2014年3月31日月曜日

2014-03-31

人気キャラ達が商標を永久に更新し続け荒稼ぎしているという風に見たら興ざめだろうか。

2014/3/31付

 学校の春休みに、おとぎの国を訪れる家族も多かろう。ミッキーマウス85歳、ドナルドダック79歳、グーフィー81歳。見た目には感じさせないが、ディズニーの人気者も高齢化が進んでいる。誕生したのは第2次大戦より前だから、人間に勝るとも劣らない長寿である。

▼映画や小説などを無形の財産と認め、所有権を保護するのは、どのくらいの年月が妥当なのだろう。日本の著作権法では創作した人物の死後50年、米国は70年などと定めている。けれどもミッキーたちは不老不死らしい。作品という「著作権」の枠から飛び出し、企業が「商標」としての権利を永久に更新し続けるからだ。

▼それやこれやの知的財産権をどう扱うかで、米国と新興国が環太平洋経済連携協定(TPP)交渉で激しくやり合っている。知財産業が成熟した米国の目には、アジア市場は海賊版や模倣品がはびこる無法地帯と映る。逆にこれから医薬分野などを伸ばしたい国々からすれば、とめどなく権利を主張する米国は横暴に見える。

▼東京芸大の教授がぼやいていた。学術発表で故人の作曲家の作品を数分間のビデオで紹介したところ、法外な使用料を請求された。親族や知財権団体が荒稼ぎしていると感じたそうだ。ご当地キャラの「くまモン」や「ふなっしー」ももちろん商標登録済みである。人気者たちの活躍をそんな風に見たら、興ざめだろうか。
学校の春休みに、おとぎの国を訪れる家族も多かろう。ミッキーマウス85歳、ドナルドダック79歳、グーフィー81歳。見た目に  :日本経済新聞

2014年3月30日日曜日

2014-03-30

今年の東大告辞では知性の重みを説いた言葉はなく、知性や教養はますます影が薄くなった。

2014/3/30付

 太った豚よりやせたソクラテスになれ――。1964年3月、東京大学の大河内一男総長は卒業式の告辞でこう述べた、とされる。じつは草稿にあったこの部分を総長は読み飛ばしてしまったのだが、ひとたび報じられると広く社会の関心を集め、流行語にさえなった。

▼知性の重みを説いた言葉に、さすが東大総長とうなった人もいただろう。しかし若者たちのなかには、そういうエリートっぽい教養主義を嫌う傾向がすでにあったかもしれない。やがて全国の大学は紛争で騒然となる。政治学者の丸山真男は研究室を荒らされて「こんなことはナチスだってやらなかった」と嘆いたという。

▼もっとも当時のゲバルト学生も暴力一本やりだったわけではなかろう。むしろ小難しい本を小脇に抱えたり生硬な文章をしたためたり、何ごとかを自分で考えようとした風はある。自殺した高野悦子の手記「二十歳の原点」を読むと彼女はいつも自身の不勉強を恥じ、もっと学習せねばと焦っている。そんな時代であった。

▼「フランシーヌの場合」という、思いつめた感じの歌がはやったのも、やはり時代だったのだろう。そういえばきょうは、三月三十日の日曜日……だが世の中はすっかり変わり、知性や教養はますます影が薄い。「やせたソクラテス」から50年。今年の東大卒業式で、総長は論文盗用やデータ捏造(ねつぞう)はいけませんと訴えた。
太った豚よりやせたソクラテスになれ――。1964年3月、東京大学の大河内一男総長は卒業式の告辞でこう述べた、とされる。じ  :日本経済新聞

2014年3月29日土曜日

2014-03-29

潔な環境がひき起こす免疫問題以前に、空間除菌製品の効果が疑わしいことに拍子抜けだ。

2014/3/29付

 子を持つ親となって身についた知識に、赤ちゃんは生まれてから半年ほどは病気にかかりにくい、というのがある。胎内にいたときに母親からもたらされた免疫力を、保っているからだ。やがて、この親譲りの力は弱まる。自ら鍛えなくてはならない時期が来るわけだ。

▼子供が大人並みの免疫力を得るには15年かかる、と語るCMを目にしたことがある。確かに10代半ばから病気にかかりにくくなった記憶がある。だから「空間除菌」で悪い菌から子供を守ろう、というCMの趣旨には一瞬納得したのだが、理系の友人は違った。「それって、免疫力の獲得にかかる時間を長引かせるよ」と。

▼大人の体はおよそ60兆の細胞から成り立つ。一方で、その10倍もの数の細菌を蓄えているそうだ。そうした細菌たちの多くはヒトの健康を支えているらしい。アレルギーや自己免疫疾患といった病気が先進国で増えたのは、清潔な環境で育った人たちが十分に細菌を取りこんでいないからではないか、との見方もあるとか。

▼常識で考えれば清潔な環境こそ衛生の前提。ただ、度を過ぎれば別の問題も浮上する、ということだろう。そんなわけで空間除菌のCMにはいささか違和感も抱いてきたのだが、おとといの消費者庁の発表で肩すかしにあったような気分になった。空間除菌をうたう製品の多くは効果そのものが疑わしい、というのだから。
子を持つ親となって身についた知識に、赤ちゃんは生まれてから半年ほどは病気にかかりにくい、というのがある。胎内にいたときに  :日本経済新聞

2014年3月28日金曜日

2014-03-28

袴田事件の証拠捏造の指摘をよそに検察が抗うのであればいよいよ正義がわからなくなる。

2014/3/28付

 「著しく正義に反する」。いささか大仰な言い回しだが、司法の世界ではここぞという場面でこの表現が登場する。「原判決を破棄しなければ著しく正義に反する」「量刑は不当で著しく正義に反する」……。裁判所も検察も弁護人も依拠してやまぬ決めゼリフである。

▼今回はこれでは意を尽くせない、と静岡地裁で「袴田事件」の再審請求審を担当した裁判長は考えたのだろう。再審開始を認めたうえで、死刑が確定していた袴田巌さんをまずは釈放するよう命じた。いわく「これ以上、拘置を続けるのは耐え難いほど正義に反する」。こんなにも憤怒のにじみ出た司法の言葉を知らない。

▼一家4人が殺されたこの事件で、袴田さん有罪の決め手とされたのは公判中に見つかった衣類だった。きのうの決定はこれを捜査機関が捏造(ねつぞう)した疑いがあると指摘した。身の毛もよだつとはこのことである。被告を有罪に持ち込むための、そんなでっち上げがまかり通っていたとすれば暗黒捜査、暗黒裁判というほかない。

▼「耐え難いほど正義に反する」。決定文の言葉は、過去の司法判断も含めた事件の経緯そのものに向けられているのかもしれない。決定を受けて袴田さんは自由の身になったが囚(とら)われて48年、心身の衰えが目立つという。証拠捏造の指摘をよそに、それでも検察が抗(あらが)おうというのなら正義の在りかがいよいよ見えなくなる。
「著しく正義に反する」。いささか大仰な言い回しだが、司法の世界ではここぞという場面でこの表現が登場する。「原判決を破棄し  :日本経済新聞

