2014年9月30日火曜日

2014-09-30

政権交代の序幕となり日本政界を活性化させた土井さんが逝って、民主主義を再認識する。

2014/9/30付

 ステージではいつも艶(あで)やかだったテレサ・テンさんが、運動会の小学生のような鉢巻き姿で歌ったことがある。私の家は山の向こう……。1989年5月27日。中国の民主化を訴えていた学生らを応援するため、香港で開かれたチャリティー・コンサートでのことだ。

▼周知の通り、このときの民主化運動を共産党政権は武力で制圧した。香港のコンサートから間もない6月4日に起きた、いわゆる天安門事件だ。衝撃を受けたテレサ・テンさんはアジアを離れ、パリで暮らすようになった。42歳の若さで亡くなったのは、6年後。そして今、香港は民主化をめぐって再び大きく揺れている。

▼今回は香港の政治が焦点だ。香港のトップを決める選挙が3年後に予定されているのだが、民主派の候補を事前に排除する名ばかりの「普通選挙」を共産党政権が打ち出したことに、学生たちが反発している。デモ隊と警官隊の衝突も起きた。この四半世紀、中国の経済は目覚ましく発展したが、政治の歩みは何とも鈍い。

▼ひるがえって日本はどうか。25年前にピークを迎えたバブルが崩壊したあと経済は停滞してきた印象が強いけれど、政治の面では政権交代が何度かあった。序幕となったのが、89年7月の参院選だろう。土井たか子委員長ひきいる社会党が、自民党を第2党に後退させた。土井さんが逝って、改めて民主主義をかみしめる。
ステージではいつも艶(あで)やかだったテレサ・テンさんが、運動会の小学生のような鉢巻き姿で歌ったことがある。私の家は山  :日本経済新聞

2014年9月29日月曜日

2014-09-29

噴火はすっかり絶えたと思わせる休火山も死火山も、活火山であるという現実に向き合え。

2014/9/29付

 活火山、休火山、死火山――。むかし学校でこの3分類を教わり、頭にすり込まれた人は多いだろう。阿蘇山や浅間山は「活」、富士山は「休」、御嶽山や箱根山は「死」であった。しかし現在はこういう区分は廃され、過去1万年以内に噴火した山はすべて「活」だ。

▼歴史時代、つまり文字が生まれてからの噴火記録がなければ死んだと見なし、記録があっても長く眠っていれば休止中というのがかつての判定だった。大自然に人間の時間感覚をあてはめたのだから無理な話で、しだいに再検討が進んだ。それを決定づけたのが1979年の御嶽山の噴火だ。死火山が生きていたのである。

▼その御嶽が、また猛(たけ)っている。紅葉シーズンのおだやかな週末、不意打ちのように襲った爆発はたくさんの登山客をのみ込んだ。救援救助も思うにまかせず、被害の全容さえつかめぬ事態にもどかしい思いがただ募る。火山にしてみれば、これもほんの一瞬の身じろぎであるに違いない。人はその前になすすべもないのか。

▼真冬のよく晴れた日、濃尾平野から望む御嶽山は息をのむほどの荘厳さである。篤(あつ)い山岳信仰を生み、噴火などすっかり絶えたとも思わせてきたゆえんだ。けれど火山にあっては「休」も「死」もかりそめの姿、おしなべて「活」であるという現実にあらためて向き合わねばなるまい。それにしても御嶽よ、はやく鎮まれ!
活火山、休火山、死火山――。むかし学校でこの3分類を教わり、頭にすり込まれた人は多いだろう。阿蘇山や浅間山は「活」、富士  :日本経済新聞

2014年9月28日日曜日

2014-09-28

政府は学生支援の奨学金等の予算を惜しまず、経済的理由での学生の大学中退を防止しろ。

2014/9/28付

 「苦学」という言葉がさかんに使われた時代があった。家は貧しいけれど働いて学資を得ながら学ぶ。苦しくとも、そうすればきっと未来は開けると若者たちは夢を膨らませたのだ。明治後期にはすでに「苦学界」「東京苦学案内」といった雑誌や本も出ていたという。

▼戦後になってもそういう苦学生はたくさんいて、定時制高校や大学夜間部はよく青春映画の舞台になった。されどそれもこれも、過ぎ去った遠い昔の話と思いがちだが現実は違う。文部科学省によれば、2012年度の大学中退者7万9千人のうち20%は経済的理由での勉学断念だった。07年度調査より6ポイントも増えている。

▼お金がなくてキャンパスを去った若者がこれだけ多いということは、その一歩手前で歯を食いしばっている平成の苦学生も相当な数にのぼると知るべきである。アルバイトに明け暮れ、食べるもの着るものへの欲も抑えて過ごす4年間なのだ。親のスネをかじり放題の、バブル期あたりのリッチな学生像は遠のいて久しい。

▼政府は無利子奨学金などで学生を支えるというが、こういうところへの予算は惜しんではなるまい。苦学はしばしば美談として語られるけれど、明治大正のころの苦学生も初志を貫徹できるのは100人に1人の険しい道だったという(竹内洋著「立志・苦学・出世」)。豊かになったこの国にあってはならぬ景色だろう。
「苦学」という言葉がさかんに使われた時代があった。家は貧しいけれど働いて学資を得ながら学ぶ。苦しくとも、そうすればきっと  :日本経済新聞

2014年9月27日土曜日

2014-09-27

人の心を大切にする経済学をテーマとした宇沢氏の人生は、人間臭さに満ちた生涯だった。

2014/9/27付

 日本の大手企業のトップらで構成する日中経済協会の訪中団が、中国の汪洋副首相らと会談した。日本側は習近平国家主席か李克強首相との会談を求めていたが、実現しなかった。

 11月に北京で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議にあわせた日中首脳会談の開催を期待する日本側には、中国側の姿勢を瀬踏みする思惑があった。中国側は慎重な構えを改めて示したといえよう。

 一連の会談では、日中関係の現状は打開する必要があるとの考えで双方が一致した。中国の高虎城商務相は、日本からの対中直接投資が大きく落ち込んでいることに懸念を表明した。

 今年上半期の日本から中国への対中直接投資額は前年同期に比べ48%減った。原因として中国側からは、日中の政治関係の悪化を特に問題視する声が出たようだ。確かに、政治問題は経済関係に深刻な影を落としている。

