2014年10月31日金曜日

2014-10-31

日本での外来種の繁栄は、繁殖力が強いだけでなく人の行いが原因ではないか。

2014/10/31付

 福島県富岡町のJR富岡駅。この場所で、線路がどこにあるかさえわからないほど覆い茂ったセイタカアワダチソウの話を、先日の本紙朝刊が伝えていた。原発の事故で住民は避難したまま。人の姿が消えた町はこんな光景になってしまうのかと、いたたまれなくなる。

▼福島第1原発の周辺では、田畑一面にセイタカアワダチソウの花が咲き、黄色いじゅうたんが広がっているように見えるという。民家の庭にも入り込み、建物を押しつぶさんばかりに生い茂る。思い出の地を埋め尽くしていく植物の波。いまなお避難生活を送る人たちは、二重にふるさとを奪われるような思いであろうか。

▼セイタカアワダチソウは、よく知られた外来種である。原産地の北米から、荷物に種子がくっつくなどして持ち込まれたらしい。植物でも動物でも、外来種は繁殖力が強く、生態系の中で悪役となっている。ただ、多くはペットや観賞用とされたり、船や飛行機に偶然閉じ込められたりして、無理やり運ばれてきたものだ。

▼着いた先がたまたま日本で、そこで必死に生きている。原因が人の行いにあるとすれば、単純に外来種だけを責めてすむ問題ではないだろう。なにしろこんなジョークもあるくらいだ。かつてアフリカの一部にしか生息していなかったのに、世界中に広がって生き物を滅ぼしている外来種はなに? 答えは「人類」である。
福島県富岡町のJR富岡駅。この場所で、線路がどこにあるかさえわからないほど覆い茂ったセイタカアワダチソウの話を、先日の本  :日本経済新聞

2014年10月30日木曜日

2014-10-30

サマータイム制導入の是非は、五輪だけを口実にせず、しっかり議論し決定すべきだ。

2014/10/30付

 真夏の朝7時はもう暑いが、すこし涼しくする簡単にしてとっておきの方法がある。時計の針をちょいと進め、いまの5時を7時にしてしまえばいい――というわけで、東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相がサマータイム(夏時間)を導入するよう提唱したそうだ。

▼6年後の五輪は7月下旬から8月上旬にかけての17日間。ニュースに天気予報に「酷暑」の二文字「熱中症」の三文字があふれる時期である。「マラソンをしたら倒れる人がいっぱいいるんじゃないか」という森さんの言を杞憂(きゆう)とは決めつけられない。選手も大変だが沿道で応援する市民の方がむしろ危ないかもしれない。

▼だから森提案をくさしはしないが、気になるのが「東京五輪に向けて」の発想である。夏に時計を進めるサマータイムは日本でも占領下の一時期採用された。その後は何度話題になっても見送られている。省エネ効果を訴える声あれば睡眠への悪影響を懸念する声がある、という具合に侃々諤々(かんかんがくがく)、まとまらなかったからだ。

▼そんな経緯を吹っ飛ばした「五輪に向けて」である。あれも五輪に向けこれも五輪に向け。反論を押しのけて進むエンジンに五輪ほど都合のいい旗印はないのだろう。サマータイムは人の生活にかかわる。是非はきちんと議論しなければならない。マラソンは早朝だろうとナイターだろうと、しっかり応援すればいい話だ。
真夏の朝7時はもう暑いが、すこし涼しくする簡単にしてとっておきの方法がある。時計の針をちょいと進め、いまの5時を7時にし  :日本経済新聞

2014年10月29日水曜日

2014-10-29

ソニーは、木原氏のリーダーシップから学び、ビジョンを明確にして社員の士気をあげろ。

2014/10/29付

 きょう10月29日はソニーの歴史に残る日のひとつだ。カセット式のカラーVTRの開発を発表したのが1969年のこの日だった。テープを手でかけなければならないオープンリール式を週刊誌の半分ほどのカセットに変え、家庭にVTRが広がるきっかけをつくった。

▼開発を指揮した木原信敏氏(後に専務)は、どうすればカセット式ができるか筋道を立てて取り組んだ。テープをカセットに収めるには、その量を減らさなくてはならない。それにはテープに、できるだけたくさんの映像情報を書き込む必要がある。高密度の記録ができる材料とは――。的を絞り、技術陣をひとつにした。

▼木原氏のリーダーシップから学べるものは多い。人材の力を最大限に引き出すため、何をなすべきかを明確にし、そこに集中させる。理詰めでたどり着いたターゲットにはみんなが納得できるから、仕事のスピードも上がる。創業期からソニーの技術開発を担った木原氏を支えたのはリーダーとしての資質でもあったろう。

▼いまのソニーに必要なのも、どうやって企業を成長させるか、ビジョンをはっきりさせることだ。不振事業の止血に追われるだけでは社員の士気も上がらない。創業者の井深大氏は新製品が生まれてもすぐに、「次はもっといいんじゃないの」と、新たな目標に向かって進めとハッパをかけた。勢いを取り戻す日は来るか。
きょう10月29日はソニーの歴史に残る日のひとつだ。カセット式のカラーVTRの開発を発表したのが1969年のこの日だった  :日本経済新聞

2014年10月28日火曜日

2014-10-28

盛り上がりに欠ける六大学野球は、86連敗中の東大が頑張ればもう少し話題になるはずだ。

2014/10/28付

 野球といえば東京六大学という時代が、かつてあった。たとえば1937年に出た吉野源三郎の少年向け読み物「君たちはどう生きるか」には、主人公コペル君らが早慶戦のラジオ中継をまねて絶叫する様子が生き生きと描かれている。その興奮ぶりは並大抵ではない。

▼ところがこのロングセラー、戦後の新版では早慶戦の場面がプロ野球の巨人―南海戦の実況にまるごと差し替わってしまった。世間の目がすっかり離れたのだ。むかし神宮球場で声援を送った各校OBもさして興味を示さず、もう長いあいだ、プロ野球と高校野球のエアポケットみたいなところに六大学は落ち込んでいる。

▼盛り上がらぬ理由のひとつは「東大問題」かもしれない。毎シーズンのように最下位に甘んじ、特にここ4年間は白星もなく86連敗で今季を終えた。このままだと来年秋には100連敗に到達する。他校とはまるで選手の事情が異なるからなのだが、それにしてもちょっと負けすぎである。リーグ戦の意義が薄れもしよう。

