2014年12月31日水曜日

2014-12-31

阪神大震災から20年の来年は、何がおきても互いが助け合う穏やかな日々となるよう祈る。

2014/12/31付

 大きくなったら、どんな仕事がしたい? 小学生の男の子に聞くと、昔からの定番は、スポーツ選手や運転手といったところだ。ただ最近では、警察官や消防士、自衛官と答える子が増えているらしい。「人を助ける仕事だからなのでは」と、先生たちは分析している。

▼こうした職業の人気は、近年の災害の多発と無関係ではないのかもしれない。振り返れば、今年も気の休まる間のないほど風水害に見舞われた。ゲリラ豪雨、スーパー台風、爆弾低気圧と耳慣れない言葉がニュースで流れ、「数十年に1度」を何度も聞いた。災害現場での救出活動は子供たちの目にも焼き付いたのだろう。

▼先月、長野県北部で夜に起きた地震は、震度6弱の大きなものだった。多くの家屋が倒壊して住人が取り残されたものの、近所の人たちが家から懐中電灯やジャッキを持ち寄って救出にあたり、1人の犠牲者も出さなかった。制服を着た人たちの活躍はもちろん、普段着のたくさんのヒーロー、ヒロインがいたわけである。

▼来る年は、阪神大震災から20年の節目にあたる。このときは若者が全国から被災地に駆けつけ、ボランティア元年とも呼ばれた。新しい年が穏やかな日々となるよう心から祈る。だが災害をゼロにはできないのが現実である。何が起きても、そのたびにお互いが助け合う。そんな社会であれば、希望が失われることはない。
大きくなったら、どんな仕事がしたい? 小学生の男の子に聞くと、昔からの定番は、スポーツ選手や運転手といったところだ。ただ  :日本経済新聞

2014年12月30日火曜日

2014-12-30

今年も情報漏洩が頻発したので、対策をしっかり行い被害拡大を抑え新年に備えたい。

2014/12/30付

 ベルリンから季節の便りが届いた。支局の女性スタッフが近況とともに「ハルキ・ムラカミを見て、とてもうれしかった」と知らせてくれた。作家は独紙の文学賞を受賞。先月、壁崩壊から25年の地で「世界には民族、宗教、不寛容といった壁」が残ると講演していた。

▼彼女は日本文学が好きで、大学でも村上春樹を研究していた。親しみを込めて「村上さん」と呼ぶ。そんなファンが世界中にいる作家の長編に、「羊をめぐる冒険」がある。主人公は背中に星形の紋がある1匹の羊を追跡する。羊は人間の中に入り込む不思議な力を持っている。その行方をめぐって、物語は展開してゆく。

▼この羊は、何かの比喩なのだろう。来年の干支(えと)は、よく例えに使われる。キリスト教では、人間を「迷える羊(ストレイ・シープ)」に見立てた。牧畜が盛んな地域では大切な生活の糧だ。いなくなると困る。村落の存亡にもかかわる。むかしの中国では逃げた羊を見失って嘆く「亡羊の嘆」といった成語も生まれている。

▼現代の羊は、顧客情報だろうか。扱い次第で企業の盛衰も左右する。今年も情報漏洩が頻発した。過去5年、大手の3社に1社が流出を経験したそうだ。「亡羊補牢(ろう)」の故事がある。逃げても柵を直せば、被害拡大は防げるとの意味だが、それでは間に合わない。失う前に破れを見つけよ。そう読み替えて新年に備えたい。
ベルリンから季節の便りが届いた。支局の女性スタッフが近況とともに「ハルキ・ムラカミを見て、とてもうれしかった」と知らせて  :日本経済新聞

2014年12月29日月曜日

2014-12-29

地域の個性を活かす地方創生には、他地域との交流でアイデアを集め、魅力を引き出そう。

2014/12/29付

 柳田国男が民俗学の研究に入っていったのは、明治の末、30歳をすぎたころだ。その時期に彼が訪れ、滞在経験が財産になった土地が少なくとも2つある。ひとつは「遠野物語」の民間伝承の舞台である岩手県遠野地方。もうひとつは宮崎県の椎葉村という山間の村だ。

▼椎葉村の狩猟は獣を追い立てる者、銃で狙う者など集団方式。一方、遠野では個人で猟をする。柳田は比較して書いている。家も山腹に建つ椎葉村は奥行きが限られ、横に伸びる形になるが、遠野は母屋に馬小屋を付けるのでカギ形の曲がり屋だ。民俗学の先駆者は地域による違いを興味深くとらえて、世の中に発信した。

▼それぞれの地域に個性がある。政府が掲げる「地方創生」は、各自治体が持ち味を光らせることが大切になる。自分ではなかなか気がつかない場合もあるだろう。地域の人たちだけで考えることはない。今春から遠野市と富士ゼロックスが協力して取り組んでいる地域おこしの活動は、ほかの自治体にも参考になりそうだ。

▼廃校になった中学校を改装し、「遠野みらい創りカレッジ」を開いた。東京などの大学生や企業の社員と地元住民が交流し、地域を元気にするアイデアを出し合う。来訪者からは民家に泊まる「民泊」が古里のように安らげると好評で、これに力を入れることになった。柳田のような外の目が地域の魅力を引き出している。
柳田国男が民俗学の研究に入っていったのは、明治の末、30歳をすぎたころだ。その時期に彼が訪れ、滞在経験が財産になった土地  :日本経済新聞

2014年12月27日土曜日

2014-12-28

今年の紅白は全員参加で歌うことで、かつての戦時中のように今の時代の希望を描けるか。

2014/12/28付

 NHK紅白歌合戦の第1回は1951年に開かれた。ホームページなどではそう解説している。しかし実はその6年前、終戦を迎えたその年の大みそかに、「第0回」にあたる生放送番組があったのだという。題名は「紅白音楽試合」。もちろんテレビなどない時代だ。

▼社会学者の太田省一さんが昨年出版した「紅白歌合戦と日本人」で経緯を解説している。2人の若手局員が新しい時代にふさわしい音楽番組を考えろと命じられた。1人は素人のど自慢を企画し、今も続く。もう1人はプロ歌手の男女対抗歌合戦を思いついたが、GHQ(連合国軍総司令部)に企画書を却下されてしまう。

▼合戦(battle)は軍国主義的だから、という理由だったそうだ。題を「試合」に変えようやく実現にこぎ着けた。優勝旗や選手宣誓など、からっとしたスポーツ番組のような演出は「歌合戦」時代も目立つ。そこには時代の希望があった。男女対等の戦いも米国式民主主義を伝える役割を果たしたと太田さんはみる。

▼ヒット曲が減り、紅白の視聴率もかつてほどではない。作詞家のなかにし礼さんは近著で、戦争中のように全国民が知る歌などというものがある方がおかしく、今の方が健全だと説く。ただし「同時にそれは作品に力がないことも示す」とも。今年の紅白はテーマに全員参加で歌おうと掲げた。今の時代の希望を描けるか。
NHK紅白歌合戦の第1回は1951年に開かれた。ホームページなどではそう解説している。しかし実はその6年前、終戦を迎えた  :日本経済新聞

2014-12-27

STAP細胞問題は経緯解明を要する疑問が山積みであり、これで調査を打ち切るのは甘い。

2014/12/27付

 冬ざれの川は流れる水が減って、それまで見えなかった景色がむき出しになる。いまごろの季節のそんな眺めを「水落石出(すいらくせきしゅつ)」と言うそうだ。転じてこの四字熟語は、ベールがはがれて真相が露(あら)わになることを指すという。虚飾の水が落ちれば石ころだらけというわけだ。

▼いままさに、眼前に荒涼たる光景が広がるのはSTAP細胞をめぐる物語だろう。きのう理化学研究所の調査委員会は、小保方晴子さんらが「発見」したものはES細胞の可能性が非常に高いとする報告書を出した。予想はされていたが、ため息をつくしかない結論である。研究そのものが壮大な虚構だったということか。

▼もっとも、真実を覆い隠す水は流れ去ってはいない。調査委はES細胞混入の経緯を究明できず、これで調査を打ち切るという。オチが不出来のミステリーを読まされた感じだ。「STAP細胞はありまーす」と記者会見で訴えた小保方さんや、協力したベテラン研究者に語ってもらわねばならないことが山ほどあるのに。

▼もし故意だとすれば、いずれ露見する所業になぜ手を染めたのか。どんな思いで突っ走ったのか。そんな疑問も次々にわく。年も押しつまっての報告書公表で、この空前の不祥事も幕引きというならやはり甘かろう。11カ月前の華やかな発表に惑わされた小欄としても、悔恨をかみしめて水落石出になお目を凝らすとする。
冬ざれの川は流れる水が減って、それまで見えなかった景色がむき出しになる。いまごろの季節のそんな眺めを「水落石出(すいらく  :日本経済新聞

2014年12月26日金曜日

2014-12-26

金正恩暗殺を扱った映画ザ・インタビュー公開の決断には、オバマ大統領の喝が効いたか。

2014/12/26付

 ヒトラーを風刺したチャップリンの映画「独裁者」が米国で公開されたのは第2次大戦のさなか、1940年10月である。そのころ、チャップリンのもとには脅迫状が次々舞い込んだ。暴動を起こす、映画館に悪臭弾を投げこむ、スクリーンを蜂の巣みたいにしてやる。