 2012年に尖閣諸島を国有化したあとの反日デモでは、日系企業への焼き打ちや略奪が起きた。昨年の安倍晋三首相の靖国神社参拝などで歴史認識をめぐるあつれきが深まるなか、商船三井の船舶の差し押さえなど経済の面でも過去を問う動きが浮上した。

 ただ、政治リスク以外の要因も少なくない。人件費の急激な上昇や依然ずさんな知的財産の保護、透明性を欠いたビジネス環境などを心配する声は多い。

 こうした問題をめぐって率直に意見交換し着実に改善していくことは、双方にメリットがある。途絶えている閣僚級の「日中ハイレベル経済対話」を再開したいと汪副首相が表明したのは、意味があろう。双方の官民がそろって知恵を出し合うべきだ。

 ここにきて日中間では政治面の接触も増えている。両国外相が会談し、東シナ海で不測の事態に備える高級事務レベル海洋協議が開かれた。とはいえ双方が掲げる「戦略的互恵関係」にはなお遠い。一層の努力が求められる。
日中の「互恵」へ一層の努力を  :日本経済新聞

2014年9月26日金曜日

2014-09-26

日本企業は環境変化の激しさへの対応が不十分なので、状況に応じた不断の改革が必要だ。

2014/9/26付

 米国の詩人サミュエル・ウルマンの「青春」は多くの経営者をひきつけてきた。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う……年を重ねただけで人は老いない……」(作山宗久訳)。彼の住んだ家を記念館にする際は東洋紡の宇野収氏らが寄付を募った。

▼詩の原文を自分流に意訳して、座右の銘にしていたのがパナソニックを創業した松下幸之助氏だ。「日に新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものである」。「日に新た」とはその時々の状況をみて、ふさわしい手を打つこと。独立採算で責任意識を持たせる事業部制は組織を老いさせない工夫だったのだろう。

▼このところの米欧企業の事業再編も、会社の若さを保とうとしているからに違いない。米ゼネラル・エレクトリック(GE)に続いて独シーメンスも家電事業の売却を決めた。ともに成長性の高いエネルギーやインフラ分野に集中する。過去への郷愁を捨て、長い歴史を持つ事業部門からも撤退する思い切りの良さがある。

▼日本企業も経営改革が進んできたが、消費の変化に十分対応できていないダイエーなどの例もある。好調組も環境変化の激しさを考えれば不断の改革が必要だ。ウルマンによれば、青春とは「臆病さを退ける勇気、安きにつく気持を振り捨てる冒険心」も意味する。読み直すと改めて啓発されるところがあるかもしれない。
米国の詩人サミュエル・ウルマンの「青春」は多くの経営者をひきつけてきた。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを  :日本経済新聞

2014年9月25日木曜日

2014-09-25

外税表示による支払い時の心理負担を解消し、消費を盛り上げる政策は企業の知恵か。

2014/9/25付

 「一つ六銭だよ」。屋台のすし屋のあるじに言われて、仙吉はつまみかけた鮪(まぐろ)のにぎりを元に戻す。ふところには4銭きり。多分これで足りると思ったのが計算違い、少年は逃げるように店を後にするのだった――。志賀直哉の名作「小僧の神様」の有名な場面である。

▼大正時代の小僧さんのような気分を、買い物のさいに味わっている人も少なくあるまい。この春の消費税アップにともない外税表示が認められるようになったため、ときとして会計の段になって往生するのだ。1980円か、こりゃあ値ごろだな……と千円札を2枚出してお釣りを待っていたら「138円足りませんっ」。

▼「外税を知らずにレジで天仰ぐ」「値札見て『込み』か『抜き』かと目をこらす」。神戸元町商店街が先月、消費税をテーマに募集した川柳にもこんな作品が並んだ。レジでいきなり8%を加算されたときの負担感はなかなかのもので、増税をいやでも意識するはめになる。ここにきての消費伸び悩みの一因かもしれない。

▼わずかな差でも「イチキュッパ」に引かれるのが人の世だ。なのにつれない外税表示だが、再増税のあかつきには内税表示に戻ると言われても「10%」が頭に浮かんでこれまた心乱れよう。かの小僧はやがて鮨(すし)をたらふく食べさせてくれる紳士に出会う。消費を盛り上げるそういう「神様」はどんな政策か、企業の知恵か。
「一つ六銭だよ」。屋台のすし屋のあるじに言われて、仙吉はつまみかけた鮪(まぐろ)のにぎりを元に戻す。ふところには4銭きり  :日本経済新聞

2014年9月24日水曜日

2014-09-24

平安期の遺跡で出土した土器片に残る平仮名が、ひじきに見えてくる我が身が情けない。

2014/9/24付

 「君からのメールがなくていまこころ〔………〕より暗し」(笹公人)。さて、カッコのなかにはどんな言葉が入るでしょう。歌人の栗木京子さんが若い人向けに書いた著書「短歌をつくろう」で、こんな練習問題を出している。比喩の面白さを分かってもらうためだ。

▼答えは「平安京の闇」。きらびやかな都の底知れない暗さが「メールの来ない絶望感を示すにはうってつけ」と栗木さんは感心しきりなのだが、闇のなか、わずかな明かりの下でしたためたのだろうか。平安期の遺跡で出土した土器片に残る平仮名が、字の稽古で古今和歌集の一首を写したものだという新説が発表された。

▼切れ切れでこれまで解読できなかった字の連なりは、詠(よ)み人知らずの「幾世しもあらじ我が身をなぞもかく海人(あま)の刈る藻に思ひ乱るる」と読めるそうだ。意味は「ずっとは生きられぬ私なのになぜ漁師が刈る海藻のように心が乱れるのだろう」。なにゆえの心の乱れか、平安人はそれを海藻のゆらめきにたとえたのである。

▼もちろん土器片をどんなに眺めたって素人にはチンプンカンプン。うまい下手も分かりはしない。で、思い出したことがある。落語家、柳家小三治師が「ひじきをばらまいたような字」と言って笑わせた高座である。どんな字をたとえたかはご想像に任せるとしても、土器片の墨跡がひじきに見えてくる我が身が情けない。
「君からのメールがなくていまこころ〔………〕より暗し」(笹公人)。さて、カッコのなかにはどんな言葉が入るでしょう。歌人の  :日本経済新聞

