2014年6月30日月曜日

2014-06-30

東京五輪は、金だけに固執せず視野を広げてスポーツを捉えればうんと価値を増すはずだ。

2014/6/30付

 「織田選手一等に入賞し 初めて大マストに日章旗翻る」。1928年8月3日の中外商業新報(本紙の前身)にこんな大見出しの記事がある。アムステルダムで開かれていた五輪で、日本人として史上初の金メダルを三段跳びの織田幹雄選手が獲得したときの報道だ。

▼喜びをいきいきと伝える紙面だが、見出しが何だかもどかしい。いまなら「織田 日本人初の金」だろう。しかし当時は優勝を「金」と表現する感覚は乏しかったようだ。金銀銅の、メダル自体への意識が膨らむのは戦後だ。五輪といえばメダルが頭に浮かび、われらが「金」の数にばかり思いを募らせてきた歳月である。

▼6年後の東京五輪では過去最多の16個を大きく上回る25~30個の金メダルをめざすと、文部科学白書がうたっている。意気込みは結構だが相変わらずの「金」信仰に鼻白む人も少なくはなかろう。中国やロシアのような国威発揚型ではなく、成熟国家ならではの穏やかで多様性を重んじる五輪がこれで構想できるかどうか。

▼日本人が活躍しそうな場面は大騒ぎ、あとは野となれ……というアンバランスもそろそろ改めていい。もっとおおらかに、もっと視野を広げてスポーツを見るなら新・東京五輪もうんと価値を増すはずだ。大昔の紙面を眺めれば「日の丸揚がる」というだけで金銀銅のどれだかわからぬ見出しもある。案外それも悪くない。
「織田選手一等に入賞し 初めて大マストに日章旗翻る」。1928年8月3日の中外商業新報(本紙の前身)にこんな大見出しの記  :日本経済新聞

2014年6月29日日曜日

2014-06-29

自動運転車の実用化で、事故や高齢化の社会課題が解決すれば、企業と国の成長に繫がる。

2014/6/29付

 パソコン好きは部屋にこもる。カーマニアは女友達とドライブへ。IT機器とクルマ、いずれも若い男が好む分野だが、愛好家同士は互いを冷ややかな目で見ていた。そんな昔を知るだけに、ニュースを感慨深く聞いた。米グーグルが自動運転車を独自に開発した話だ。

▼先日公開した試作車は、運転開始と終了のボタンがあるだけ。ハンドルもアクセルもブレーキもない。運転のうまい男がモテる時代を終わらせたいオタク集団の執念――ではない。人による無謀運転や不注意をなくせば事故が減る。高齢者なども出かけやすくなる。省エネにも優れる。2020年の実用化を目指すという。

▼狙いは社会性だけではない。本紙の記事によれば、「自動車に乗っている時間の有効利用」も開発の目的に掲げている。忙しく働く人は動く個人オフィスとして、移動しながら仕事をこなすようになるかもしれない。社会性と経済性を兼ね備えた新市場を巡り、IT企業や自動車会社の間で主導権争いが激しくなってきた。

▼トヨタ自動車などは今年秋、自動運転の実験のため、道路や建物、信号を備えた「街」を米国につくるそうだ。技術の精度、法律、万一の時の責任問題などの壁を見すえつつ、民間企業が競争を通じ事故や高齢化という社会課題の解決に取り組む。その結果が個々の企業だけでなく国の成長にもつながる。そういう時代だ。
パソコン好きは部屋にこもる。カーマニアは女友達とドライブへ。IT機器とクルマ、いずれも若い男が好む分野だが、愛好家同士は  :日本経済新聞

2014年6月28日土曜日

2014-06-28

民族自決の象徴の足形と比べロシアのクリミア併合は博物館にすら収められない大問題だ。

2014/6/28付

 足を重ねると、重い歴史を踏むような妙な気になった。銃を構えるしぐさをする笑い顔の観光客もいた。100年前のきょう、ハプスブルク帝国の皇太子がサラエボで暗殺された。25年前に訪ねた現場には、19歳のセルビア人青年がここで発砲したという足形があった。

▼足形には、暗殺を「自由への希求」とたたえるパネルが添えられていた。暗殺犯は英雄か、それともテロリストなのか。立場によって答えは違う。事件が第1次大戦につながり、広大な領土の多民族をゆるやかに束ねていたハプスブルク帝国は崩壊し、民族自決の名のもとに多くの国が生まれた。こう書けるばかりである。

▼しかし、それぞれの民族はだれにも邪魔されず、そしてだれも傷つけずに運命を決められるのか。ヨーロッパのこの100年は、その問いかけにノーと応じているように思える。ナチスの反ユダヤ主義はゆがんだ自民族絶対の思想だろう。1990年代はサラエボも舞台にボスニア・ヘルツェゴビナで凄惨な内戦があった。

▼じつは、足形はもうない。民族間の内戦のさなかに壊され、複製が博物館にある。セルビア人を顕彰するものが目につくのをほかの民族が嫌ったためという。足形ならそうして博物館に収められる。民族紛争はどうか。ことしになってロシアがクリミアを併合した。こちらは博物館には到底入れられぬ目の前の現実である。
足を重ねると、重い歴史を踏むような妙な気になった。銃を構えるしぐさをする笑い顔の観光客もいた。100年前のきょう、ハプス  :日本経済新聞

2014年6月27日金曜日

2014-06-27

寺田氏の様な物理学者を生んだ日本の中学教員の熱心な指導に、今更ながら感謝したい。

2014/6/27付

 物理学者でもあった随筆家の寺田寅彦は、意外にも子供のころ算数が大の苦手だったそうだ。親が心配して頼み込み、夏休み中、中学教師の自宅に通って教えてもらうことになった。その庭にある高い松の木に凌霄花(ノウゼンカズラ)のツタが絡まり、隙間なく見事な花を咲かせていた。

▼鮮やかなオレンジ色は、真夏の幻のようだ。「霄」の字には「空」や「青」の意味があるという。青空をしのぐ勢いで上を向き、次々と咲いては散っていく。算術が解けず頭を抱える寅彦の目に、花の色は熱く映った。根気よく教えてくれるのに、なかなか分からず「妙に悲しかった」と、小品集「花物語」に書いている。

▼経済協力開発機構(OECD)が調べた国や地域の中で、日本の中学教員の勤務時間が最も長いという結果が出た。クラブ活動の顧問をしたり、事務書類をつくったりと、授業の他の仕事が少なくない。生徒にとって中学校の3年間は瞬く間に過ぎるが、次々と送り出す教師の役割には終わりがない。日本の先生は忙しい。

