2014年7月31日木曜日

2014-07-31

住宅用地の固定資産税軽減は、人口減と高齢化で空家が増加する今の時代に合わない制度だ。

2014/7/31付

 「駅15分、3LDK、築浅」。不動産屋の店頭の貼り紙に、よくこういうのがある。売り物はとにかく「築浅」だ。チクアサ、つまり建築年数が浅い物件を指す業界用語が、いつしか客を誘う惹句(じゃっく)になった。新築とはうたえない場合でも新築並みをアピールするわけだ。

▼戸建てであれマンションであれ、そんな具合に日本人の「新しい家」志向は抜きがたい。だから中古住宅となるとひどく魅力が減じることになっていて、築20年を超えた木造の家を査定してもらうと資産価値はゼロ、などという評価が待つ。その一方で新築物件がどんどん供給され、気がつけば空き家だらけの列島である。

▼総務省の調査では、住宅総数に占める空き家の割合は昨年10月時点で13.5%と過去最高になったそうだ。戸数も最多の820万戸にのぼる。人口減と高齢化は空き家の増加に拍車をかけ、放っておいたらまだまだ増えるという。住宅街のそこここで朽ちていく、人の住まぬ家はやがて街そのものを蝕(むしば)んでいくに違いない。

▼「駅10分、土地35坪、上物あり」。不動産屋の店頭にはこんな貼り紙もある。ウワモノとは何かと問えばれっきとした家だという。こうした感覚が中古住宅を敬遠させるのだろう。それにこの手の上物、そこに残っているだけで土地の固定資産税を安くする。空き家に住み着いているのは時代に合わぬ制度でもあるらしい。
「駅15分、3LDK、築浅」。不動産屋の店頭の貼り紙に、よくこういうのがある。売り物はとにかく「築浅」だ。チクアサ、つま  :日本経済新聞

2014年7月30日水曜日

2014-07-30

古い写真は高齢者と若者の会話を弾ませるので古いアルバムを前に家族で昔話を交わそう。

2014/7/30付

 歌手の小椋佳さんがつくった「野ざらしの駐車場」は、ファンによれば隠れた名曲の一つだそうだ。久々に帰郷したら、豊かな自然が砂ぼこり舞う駐車場に変わっていた。季節感を失った故郷の風景。「これも仕方のないことでしょうか」。静かな怒りを詞につづった。

▼故郷を離れた都会人の感傷と言えばそれまでだ。しかし、開発で消えた風景を惜しむ気持ちは多くの人の心にある。ならば、せめて昔の写真を持ち寄り、思い出を共有しよう。そんな動きがさまざまな形で始まっている。ネットを使った「ヒストリーピン」という試みもその一つだ。英国で始まり、日本にも最近上陸した。

▼北海道から九州まで、ネットの日本地図に赤いピンが点在する。クリックすると、その場所の古い写真を見つつ投稿者の思い出を読める。静岡県富士宮市ではこのアイデアを応用し、高校生の手を借りて、街の古い写真をコメント付きで掲示するイベントを開いた。会場では高齢者と若者たちが、街を巡り会話を弾ませた。

▼東京都日野市では街の各所に、市民が撮った昭和30年代の風景写真などを約130枚、パネル展示している。お年寄りと帰省した子が一緒に懐かしく眺めているという。誰もが話していて楽しいのが自分の昔話だ。写真は格好の手がかりになる。もうすぐ8月。夏休みは古いアルバムを前に、家族で昔話を交わすのもいい。
歌手の小椋佳さんがつくった「野ざらしの駐車場」は、ファンによれば隠れた名曲の一つだそうだ。久々に帰郷したら、豊かな自然が  :日本経済新聞

2014年7月29日火曜日

2014-07-29

環境の変化を柔軟に乗り切る土用の伝統を残す為に、ウナギの資源保護を本気で考えよう。

2014/7/29付

 四季のそれぞれ終わりの18日間を土用という。ふつう、立秋までの夏土用を指す。季節のめぐる日本らしく、この変わり目をとらえた言葉は多い。土用干しは衣類や本に風を通して虫がつくのを防ぐこと。土用掃きは大掃除。何かに区切りをつける様子が伝わってくる。

▼将来に備えるという意味が込められているのが土用芝居だ。江戸時代の歌舞伎はこの時期、主だった役者は休み、若手がけいこを兼ねた安芝居を打った。いずれ舞台で中心的な立場になる時のために、自らを鍛錬する。土用という季節と季節の合間は、時の流れに押し流されず、新しい環境への準備をする機会なのだろう。

▼きょうは土用の丑(うし)の日。この日に滋養のあるものを食べる習慣には、困難に直面しても元気に克服できるようにとの願いがありそうだ。ウリやうどんなど「う」のつくものが食されてきた。ウナギ人気は江戸中期から。売れずに困っている鰻(うなぎ)屋に平賀源内が、「本日丑の日」の貼り紙をするよう助言したのが始まりという。

▼その食文化に暗雲が漂っている。日本を中心としたアジア地域に生息するニホンウナギは絶滅の恐れがあると、世界の科学者らでつくる国際自然保護連合から警鐘を鳴らされている。ウナギの資源保護を、本気で考えなければならない時だろう。英気を養って、環境の変化をしなやかに乗り切る土用の伝統を残すためにも。
四季のそれぞれ終わりの18日間を土用という。ふつう、立秋までの夏土用を指す。季節のめぐる日本らしく、この変わり目をとらえ  :日本経済新聞

2014年7月28日月曜日

2014-07-28

増加する児童虐待の防止のため、親子が接する機会を増やしほのぼのと和解してほしい。

2014/7/28付

 夏の光の中を赤い玉が転がる。追いかける帽子の少女。広がる緑陰が何か不穏な影を宿す。東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催中の回顧展でみた画家ヴァロットンの代表作「ボール」だ。この絵をはじめ、独特で多様な表現、どこか謎めいた作品群に引き込まれた。

▼展示ケースに「にんじん」の初版本(1894年)を見つけた。画家が挿絵の版画を描いている。章ごとの版画は、油彩とは違って漫画のような描線で、ちょっとユーモラスだ。浮世絵の影響もあるらしい。小説は仏作家ルナールの出世作。日本でも戦前からずいぶん読まれた。中学時代に読書経験のある人も多いだろう。

▼自伝的な物語は挿絵よりほろ苦い。赤毛の少年は家族からもあだ名で呼ばれる。難題を押しつけられる。親から筋違いの怒りを浴びる。逆襲するとひどい折檻(せっかん)が待っている。笑いの後にくる切なさ。今なら虐待にあたりそうだが、「にんじん」は「おとなの愚劣さをあざ笑い」(岸田国士)ながら人間として成長していく。