2014-09-23

共犯犯行の密告者への刑の軽減策は冤罪を生む可能性があるので、制度作りを見守りたい。

2014/9/23付

 03・3581・5599――。このファクス番号を聞いただけで、ピクリと反応してしまう企業関係者もおられるのではないだろうか。設置されている場所は東京・霞が関にある公正取引委員会の審査局。談合にかかわった企業が「自首」するための専用回線である。

▼不正に加わった企業がみな口をつぐみ続ければ、談合そのものが発覚しないかもしれない。だがこのファクスで最初に自白をした会社は刑事告発を免れ、課徴金も全額免除される。迷っているうちに、ほかの企業が申し出て公取の調べが一気に進むと、自社の立場は不利になる。まさに囚人のジレンマの構図に陥るわけだ。

▼これに似た形の司法取引が、刑事事件の捜査にも導入されることになった。たとえば容疑者が共犯者の犯行について話す見返りに、自分の刑をまけてもらう。そんな仕組みになる。密告は日本になじまないとの声もあるが、公取にはファクスを置いたその日から企業の自首が相次いだ。同じ効果が期待できるかもしれない。

▼むしろ心配なのは、他人に罪をなすりつけ、自分が助かろうとする容疑者に乗せられはしないかという点であろう。人の弱みや心の隙を巧みに突く犯罪者より、捜査側の方が取引上手である保証はない。新しい仕組みを設けたために新しい冤罪が生まれたのでは、元も子もなくなる。制度作りの作業をじっくり見守りたい。
03・3581・5599――。このファクス番号を聞いただけで、ピクリと反応してしまう企業関係者もおられるのではないだろう  :日本経済新聞

2014年9月22日月曜日

2014-09-22

打つ手のない大企業病のソニーは、まず初心に帰って復活への意気込みを見せて欲しい。

2014/9/22付

 復興への意気込みは格別だった。戦後、「人間宣言」した昭和天皇は精力的に被災地や生産現場を訪問して、国民と共に歩む姿勢を示した。先に公表された「昭和天皇実録」には、「今後は平和の基礎の上に新日本建設に力を尽くしたい」という言葉が記録されている。

▼昭和37年に天皇が視察したのがソニーの工場だった。世界最小、最軽量のテレビの試作品を見た。当時社長の井深大は「身を乗り出すようにして小さなテレビの絵をご覧いただいた」(「私の履歴書」)と述懐している。極秘の新製品で「まだ世の中にでていませんから」と説明、のち「天皇に口止め」と話題になった。

▼同社は独創的な製品を次々に開発して世界企業に成長した。が、いま創業以来の危機にあえぐ。伝統のテレビが売れない。活路を開こうとしたスマートフォン事業でも躓(つまず)いた。今期の赤字予想を500億円から2300億円に下方修正し無配に転落する。中国など海外勢の台頭に押されっぱなしで、打つ手が見つからない。

▼ソニーの前身は、新兵器を開発していた技術者が戦後、設立した。技術をたよりに日本再建につながる製品の開発に全力を注ごう。会社が大きくなり組織が膨らんで、その初心を忘れたのではないか。井深は早くから「大企業病」の弊害を社内に警告していた。まず初心に帰る。そこから復活への意気込みを見せてほしい。
復興への意気込みは格別だった。戦後、「人間宣言」した昭和天皇は精力的に被災地や生産現場を訪問して、国民と共に歩む姿勢を示  :日本経済新聞

2014年9月21日日曜日

2014-09-21

不気味に膨張するイスラム国との戦いは、私達の社会の中の虚しさという魔物との戦いだ。

2014/9/21付

 その支配地域をあらわす地図を見ると、かれらの活動はアメーバのごとく変幻自在、まさに筋金入りのゲリラ組織であることがわかる。それが版図を急速に拡大して国家を名乗り、無法の限りを尽くしてやまない。「イスラム国」――いま世界で最も危険な存在だろう。

▼イラクとシリアにまたがる広大な「国」は何を企て、どこへ向かうのか。残虐行為と恐怖支配はこれまでの過激派にも通じる所業だが、軍事力や統治能力はひときわ高度だという。そして何よりも戦慄すべきは外国からおびただしい数の戦闘員を集めていることだ。1万人を超すそのなかには多数の欧米人も含まれている。

▼スケールは違うが、オウム真理教を思い起こさずにいられない。教祖の妄念は国家転覆のもくろみを生み、教団にたくさんの若者が吸い寄せられた。不遇をかこつ人々だけではなく、多くのエリートが罠(わな)にはまったのである。みんな現実社会の「虚(むな)しさ」からの解放を求めていたと、宗教学者の島田裕巳氏は分析している。

▼「イスラム国」に走る欧米の若者にも、中流以上の家庭の出身者は少なくないようだ。退屈な日常、閉塞感、孤独……。誰もがさいなまれる、そんな「虚しさ」を過激思想は巧みにすくい取っていくのだろうか。不気味に膨張するその「国」との戦いは、じつはわたしたちの社会のなかの魔物との戦いであるかもしれない。
その支配地域をあらわす地図を見ると、かれらの活動はアメーバのごとく変幻自在、まさに筋金入りのゲリラ組織であることがわかる  :日本経済新聞

2014年9月20日土曜日

2014-09-20

ゴルフ発祥の地スコットランド分裂の平和的解決は、自身と戦うゴルフの奥深さに通ずる。

2014/9/20付

 記録で確認できる限りでは、日本人が初めてゴルフをしたのは1896年のことだそうだ。場所はロンドンのロイヤル・ブラックヒース・ゴルフクラブ。「世界で最も古い」という説もある、名門クラブだ。試みにサイトを開くと「1608年設立」の文字が目に入る。

▼このゴルフ場を生んだのは2つの王朝が交錯する歴史的な出来事だった。1603年にイングランドの女王エリザベス1世が亡くなったとき、あとを継ぐべき子はいなかった。お鉢が回ってきたのが、スコットランド王のジェームズ6世。長年いがみあっていた両国は、このときから1人の君主の下に収まることになった。

▼夏坂健さんがのこしたエッセーによると、ロンドンに引っ越したジェームズは故郷から人を呼んで、7ホールのコースを王立公園のなかに造らせた。これが400年を超えるブラックヒースの歴史の始まりという。そしてまた、スコットランド人の楽しみだったゴルフが世界的なスポーツへと脱皮する、出発点ともなった。