▼奮起を迫られる東大ナインにとって、15年ぶりの優勝を狙う立教の活躍は大きな刺激に違いない。これで東大が頑張れば六大学野球ももう少し話題になるはずだ。大スタジアムは早朝より数万の観衆に埋められて立錐(りっすい)の余地もありません――「君たちはどう生きるか」の、野球が若かったころの光景は取り戻せぬにしても。
野球といえば東京六大学という時代が、かつてあった。たとえば1937年に出た吉野源三郎の少年向け読み物「君たちはどう生きる  :日本経済新聞

2014年10月27日月曜日

2014-10-27

優先席付近での携帯電話の利用には賛否あるが、影響がゼロでない限り規範はなくせない。

2014/10/27付

 必要なら守られねばならない。不要なら廃止されなければならない。規範とはそういうものだ。そんな当たり前が通じない日々は、かなり慣らされてきたとはいえ、居心地が悪い。鉄道などの優先席付近では携帯電話の電源を切る――破られている規範の代表格だろう。

▼心臓ペースメーカーなどの医療機器に影響する恐れがある。これが規範の大義である。一方には「携帯が原因で機器に重大な事故が起きたとの報告は世界にない」(総務省)という事実がある。もちろん、携帯のせいと気づかぬまま体や機器の変調をやり過ごしているのかもしれない。少なくとも、不安を感じる人はいる。

▼先に、東京工業大の1年生が「技術者倫理」の授業でこの問題を取り上げたそうだ。学生からいろんな意見が出た。「嫌がる人がいるなら電源は切るべきだ」「車内放送を流し続ける意味はほとんどないと思う」。正解はない。世の中をよくする使命を持つ技術者は難題とどう向き合えばいいか、考えさせる狙いだという。

▼医療機器と携帯の間が3センチ以内だと影響が出ることがある、15センチ以内なら電源を切るのが望ましい。これが総務省の見解である。わずかな距離でもゼロでない限り規範はなくせない。安全なものをつくる使命は技術者に果たしてもらおう。それまでの間、携帯やスマホをいじくりたければ……優先席には近づかないことだ。
必要なら守られねばならない。不要なら廃止されなければならない。規範とはそういうものだ。そんな当たり前が通じない日々は、か  :日本経済新聞

2014年10月26日日曜日

2014-10-26

正岡子規の心を捉えた秋の果物柿も、現代人には手間がかかると敬遠されがちだ。

2014/10/26付

 朝食に雑炊3杯、牛乳1合ココア入り、菓子パン2個をたいらげ、昼はカツオの刺し身、粥(かゆ)3杯に梨、ぶどう酒も。間食として団子を4本、塩せんべい、夕食はまた粥を3杯、なまり節、キャベツ……。明治34年秋の、病床での俳人正岡子規の食事だ。死の前年である。

▼当時の日記「仰臥(ぎょうが)漫録(まんろく)」には、連日こうした凄絶な「食」がつづられている。10月に入ると果物はたびたび柿で、1度に2個、3個。「かぶりつく熟柿や髯を汚しけり」の句が見える。大好物だったようで、じつは明治28年10月26日からの奈良旅行で詠んだといわれるのが、有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」である。

▼句の誕生にちなんで、きょうは「柿の日」だという。世にナントカの日は多いけれど、この時期のこの果実はまさにたける秋の風情そのものだからうなずける。中国原産なのに、じつに日本的な面持ちを感じるのは栽培の歴史が古いからか。かつて谷内六郎が描いた晩秋の山里には、しばしば枝に残る黄赤色の実があった。

▼「柿くふも今年ばかりと思ひけり」。子規は死を予期してこんな句を残し、明治35年9月19日、柿の季節にはわずかに間に合わず短い生涯を閉じた。波乱の時代を駆け抜け、食べることにも最期まで懸命であった人だ。その心をとらえた秋の味も、平成の現代では皮をむくのがメンドクサイ、などと敬遠されがちだという。
朝食に雑炊3杯、牛乳1合ココア入り、菓子パン2個をたいらげ、昼はカツオの刺し身、粥(かゆ)3杯に梨、ぶどう酒も。間食とし  :日本経済新聞

2014年10月25日土曜日

2014-10-25

ハロウィンでの異文化交流を、米国の銃社会を変えるきっかけにできないか。

2014/10/25付

 魔女か怪物か、漫画の主人公か。お子さんのいる家庭などでは、仮装の準備もこの週末が山場かもしれない。毎年10月31日の「ハロウィーン」というお祭りが日本でも急速に普及し、遊園地や街なかで、奇抜な格好をして盛り上がる子供や若者を目にする機会が増えた。

▼雑貨店では衣装や化粧道具の売り込みに余念がない。貸し切り電車で仮装コンテストを開く鉄道会社もある。自分の写真をネットで公開する人たちも多い。日本記念日協会は今年のハロウィーンの市場規模を前年比9%増の1100億円と見込む。バレンタインデーを初めて上回りそうだというから、勢いのほどが分かる。

▼22年前には今より知名度は低く、「米国では子供が仮装しお菓子をねだって回る日らしい」という程度の理解だったと思う。この年、米国留学中の服部剛丈君(当時16歳)が、ハロウィーンのパーティー会場と間違えて1軒の民家に近づき、住民に銃で射殺された。両親は銃を許す米国そのものを変えようと活動を始める。

▼その一環で日本に留学生を招待し続けた。銃のない社会の良さを実感してもらうためだ。かつてはデートと美食の日だった日本のクリスマスだが、最近は家族や友人と親交を深める日に落ち着きつつある。ハロウィーンも、異文化の仮装を楽しみつつ、銃で消えた若い命の多さに思いをはせる日へと育てられないだろうか。
魔女か怪物か、漫画の主人公か。お子さんのいる家庭などでは、仮装の準備もこの週末が山場かもしれない。毎年10月31日の「ハ  :日本経済新聞

2014年10月24日金曜日

2014-10-24

相反する成長戦略と財政再建の折り合いをつけ解決しないと、日本経済は再下降する。

2014/10/24付

 東京・神田の古書店街は奥が深い。本が買えるだけではない。未発表原稿や日記など貴重な史料が発見される。大学などの蔵書も集まっているからだろう。先日も哲学者ヘーゲルが書き込みをした自身の最初の著作が見つかった。メモからは当時の様子が窺(うかが)えるという。

▼ヘーゲルといえば、弁証法を思い出す。見つかった著書に早くもこのアイデアが登場しているそうだ。2つの意見がある。正反対で相いれない。そこで折り合いをつけ、違いを克服して優れた結論を見つけ出す。矛盾にみちた現実と取り組む思考法として注目された。考えてみれば、現代でもこんな課題はあちこちにある。