2014年3月27日木曜日

2014-03-27

日韓が無沙汰にならぬよう頻繁に会談し、東アジアの平和と安定への足並みを揃えて欲しい。

2014/3/27付

 「レ・ミゼラブル」で知られるフランスの作家ビクトル・ユゴーが言っている。「外交官は、自分の本心を漏らす以外のすべての手練を駆使する」。とはいえ、現実には心の中を隠しきれないということだろう。3人並ぶ記者会見の映像に日韓関係のいまが映っていた。

▼オバマ米大統領を真ん中に安倍首相と朴槿恵(パク・クネ)韓国大統領。気まずくなって久しいお隣同士の間柄に気をもむ仲人が尻をたたいての顔合わせである。安倍首相の韓国語の挨拶や笑顔には人工甘味料の舌触りがあったし、朴大統領の硬い表情からは苦みと渋みがしみ出ている。ぎこちなさは覆うべくもなかった。

▼それでもやっと踏み出した一歩だ。無沙汰が高じて人を訪ねづらくなることを「敷居が鴨居(かもい)になる」というが、そうなる前にぜひ互いの敷居をまたぐ必要があろう。今回の会談に合わせるように北朝鮮が日本海に向けミサイルを発射した。相変わらずの無礼もまた、日韓が角突きあわせている間のないことを教えてくれる。

▼ベルリンの壁が倒れ世界が激動のなかにあったころ、ミッテラン仏大統領は「馬たちが同じスピードで走らなかったら、馬車は事故を起こします」とブッシュ米大統領(父)に説いたそうだ。会見に並んだ馬ならぬ3人の引く馬車には、東アジアの平和と安定という傷つきやすい客が乗っている。事故を起こされては困る。
「レ・ミゼラブル」で知られるフランスの作家ビクトル・ユゴーが言っている。「外交官は、自分の本心を漏らす以外のすべての手練  :日本経済新聞

2014年3月26日水曜日

2014-03-26

武力でクリミア半島へ領土拡張するロシアに対し、こちらから同士と呼びかける気はしない。

2014/3/26付

 知りたくもないことを学ぶのは苦痛である。どうせ身にはならないが、それでも記憶に焼きついてしまう一事があったりする。最近、あるハンガリー人に「先生同志! きょうもクラスに欠席はありません」というロシア語だけはいまだに忘れられないんだ、と聞いた。

▼旧ソ連が東欧を牛耳り、ロシア語を義務で教えていた冷戦下の学校では、授業の前に生徒がこう口をそろえたらしい。そう、人に「同志」と呼びかけるのが社会主義の決まりごとだったのだ。もっとも、きょうの同志があすには粛清されもする。「同志」はただの形式であるか、せいぜいが仲間を装った幻想なのであろう。

▼主要8カ国(G8)という仲間も結局は幻想の産物だったのか。ロシアが議長を務める6月のソチ・サミットをボイコットすると、他の7カ国の首脳が決めた。ロシアがクリミア半島でやってきたことは、武力をちらつかせて領土拡張を既成事実にする試み、とまとめられる。横紙破りを7カ国が認めないのは当然である。

▼オバマ米政権がロシア高官の海外資産を凍結する制裁を決めたとき、ロゴジン・ロシア副首相が「オバマ同志よ、海外資産がない場合はどうしよう」と皮肉ったそうだ。「同志」とは、大国意識をちらつかせた揶揄(やゆ)でもあったのだ。むろん、いまこちらから「プーチン同志」と呼びかける気はしない。事態が深刻に過ぎる。
知りたくもないことを学ぶのは苦痛である。どうせ身にはならないが、それでも記憶に焼きついてしまう一事があったりする。最近、  :日本経済新聞

2014年3月25日火曜日

2014-03-25

黒田総裁には財務省との連携で難題を解決し、安定成長に向け舵取りに集中して欲しい。

2014/3/25付

 太平洋戦争末期の日銀総裁、渋沢敬三は多才な人だった。日本資本主義の父とされる栄一を祖父に経済界で活躍するかたわら、標本や民具を集めて屋根裏博物館を設けた。民俗、社会、人類、考古といった人文科学の連携を提唱し、私財を投じて数多くの人材も育んだ。

▼魚名研究にも没頭した。蔵相時代には、生物学者だった昭和天皇と魚を巡り長く歓談した。あとで天皇が側近に「渋沢は何を本職にしている大臣かね」とたずねたという(佐野真一「旅する巨人」)。学術研究への評価は高い。が、日銀総裁としては軍の言いなり、お札を無制限に刷り物価高騰を招いたと批判されてきた。

▼いまの黒田東彦総裁の学識も幅広い。経済学は英国仕込み、難解な哲学や数学にも詳しく、大学で教えた経験も豊富だ。文楽ファンで歌舞伎にも造詣が深い。学者肌は渋沢に通じるかもしれない。違うのは世間の声だ。この1年の大胆な金融緩和が企業や消費者の気持ちを変え、デフレ脱却へ道筋をつけたとの評価もある。

▼もちろん歴史の審判はこれから。異次元緩和も間違うと副作用を生む。安定成長に向けてカジ取りに集中してほしい。それにしても経済運営の相方である財務相の影が薄い。財政再建と成長戦略の両立という難題を前に、立ちすくんでいるようにみえる。財務省に取り込まれ「言いなり」に動いてもらっても、困るけれど。
太平洋戦争末期の日銀総裁、渋沢敬三は多才な人だった。日本資本主義の父とされる栄一を祖父に経済界で活躍するかたわら、標本や  :日本経済新聞

2014年3月24日月曜日

2014-03-24

3Dプリンター開発は時にルールが不要で時に必要であるという深い問題を投げかけている。

2014/3/24付

 樹脂や金属の粉末を材料に使って、デジタル技術で立体物を自動的に製作する3D(3次元)プリンターが身近になってきた。家電量販店では6万円台の低価格機も登場している。創作意欲をかきたてられる人は多いはずだ。個人がものづくりを担う時代がやってきた。

▼東京・文京区にある印刷博物館の企画展「3Dプリンティングの世界にようこそ!」は、この新技術の可能性を様々な展示で伝えている。義足は高価な金型を使わずに試作を繰り返せるので安くなる。臓器の模型は医師が患者に手術を説明するのに便利だ。繊維を素材にして、自分で服を作るための技術開発も進んでいる。

▼だが気になることもある。ボランティアで作ったもので、人がけがをした場合だ。消費者庁によれば今の製造物責任制度では、商品として販売し、一定以上の生産量があるものでないと責任を問えない。個人の製作物の事故は責任の所在が曖昧になりがちなわけだ。善意でモノを作っても使い手が不安に思うかもしれない。