▼児童虐待が増え続けている。報道のない日がないほどだ。ストレス社会のつけなのか。相談件数は十数年で6倍近い。対策は手詰まりぎみで社会全体で防ぐしかなさそうだ。小説と異なり映画版は父親とのほのぼのとした和解で終わる。親子が接する機会が増える夏休み。そんな姿があちこちで見られればと想像してみる。
夏の光の中を赤い玉が転がる。追いかける帽子の少女。広がる緑陰が何か不穏な影を宿す。東京・丸の内の三菱一号館美術館で開催中  :日本経済新聞

2014年7月27日日曜日

2014-07-27

今日を必死に生きた者だけに明日が来るというのが、漫画あしたのジョーのメッセージだ。

2014/7/27付

 少し前だが、スポーツのノンフィクションを公募するとボクシングの話ばかりになる、と聞いたことがある。貧しさからの脱出、トレーニングや減量の苦しさ、人の内に潜む本能、かけひき、栄光か負け犬になるかの天と地。個人競技特有の分かりやすさもあるだろう。

▼とはいえ、あれこれを挙げていくと、1970年を挟む5年ほど少年マガジンに連載されたこの劇画に、要素はすべて詰まっていたと思い至る。折に触れて口の端にのぼり、40年たって正面から取り上げられるのだからたいしたものだ。「あしたのジョー、の時代」と題する展覧会が東京・練馬区立美術館で開かれている。

▼物語の底に流れる破滅への予感が、連載当時は強いものに抗(あらが)うことこそをよしとする若者のヒロイズムと響き合った。いま、ジョーの野性は美術館にお行儀よく収まり、訪れた人の懐旧の情をそそる。それでも現代アーティストたちがこの劇画をモチーフにつくった作品が、ジョーは「きのう」の人ではないと訴えている。

▼映画版「あしたのジョー」に出演し、ボクシングファンを通り越して「拳闘症患者」を自認する香川照之さんが書いている。「今日という日を奇麗事ではない、周りからは狂っていると思われるような過ごし方をした者だけに『あした』はやって来る」。それがこの漫画のメッセージなのだ、と。そうだった、そうだった。
少し前だが、スポーツのノンフィクションを公募するとボクシングの話ばかりになる、と聞いたことがある。貧しさからの脱出、トレ  :日本経済新聞

2014年7月26日土曜日

2014-07-26

輸入に依存する日本の食品の安全性は、不本意ではあるが消費者の判断に委ねるしかない。

2014/7/26付

 アイスランドを原産地とするカラフトシシャモがベトナムで加工され、最後は日本の消費者の胃袋に向かう。輸入された冷凍シシャモに殺鼠(さっそ)剤とみられる異物などが混入していたとされる事件は、普段の食生活を支える仕組みの一端をくっきりと映し出した印象がある。

▼グローバル・サプライチェーン。IT機器や自動車など、複雑な工程で作られる工業製品によく使われる言葉が、食料品にもあてはまるのだ。問題となった冷凍シシャモを輸入した山口県の会社によると、ベトナムで加工に携わっていたのは台湾資本。1匹のシシャモに、なんと多くの国名や地名がかかわっていることか。

▼冷凍シシャモの問題が明らかになる少し前には、日本マクドナルドやファミリーマートが中国から仕入れていた鶏肉に期限切れの疑いが浮上した。いまや日本人の食事は海外にどっぷりと依存している。結果、潜んでいるリスクが見えにくくなっているように感じる。もっとも、国産なら安心、と言い切れるわけでもない。

▼「地雷があちこちに埋め込まれた戦場として食料品店を見る」。米国の食肉汚染に関する調査報道でピュリツァー賞を受賞したマイケル・モス記者は、食品産業について書いた本の最後にこう記している(「フードトラップ」本間徳子訳)。最終的な選択権は消費者の手にある、とも。つらい気分でうなずかざるを得ない。
アイスランドを原産地とするカラフトシシャモがベトナムで加工され、最後は日本の消費者の胃袋に向かう。輸入された冷凍シシャモ  :日本経済新聞

2014年7月25日金曜日

2014-07-25

輸入に依存する日本の食品の安全性は、不本意ではあるが消費者の判断に委ねるしかない。

2014/7/25付

 「小生今迄(いままで)にて尤(もっと)も嬉(うれ)しきもの、初めて東京へ出発と定まりし時、初めて従軍と定まりし時の二度に候」。明治28年2月、正岡子規は同郷の友人だった五百木(いおき)良三にこんな手紙を出している。新聞日本の特派員として日清戦争への従軍が決定、大いに発奮したのである。

▼子規を突き動かしたのは、前線をこの目で見たいという好奇心だけではなかったようだ。前年からの戦争で日本は破竹の進撃を続け、世の中には対外硬(たいがいこう)と呼ばれるナショナリズムが満ちていた。その急先鋒(せんぽう)の思想家が五百木で、子規はずいぶん影響を受けたという。写生の俳人らしからぬ、高ぶった言葉を多く残している。

▼そんな戦争の勃発から、きょうで120年になる。朝鮮の支配権をめぐり対立していた日清両国の艦隊が衝突したのだ。維新からわずか四半世紀。大国を相手に近代戦で勝利した体験は以後の日本に大きな影響を与えた。戦いを辞さぬ強い姿勢こそが国家の独立を保つという意識が、人々の心をとらえていった近代である。

▼日清戦争開戦は干支(えと)の甲午の年だった。それが2回り、21世紀の甲午の日本と周辺国はいまもナショナリズムの制御が問われている。子規を感化した五百木は、やがて日露戦争後にも対外硬を唱えて日比谷焼き打ち事件のきっかけをつくった。勇ましい言説には仇(あだ)がある。それを知るためにも歴史を学ぶ必要があるだろう。
「小生今迄(いままで)にて尤(もっと)も嬉(うれ)しきもの、初めて東京へ出発と定まりし時、初めて従軍と定まりし時の二度に  :日本経済新聞

2014年7月24日木曜日

2014-07-24

金の力だけで楽友協会を利用する様な、鍛錬より金を重んじる心根が誰にも潜んでないか。

2014/7/24付

 「甲子園にはどうやって行けばいいんで……」。道を尋ねられた人が応じた。「やっぱり日々の鍛錬だねえ」。若い落語家の春風亭正太郎さんがそんなマクラで客席を笑わせていたのを思い出す。高校野球の聖地も客席まではぶらり行けても、土を踏むのは容易でない。