▼スコットランドとイングランドが合併して1つの「連合王国」となるのは、さらに100年ほど後のこと。このときも事態は平和的に進んだ。おととい、およそ300年ぶりの分裂をかけた住民投票も平和のうちに終わった。自分との闘いこそが問われるゴルフの奥深さに、どこか通じるような。そんな感想をふと抱いた。
記録で確認できる限りでは、日本人が初めてゴルフをしたのは1896年のことだそうだ。場所はロンドンのロイヤル・ブラックヒー  :日本経済新聞

2014年9月19日金曜日

2014-09-19

養殖量制限でなく自然界に返す量を増やし、ニホンウナギを次の世代に残したい。

2014/9/19付

 少々まやかしの匂いがする。日本、中国、台湾、韓国がニホンウナギを保護するため、養殖に使う稚魚シラスウナギの量を来年はことしより2割減らすことで合意したというニュースに、そんな感想を持った。身辺とみに騒がしいわがニホンウナギの将来が心配である。

▼ことしのシラスは5年ぶりの豊漁だった。日本では去年の3倍も捕れた。だから、養殖に使う量を来年2割減らしたところで何のルールもなかった去年よりずっと多い。来年どれくらい捕れるかはだれにも分からないのだが、目いっぱい捕って規制の上限に達しない、つまりは合意に意味がなくなる可能性も高いのである。

▼親に卵を産ませるところから始まるのとは違い、ウナギの養殖はシラスを自然界から取り上げて始まる。グアム近くの太平洋で生まれた卵は少しずつ成長しながら何千キロも離れた日本、中国などの沿岸にたどり着く。そのシラスのうち人が頂戴すると養殖に回り、捕まらなければ自然界に生きて次の世代を育むことになる。

▼かつて江戸の通人は、同じ天然ものでも何月はお台場で捕れたの、何月は江戸川の落ちウナギに限る、などとありがたがったそうだ。その酔狂は望むべくもないが、いまはがまんしてでも次の世代にかば焼きの香りと味ぐらいは伝えたい。相手は絶滅危惧種のレッテルつきだ。もう少し自然界の取り分を増やした方がいい。
少々まやかしの匂いがする。日本、中国、台湾、韓国がニホンウナギを保護するため、養殖に使う稚魚シラスウナギの量を来年はこと  :日本経済新聞

2014年9月18日木曜日

2014-09-18

批判のある南極海の捕鯨を見直し、地域沿岸の捕鯨補充で鯨食文化を守るべきだ。

2014/9/18付

 きょうのおすすめは? 客が尋ねるとカウンターのなかの店主が待ってましたとばかり「アジにブリに、それにクジラだね。うまいよ!」。さきごろ九州は長崎のすし屋で、こんな場面に出くわした。こちらも尾の身のにぎりなど食してみれば、なるほどこれはうまい!

▼聞けばこのあたりではかつて沿岸捕鯨が盛んで、それが途絶えたいまも鯨食文化はしぶとく生き残っているそうだ。現代の日本人はクジラなど見向きもしなくなった――とよく言われるが、列島のあちこちにはクジラを食べる習わしが細々とだが根付いている。宮城県の鮎川や千葉県の和田などはいまも沿岸捕鯨の基地だ。

▼そういう鯨食文化をあたまから否定する反捕鯨国の独善は困ったものである。しかしだからといって、国際司法裁判所から中止命令を受けた南極海での調査捕鯨になおこだわるのが現実的な作戦かどうか……。スロベニアで開催中の国際捕鯨委員会(IWC)で、調査捕鯨継続を訴える日本は批判の矢面に立たされている。

▼ここはやり方を考え直してもいい。遠い南極海での捕鯨に固執するより、地域に密着した、伝統的な沿岸捕鯨の拡充をはかったほうが理にかなっていはしまいか。かの長崎のすし屋ではないけれど、昔からクジラを食べてきた土地では調理法だって相当なものなのだ。守るべきは捕鯨国のメンツではなく、鯨食文化である。

2014年9月17日水曜日

2014-09-17

スコットランド独立の国民投票結果はどうなるのか、不安でもあり応援したくもある。

2014/9/17付

 空港の列に並ぶ人々の手に、それぞれの国のパスポートが見える。日本国なら漢字で3文字。英字でもJAPANの5文字で簡単だが、やたら小さな活字で長い国の名もある。代表は英国だろう。正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」という。

▼日本語では「英国」「イギリス」とひとくくりに呼ぶが、本来はスコットランドやウェールズはイングランドとは別の国である。民族意識が異なるのに、つい同一視してしまい、イングランド人ではない英国人にムッとされた経験はないだろうか。古くはケルトの流れを継ぐスコットランドが住民投票で独立の賛否を問う。

▼俳優のショーン・コネリーさんは、祖国の独立を熱烈に願うスコットランド人である。英語に独特のなまりがあるが、決してイングランド風に直そうとはしなかった。そのため映画「007」では、コネリーさんの発音に合わせて脚本をつくり、役柄のジェームズ・ボンドの方をスコットランド系という設定にしたそうだ。

▼連合王国(UK)という名の上着をまとい、時には欧州連合(EU)のコートも羽織る。衣装は何枚あっても構わないが、嫌いな服を着せられるのは気分が悪い。「中身はこの私だ」と叫んで脱ぎ捨てたくもなろう。スコットランド人はどちらの道を選ぶのか。不安でもあり応援したくもある。戸惑いながら投票を見守る。
空港の列に並ぶ人々の手に、それぞれの国のパスポートが見える。日本国なら漢字で3文字。英字でもJAPANの5文字で簡単だが  :日本経済新聞

2014年9月15日月曜日

2014-09-15

2025年には高齢者を労働力として活用する計画なので、年を取っても楽はできなそうだ。

2014/9/15付

 ややこしい話だが、きょうは「敬老の日」であり、「老人の日」である。以前は9月15日=敬老の日だった。それが祝日を土日とくっつけて3連休にするハッピーマンデー制度の採用により、2003年からは毎年9月の第3月曜日に変更された。ここから複雑になる。

▼歴史ある日を動かすとは何ごとか、などと変更には反対する声が強かった。そこで敬老の日とは別に、9月15日を老人の日として新たに指定する妥協策がとられた。祝日ではないが、15日はこれまで通りお年寄りのことを思う日として残されたのである。今年はたまたま第3月曜日が15日だったため、この2つが重なった。