▼思いあまったチャップリンは港湾労働者組合の委員長に相談した。屈強な男たちを映画館に紛れこませ、騒ぎを鎮めてもらおうというのである。そんな話が「チャップリン自伝」(新潮文庫)にある。風刺、パロディーの生命が権力に対する毒にあること、毒はさまざまな反応を引き起こすこと、いつの時代も変わらない。

▼金正恩・北朝鮮第1書記暗殺を扱った米のコメディー映画「ザ・インタビュー」は、残念ながら「独裁者」のような傑作ではなさそうだ。が、表現の自由は名作か駄作かを選ばない。サイバーテロやハッカーの脅しに方針は二転三転したが、やっとこの映画が公開された。自由の国はなんとか面目を保ったといえるだろう。

▼決断には、映画会社の弱腰をしかるオバマ大統領の喝も効いたか。さて、チャップリンの相談にくだんの委員長は笑いながら答えた。「まずそんなことにはなるまいね。きみはきみの観客の中に、そんなやくざな連中をおさえるだけの味方をちゃんともっているはずだよ」。市民への信頼、市民の責任を言い尽くしている。
ヒトラーを風刺したチャップリンの映画「独裁者」が米国で公開されたのは第2次大戦のさなか、1940年10月である。そのころ  :日本経済新聞

2014年12月25日木曜日

2014-12-25

安倍政権の3本目の矢である成長戦略の狙いを定め、的確な経済運営をしてほしい。

2014/12/25付

 作家中島敦は子煩悩だった。南洋庁の役人としてパラオ島に赴任した際、妻子に心温まる手紙を書いた。長男と聖夜を詠んだ短歌も残る。「クリスマス・ツリーに綿の雪のせつチビと笑へば雪飛びにけり」。ぜんそくが悪化、開戦1年後の昭和17年12月に33歳で没した。

▼生前、発表した最後の作「名人伝」の主人公は天下一の弓の達人になろうと志す。並びない名手に弟子入りして、苦しい修行に打ち込むこと5年。虱(しらみ)が馬のように巨大に見え始めた。ついには、連射しても、百発百中。的に当たった矢に次の矢が突き刺さり、瞬く間に百本の矢が一本のように相連なるという神域に達する。

▼第3次安倍内閣が発足した。ほぼ同じ顔ぶれで経済政策を最優先し、3本の矢でデフレ脱却をめざすという。経済は膠着が続く。円安が進んだことへの不満も広がった。財政出動、大胆な金融緩和という2本の矢は的に刺さったようだが、3本目の成長戦略は届かない。27日に決める経済対策は、4本目のようにもみえる。

▼徒然草にこんな話がある。矢を2本持って的に向かう弟子を師匠が戒める。後の矢をあてにすると、始めの矢がおろそかになる。ただ、この一矢で決すると思えと。的確な経済運営は、名人でも難しい。まして、アベノミクスは道半ばで、足踏みしている。頼みの矢ばかりが増えても肝心の的に当たらなければ意味がない。
作家中島敦は子煩悩だった。南洋庁の役人としてパラオ島に赴任した際、妻子に心温まる手紙を書いた。長男と聖夜を詠んだ短歌も残  :日本経済新聞

2014年12月24日水曜日

2014-12-24

富裕層の国際累進課税を唱え格差是正を訴える「21世紀の資本」は、話題の本だ。

2014/12/24付

 「何がクリスマスおめでとうだ!」と老人は言ってのける。「何の権利があってお前がめでたがるのかってことよ。貧乏人のくせに」。ディケンズの名作「クリスマス・キャロル」に登場する、強欲を絵に描いたような商人スクルージの悪たれ口である(村岡花子訳)。

▼そんな老人だがイブの夜にかつての相棒の亡霊に出会い、翌日から3人の幽霊によってさまざまなものを見せられた。幼いころの自分、クリスマスを祝う貧しい人々の助け合い、それを冷笑してきた自らの末路……。子ども時代にこの小説を読み、スクルージが改心する場面に胸がいっぱいになった人は少なくないだろう。

▼ディケンズがこれを書いたのは1843年、産業革命期だ。当時の英国社会の格差の広がりが背景にあるといわれる。以後170年余を経たが、資本主義と格差をめぐる問題は現代人を悩ませて議論が尽きない。トマ・ピケティ氏の大著「21世紀の資本」が世界的なブームになっているのも、その焦慮の表れかもしれない。

▼格差のメカニズムに迫り、富裕層への国際累進課税を唱えるこの本は批判も含めて話題の的だ。5500円もの邦訳本が書店に平積みという光景はまれだろう。さて「クリスマス・キャロル」では、かの老人は心を入れかえ雇い人の給料を上げる。そんな物語を思いつつ、刺激的な「21世紀――」のページをめくってみる。
「何がクリスマスおめでとうだ!」と老人は言ってのける。「何の権利があってお前がめでたがるのかってことよ。貧乏人のくせに」  :日本経済新聞

2014年12月23日火曜日

2014-12-23

ハッカー集団によるソニーの機密情報漏洩事件から、日常に潜む危険性に脅威を感じる。

2014/12/23付

 出社して自分の机に着いたら、まず端末を立ち上げる。ほとんど意識することもない毎朝の習慣になっている人が、少なくないだろう。届いていたメールに目を通して、必要ならば返事を書いて送る。その日の予定をチェックし、時には調整する。いわば日常の一部だ。

▼11月24日朝、米カリフォルニア州のソニー・ピクチャーズエンタテインメント(SPE)本社に出勤してきた社員たちは、さぞ驚いたのではないか。立ち上げた端末の画面に「これは始まりにすぎない」との言葉。そして恐ろしい警告。SPEの内部情報はすべて手に入れた。要求に従わないなら機密情報を公開する……。

▼米メディアによると、ハッカー集団が盗み出した情報の量は、およそ100テラバイト。世界で最大級の図書館、米国議会図書館が収蔵する印刷物をすべて足し合わせて10テラバイトほどなので、想像を絶する規模だ。機微に触れるデータも多かったとか。社員の個人情報、幹部たちの悪口メール、未公開映画の映像や脚本、などなど。

▼厚かましくも「平和の守護者たち」を名のるハッカー集団は許しがたい。今更いうまでもない。ただ、かくも膨大な、外に漏れてはならない情報が盗まれたこと自体に、底冷えするような感覚を禁じ得ない。日常のかたわらに、実はブラックホールがぽっかりと口を開けているような。時代の一面というべきなのだろうか。
出社して自分の机に着いたら、まず端末を立ち上げる。ほとんど意識することもない毎朝の習慣になっている人が、少なくないだろう  :日本経済新聞

2014年12月22日月曜日

2014-12-22

空港の愛称だけでなく、観光名所も旅行客にとって居心地のいい空間にしてもらいたい。

2014/12/22付

 久しぶりに飛行機に乗り、機内誌を見て驚いた。いつの間にか、空港の名前がにぎやかになっている。土地の名物を織り込んだ富士山静岡や徳島阿波おどり空港。動植物の名がついた対馬やまねこ、五島つばき空港。富山きときと空港のように方言が入ったものもある。

▼わが町を元気にしたいという願いが伝わってくる。鳥取では米子鬼太郎空港に続き、いまある鳥取空港が鳥取砂丘コナン空港として生まれ変わることになった。「ゲゲゲの鬼太郎」「名探偵コナン」の作者が地元出身であることが由来である。漫画のキャラクターが訪れる人を出迎えてくれる空港が、2つもできたわけだ。

▼愛称ブームは、地方空港の経営が苦しいことの裏返しでもあろう。あてにした格安航空会社(LCC)も特効薬とはいかないようだ。やっとの思いで誘致した路線が、実績が上がらないまま廃止されることだって珍しくはない。お金をあまりかけず、アイデア勝負でなんとか活性化につなげたいという気持ちはよくわかる。

▼空港はその地方の空の玄関である。親しみや温かみにあふれ、旅行客が扉を開けて入ってみたいという思いを抱いてくれるのであれば、一瞬驚くようなネーミングでも悪くはないのだろう。ただし玄関を飾るだけでなく、肝心の家の中をいま一度見回し、より居心地のいい空間にしてもらいたい。まだ大仕事が残っている。
久しぶりに飛行機に乗り、機内誌を見て驚いた。いつの間にか、空港の名前がにぎやかになっている。土地の名物を織り込んだ富士山  :日本経済新聞

2014年12月21日日曜日

2014-12-21

女性副社長の横暴で高まる大韓航空への反発はパロディー精神を発揮できる分まだ健全だ。

2014/12/21付

 韓国でマカデミアナッツの売り上げが急増しているそうだ。大韓航空の女性副社長が自社機で米国から帰国するさい、ナッツを袋入りのまま出されたことに逆上した事件の余波である。そのナッツがマカデミア、ということでにわかに世の好奇心がうずいているらしい。

▼ナッツが原因で機体を搭乗口に引き返させたからナッツリターン、その航空会社はナッツ航空、ナッツ航空を傘下に置く財閥令嬢のご当人はナッツ姫……とこの話題をめぐっては日本でも面白おかしい物言いがにぎやかだ。たくましい諧謔(かいぎゃく)の根っこには、親の七光で専横をきわめる者への古今東西共通のうっぷんがあろう。