▼夜更けの部活も早朝練習も、いつもそばに先生がいた。それを当たり前だと思っていた。叱られて、時にはうとましく感じた。大人になって振り返れば、恥じ入るばかりだ。熱心な教師との夏がなければ、物理学者寺田寅彦は誕生しなかったかもしれない。ひたすら上を見て咲く凌霄花に街角で出会い、我が師の恩を思う。
物理学者でもあった随筆家の寺田寅彦は、意外にも子供のころ算数が大の苦手だったそうだ。親が心配して頼み込み、夏休み中、中学  :日本経済新聞

2014年6月26日木曜日

2014-06-26

個人力を発揮できずチーム力で劣った日本のW杯敗因は皆が甘さや身贔屓に過ぎたからだ。

2014/6/26付

 職場で学校で家庭で飲み屋で、ここ数日、寄ると触るとこの話題だった。サッカー・ワールドカップで日本はどうすれば1次リーグを突破できるか。まずは勝つのが絶対条件、それに加えてあれやこれや。たとえ可能性が低くても、夢を語り合うのは楽しいものである。

▼もう突破を決めた相手のコロンビアにやる気はないはず、という訳知り顔があった。決勝トーナメントの相手は練習試合で勝ったばかりのコスタリカになりそうだから、もっと上に行ける、という解説もあった。じっさい、コロンビアは先発選手を8人も入れ替えてきた。それでこの結果。圧倒的強さには敬意すら覚えた。

▼解説者の山本昌邦さんが「サッカーは11人の掛け算で、1人でも0があると0になる」と書いていた。確かにそんなこともあろうが、きのうの試合は、違う意味で日本が足し算、コロンビアは掛け算をしているようにみえた。例えれば、4の力を持つ5人が20の力で攻めたのと、5の力の2人で25になったのとの差である。

▼選手からは大会の間、「自分らしさが出せなかった」とよく聞いた。が、一流どころの選手はこぞって「らしさ」を出している。結局、選手や監督、もちろん見る人、伝える側にも、甘さや身びいきに過ぎた面があったのだろう。世界の壁の高さを目の当たりにして、「1億総皮算用」で幕を下ろした夢の後味がほろ苦い。
職場で学校で家庭で飲み屋で、ここ数日、寄ると触るとこの話題だった。サッカー・ワールドカップで日本はどうすれば1次リーグを  :日本経済新聞

2014年6月25日水曜日

2014-06-25

サントリー次期社長に新浪氏を起用する脱創業家の経営方針は、日本の企業文化の新風だ。

2014/6/25付

 フォード、バイエル、シーメンス、タタ……。人名を冠した企業は世界に数多い。おおむね、創業者の名前に由来しているようだ。わが国も例外ではない。トヨタ自動車、ホンダ、伊藤忠商事、野村証券、などと、指を折って例をあげていると、すぐに両手がふさがる。

▼ユニークなひねりを加える場合がある。有名なのはブリヂストンだろう。創業家の名字「石橋」を、まず英語で読み替え「ストーン・ブリッジ」。上下をひっくり返してブリヂストンにした、と聞く。サントリーも、そうした「ひねり」のきいた社名だ。創業家の「鳥井」の上に太陽を意味する「サン」をつけたのだとか。

▼一般に、創業者が亡くなって時間がたてばたつほど創業家の影響力は弱まる。特に大企業では、経営が複雑になると創業家以外に人材を求めざるを得なくなる。この点でもサントリーはユニークといえるだろう。売上高は2兆円を超え、創業から120年になろうというのに、トップの座を常に創業家の人材が占めてきた。

▼そのサントリーが次期社長に新浪剛史ローソン会長を迎え入れる方針という。創業家の外からの起用は、もちろん初めてだ。これまで日本企業でよくみられた、社内の「生え抜き」からの選抜でもない。いきなり、他社で実績をあげた経営者を招く格好だ。日本の企業文化に、新しい風が激しく吹き始めたようにもみえる。
フォード、バイエル、シーメンス、タタ……。人名を冠した企業は世界に数多い。おおむね、創業者の名前に由来しているようだ。わ  :日本経済新聞

2014年6月24日火曜日

2014-06-24

海外勢に押され100選選定が難航しているので、日本はかつての技術進歩を取り戻したい。

2014/6/24付

 子どものころ珠算塾に通ったことのある人は、50代以上ならたくさんおられよう。昨今の言葉を使えば「エアそろばん」をはじき暗算をこなす子もいたが、そうはなかなか上達しない。もし電卓なかりせば……。あのスキルの差はわれらの人生を左右したかもしれない。

▼いまでは100円ショップに並ぶ電卓だが、そんな感慨を抱かせるほど世に大きな影響を与えた。シャープがデビュー機を発売したのはちょうど50年前。同じ年に新幹線が開通し、こちらも社会を劇的に変えた。発明協会が選ぶ「戦後日本のイノベーション100選」の第1弾には、この2つを含めた38件が登場している。

▼敗戦からまもなくの魚群探知機や内視鏡、1950年代に入ってはインスタントラーメンに回転寿司、スーパーカブ、70年代で印象深いのはウォークマンか。それにトヨタ生産方式やコンビニエンスストアなどのビジネスモデルも挙がっている。リストをながめれば先人の労苦が心にしみ、戦後という時代へと想念は飛ぶ。

▼発明協会は近年も対象に、残りを引き続き選んでいくという。とはいえスマホなどは海外勢が主流だから「100選」策定もつらいところだ。電卓がどんどん小さく、薄くなってニッポンの技術進歩が驚きと共感を誘った時代をどう取り戻すか。往年のCMみたいに「答一発」というわけにはいかぬ、面倒な方程式である。
子どものころ珠算塾に通ったことのある人は、50代以上ならたくさんおられよう。昨今の言葉を使えば「エアそろばん」をはじき暗  :日本経済新聞

2014年6月23日月曜日

2014-06-23

女性2人が主人公の物語が人気なのは女性同士の友情が同性からの共感を得ているからだ。

2014/6/23付

 近年人気のエンターテインメントに「女性の相棒モノ」が目立つ。2人の女の子が変身し悪と戦う話で幕を開けるアニメ「プリキュア」シリーズ。女子高校生2人がアイドルを目指すドラマ「あまちゃん」。そして姉妹が助けあう映画「アナと雪の女王」などがそうだ。