▼地方創生や法人減税を掲げ、成長戦略を進めるアベノミクス。一方で消費増税で財政再建も促す。財政赤字が増え続ければ、経済への信頼が揺らぎかねないからだ。これらの政策には相反する面がある。あちら立てれば、こちら立たず。だから消費や生産に陰りが見えると、増税延期や景気刺激を求める声が上がり始めた。

▼なんとか解決策を見つけたいが、哲学は複雑な現実になじむとは限らない。ヘーゲルの考えは誤りとの指摘もある。決める役割の政治は、2閣僚辞任などタガの緩みが目立つ。中国の成長鈍化、欧州のデフレ懸念など国際環境も厳しさを増す。かといって、難問を前に腕組みしているだけでは、日本経済は再び沈み始める。
東京・神田の古書店街は奥が深い。本が買えるだけではない。未発表原稿や日記など貴重な史料が発見される。大学などの蔵書も集ま  :日本経済新聞

2014年10月23日木曜日

2014-10-23

かつて文学者の残した手紙での私信は、簡単に消せるメール時代ではみられなくなるのか。

2014/10/23付

 歌人の斎藤茂吉は50代の半ばになって、まな弟子の永井ふさ子と激しい恋に落ちた。別居中の妻があったが情熱はほとばしるばかり、30も年下のふさ子に送った手紙は150通にのぼる。「ああ恋しくてもう駄目です」「恋しくて恋しくて、飛んででも行きたい」――。

▼こういう赤裸々な書簡の束が公表されたのは本人の死後ずっとたってからだ。茂吉はいつも末尾に、読んだら火中に焼くよう求めていたのだが彼女は多くを手元に残した。その違背のおかげで天下の歌詠みの意外な一面が明らかになったのだから微妙なものである。文人の言葉は究極の私信であれ作品性を帯びてやまない。

▼エッセイストでイタリア文学者の須賀敦子さんが、友人夫妻に宛てた書簡55通が見つかったそうだ。「もう私の恋は終りました。その人をみてもなんでもなくなってしまった。これでイチ上り」。40代のころの1通である。はて身の上に何が……。随筆とは違うざっくばらんな物言いで、亡き作家はまた読者を引きつける。

▼「イチ上り」とはなんとも直截(ちょくせつ)な表現なのだが、人生の山も谷も、彼女はそうやって越えていったのだろう。そんな心情が遠巻きの読み手をも揺さぶるのだ。それにしてもいまやメール時代、文学者のこういう私信はのちの世に日の目を見るのかどうか。火中に投ぜずとも、削除ボタンひとつで消え去る文章の行方を思う。
歌人の斎藤茂吉は50代の半ばになって、まな弟子の永井ふさ子と激しい恋に落ちた。別居中の妻があったが情熱はほとばしるばかり  :日本経済新聞

2014年10月22日水曜日

2014-10-22

皇后陛下の感情を的確に言葉で表す力には、伝えるべきことを持つ表現者の覚悟を感じる。

2014/10/22付

 10月20日の誕生日に発表される皇后陛下の所感にいつも考えさせられる。ことしはA級戦犯に対する東京裁判の判決をラジオで聞いた中学生の日を振り返られた箇所があった。「(そのときの)強い恐怖を忘れることが出来ません」。そう書いたあと、続けられている。

▼「戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈(はず)はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖(おそ)れであったのだと思います」。考えたのは次のような幾つかのことである。

▼靖国神社参拝という今日の政治問題につながりかねない東京裁判について触れる勇気。66年前の少女のころの感情にまっすぐ向き合う誠実さ。その感情を的確に言葉で表す力。「国と国民という、個人を越えた所のものに責任を追う立場」への怖れとは、自身に対しても持ち続けられてきた感情かもしれぬ、と思いもした。

▼皇太子妃時代にはあった誕生日に際しての記者会見が、「皇后の誕生日会見は前例がない」という理由で、平成に入るとなくなった。そのことに納得はしていない。しかし、担当記者たちがつくる質問に答える形の文書に、とくに最近、質問が望む以上の内容があると感じる。伝えるべきことを持つ表現者の覚悟を感じる。
10月20日の誕生日に発表される皇后陛下の所感にいつも考えさせられる。ことしはA級戦犯に対する東京裁判の判決をラジオで聞  :日本経済新聞

2014年10月21日火曜日

2014-10-21

小渕経済産業相や松島法相を辞任に追い込んだ問題は、政治に対する法の支配の現れか。

2014/10/21付

 「高速鉄道の第一人者」。中国の張曙光・元鉄道省運輸局長はかつて、こんな異名をたてまつられた。それほどに権勢をほこった元高官に北京の裁判所は先週、執行猶予つきながら死刑を言い渡した。罪名は収賄。日本円にして総額8億円もの賄賂を受け取ったという。

▼中国の高速鉄道といえば、3年前の夏に浙江省温州市で起きた事故の記憶がなお強く残っている。張元局長自身は、あの事故の前にすでに失脚していた。米国で100万ドルの別荘地を買ったなどと、派手な散財が早くから取り沙汰されていたらしい。元局長は控訴しないというから、それなりの事実はあったと推察できる。

▼それにしても死刑とは厳しい。そんな感想を抱く日本人は多いだろう。いかに巨額の収賄であろうとも、日本ではありえない判決だ。ところが一橋大学の王雲海教授によると、政治とカネの問題では日本こそ政治家に厳しく、中国の場合は厳しかったり厳しくなかったりするのだそうだ(「賄賂はなぜ中国で死罪なのか」)

▼政治資金規正法や公職選挙法のような仕組みは整っていない。野党やメディアによる追及もない。当局の捜査は共産党の政治判断が左右する。小渕優子経済産業相や松島みどり法相を辞任に追い込んだような問題は、中国だと何でもないのかもしれない。王教授が指摘する日本の厳しさは「法の支配」の表れといえようか。
「高速鉄道の第一人者」。中国の張曙光・元鉄道省運輸局長はかつて、こんな異名をたてまつられた。それほどに権勢をほこった元高  :日本経済新聞

2014年10月20日月曜日

2014-10-20

国産旅客機MRJには、ライト兄弟の様に不安定な環境下でも前に進む姿を見せて欲しい。

2014/10/20付

 19世紀末、欧米では、エンジンを使った動力飛行をめざす様々な挑戦があった。翼を鳥やコウモリに似せたり、主翼と尾翼を同じ大きさにしたり。その中で1903年に米国のライト兄弟が栄誉を手にした根本の理由は何か。佐貫亦男著「不安定からの発想」に詳しい。