▼総務省の有識者研究会でも個人の作品の製造物責任について議論があった。面白いものを作りたいという意欲に誰もブレーキをかけたくはないだろう。しかしルールを明確にした方が使い手が安心でき、個人によるものづくりが広がりやすくなるとも考えられる。3Dプリンターは奥の深い問題を私たちに投げかけている。
樹脂や金属の粉末を材料に使って、デジタル技術で立体物を自動的に製作する3D(3次元)プリンターが身近になってきた。家電量  :日本経済新聞

2014年3月23日日曜日

2014-03-23

東南アジアでの日本語教育を手助けし、伊集院を驚かせるような若者の育成は楽しそうだ。

2014/3/23付

 1919年(大正8年)、フィンランドが日本に公館を開設した。初代公使とともに未知の国へ向かう17歳の娘に、こう持ちかけたのが船旅で知り合った伊集院彦吉、のちに外相も務めた外交官である。「日本語は難しすぎてお父さんは勉強を放棄する。賭けてもいい」

▼3人は日本で再会し、「この賭けに負けたのは初めてだ」と伊集院を悔しがらせた。話には公使が言語学者でもあったというオチまであるのだが、そのラムステットが「日本語は学ぶには世界でも非常にやさしい部類に入るが、ただ書くことに関しては考え得るかぎり最も難しい言葉の一つだ」という見立てを残している。

▼東南アジア諸国連合(ASEAN)の日本語学習を応援しようと、国際交流基金が2020年までに3千人を派遣するそうだ。学生やシニアを公募し、数カ月間、高校などで現地の日本語教師の手助けをし日本文化も伝えてもらう。老若のボランティア精神と好奇心にたのんで日本びいきを増やす、という狙いなのだろう。

▼「漢字を覚えるため、より有意義なことを学ぶのに使うべき時間を何年も無駄にする」。ラムステットが述懐した100年近く前に比べ、日本語は少しやさしくはなった。それでもなお難物である。なればこそ、伊集院を再びギャフンと言わせるような若者を東南アジアで育てるお手伝い、というのも楽しそうではないか。
1919年(大正8年)、フィンランドが日本に公館を開設した。初代公使とともに未知の国へ向かう17歳の娘に、こう持ちかけた  :日本経済新聞

2014年3月22日土曜日

2014-03-22

近年増え続けるDVの早期発見・対処のため、お役所や隣近所はもっとおせっかいでいい。

2014/3/22付

 最近耳にするようになった新しい言葉に「面前DV」がある。DVは夫婦間などでの暴力を指す「ドメスティック・バイオレンス」のことだ。それが面前で行われる。だれの面前かといえば、子どもの目の前である。父や母が相手を、子どもがいる場で罵り、殴り蹴る。

▼そのとき、大好きなはずの親は鬼の形相を浮かべているだろう。DVそのものが深刻な事態であるうえに、面前DVは子どもの心に、自分が暴力を受けたような傷を負わせる。「こういうときは殴ってもいいんだ」。そんな刷り込みがされ、暴力の連鎖が続くおそれもある。なじみのなかった言葉が持つ意味に慄然とする。

▼最も身近である家族、恋人同士の間で起きる犯罪や問題が増え続けている。この5年で警察が対応したDVは2倍、児童虐待は3.6倍、ストーカー被害は1.4倍になった。社会の関心が高まったことで、それまで表面化していなかったものが新たに「発見」された面はあるだろうが、それにしても異常というほかない。

▼プライベートだから。人それぞれだから。そもそも他者が入り込みにくい場所で起きる問題は、発見も対処も遅れがちだ。私たちの周りにも、子育てや人間関係の悩みを抱え込み、ひとり苦悩している人がいるかもしれない。今よりちょっとだけ気配りし、声をかけてみたい。お役所も隣近所も、もっとおせっかいでいい。
最近耳にするようになった新しい言葉に「面前DV」がある。DVは夫婦間などでの暴力を指す「ドメスティック・バイオレンス」の  :日本経済新聞

2014年3月21日金曜日

2014-03-21

良い研究に必須なのは良心だという朝永氏は、STAP細胞問題に揺れる今の理研をどうみるか。

2014/3/21付

 ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏は、若いころ理化学研究所に在籍していた。研究所に入ったときの印象を「科学者の自由な楽園」というエッセーの中で、こう記している。「おどろいたのは、まことに自由な雰囲気である。実に何もかものびのびとしている」

▼必要なものはどんどん買っていい。会議や書類仕事は少ない。研究室ごとの定員もない。必要な人は雇い、所内でも組織の壁を超えて自在に協力し合う。何よりも研究のテーマ選びが自由だったから、「大学から若いすぐれた人材が多く理研を希望してやってきた」。金銭的な待遇よりも研究の自由度で才能を引き付けた。

▼資金の潤沢さにはタネがある。別会社を設立し、研究成果を商品化したのだ。栄養剤、合成酒、感光紙、機械部品。終戦でグループとしては解体されたものの、今も存在感のある企業が多い。部品メーカー、リケンの工場が中越沖地震で被災したときは、自動車各社の生産ラインが一斉に止まりリケンショックと呼ばれた。

▼栄光に満ちた研究所がSTAP細胞問題で揺れている。時代も環境も財政基盤も違う。しかし良い研究に必須なのは科学者の良心だ、という朝永氏が理研で得た結論は今も同じだろう。「よい研究者は外から命令や指示がなくても、何が重要であるかみずから判断できるはずである」。朝永氏なら、今の理研をどうみるか。
ノーベル物理学賞を受賞した朝永振一郎氏は、若いころ理化学研究所に在籍していた。研究所に入ったときの印象を「科学者の自由  :日本経済新聞

2014年3月20日木曜日

2014-03-20

有効な策を講じれば花粉症の被害は和らいだのに、無策だった日本政府には呆れてしまう。

2014/3/20付

 宇良宇良尓照流春日尓比婆理安我里情悲毛比等里志於母倍婆。一見するとお経か呪文みたいだが、れっきとした和歌である。万葉集第19巻の最後をかざる1首。東大寺の大仏が開眼した翌年、万葉集の編者とされる大伴家持(やかもち)がよんだ。今から1200年以上も昔のこと。

▼漢字ばかりが並んでいるように見えるのは、万葉仮名を使っているから。これを平仮名に入れ替えて読みやすくすれば、広く知られた歌の姿になる。うらうらに照れる春日に雲雀(ひばり)あがり心悲しも独りし思えば。春の日差しの下で自然は華やいでいるのに妙にもの悲しい。近代的なメランコリーとも評される気分を伝える。

▼名門貴族の御曹司だった家持と違って感傷とは縁がないという人でも、春が来て憂鬱になるのが現代だ。戦後に大量に植えられたスギを最大の元凶とする花粉症が、今年も猛威をふるい始めた。いまや患者は2000万人を超えているとか。ゼロ歳から苦しむ子供がいる、とも聞く。新たな国民病と呼ばれて、もう30年だ。