▼いま放映中のNHK連続テレビ小説「花子とアン」も、この系譜に入るかもしれない。戦前の女学校で出会った主人公「はな」とその友人は「腹心の友」になることを誓う。主人公のモデルは後に「赤毛のアン」を翻訳出版する村岡花子。その友人のモデルとなった柳原燁子も、白蓮の名で歌人として知られるようになる。

▼東洋英和女学校で実際に親しかった2人の人生に興味を持った人が多いのか。書店では花子の本と並んで、作家の林真理子さんが20年前に出版した白蓮の伝記も平積みになっている。2人とも女性のための社会運動にかかわり、一時は夫に代わって筆で家計を支えた。互いのつらい時期には励ましあう関係が続いたそうだ。

▼「女の友情は続かない」「女の敵は女」。そんな俗説をしばしば耳にする。実際はどうか。2人のような有名人でなくとも、多くの女性には人生の節目節目で励まし、支えてくれる友人や仲間がいるのではないか。友情や仲間意識は男性だけのものではない。そう感じている女性たちも、ヒットを支えているように思える。
近年人気のエンターテインメントに「女性の相棒モノ」が目立つ。2人の女の子が変身し悪と戦う話で幕を開けるアニメ「プリキュア  :日本経済新聞

2014年6月22日日曜日

2014-06-22

女性活用のためには、やじ犯人捜しだけではなく、女性差別意識を根本的に解決すべきだ。

2014/6/22付

 1963年、東京都内で4歳の男の子がさらわれ、殺害された。戦後事件史に残る吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件である。調べが進まないなか、警視庁は脅迫電話の声の分析を試みた。犯人が自供したため活用されなかったが、この事件以降、声紋鑑定は広く知られるようになる。

▼犯罪がらみのそんな言葉を、東京都議会で耳にするとは思いもよらなかった。18日の本会議で、妊娠や出産への支援策を尋ねた30歳代の女性都議に「早く結婚しろ」「産めないのか」などとやじが浴びせられた問題のことだ。女性都議は発言者の処分を議長に求めたが、発言の主が特定されていないため受理されなかった。

▼そこで声紋を調べよ、という声が上がっている。だが都議会は、犯罪者の集まりではないはずだ。やじが不見識で、偏見に満ちていることは間違いない。当人が名乗り出て謝罪し、撤回する以外に解決の道はないだろう。周りにいた議員たちもこのまま口をつぐんでいれば、有権者とつなぐ信頼の最後の糸が切れてしまう。

▼「女性の活用」と看板が掲げられても、頭ではわかっていながら、どこか腑に落ちない。結局本音では女性を一段低く見ている。そんな意識が社会の中になお消えず残っていることも、また否定しきれない事実であろう。それがたまたま都議の口からこぼれ出たのだとすれば、犯人を捜す以外にもやることはたくさんある。
1963年、東京都内で4歳の男の子がさらわれ、殺害された。戦後事件史に残る吉展(よしのぶ)ちゃん誘拐事件である。調べが進  :日本経済新聞

2014年6月21日土曜日

2014-06-21

訪日外国人急増による運転手不足問題に対し、旅行者も事業者も満足できる策を考えたい。

2014/6/21付

 パスカルといえば、「考える人」の彫像が思い浮かぶ。沈思し続け「人間は考える葦(あし)である」と説いた。人間は自然の中で最も弱い葦にすぎないが、宇宙が自分を簡単につぶせると知っている。だから宇宙よりも尊い。考えが人間の尊厳や偉大さをつくる、とも言った。

▼39歳で没した天才は数学、物理の法則を見つけ計算器も発明する。晩年は信仰に生き、貧者の救済に腐心していた。あるとき、ちょっと変わった事業を思いつく。世界初の公共交通機関といわれる乗合馬車だ。それまで貴族が独占していた乗り物を一般市民に有料で開放し、もうけは慈善にあてる。一挙両得の着想だった。

▼会社を設立し1662年、パリで定期路線を開業。喜んだ市民が殺到し大成功した。これが現代のバスの起源となる。そのはるか子孫の観光バスが千客万来で困っているという。外国人の訪日が急増して車両が足りない。運転手不足も深刻で、修学旅行にも支障が出ている。運賃引き上げが増えそうで利用者の不満も募る。

▼昨年、外国人の訪日が初めて1千万人を超えた。政府は東京五輪の2020年に2倍に増やす目標を掲げる。必要なのは、東京だけでなく地方へも広く旅できる環境だろう。早すぎる躓(つまず)きを奇貨として工夫を始めることだ。ここはひとつ、パスカルにならって、旅行者も事業者も満足できる一石二鳥の妙案を考え出したい。
パスカルといえば、「考える人」の彫像が思い浮かぶ。沈思し続け「人間は考える葦(あし)である」と説いた。人間は自然の中で最  :日本経済新聞

2014年6月20日金曜日

2014-06-20

チームや選手の国籍等を贔屓せずW杯を観戦し、見る者全てに感動を与える瞬間を逃すな。

2014/6/20付

 4年前のサッカー・ワールドカップ(W杯)を語ったもののなかで、今も強烈に記憶に残る一節がある。「スペイン―ドイツの準決勝で、スペインのプジョルがヘディングシュートを決めた瞬間、なぜか涙があふれました」。語り手は元東大総長の蓮實重彦さんである。

▼じつは同じ瞬間、ひいきでもない当方の目にも涙があふれた。それを人にも話していた。後になって蓮實さんのインタビュー(朝日新聞)を読み、不思議な体験をした人はずいぶんいたのだと確信したものだ。スペインはこの1点で決勝に進み、初優勝した。チームを精神的に支えていたのが、プジョルという選手である。

▼今回、スペインは連敗して1次リーグ敗退が決まった。プジョルは引退し、もういない。闘将とよくいうが、猛将がふさわしい。優男ふうが目立つスペイン選手のなかにあって、ひとり仲間を叱りつけて鼓舞する獣性が目に焼きついている。ドイツ戦のシュートも、自分より背の高い味方すら押しのけて放ったものだった。

▼「サッカーには、選手や観客の国籍とは無縁に、見る者すべてを感動させてくれる瞬間がある」。涙の理由を蓮實さんはこう説いていた。スペインにもう一度を期待できないのは残念だが、その瞬間にいつ出くわすかもしれないのがW杯の楽しさでもある。ただし国籍不問。それを忘れていると、不思議な体験をし損なう。
4年前のサッカー・ワールドカップ(W杯)を語ったもののなかで、今も強烈に記憶に残る一節がある。「スペイン―ドイツの準決勝  :日本経済新聞