▼野球に限らない。スポーツや芸術には、たとえばテニスのウィンブルドンのように、世界に名の通った聖地がある。クラシック音楽ならウィーンの楽友協会大ホールだろうか。最近ではここを拠点にするウィーン・フィルのニューイヤー・コンサートが元日に生中継される。豪奢(ごうしゃ)な内装など記憶する方も多いかもしれない。

▼そのホールが、じつは270万~400万円ほど払えばだれでも借りられ、去年は中国の団体だけで130以上が使ったという。むろん水準が伴えばケチをつける筋合いはないのだが、本紙の中国発の記事によれば、「楽友協会はカラオケホールと化した」と中国メディアまでたたいているそうだから、推して知るべしだ。

▼倹約を旗印に掲げる習近平体制である。さすがに文化省が外国の有名ホールでの公演を原則禁じたという。この国はやることがとかく大仕掛けになるが、楽友協会の舞台を踏みたがるのは中国に限ったことではなかろう。「やっぱり日々の鍛錬よりカネだねえ」。そんな心根がだれにも潜んでいないか。ちょっと気になる。
「甲子園にはどうやって行けばいいんで……」。道を尋ねられた人が応じた。「やっぱり日々の鍛錬だねえ」。若い落語家の春風亭正  :日本経済新聞

2014年7月23日水曜日

2014-07-23

安倍政府の掲げる地方復興のための創生は、往年のバラマキ創生を繰り返してはならない。

2014/7/23付

 いまの広辞苑(第6版)が出たのは2008年だった。「ニート」「ラブラブ」「うざい」などなど約1万語を新たに収録して話題になったのだが、このときに入った言葉のひとつに「創生」がある。それまでの版に「創世」や「創成」はあっても「創生」はなかった。

▼バブル期に竹下登首相が「ふるさと創生」を唱え、全国約3000の市町村に一律1億円を配るという大盤振る舞いに及んだ。それをきっかけにこの語が広まり、のちに広辞苑にも登場となったのだろう。もともとは旧国土庁などが好んで使った言葉で、橋だ道路だハコモノだといった土建国家のにおいがしないでもない。

▼こんど安倍晋三首相が力を入れはじめた地方振興策の看板にも「創生」の文字が躍る。「まち・ひと・しごと創生本部」を設けて担当閣僚を置き、特産品開発の後押しなどにあたるという。かねて地方の疲弊は深刻だから対策の必要性は大いに認めるけれど、往年のバラマキ創生の繰り返しにならないか気になるところだ。

▼このところ内閣支持率はぱっとしない。来春には統一地方選がある。そんななかでにわかに浮かび上がった戦略だけに、どうしたって色眼鏡で見られよう。何兆円の予算特別枠などと聞けばさっそく思惑の渦巻く列島なのだ。ちなみに創生の創の字には傷という意味もある。策を誤り、地方に新たな傷を生んではなるまい。

2014年7月22日火曜日

2014-07-22

基軸通貨である米ドルを脅かす通貨は、経済力が急進しお札とも縁が深い中国の人民元か。

2014/7/22付

 これまで発行された紙幣で一番大きいのはどの国のものか。答えは中国だ。14世紀、明の時代の「大明通行宝鈔(しょう)」が最大とされる。A4判よりもひと回り大きい。世界の紙幣の変化をたどるお札と切手の博物館(東京・北区)の特別展で実物をみると、他を圧倒している。

▼縦長のこの紙幣は銭100枚の束が10個描かれている。お札の価値を示しているそうだ。朱色の大きな政府印も上下に2つ押され、それらを中国皇帝の象徴である竜の絵が囲む。清の時代も、弁当箱ほどもある大きさのお札が相次ぎ発行された。大国意識からか、お金にも存在感を誇示する姿勢が表れているようにみえる。

▼その後、お札の歴史は欧米が主役になった。産業革命で物の売買が盛んになり、紙幣の需要が急増。模様を複雑にするなど偽造防止も進歩した。第2次大戦後、貿易決済や金融取引に広く使われる基軸通貨は英ポンドから米ドルへ移る。その体制が固まった1944年のブレトンウッズ会議の合意からきょうで70年になる。

▼米国は世界の政治経済への影響力に陰りがみえるものの、ドルは今も基軸通貨の座にある。脅かす通貨はあるか。欧州ユーロもあるが、気になるのは急速に経済力をつけてきた中国の人民元だ。この国はもともとお札と縁が深い。材料の紙が発明され、木版や活字印刷の技が育ったのも中国。地力は侮れないかもしれない。
これまで発行された紙幣で一番大きいのはどの国のものか。答えは中国だ。14世紀、明の時代の「大明通行宝鈔(しょう)」が最大  :日本経済新聞

2014年7月21日月曜日

2014-07-21

アイデア豊富な小林家夫人らの様な女性の発想が、動きにくい政治や古典芸能を変える。

2014/7/21付

 この日だけ、自分たちのために運行時刻を変えて走らせてほしい。そう頼まれて、奈良の路線バス会社は面食らったに違いない。何百人という集団が移動するらしい。ならば貸し切りバスという手があるはずだが、依頼主の貴婦人は「それではお金がかかる」と粘った。

▼聞けば、アジアの留学生に日本の歴史と文化を理解してもらう研修会だという。それならばとバス会社は臨時便を出した。学生ひとりに毎月15万~20万円と、たっぷり奨学金を出す財団だから資金不足というわけではない。「熱さまシート」「あせワキパット」などで知られる小林製薬の創業家一族が運営する財団である。

▼「私ら関西人はケチやから、お金を出すなら口も出します」。財団を仕切る小林博子さんには夢がある。日本で学ぶ外国人だけでなく、先細る日本の伝統芸能も支援したい。若手の能楽師を養成する財団も立ち上げ、娘の井植由佳子さんが理事長に就いた。稽古の道具を支給したり合宿を開いたりと、アイデアは尽きない。

▼奨学金を受けるのは、反日感情が渦巻く中国の留学生が多い。日本の価値観に触れてもらおうと、小林家の夫人らの案で座禅や礼儀作法の習得を義務づけた。国内の養成会には能楽師の子弟だけでなく一般の中学生も集まった。動きにくい政治や古典芸能の世界を変えるのは、こんな「おもろい女性」の発想かもしれない。

2014年7月20日日曜日

2014-07-20

新市場参入するリゲインのCM替え歌から、バブル期とは異なる現代の時代の遷移を感じる。

2014/7/20付

 「24時間戦うのはしんどい」。いまテレビで流れているCMソングの一節だ。どこかとぼけた女性の声に重なるように、画面には「3、4時間戦えますか?」とのキャッチコピーが映る。宣伝している商品は「リゲイン エナジードリンク」という缶入りの炭酸飲料だ。