▼スギが花粉を大量に飛ばすようになるのは、樹齢30年を迎えるころからだという。そうした成熟期のスギを毎年5%ずつ伐採するだけで、この国民病がもたらす被害はずいぶん和らいでいたのではないか。けれども、霞が関も永田町も実のある手を打ってこなかった。無為無策無芸大食無能力…。本当の呪文ができそうだ。
宇良宇良尓照流春日尓比婆理安我里情悲毛比等里志於母倍婆。一見するとお経か呪文みたいだが、れっきとした和歌である。万葉集第  :日本経済新聞

2014年3月19日水曜日

2014-03-19

民主的変化の反映を期待されたロシアの身勝手なウクライナ併呑は、G8体制崩壊の予兆か。

2014/3/19付

 プーチン大統領の強力な指導力のもとに進んでいるめざましい経済的、民主的変化の反映である――。主要国首脳会議(サミット)でそんなふうに持ち上げられ、ロシアが議長に就くことが決まったのは2002年である。ところはカナダの保養地カナナスキスだった。

▼ロシアはその4年後にサンクトペテルブルクでG8サミットを主催し、ことしは2度目の議長を五輪の地ソチで務めることになっている。しかし、「民主的変化」の行きつくところがこうでは、他の7カ国は同じテーブルに着くことなどできまい。ウクライナをめぐるロシアのやりかたは、それほど専横の愚にみちている。

▼クリミアで軍の力をバックに結果の分かりきった住民投票を行わせる。そして独立を認めたと思ったら、矢継ぎ早に今度はロシアへの編入である。編入といえば耳当たりがいい。併合、いや併呑(へいどん)と呼んでよかろう。ロシア系住民が多い地域とはいえ、独立国ウクライナの領土だ。身勝手な立ち回りが許されようはずはない。

▼世界は小さな保養地でのできごとから動きだす、とは歴史が繰り返してきたところである。69年前、クリミア半島のヤルタでチャーチル、ルーズベルト、スターリンの3首脳が築いたヤルタ体制は、世界規模の戦後レジームだった。クリミアを襲った新しい事態は、カナナスキスで築いたG8体制が崩れ去る予兆だろうか。
プーチン大統領の強力な指導力のもとに進んでいるめざましい経済的、民主的変化の反映である――。主要国首脳会議(サミット)で  :日本経済新聞

2014年3月18日火曜日

2014-03-18

横田夫妻の対面劇は思いで実ったので被害者の拉致問題解決を信じる気持ちを応援したい。

2014/3/18付

 歌人の斎藤茂吉はたいへんなカンシャク持ちで、いつ雷が落ちるかと家族はひやひやしていたらしい。ところが孫のことになると違った。2階に寝ていて、孫たちが下の廊下をばたばた駆け回る音がするのも「何とも言へぬ可愛い感じである」などと随筆に書いている。

▼およそカンに障りそうな足音まで「可愛い」とはほほ笑ましい限りだが、孫への愛情とはそういうものだろう。北朝鮮に拉致された横田めぐみさんの娘と対面かなった祖父母の感激も、だから察するにあまりある。しかもわが子はいまも行方が知れぬ。その面影を、孫の顔立ちや挙措に感じては涙がこみ上げたに違いない。

▼モンゴルのウランバートルに双方が出向いての、極秘裏の面会だったという。横田さん夫妻の孫を思う気持ちが実を結んだのは大いに喜んでいいが、第三国の首都までキム・ウンギョンさんを送り出した北朝鮮はそんなに素直でも人道的でもあるまい。こんどの対面劇にこめた専制国家の思惑をとくと見定めるべきだろう。

▼これで拉致問題解決の糸口が見つかったわけではないし、そもそも血も凍る粛清を平然とやってのける陰惨な王朝だ。きっとウンギョンさんも厳重な監視下にあろう。それでも祖母の早紀江さんは別れぎわに「希望ですよ」と語りかけたという。被害者みんなの足音を聞ける日が来ると信ずる心に、しっかり寄り添いたい。
歌人の斎藤茂吉はたいへんなカンシャク持ちで、いつ雷が落ちるかと家族はひやひやしていたらしい。ところが孫のことになると違っ  :日本経済新聞

2014年3月17日月曜日

2014-03-17

PM2.5や花粉対策は大切だが、防護マスク越しでは春の郷愁を誘う香りを逃しかねない。

2014/3/17付

 香りに呼び止められた。夕暮れの街路を見回すと、薄紅の沈丁花が暗がりにぼんやりと浮かぶ。甘く濃厚な風が通り過ぎたとたん、はるか昔の光景がいきいきと眼前に広がる。童謡「ぞうさん」で知られる作曲家、團伊玖磨さんも、この花の不思議について書いている。

▼本紙「私の履歴書」の最終回を執筆中のことだ。円い顔が窓越しに書斎の中をのぞいたのでびっくりした。誰だったのか。推理するうちに、花の香りと60年前の情景とのむすびつきに気がつく。そして庭の花陰に潜んでいた3歳の自分の魂が興味津々、その後の人生の軌跡、日々の記録を読みにきたのだと想像して納得する。

▼犯人は「プルースト効果」だったのかもしれない。名称のもとになった小説「失われた時を求めて」では、紅茶にひたしたマドレーヌを口にした瞬間、忘れていた街並み、庭の花々が主人公の脳裏によみがえる。近年、脳の記憶をつかさどる部位、海馬との関係が分かって、香りによる認知症予防などの研究も進んでいる。

▼先週、環境省で専門家が「PM2.5」対策を確認した。大気を汚染し、肺の病気を招きかねない。この微小物質を含む黄砂が中国から本格的に飛来するのはこれから。花粉の飛散も始まり、通りには、見えない粒子があふれる。予防は大切だが、防護マスク越しでは、春の郷愁を誘い出す、鮮やかな香りを逃しかねない。
香りに呼び止められた。夕暮れの街路を見回すと、薄紅の沈丁花が暗がりにぼんやりと浮かぶ。甘く濃厚な風が通り過ぎたとたん、は  :日本経済新聞

2014年3月16日日曜日

2014-03-16

既成品に工夫をこらす消費者の作品作りを、企業からの提案により手助けをしてはどうか。

2014/3/16付

 やや旧聞で恐縮だが、昨年のクリスマスにイチゴの売り上げを前年の3倍に増やしたスーパーがあったそうだ。タネは手描きした1枚の貼り紙だけ。イチゴと生クリーム、柔らかいチョコを使って小さなサンタの人形を作る方法を易しく図解し、売り場に掲示したのだ。

▼いつごろからか、ネットには家庭で工夫を凝らす「イチゴサンタ」付きケーキの写真があふれている。関心を持っていた人が貼り紙を目にし「今年は自分も」と思ったわけだ。基本は既製品で手軽に、でも最後の一手間で家族愛を演出、というわけか。この冬は鍋料理の上に大根おろしでクマやパンダを作るのも流行した。