2014年6月19日木曜日

2014-06-19

医療農業等の見通しが曖昧な成長戦略の、心地よい4文字言葉の響きだけに惑わされるな。

2014/6/19付

 尊皇攘夷、大政奉還、廃藩置県、富国強兵、自由民権……。日本の近代史はこういう4文字7音の言葉でたどれると、半藤一利さんが「あの戦争と日本人」に書いている。昭和に至ればもうその氾濫である。この手のリズムはよほど日本人の感性に合っているのだろう。

▼いまとなっては歴史事典が必要なのだが五族協和に国体明徴、天壌無窮といったキャッチフレーズが盛んに唱えられた。やがて八紘一宇、七生報国、そして鬼畜米英だ。そんな具合だから戦後だって安保反対に所得倍増、政権交代などなど枚挙にいとまがない。さて目下のところ話題にこと欠かぬのは「成長戦略」である。

▼アベノミクスの第3の矢、それを大幅改訂した注目の文書だけに政府がまとめた素案はずいぶん力が入っている。ただしよく目を凝らせば医療や農業などの「岩盤」崩しが実際にどこまで進むかはあいまいな書きぶりだ。項目だけはテンコ盛りで、成長戦略を錦の御旗に役所があれもこれもと施策を並べた観がなくもない。

▼4文字言葉は耳に心地よく、うっかりするとその響きに躍らされてしまうのは歴史が教えていよう。そういえば今回の素案には霞が関ふうのカタカナも多い。「伴走支援プラットフォーム」「クロスアポイントメント制度」「日本版コンパッショネートユース」……。こちらは逆に耳障りだが、もっともらしさ十分である。
尊皇攘夷、大政奉還、廃藩置県、富国強兵、自由民権……。日本の近代史はこういう4文字7音の言葉でたどれると、半藤一利さんが  :日本経済新聞

2014年6月18日水曜日

2014-06-18

知略が得意なロシアとの外交は、北方領土問題を抱える日本にとっても他人事でない。

2014/6/18付

 小さな緑色の男たち――。米国の漫画やSF映画は、空想上の火星人を、そんな姿で描くことが多い。アニメの「トイ・ストーリー」にも登場するから、おなじみだろう。どこからともなくゾロゾロと現れる正体不明の連中。規律が正しく、無駄がない行動が不気味だ。

▼その火星人になぞらえて、ウクライナ東部で活動するロシアの工作員も「小さな緑色の男たち」と呼ばれるそうだ。親ロシア派のウクライナ人に交じり、分離主義や社会不安をあおるのが使命らしい。緑色の制服を着ているが、正規のロシア軍ではない。米国の外交官は「何とか彼らの侵入を止めなければ」と焦っていた。

▼親欧米のポロシェンコ政権が発足した後も、ウクライナ東部の混乱は収まらない。無理やり言うことを聞かせるつもりなのだろう。ロシアはついに天然ガスの元栓を締めた。代金を滞納したからという理由だが、燃料がなくなって困るのは一般市民や企業である。エネルギーを武器として使うのは、人道的な問題をはらむ。

▼小さな緑色の男たちは、テレビに出るのが大好きなようだ。カメラを向けられ、親ロシア精神や米欧批判を冗舌に語るイケメン隊長が、あちこちの放送局に映っていた。ガスだけでなく情報もまた武器となる。知略が得意なロシアとどう向き合うか。北方領土の返還という大問題を抱える日本にとり、対岸の火事ではない。
小さな緑色の男たち――。米国の漫画やSF映画は、空想上の火星人を、そんな姿で描くことが多い。アニメの「トイ・ストーリー」 :日本経済新聞

2014年6月17日火曜日

2014-06-17

日本は、男女・官民を同列にみる精神に乏しく、成長戦略の政策効果が薄まる恐れがある。

2014/6/17付

 中世アイスランドの説話にこんな物語がある。首長格のフラフンケルは白馬を持ち、神の馬として誰の騎乗も許さなかった。ある日、羊をちりぢりにしてしまった若い羊飼いの前に馬が現れる。彼はこれにまたがり羊を集め終えた。怒った有力者は若者を殺してしまう。

▼羊飼いの父トールビョルンはすぐ談判に行った。なだめようとフラフンケルは、夏に乳牛、秋に肉を贈ろうなどと申し出た。だが父親は、裁判を主張する。勝って所領を差し出させた。身分が違っても対等の立場で扱われることを求めたわけだ。そうした自立した個人を歴史家の堀米庸三は「中世の光と影」で描いている。

▼ゲルマン民族は自主独立を重んじ、支配者に束縛されるのを嫌った人々がアイスランドへ渡ったという。どの人も分け隔てなく、互いの人格や権利を認め合う。伝統は今も生きているのだろう。世界経済フォーラムが経済や政治などの分野について男女平等の度合いを指数化する調査で、アイスランドは5年連続で1位だ。

▼オトコ社会を壊し、女性の活躍を促す。官の不要な規制をなくし、民の力を引き出す。日本の成長戦略はそれを狙うが、問題は男と女、官と民を心の内から同列にみる精神が社会に流れているかだ。女性は家庭に入るもの、民はお上に従うものといった感覚は意外に残っている。いろいろな政策も効果が薄まる恐れがある。
中世アイスランドの説話にこんな物語がある。首長格のフラフンケルは白馬を持ち、神の馬として誰の騎乗も許さなかった。ある日、  :日本経済新聞

2014年6月16日月曜日

2014-06-16

50年後でも人口1億人目標達成は、明日への希望に満ちた社会で子供を増やす事が有効だ。

2014/6/16付

 50年後でも人口1億人――。政府が今月末にまとめる「骨太の方針」にこんな目標が盛り込まれるという。「1億」という数字にはとても安定感があるのだろう。その昔、昭和16年に閣議決定した人口政策確立要綱にもこうある。「昭和三十五年総人口一億ヲ目標トス」

▼そのために国は「産めよ殖やせよ」の一大キャンペーンを展開した。で、世は出産ラッシュに見舞われたかといえば、当時の出生数は意外にもほとんど伸びていない。若い男性がどんどん出征していくなか、スローガン頼みでは人口増に限界があったのだ。思えばこんどの「1億人」も掛け声だけでは心もとない話である。