▼老人の日は高齢者に自覚を求めてもいる。法律には「老人に対し生活の向上に努める意欲を促す」との定めがある。たとえば高齢者になっても、仕事やボランティアで活躍し続けることが、素晴らしい人生の一つであるのは間違いなかろう。だがよき生き方を周囲から「促され」れば、抵抗を覚える人がいるかもしれない。

▼2つの日が次に重なるのは2025年だという。この年には団塊の世代がみな後期高齢者となる。医療費や介護費が膨れあがるため「2025年問題」と呼ばれる、まさにその年にあたる。経済の活性化に向けて政府は、高齢者を労働力として活用していく計画らしい。年をとるのもなかなか大変だということになろうか。
ややこしい話だが、きょうは「敬老の日」であり、「老人の日」である。以前は9月15日=敬老の日だった。それが祝日を土日とく  :日本経済新聞

2014年9月14日日曜日

2014-09-14

過去へ希望を持つ事は愚かではあるが、それでも歴史の歩みは他になかったのか問いたい。

2014/9/14付

 きょうは3連休の中日。旅先でお読みの方も多いかもしれない。交通網の発達で、いまは遠方でもあまり時間をかけずに旅ができる。しかし時間そのものをさかのぼることは夢物語だ。もし昔に戻れたなら何をするだろう。自分の失敗を消すか、それとも誰かを救うか。

▼若い男が過去のある瞬間に繰り返し飛ばされてしまう。そんな場面を最近、日本の若者が創った演劇で見た。舞台は米ニューヨーク。行き先は2001年9月11日、世界貿易センタービルがテロに襲われる直前だ。この事件で亡くなった父の命を救おうと、男はビルへ急ぐ。迫る悲劇を前に、あの手この手で外へ誘うのだ。

▼何度試みても運命は変わらない。男の焦る気持ちやもどかしさが観客の心を揺さぶる。ついにまもなく起こる事件を予言してしまうが、父は一笑に付す。航空機の自爆テロなど想像できるはずもなかったからだ。現実にビルで働いていた人々も、きっとそうだったろう。日本の私たちも目を疑った。あの事件から13年たつ。

▼不測の事態を警戒する中、今年も遺族が追悼式に集い、オバマ大統領はテロとの戦いの再開を宣言した。「過去に向けられたる希望は凡(すべ)て痴である」とは哲学者・阿部次郎の言葉だが、それでも歴史の歩みは他にもなかったか問いたくなる。国と民族を問わず、不意に失われた命のそれぞれに愛(いと)おしむ人がいたはずなのに。
きょうは3連休の中日。旅先でお読みの方も多いかもしれない。交通網の発達で、いまは遠方でもあまり時間をかけずに旅ができる。  :日本経済新聞

2014年9月13日土曜日

2014-09-13

スコットランド独立投票結果次第で生じる、金融市場混乱や世界を巻込む急変を防ぎたい。

2014/9/13付

 猫の命日である。名前はないが日本一有名な「吾輩(わがはい)」のモデルだった。神経衰弱の気晴らしにと書いた文章が大評判になり、小説家・夏目漱石が誕生する。恩義を感じてか、書斎裏の桜の樹の下に埋めた。小さな墓標の裏に「この下に稲妻起こる宵あらん」と句を記した。

▼英国留学中も、ひどい心の病に悩んだ。ロンドンで自転車に乗る練習をし、息抜きの旅にも出かけた。山に囲まれた静かな町、秋の日に染まる大地と林に、ほっとした。一切を忘れた。よほど、愉快だったのだろう。のちに、「ピトロクリの谷は秋の真下にある」と書き出す小品「昔」で、その明るい風景を回想している。

▼町のあるスコットランドは1707年、イングランドと合併し英国の一部となった。欧州で最も遅れた極貧の地で、生き残りの最後の手段だった。「経済学の祖」スミスはこの地域出身で、合併を徹底して支持した。時代遅れの貴族の圧政を打ち砕いたとみたからだという(ジェイムズ・バカン「真説アダム・スミス」)。

▼18日、地域が再独立を問い、投票を行う。北海油田があれば自立できるとの思惑もあるらしい。独立派が勝つ可能性があり、首相が説得に奔走している。結果次第では英経済への打撃、通貨急落や金融市場の混乱を招く恐れもある。漱石はポンド高、物価高に苦しんだ。世界を波乱に巻き込む稲妻のような急変は防ぎたい。
猫の命日である。名前はないが日本一有名な「吾輩(わがはい)」のモデルだった。神経衰弱の気晴らしにと書いた文章が大評判にな  :日本経済新聞

2014年9月12日金曜日

2014-09-12

福島第一原発事故当時の感情が混じった調書から、事故の真の姿を再現するのは難事だ。

2014/9/12付

 言葉を会得するということは、自分の周囲にふつふつと沸き立っている無数にして無限の、無秩序な連続体に、言葉で切れ目を入れるということなのです――。井上ひさしの「本の運命」の一節である。えたいの知れない素材をさばく包丁に、言葉をたとえればいいか。

▼言葉にうるさかった井上さんは続けた。「切れ目を入れることで世界を整理整頓し、世界を解釈するわけですね。言葉なしでは世界に立ち向かうことができない」。その通りだ。しかしまた、切れ目の入った世界はもはや世界そのものではない、とも言える。包丁でさばいたものが往々にして原形をとどめていないように。

▼政府の福島第1原発事故調査・検証委員会が関係者から集めた調書のうち、19人分が公開された。故吉田昌郎第1原発所長のほか、菅直人首相、枝野幸男官房長官ら時の政府の中心人物が、ふつふつと沸き立って無秩序のふちにあった世界に切れ目を入れた言葉の束である。そうした世界に立ち向かった人々の記録である。

▼と同時に、調書とはそれぞれの解釈の結果でもある。思い込みや功名心、一時の感情の高ぶり、保身の情も紛れ込んだかもしれない。皿の上の料理から食材の姿を思い浮かべるのが簡単ではないように、証言だけから原発事故の真の姿を再現することはできないだろう。言葉の束にまた言葉で切れ目を入れる。難事である。
言葉を会得するということは、自分の周囲にふつふつと沸き立っている無数にして無限の、無秩序な連続体に、言葉で切れ目を入れる  :日本経済新聞