▼リゲインといえば1980年代末のバブル時代、「24時間戦えますか、ビジネスマン」と鼓舞するCMが一世を風靡した。24時間から3、4時間へ。「時代は移り変わり、労働時間は短縮傾向。仕事にも効率が求められる」。そんな背景を考えた結果、メロディーはそのままに歌詞だけ変えたCMソングを制作したそうだ。

▼「エナジードリンク」とは、年配の方々には聞き慣れない言葉かもしれない。飲むと元気になるイメージで売る飲み物で、栄養ドリンクと異なりおおむね缶入り。市場規模はこの3年で5倍に膨らんだ。「運動前、仕事前、夜遊び前に、自分を鼓舞するため10代後半から30代の男性が主に飲む」と日経産業新聞が解説する。

▼「レッドブル」など海外勢が開拓した市場に日本企業が一斉に参入し、先行組との違いを訴えようと知恵を絞る。リゲインブランドの活用もその一つで、昔を知る中高年を狙う作戦だ。株価は上がった。五輪も来る。今こそ景気よく振る舞いたいが、バブルと同じには無理。そんな寄る辺なさをCMの替え歌が巧みに突く。

2014年7月19日土曜日

2014-07-19

マレーシア航空機撃墜の犠牲者の悲運を思うと、全ての事実解明を祈らずにはいられない。

2014/7/19付

 「命令を果たしただけだ。別のやり方があったかもしれないが……」。1983年9月、サハリン上空で大韓航空機を撃墜した旧ソ連軍機パイロットの言葉である。事件から30年の昨年、共同通信の取材にこの人は「私はこういう運命なのだ」と苦悩も口にしたという。

▼日本人28人を含め、269人が命を落としたあの悪夢の再来である。親ロシア派武装勢力との争いが続くウクライナ東部でマレーシア航空機が撃墜され、乗客乗員全員が亡くなった。撃ったのはどちらか、さっそく非難の応酬が始まっているが、きっと「命令を果たした」誰かがこの地域のどこかで息を潜めているだろう。

▼現場の凄絶な映像を見れば、旅客機は一瞬にして千々に砕けたのだとわかる。アムステルダムからクアラルンプールへ。飛行機には南国でのバカンスに向かう客もたくさん乗っていたようだ。真相を徹底的に究明しなければならないが、周辺は親ロ派が支配するだけに一筋縄でいきそうもないという。なんという不条理か。

▼それにしても、なぜまたマレーシア航空機なのか世界中が天を仰いでいよう。今年3月、南シナ海で消息をたった便のミステリーも解けていないのだ。思えばかの大韓機事件も航路逸脱の謎を残したまま現在に至る。ウクライナの空に散った298人のむごい運命を思い、すべてを白日の下にと祈りをこめずにいられない。

2014年7月18日金曜日

2014-07-18

血縁より民法を優先し親子認定する一本槍の判決は、千差万別な現実を裁き切れるのか。


014/7/18付

 ――I was born さ。受身形だよ。正しく言うと人間は生まれさせられるんだ。自分の意志ではないんだね――夏の宵、寺の境内を父と歩いていた少年が、身重の女性とすれ違ってふと抱いた不思議な感覚を、詩人の吉野弘さんが「I was born」という詩に残している。

▼受身形。だから子どもは守られなければならない。ざっくり言えば、子どもに関する法律のもとにはそんな考えがある。「女性が結婚中に身ごもった場合、子は夫の子と推定する」という民法の決まりもそう。母親は出産の事実があるから分かるとして、自動的に父を決めておけば、子と家庭の安定、平和を守れるからだ。

▼しかし、生物としての父親は別の男性であることが明らかで、子はその男性のもとにいて、男性も父として子を育てたいと望んでいる場合はどうだろう。きのうの最高裁判決は、それでも民法を優先せねばならぬと命じた。親子と認めるためには血のつながり以上に重んじるべき理屈があるといわれ、どこか釈然としない。

▼民法の規定は、父子の血のつながりを科学的に証明することが夢物語だった明治時代にできた。いまはDNA鑑定で血縁上の父を特定できる。その父が鑑定を振りかざして「受身形」の子をつねに幸せにできるとも限るまい。が、民法一本槍(やり)はいかにも古い。現実は千差万別だ。その現実を、判決は裁き切ったのだろうか。

2014年7月17日木曜日

2014-07-17

非日常を通じ日頃の疲れを放電する祭りの様に、夏バーゲンでの消費でリセットすべきか。

2014/7/17付

 笛や太鼓の音が風に乗って届くと、条件反射のように、そわそわした気分になる。見慣れた地元の神社の境内が特別な空間に生まれ変わる。日ごろとは違う空気が漂い、人混みに近づくにつれて自然に足が速まっていく。不思議な人間の習性を引き出すのが祭りである。

▼京都では、祇園祭がきょう前半の頂点を迎える。きらびやかな山鉾(やまほこ)が市の中央を巡り、伝来の儀式が要所要所で執り行われる。観光なら見物だけでも楽しいが、祭りだと思えば見られる側になってハジけてもみたい。ところが千年以上の歴史のある神事は男が中心であるらしい。女性が乗ってはいけない禁制の山鉾もある。

▼伝統を超えた祭りもある。この春に大阪で開いたイベント「日本女子博覧会」には3万人が集まったという。目玉の出し物があるわけではない。メーク体験をし、占いを試し、から揚げを食べ、ライブを聴く。そこに行けば楽しいという期待が人を呼ぶに違いない。思えば女性が主役の祭りは、日本に少ないのではないか。

▼知能が高く社会生活を営む動物は多いが、祭りのような行動をするのは人類だけだそうだ。日常たまった疲れやよどみを、非日常の舞台で放電してリセットする。大波小波のリズムに乗り、上手に生きるための仕掛けが祭りかもしれない。そういえば、そろそろ夏のバーゲンの季節。祭りに加わり消費に貢献すべきか……。
笛や太鼓の音が風に乗って届くと、条件反射のように、そわそわした気分になる。見慣れた地元の神社の境内が特別な空間に生まれ変  :日本経済新聞

2014年7月16日水曜日

2014-07-16

多発する無謀運転事故防止の為、酒や脱法ハーブを摂取した状態での軽率な運転をするな。

2014/7/16付

 1983年に大ヒットした大林宣彦監督の映画「時をかける少女」には、いまでも熱心なファンが多い。薄暗い実験室。倒れたフラスコの口から流れ出したラベンダーの香りを、主演の原田知世さんが吸って気を失い、倒れ込む。そこから不思議な物語が始まっていく。