▼肝心なのは、では何をやるかだ。たしかに出産や子育て支援のメニューは多々ならぶ。けれど、ならば安心して子をつくろう、そして2人目も、というほどの政策はどこにあろう。そもそも結婚や家族のかたちだってもっと柔軟に考えていいのだが、そういう議論になれば日本の美風や伝統を損ねるなという声が噴出する。

▼戦中の「産めよ殖やせよ」は空振りに終わったが、皮肉にも出生数は戦後すぐに急増、ベビーブームが訪れた。昭和35年の人口は「一億ヲ目標トス」にもう一歩、実際に7年後にはそれを達成してしまう。目標をぶち上げるのもいいけれど、しなやかで、明日への希望に満ちた社会こそ子どもを増やすこと請け合いである。
50年後でも人口1億人――。政府が今月末にまとめる「骨太の方針」にこんな目標が盛り込まれるという。「1億」という数字には  :日本経済新聞

2014年6月15日日曜日

2014-06-15

サッカーW杯での日本の勝利はもとより、若者らしく力を発揮し観客を魅了してほしい。

2014/6/15付

 時計を気にしながら、ワクワクしたり緊張したり。そんな気分でいま、小欄をお読みの方も多いかもしれない。サッカーのワールドカップ(W杯)ブラジル大会で、日本代表チームの初試合がきょう午前10時から始まる。相手国はコートジボワール。アフリカの強豪だ。

▼W杯の楽しみは選手が見せる高度な技だ。例えばきのう早朝に中継されたスペイン対オランダ戦。スペインに1点先取されたオランダが、コート中央あたりから長距離パスを相手ゴール近くに出した。別の選手がすかさず駆け込み、そのままシュート。目のさめる連係プレーで試合の流れを変え、反転攻勢へ口火を切った。

▼サッカーW杯は五輪を上回る世界最大のスポーツ大会だ。なぜこうも人気なのか。文化人類学者の今福龍太氏は、人は足を動かすことで原始の楽しさ、創造力、自然とのつながりを取り戻せると説く。石をけって遊ぶ。踊る。走る。サッカー観戦もその一環で、足を駆使した瞬間瞬間のプレーが人を引きつけるのだとみる。

▼日本チームにはもちろん勝ってほしい。しかしそれ以上に望みたいのは若者らしく、のびのびと、これまで培った力を発揮し、思い切ったプレーで観客を魅了してくれることだ。「負けたら恥ずかしい」「シュートを外したら帰国後に責められる」。そんな懸念から萎縮してほしくはない。記憶に残るプレーを期待したい。
時計を気にしながら、ワクワクしたり緊張したり。そんな気分でいま、小欄をお読みの方も多いかもしれない。サッカーのワールドカ  :日本経済新聞

2014年6月14日土曜日

2014-06-14

初めて平和的に大統領交代するアフガニスタンの平和と自由の国として新たな一歩を願う。

2014/6/14付

 英BBCが2010年から断続的に放映しているドラマ・シリーズに「シャーロック」がある。題名から想像できるように名探偵シャーロック・ホームズが活躍するのだが、舞台を21世紀に移して、新鮮な魅力を生んでいる。日本でもNHKの放映を通して好評という。

▼思わずうならされたのは、ホームズの相棒であるワトソンの設定だ。アフガニスタンでの戦争に軍医として参加し、体をこわした男。コナン・ドイルの原作そのままだ。もちろん、原作は19世紀の、ドラマの方は21世紀の「アフガン戦争」を、それぞれ指している。改めて、アフガニスタンという国の長い苦闘に気がつく。

▼そのアフガニスタンできょう、大統領選挙の決選投票が行われる。5年前の前回選挙では次点だったアブドラ・アブドラ元外相と、4位だったアシュラフ・ガニ元財務相の戦いだ。どちらが勝つにせよ、この国の歴史のなかで画期的な出来事になる。最高指導者が初めて、民主的な手続きを経て平和的に交代するのだから。

▼もっとも、心配のタネは尽きない。原理主義的な反政府武装勢力タリバンはなお強く、テロが絶えない。最強の支援国である米国は2016年の末までに全兵力を引き揚げる。次の大統領が向き合わなければならない現実は、とてつもなく厳しいものだろう。平和と自由の国として新たな一歩を。そう願わずにいられない。

2014年6月13日金曜日

2014-06-13

絶滅危機に瀕するニホンウナギの消費を自重し、放生を施してウナギ達の復活を祈りたい。

2014/6/13付

 本山荻舟(てきしゅう)の「飲食事典」にこんな話がある。天保年間のこと、ウナギで名高い京都・宇治の料亭にお大尽がやって来た。カミシモ姿の亭主が口上を述べ、酒やつまみをいろいろ出すが肝心のウナギが遅い。待って待って、やっと出たと思ったら細い貧弱なのが数本――。

▼さて勘定を頼むと何十両という仰天の値である。見せられたのは店の裏の、ウナギうようよの大桶だ。当地のウナギをすべて買い取り、これから川に放生するからお代はその分も……。半可通の遊客が体よくボラれた図だが、もしかしたら平成の世でも、かば焼きを食べるのにそのくらいの覚悟が必要になるかもしれない。

▼世界の科学者でつくる国際自然保護連合(IUCN)が、ニホンウナギをレッドリストに加えた。すでに日本の環境省も絶滅危惧種に指定しているが、IUCNのリストに載るとワシントン条約での取引規制の対象になる公算が大きくなるという。昨今の大幅な値上がりで縁遠くなったあの味の、絶体絶命のピンチである。

▼今シーズンはなぜか、稚魚のシラス漁が急回復しているらしい。それだけにレッドリスト入りのショックはいや増すけれど、このまま絶滅に追いやる前に日本人こぞって自重するしかあるまい。長い目で見ればそれがかば焼きを食べつづける道だろう。資源保護という現代版の放生を施して、ウナギたちの復活を祈りたい。
本山荻舟(てきしゅう)の「飲食事典」にこんな話がある。天保年間のこと、ウナギで名高い京都・宇治の料亭にお大尽がやって来た  :日本経済新聞

2014年6月12日木曜日

2014-06-12

整備ミス相次ぐ日本航空は事業の重心を見失っているので会社運営原理を学び直すべきだ。

2014/6/12付

 金の冠に銀を混ぜてないか調べよ。王様のこんな難問に苦しんだ末、湯船につかった。あふれると同時に体が浮く。その時、閃(ひらめ)いた。よほどうれしかったのだろう。「見つけた!」と叫びながら飛び出すと、裸で街を走った。「アルキメデスの原理」発見の瞬間である。