▼機体を安定して飛べる構造にすることばかり考えるのを、やめたからだという。空中で不安定になるのを最初から織り込み、機体をいかにうまく操るか追求した。例えば主翼にケーブルをつなぎ、腹ばいになった人間がこれを引っ張って翼をたわませ、バランスをとる。人の操縦能力を生かそうと考え方を転換したわけだ。

▼安定志向を捨て、不安定な状態が当たり前と割り切った、いわば逆転の発想だ。空の世界をめぐっては、そうした心構えが、今の航空機ビジネスにも必要なのかもしれない。世界景気の混迷で航空機の需要予測は容易でない。新興国メーカーも手ごわい。完成披露式のあった国産旅客機「MRJ」も先行きは楽観できまい。

▼事業会社の三菱航空機(名古屋市)には不安定な環境の中でも人の知恵と工夫で前に進む姿を、ライト兄弟の飛行機のように見せてほしいものだ。兄弟は飛行技術がほどなく競合相手に追いつかれ、計画していた飛行機の開発・製造では成功者になれなかった。そのころから技術革新は速かった。教訓の多い2人の歩みだ。
19世紀末、欧米では、エンジンを使った動力飛行をめざす様々な挑戦があった。翼を鳥やコウモリに似せたり、主翼と尾翼を同じ大  :日本経済新聞

2014年10月19日日曜日

2014-10-19

中国の支配に抗う香港での大規模デモは、民主派と政府が和解する兆しはまだ見えない。

2014/10/19付

 この夏、愛読者は興奮した。川端康成が初恋の女性に書いた手紙が見つかった。「毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない」。22歳の大学生が遠隔地の恋人に、会えないもどかしさを切々と訴えていた。結局、恋は破れたが、婚約翌日に撮った写真が残っている。

▼そのときの光景が目に浮かぶ短編「雨傘」がある。霧雨のふる日、少年と少女が思い出にと写真館に立ち寄る。ぎこちない撮影のあとで、少女が先に表に出る。少年の傘を手にして、立っていた。来る道と違い、二人で入ると急に大人になった。夫婦のような気持ちがした。傘には、ほのかな喜び、幸福感がこもっていた。

▼その傘が香港では抵抗の象徴になっている。大学生、高校生などが先導する大規模デモは次期行政長官選挙での立候補制限への反発から始まった。政府が参加者を逮捕するなど強硬姿勢に転じたことで膠着が続く。降り注ぐ水、催涙弾を色鮮やかな傘の花が防いでいる。そこから運動は「雨傘革命」とも呼ばれ始めている。

▼返還から17年。中国の支配が強まるにつれ、自由が制限され、デモなどの動きに火がつく。英国と合意した30年前に事態は予想されていた(中嶋嶺雄「香港」)。だが、展開があまりに速い。50年保証した「高度の自治」も羊頭(ようとう)狗肉(くにく)だったらしい。民主派と政府が折り合い、同じ傘の下で、喜びを感じる日はまだ見えない。
この夏、愛読者は興奮した。川端康成が初恋の女性に書いた手紙が見つかった。「毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない」。  :日本経済新聞

2014-10-18

国際テロ組織の温床とならぬよう、日本も資金洗浄対策をし国際社会と連携を図るべきだ。

2014/10/18付

 ちゃんとした理由があるとわかっていても、銀行の窓口でムッ!としてしまった経験はないだろうか。自分の口座からお金を送るだけなのに、目的やら何やら詳しく聞かれる。新しく口座を作ろうとすれば、「あなたは、本当にあなたですか?」というふうに疑われる。

▼こんな思いをする人が、ひょっとするとこの先増えるかもしれない。テロやマネーロンダリング(資金洗浄)を監視する国際組織が、「日本の対策は甘い」と改善を迫っているからだ。もう何度目かの指摘なので、すでにレッドカードである。政府は送金の際などの本人確認をより強める法律の案を作って、国会に出した。

▼資金洗浄を罰するという考え方自体、そもそも日本にはなかったものだ。それを海外からの強い要請を受け、取り入れてきた経緯がある。そのためか日本の対応はいつも遅れ気味で、たびたび注文をつけられてきた。幸いなことに、国際テロの脅威を欧米ほどには実感しないですんでいることも、歩みの遅い理由であろう。

▼だが世界に目を転じれば、過激派の「イスラム国」とのせめぎ合いなど、国際社会はテロとの戦いの真っ最中である。一国平和主義が成り立つはずもなく、国際社会の一員として連携していくほか道はない。そのためだと思えば、窓口で用意する書類が増え、待ち時間がいくらか延びたとしても、よしとすべきなのだろう。
ちゃんとした理由があるとわかっていても、銀行の窓口でムッ!としてしまった経験はないだろうか。自分の口座からお金を送るだけ  :日本経済新聞

2014年10月17日金曜日

2014-10-17

自撮り写真を公開し自己演出が簡単にできる時代になったが、あまりよいものではない。

2014/10/17付

 内田百間は写真嫌いだった。東京駅の名誉駅長になったときは終始パシャパシャやられ「寿命が薄くなる」と憤慨した。随筆でいわく「玄人の仕事の関係は仕方がないとして、そうでない素人がどうしてあんなに写真が取りたいか」。百鬼園先生らしい毒舌ぶりである。

▼そんな作家が昨今の「自撮り」ブームを知ったらどんな意見をするだろう。スマートフォン(スマホ)などを使った、自分で自分を撮る遊びだ。ずっと昔からセルフスナップと呼んでこの手はあったけれど、スマホの登場でやりやすくなった。最近では一般のデジタルカメラにもこの機能付きが登場してにぎやかなことだ。

▼自らハイ、チーズなんてナルシシストっぽいなどと言うなかれ。出来のいい作品をブログや交流サイト(SNS)に載せてアピールする人も珍しくない。英語圏では、自撮り写真を指すセルフィーなる新語が定着しつつあるそうだから世界的な流行だ。先日はスマホに専用の長い棒を付けて操作している若者に出くわした。

▼そういえば百間は、写真はご免と言いながら案外たくさん撮らせている。口をへの字に結んで謹厳なふうを装い、じつはなかなか自意識が強かったのだろう。そんな自己演出が自撮りで気軽にできるようになった時代を喜ぶべきか悲しむべきか。試みに1枚……スマホ画面の自身を眺めればやはり、寿命の縮む思いがする。
内田百間は写真嫌いだった。東京駅の名誉駅長になったときは終始パシャパシャやられ「寿命が薄くなる」と憤慨した。随筆でいわく  :日本経済新聞

