新横綱稀勢の里は絶好調だが、頂点で連勝すると嫌い衰えると支えるファンは複雑だ。
「でかかったよ。ゲタがまな板みたいで。文ちゃんと呼ばれてた」。東京は小岩育ちの70代の男性が回想する。大相撲の元関脇、出羽ケ嶽文治郎のことだ。身長2メートル超、体重200キロ余。戦前に活躍し、引退後は小岩で焼鳥店を開いた。1950年、47歳で没している。
▼数奇な運命である。山形県に生まれ、東京では青山脳病院を営む斎藤家へ厄介になった。後に院長となる歌人の茂吉と知り合う。少年期の文治郎は利発だったらしい。当初は医師を志したが、親方らの勧誘で角界入り。長身を生かしたさば折りを武器に相撲人気を支えた。脊髄を病んで、幕下まで陥落し土俵を去っている。
▼巨漢に小兵、「技のデパート」など、世の縮図のごとき多彩な力士が長年、国技館やお茶の間を沸かせてきた。いま注目の稀勢の里は10連勝と絶好調だ。新横綱で優勝すれば95年の貴乃花以来、全勝なら83年の隆の里以来である。厳しい稽古を付けてくれた師匠に並ぶのも夢ではない。表情に不敵なずぶとさが漂ってきた。
▼しかし、ファンは複雑だ。出世の途上では声援を送るが、頂点で連戦連勝されるのは嫌う。そして、衰えだすと再び支えたくなる。「断間(たえま)なく動悸(どうき)してわれは出羽ケ嶽の相撲に負くるありさまを見つ」。茂吉は不調の旧友を何度も詠んだ。文治郎には別の人生もあったのではとの思いがにじむ。自らへの問いでもあったか。
「でかかったよ。ゲタがまな板みたいで。文ちゃんと呼ばれてた」。東京は小岩育ちの70代の男性が回想する。大相撲の元関脇、出 :日本経済新聞