▼古代ギリシャの科学者は、比重の考えで混ぜ物を見破っただけではない。てこの原理の例として「私にどこか足場があれば、地球を動かしてみせる」と豪語した。その証拠にと、巨大な軍艦を滑車で手もなく動かしてみせた。三角形などの図形や立体の重心も見つけた。全体の重さを支え、バランスをとる中心点のことだ。

▼日本航空のシステム障害では、重心が計算できず、178便が欠航、約1万4千人が迷惑した。均衡をとり荷物を配置する仕組みの故障だった。飛行機は重心が動くと離着陸できない。それだけではない。この8カ月で部品付け忘れなど整備ミスが16件発生。エンジン損傷や事故の恐れもある異例の事態と指摘されている。

▼人の重心はへその辺りにある。貝原益軒の養生訓では命の根がある場所。ここに力がないと体を支えられない。活動に支障も出るそうだ。航空会社にもあてはまる。へそは安全運航と顧客満足のはず。再建できて初心を忘れ、位置が見えなくなっていないか。会社運営の原理を学び直さないと、業績で臍(ほぞ)をかむことになる。
金の冠に銀を混ぜてないか調べよ。王様のこんな難問に苦しんだ末、湯船につかった。あふれると同時に体が浮く。その時、閃(ひら  :日本経済新聞

2014年6月11日水曜日

2014-06-11

戦争と憲法と向き合ってきた信念を、理想に加えるのが集団的自衛権を認める為の流儀だ。

2014/6/11付

 「流儀はいろいろありうると思うんだけども」という話を、哲学者の鶴見俊輔さんが40年前、ある対談でしていた。続けて、自分の流儀はまず単純に線を引いてしまうことであり、複雑な状況を全部考えていくと生きる信念は出てこないような気がする、と言っている。

▼信念とは「人を殺すのはよくない。人を殺したくない。それだけの話」だという。それでは生きられない、平和自体がどこかで人を殺すことで成り立ち、人を殺す体系に自分は守られてきたのかもしれない――。そうとは重々知りつつ、ナマコのようによたよたしながらでも理想を立てていたい、と鶴見さんは語っていた。

▼いま、同じ流儀で信念を持つ人がどのくらいいるかを想像する。1枚はこの国が経験した戦争という鏡、もう1枚は憲法という鏡、2枚に映る自らの姿を確かめながら生きてきた人は、稀(まれ)というほどには少なくないだろう。そういう人々の多くは鏡を眺めて、信念はまんざら頓珍漢ではなかった、と思ってきたはずである。

▼複雑な現実を考えてみろ、それで生きられるのか――。その一撃をナマコのごとき理想に加えるのが、集団的自衛権を認めるという人たちの流儀である。信念もあろう。流儀はいろいろあっていい。あっていいが、ここへ来て安倍首相の急ぎすぎが気になる。ナマコの理想など踏みつぶして行けばいい、という話ではない。
「流儀はいろいろありうると思うんだけども」という話を、哲学者の鶴見俊輔さんが40年前、ある対談でしていた。続けて、自分の  :日本経済新聞

2014年6月10日火曜日

2014-06-10

増加する海外からのサイバー攻撃は、日本の対応力が試されており気持ちが引き締まる。

2014/6/10付

 東京急行といえば、東横線などの電車を走らせる電鉄会社のこと。と思いきや、もう一つ有名な東京急行があるそうだ。冷戦時代の話である。ソ連空軍機が東京に向かって頻繁に飛んで来ていた。同じ機体に同じ航路。水曜日が多く、まるで定期便の急行のようだった。

▼防空識別圏に侵入すれば、航空自衛隊はスクランブル発進する。すると「東京急行」はクルリと反転し、北海道の東部沖へと引き返していく。自衛隊と米軍の対応力を試していたのだとされる。領空を守る実力があるか。防衛識別圏は機能しているか。時間を計ったり、レーダーや通信の電波を調べたりしていたのだろう。

▼ソ連という国家は消えたが、ロシアの急行便は今でもやって来る。中国機の接近は日常茶飯事になった。しかも空だけではない。インターネット空間で、ちょっとしたサイバー攻撃が増えているという。決定的な破壊がないからといって油断は禁物だろう。本物の攻撃ではなく、小手調べをしているのかもしれないからだ。

▼見知らぬ相手からメールが舞い込む。微妙におかしな日本語のサイトに出会う。なんとなく「変だ」と感じる場面が増えたのは、気のせいではあるまい。自衛隊も警察も、今の体制では個人まで守り切れないのではないか。山ほどのパスワードを覚えるのは面倒くさいけれど、試されているかと思うと気持ちが引き締まる。
東京急行といえば、東横線などの電車を走らせる電鉄会社のこと。と思いきや、もう一つ有名な東京急行があるそうだ。冷戦時代の話  :日本経済新聞

2014年6月8日日曜日

2014-06-08

75歳で創業した田中久重のように、興味のある分野で起業する高齢者がもっと増えていい。

2014/6/8付

 「万般の機械考案の依頼に応ず」。機械ならなんでも作りますと看板に大書した建物が、東京の銀座に現れたのは明治8年のことだ。計器や羅針盤、糸取り機などが次々に製作された。東芝の源流になるこの小工場を興したのは技術者の田中久重。75歳での創業だった。

▼若いころ、からくり人形作りに没頭した田中は、幕末に精巧な置き時計を発明して有名になる。佐賀藩に招かれて蒸気機関車の模型を走らせ、郷里の久留米藩で大砲を造った。維新後、政府の求めで上京。要望通り電信機を完成させるが、それだけでは物足りなかったのだろう。高齢での起業も苦ではなかったに違いない。

▼好きなことは、何歳になっても情熱が衰えない。むしろ高まるのかもしれない。定年後、前から興味のあった分野で会社を設立したり、自営業を始めたりする人がもっと増えていい。元気に働く高齢者が広がれば社会保障費が楽になるメリットもあるが、大事なのは自己実現だ。これまでのビジネスの経験も役立つだろう。

▼中小企業白書によると、自分で事業を起こしたいという人のうち60歳以上の割合は2012年で16%あった。07年の11%から徐々に増えてきている。この流れを強めたい。晩年の田中は独自設計の電話機や時報を伝える機械を開発、エレクトロニクス産業の種をまいた。発明が途切れなかったのは面白く働いたからだろう。
「万般の機械考案の依頼に応ず」。機械ならなんでも作りますと看板に大書した建物が、東京の銀座に現れたのは明治8年のことだ。  :日本経済新聞

