないと思っていた。私がこれまでに取材した人は誰も笑わなかったわ」。時折スウェーデンから来日する知人にはこう言われた。「日本人は人をからかったりはしないんじゃないのかい」

▼もちろん彼らに悪気はない。「おいおい、そんなわけないだろ」と反論しながら、決して少数ではないであろう普通の外国人に今もある日本人観を垣間見て悄然(しょうぜん)とするのである。サッカー日本代表のハビエル・アギーレ新監督はメキシコ人。記者会見では、サッカー以外について「日本の情報はあまりない」と正直だった。

▼だから、「妻と息子とともに東京に住み、街に出て普通の人々と交流したい」と聞いてホッとする。こちらだって、世界で通り相場になっている「まじめ」一辺倒ではない、大笑いもすれば人をおちょくりもするまことの姿をぜひ見てもらいたい。日本代表を強くするという使命にとってそれはマイナスにならないだろう。

▼46年前、五輪で日本サッカーが銅メダルを決めた3位決定戦の相手が地元メキシコだった。「メヒコ(メキシコ)!」という応援の大合唱が、日本2―0のまま終盤になると、「ハポン(日本)!」に変わったのを思い出す。やけっぱちか、いや日本びいきなのかも。不思議な人々だと思った少年の頃の記憶が鮮明である。
どちらも最近の話である。ロシアの若い女性記者が言った。「日本人は人前で笑わないと思っていた。私がこれまでに取材した人は誰  :日本経済新聞

2014年8月12日火曜日

2014-08-12

終戦の土壇場まで世界に背を向け悲劇を重ねた昭和20年の8月の一日一日が痛恨の日付だ。

2014/8/12付

 広島原爆忌の6日が過ぎ、長崎の惨禍を心に刻む9日を経て、今年もまもなく15日が巡ってくる。8月――。あの8月をかえりみるとき、鎮魂の思いを深くさせる日付だ。けれど昭和20年夏はそれだけではない。69年前の今ごろの一日一日は日本の運命を決していった。

▼たとえばきょう12日は、ポツダム宣言受諾交渉のなかで連合国側の回答が伝えられた日である。文中には「天皇および日本国政府の国家統治の権限は、連合国軍最高司令官にsubject toする」とあった。外務省はこれを「制限の下に置かるる」と意訳したが軍部は憤激した。ずばり「隷属する」と受け止めて身構えたのだ。

▼それぞれに譲れぬsubject to論争ではあったろうが、そうしているうちにもたくさんの人が落命したことを忘れてはならない。13日に長野市、14日に大阪市や山口県岩国市、光市、そして15日未明まで埼玉県熊谷市や秋田市の土崎港周辺には爆弾が降り注いだ。戦争は終わらせるのがいかに難しいものかを知るのである。

▼ポツダム宣言をめぐっては、そもそも7月末にこれを突きつけられて戦争指導者たちは黙殺を決め込んだ。新聞は「笑止!」などと強がった。ところが連合国側は「拒絶」と解釈し、あの8月の悪夢がもたらされたのだ。土壇場まで世界に背を向け、悲劇を積み重ねていった昭和20年夏。その一日一日が痛恨の日付である。
広島原爆忌の6日が過ぎ、長崎の惨禍を心に刻む9日を経て、今年もまもなく15日が巡ってくる。8月――。あの8月をかえりみる  :日本経済新聞

2014年8月10日日曜日

2014-08-10

監視体制を強化し、私達の食生活の安全を支える、工場内での地道な仕事は尊い。

2014/8/10付

 夏休みに親子で楽しむ人気のイベントに、工場見学がある。お菓子や飲み物から機械、自動車、鉄鋼まで。原材料や部品が製造ラインを流れ、だんだん形になっていく。真剣な表情で見入る子どもたちの後ろから、大人たちが「おー」と歓声を上げる光景も珍しくない。

▼今月初め、特別な工場見学に出かけた。契約社員だった男が冷凍食品に農薬を混入した事件で、7カ月間操業を停止していた旧アクリフーズの群馬工場である。この日はマルハニチロの直営工場として再スタートを切って5日目。ポケットのない作業服にマスクを着用し、ボディーチェックを受けた後、案内してもらった。