2014年10月16日木曜日

2014-10-16

遊びの変化で子供の身体能力は急変したが野球ぐらいできてほしいと思うのは古い考えだ。

2014/10/16付

 貧しくも楽しかった少年期をビートたけしさんが「たけしくん、ハイ!」に書いている。「野球しててもさ、妹を背中におぶって、レフト守ってるやつがいたんだもんなぁ。そんで打てないから、守るだけなんだもん。……それでも、仲間入って野球やりたいんだよね」

▼男の子の遊びといえば野球。そんな記憶を持つ世代は50代半ばか60歳になっていようか。文部科学省の調査で、走力や俊敏性など子どもの運動能力が一体に向上するなか、ボール投げだけが目立って低下していることが分かった。たとえば10歳の男児は、東京五輪の年からの半世紀で投げられる距離が20%、6メートルも縮んだ。

▼そのニュースのあと、法律を変えて射撃競技用の空気銃を使える年齢を14歳から10歳に引き下げるという報道があった。6年後の東京五輪に向けた強化策だという。規制がある現在は光線銃で小中学生大会を行い、今年は100人余が参加したそうだ。少年銃士は思ったより多いが、でもほんの一握りといっていいだろう。

▼じつは、もう野球も遊びではなく、チームに入り指導を受けるのが当たり前なのかもしれない。そこにすごい球を投げる子がいて、学校にはボールを投げたことのない子が増えている。文科省の調査結果にはそう想像をしてしまう。少年よ、銃の撃ち方は知らずとも球の投げ方くらいは……。いや、旧世代の繰り言である。
貧しくも楽しかった少年期をビートたけしさんが「たけしくん、ハイ!」に書いている。「野球しててもさ、妹を背中におぶって、レ  :日本経済新聞

2014年10月15日水曜日

2014-10-15

賭博を特例で認めるカジノ開帳は、急いで法案を立案せず皆でよく議論すべきだ。

2014/10/15付

 「日本人立ち入り禁止」。終戦後の東京などにはGHQ(連合国軍総司令部)が接収したビルやホテル、住宅があちこちに出現した。「オフ・リミット」の看板ひとつでその先は日本であって日本ではなくなる。占領とはなんと無体なものかと泣いた人は多かったろう。

▼銀座の松屋や和光がPX(軍人軍属専用の売店)に衣替えしたのは有名な話だ。足を踏み込めぬ店内を想像してうらやましさも募ったに違いないが、そういうのも今は昔……では必ずしもないらしい。今国会での成立がとりざたされるカジノ合法化法案をめぐり、利用を外国人に限定する案が浮かんだり消えたりしている。

▼慎重論が少なくないなかで、とにかく施設をつくってしまうのが先決だ、と議員連盟の面々は考えたのかもしれない。先週、いったんは日本人オフ・リミットへと法案を修正する方針を決めた。ところがこれに推進派の仲間うちから疑義が噴き出したため、数日後に撤回を余儀なくされた。ずいぶん場当たり的ではないか。

▼カジノといえば格好よく聞こえるが、ようするに鉄火場である。刑法で禁じられた賭博を特別に認めようというのだから、占領下のPXみたいにする案まで出てくるのだろう。そうまでして開帳すべき座であるかどうか、ここはよくよく思案がいる。これからの議論には日本人あまねく、遠慮せずに立ち入ったほうがいい。
「日本人立ち入り禁止」。終戦後の東京などにはGHQ(連合国軍総司令部)が接収したビルやホテル、住宅があちこちに出現した。  :日本経済新聞

2014年10月13日月曜日

2014-10-13

ムラ社会的な皆での食事も愉快だが、近代的自由の象徴のひとり飯を楽しむのもまた良い。

2014/10/13付

 井之頭五郎――と聞いてピンとくる人はなかなかのドラマ好きだろう。テレビ東京系の深夜枠で先月まで4期にわたって放送された「孤独のグルメ」の主人公だ。仕事の合間に立ち寄った店で定食、カレー、回転ずし、などなどをただ食しては、あれこれ独り言を言う。

▼原作のマンガに忠実に、毎回それだけの話だがこの作品のファンは少なくない。焼肉屋で盛大にカルビをぱくついて「うおォン 俺はまるで人間火力発電所だ」などと怪気炎をあげるのがなんともほほ笑ましいのだ。しばしば否定的に語られる「孤食」だが、見わたせばあの店この店にひとり飯を楽しむ五郎さんはいよう。

▼柳田国男は「明治大正史 世相篇」で、近代以降、およそ食物は温かく、柔らかく、甘くなり、共同の飲食が減って個々の嗜好を重んじるようになったと説いている。たしかに誰にも気兼ねなく、混み合う居酒屋で好きなものを飲み食いするという図はムラ社会にはなかっただろう。ひとり飯は近代的自由の象徴なり、だ。

▼もっとも昨今の大学生など、ランチ仲間がいない「ぼっち飯」をひどく恐れるらしい。ムラ社会への退行とは言わぬが、こんなところにも同調圧力にさらされる若者のすがたがあるのかもしれない。みんなでワイワイはもちろん愉快だが、ひとりもまた良し。井之頭五郎みたいなオトナに、そのへんの流儀を学ぶのもいい。

2014年10月12日日曜日

2014-10-12

ネット普及に適した法や制度の改訂で自由な情報流通とプライバシー配慮の共存を図ろう。

2014/10/12付

 実直そうな中年女性が、母校の中学校を訪れる。訳あって就職することになり、最終学歴である中学の成績証明書を求められたという。昔の記録を見ると、決していい内容ではない。教師は言う。「すでに破棄したという書類を作りましょう」。女性は頭を下げた――。

▼昔みたドラマの一場面だ。当時の成績保管期間は20年。遠い昔に劣等生だった事実が、今の幸せを邪魔していいのか。そう問いかける作品だった。後に保管期間は5年に短縮された。文部科学省によれば、プライバシーへの配慮や、生徒の不利益になりかねない記録をそこまで保管すべきか、との考えから変更したという。

▼公的文書なら閲覧制限や破棄で現在を守る手もある。やっかいなのはネットだ。過去の言動や経歴、過ち、若気の至りで公開した写真。自分を巡るさまざまな記録が、時を超えて拡散する。中には事実無根の文章もある。気を許した相手に撮らせた写真が広くばらまかれる卑劣な例もある。法や制度は追いつけないままだ。