▼代表的なハーブであるラベンダーは、この映画で広く知られるようになったといわれる。もちろん実際には、においをかいだからといって意識を失ったりはしない。ただしハーブの名をかたり、不心得者が売り買いする脱法ハーブであれば話は別だ。吸った状態で車を運転して暴走し、他人を巻き込む事故が後を絶たない。

▼加えて今度は、酒を飲んでの無謀な運転の続発である。北海道小樽市で12時間も酒を飲んだ男が、女性4人を死傷させた。被害者の手当てをしないばかりか、110番の前にまずたばこを買いに行ったと聞けば言葉を失う。埼玉県川口市では、市の職員がミニバイクに乗った女性を1.3キロも引きずり、死亡させて逃げた。

▼ハンドルを握るドライバーの振る舞いひとつで、車はとてつもないパワーを持った「走る凶器」に変貌する。脱法ハーブは言うに及ばず、運転することがわかっていながらあおる酒であれば、覚醒剤を使用しながらの運転と大きな違いはない。安易な行為が引き起こした結果をどれだけ悔いてみても、取り返しはつかない。
1983年に大ヒットした大林宣彦監督の映画「時をかける少女」には、いまでも熱心なファンが多い。薄暗い実験室。倒れたフラス  :日本経済新聞

2014年7月15日火曜日

2014-07-15

河原氏が存命なら、世界の時事と日付を並べた日付絵画に、今月は何日を選んで描くのか。

2014/7/15付

 日付は無数の光景でできている。生まれてから経験した様々な出来事。初めて見た風景。世界中で日々、起きている誕生や死。慶事や惨事。ふだんは忘れている数字を眺め直すと、音や光と一緒に歓(よろこ)びや悲しみも蘇(よみがえ)る。そこには人間の記憶と生きた証しが凝縮している。

▼かつて訪れたフランクフルト現代美術館。年月日だけを大きく描いた画布と紙箱がセットの作品をみて驚いたことがある。紙箱には弊紙の切り抜きが貼ってあった。同僚が書いた航空機墜落の関連記事。蝶(ちょう)の標本のようだった。同様に世界の事故、事件の日付と記事が並ぶ。世界的に評価の高い河原温氏の「日付絵画」だ。

▼81歳で亡くなっていたことが先週末、明らかになった。1965年ごろからニューヨークを拠点に制作を続けていた。普通の絵と違い、文字や記号で表現する概念芸術の第一人者。対象をどんどん消して数字のみを描く手法にたどりつく。私生活も消し去って「自分の不在」(宇佐美圭司「20世紀美術」)を表現していた。

▼数字だけだと難解かもしれない。だが、日付が呼び覚ます様々な情景には豊かな広がりがある。どんな時代か見当もつく。悠久の時の中で今日は一日しかない。古代ローマの詩人は「この日をつかめ」と言った。謎の芸術家は世界と時間をとらえる斬新な技法を教えてくれた。存命なら、今月は何日を選んで描くだろうか。
日付は無数の光景でできている。生まれてから経験した様々な出来事。初めて見た風景。世界中で日々、起きている誕生や死。慶事や  :日本経済新聞

2014年7月14日月曜日

2014-07-14

コンビニ店内一画での固定客交友の場は、効率を極めた現代小売業の原点回帰の様か。

2014/7/14付

 夜更けのコンビニエンスストアに常連客が集まり、仲良くお茶会を開く。山田太一さんの脚本で、30年近く前に放映されたテレビドラマ「深夜にようこそ」の印象的な場面だ。コンビニで働き始めた中年の男性店員が、マニュアルに縛られず新風を吹き込む物語だった。

▼駆け出し記者のころ流通業の経営者に、コンビニの秘める可能性としてこのドラマのことを話し、一笑に付された経験を思い出す。忙しい人が必要なものを手早く買って出る。そんなコンビニの基本も分かっていない記者と思われたかもしれない。時は流れ、現実のコンビニが山田さんの描いた姿にだんだん近づいてきた。

▼月刊誌「日経トレンディ」最新号が、繁盛店の店長を集めた覆面座談会を載せている。ある住宅街の店では、昨年から始めた「いれたてコーヒー」に固定客がついたという。近所に住む高齢の女性たちだ。今では午前中の店内は「高齢者のたまり場」となった。カップ片手に客同士が語り合う図は、先のドラマを思わせる。

▼セブンイレブンは店内の一画にテーブルとイスを並べ、買ったものをその場で食べられるよう工夫した店を相次ぎ開いている。必要なモノを日々売り買いする市場(いちば)は、もともと、近所のなじみ同士が顔を合わせ、言葉をかわす交友の場でもあった。効率を極めた現代の小売業が、商いの原点に戻りつつあるようにもみえる。
夜更けのコンビニエンスストアに常連客が集まり、仲良くお茶会を開く。山田太一さんの脚本で、30年近く前に放映されたテレビド  :日本経済新聞

2014年7月13日日曜日

2014-07-13

一部食品の「年月」への賞味期限表示改革で、肝心なのは消費者が賢い判断をすることだ。

2014/7/13付

 「賞味期限 わたしもチョコも 崖っぷち」。すこし前に、こんな自虐的な川柳があった。あのタレントはもう賞味期限が過ぎてるよ……。こういう俗な言い方も、ある時期から世に広がった。加工食品に賞味期限表示が導入されたのは1995年、それ以来のことだ。

▼製造年月日だけの表示に比べ、消費者に親切なのは確かだろう。しかし本来は「おいしく食べられる期限」なのに、これを過ぎたらもうダメ、みたいに誤認されてもいる。「賞味」なる言葉の曖昧さと、日本人の潔癖症がもたらす現象かもしれない。冷蔵庫の奥にチーズを発見したのにああ1日遅かった、などと嘆くのだ。

▼だったらあまりに厳密な「年月日」表示をやめて「年月」にとどめておこう――という動きが出てきたのはもっともな話である。大手メーカー各社は、カップスープや調味料といった賞味期限が1年以上の食品の表示を来年から切り替えるそうだ。すでにミネラルウオーターや缶コーヒーで「年月」への転換は進んでいる。

▼まだ食べられるのに捨てられる食料は、年間500万~900万トンにのぼるという。この膨大なムダを減らすのに表示改革は効果を発揮しそうだが、肝心なのは判断力のある、賢い消費者になることだろう。そういえば賞味期限導入のころの川柳に「父さんの お腹で試す 賞味期限」。まあこれは勘弁してほしいけれど。
「賞味期限 わたしもチョコも 崖っぷち」。すこし前に、こんな自虐的な川柳があった。あのタレントはもう賞味期限が過ぎてるよ  :日本経済新聞