▼もっともこんどの問題は、韓国ではお嬢様の横暴にあきれているだけでは済まなくなってきたようだ。副社長職などを退いた彼女だが検察の捜査を受け、会社も運航停止処分か課徴金を科されそうだという。財閥への反発も一段と高まっていて、かの父親が組織委員長を務める2018年冬季五輪にも影響が及びかねない。

▼小さな木の実がなんとも大きな騒ぎを引き起こしたわけだが、それでもメディアが怒り、人々がパロディー精神を発揮し、面白がってナッツを買いに走るなどというのはまだ健全な社会ではある。思えば北緯38度線の向こう、3代目の統べる国では闇から闇へのナッツリターン事件がきっとたくさん起きていることだろう。
韓国でマカデミアナッツの売り上げが急増しているそうだ。大韓航空の女性副社長が自社機で米国から帰国するさい、ナッツを袋入り  :日本経済新聞

2014年12月20日土曜日

2014-12-20

東京駅の外観は修復され変わったが、人が出会い新たな記憶を刻む駅の力は変わらない。

2014/12/20付

 駅は巨大な記憶の箱である。大正11年3月、19歳の娘は夫の待つ欧州へ出発した。華やかな見送りだった。停車場で父は皆の後ろにいた。車が揺れ始めた時、微笑し、うなずくのを見た。それが最後だった。娘は思い出を書いて、作家になった(森茉莉「父の帽子」)。

▼翌年、関東を襲った大地震に耐えた駅舎を俳人高浜虚子は見ている。東京駅で降り丸ビルにある雑誌「ホトトギス」発行所に通っていた。百年前の完成当初は、「こんな広い不便なものを造ってどうするつもりか」というつぶやきも聞いた。すぐに乗降客が増えて、「もう少し広くしておけば」に変わったと回想している。

▼東京大空襲でドームが焼け落ちた。詩人及川均は駅前で玉音を聞いた。記憶は詩になった。「赤錆(さ)びた鉄骨の間から空が陥(お)ちていた。莫大量の重さをせおつて。そして風呂敷包をさげておれは歩きだした」(「昭和二十年八月十五日午後東京駅正面降車口広場」)。3階建てを2階にする応急措置で、戦後60余年が過ぎた。

▼一昨年、ドームを復元し創建の姿に戻った。外観は変化しても箱の力は変わらない。昔、新幹線で着いた父と車寄せ辺りで休んだことがある。暑い日で帽子を置き忘れた。いまも側を通ると、どこかに父の帽子があるような気がしてくるから不思議だ。開業100周年の駅で、今日も人が出会い、新たな記憶を刻んでゆく。
駅は巨大な記憶の箱である。大正11年3月、19歳の娘は夫の待つ欧州へ出発した。華やかな見送りだった。停車場で父は皆の後ろ  :日本経済新聞

2014年12月19日金曜日

2014-12-19

米国とキューバ両国の国交回復の交渉への反発もあるが、外交に楽観が必要なこともある。

2014/12/19付

 「人間、ぶちのめされたって負けることはねえ」(小川高義訳)。ヘミングウェイの「老人と海」の主人公の独白である。この一節を、キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長は「国の歴史を貫く鬨(とき)の声だ」と受けとめ、集会や行進のスローガンにしたという。

▼社会主義革命が1959年。米国との断交は61年。キューバに22年も住んだヘミングウェイが故国米国で自殺したのも、同じ61年だった。以来半世紀、キューバは米国にとって「裏庭のたんこぶ」であり続け、折りに触れて上がる反米の鬨の声が関係に冷や水をかけてきた。その両国が国交回復の交渉を始めると発表した。

▼オバマ米大統領は残り2年の任期を飾る記念がほしいのだ、との見方がある。キューバも反骨の建前ばかりにこだわってはいられない。仲直りにはどちらからも反発は出ようが、狭い海を挟んだ隣国同士である。冷戦が終わって四半世紀もたった。違いは違いとして共存しようという動きを、世界はおおむね歓迎している。

▼前議長はヘミングウェイが好きで、なかでも「老人と海」の老漁師の独白にひかれていた。やっと仕留めたカジキを狙う1頭目のサメをやっつけて「負けることはねえ」とつぶやいた老人は、続けて独りごちる。「このまま進めばいい。来るものが来たら、そのときのことだ」。外交にもそうした楽観が必要なこともある。
「人間、ぶちのめされたって負けることはねえ」(小川高義訳)。ヘミングウェイの「老人と海」の主人公の独白である。この一節を  :日本経済新聞

2014年12月18日木曜日

2014-12-18

賃金交渉結果は会社の体力によりバラツキが出る為、労働者に勘違いされるリスクがある。

2014/12/18付

 7日に亡くなった根本二郎・元日本郵船社長は財界労務部といわれた日経連の会長時代に慌てたことがある。1996年1月、日本の生産性の低迷を考えベースアップ(ベア)の見送りを表明した。ところが豊田章一郎・トヨタ自動車会長(当時)らが反発したからだ。

▼「賃上げする企業があれば止められない」と豊田氏。自社の業績回復が背景にあった。そんな声を聞いた根本氏は、個別企業は支払い能力をもとに判断することになるとの談話を出すなど対応に追われた。結局、その年の賃上げは消費を冷やすのを嫌った自動車や電機各社が前年を上回る額で決着。鉄鋼はベアが復活した。

▼こうした例からもわかるように賃金交渉は、経済界として方針を掲げても結果は企業によってバラツキが出る。会社の体力が違うためだ。来春の交渉はどうなるだろう。賃金を抑え込もうとした根本氏とは逆に、日経連を統合した経団連はアベノミクスを応援するため増額を呼びかける。会員企業は応じてくれるだろうか。

▼心配なのは政府の要請でもあるからと無理をして賃上げした場合に、労働組合や社員に会社の真の実力が誤って伝わることだ。「うちは結構もうかってるじゃないか」と勘違いされるリスクはないか。翌年の賃金交渉の議論がかみ合わなくなる恐れもある。春の労使交渉は始まってから来年で丸60年。節目に危うさも漂う。
7日に亡くなった根本二郎・元日本郵船社長は財界労務部といわれた日経連の会長時代に慌てたことがある。1996年1月、日本の  :日本経済新聞

2014年12月17日水曜日

2014-12-17

20代の投票率は、政府に低成長世代を惹きつける政策がなければ、今後も下降するだろう。

2014/12/17付

 今回の衆院選の直前、角川アスキー総合研究所とドワンゴが、20代を対象に政治意識を調査した。そのなかに、投票に行かないと決めている若者に対し理由を聞いた結果がある。「投票したい」と思う候補者がいない、政党や政策がない、という答えが多かったという。

▼ならば若い世代の望みはどこにあるのか。日本が目指す方向として20代全体でトップになったのは「結婚や子育てといった基礎的な人間生活が保障される社会」だ。以下、次の世代へ負担を与えない社会、多様な価値観や考え方が認められる社会、と続く。それぞれの生活を、普通に送りたい。そんな堅実さが読み取れる。

▼政治的な話題への関心度では、消費増税先送りを筆頭に年金、雇用、医療・福祉など身近な話に4割前後が「関心あり」と答えた。アベノミクスはようやく6位。国際情勢や憲法改正に関心を持つ人は2割強だ。「政治家たちが訴えた争点と、20代の関心との間に齟齬(そご)があったのではないか」。調査担当者はそう分析する。

▼かつて衆院選の投票率は、どの年齢も7割台近辺にあった。20代が他よりもぐっと落ち込むのはバブル崩壊以降だ。政治の側に低成長世代の思いをくみ取る努力が足らなければ、今後もこの傾向は続こう。例えば今回、将来世代の負担減や年金問題をもっと正面から訴える党があれば、若者の心を引きつけたかもしれない。
今回の衆院選の直前、角川アスキー総合研究所とドワンゴが、20代を対象に政治意識を調査した。そのなかに、投票に行かないと決  :日本経済新聞

2014年12月16日火曜日

2014-12-16

党首落選の民主党は議席は若干上積みしたが、その重み苦渋を肝に銘じ再出発をしろ。

2014/12/16付

 「忍」――。民主党の海江田万里さんは経済産業大臣を務めていたとき、手のひらにこの1字をしたためて国会審議に臨んだことがあった。東日本大震災のあと、原発政策をめぐり菅直人首相との確執が表面化していたころである。じっと我慢の心境ではあっただろう。

▼やがて下野した党の代表に就いてからも、ひたすら「忍」の日々だったに違いない。しかしただ耐えてみせるばかりで、巨大与党と渡り合う迫力はついぞ感じさせなかった人である。やはりといっては失礼か、衆院選で比例復活もならず代表辞任を表明した。野党第1党の党首落選は片山哲・社会党委員長以来65年ぶりだ。

▼海江田さんが人気者だった時代もある。タレント経済評論家として知られ、「とにかく速く自分のお金が二倍になる本」といった利殖ガイドなど物していた。リーダーの器かどうか首をかしげるのだが、この党の幹部らは惨敗を喫した組織のかじ取りをババ抜きみたいに押しつけたのだから罪が深い。非は全体にあるのだ。