▼グーグルで自分の名を調べると、犯罪に関わったかのような投稿が現れる。これを止めさせたいと男性が訴え、東京地裁は削除を命じる判断を出した。自民党は元恋人などの性的画像をネットに流すことを防ぐ法案を準備している。自由な情報流通と「忘れられる権利」を、どう共存させるか。われわれの知恵が試される。
実直そうな中年女性が、母校の中学校を訪れる。訳あって就職することになり、最終学歴である中学の成績証明書を求められたという  :日本経済新聞

2014年10月11日土曜日

2014-10-11

史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララの武器は、本とペンともう一つは勇気だ。

2014/10/11付

 「どの子がマララだ?」。2人組のテロリストがバスに乗り込んできたのは2年前、15歳のときだ。答える間もなく銃声3発。生死の間をさまよった少女は17歳になりノーベル平和賞に決まった。パキスタンのマララ・ユスフザイさん。ノーベル賞史上最年少の受賞だ。

▼日本ならば高校2年生の、重い年月を背負った少女である。女性が笑うことさえ禁じるイスラム過激派タリバンが跋扈(ばっこ)する国で、ペンネームで「女の子にも教育を」と訴え始めたとき、11歳だった。何も悪いことはしていない、と信じて。訴えが共感を得れば得るほどタリバンの理不尽な怒りを買い、揚げ句の凶弾だった。

▼ノーベル平和賞というと、反体制につく受賞者の系譜がある一方で、いささか首をかしげる受賞者がなくはない。最近なら一昨年の欧州連合(EU)、あるいは5年前のオバマ米大統領。政治的にすぎる、という批判も的外れではないだろう。それに比べ、昨年も有力視されていたマララさん受賞の報の何と清々(すがすが)しいことか。

▼「本とペンを持って闘いましょう。それこそが、私たちのもっとも強力な武器なのです」と語った去年の国連スピーチが記憶に残る。彼女にはもう一つ、勇気という武器がある。「どの子がマララだ?」。そのときを振り返って自伝に書いた。「答えられたら、女の子が学校に行くのを認めるべきだ、といってやれたのに」

2014年10月10日金曜日

2014-10-10

言論の自由とは名ばかりに国家に不都合な記事は権力制圧する韓国を批判し肝に銘じよう。

2014/10/10付

 似たような話が日本になかったわけではない。売春防止法の制定をめぐる贈収賄、世にいう売春汚職について書いた記事の中身が名誉毀損にあたるとされ、読売新聞社会部の敏腕記者、立松和博が東京高検に逮捕された事件があった。1957年(昭和32年)のことだ。

▼経緯はノンフィクションの名作「不当逮捕」(本田靖春著)に描かれている。著者は書名で立場を明らかにし、記者が刑法の名誉毀損罪に問われる異常さや、逮捕の背後に検察の権力争いがあったことなどをつまびらかにした。それから半世紀あまり、言論の自由という同じ価値観を持つはずの国で異常なことが起こった。

▼韓国の検察当局が、朴槿恵大統領の男性関係に関する噂をネット上でコラムにした前の産経新聞ソウル支局長を、名誉毀損罪で在宅起訴した。言論の自由と重い責任は表裏である。そのことへの不断の自問が記者には必要である。それでも、起訴には不都合な記事を力で押さえ込もうという権力のおごりを見ざるをえない。

▼領土をめぐる日中韓の確執が深刻になった2年前、国民感情に与える影響を安酒の酔いにたとえたのは作家の村上春樹さんである(朝日新聞)。「安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、注意深くならなくてはならない」。安酒を飲むな。安酒に酔うな。韓国を批判しつつ、そう肝に銘じる。
似たような話が日本になかったわけではない。売春防止法の制定をめぐる贈収賄、世にいう売春汚職について書いた記事の中身が名誉  :日本経済新聞

2014年10月9日木曜日

2014-10-09

赤崎教授のノーベル賞受賞は、幼なき日からの鉱物や結晶への熱意を忘れず達成した。

2014/10/9付

 宮沢賢治の作品には様々な石が出てくる。「藍晶石のさわやかな夜」「天の瑠璃(るり)」「コバルト山地」。小学生のころから熱中し、「石コ賢さん」と呼ばれた。土壌学を学び、採集に明け暮れた。銀河に浮かぶ地球。億万年の歴史が凝集した鉱物が放つ輝きに心奪われた。

▼ノーベル物理学賞を受ける赤崎勇教授も虜(とりこ)になった。父がくれた標本箱を眺めて眠った。石ごとに光沢が違う。結晶の成長度で、形も変わる。不思議さに興味が尽きない。そこから青色発光ダイオード(LED)開発につながる結晶へのこだわりも芽生えた。「後年の私の人生を暗示している」(「青い光に魅せられて」)

▼ピカピカの結晶を求め続けた。あまりの難題に失敗が続く。困難さにライバル研究者が次々に脱落した。それでも「我ひとり荒野を行く」と諦めなかった。材料の窒化ガリウムに着目したのが40歳、成果が出たのは50代後半だった。ほぼ20年かかった。初めてできたときは、コバルトブルーの光が目にしみるように感じた。

▼幼い日の情熱を保つのは難しい。だが、賢治は、鉱物のもつ神秘的な色彩を取り入れて自然や心象風景を描き続けた。「遅咲きの研究者」も鉱物や結晶への熱意を忘れなかった。ひたすら、結晶が持つ可能性を追い続けた。気がつくと、LEDが発する青い光で、白熱灯の時代に終わりを告げ、世界に革命を起こしていた。
宮沢賢治の作品には様々な石が出てくる。「藍晶石のさわやかな夜」「天の瑠璃(るり)」「コバルト山地」。小学生のころから熱中  :日本経済新聞

2014年10月8日水曜日

2014-10-08

退屈な若者を狙って戦闘員を募るイスラム国は、日本赤軍とは異なる危機を知る。

2014/10/8付

 空港での自動小銃乱射、ハイジャック、大使館占拠……。1970年代を中心に世界中でまがまがしい事件を続発させたテロ組織といえば日本赤軍である。国内で活動していた赤軍派メンバーらがひそかに出国、パレスチナゲリラと手を結び国際社会を震え上がらせた。

▼海外の戦場に「革命の根拠地」を――というのが彼らの理屈で、ようするに押しかけ部隊である。使命感に酔ってか、辛亥革命を支援した宮崎滔天を気取るメンバーもいたらしい。無法はやがて行きづまり、あの時代はすっかり遠ざかったのだが、目下の「イスラム国」をめぐる出来事は新たな脅威を見せつけてやまない。