2014年6月7日土曜日

2014-06-07

貧国の子供は学ぶ喜びを自覚しているが、日本の子供や大人達はそれを忘れていないか。

2014/6/7付

 良質でも地味で、おおむね客集めに苦労する。ドキュメンタリー映画にはそんなイメージがあるが、いま異例のヒットが生まれつつある。題は「世界の果ての通学路」。週末などは映画館が満席のことも多い。上映館数も4月の公開当初に比べ2倍以上に膨らんでいる。

▼ケニア、アルゼンチン、モロッコ、インドで長い道のりを通学する子供たちをフランスの監督が記録した。例えばケニアでは、11歳の兄と7歳の妹が家から学校まで片道15キロを2時間かけて歩く。壊れたポリタンクを水筒代わりにぶら下げ、野生動物の群れがいれば遠回りを強いられる。武装ギャング団にも警戒が必要だ。

▼どの子供も苦労は大きい。とはいえ悲愴(ひそう)感はない。学校とは自分の人生を切り開くための場所だと、はっきり自覚しているからだろう。インドの少年は、廃品を組み合わせた手づくりの車イスに乗り、弟たちに助けられながら片道4キロを通う。将来は医者になりたいと語り、貧しい中で学校に通わせてくれる親に感謝する。

▼日本では幸い、ここまでの遠距離通学や自然の脅威とは無縁だ。しかし、映画のように、学びの場がある幸運を自覚している子がどれだけいるだろう。いや、子供だけではない。日本の大人たちは学ぶ喜びを忘れていないか。配給元によれば、子供より大人の観客の方が、何かを学ぶ意味について見た後で考え込むそうだ。
良質でも地味で、おおむね客集めに苦労する。ドキュメンタリー映画にはそんなイメージがあるが、いま異例のヒットが生まれつつあ  :日本経済新聞

2014年6月6日金曜日

2014-06-06

諫早湾干拓で対立する農・漁業者とその関係をほぐす政府が譲歩し解決できる案はないか。

2014/6/6付

 「憚(はばか)りだねえ」。売れっ子芸者が自分にぞっこんの男に酌をさせ、お愛想まじりにしなをつくる場面を先日、歌舞伎で目にした。この憚り、いまは聞かないので辞書を引くと「憚りさま」を縮めたもので、世話になったとき使うちょっとした挨拶代わりの言葉とあった。

▼それに比べ、時代劇や落語で耳にする「憚りながらお奉行さま」の憚りは、恐縮しつつ物申す際の枕詞(まくらことば)だから分かりやすい。小欄など毎々「憚りながら」なのだが、さはさりとて、憚りながらとんと解せない話がここにもあった。長崎県の諫早湾干拓をめぐる政府の煮え切らぬ姿勢と、二つの裁判所の相反する判断である。

▼国が干拓地を造成するため堤防をつくった。堤防のせいで漁業に被害が出た、と漁業者が訴え、裁判所は「堤防の水門を開き海水を流せ」と国に命じた。それでは農地に被害が出る、と農業者が訴えると、別の裁判所が「開門はならぬ」と命じた。開け。開くな。両方の命令に同時には従えない政府は立ちすくむばかりだ。

▼さらに、開門しなければ国は漁業者に1日49万円払えと一方の裁判所が命じると、もう一方は開門したら農業者に同額払えと反対向きの命令を出した。これでは、裁判所に頼ってラチの明きようがない。漁業者と農業者の間で汗をかき、関係をほぐすのは政府の責任である。憚りながら、三方一両損の妙案は出ないものか。
「憚(はばか)りだねえ」。売れっ子芸者が自分にぞっこんの男に酌をさせ、お愛想まじりにしなをつくる場面を先日、歌舞伎で目に  :日本経済新聞

2014年6月5日木曜日

2014-06-05

見通しの甘い公的年金財政のシナリオを、厚労省はもっと現実を直視して想定してほしい。

2014/6/5付
小サイズに変更
中サイズに変更
大サイズに変更
保存印刷リプリント
 小津安二郎は昭和30年代、シナリオを書くときは信州・蓼科高原の山荘にこもった。相棒の脚本家、野田高梧と顔を突き合わせ、夜は地酒を酌み交わし、精魂かたむけて作品を完成させていったという。「秋日和」や「秋刀魚の味」など晩年の名作はそこから生まれた。

▼こちらの脚本も苦心の作ではあろう。厚生労働省が公的年金の長期的な財政見通しとしてまとめた、8本のシナリオである。かねての政府の目標どおり、現役世代の収入の50%は支給できるという楽観的な筋書きが5本、それより落ち込むという悲観的な展開が3本。うち最悪のケースでは「積立金枯渇」の結末を迎える。

▼総じてみれば「年金はなんとか維持できる」と訴えているようだが、首をかしげる向きも少なくない。「5割支給確保」の想定のなかでは働きに出る女性や高齢者が一気に増えるし、積立金も4%の利回りで運用が続けられることになっている。さてそんなにうまく事が運ぶのかどうか、ずいぶん甘いホンではないか……。

▼小津の映画は淡々としていて何も起きないと言われるが、じつは結構辛口である。少子高齢化はまだ遠い時代なのだが、そこには家族の崩壊、格差、晩婚化など現在に通じるテーマが横たわっている。現実を直視し、作品に落とし込んでいたのだ。厚労省脚本部も、もっとシナリオ作法を勉強したほうがいいかもしれない。
小津安二郎は昭和30年代、シナリオを書くときは信州・蓼科高原の山荘にこもった。相棒の脚本家、野田高梧と顔を突き合わせ、夜  :日本経済新聞

2014年6月4日水曜日

2014-06-04

経団連の榊原新会長は、共通点の多い前任石坂氏同様に、困難を克服できると期待したい。

2014/6/4付

 猫がさっと暖炉から熱い焼栗をかき出す。すると言葉巧みにおだてていた猿が片端から食べる。あえて危険に飛び込む例え「火中の栗を拾う」。基になった仏詩人ラ・フォンテーヌの寓話(ぐうわ)の一節だ。経済人石坂泰三は転機のたび、火に手を突っ込む決断をした人だった。