▼そんな民主党に、けれど有権者はいくらかの議席上積みを果たさせた。安倍自民の1強支配に抗する勢力の必要性を考え、過去のさまざまな失敗にも目をつむって投じられた票も少なくなかっただろう。投票用紙に「忍」の1字が透けるというものである。その重み、その苦渋を知って本当の再出発を期さないと次はない。
「忍」――。民主党の海江田万里さんは経済産業大臣を務めていたとき、手のひらにこの1字をしたためて国会審議に臨んだことがあ  :日本経済新聞

2014年12月15日月曜日

2014-12-15

この衆院選は国民による政府統制は不十分だったが、疑うことをやめない精神で統制しろ。

2014/12/15付

 半世紀も前だが、正面に少女を描いた明治の粉ミルクの缶があった。絵の少女は同じ缶を手にしていて、その缶にも少女が描いてある。その少女も缶を持ち、そこに少女が……。ずっと続いていく絵柄を自ら政治に向き合う姿に重ねていたのが作家の井上ひさしである。

▼「ぼくもいまは左ふうのことを言っているんですが、左が世の中をとったときに、やっぱりそれにも反対するだろうと思うんですね」。ある対談でそう語っていた。応援する勢力が勝ったらまた違う方に回ってもの申す。それがとめどなく続いていくイメージだという。批判し、疑うことをやめない精神、といえばいいか。

▼民主主義とは? 難問である。著名な日本研究者で駐日米大使もつとめたエドウィン・ライシャワーは「一般国民による政府の統制をできるだけ平等かつじゅうぶんに許す政治制度」と定義した。その通りだが、この衆院選の投票率は過去最低だという。国民による統制はじゅうぶんには働かなかった。そういうよりない。

▼「いまなら勝てるから」と師走選挙に踏み切った安倍政権も、政権に思うがままを許した野党も、「棄権」という名の権利を謳歌した有権者も、民主主義には責任がある。しかし、国民が政府を統制する機会は選挙以外にもあろう。そのために井上ひさし流である。「とめどなく批判し、疑うことをやめない精神」である。
半世紀も前だが、正面に少女を描いた明治の粉ミルクの缶があった。絵の少女は同じ缶を手にしていて、その缶にも少女が描いてある  :日本経済新聞

2014年12月14日日曜日

2014-12-14

投票権を放棄した人達は、政治の側から保護に値しないと思われているかもしれない。

2014/12/14付

 「消費税は所得が多い人にも少ない人にも等しくかかるからね」「でも、国の借金を放っておいちゃいけないじゃない」。地下鉄に乗っていたら、こんな会話が聞こえてきたので驚いた。話の中身ではなく、声の主にである。カバンを背負って、半ズボンをはいていた。

▼どう見ても小学校の5、6年生といったところだ。毎日、衆院選のニュースに目をこらし、学校や家庭でも「議論」しているのだろうか。思えばいま行う選挙の結果は、この子たちが大人になるころの社会へとつながっていく。国の財政のあり方を真面目に話す2人を見ていて、なんだか申し訳ないような気持ちになった。

▼法律の世界に「権利の上に眠るものは、保護に値せず」という格言がある。民事上の時効を設ける理由の一つとされるものだ。おカネを貸したのに、請求する権利を行使しないままでいるのなら、その貸しはなかったことになる。衆院選の投票率が戦後最低に落ち込むとの懸念を聞けば、この格言が胸に迫ってくるようだ。

▼無風だろうが、大義がなかろうが、投票しなければなにも始まらない。有権者の半数ほどしか参加しない選挙であるなら、「政治に関心がないので、適当にお願いします」が第1党ということになってしまう。投票権があるのに眠り続ける人たちは、政治の側からはすでに「保護に値しない」と思われているかもしれない。
「消費税は所得が多い人にも少ない人にも等しくかかるからね」「でも、国の借金を放っておいちゃいけないじゃない」。地下鉄に乗  :日本経済新聞

2014年12月13日土曜日

2014-12-13

死と再生を繰り返す自然の営みの様に、アベノミクスは再び生命力を取り戻せるのか。

2014/12/13付

 アンデルセンの「即興詩人」(森鴎外訳)にこんなくだりがある。主人公アントニオの舟が突然、竜巻に遭う。混乱した船頭は「尊きルチア、助け給へ」と叫ぶ。気づくとカプリ島の青の洞窟に漂着していた。金銀財宝の入った壺(つぼ)を見つけ、盲目の少女ララに救われる。

▼祈ったのはナポリ民謡に歌われた聖ルチア。政略婚を拒み目をくりぬかれ殉教した。目と光の守護聖人。北欧諸国などでは、今日がその祝日だ。ロウソクの冠をかぶった少女たちが闇の中を練り歩く。キリスト教が普及する前の「光の祭り」と結びついた伝統行事。冬至のころ、厳しい冬を追い出し、春を呼ぶ儀式らしい。

▼明日は赤穂浪士討ち入りの日である。劇的事件には冬の王を倒し春を招く太古からの祭祀(さいし)が隠れているとの指摘がある(丸谷才一「忠臣蔵とは何か」)。権勢を誇った冬も滅び、やがて春が訪れる。死と再生を繰り返す自然の営みを反乱劇が再現してみせる。そこに日本人の心を揺さぶり続ける秘密があるのかもしれない。

▼いま起きていることにも、そんな祭儀がひそむと想像してみる。明日の衆院選は冬を追い払い、春を招くだろうか。円安や景気悪化で、くたびれてきたアベノミクス。国民の審判を受けて再び生命力を取り戻せるのか。なにしろ、日本再生がかかっている。守護聖人への祈りや祝祭劇だけで、終わらせるわけにはいかない。
アンデルセンの「即興詩人」(森鴎外訳)にこんなくだりがある。主人公アントニオの舟が突然、竜巻に遭う。混乱した船頭は「尊き  :日本経済新聞

2014年12月12日金曜日

2014-12-12

容疑者への過酷な拷問による事情聴取は、真実に迫れず新たな虚偽をつくるだけだ。

2014/12/12付

 江戸時代の大奥をめぐる出来事のひとつに、絵島事件がある。正徳年間というから18世紀初め、将軍家継の生母に仕えていた絵島は門限に遅れたため歌舞伎役者の生島新五郎との仲を疑われ、過酷な取り調べを受けた。このときの拷問が「うつつ責め」なるものだった。

▼のべつ幕なし尋問を浴びせかけ、夜も昼もいっさい眠らせない。古くからある自白強要の手口だが、絵島が受けた責め苦はひときわ激しかったという。そんな前近代の物語と変わりのない所業が、こともあろうに現代の米国で繰り広げられていた。ブッシュ前政権下で、中央情報局(CIA)がテロ容疑者に働いた狼藉(ろうぜき)だ。

▼顔に大量の水を注ぐ。氷風呂に漬ける。真っ暗な独房に入れて大音響を流す。立たせたまま180時間眠らせぬ、究極の「うつつ責め」もあった。上院特別委員会が公表した報告書はおぞましいの一言だ。こういう文書の公表は新たなテロを招くとの声もあるが、秘匿しつづけるにはあまりにも重い過ちだったに違いない。

▼これほどの拷問もしかし、容疑者から情報を引き出すのに効果はなかったという。人はしばしば苦痛に耐え、あるいは苦痛のあまり虚偽を語るのだ。かの絵島事件では、睡眠を断たれても絵島は頑として否認、生島のほうは石抱きを強いられてウソの自白をしたとされる。古今東西、拷問は真実に迫れず「事件」をつくる。
江戸時代の大奥をめぐる出来事のひとつに、絵島事件がある。正徳年間というから18世紀初め、将軍家継の生母に仕えていた絵島は  :日本経済新聞

2014年12月11日木曜日

2014-12-11

制御不能の中国の違法取引から、日中経済力の逆転と中国の順法意識不足を感じる。

2014/12/11付

 アフリカ大陸の東南部、タンザニアにある「セルース猟獣保護区」は、いろんな哺乳類が暮らしていることで知られる。名前からうかがえるように、狩猟用の動物を保護するため設けられたのが始まりだ。今では狩猟は禁止。1982年に世界自然遺産に登録された。

▼面積はおよそ5万平方キロ。九州よりも広い動物たちの楽園だ。ところが、ここで暮らす哺乳類の中でも最も大きいゾウの数が、この5年で半分に減ったという。ロンドンに拠点を置く非政府組織(NGO)が先月、発表した。元凶は象牙をねらった密猟の横行。そして象牙の最終的な仕向け地は、なんといっても中国だ。

▼取り締まりの努力がなされてはいる。だが中国国内の値段が高騰しているため、犯罪組織や腐敗した官僚たちが大胆になっているらしい。習近平国家主席が昨年タンザニアを訪れた際、その専用機が密輸組織に利用された疑いさえ指摘されている。おとといには別のNGOが、中国の違法取引は制御不能だ、と警告した。

▼象牙といえば日本向けが目立った時代もあった。そう昔ではない。日中の経済力の逆転を実感する。同時に、日本人の順法意識や動物愛護の精神が強まったのかも、と考えたりもする。「衣食足りて礼節を知る」とは中国の古典から来た言葉だが、礼節にいたる前に欲望が膨れあがる時期がある、と注釈を加えたくなる。
アフリカ大陸の東南部、タンザニアにある「セルース猟獣保護区」は、いろんな哺乳類が暮らしていることで知られる。名前からうか  :日本経済新聞