▼「勤務地シリア 詳細は店番まで」。東京都内の古書店に張り出されていた、まるでアルバイト募集のような軽いノリのチラシが「イスラム国」への入り口だったという。こんな誘いに乗せられて戦闘員への参加を企てていた北海道大学の学生を警視庁が突きとめ、関係先の捜索などに乗り出した。出国寸前の摘発である。

▼日本赤軍などと違い、休学中のこの青年にさしたる思想性はなかったようだ。しかし「イスラム国」はいま世界中で、そういう「退屈な若者たち」をこそ狙っているに違いない。警視庁は今回の事件に刑法の私戦予備・陰謀罪を初めて適用した。耳にしたことのない物々しい罪名の登場に、往時とはまた異質の危機を知る。
空港での自動小銃乱射、ハイジャック、大使館占拠……。1970年代を中心に世界中でまがまがしい事件を続発させたテロ組織とい  :日本経済新聞

2014年10月7日火曜日

2014-10-07

台風の去来により、人が協力しあう姿をみると、他人を思う心の大切さに気づく。

2014/10/7付

 列島に混乱の渦を起こした台風18号が足早に去っていった。多くの家が水浸しになった。増水や土砂崩れで死傷者が出た。できればもう来てほしくないが、思いを新たにさせられることも2つある。過ぎ去った後の青空の美しさ。そして、普段は忘れがちな人間の絆だ。

▼「必ず安全にお送りしますので、今しばらくご辛抱ください」「改札は結構ですから、スルーでお進みください」。緊張した車掌や駅員の声から、通勤の足を預かる責任感が伝わってくる。満員電車で普段はライバルかもしれない他の乗客が、いつのまにか同志になっている。天災には、人の気持ちを結ぶ力があるらしい。

▼台風という日本語は、それほど古くない。与謝野晶子が「台風という新語が面白い」と、大正初期の随筆で書いている。それまでは野分と呼ぶのが普通だった。明治生まれの歌人は「野分には俳諧や歌の味はあるが科学の味がない」という。さらに百年が過ぎ、交通や社会基盤が発達した今は、台風の含意もまた変わった。

▼自然には善意も悪意もない。それは何億年も前から同じだ。変わったのは、人間の側の事情である。都市に住むようになり、速度と効率を重んじ、忙しさのあまり他者を思いやる心が薄れてはいないか。台風の去来は、人が大切な何かを思い出すための時間かもしれない。「大いなるものが過ぎ行く野分かな」(高浜虚子)
列島に混乱の渦を起こした台風18号が足早に去っていった。多くの家が水浸しになった。増水や土砂崩れで死傷者が出た。できれば  :日本経済新聞

2014年10月6日月曜日

2014-10-06

6年後のパラリンピックでは、この半世紀で障害者福祉が進歩した姿を世界に見せたい。

2014/10/6付

 障害者の国際的なスポーツ競技会がパラリンピックと呼ばれ始めたのは、1964年の東京大会からだ。五輪に続き選手村の中の練習場などで開かれた大会に、この愛称がついた。江戸東京博物館の特別展「東京オリンピックと新幹線」がそのときの様子を伝えている。

▼この大会ではパラリンピック本来の意味である車いす競技としてアーチェリー、トラック競走など14種目が開かれ、出場者は21カ国387人にのぼった。バスケットボールで日本は英国に大差で敗れたが、健闘をたたえ合う写真がすがすがしい。視覚障害など車いす以外の競技にも、国内から480人が出て熱戦を演じた。

▼大会を裏で支えた活動もあった。通訳では学生や会社員ら156人がボランティアを買って出た。選手村に美容院がなかったので、街まで外国人選手を案内して感謝されたボランティアもいる。大会運営の一助にと全国のバーには募金箱「善意の箱」が置かれ、約330万円が集まった。助け合いの精神が随所にみられた。

▼障害があっても、全力で克服する。それを社会が応援する。64年は戦災から復興した日本を世界に示すとともに、障害をハンディとしない国へ一歩を踏み出した年でもあった。この半世紀で障害者福祉はどこまで進んだだろうか。2020年東京五輪・パラリンピックが6年後に迫る。恥ずかしくない姿を世界に見せたい。
障害者の国際的なスポーツ競技会がパラリンピックと呼ばれ始めたのは、1964年の東京大会からだ。五輪に続き選手村の中の練習  :日本経済新聞

2014年10月5日日曜日

2014-10-05

若い創作家が同世代に問うネット社会での挑戦の中に、大きく育つビジネスが眠っている。

2014/10/5付

 60代ならトップは五木ひろし「夜明けのブルース」。50代は一青窈「ハナミズキ」。2013年にどんな歌がカラオケでよく歌われたか、業界大手が自社のデータを年齢別に集計した結果だ。40代、30代もテレビでなじみの歌が並ぶ。様子が変わるのはその下の世代だ。

▼20代、10代とも1位は「千本桜」。歌番組ではまず耳にしない。ヤマハの音声合成技術「ボーカロイド」を使い、有名無名の作り手が自作の歌をコンピューターに歌わせたボーカロイド楽曲、略してボカロ曲の1つだ。かつては「ニコニコ動画」などの投稿サイトで無料公開するしかなかったが、今や人気作はCDになる。

▼さらにカラオケでも正式配信され、作り手はきちんと収入を得られるようになった。10代のカラオケランキングをみると、すでに上位20曲のうち半分をボカロ曲が占める。ネットで歌と出会う世代の誕生といえる。若い創作家がパソコンで作品を作り、直接、同じ世代に問う。こうした挑戦が日本文化に厚みを加えている。

▼出版・映像のKADOKAWAとニコニコ動画のドワンゴが経営を統合した。昨年度、KADOKAWAの書籍売り上げ首位は「カゲロウデイズ」シリーズだった。同名のボカロ曲をもとに、歌詞の行間や背景を小説や漫画にしたものだ。大きく育つ芽が、まだネットの中に眠っている。新会社の最大の資産かもしれない。
60代ならトップは五木ひろし「夜明けのブルース」。50代は一青窈「ハナミズキ」。2013年にどんな歌がカラオケでよく歌わ  :日本経済新聞

2014年10月4日土曜日

2014-10-04

観光客誘致のための地域創生は、新たに施設を作るより今ある景観や歴史を活用すべきだ。

2014/10/4付

 もしも世界が日本の街づくりをまねしたら? 東洋文化研究者のアレックス・カー氏がそんな発想で合成写真を作り、近著「ニッポン景観論」に掲載している。例えばイタリアの港町ベネチアでは、小舟の行き交う運河が埋められ4車線道路になり、標識や看板が並ぶ。