▼工場内の部屋を出入りするたび、ヘルメットに付いたICタグをセンサーがチェックする。以前には5台しかなかった防犯カメラは、間もなく172台にまで増やす計画だ。強まる監視への戸惑いもありそうだが、現場からは「ちゃんとやっているということを見てもらった方がいい」との前向きな感想が聞かれるという。

▼ピザの最終工程では、2人の女性が段ボール箱を組み立て、流れてくる商品を点検し、梱包していた。休むことなく、手早く、丁寧に。淡々と作業が進む。私たちの食生活は、こうした普段は目に見えないところで支えられている。安全への取り組みを実感する工場見学で一番心に残ったのは、地道な仕事の尊さであった。
夏休みに親子で楽しむ人気のイベントに、工場見学がある。お菓子や飲み物から機械、自動車、鉄鋼まで。原材料や部品が製造ライン  :日本経済新聞

2014年8月9日土曜日

2014-08-09

ネットの豊富な情報を活用し、いい旅を通じた人生を豊かにする刺激を受けてほしい。

2014/8/9付

 「若者よ、旅に出よ」と、思想家の東浩紀さんが近著「弱いつながり」で呼びかけている。同時に、その旅を充実させるために2つ助言をしている。いつも通り携帯端末を持ち歩き、ネット情報をフル活用せよ。同時に、フェイスブックなどでの発信は一切やめよ、と。

▼なぜか。ネットには豊富な情報がある。しかし普段は自分の関心事ばかり調べている人が多いはず。旅先で初めて耳にする知識や地名をすぐ検索することで、縁のなかった分野について知る。それが旅の効用だ。ここで友達向けの報告や投稿に力を入れてしまうと、未知の面白さを見過ごす。もったいないと東さんは言う。

▼検索、ショッピング、投稿・交流のためのサイトなど、ネットを舞台にしたサービスが急速に発達した。使う人の好みや関心に合わせて情報を一覧表示する。本も薦めてくれる。意見の合う有名人とその賛同者の発言だけを日々読み続けることも、今では簡単にできる。あまりの便利さを、ふと恐ろしく感じることがある。

▼デジタル機器は世界を広げるか、逆に狭めるか。すべては使う人次第だろう。ネットをより上手に使いこなすためにこそ、海外や東北の被災地などに実際に足を運び、風景や人、物に出会おうと東さんは語る。夏も盛り。休暇中の学生や若手社会人も多かろう。いい旅を通じ、人生を豊かにするような刺激を受けてほしい。
「若者よ、旅に出よ」と、思想家の東浩紀さんが近著「弱いつながり」で呼びかけている。同時に、その旅を充実させるために2つ助  :日本経済新聞

2014年8月8日金曜日

2014-08-08

原爆投下の証人が亡くなろうとも、我々が原爆から学び、世界に発信すべき声が沢山ある。

2014/8/8付

 戦争が終わって14年たった1959年、精神錯乱だからと米軍の病院に収容されていた元パイロットに手紙が届いた。「私たちが、このお手紙をさしあげるのは、私たちがあなたに対して敵意など全然いだいていないことを、はっきりと申しあげたいからでございます」

▼差出人は広島の少女一同。そして受取人はクロード・イーザリー。原爆を投下したB29エノラ・ゲイとともに作戦に参加した指揮官機ストレート・フラッシュの機長である。戦後も記憶に苦しみ続けたイーザリーは、少女たちの真情にすがるような気持ちをユダヤ人哲学者との文通で明かした(「ヒロシマわが罪と罰」)。

▼「最後のヒロシマ・パイロットの死」。エノラ・ゲイの航空士だったセオドア・バンカーク氏の訃報が先週流れた。滞在中のドイツでテレビに教えられた。長崎を含め、原爆投下に直接関わった搭乗員はこれでいなくなったという。そのことが20世紀最大の出来事の一つの節目になる、その意味では世界のニュースだった。

▼もちろん、節目などありはしない。「原爆が戦争を終わらせた」「後悔はしていない」と回想した多くの搭乗員も、78年に死ぬまで苛責(かしゃく)に苦しんだイーザリーのような人も、証人であり語り部である。しかし、我々が広島、長崎から聞かなければならない声がある。世界に聞いてもらわねばならぬ声が、もっともっとある。
戦争が終わって14年たった1959年、精神錯乱だからと米軍の病院に収容されていた元パイロットに手紙が届いた。「私たちが、  :日本経済新聞