2014年9月11日木曜日

2014-09-11

企業の努力だけでなく政府も明るい未来を提示し、増税後の消費者心理を解消して欲しい。

2014/9/11付

 「これで足りないはずはないでしょう」。高級スーパーで、レジ台に置いた何枚かのお札を前に、高齢の女性が若い店員に抗議する光景を見た。商品は数本のワイン。以前も購入したからおよその値段は知っている。手に取りながら暗算もしたので間違いはないという。

▼店員がすまなそうに説明した。円安で輸入価格が上がったこと。店頭の価格表示を消費税抜きに変えたこと。納得し、気まずそうに追加のお金を取り出しながら女性はこう言った。「ずいぶん高くなったのね」。買い物は楽しくできてこそ財布のひもが緩む。この店を女性が再び訪れ、好きなワインを買うか心配になった。

▼税込みが義務だった店頭の価格表示が、今回の増税で税抜きでもいいことになった。個々の商品の値上がり感が薄まるだろうと小売店は期待したが、客にすれば支払時に総額の8%が一気に上乗せされる。円安もある。生活コストの上昇を体感する人が増えたのか、消費者心理が4カ月ぶりに悪化したと内閣府は発表した。

▼増税は必要だと思っている人も、日々の出費がかさめば面白くない。無印良品は分かりやすい税込み表示を続け、セブン&アイグループはコンビニ弁当やレストランのメニューを一新し増税色を打ち消した。ただしこうした企業の工夫にも限界がある。経済を成長軌道に乗せ、明るい未来を見せることが最大の対策となる。
「これで足りないはずはないでしょう」。高級スーパーで、レジ台に置いた何枚かのお札を前に、高齢の女性が若い店員に抗議する光  :日本経済新聞

2014年9月10日水曜日

2014-09-10

錦織選手を全米オープン決勝まで導いたチャン氏は、自らの功績を選手に語らないだろう。

2014/9/10付

 48時間一度も「あのころは」って言わなかったら、好きな店でディナーをおごってもいいよ――。選手にそうクギを刺されたという話を、テニスコーチのブラッド・ギルバート氏が書いている。現役としても一流だった彼は、思い出を口にせずにはいられなかったのだ。

▼テニスのトッププロは個別に専属コーチを雇っている。だからコーチにおごったりもするのだが、先輩風に鼻白みながらも勝つためには経験も教わりたい。そんな選手の心情にこたえるコーチも容易ではない。その仕事には世界の頂点に立ったことのあるかつての名選手がつく、というのがいまのテニス界の流れだという。

▼全米オープンの決勝を戦った錦織圭選手のコーチも、四大大会の1つの全仏オープンを25年前、17歳で制したマイケル・チャン氏である。その大会では、素人のような緩いサーブを打ったり常識外れの位置で構えたりして格上の相手を挑発し、「そうまでして勝ちたいのか」と騒がれたことも古いファンならご記憶だろう。

▼錦織選手は頂点には一歩届かなかったが、勝つための方策をたたき込まれたこと、コーチを信頼していることは映像からも伝わってきた。ギルバート氏は反省し、ホテルのドアの内側に「『あのころは』と言わないこと!」と紙を貼ったそうだ。チャン氏は「あのころは」を連発したりしまい、とこれは勝手な想像である。
48時間一度も「あのころは」って言わなかったら、好きな店でディナーをおごってもいいよ――。選手にそうクギを刺されたという  :日本経済新聞

2014年9月9日火曜日

2014-09-09

歴史事実から教訓を得ることは大事だが、事実不足の昭和天皇実録からは何が学べるのか。

2014/9/9付

 数ある中国の歴史書のなかで、11世紀に北宋で完成した「資治通鑑(しじつがん)」は評価が高いもののひとつだ。歴史の記述方法としては、帝王や臣下の業績を中心にまとめる紀伝体が定着していた。これに対して編さん者の司馬光は、年月の順を追って史実を記す編年体を採った。

▼古代から世の中はどのようにして乱れては治まってきたのか。歴史に学ぼうとしない風潮を憂えた司馬光は、政治はどうあるべきか、事実を示して考えさせようとしたという。公表された「昭和天皇実録」も編年体で書かれている。私たちは何を学べるだろうか。たとえば1931年9月に勃発した満州事変をみてみよう。

▼日中両軍が衝突したとの報が入ってから、天皇は若槻礼次郎首相らに再三にわたり、事態が拡大しないよう努力を求めた。だが陸軍の動きは止まらず、戦線は広がるばかり。後に天皇は満州事変で、戦争がなかなか途中でやめられぬことを知ったと語っている。始まったら戦争の制御は容易でない。私たちにとって教訓だ。

▼昭和天皇実録にはマッカーサーとの会見内容が物足りないという声や、他の文献に出ている肝心な事実が抜けているとの指摘がある。昭和の時代から教訓をつかみ取るには、この大部の資料だけに寄りかからない態度もいるようだ。資治通鑑は文字通り、為政上の「鑑(かがみ)」とたたえられた。実録はどんな評価を得るだろうか。
数ある中国の歴史書のなかで、11世紀に北宋で完成した「資治(しじ)通鑑(つがん)」は評価が高いもののひとつだ。歴史の記述  :日本経済新聞

2014年9月8日月曜日

2014-09-08

今夜の十五夜は、多様な文化や交流を生んだ珈琲を片手に、風雅を味わってみてはどうか。

2014/9/8付

 江戸の狂歌師、大田蜀山人は月を愛した。なにかにつけて、眺めては詩を詠んだ。仲間70人を集めて、5日連続の宴を張ったこともある。のちに、百人一首「月みればちぢに物こそかなしけれ」(大江千里)のパロディー「月みればちぢに芋こそ喰いたけれ」も作った。

▼本業は幕府の実直な役人だった。大阪の銅座や長崎奉行所にも転勤した。長崎には、英彦山から上る月を詠んだ歌碑も残る。外国船が近海に現れ始めたころで、ロシアの特使レザノフと会見している。オランダ船でコーヒーを飲み、日本初の体験記を残した。ただ、感想は「焦げ臭くして味ふるに堪ず」と素っ気なかった。