▼「消費増税後は、こうした楽しみ方が広がっていく」。マーケティング会社を経営する日野佳恵子さんはそう読む。同社の調査では女性の6割が増税後は高い買い物を控えるつもりでいる。食も服も家電も車も、割安で外れの少ない定番品に目が向く。しかし不満も生まれる。個性に乏しく、友人と重なる危険も高い点だ。

▼そこで最後の一手間に凝り始めるというわけだ。「作品」を披露できるネットの普及もこの傾向を後押しする。買った服に好みの刺しゅうを施す衣料品チェーンも登場した。企業と消費者で一緒に物を作る時代とも言える。その中での主演は消費者であり、企業は良き道具係を目指してはどうか。日野さんはそう助言する。
やや旧聞で恐縮だが、昨年のクリスマスにイチゴの売り上げを前年の3倍に増やしたスーパーがあったそうだ。タネは手描きした1枚  :日本経済新聞

2014年3月15日土曜日

2014-03-15

STAP細胞をめぐる成果や疑いを通じ、小保方さんの人間としての魅力と共に弱さも感じる。

2014/3/15付

 一方にノーベル賞にも値するというみごとな成果がある。そしてもう一方には、小学生でも夏休みの自由研究でこういうことをしてはいけないと教えられるようなごまかしの跡がみえる。STAP細胞をめぐる物語はそれでも真実なのか。門外漢は戸惑うばかりである。

▼生命の常識を覆す世紀の大発見を割烹着(かっぽうぎ)姿の30歳の女性が中心になって成し遂げたという筋書きは、ひとまずなかったことにせざるを得まい。きのうの理化学研究所の記者会見で疑いはむしろ深まった。でも、もしSTAP細胞発見が真実ならば必ず世が証明してくれる。そうあってほしい、と願うのは甘すぎるだろうか。

▼生命科学者の中村桂子さんに「科学者が人間であること」という著書がある。震災の体験を踏まえ、生活者であり自然と向き合う人間でもあるという当たり前のことを科学者自身が忘れていなかったか、と問いかけている。1カ月半前、さっそうと現れた小保方晴子さんに人間であることの魅力を大いに感じたものである。

▼小保方さんには3年前の博士論文でもネット上の英文を20ページ分もコピーして貼り付けた疑いが出ている。どうしてそんなことを。なぜ誰も見抜けなかったのか。まだまだ分からないことだらけなのだが、今度の騒ぎともつながっているのだろう。いまふと感じるのは、こう言ってよければ、人間であることの弱さ、である。
一方にノーベル賞にも値するというみごとな成果がある。そしてもう一方には、小学生でも夏休みの自由研究でこういうことをしては  :日本経済新聞

2014年3月14日金曜日

2014-03-14

浅草寺での商品開発や販売促進が江戸を盛り上げたように更に知恵を絞り先人に続きたい。

2014/3/14付

 東京・下町の浅草寺は、江戸のむかしからにぎわいをつくり出してきた。江戸城下の発展とともに参詣する人が増え、境内と周辺には土産物などの店がたくさん立ち並んだ。のり、お茶、餅、くすり、人形……。消費を盛り上げるのに、この寺は大いに貢献したわけだ。

▼加えて今で言う企業家たちの頑張りもなかなかだった。関東の地酒の味が芳しくなく、江戸で酒といえば灘からの「下り酒」が当たり前なときに、山屋という店は地元産のうまい酒をつくった。隅田川の水を使って醸造したといわれる。上方が一番とは限らない。そんなメッセージを込めた商品で江戸っ子の心をつかんだ。

▼販売促進にも力が入った。木の端を砕いて繊維を房状にし、歯ブラシとして使う「ふさようじ」を売る店は、看板娘が集客を競った。柳屋というようじ店は「明和(18世紀後半)の三美人」といわれた中の一人のお藤が錦絵によく描かれ、大いに店の宣伝になったという。アイドルを活用した販促のはしりといえるだろう。

▼浅草寺の行事は夏のほおずき市、師走の羽子板市など多彩だ。18日には隅田川から観音像が引き揚げられた寺の由来にちなむ「金龍の舞」がある。イベントも国内外から観光客を呼ぶ力になって、町は潤う。店や企業が商品開発やマーケティングにさらに知恵を絞れば、効果は大きい。需要を開拓してきた先人に続きたい。
東京・下町の浅草寺は、江戸のむかしからにぎわいをつくり出してきた。江戸城下の発展とともに参詣する人が増え、境内と周辺には  :日本経済新聞

2014年3月13日木曜日

2014-03-13

経済の好循環に政治が出しゃばりすぎるのは禁物で、ベアは労使の関係で実現するものだ。

2014/3/13付

 その昔、「モガ」や「モボ」が銀座通りを闊歩(かっぽ)していたそうだ。モボにモガ? これすなわちモダンガール、モダンボーイの略である。片仮名言葉の2文字をつまんで略語とするやり方は近年めっきり廃れたが、かつてはたまにお目にかかった。「ベア」もそうである。

▼ベースアップを縮めてベアとは誰が言いだしたものか、なかなか便利だから春の賃金交渉期には新聞の見出しにもよく躍った。それが昨今は死語扱いされかねない雰囲気だったのだが、今年は違う。アベノミクスの風に乗って、自動車、電機、鉄鋼などの主要企業がきのうの集中回答日に続々とベア実施を組合側に伝えた。

▼基本給を底上げするベアは、企業にとって後々まで負担がかかる。それに頑張った人もそうではない人も一律アップとは悪平等だ、という声もある。とはいえやはりベアあってこそ賃金上昇の実感は湧こう。これが消費を増やし、企業がもうかり、また来年のベアを呼ぶならば申し分ない。経済の好循環が生まれるわけだ。

▼もっとも、そういう流れをつくるのに政治が出しゃばりすぎるのは禁物だろう。甘利明経済財政・再生相などずいぶんコワモテで、利益が上がっているのに非協力的な企業は「経済産業省から何らかの対応がある」と述べたそうだ。そんなに急いてはことを仕損じる。ベアは労使で実らせるもの。アベのベア、じゃあない。
その昔、「モガ」や「モボ」が銀座通りを闊歩(かっぽ)していたそうだ。モボにモガ? これすなわちモダンガール、モダンボーイ  :日本経済新聞

2014年3月12日水曜日

2014-03-12

日本のエネルギー事情と事故が招いた残酷とをともに見据え、未来に生かす知恵がほしい。

2014/3/12付

 これといったニュースもない金曜日の午後だった。淡々とした国会中継の画面を眺めつつ、さて、きょうのコラムは何を……。あの揺れはそのとき始まり、ものみな震えだしたのを覚えている。3.11の衝撃は、震源から離れた地域をもまず「体感」として襲ったのだ。

▼けれど3.12の、もうひとつの衝撃には揺れも音もなかった。震災発生からまる1日たった土曜日の午後3時36分、福島第1原発の1号機で水素爆発が起きた。しかしテレビにはぼんやりと、建屋外壁が吹っ飛んだ光景が映っただけである。これは何だろう? 以後のすさまじい事態を、どれだけの人が想像し得たことか。