2014年8月7日木曜日

2014-08-07

日本領土を明確にするには、島の存在を確かめ世界に訴え続ける政府の努力が欠かせない。

2014/8/7付

 大海原が広がっていた。天空から降りてきた巨大な矛が水面をかき回す。矛先から滴った海水が積もり、やがて島が出現する。ここにイザナギ・イザナミの2神が降りて結婚。四国、九州などの大八島や海神、風神などを相次いで、産み出す。「古事記」が記す神話だ。

▼潮がひとりでに凝り固まってできたから自凝(オノゴロ)島という。そう名付けられて国産みの島となった。命名は不思議だ。土地も人間もモノも名前がついて初めて、世の中での居場所がはっきりする。なければ、あれそれと指さすしかない。どこなのか。誰なのかも分からない。呼称があれば、自分だけでなく他人にも話が通じる。

▼政府が158の無人島に命名した。日本の領土を明確にする狙いがある。地元での通称を参考に「ゴウゴウ島」「ヘソイシ」「茶釜」など変わった呼び名も正式名とした。これで島の位置づけが、これまでより鮮明になった。だが、尖閣諸島周辺で挑発を繰り返す中国などには話が通じない。すぐに、断固反対を表明した。

▼実は、命名だけでは心細い。名称がいつも現実を裏付けるとは限らないからだ。オノゴロ島にも実在説と架空説がある。哲学者、田中美知太郎も「われわれは名をつけただけで、ものを完全に支配することは出来ない」(「ロゴスとイデア」)と指摘していた。常に島の存在を確かめ、世界に訴え続ける努力が欠かせない。
大海原が広がっていた。天空から降りてきた巨大な矛が水面をかき回す。矛先から滴った海水が積もり、やがて島が出現する。ここに  :日本経済新聞

2014年8月6日水曜日

2014-08-06

笹井氏の死は科学の進歩を遅らせる要因であることを、笹井氏自身に理解して欲しかった。

2014/8/6付

 死者は、どんな厳しい、また見当外れな非難を受けても、聞く耳がない。傷つけられても、傷つけられたことを永遠に知らない。これこそ死者の特権である――。哲学者で随筆家、詩人でもあった串田孫一が晩年そう書き記している。その一節を思わずにはいられない。

▼串田の断想は生きている者の理屈だし、むろん、この小文も同じである。だから、死者からすれば「なんと身勝手な言い草か」ということがあるだろう。しかし、「死者の特権」への誘惑に屈するかのように渦中の人物が自殺することは何度もあった。理化学研究所の笹井芳樹氏(52)の自殺にもまた、そんな印象を持つ。

▼STAP細胞の問題は半年も世を騒がせ続けている。笹井氏には、論文の不正を何もかも明らかにする責任があった。指導する立場から論文作成にかかわったのだから当たり前である。ただ、変な言い方だが、STAPには早くケリをつけて日本の再生医療研究の最先端の現場に戻ってきてほしいという声も多かったのだ。

▼英国の科学ジャーナリスト、サイモン・シンは「死は、科学が進歩する大きな要因のひとつなのだ」という。頑迷な大御所の死とともに、古くて間違った理論が消え去るからである。しかし、笹井氏の死は科学の進歩にブレーキをかける大きな要因になるだろう。そのことだけにでも聞く耳を持ち続けてほしかったと思う。
死者は、どんな厳しい、また見当外れな非難を受けても、聞く耳がない。傷つけられても、傷つけられたことを永遠に知らない。これ  :日本経済新聞

2014年8月5日火曜日

2014-08-05

アフリカ西部で拡大するエボラ禍は未だ有効な治療法がなく、遠い場所の出来事ではない。

2014/8/5付

 1960年代、大阪市の真ん中で奇妙な病気が流行した。発熱や頭痛をともなって腎不全を発症、ひどくなると皮下出血を起こす。約120人の患者が出て2人が亡くなった「梅田熱」である。のちに原因は、ネズミを自然宿主とするハンタウイルスの感染とわかった。