▼終戦後、東芝の社長になる。第一生命の社長を長く務め、業界2位にした実績があったが、周囲は止めた。東芝は泥沼の労働争議に揺れ、倒産寸前、だれも引き受けなかったからだ。腹心などつれず、単身乗り込むと、組合と正面からぶつかって争議を収拾した。大量の人員整理に踏み切ったこともあり、再建に成功する。

▼69歳で経団連会長に就任する。引退を望んだが、やむなく引き受ける。その心境を「三分の侠気(きょうき)のしからしむるところ」と答えた。が、就任するや、財界をぐいぐい引っ張る。各論反対に動きがちな業界を総論で束ねる。自由経済に反する政府の動きにも断固かみついた。その剛腕から「財界総理」と呼ばれるようになる。

▼3日就任した榊原定征新会長も栗を拾う心境かもしれない。なにしろ、経団連は政権とはぎくしゃく続き、産業界をまとめる力も低下、存在感が薄い。不要論さえ聞こえてくる。だが、石坂とほぼ同じ年で就任した新会長は経営手腕の手堅さも共通する。寓話で猫が負ったような火傷の心配も杞憂(きゆう)にすぎないと期待しよう。
猫がさっと暖炉から熱い焼栗をかき出す。すると言葉巧みにおだてていた猿が片端から食べる。あえて危険に飛び込む例え「火中の栗  :日本経済新聞

2014年6月3日火曜日

2014-06-03

世界的な肥満人口増加で、たばこに次ぐ健康上の大テーマである肥満の克服は簡単でない。

2014/6/3付

 女優の故高峰秀子さんはまったく間食をしなかった。彼女の晩年に養女になった斎藤明美さんが、「太っちゃって」とぼやいて一喝された話を書いている。「よくみんな、『太って困る』って、やれダイエットだの減量だのって言うけど、緊張してたら、太りませんッ」

▼高峰さんは45年前のウエディングドレスが着られたというが、そんな人は世界で急減しているらしい。「1990年代から体重増の傾向が強まり、いまや21億人、大人の3人に1人が太りすぎ」という国際研究が発表された。そのなかで、より太った肥満にあたる日本人は男性の4.5%、女性の3.3%を占めるそうだ。

▼喜んでいいのか、どうか。先進国で日本の数字はまだ小さく、付け加えれば、女性の方が男性より肥満率が低い国はほとんどない。ちなみに肥満大国といわれる米国は男性の32%、女性の34%が肥満というから桁が違う。むろん地球上の飢餓は克服されていないのに、肥満は中国やインドなど新興国も巻き込む勢いである。

▼「緊張してたら、太りませんッ」。その通りでも、だれもが自分に緊張を課すつらさを知っているだろう。寿命を縮めることがある、といえばたばこだ。若者への広がりが気になるのも似ている。肥満はたばこに続いて世界が格闘する健康上の大テーマのようである。簡単ではない。高峰さんもたばこは好きだったという。
女優の故高峰秀子さんはまったく間食をしなかった。彼女の晩年に養女になった斎藤明美さんが、「太っちゃって」とぼやいて一喝さ  :日本経済新聞

2014年6月2日月曜日

2014-06-02

電話の進化により肉声での会話が軽視されがちなので生の声と対話に溢れる社会にしたい。

2014/6/2付

 黒電話の、あの重厚な存在感は侮れない。なぜか玄関に置く家庭が多かった。専用の台などがあり、レースの敷物の上に鎮座していた。心地よい電子音のメロディーではなく、人間を威嚇するように、けたたましくベルが鳴った。姿を消したのは、昭和の後半だろうか。

▼色が黒である理由は謎である。米AT&Tが開発した1号機から基本は黒だった。塗料が最も安かったからという説もある。けれども黒の色は、電話の社会的な重みとも関係がありそうだ。当初はかけるのも、かかってくるのも特別なことだった。受話器から伝わる音は大切だった。人々は耳を澄ませて相手の声を聞いた。

▼それに比べて最近のスマホや携帯は、何と身近な機械になったことか。遠い玄関ではなく身体と一体化し、色やデザインも十人十色。通話よりも文字や画像による会話が多くなった。便利ではあるが、その分、生身の人間の声が軽視されている気がしてならない。スマホの音質は固定電話に劣り、聞こえにくいこともある。

▼じっくり人の肉声を聞き、急いで文字を書くのが仕事の我が身に照らせば、電話の進化が逆方向だと感じる時がある。自分が発信するのは大好きでも、他者に耳を傾けるのが苦手な人が増えてはいまいか。もっと音声がリアルな電話があれば、聞き上手が増えるかもしれない。生の声と対話にあふれる社会であってほしい。
黒電話の、あの重厚な存在感は侮れない。なぜか玄関に置く家庭が多かった。専用の台などがあり、レースの敷物の上に鎮座していた  :日本経済新聞

2014年6月1日日曜日

2014-06-01

生涯一編集者だった故・粕谷さんは編集の名人の一人であり、また惜しい人を亡くした。

2014/6/1付

 月刊誌「中央公論」の元編集長で評論家の粕谷一希さんが84歳で亡くなった。48歳で中央公論社を退社後、文筆活動を開始。文化人の評伝などを執筆しつつ、町歩きを趣味とする人にはなじみ深い雑誌「東京人」や外交専門誌「外交フォーラム」の創刊編集長も務めた。

▼「東京人」の誌名は米「ニューヨーカー」にヒントを得た。「文明が成熟すると人々は都市に興味を持つようになる」と本紙の取材で語っている。主に新店や新建築を紹介する他のタウン誌と違い、街の変遷や歴史の流れの中で目の前の変化を読み解いた。都市の知的な楽しみ方をこの雑誌で知った人も多いのではないか。

▼本紙では1977年から3年余り、154回にわたり「戦後思潮」と題したコラムを執筆した。作家、政治家、経済学者など戦後のオピニオンリーダーを取り上げ、活動や主張を紹介しつつ、思想史の中での位置や限界を丁寧に描いた。若者に歴史感覚が欠けているのは大人に責任がある。そんな危機感からの連載だった。

▼連載をまとめ81年に出版した本で、多すぎる情報が、人々からじっくり考えるという営みを奪っているのではないか、と早くも指摘している。あふれる情報を整理し、意味づけてみせるのも編集者の役割。晩年「自分は生涯一編集者だった」と振り返った粕谷さんも、その名人の1人だった。また惜しい人が鬼籍に入った。
月刊誌「中央公論」の元編集長で評論家の粕谷一希さんが84歳で亡くなった。48歳で中央公論社を退社後、文筆活動を開始。文化  :日本経済新聞