▼目に見えにくく、体感を得にくく、それでいて戦慄をひたひたと募らせる原子力災害の脅威はなお続いている。おびただしい数の人々が故郷を追われ、帰還がかなわないという現実がいまもこの国にある。ひとたび引き起こせばかくなる悲劇をもたらす事故の実相を、日本は、わたしたちは3年をかけてすこしずつ知った。

▼こんなに怖いのだから原発は即ゼロにという人がいる。かたや「福島」を乗りこえて原発新設も考えよという声も聞こえる。二項対立の議論は歩み寄ることなく続くが、日本のエネルギー事情と、事故が招いた残酷と、2つの現実をともに見据えて道を探すほかあるまい。3.12の衝撃を、未来に生かす知恵こそがほしい。
これといったニュースもない金曜日の午後だった。淡々とした国会中継の画面を眺めつつ、さて、きょうのコラムは何を……。あの揺  :日本経済新聞

2014年3月11日火曜日

2014-03-11

人は皆未来と過去を理解しながら生きていけるので、どちらの「時」も大切にしたい。

2014/3/11付

 人間はおそらく2つの時間の中で生きている。どんどん流れて先へ先へと進む「時」。株式市場では100万分の1秒の単位で、何兆円ものカネが利益を競い合う。遅れれば負けのゲームである。秒針に背中を押されて、人は僅かな変化にも新しい価値を探そうとする。

▼古い一枚の写真のように、止まった「時」の価値もある。「記憶」と言い換えてもよいかもしれない。何年たっても変わらない。忘れられない。忘れてはいけない。2011年3月11日の14時46分が、その時だった。あれから3年が流れた。復興で生まれ変わった景色もある。傷ついたまま変わらない心の中の情景もある。

▼「時よ止まれ、おまえは美しい」。文豪ゲーテの戯曲「ファウスト」で、理想国家の建設を夢見る老学者が思わず口にする言葉である。3.11の惨事が起きる瞬間。その直前までの美しい姿のまま、被災地の時が止まっていれば、と夢想することもある。それでも再建に心血を注ぐ人間の知恵と努力は、間違いなく美しい。

▼早く過去と決別し、未来に進みたいという声がある。記憶の風化を恐れる声もある。そのどちらも大切にしたい。心配は要らないのかもしれない。2つの「時」の価値を行き来しながら生きる能力を、たぶん私たち人間はみな備えている。ゲーテはこうも語っている。「毎日を生きよ、あなたの人生が始まった時のように」
人間はおそらく2つの時間の中で生きている。どんどん流れて先へ先へと進む「時」。株式市場では100万分の1秒の単位で、何兆  :日本経済新聞

2014年3月10日月曜日

2014-03-10

首都帰郷による10万人以上の死者は想定内の被害であり、命を軽視する国の考え方に驚く。

2014/3/10付

 「やむをえず方針にしたがうことになりました」。校長先生は子供たちと親を前に、そうあいさつしたそうだ。時は昭和20年3月9日、場所は東京・下町の国民学校。現在の小学校にあたる。卒業生66人を引率、疎開先の宮城県から帰京し、親に引き渡した時の言葉だ。

▼これから空襲がひどくなり、首都がその標的になると予想していた。せっかく疎開している子を戻すのには反対だった。しかし、やむをえずの帰京。国のやり方への反感を公の場で示したのは、当時としてはぎりぎりの発言かもしれない。「くれぐれも空襲から身を守ってあげて下さい」。校長先生は親たちに念を押した。

▼生徒の1人である東川豊子さんのこうした回想を、早乙女勝元著「東京が燃えた日」が紹介している。両親との再会、慣れた町、集団生活からの解放に皆、はしゃいだ。その日の深夜に爆撃機が来襲。子を守ろうとせぬ親などいなかったはずだが、それでも66人の生徒のうち13人が命を失う。東川さんも父と弟を亡くした。

▼この夜の死者は10万人以上。想定外の数字ではなかった。河出書房新社「図説東京大空襲」によれば、東京の防衛に責任を持つ陸軍中将が空襲の前年にこんな論文を発表している。東京の爆撃で約10万人が死ぬ。しかし東京の人口は700万人。「十万人死んだところで東京は潰(つぶ)れない」。命を見る目の軽さに改めて驚く。
「やむをえず方針にしたがうことになりました」。校長先生は子供たちと親を前に、そうあいさつしたそうだ。時は昭和20年3月9  :日本経済新聞

2014年3月9日日曜日

2014-03-09

松林を育てる人達の頑張りによりきっと松林は蘇りやがて散歩する人を楽しませるだろう。

2014/3/9付

 春、浜辺をそぞろ歩くと、まだ背の低い松に新しい芽が伸び始めている。そのみずみずしさを詠んだ句「浜道や砂から松の若みどり」(蝶夢)のような景色が、何年か先、きっとよみがえる。松林をもう一度つくろうという人たちの頑張りに、そんな確信がわいてくる。

▼津波でほとんど失われてしまった海岸林の再生は、息の長い仕事だ。宮城県名取市では、地元の「再生の会」に非政府組織(NGO)が協力して、クロマツの種をまいて苗をつくることから始めた。2年たった苗は25センチ以上に育ち、春の植え替えを待っている。その繰り返しで、これから6年間に50万本を植林するという。

▼植林、植樹には誰もが手軽に参加できる緑化イベントのイメージがある。そんなものではないとも教えられた。海岸の松林は潮風や砂、霧から生活を守ってきた。その分自らは厳しさのなかに身をさらしている。栄養分のない土壌と寒風に乾風、二つの「カンプウ」に痛めつけられ、「砂漠の植林より難しい」のだそうだ。

▼だから専門家が植える。それでも3割ほどは間もなく枯れてしまうという。3年前に流された松林は伊達政宗が命じて造成させた。400年前の話である。老松が若松に代わり、やがては散歩する人を楽しませるだろう。そして一人前の松林になるまで50年、60年。その姿を、いま頑張っている人の多くは見ることがない。
春、浜辺をそぞろ歩くと、まだ背の低い松に新しい芽が伸び始めている。そのみずみずしさを詠んだ句「浜道や砂から松の若みどり」  :日本経済新聞

2014年3月8日土曜日

2014-03-08

オウム事件からテロ対策の教訓を、当の日本は世界と同じように必死で学ぼうとしたか。

2014/3/8付

 化学兵器が市民に対して初めて無差別に使われた国は日本である。そう聞けば、若い人などは驚くだろうか。だがテロの研究者や治安の専門家であれば、世界中のだれもが知る常識だ。これこそが、1995年にオウム真理教が引き起こした地下鉄サリン事件であった。