▼本来は特定の動物の体内でおとなしくしているのだが、何かのきっかけで外に飛び出すと人間に襲いかかる。そういう病原体による感染症が20世紀の後半から相次いで確認されるようになった。なかには梅田熱の比ではない激しい出血をきたす病気も多く、ラッサ熱やエボラ出血熱はヒトからヒトへもうつる始末の悪さだ。

▼そのエボラ出血熱がアフリカ西部で深刻な広がりをみせている。ワクチンや有効な治療法がなく、致死率は最悪90%に達するという。ギニアなどで死者は合わせて700人を超え、かつてない規模の感染だ。被害は欧米からの医師や支援団体メンバーにも及んでいる。医療体制も十分に整わぬ土地での魔物との闘いである。

▼エボラ・ウイルスの自然宿主は未特定だが、コウモリの一種とみられる。都市のドブネズミであれ西アフリカの森のコウモリであれ、さまざまな生き物と平和共存していたウイルスにヒトが触れたときから始まった災厄を人類はどう乗り越えたらいいのだろう。たけだけしき勢いのエボラ禍は、遠い場所の出来事ではない。
1960年代、大阪市の真ん中で奇妙な病気が流行した。発熱や頭痛をともなって腎不全を発症、ひどくなると皮下出血を起こす。約  :日本経済新聞

2014年8月4日月曜日

2014-08-04

近年国内出荷量減少のビール系飲料は、消費が増え勢いのあるインドやタイとよく似合う。

2014/8/4付

 湯上がりにビール、ビールとはやる心を抑えつつ冷蔵庫を開けて、無情にもそこに買い置きの缶がなかったときのショックはなかなか大きい。などと書くと昭和のお父さんそのものなのだが、なに、日本人のビール好きは明治のむかしからのDNAにほかならぬようだ。

▼田山花袋の「田舎教師」に、湯屋の座敷で昼から飲み始める場面がある。「校長は自分のになみなみと注いだ。泡が山をなして溢(こぼ)れかけるので、あわてて口をつけて吸った」というから飲んべえたちは100年前も同じ所作で気炎をあげていたのだ。ただしコップにブッカキ氷を入れてあおっているのは時代というものか。

▼そんな国民的飲み物も、近年はあまり元気がない。発泡酒なども含めたビール系飲料の昨年の出荷量は9年連続で過去最低を更新した。若者のアルコール離れや会社の宴席は敬遠という風潮に加え、例の「とりあえずビール」がすたれてきたせいもあろう。そういえば昨今の女子はスパークリングワインなんぞで乾杯する。

▼とはいえ日本はなお世界第7位のビール消費大国だが、ここにきてインドやタイの伸びが著しいそうだ。盛大な泡立ちと爽快感は、たしかに勢いのある国によく似合う。なにかにつけてうんと冷えた一杯が欠かせぬ昭和オヤジにもそういう意気あり――と言っておこうか。「矢の如くビヤガーデンへ昇降機」(後藤比奈夫)
湯上がりにビール、ビールとはやる心を抑えつつ冷蔵庫を開けて、無情にもそこに買い置きの缶がなかったときのショックはなかなか  :日本経済新聞

2014年8月3日日曜日

2014-08-03

望む結果に修正された犯罪件数が判断基準とされており、数字のもつ怖さを実感した。

2014/8/3 3:30

 米国の検事に頼まれ、日本の治安状況を説明したことがある。犯罪の少なさ以上に先方が驚いたのは、小さな事件まで漏らさずに記録する日本式の統計だ。自転車を盗んだり、けんかで軽いけが人が出たりするくらいでは、米国では犯罪として扱っていないようだった。

▼「でも日本もこの先、犯罪が激増すれば米国式の統計になると思う」。検事が別れ際に笑いながらこう言ったのが印象に残っている。そんな米国方式が、ひそかに大阪で採用されていたとは驚きだ。2012年までの5年間に起きた事件のうち、1割近い8万件余りを大阪府警が犯罪統計に計上していなかった問題である。

▼多くは自転車を盗むなどの比較的軽い犯罪のようだ。こうしたやり方は「街頭犯罪」が全国で最多という汚名を返上しようとするなかで、少しずつ現場に広がったとみられている。その結果、大阪の街頭犯罪は10年から3年連続で東京を下回った。府警は胸を張ったが、実際には一度も最悪記録を脱してはいなかったのだ。