2014年7月12日土曜日

2014-07-12

ニューギニアから日本へのLNG輸入をきっかけに、両国の利益のための関係を育みたい。

2014/7/12付

 ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア――。第2次大戦後、南方から帰還した元日本兵たちはこんな言葉を口にしたそうだ。ビルマ(現ミャンマー)のインパール作戦はいまや無謀な作戦の代名詞だが、ニューギニア島の戦いも同様に悲惨だった。

▼引き金はここでも無謀な作戦だった。制空権を失い十分な補給ができないまま、島の背骨に当たる山脈を徒歩で越えようとした。この「リ号作戦」が失敗した後、軍はさらに兵員を増派し損耗を広げた。14万8000人の大兵力のうち、戦後に生還できたのは1万3000人だったという(藤原彰「餓死した英霊たち」)。

▼足かけ1週間に及ぶオセアニア歴訪の最後の訪問国としてパプアニューギニアを訪れた安倍晋三首相はきのう、昭恵夫人とともにニューギニア戦没者の碑に献花した。「二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない」。首相が英霊たちへの誓いだとして記者団に語った言葉は、この島でたおれた兵士たちを思うと胸にしみる。

▼日本とパプアニューギニアの間では先月、関係を深める大きな出来事があった。同国で生産された液化天然ガス(LNG)を積んだ船が、初めて日本に着いたのだ。到着にあわせ同国のオニール首相も来日し、式典に立ち会った。お互いが利益を得られるウイン・ウインのつながりの有り難さをかみしめ、大切に育みたい。
ジャワの極楽、ビルマの地獄、死んでも帰れぬニューギニア――。第2次大戦後、南方から帰還した元日本兵たちはこんな言葉を口に  :日本経済新聞

2014年7月11日金曜日

2014-07-11

情報管理を怠り人の一生に関わる顧客情報を漏洩したベネッセが、信用を失うのは当然だ。

2014/7/11付

 大学に電話した。記事を書くのに、某先生の肩書を確かめるためである。もちろん名乗ったうえだが、事務当局との話はこんな具合だった。「○×先生が在籍してらしたらご身分を教えてもらえますか」「お答えできません」「どうして」「個人情報にあたりますので」

▼大学教授の肩書がいったい個人情報にあたるのか、と気色ばんではいけない。そう自戒はしても、窮屈になる社会に疑問は感じた。が、こちらは正真正銘の個人情報である。ベネッセホールディングスが、通信教育などの顧客情報760万件が社外に漏れたと発表した。漏洩は最悪2070万件に上る可能性があるという。

▼通信教育、英語教室、子ども向けイベント。あらゆる手段で集めた個人情報は「宝の山」と称されるそうだ。子どもの生年月日を知れば、いつ、何を売り込めるか一目瞭然。教材だけではない。大人になってからも就職、結婚から果てはお墓の世話まで、言葉は悪いが、人に一生食らいついてまわることも可能なのである。

▼だからこその事件であり、憎むはまず情報を盗んだ犯人だが、ベネッセの管理に抜かりはなかったのかどうか。「常用字解」(白川静著)によれば、「漏」には「うしなう」の意味もある。秘密が漏れ信用を失う。これが情報管理をしくじった企業の避けられぬ道だろう。宝の山を扱って窮屈すぎるということなどはない。
大学に電話した。記事を書くのに、某先生の肩書を確かめるためである。もちろん名乗ったうえだが、事務当局との話はこんな具合だ  :日本経済新聞

2014年7月10日木曜日

2014-07-10

拉致被害者を人質にとりミサイル発射で威嚇を繰り返す北朝鮮との外交は、際どい交渉だ。

2014/7/10付

 人質を取って立てこもるという事件が、ときどき起きる。警察はなだめすかして犯人の説得に努め、多少の差し入れなどもしてやって粘り強くじっくり敵と向き合うわけだ。ところがそういうやり取りのさなかにも、威嚇のためなのか銃をぶっ放す手合いが少なくない。

▼北朝鮮がきのうまた、日本海に向けて弾道ミサイル2発を発射してみせたのもそのたぐいだろうか。拉致問題などを再調査するという委員会設置と引き換えに日本が独自制裁の一部を解除し、いずれ最初の報告が……と注目が集まるなかでの愚行だ。弾道ミサイル発射は6月末にもあった。国連決議などどこ吹く風である。

▼代替わりしているといっても、自ら繰り広げた日本人拉致を「再調査」とは本来おかしな話だがそこは目をつぶるとしよう。だからせめて一意専心、この機会に洗いざらい明かして被害者を戻すのが人道にほかなるまい。しかしこうした振る舞いを見るにつけ、やはりこの国は異様な独裁者の統べる王朝との感を深くする。

▼ウソをつきはしないか、情報を小出しにしないか、今後の出方にもよほどの用心がいるだろう。国家間の協議というより、これは人質をたてに、ときに銃声を響かせて周囲を脅す者たちとの際どい交渉である。拉致被害者は政府認定の12人だけでなく、相当な数にのぼるに違いない。そんな闇を抱えた相手との闘いである。
人質を取って立てこもるという事件が、ときどき起きる。警察はなだめすかして犯人の説得に努め、多少の差し入れなどもしてやって  :日本経済新聞

2014年7月9日水曜日

2014-07-09

故シェワルナゼ元外相が後押ししたソ連崩壊は、ソ連民主主義への歴史的改革ではないか。

2014/7/9付

 英国では多くのことが駄目だが、していいことはしていい。フランスでは多くのことはしていいが、駄目なものは駄目。米国では駄目なことすらしていいが、ソ連では、していいことすら駄目である――。「民主主義の原則」という名の旧ソ連時代の小話なのだそうだ。

▼していいことすら駄目。その最たるものは体制の批判だろう。なのに「わが国が、ソ連を手本にするよう東欧諸国に奨励した時代もありました。その結果はうまくいったとは言い難いものでした」と語って、東欧を傀儡(かいらい)国家の集まりに貶(おとし)めてきたソ連のやり方を否定したのが、7日死去したシェワルナゼ元ソ連外相だった。

▼1989年5月10日。ベルリンの壁が壊される半年前の米ソ外相会談での発言を、ベーカー元米国務長官は「初めて聞く高官の東欧政策批判」への驚きとともに回顧録に書き残した。シェワルナゼ氏が担ったペレストロイカ(改革)が91年末のソ連崩壊にまで突き進んだのは、ときに人知を超える歴史の疾走というべきか。