▼長い間逃亡を続けていた教団の元幹部に、きのう東京地裁で判決が言い渡された。裁判では同じく教団の幹部だった3人の死刑囚が証人として出廷した。結局、オウムの闇に光を当てるような新たな証言は出なかったが、1人が注目すべき事実を語った。「米国や国連のテロ対策の専門家と面会している」と明かしたのだ。

▼米国は事件直後から政府や軍の関係者を日本に送り込み、調査を繰り返した。それが今も続いている。犠牲者の追悼式に、テロを研究するハーバード大の大学院生らが参列したこともあった。福島第1原発の事故後、核や化学兵器に対処する米海兵隊の部隊が来日したが、この部隊もオウム事件を受けて創設されたものだ。

▼日本では地下鉄サリン事件を、テロというより「稚気を含んだ特異な集団の犯罪」と受け止めた。世界はオウム事件からテロ対策の教訓を必死で学ぼうとしたが、当の日本の取り組みは十分であったろうか。テロは遠い国で得体(えたい)の知れない者たちが起こすのではない。自分たちの社会で生まれ、そこで育っていくのである。
化学兵器が市民に対して初めて無差別に使われた国は日本である。そう聞けば、若い人などは驚くだろうか。だがテロの研究者や治安  :日本経済新聞

2014年3月7日金曜日

2014-03-07

人の内面を隠す仮面は現実離れが過ぎると破綻するので、目立つ仮面には気をつけよう。

2014/3/7付

 天使がふわりと石畳に降り立つと、拍手と歓声が上がった。高さ100メートルの鐘楼からの優雅な空中散歩はベネチアのカーニバルのヤマ場。広場は仮面や中世風の衣装であふれ、ゴンドラが揺らす水面がまぶしく光る。今年も水の都は伝統行事の閉幕で冬に別れを告げた。

▼祭りの起源は12世紀の戦勝祝いとか。華やかな仮装で約10万人が踊り歩く。まるで迷宮都市を舞台にした演劇。仮面の列がなんとも不思議な光景を出現させる。なぜ仮面なのか。諸説あるが、変身による開放感が最大の魅力らしい。一種の無礼講で、素顔を隠し、男と女、貧富、老若も逆転し、日常とは違う自分を演じる。

▼スイスの精神医学者ユングによると、ひとはみな見えない仮面をかぶっている。ラテン語由来のペルソナ。ふだん外に見せている顔のことだ。制服の学生、勤勉な会社員、やりくり上手な奥さん、大胆に新分野に挑む経営者。だれもが適切な役割を果たすことで職場や家庭が、ひいては社会がうまく回っているのだそうだ。

▼だが、現実ばなれが過ぎると破綻する。18年つけた「現代のベートーベン」「全ろうの天才作曲家」の仮面は、劣化し砕けた。素顔が見えて、福島県本宮市は東日本大震災・追悼式典での依頼曲の発表を断念。復興への思いにも被害は及んでいる。祝祭でもないのに、目立つ仮面に出会ったら用心するに越したことはない。
天使がふわりと石畳に降り立つと、拍手と歓声が上がった。高さ100メートルの鐘楼からの優雅な空中散歩はベネチアのカーニバル  :日本経済新聞

2014年3月6日木曜日

2014-03-06

下町の風情のある深川はお大尽遊びの場としても知られ、堂々と歩く度胸は半端ではない。

2014/3/6付

 若造の無鉄砲がまぐれ当たりしたのか、大学に入ってすぐのころに吉行淳之介を訪ね、自宅で話を聞いたことがある。中身はあらかた忘れてしまったが、それでも、こんな一言をもらったのを脈絡抜きに覚えている。「深川を顔をまっすぐ上げて歩ける男になりなさい」

▼40年前でも、東京・江東区にあたる深川はもう落ち着いた下町の風情だったから、大作家の言わんとすることはチンプンカンプンである。江戸期から材木の集積地として栄え、華やかな花街があり、この地の「辰巳芸者」はきっぷのよさから「お侠(きゃん)」と呼ばれ、というような深川のあれこれは、ずいぶん後になって知った。

▼66年前から行方不明だった喜多川歌麿の肉筆画「深川の雪」が見つかったという。縦2メートル、横3.4メートルの大画面に、雪見をする遊女らを27人も配している。1806年に死んだ歌麿最晩年の代表作だそうだ。そういえば、深川に「浮花川」の字を当てたのを読んだ記憶がある。往時の茶屋のにぎわいが聞こえるような絵だ。

▼人情がテーマの時代小説にとって、深川はいまも欠かせぬ舞台である。一方、「紀文(きぶん)」(紀伊国屋文左衛門)や「奈良茂(ならも)」(奈良屋茂左衛門)といった豪商のお大尽遊びの場でもあったことは、司馬遼太郎が「街道をゆく」でも触れている。歌麿を眺めれば、なるほど、顔をまっすぐ上げて歩く度胸は半端でないと知れる。
若造の無鉄砲がまぐれ当たりしたのか、大学に入ってすぐのころに吉行淳之介を訪ね、自宅で話を聞いたことがある。中身はあらかた  :日本経済新聞

2014年3月5日水曜日

2014-03-05

冷戦と似て非なる露のウクライナ軍事介入を、優れた文筆家チャーチルならどう形容するか。

2014/3/5付

 ドイツが降伏して間もない1945年6月。英国の首相チャーチルは下院を解散した。ご本人は挙国一致内閣を日本の敗北まで維持すべきだと考えていたようだ。が、最大野党の労働党だけでなく、与党の保守党内からも吹きつけた解散風に、抗しきれなかったらしい。

▼翌月の投票の結果は労働党の圧勝。保守党は下野した。これに先立ってチャーチルは米国と英国、ソ連の3首脳の会合を開こうと呼びかけていた。その結果が米国のトルーマン大統領、ソ連のスターリン共産党書記長とのポツダム会談だったのだけれど、発起人というべきチャーチルは会談の途中で交代を余儀なくされた。

▼それでも政治への情熱は衰えなかった。保守党党首として反共の訴えを強め、46年には訪問先の米国で歴史に残る演説をした。「バルトのシュチェチンからアドリアのトリエステまで、ヨーロッパ大陸を横切る鉄のカーテンが引かれた」。68年前のきょうのことだ。そして「鉄のカーテン」は冷戦を象徴する言葉となった。

▼新たな冷戦か――。ロシアがウクライナに軍事介入して以来、欧米メディアではこんな言葉が飛び交う。かつてのような資本主義と社会主義の対立があるわけではない。けれど、冷戦と共通する何かを感じるのだろう。優れた文筆家でノーベル文学賞も受賞したチャーチルなら、今の世界をどう形容するか。聞いてみたい。
ドイツが降伏して間もない1945年6月。英国の首相チャーチルは下院を解散した。ご本人は挙国一致内閣を日本の敗北まで維持す  :日本経済新聞