▼同じ駐車場で起きた自動車内の盗みは、まとめて1件と数える。空き巣の数が増えると上司に叱られるので、鍵を壊す器物損壊にかえる。この手の話は大阪以外の警察でも耳にした。どのくらい目標に近づいたかを判断するための統計が、望む結果にあうように修正されていく。数字の持つ怖さを実感させられる話である。
米国の検事に頼まれ、日本の治安状況を説明したことがある。犯罪の少なさ以上に先方が驚いたのは、小さな事件まで漏らさずに記録 :日本経済新聞

2014年8月2日土曜日

2014-08-02

コスプレは文化交流にも役立つが、電話での成りすましやスマホID乗っ取りは言語道断だ。

2014/8/2付

 狐狸庵先生、遠藤周作は変装が大好きだった。あるとき、頭巾に白髭、仙人のような格好で杖(つえ)をついて銀座の酒場の扉をくぐる。一瞬、森閑とする店内。山口瞳、池田弥三郎といった旧知の人々もホステスも仰天。ポカンと見ていたが、正体にまったく気づかなかった。

▼衣装や化粧で声や気分も別人になった気がする。こんな楽しみがあったのか。愉快でたまらないと書いている(「古今百馬鹿」)。年齢も性別も違う。別世界で暮らす。理想の人物になりたい。だれにもあるそんな願望を古来、奇抜で滑稽ともみえる仮装が満たしてきた。その思いにいま応えているのはコスプレだろうか。

▼名古屋で「世界コスプレサミット」が開催中だ。日本の漫画、アニメの登場人物に扮(ふん)する演技は世界的ブームが続く。12回目の今回は22カ国から愛好家が集まり2日に優勝者が決まる。狐狸庵先生には十年一日の生活を逃れる夢の姿が仙人だった。漫画には世界の若者が殺伐とした現実を忘れる魔法があるのかもしれない。

▼電話での成りすましやスマホのID乗っ取りなど、悪い変装が横行している。凶悪化して金銭被害も深刻になっている。コスプレは文化交流にも役立つが、詐欺は言語道断。ギリシャ神話のペンテウス王は女装して祭儀をのぞき見したことで、八つ裂きにされてしまう。よこしまな仮装には、身を滅ぼす奈落が待っている。

2014年8月1日金曜日

2014-08-01

吉原遊女の白い着物を雪に見立て涼を味わおうとした、江戸っ子の粋に学びたい。

2014/8/1付

 八月朔日(ついたち)に吉原の遊女たちが白無垢(むく)を着ている情景を「八朔(はっさく)の雪」と言うのです――。高田郁さんの人気時代小説シリーズ「みをつくし料理帖(ちょう)」の中に、こんな言葉が出てくる。朔日というのは旧暦で月の初めの日を指している。要するに八朔は旧暦8月1日のことだ。

▼伝統的な日本の年中行事の世界では大切な日だった。いまの暦なら9月の前半にあたり、当時は早稲(わせ)が実るころ。その年で初めて稲穂を刈り入れる日とされ、その初穂を神様にささげたり、親しい人やお世話になった人に贈ったりする習慣が、まず農村で根付いたらしい。やがて武家や商家にも、贈答の習わしが広がった。

▼徳川将軍家のお膝元、江戸では、別の理由からも特別の日だった。幕府を開く前、天正18年(1590年)のこの日に徳川家康が初めて江戸城に入ったとされていて、やがて開かれた江戸幕府では正月とならぶ重要な日と位置づけられた。大名や旗本は毎年、白帷子(かたびら)に身を包んで江戸城に参上し、将軍家にお祝いを述べた。

▼そんな武士たちの慣習が幕府公認の遊里にも及んだ、というわけでもないらしいのだが、吉原では毎年、遊女たちが白無垢姿で客を迎えたそうだ。それが冒頭に引用した「八朔の雪」のたとえとなる。明治5年の改暦で旧暦の季節感は消えたけれど、白い着物を雪に見立て涼を味わおうとした江戸っ子たちの粋に学びたい。
八月朔日(ついたち)に吉原の遊女たちが白無垢(むく)を着ている情景を「八朔(はっさく)の雪」と言うのです――。高田郁さん  :日本経済新聞