▼一方、シェワルナゼ氏の著書には「(自分の)外交政策に非があったというなら、国民がみずからの目でよその国の豊かさ、人間らしさを確かめる機会を得た、という点かもしれない」とあった。回想だからきれいごともある。それでも、皮肉にこもる「していいことは駄目ではないのだ」という信念は、あやまたず伝わる。
英国では多くのことが駄目だが、していいことはしていい。フランスでは多くのことはしていいが、駄目なものは駄目。米国では駄目  :日本経済新聞

2014年7月8日火曜日

2014-07-08

豪州議会での安部首相の演説は、豪州と経済協力が可能な日本のアピールを期待したい。

2014/7/8付

 夜空に散る花火のような、あの映像が記憶に焼きついている。小惑星探査機「はやぶさ」が、宇宙の長旅を終えて地球に帰還したのは4年前だった。落下したのはオーストラリアの砂漠地帯。先住民アボリジニの聖地だった。回収作業には部族の長老もヘリで同行した。

▼あのとき、霊的な何かを感じた日本人は少なくなかろう。大自然と精霊に囲まれて生きた先人の子孫たちは、燃え尽きる「はやぶさ」の姿をどんな気持ちで眺めていたことか。長老は聖地に被害が出なかったことを確認し、日本の科学技術の力を祝福してくれたという。どこか不思議な縁を思わせる、心温まる逸話である。

▼エネルギーや鉱物資源、広い空間……。豪州には、日本に足りないものがそろっている。日本ハムが東部で営むワイアラ牧場は、山手線の内側と同じほどの面積がある。飛行機から見下ろすと、黒山がうごめく光景が広がるが、その正体は約5万頭の黒い牛の群れだ。規模で競っても、日本の畜産農家がかなうはずもない。

▼安倍晋三首相はきょう、日本の首相として初めて豪州議会で演説する。競い合うだけではなく、お互いの違いと長所を認め、補い合い、助け合う友人として、日本を印象づけられるだろうか。「人が歩けば足跡が残るように、人が旅した土地にはエネルギーと魂の跡が宿る」。アボリジニの神話が現代に伝える教えである。
夜空に散る花火のような、あの映像が記憶に焼きついている。小惑星探査機「はやぶさ」が、宇宙の長旅を終えて地球に帰還したのは  :日本経済新聞

2014年7月6日日曜日

2014-07-06

中国での格差是正の為の労働環境整備に際し、性急な改革で国を成長に導く事は簡単でない。

2014/7/6付

 自らの誤りに気づいたら、すぐ改める。まわりの状況が変わったなら、思い切った軌道修正をする。そうした意味の「君子は豹変す(ひょうへん)」は、古代中国の周代にできあがったとされる書が原典になっている。五経の筆頭に挙げられ森羅万象は移り変わるものだと説く易経だ。

▼易経には伝説上の帝王の黄帝や尭(ぎょう)、舜(しゅん)について、こう触れているくだりがある。彼らは王位に就くと、物事に変化をもたらし、人々が暮らしに飽きないようにした。しかも変化を無理なく、喜んで受け入れられるように――。性急な改革は社会に摩擦を生みやすい。それを防ぐための上に立つ者への戒めなのかもしれない。

▼現代の中国でも、急速な経済発展の裏側で起きているきしみを抑えようと、政府は懸命だ。格差拡大への不満を和らげるため、この地域では少なくともこれだけはもらえるという最低賃金を引き上げる動きが拡大。企業に、雇用の不安定な派遣労働者の割合が10%を超えてはならないとした規定も今春から設けられている。

▼労働規制の強化は外資などの企業が国外に出ていくリスクもある。当局の目が届かない「影の銀行」や地方政府の債務の膨張問題も抱え、中国経済はどこへ向かうのか。社会にあつれきを起こさない配慮をしながら、「君子豹変」のような改革で国を成長に導くことは、簡単ではなさそうだ。易経にヒントはあるだろうか。
自らの誤りに気づいたら、すぐ改める。まわりの状況が変わったなら、思い切った軌道修正をする。そうした意味の「君子は豹変す(  :日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXDZO73860770W4A700C1MM8000/

2014年7月5日土曜日

2014-07-05

歌手ASKA被告の覚醒剤所持での逮捕で名声だけでなく作品まで失われるのは納得出来ない。

2014/7/5付

 「大人買い」という言葉がある。子どものころに欲しかった玩具付きのお菓子や漫画、プラモデル。こうしたものを、大人になってから一度に買い集める。カネにあかせて、ではあるけれど、趣味の範囲にとどまっていれば、目くじらを立てるようなことでもあるまい。

▼さてこちらは、「悪(あ)しき大人買いだ」と捜査幹部が指摘する話である。かつて若者をむしばんだ薬物汚染が、中高年層へと広がっている。覚醒剤事件で摘発された人のうち40歳以上の割合が増え、昨年は5割を超えた。若いころより自由に使えるお金が増えて、興味本位で薬物に手を出してしまうことが少なくないようだ。

▼覚醒剤を所持して逮捕された人気デュオ「CHAGE and ASKA」のASKA被告も56歳である。保釈でおよそ1カ月半ぶりに自由の身となり、「二度と同じあやまちをしないと決意しています」とのコメントを出した。若いころから第一線で活躍し続けた名声は失われたが、もちろんやり直せない年齢ではない。

▼事件の影響で、ASKA被告の音楽や映像作品は販売中止や回収の憂き目にあっている。被告のCDを大人買いしたいと思っても、今はかなわない。アーティストが逮捕され、素晴らしい作品までお蔵入りとなる。熱心なファンでなくとも納得しきれない。これもまた、覚醒剤の恐ろしい作用の一つということであろうか。
「大人買い」という言葉がある。子どものころに欲しかった玩具付きのお菓子や漫画、プラモデル。こうしたものを、大人になってか  :日本経済新聞

2014年7月4日金曜日

2014-07-04

社会的責任が増すネット企業にも、契約より利用者との信頼関係重視した経営を期待する。

2014/7/4付

 ネットを通じて、人の心を操作できるか。そんな狙いともとれる実験をこっそり行っていたとして、米フェイスブックが謝罪に追い込まれた。ネット企業と利用者の関係を考える好機だからだろうか、米欧の大手経済紙や通信社などが、事件の経緯を詳しく報じている。

▼69万人の会員を対象に、彼らのページに表示される友人などの投稿の一部を握りつぶしたそうだ。暗い内容の投稿をわざと減らし、明るい話題を目立たせたところ、会員自身の発言も前向きになった。逆に暗い話ばかり読まされた会員は後ろ向きになったという。悪いことという意識はなく、結果は科学専門誌に発表した。