▼他の街も同様だ。荘厳な寺院の前に大型バスがずらり。伝統建築の一部も駐車場に。街角の彫像を「禁煙」「登らないでください」などの注意書きが囲む。お遊びを込めた問題提起を笑って眺めるうちに、情けない気持ちがわく。現実の日本で、観光地や歴史ある街の多くが、まさにこの写真通りのことをしているからだ。

▼地方創生の名のもとに、人口維持や観光客誘致などに向けて、これからさまざまな手が打たれることになりそうだ。自分たちの住む街や地域の魅力を高めるために、本当に効果のあることは何か。用心深く吟味しないと、つぎ込むお金が無駄になるだけでなく、景観や歴史など、すでに持っている街の資産を壊しかねない。

▼観光振興のノウハウは世界で進化しており、日本は後れをとっているとカー氏は説く。予算を使うなら、新しい施設より建物の再生や景観を損なうものの撤去に使うべきだ、とも。実際に、昔を思わせる温泉や古民家を改装した宿は外国人にも人気が高い。いまあるものをきちんといかす姿勢も、地域再生には大事になる。

2014年10月3日金曜日

2014-10-03

地質調査技術は進んだが掌握は容易でないので、シェール資源開発での失敗はつきものだ。

2014/10/3付

 ゲーテは経済の専門家だった。主人公が恋に悩み自殺する小説で、全欧州を熱狂させただけではなかった。ワイマール公国の宰相として税・財政分野でも腕を振るった。利水、道路建設の現場に立ち、紡績や製鋼などの産業を振興した。特に鉱山経営に力を注いでいる。

▼着任当時、国庫は赤字続きだった。町づくりの費用がかさんでも増税もできない。財政破綻は必至。新しい財源として古い鉱山に目をつけて、資金をつぎ込み再開した。盛大に祝ったものの、金属層が見つからない。浸水、落盤が続き、いたずらに経費ばかりが膨らむ。機械も使えなくなった。結局、28年後に廃鉱になる。

▼安価で注目されているシェール資源開発も鉱山と似ている。原油を含む頁岩(けつがん)層が見つからなければ、投資を回収できない。住友商事は米国での採掘が頓挫、今期2700億円の損失を計上して、1年分の利益がほぼ消える見込みだ。中村邦晴社長は「掘ってみたらなかった。見通しが甘かった」と開発の難しさを強調した。

▼発祥の住友財閥は銅山経営で発展したが、お家芸を過信したわけでもなさそうだ。伊藤忠商事や大阪ガスも損失を出し、採掘の厄介さが見えてきた。技術が進み地質調査の権威も育っているはずなのに、地底の様子は容易にはつかめない。鉱山では失敗したゲーテも言っている。「権威は真理と同様に、誤りを伴うものだ」
ゲーテは経済の専門家だった。主人公が恋に悩み自殺する小説で、全欧州を熱狂させただけではなかった。ワイマール公国の宰相とし  :日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77893300T01C14A0MM8000/

2014年10月2日木曜日

2014-10-02

裁判員へのストレス負担を減らし正確な事実を伝えられるよう、工夫を重ねよう。

2014/10/2付

 事件や裁判の記事を書く参考になればと思い、検視の本を捜査関係者に借りて読んだことがある。遺体の状態や傷の様子から、死因や殺害の方法などを見極めるためのものだ。ところがカラー写真を使った解説に堪えられなくなり、半分も見ないうちに閉じてしまった。

▼忘れていたその本の記憶が、おととい福島地裁であった判決のニュースを聞いてよみがえった。裁判員に選ばれた女性が、遺体の写真を見たり、被害者が助けを求める119番の録音を聞いたりして急性ストレス障害になり、損害賠償を求めていた裁判である。判決は「裁判員を務めたことで心に傷を負った」と認定した。

▼残虐な犯罪とは縁のない市民が、生々しい犯行の証拠を見聞きして受ける衝撃の大きさは想像に難くない。その後、各地の裁判所では写真を白黒やイラストに代えるなどの試みがなされている。だがその一方で、被害の実態をありのままに見てもらわなければ殺意の強さや犯行の残忍さが伝わらない、といった問題もある。

▼検視本の写真はしばらく頭から離れず、ふとしたときに思い出しては気が滅入(めい)った。それでも写真を見たことで理不尽な犯罪への憤りが強まり、社会の安全についてより考えるようになったとも思う。裁判員裁判が抱える二律背反の難問をただちに解決できる方策はないが、よりよい制度に向けて、工夫を重ねるしかない。
事件や裁判の記事を書く参考になればと思い、検視の本を捜査関係者に借りて読んだことがある。遺体の状態や傷の様子から、死因や  :日本経済新聞

2014年10月1日水曜日

2014-10-01

人を早く運ぶために効率化した日本の技術が、人を快適に運ぶための技術追求を開始した。

2014/10/1付

 京都8時58分着、59分発、9時01分着、02分発、04分着、05分発……。文字通り分刻みで、次々とホームに滑り込んでくる。次の駅の到着時刻に狙いを定めて、するすると加速しながら走り去る新幹線の後ろ姿は凜々(りり)しい。昨年の遅延時間を平均すると実に54秒である。

▼なぜこんな離れ業ができるのか。運転士や車掌は、私たち乗客が目にする時刻表とは別の、秘密の運行表を持っているそうだ。そこには15秒単位で発着が記されている。遅れてはならないし、早く着いてもいけない。懐中時計の秒針をにらみながら、誤差ゼロを目指して戦っているのだ。その奮闘の歴史が半世紀を迎えた。

▼これぞ日本の技術の神髄。米国のビジネススクールの討論授業で、得意げに発表した日本人学生がいる。時刻表を映し出すと、まず感嘆の声が上がった。ところが「たしかにスゴイけどまるで効率を競う日本の工場の生産ラインみたいだ」と感想が出る。そこから顧客への「おもてなし」の本質とは何かと議論が広がった。

▼一日の乗客42万人。急ぐ人間を速く運ぶためのマシンだが、50年間で乗客の心も少しずつ変化した。1分や2分の時間よりスーツケースの置き場が欲しいという外国人旅行者もいる。きょう午前6時0分、下り始発のぞみ1号の出発は開業時と同じ東京駅19番線だ。変わり続ける期待を乗せて、日本の技術が次の旅に出る。
京都8時58分着、59分発、9時01分着、02分発、04分着、05分発……。文字通り分刻みで、次々とホームに滑り込んでく  :日本経済新聞