▼ここまでの浸透は夢想もしなかっただろう。いまや日本は世界4位の消費国。年40万トン以上を輸入、週に平均10杯以上飲む。明治以降、誕生した街の喫茶店が長く普及の核だった。音楽喫茶などの多様な文化も生んだ。最近はコンビニなどに押され気味だが、学生や勤め人の情報交換、人々の社交の場を提供し続けている。

▼モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受けた映画「ふしぎな岬の物語」は喫茶店が舞台。吉永小百合さん演じる店主が入れる1杯を求め人が集う。交流がやがて驚きのドラマを生む。蜀山人も観月の集いの効力をよく知っていた。今夜は十五夜。カップを手に「中秋の名月」の風雅を味わってみてはいかが。
江戸の狂歌師、大田蜀山人は月を愛した。なにかにつけて、眺めては詩を詠んだ。仲間70人を集めて、5日連続の宴を張ったことも  :日本経済新聞

2014年9月7日日曜日

2014-09-07

マグロ乱獲規制の国際交渉で、日本は幼魚捕獲半減策を提案し議論をまとめあげ奮闘した。

2014/9/7付

 日本がバブル景気に沸いていたころに、取材でオーストラリア北東部のケアンズを訪れた。タクシーに乗ると、こちらが日本人だと気づいたドライバーがこう問いかけてきた。「近ごろ日本人がコアラを次々と持ち帰っているようだが、あれもサシミにして食べるのか」

▼コアラが各地の動物園で飼育されるようになって、当時の日本ではコアラブームが続いていた。だがもちろん食べたりはしない。意地の悪いコアラジョークの裏には、日本の捕鯨に対する反感があるようだった。日本人が世界中のクジラをとり尽くして、食べてしまうのではないか。本気でそう心配しているようにみえた。

▼いまあのドライバーに再び会えば、心配の種はさらに増えているかもしれない。その大半が日本人の胃袋に収まっている太平洋クロマグロの問題である。幼魚の乱獲によって、成魚の資源量が過去最低の水準に近づいているという。そこで資源を管理する国際機関が、幼魚の漁獲枠をこれまでの半分に減らすことを決めた。

▼この程度では手ぬるいとの指摘もある。とはいえ半減策は日本が提案し、議論をまとめ上げたものだ。国際交渉では自らの考えを説明しきれずに、不利な立場に追い込まれてしまうことが少なくない。マグロの乱獲規制で日本は奮闘したといえるのではないか。結果的に「悪役」となった、捕鯨の二の舞いは演じたくない。
日本がバブル景気に沸いていたころに、取材でオーストラリア北東部のケアンズを訪れた。タクシーに乗ると、こちらが日本人だと気  :日本経済新聞

2014年9月6日土曜日

2014-09-06

危機的状況でも慢心のアルゼンチンは、世界経済の現実に気づかなければ破綻しかねない。

2014/9/6付

 デフォルト騒動に揺れるアルゼンチンを訪ねる機会があった。預金者が銀行に長蛇の列をつくり、デモ行進と失業者が街中にあふれ、ブエノスアイレスは緊迫に包まれている……。そんな光景を想像して身構えていたが、真実はその逆だった。実にのどかな空気である。

▼ところ変われば、善悪の物差しも変わる。この国では貪欲な米国のハゲタカ・ファンドが悪者で、自分たちは被害者である。債務不履行?冗談じゃない。債務再編に応じた93%の債権者には、きちっと返済しているではないか。ゴネ得で一獲千金を狙う連中など懲らしめてやるべきだ。当局者からそんな答えが返ってきた。

▼その誇り高きタンゴの国で、新種の恐竜の化石が見つかった。ゾウ12頭分という大きさに、研究者は腰を抜かしたという。地球上で動物がどこまで巨大になりうるのか。既成概念を塗り替えるほどの発見だそうだ。8千万年前の太古の地上では生を謳歌したが、環境の変化で洪水が起こり、泥沼にはまって絶滅したらしい。

▼洗練された文化と世界一おいしいとされる牛肉。豊かな穀物に恵まれ、シェールガスまである。鎖国しても生存できるという余裕なのか。アルゼンチンは外からの批判を気にする風でもない。デフォルト騒動が収束したとしても、世界経済の現実に気づかなければ、化石が発見された巨大恐竜と同じ運命をたどりかねない。

2014年9月5日金曜日

2014-09-05

池上彰のコラム掲載拒否と、それに対する記者の不満公表には、メディアの危うさがある。

2014/9/5付

 そこにいた記者のほとんど全部がウオツカなどで酔っ払っていた。酔い泣きに泣いている者までいた。さほど酔っていない記者が説明してくれたという。「プラハの特派員がこの侵入と弾圧はよくない、と打電してきているのに、その正反対を書かねばならないからだ」

▼「酔ってでもなければ、そんなことは書けない」。1968年、チェコスロバキアの民主化の動き「プラハの春」をソ連が戦車で蹂躙(じゅうりん)したあと、モスクワでソ連共産党機関紙プラウダの編集局を深夜ひそかに訪ねたときの光景を、作家の堀田善衛が書き残している。党機関紙であっても記者の心根に変わりはないと知った。

▼朝日新聞が一度は掲載を拒んだジャーナリスト池上彰さんのコラムを、「判断は適切でなかった」という謝罪とともにきのう載せた。その間、朝日の記者たちがインターネット上に実名で意見を公にしている。「掲載拒否」に「はらわたが煮えくりかえる」、掲載後は「拒否した理由がますます分からない」というふうに。

▼慰安婦報道に対する朝日の検証を、池上さんは「遅きに失した」「謝罪もすべきだ」と批判した。しかし朝日を侮辱しているようには読めない。なのに、なぜ記者の心根とかけ離れた方針になったのか。記者の不満が紙面以外のどこかに噴き出すのはいいことなのか。民主主義の国だってメディアは危うさをはらんでいる。
そこにいた記者のほとんど全部がウオツカなどで酔っ払っていた。酔い泣きに泣いている者までいた。さほど酔っていない記者が説明  :日本経済新聞