2014年3月4日火曜日

2014-03-04

クリミア半島掌握を狙うロシアに対し、日本も米欧と結束して圧力をかけねばなるまい。

2014/3/4付

 「いやでござんすペリー来航」。黒船4隻を率いてペリー提督が浦賀沖にやってきた1853年を、こんな語呂合わせで覚えた人も多いだろう。同じ年でも世界史になると「いや誤算だったクリミア戦争」。ロシアは英仏などを敵に回し、南下政策に失敗したのである。

▼時代を動かす大きな出来事が、2つの地域で同時進行していたわけだ。欧州列強はクリミアにかかりっきりだったから日本開国で米国の一番乗りを許し、ロシアのプチャーチンは長崎に来航しながら戦争勃発でいったん引き揚げた。ロシア船での密航を企てた吉田松陰はあてが外れ、翌年、黒船に乗ろうとして獄に落ちる。

▼こうして眺めれば、19世紀の昔でさえ日本にも何かと影響を及ぼした黒海沿岸の戦乱だ。地球がうんと狭くなった現代では、かの地の事態は日本の外交にも経済にもすぐさま影を落とそう。ウクライナの新政権に対抗し、またぞろ武力を背景に虎の子のクリミア半島掌握をねらうロシアの動きに世界の緊張が高まっている。

▼権益を確保するためならひどい横車を押してはばからぬこの大国に、ここは日本も米欧と結束してしっかり圧力をかけねばなるまい。わが方は北方領土問題を抱えていて……とたじろいでいたらかえって足元を見られるだけだ。「いや誤算だったクリミア介入」。こう嘆かせるために、国際社会はどんな手を打てるだろう。
「いやでござんすペリー来航」。黒船4隻を率いてペリー提督が浦賀沖にやってきた1853年を、こんな語呂合わせで覚えた人も多  :日本経済新聞

2014年3月3日月曜日

2014-03-03

時を経ても、東京大空襲や震災の悲惨さ・原因を語り継いでいく大切さは変わらない。

2014/3/3 3:30

 第2次大戦も末期、一般人を巻き込んだ空襲が本格的に始まったのは、終戦の年の3月だった。10日に東京、数日後に名古屋や大阪と、軍事施設だけでなく普通の街が火に包まれていく。ある程度予想されたにもかかわらず、農村や郊外へと避難した住民は少なかった。

▼最近出版された「検証防空法」という本で、理由の一端を知った。消火活動に従事させるため避難を事実上禁止し、違反すれば懲役か罰金を科していたのだ。法律にこうした決まりが盛り込まれたのは東京大空襲の4年前。真珠湾攻撃と同じ年だ。「爆弾にあたって死傷する者は極めて少ない」といった手引書も出ていた。

▼同書によれば、戦意喪失を避ける目的も大きかった。空襲を受け郊外に逃げたら、食料配給を止めると言われて街に戻り、次の空襲で家族を失う。そんな体験をした人もいた。NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」にも、「焼夷(しょうい)弾が落ちたら、消火しようとせず逃げろ」と指導した市役所職員が逮捕される場面があった。

▼東京大空襲などがあった3月には長らく、多くの人々が戦争の悲惨さを語り継いできた。3年前からは、震災とその犠牲者に思いをはせる季節にもなった。終戦から70年近くがたち、直接の体験者が減っていく。しかし何が起こり、それがなぜ起きたのかを調べ、伝えていく大切さはいまも変わらない。震災も同様だろう。
第2次大戦も末期、一般人を巻き込んだ空襲が本格的に始まったのは、終戦の年の3月だった。10日に東京、数日後に名古屋や大阪 :日本経済新聞

2014年3月2日日曜日

2014-03-02

おもてなしの言葉を耳にすると、夢見て永住帰国した孤児に暖かく接してきたか思い悩む。

2014/3/2付

 きょうは残留孤児の日だという。太平洋戦争の末期、中国から日本へ引き揚げる途中で親と離ればなれになり、現地に取り残された日本人孤児47人が1981年のこの日、肉親捜しのために初めて祖国を訪れた。訪日調査はこの後も毎年続き、そのたびに話題を呼んだ。

▼当時の取材メモを読み返すと、今でも胸が熱くなる。親戚に一番いい服を借りてきたと、上下の大きさが違う背広を着込んだ男性。思い出の品の、黄ばんだ家族写真を握りしめていた。再会がかなう日の目印に、母親が別れ際に泣きながら噛みちぎった耳の傷痕を、恥ずかしそうに、うれしそうに見せてくれた女性もいた。

▼新たに残留孤児と判明する人は減り、昨年は1人もいなかった。永住帰国した孤児は政府やボランティアの支援を受けて暮らしているが、言葉の壁、生活習慣の違いから日本になじめない人は多い。損害賠償を求める集団訴訟も起きた。「祖国に帰って本当に良かったのか」。そんな思いがよぎることも少なくないという。

▼訪日調査の会場となっていたのは、東京・代々木の青少年総合センターだった。64年に開かれた東京五輪の際、選手村だった施設である。そして2度目の東京五輪がめぐってこようとしているいま、「おもてなし」の言葉を耳にするたびにこう思う。私たちは母国での暮らしを夢見た同胞に、温かく接してきただろうかと。
きょうは残留孤児の日だという。太平洋戦争の末期、中国から日本へ引き揚げる途中で親と離ればなれになり、現地に取り残された日  :日本経済新聞

2014年3月1日土曜日

2014-03-01

法王はかつてのイエズス会と同じように透明性の高い内側からの制度改革に踏み切った。

2014/3/1付

 ローマ法王フランシスコは先ごろ、母国アルゼンチンの旅券と身分証を更新した。特別扱いを望まず、普通の国民と同じような手続きで、規定の更新料も支払ったそうだ。旅券には本名が記された。質素な生活と気さくな人柄で知られる法王らしい、と報じられている。

▼初代とされるペテロから数えて266代、初のアメリカ大陸出身者だ。日本史上にも深い足跡を残している修道会、イエズス会の一員としても、初めて。元駐バチカン大使の上野景文・杏林大学客員教授によれば、昨年3月の就任から信者の「バチカン詣で」は3倍近くに増えたという。清新な息吹を感じているのだろう。

▼法王自身、カトリック教会の改革を目指す構えを鮮明にしている。離婚や同性婚、避妊、中絶といった問題に対する姿勢を改める、と述べたことがある。最近も、お金にからむ噂の絶えない法王庁の透明性を高めるための制度改革に踏み切った。「王朝風のバチカン文化」とは対極にある人物。そう上野さんは書いている。

▼フランシスコのちょうど500年前、1513年3月に就任したレオ10世を思い浮かべる。「王朝風のバチカン文化」を体現したような法王で、財源として免罪符を大々的に売り出し、結果的にルターの宗教改革を招いた。そしてルターとは逆に内側からの改革を目指したのが、イエズス会だった。歴史の綾(あや)というべきか。
ローマ法王フランシスコは先ごろ、母国アルゼンチンの旅券と身分証を更新した。特別扱いを望まず、普通の国民と同じような手続き  :日本経済新聞