2014年12月10日水曜日

2014-12-10

レバ刺しの過剰規制による摘発と同様に、基準の見えない秘密法での摘発も安心できない。

2014/12/10付

 レバ刺しを出した焼肉店経営者ら逮捕――。この1年ほどの間に、こんな摘発が2度もあったのをご存じだろうか。おととしの夏に食品衛生法で牛の生レバー提供が禁止となり、やがて警察は強権発動に踏み切ったのだ。法律が独り歩きするケースの見本かもしれない。

▼官による過剰規制を憂える声は少なくなかったが、まさか逮捕までは……と誰もが思っただろう。しかし条文があればその執行は辞さないのが警察や検察というものだ。きょう施行の特定秘密保護法をめぐる不安もそこに根ざしている。外交や防衛の機密を漏らした公務員などに最高で懲役10年を科すコワモテぶりである。

▼心配ご無用、と政府は拡張解釈の禁止や報道の自由への配慮などをうたった。秘密指定の対象も細分化してはいる。しかし、それでもなお曖昧な部分が多く、間違った指定を防ぐための仕組みも堅固ではない。「知る権利」は尊重すると言いつつ厳罰が控えているのだから、この法律のいやな感じはなかなか払拭が難しい。

▼禁令はそれ自体が人々を縮み上がらせ、実際に摘発例が出ると威力が倍加する。よもや秘密法の運用がそういう展開をたどるとは考えたくないが、レバ刺しの件を思えば高をくくってもいられない昨今だ。そして困ったことに、レバーは生か焼きか見ればわかるけれど、特定秘密は何がそれなのか向こうにしかわからない。
レバ刺しを出した焼肉店経営者ら逮捕――。この1年ほどの間に、こんな摘発が2度もあったのをご存じだろうか。おととしの夏に食  :日本経済新聞

2014年12月9日火曜日

2014-12-09

罪のない人々が犠牲にならないよう、日本は戦争のない国であり続けないといけない。

2014/12/9付

 終戦間際の話だ。もし米軍が海から東京周辺に上陸したら、北関東の戦車部隊が迎え撃つため南下することになっていた。しかし、大八車を引いて北へ逃れる人の群れで道はごった返すだろう。どうすればいいか。尋ねられた上官は言ったという。「踏みつぶしていけ」

▼問いかけた当の戦車兵だった作家・司馬遼太郎は後に、この一事が戦争とは何かを集約する「いちばんのことだった」と振り返っている。若くて感じのいい上官が、作戦とも呼べない絵空事の迎撃作戦を振りかざし、「人を踏みつぶせ」と命じる。司馬は「なぜ、こんなばかな国に生まれたんだろう」と考えていたという。

▼戦争や内戦をきっかけに世界のできごとに関心を持ち、地図が頭に入るという経験がある。旧ユーゴも中東、アフガニスタンも、最近ならウクライナもそうだ。がれきの山や兵器、軍服姿の映像が日々流れ、戦争を見知り聞き知った気になる機会にはこと欠かない。「そうじゃないんだ」と書いたのが作家・山口瞳である。

▼「一緒に冗談を言いあって遊んでいた兄が、隣の評判の孝行息子が、応召で戦地に連れていかれたと思ったら、たちまちにして遺骨になって帰ってくる。それが戦争なんだ」。73年前のきのうきょう、この国は真珠湾攻撃の戦果の興奮に包まれていた。踏みつぶされぬ。灰にはならぬ。そんな国であり続けないといけない。
終戦間際の話だ。もし米軍が海から東京周辺に上陸したら、北関東の戦車部隊が迎え撃つため南下することになっていた。しかし、大  :日本経済新聞

2014年12月8日月曜日

2014-12-08

グローバル企業が顧客の安全を第一とし、国際的なリコールに踏み切るのは難しい問題だ。

2014/12/8付

 企業向けに書かれた危機管理の教科書を開けば、必ず出てくるのがタイレノール事件である。1982年、米国の製薬会社ジョンソン・エンド・ジョンソンの主力商品だった解熱鎮痛剤タイレノールに、何者かが毒物を混入した。シカゴ周辺で、少女ら7人が死亡する。

▼会社は原因がはっきりしないうちからリコールに踏み切る。新聞やテレビで繰り返し呼びかけ、全米で3100万個を回収した。大きな損失を出したが対応は好感され、ほどなく売り上げも回復する。この教訓を思い出させるのがタカタ社製エアバッグの問題である。同社の姿勢を消極的とみた米国の批判は高まる一方だ。

▼事情はいろいろあるだろう。だが追い詰められる形でリコールが広がり、そのたび企業イメージは損なわれる。危機管理に詳しい弁護士の中島茂さんは、これまで苦悶(くもん)の表情でリコールを決断する経営者を何人も見てきた。それでも判断基準はただ1つ。ユーザーの安全である。鉄則は「迷うならリコール」なのだという。

▼タカタはアジアや欧米などの20カ国に、50を超える生産や販売の拠点を持つ。まさにグローバルな会社だ。商品やサービスが評価され、企業の活動が海外に広がれば広がるほど、国際的なリコールの決断を迫られる可能性もついて回る。どのように備えればいいのか。なんとも難しく、そして避けては通れない問題である。
企業向けに書かれた危機管理の教科書を開けば、必ず出てくるのがタイレノール事件である。1982年、米国の製薬会社ジョンソン  :日本経済新聞

2014年12月7日日曜日

2014-12-07

地方への頭脳労働者集積で住民を豊かにし、若い世代のベンチャー精神を生かしたい。

2014/12/7付

 ある街で小さな企業が大きく育ち、関連産業が生まれ、住民が豊かになっていく。米シアトルがその一例だ。マイクロソフトの創業者が故郷、シアトル近郊に本社を移して30年余り。この間の変化を、米国の経済学者が「年収は『住むところ』で決まる」で描いている。

▼移転当時のシアトルは製造業の不振で失業率も高く、人口減と犯罪の多さに悩んでいた。今では高い技術を持つ労働者が増え、同じ学歴同士で比べても他の街より賃金が高い。マイクロソフトの社員が増えただけではない。元社員の起業した会社が近辺に2000社以上ある。投資家が集まり、ますます起業しやすくなる。

▼ネット通販のアマゾン、コーヒーのスターバックスもシアトルのこうした環境から出発し、世界企業になった。非営利団体への寄付も集まりやすく、大学や病院、博物館なども充実しているという。こうした例が各地で増え、いまや「頭脳労働者が集積した街の高卒者の年収は、そうではない街の大卒者より高い」そうだ。

▼衆院選が近づき、街角で候補者が政策を訴えている。補助金、公共事業、大手企業の工場誘致。そうした中央頼みはもう続かないことに有権者も気づいているのではないか。都会で地方暮らしへの関心が高まっている。特に若い世代では、のんびり志向の人よりベンチャー精神の持ち主が目立つ。うまく生かしていきたい。
ある街で小さな企業が大きく育ち、関連産業が生まれ、住民が豊かになっていく。米シアトルがその一例だ。マイクロソフトの創業者  :日本経済新聞

2014年12月6日土曜日

2014-12-06

容疑者の身柄拘束を退ける割合が毎年増加している事は、検察の無頓着、無責任の証しだ。

2014/12/6付

 町奉行の下で市中の見回りや取り調べにあたる与力に辣腕でならす男がいた。ある日、思い立つことがあって家に帰ると着替えもせず下男を「金を盗んだな」と問い詰めた。無実は承知のうえである。もちろん下男は否認したが、厳しい追及にやがて罪を認めてしまう。

▼自慢の強引な吟味が冤罪(えんざい)を生むのにショックを受けた与力は、職を辞し隠居したという。東京・北の丸公園の国立公文書館で開催中の「江戸時代の罪と罰」展でそのいきさつを知った。人を裁くときいかにして冤罪を防ぐのか。いつの世も問題である。いまでいうなら、「人質司法」見直しをめぐる議論もその一つだろう。

▼逮捕した容疑者や裁判が始まった被告の身柄を捜査当局が長い間拘束する。その間に都合よく供述させたり、否認する限りは自由になれないと脅したりする。そんな批判が「人質司法」の言葉にはこもる。逃げたり証拠を隠したりの可能性を吟味して拘束の是非を決めるはずの裁判所も、検察の言いなりだといわれてきた。

▼その裁判所が変わってきたと本紙が報じていた。容疑者の身柄拘束を求める検察の訴えを退ける割合はほぼ毎年上がり続け、11年間で0.1%から1.6%になったという。これで十分だとは言えないのだろうが、むしろかつての千件に1件という数字に驚いた。事実上はゼロ。裁判所が無頓着、無責任だった証しである。
町奉行の下で市中の見回りや取り調べにあたる与力に辣腕でならす男がいた。ある日、思い立つことがあって家に帰ると着替えもせず  :日本経済新聞

2014年12月5日金曜日

2014-12-05

ミシュランや食べログの料理の評価にはほどほどに付き合い、料理を堪能しよう。

2014/12/5付

 花のお江戸の人々は外食が大好きだった。屋台のすしや天ぷらをつまんだり、そばをすすったり、うなぎの蒲焼(かばや)きや豆腐料理の店にも足を運んだようだ。だからグルメガイドも出版されていて、たとえば嘉永年間にはその名も「江戸名物酒飯手引草」なる本が出ている。