▼その論文を利用者が見つけ批判が集まった。登録時に利用者が「同意」した規約にこうした利用法も盛り込んだはず、というのが会社側の言い分だ。しかし生命保険やパソコンと同様、同社の規約も素人目には長く、抽象的でわかりにくい。会社間の契約書とは違い、ふつう全部は読まないし、読んでも理解は難しかろう。

▼経営学者の高巌氏は、生活者と接する企業が大事にすべきは契約よりも信認関係だと説く。よくは分からないがこの会社なら、この店員なら、ひどいものは売るまい。そんな信頼感から私たちはふだんモノやサービスを選ぶ。世界に普及したネットサービス企業の社会的責任は既に大きい。人の心を知る経営を期待したい。
ネットを通じて、人の心を操作できるか。そんな狙いともとれる実験をこっそり行っていたとして、米フェイスブックが謝罪に追い込  :日本経済新聞

2014年7月3日木曜日

2014-07-03

言葉と行動が乖離する北朝鮮への制裁解除検討は、言葉から入念に本心を読み取るべきだ。

2014/7/3付

 空は暗い灰色でも、そこだけが薄明るい。瑞々(みずみず)しさに目がやすらぐ。淡青から藍、紅紫へと日々、色合いが移ろってゆく。変移の様子から「七変化」とも呼ばれる。路傍の花を眺めるうちに、むかし大学で詩人・安東次男に古俳句の読み方を教わったことを思い出した。

▼「紫陽花(あじさい)や藪(やぶ)を小庭の別座敷」。元禄7年、芭蕉が送別の歌仙で詠んだ発句だ。実は、花は毬(まり)状ではない。花が終わっても、飾花4枚が残るガクアジサイ。句には、私が旅に出たあとも江戸に残る4人は健在でとの祈りもこめられていた。一目では気づかない。調べつくして、初めて分かる面白み。目から鱗(うろこ)の解釈だった。

▼300年以上前の句の心を読むのは謎解きに近い。歌仙は36の連句型式。季語、順番に厳しい「ゲームの規則」がある。手順、手続きを踏んで調べれば、見えなかったものが見えてくる。詩人はそう言っていた。言葉の正確な読み解きは新鮮な景色を見せてくれる。半面、意味を取り違うと思わぬいざこざを招くこともある。

▼拉致被害者をめぐる北朝鮮との協議を受けて政府が制裁解除を検討している。特別調査委について「丁寧な説明」があったという。が、言葉と行動の隔たりは大きい。ミサイル発射は暴挙というしかない。手順を踏もうにも言動は七変化、規則無視の国である。よほど心して言葉を読まないと、相手の本心は見えてこない。
空は暗い灰色でも、そこだけが薄明るい。瑞々(みずみず)しさに目がやすらぐ。淡青から藍、紅紫へと日々、色合いが移ろってゆく  :日本経済新聞

2014年7月2日水曜日

2014-07-02

集団的自衛権行使容認の与党協議と反対の訴えは、どちらも現実性に欠け未来が見えない。

2014/7/2付

 「ぼくの気持ちの中では、戦争はその後もずっと起こっているんです。自分にも周囲にも」。島尾敏雄がこう語るのを受けて、吉田満が言う。「あの戦争という、日本の歴史、日本人の悲劇、そういう中で大勢死んでいった仲間の、死んでいった意味を考えたい」――。

▼特攻隊長として出撃を待ちつつ敗戦を迎えた島尾と、戦艦大和の乗組員ながら九死に一生を得た吉田。いずれも凄絶な体験を持つ作家が、戦後30年を経て臨んだ対談での言葉だ。300万余の命を奪った「あの戦争」はすでにはるか遠景にあったはずだが、それでもなお自問を繰り返し、過去と向き合っていた2人である。

▼そんな時代からさらに倍以上の「戦後」が過ぎて、戦争と平和をめぐる思念と言葉はいささか軽い。5月15日ときのう、集団的自衛権の行使容認についての安倍首相の記者会見ににじんでいたのは論よりむしろ情だろう。この1カ月半にわたる与党協議は、落としどころを探る字句修正に終始してことの本質を曖昧にした。

▼「戦地に国民を送るのか」「戦争ができる国にするな」。反対の訴えもまた冷静な議論の糧とはならず、身をすくめた人も多かったに違いない。どちらもリアリティーを欠いたまま、声は高く、かの作家2人の語り合いとは対照的である。斎藤史の短歌をひとつ。「濁流だ濁流だと叫び流れゆく末は泥土か夜明けか知らぬ」
「ぼくの気持ちの中では、戦争はその後もずっと起こっているんです。自分にも周囲にも」。島尾敏雄がこう語るのを受けて、吉田満  :日本経済新聞

2014年7月1日火曜日

2014-07-01

集団的自衛権行使を認める憲法9条改正は、日本の未来を案ずる戦後歴史の大きな節目だ。

2014/7/1付

 時の節目は年末だけではない。きのうは神社へ出かけ、茅(ち)の輪という茅(かや)でできた大きな輪を三度くぐって身を清め、ことし後半の心機一転を誓った方もいるだろう。夏越祓(なごしのはらえ)などと呼ばれる6月末日の神事で、一茶に「母の分も一つくぐる茅の輪かな」の句が残っている。

▼そして迎えたきょう1日はこの国の戦後の歴史の大きな節目である。集団的自衛権の行使を認める閣議決定が予定されている。歴代の政権が「憲法9条があるのでできない」と言い続けてきたものを「憲法9条があっても許される」と改める。2度目の就任から1年半、熱意をみれば安倍首相の念願成就といった感がある。

▼今の憲法がまだ明治憲法の改正案だった昭和21年6月、時の吉田茂首相が9条にからんで国会で答弁した。「改正案は自衛権の発動としての戦争も、また交戦権も放棄したものであります」「近年の戦争は多く自衛権の名において戦われた。満州事変しかり、大東亜戦争またしかり」。以来9条は一字一句変わっていない。

▼一方で解釈は変わり続け、ついに集団的自衛権の行使を盛り込んだ「新釈9条噺(ばなし)」最新版の完成である。時の流れに乗って遠くまできたものだが、十分な議論の末かどうかには心もとなさが残る。わが身も母も大切。でも、この国の行く先を考えねばならない節目でもある。ことしの夏越祓にはそんな気分がついて回った。
時の節目は年末だけではない。きのうは神社へ出かけ、茅(ち)の輪という茅(かや)でできた大きな輪を三度くぐって身を清め、こ  :日本経済新聞