2014年9月4日木曜日

2014-09-04

第二次安倍内閣発足での内閣改造と役員人事は物足りないが、今後待ち受ける仕事は重い。

2014/9/4付  2012年12月26日に発足してから617日。きのうの改造まで、第2次安倍晋三内閣の顔ぶれは一人も変わることがなかった。今の憲法の下では最長の記録だという。首相はじめ閣僚たちの努力のたまものか。はたまた、野党があまりにだらしない、というべきか。 ▼閣僚の交代というと、見苦しい事情による例が近年は少なくなかった。思慮を欠いた失言や不祥事を追及されたあげく、詰め腹を切らされたり、自ら身を引いたり。第1次安倍内閣でも不祥事に起因する閣僚の入れ替えが相次いだ。その反省を踏まえ、第2次安倍内閣の閣僚たちは防御能力を高めてきたのかもしれない。 ▼戦前には、もっと長く閣僚が固定していることもあった。首相官邸のホームページを開いて歴代内閣の欄をみると、1898年11月に発足した第2次山県有朋内閣は、2年近く後に総辞職するまで。第2次桂太郎内閣では1908年7月の発足まもなく外相が代わったが、その後はほぼ3年にわたって同じ顔ぶれだった。 ▼第2次山県内閣で焦点の一つとなったのは、日清戦争で悪化した財政を立て直すための増税だった。第2次桂内閣では、減税が焦点となった。そして第2次安倍内閣は、消費税率を再び上げるかどうかを問われている。ふたを開けてみると物足りない気分も覚える改造と自民党役員人事だったが、待ち受ける仕事は重い。

2014年9月3日水曜日

2014-09-03

蚊による感染症により死者を伴う流行を繰り返した歴史があるので、その怖さを忘れるな。

2014/9/3付

 人類の全歴史を通じ、蚊は偉大な指導者を倒し、軍隊を滅ぼし、国の運命を左右してきた――。米国の感染症研究者、アンドリュー・スピールマン氏らが著書「蚊 ウイルスの運び屋」でこう警告している。あの小さな虫はバイオテロ並みの脅威をもたらすというのだ。

▼マラリアや日本脳炎などさまざまな感染症が世界に与えてきたダメージを思えば、決して大げさな指摘ではないだろう。その病原体を口移しで運ぶ蚊との戦いに人類は明け暮れ、いまも果てることがない。太平洋戦争のとき、ガダルカナルや東部ニューギニアで日本軍将兵をさいなんだのは飢餓とともにマラリアであった。

▼東京の代々木公園が感染場所とみられるデング熱患者の多発は、蚊をめぐるそんな危難をあらためて思い起こさせる出来事だ。もともと海外で感染し、帰国後に発症する人が珍しくはないこの病気である。条件さえそろえば国内で広がるのも驚きではないという。ヒトの移動の活発化は感染症を予想もつかぬ地域へと運ぶ。

▼デング熱は重症になることは少ないし、こんどの感染はごく限定的なようだ。とはいえこの病気に限らず、蚊による感染症の怖さは心にとめておいたほうがいい。かつてアフリカなどではやっていた西ナイル熱は1999年に突如として米国に上陸した。それ以後、死者をともなう流行を繰り返すようになった現実もある。

2014年9月2日火曜日

2014-09-02

かつて敵対していたドイツが、ポーランドの西欧仲間入りを後押ししていることは意外だ。

2014/9/2付

 欧州連合(EU)の多数決は各国が1票ずつを投じるわけではない。最も多いのが独仏伊英4カ国の29票、少ないのはマルタの3票。加盟28カ国をあわせると352票になり、そのうち260票で「可決」というのが一応の決まりだ。ではポーランドの持ち分は何票か。

▼答えはスペインと同じ27。人口3800万とはいってもドイツの8200万と比べれば半分に満たず、10年前にEUに入った新参の旧社会主義国である。その割に票の持ち分が優遇されているのだが、今度はトゥスク・ポーランド首相(57)が次のEU大統領に決まった。東欧出身者が初めて就くEUの主要ポストである。

▼折しも、ドイツが西からポーランドに侵攻して第2次世界大戦が始まったのは75年前のきのう9月1日のことだ。東側からは旧ソ連が攻め込み、密約を結んでいた独ソ両国が領土を分け合って占領した。ポーランドはヨーロッパで最も徹底的に破壊された国であり、当然、ドイツ憎し、ソ連(ロシア)憎しの感情は根強い。

▼曲折はあっても対独関係はよくなっている。ざっくりいえば、西欧の仲間入りをドイツが応援したからだ。票の優遇はドイツの後ろ盾あってだし、トゥスク新大統領もメルケル独首相が推したという。ポーランドはドイツとソ連が一度は本気で潰しにかかった国である。その国の首相がEUを代表する。小さな話ではない。
欧州連合(EU)の多数決は各国が1票ずつを投じるわけではない。  :日本経済新聞

2014年9月1日月曜日

2014-09-01

震災体験の継承ほど大切なものはないので、被災者の体験談を記録し継承していくべきだ。

2014/9/1付

 関東大震災から50年の節目は昭和48年、第1次石油ショックの年だった。すでに大正時代は遠い昔である。それでも惨禍を知る人はたくさん生きていて、新聞やテレビには生々しい体験談があまた登場した。このころまでは、関東大震災はじかに語り継がれていたのだ。

▼しかし歳月は流れ、記憶を持つ人は急速に減っていく。今年もその日がめぐってきたのだが体験者はいよいよ数少ない。大正12年9月1日は土曜日で仕事は半ドン、学校は始業式で子どもたちも早く帰ってくるからみんなで昼食を食べるはずだった。朝から風の強い日で……。そんな語りだしをもう聞くこともなくなった。

▼激しい揺れが襲った午前11時58分は、だから多くの家庭が火を使っている最中だった。しかも折あしく台風による強風が吹き、被害が一気に広がった事実を往年の体験談はよく教えている。命からがら避難した陸軍被服廠跡で4万人近くが亡くなった悲劇も、実際に接した人々の話はまさにこの世の地獄を知らしめていた。

▼体験の継承ほど大切なものはない。しかしそれを重ねていくのはとても難しい。東日本大震災だって、やがては社会の共通体験ではなくなるだろう。風化を防ぐのは記録である。91年前の災厄でさえ、いまも新たな証言や映像が現れてわたしたちに教訓をもたらすのだ。記憶のすごみと記録の力。継承のための武器である。
関東大震災から50年の節目は昭和48年、第1次石油ショックの年だった。すでに大正時代は遠い昔である。それでも惨禍を知る人  :日本経済新聞