▼当時は相撲の番付になぞらえた料理店のランキングも人気だったという。それも高級料亭あり、うなぎ屋ありで、つまり昔からちまたの店の格付けをひどく気にするわれらである。そんな伝統ゆえか7年前に日本に上陸した「ミシュランガイド」も世に定着、ミシュラン掲載の店へ行ったのが自慢のおじさんもおられよう。

▼きょう発売の新しい東京版は、星なしだが5000円以下の良質店という区分けの店を大幅に増やしている。リストを眺めればラーメンに焼き鳥、おでん、とんかつと庶民的だ。こういう店が安くてうまいのは先刻承知だが、この本に載ったとなれば星なしもまた星の一種。ハクがついて気安く出向けなくなるかもしれぬ。

▼「食べログ」で何点か。どんな書き込みがあるのか。ミシュランには縁がないという人も、飲食店の評価をついネットなんぞでチェックしてしまいがちな昨今である。店に行く前になんだか腹ならぬ頭がいっぱい、情報に振り回されて料理の味はあまり覚えていない……。星にも点数にも、ほどほどに付き合うことである。
花のお江戸の人々は外食が大好きだった。屋台のすしや天ぷらをつまんだり、そばをすすったり、うなぎの蒲焼(かばや)きや豆腐料  :日本経済新聞

2014年12月4日木曜日

2014-12-04

棋界の海外勢の実力が向上し日本勢劣勢な状況を、故・瀬越なら本望だというだろう。

2014/12/4付

 「そんな素晴らしい少年を呼んだら君らは皆、やられるぜ」。こう言われて瀬越憲作は答えた。「本望です」。「やられるくらいでなくちゃ」呼ぶ甲斐がない、とも言った。こうして呉清源少年は1928年の秋、14歳で海を渡って日本の棋界に飛び込むことになった。

▼桐山桂一氏が「呉清源とその兄弟」で紹介しているエピソードだ。棋界の実力者だった瀬越八段が、棋譜をみてほれ込んだ北京の天才少年を日本に招こうと考え、政界の重鎮だった犬養毅に助力を求めた際のやりとり。からかい気味に「やられるぜ」と応じた犬養に「本望です」とたんかを切った瀬越の姿は、かっこいい。

▼来日した後の呉清源さんの活躍は言うまでもなかろう。呉さんのお弟子さんにあたる林海峰名誉天元や、呉さんの好敵手だった木谷実九段の門下の趙治勲二十五世本因坊ら、日本の棋界を引っ張ってきた海外出身の棋士は多い。呉さんはそういった棋士たちの先駆けでもあった。瀬越の「本望」はかなった、というべきか。

▼囲碁は中国で生まれたゲームだが、長く日本の棋界が研究の先端を走っていた。1980年代くらいから、中国や韓国、台湾の棋界の実力が向上し、今では国際的な手合いでは日本勢がむしろ劣勢という印象がある。瀬越が生きていたなら改めて「本望です」というのではないか――。呉さんの訃報に、そんなことを思う。
「そんな素晴らしい少年を呼んだら君らは皆、やられるぜ」。こう言われて瀬越憲作は答えた。「本望です」。「やられるくらいでな  :日本経済新聞

2014年12月3日水曜日

2014-12-03

不良を演じた故・菅原文太の晩年は農業や平和運動に注力し日本の大切な部分に貢献した。

2014/12/3付

 「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」。そう書いたのは哲学者の鶴見俊輔さんである。言うほど水やりはたやすくない。気づけば身過ぎ草、世過ぎ花ばかりが心のあちこちにはびこり、とげっぽいのは枯れかけていたりする。

▼そんなときは映画館に駆け込めばいい、という時代があった。客の内部の不良少年にスクリーンからたっぷり水をかけてくれるスターがいたからである。そんな役回りを演じた菅原文太さんが81歳で逝った。「仁義なき戦い」の広島やくざに、満艦飾の大型トラックを操るひょうきんな「一番星」に、不良はあふれていた。

▼寅さんとは違うタイプの不良だ。その姿に生き返る気がした人は多かろう。晩年は映画を離れ、農業や平和運動に力を注いだ。妻の文子さんが、小さな種を二つまいて去った、とコメントを出している。無農薬有機農法を広めることと、日本が再び戦争をしないという願いが立ち枯れてしまわないようにすることだという。

▼鶴見さんの言葉をもう一つ。「日本の国について、その困ったところをはっきり見る。そのことをはっきり書いてゆく。しかし、日本と日本人を自分の所属とすることを続ける」。「書く人」ではなかった文太さんの生涯が重なるのを感じる。日本という国の内部の大切な場所にたっぷり水をやった晩年の印象からである。
「私は、自分の内部の不良少年に絶えず水をやって、枯死しないようにしている」。そう書いたのは哲学者の鶴見俊輔さんである。言  :日本経済新聞

2014年12月2日火曜日

2014-12-02

目的地を把握できる脳細胞を活用した有権者の一票で、安倍政権の迷走の解決を願う。

2014/12/2付

 クレタ島の迷宮は一度入ると出られない。牛頭人身の怪物ミノタウロスが幽閉され、貢ぎ物の少年少女を食べていた。激怒した英雄テセウスは自ら、いけにえとなって潜入する。魔物を倒すと、赤い糸をたぐりながら出口を目指した。ギリシャ神話に出てくる話である。

▼名匠ダイダロスが造った脱出不可能な建物から出られたのは、王の娘が渡した糸のおかげだった。入り口に端を結びつけて、伸ばしつつ進んだ。娘の名にちなんで「アリアドネの糸」という。いまでは、混乱から抜け出すのを助ける救いの手や道しるべを意味する。最近、脳の中にも似た仕組みがあることが分かってきた。

▼この役割を担う神経細胞の発見に、今年のノーベル生理学・医学賞が贈られる。細胞は方向感覚や位置関係をつかさどる。頭の中で、カーナビゲーションのように働く。自分がいる場所の地図を作り、迷わずに目的地にたどり着く。認知症で働きが鈍ってくると、居場所が分からなくなったり、道に迷ったりもするらしい。

▼迷宮にいる気もしてくる。デフレ脱却を目指したアベノミクス。消費税の再増税を延期し、道半ばで信任を問うことになった。成長と財政再建、社会保障の充実をどう均衡させるのか。出口がまだ見えない。今日の公示で衆院選が始まる。脳細胞を絞った一票が集まって、迷路を解く太い糸を紡ぎ出してくれると思いたい。
クレタ島の迷宮は一度入ると出られない。牛頭人身の怪物ミノタウロスが幽閉され、貢ぎ物の少年少女を食べていた。激怒した英雄テ  :日本経済新聞

2014年12月1日月曜日

2014-12-01

欠点や自由・寛容を尊重する今の若者文化は、大人社会になにを訴えているのだろう。

2014/12/1付

 きょうから12月に入り、まもなく2014年も終わる。10年代も前半5年が過ぎ、折り返し点を回るわけだ。中間総括するなら10年代とはどんな時代か。若者文化に詳しい評論家、さやわか氏は、今年出版した「一〇年代文化論」で「残念」というキーワードを挙げる。

▼ダメな時代という意味ではない。高校生などが好んで読むライトノベルで近年、美男子なのに性格はオタクといった「残念な」生徒が活躍する「残念系」の話が売れている。お笑いコンビでは「残念な(つまらない)方」に脚光があたる。「ダメ」といえば救いがないが「残念」はそこはかとなく共感や同情を感じさせる。

▼人間は本来、多様なものだ。完全無欠なスターや万事に平均点というタイプもいるが、たいていの人は長所と短所を抱えて生きている。でこぼこは、そのまま受け入れて楽しめばいい。1974年生まれのさやわか氏は、最近の若者文化にそうした「清濁併せのむ」おおらかさを読み取る。この感性が10年代なのだという。

▼いつの時代も、若者が作る文化には2つの共通点がある。大人社会に欠けたもの、失われたものを補おうとすること。それゆえ年長者には理解されないまま支持を広げることだ。今の若者文化が少数派や「欠点」の持ち主を好んで描き、自由や寛容の価値を訴えているとしたら、それは何に対する異議申し立てなのだろう。
きょうから12月に入り、まもなく2014年も終わる。10年代も前半5年が過ぎ、折り返し点を回るわけだ。中間総括するなら1  :日本経済新聞

2014年11月30日日曜日

2014-11-30

富士日記の様な自身の為に書いた日記が、世に出て他人の胸を打つから日記は不思議だ。

2014/11/30付

 「おれと代るがわるメモしよう。それならつけるか?」。武田泰淳は妻にこう持ちかけ、山荘での暮らしを記録させるようになったという。のちに出版され評判を呼ぶ「富士日記」誕生の経緯である。この日記で、泰淳没後にもうひとりの作家・武田百合子は出現した。

▼師走を控え、文具店などに目立つのは来年の手帳やカレンダー、それに日記帳だ。来年こそはと意気込んでもどうせ三日坊主、とは限るまい。こうして綴(つづ)られていく日記のなかにはその人にとって生涯の糧となるものがあろう。さらには世に知られ時代の貴重な記録として、文学として、輝きを放つ述懐もあるに違いない。

▼荷風に山田風太郎、古川ロッパ……。読み出したら止まらぬ日記は多い。しかし市井の人による言葉にも味があり、近刊の「五十嵐日記」など昭和30年代の東京の空気や生活者の哀歓が行間から立ちのぼる。山形から上京して神田の古書店で働いていた青年の記録だが、そこに焼きついた「戦後」の、なんと健気(けなげ)なことか。

▼ただ自身の心覚えに書いたのに、不意に世間に出て他人の胸を打つこともあるから日記とは不思議な存在だ。かの「富士日記」も、聖書のような布張りの日記帳が押し入れの隅の段ボール箱に眠っていたという。刻まれては埋もれていくさまざまな人生、知られざる事実。その膨大さも思わせてやまぬ日記帳の風景である。
「おれと代るがわるメモしよう。それならつけるか?」。武田泰淳は妻にこう持ちかけ、山荘での暮らしを記録させるようになったと  :日本経済新聞

2014年11月29日土曜日

2014-11-29

各部分が自分で動いて問題を解く粘菌の賢さに学び、地方分権による地方活性化を進めろ。

2014/11/29付

 民俗学者、南方熊楠(みなかたくまぐす)は絵が得意だった。幼時から「和漢三才図会」などを写して学んだ。先日、見つかったハガキにも味のある自画像があった。右手に空の財布を持ち、左手を差し出す。博覧強記で「歩く百科事典」と称された碩学(せきがく)は、実にユーモアあふれる人だった。

▼昭和4年、紀伊半島を訪れた昭和天皇に進講した。生物学に造詣の深い天皇は、予定時間を超えて聞き入った。このとき、熊楠は大きなキャラメルの箱に入れて標本を献上した。中身は生涯をかけて採集研究してきた粘菌だった。落ち葉の下にいる身近な生物で動物のように動き回る。かと思うと植物のような姿に変わる。

▼驚いたことに謎の生物は脳も神経もないが、迷路の最短経路を見いだす。地図上で実際の鉄道と似た路線を作る。この発見でイグ・ノーベル賞を受賞した中垣俊之・北大教授は「原始的な知性」があるとみる。脳のような中央からの指令によらず、分散した各部分が自分で動いて問題を解く賢さがあるという(「粘菌」)。

▼地方分権の動きをみていると、その賢さに学びたくなる。地方活性化のかけ声は繰り返されてきたが、実効が上がらない。権限委譲や規制緩和も一向に進まない。これまでの失敗から学んでいないからではないか。ちなみに、熊楠が「大宇宙を包蔵する」と絶賛した粘菌には、単細胞ながら記憶や学習の萌芽(ほうが)もあるそうだ。
民俗学者、南方熊楠(みなかたくまぐす)は絵が得意だった。幼時から「和漢三才図会」などを写して学んだ。先日、見つかったハガ  :日本経済新聞

2014年11月28日金曜日

2014-11-28

英語同時通訳の故国弘の様な学ぶ側の度胸や出会いこそが、人を本物の勉強に向かわせる。

2014/11/28付

 戦争中、英語を使いたくてたまらない14歳の中学生が神戸にいた。意を決して捕虜収容所を訪ねると、柵の向こうの「赤鬼青鬼みたいなやつばかり」の中の小柄で柔和そうな若者がほほ笑んできた。少年は話しかけた。What is your country? (あなたの国は?)

▼いまの中学生ならWhere are you from? と言うだろうが、そんなことは知らない。と、捕虜はさらに笑って一言、Scotland.(スコットランド)。「通じたッ」。少年は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)、叫びながら家へ走った。運命の不思議か。英語にとりつかれた少年は長じて同時通訳の名手になる。その国弘正雄さんが84歳で死去した。

▼先ごろ、文部科学省が英語教育を見直す方針を出した。小学校3年で教え始め、中学は授業を英語で行い、高校で討論できるレベルを目指すという。幾ばくか効き目はあろう。ただ、英語に限らないだろうが、学ぶ側の度胸やふとした出会いこそが人を本物の勉強に向かわせる。国弘さんの思い出話に、そう思うのである。

▼私事だが、中学時代に国弘さんの本を読んで手紙を書いた。「いまどんな勉強をすればいいでしょうか」。返事を頂いた。「覚えるまでひたすら教科書を音読しなさい」。そうあって、一度お目にかかりましょう、と続いていた。残念、お訪ねする度胸がなかった。結果、捕虜に会った少年と大差がついた。やむを得ない。
戦争中、英語を使いたくてたまらない14歳の中学生が神戸にいた。意を決して捕虜収容所を訪ねると、柵の向こうの「赤鬼青鬼みた  :日本経済新聞

2014年11月27日木曜日

2014-11-27

違憲状態でも改革をサボる政治家の面の皮は厚みを増し、もはや鉄面皮と化している。

2014/11/27付

 「面の皮の千枚張り」という言葉がある。ひどく厚かましい人をこう呼ぶわけだが、政治家のみなさんは面の皮をどれほど張り重ねておられよう。相手が最高裁でもヘッチャラらしいから何千枚か、いや何万枚か。「1票の格差」の抜本是正を怠る先生方のことである。

▼最大4.77倍だった昨年の参院選の格差について、きのう最高裁は違憲状態との判断を示した。2010年の参院選につづく、司法からのぎりぎりの警告である。こういう展開を予期して、さすがに一時は与野党の話し合いが始まっていたのだが自民党は途中でするりと身をかわした。改革派の座長更迭劇は記憶に新しい。

▼衆院のほうも面の皮は相当なものだ。2年前の総選挙のとき、自民党総裁として安倍さんは身を削る改革を請け負った。ところが圧勝した後に実現させたのは「0増5減」の弥縫(びほう)策だけである。こちらも最高裁から違憲状態の指弾を受けたままだ。それでいて踏み切った解散には政策うんぬん以前の疑わしさがつきまとう。

▼どうせ選挙無効になんかできっこない。議員が改革をサボるのは、司法をそう見くびっているからでもあろう。こんども高裁レベルでは踏み込んだ判断もあったのだが、最高裁は違憲状態にとどめた。かくて面の皮は厚みを増し、もはや鉄面皮と化しているかもしれない。堪忍袋の緒を切らせようと挑んでいるのだろうか。
「面の皮の千枚張り」という言葉がある。ひどく厚かましい人をこう呼ぶわけだが、政治家のみなさんは面の皮をどれほど張り重ねて  :日本経済新聞

2014年11月26日水曜日

2014-11-26

タカタ製エアバッグ欠陥問題はその場の空気に支配されるようであれば解決への道は遠い。

2014/11/26付

 すべてのものに名前があるとは限らない。30年以上前、言語学者の千野栄一教授が大学の講義でこんな例をあげていた。ビスケットが壊れないように缶の中に入っている。並んだ透明な気泡を指でつぶすと、気持ちのいい音がする。あの詰め物には、呼び名がない――。

▼いまではプチプチという名前がおなじみになった。シェア5割の川上産業の登録商標で一般名は気泡緩衝シート。つぶすとストレス解消や老化防止効果があるともいわれ、専用商品もある。気体の詰まった袋が、ぶつかったときの衝撃を吸収する。この仕組みを空気ばねと呼び、車のエアバッグにも同じ原理が働いている。

▼タカタ製エアバッグの欠陥問題は深刻だ。10年ほど前に生産した装置が、破裂し乗員を傷つける恐れがある。米国では死者も出た。世界で1千万台を超える車がリコール(回収・無償修理)対象になっている。なのに、対策が後手続きで、米議会が厳しく批判した。はたして会社に当事者能力があるのか疑う声さえ上がる。

▼空気ばねは気体の長所を生かす。だが、やっかいな空気もある。評論家の山本七平が「『空気』の研究」で指摘している。その場の空気に支配されて無謀な決定をする。あとから原因を追及しても、どこにも当事者が見つからない。結局、うやむやになる。製造企業にそんな空気があるとすれば解決への道は限りなく遠い。
すべてのものに名前があるとは限らない。30年以上前、言語学者の千野栄一教授が大学の講義でこんな例をあげていた。ビスケット  :日本経済新聞

2014年11月25日火曜日

2014-11-25

突然の解散が悪影響を及ぼすこと無く、北朝鮮との拉致問題交渉が実を結ぶことを祈る。

2014/11/25付

 ヤマイモの葉の付け根にできる球状の芽を零余子(むかご)という。ゆでたり煎ったりして、昔はよく食卓にものぼった。この零余子のコードネームで呼ばれる極秘作戦を、24年前に警視庁が進めていた。狙いは北朝鮮の非合法活動。拉致事件の解明につながるとの期待もあった。

▼いずれ土の中の「イモ」を掘り出せる。そんな思いとは裏腹に、作戦は立ち消えになった。ほどなくして国会議員団が北朝鮮を訪問する。真相は不明だが、当時を知る警察の幹部は「訪朝を前にした捜査は許されなかった。政治に翻弄された」と悔しがった。完全に選挙モードとなった永田町を見て、この話を思い出した。

▼どんな結果が出るとしても、公示、投票、組閣と、政治の空白は年末まで続く。「政治が解決する」「最優先の課題だ」と力説してきた拉致交渉への影響が気にかかる。ようやく再調査に重い腰を上げた北朝鮮は、その後も、のらりくらりといった印象である。突然の解散が、さらに時間稼ぎをする口実を与えはしないか。

▼新潟市内で、当時中学1年生だった横田めぐみさんが拉致されたのは、37年前の11月のことだ。下校途中の、家までわずかという場所である。連れ去られた現場に立てば、日本海から冷たい風が吹いてくる。この海の向こうに、助けを待つ人たちがきっといるはずだ。今度こそ交渉が進展して、大きな実を結ぶことを祈る。
ヤマイモの葉の付け根にできる球状の芽を零余子(むかご)という。ゆでたり煎ったりして、昔はよく食卓にものぼった。この零余子  :日本経済新聞

2014年11月24日月曜日

2014-11-24

大人になるに連れ低下する学生の平均読書冊数の改善を、向上心を削がぬよう手伝いたい。

2014/11/24付

 「2冊目の本とうまく出合うには、どうしたらいいんだろう」。そんな悩みを抱えている高校生が案外多いことを書籍編集者の石井伸介さん(50)が知ったのは、今から2年前。東日本大震災の被災地で、高校生に将来の夢などを取材しているときの雑談からだそうだ。

▼学校の課題図書や朝の読書運動などで、気になる1冊と出合う機会はそこそこある。しかしその次に読む本を自分で選ぶ方法がわからないのだという。読書の習慣を身につける絶好の機会が、これでは芽のまましぼんでしまう。何とかしたいと思い、本との出合い方をガイドする「次の本へ」(苦楽堂編)を先日出版した。

▼作家や経営者、学者など84人が本を2冊ずつ推薦している。ある本を読んだ後、どういうふうに関連した本にたどり着いたかのエッセー付きだ。同じ著者の別の作品。人気漫画と、そのテーマをより掘り下げた新書。ある企業の破綻を別々の視点で分析した本。図書館で職員に薦められて……。千差万別なところが面白い。

▼全国学校図書館協議会などの今年の調査をみると、1か月間の平均読書冊数は小学生11.4冊、中学生3.9冊、高校生1.6冊。小中学生は10年余りでほぼ倍増したが、高校生は足踏みが続く。子供向けの本を卒業し、大人と並んで本を選び始める時に戸惑うのか。向上心をそがぬよう、大人たちはしっかり手伝いたい。
「2冊目の本とうまく出合うには、どうしたらいいんだろう」。そんな悩みを抱えている高校生が案外多いことを書籍編集者の石井伸  :日本経済新聞

2014年11月23日日曜日

2014-11-23

人工光合成の実用化は難航しており光合成を終えた落ち葉を見ると自然の奥深さを感じる。

2014/11/23付

 海藻や植物プランクトンなどを称して藻類という。そのレベルに人間がやっと追いついたというニュースに、あらためて自然の知恵の深さを知った。太陽光と水と二酸化炭素(CO2)を使って糖などのエネルギーを生み出す光合成の新技術を、東芝が開発したという。

▼この人工光合成によって光のエネルギーを燃料エネルギーに変える効率が世界最高の1.5%で、藻類に匹敵するそうだ。これまではパナソニックの0.3%が最高だったというから大きな一歩である。これを10%にまで高め、2020年には実用化を目指すという。植物が当たり前に営む光合成をまねる長い道程である。

▼4年前にノーベル化学賞を受けた根岸英一さんが、人工光合成は化学者の最優先テーマだと繰り返していたのを思い出す。無尽蔵の太陽光と温暖化の悪役CO2が元手なのだ。資源不足も環境悪化も解決できる。難しくても植物はもうやっている。ノーベル賞も2つや3つはとれる。若者を鼓舞する根岸さんは軒高だった。

▼きのうが二十四節気の小雪。北からはすでに白の便りだが、東京では光合成の大役を終えた葉が色づき、舞っている。彼らの営みの効率は生きた環境で大きく変わるから簡単にはいえないらしい。歩道を埋め、大きな袋に詰まってごみ収集所に集まった落ち葉一枚一枚に人がまだ解けぬ謎がひそむ。つくづく自然は奥深い。
海藻や植物プランクトンなどを称して藻類という。そのレベルに人間がやっと追いついたというニュースに、あらためて自然の知恵の  :日本経済新聞

2014年11月22日土曜日

2014-11-22

期待が冷め始めている安倍政権に、今度の解散・総選挙で有権者はどんな審判を下すのか。

2014/11/22付

 人間の脳は楽観主義なのだそうだ。米ニューヨーク大学の研究によれば、過去の幸福な記憶よりも未来に起こることの方を「明るい」と思う人が多かった。脳は未来の幸福な出来事を想像した時に最も活性化するという(クリス・バーディック著「『期待』の科学」)。

▼明日への期待が持てれば、人の行動も変わってくる。そう仕向けることが安倍晋三政権の経済政策、アベノミクスの柱の一つだ。大胆な金融緩和でデフレ脱却へのムードを盛り上げる。株高を演出して給料が増える期待を高め、個人消費を押し上げる。そんなシナリオは脳科学の研究成果も参考にしているのかもしれない。

▼衆院が解散になり、事実上の選挙戦が始まった。この2年のアベノミクスを有権者はどう評価するだろう。最初は大企業が潤い、水が滴り落ちるように中小企業にも恩恵が及ぶという筋書きだった。ところが下請け企業などからは、こちらは蚊帳の外だという声が聞こえてくる。「期待」が冷め始めているようにもみえる。

▼こんどの解散・総選挙に疑問を持つ人も少なくあるまい。明確な説明がまだない小渕優子前経済産業相らの政治資金問題は、リセットされてしまうのか。企業に女性社員の育成や登用を促す法案の成立も先送りされた。期待が高い時ほど裏切られた時の落胆は大きいものだ。有権者は安倍政権にどんな審判を下すだろうか。
人間の脳は楽観主義なのだそうだ。米ニューヨーク大学の研究によれば、過去の幸福な記憶よりも未来に起こることの方を「明るい」  :日本経済新聞

2014年11月21日金曜日

2014-11-21

有権者に何を問うのか目的が曖昧な唐突な衆院解散に、国民は驚いてばかりもいられない。

2014/11/21付

 中島みゆきさんに「紫の桜」という曲がある。南半球の大陸や南洋の島で咲くジャカランダの樹に、大切な思いを託する心情を歌い上げる。~忘れてしまえることは忘れてしまえ。忘れきれないものばかり、桜のもとに横たわれ。抱きしめて眠らせて、彼岸へ帰せ……。

▼安倍晋三首相が外遊の最後に訪れた豪州のブリスベンは、その紫色であふれていた。日本人と桜に似て、この国ではジャカランダが新しい季節の到来を告げる。学期末の試験が始まり、その後に太陽の夏と年末休暇がやって来る。豪州で沈黙を守った首相も、胸中では変化の嵐を起こすボタンに指をかけていたに違いない。

▼きょう首相が衆院を解散する。政治家は慌ただしく全国に散り、地元の一票を懇願して街頭で叫び始める。けれども演説で、いったい何を訴えるのだろう。何を有権者に問う戦いなのだろう。吹き荒れる旋風のその先に、たしかに実を結ぶ政策が待っているのか。国民の幸せを願う真心が、政治の側からは伝わってこない。

▼時をリセットするように咲き誇るジャカランダの大木を撮った。迫力のない一枚になってしまった。淡い紫色が青空に溶け、焦点がぼけているのだ。歌はこう続く。~別れを告げて消えてゆくものはない。思いがけないことばかり。残されることが生きること――。思いがけない選挙に、国民は驚いてばかりもいられない。
中島みゆきさんに「紫の桜」という曲がある。南半球の大陸や南洋の島で咲くジャカランダの樹に、大切な思いを託する心情を歌い上  :日本経済新聞

2014年11月20日木曜日

2014-11-20

消費税税率引き上げ延期で、目前の政治態勢再建を急ぐあまり、後の利を失った。

2014/11/20付

 昔、宋の国に多くの猿を養っている人がいた。急に貧しくなり、餌のドングリを減らすことにした。朝三、夕四でと猿に言うと立ち上がって怒る。では、朝四、夕三ならどうかと聞くと、みな伏して喜んだ。目先の違いにとらわれるのを笑う「朝三暮四(ちょうさんぼし)」の故事である。

▼数は同じだから、満足も同じ。人間は一日を通して考えるし、先々も想定する。だから、猿と違って、ごまかされない。利益が得られるように計算して、合理的に行動する。将来に備えてお金をため、生涯の収入を考えながら使う。目先の収入の増減には、強い影響は受けない。かつて経済学はそんな人物像を描いていた。

▼現実は違う。先を見越していたはずが、ローン破産や借金苦に陥る人もいる。最新の経済学は、実験でその行動を確かめ始めている。せっかちな人は、来月の1万円より明日の5千円を選ぶ。足元の小利に目を奪われ、後の大利を失う。後悔先に立たず。不利なことは後回しにしがち。そうした感情も経済を動かしている。

▼消費税の税率引き上げ延期が決まった。景気回復が遅れ、デフレ脱却が危ういからという。アベノミクスが順調なら事情は違った。成長と財政再建、社会保障の充実を同時に追うのは難しい。それより目前の政治態勢の再建を急ぎたい。そんな心理が働いたとすれば、後に得られるはずの大きな利を失ったのかもしれない。
昔、宋の国に多くの猿を養っている人がいた。急に貧しくなり、餌のドングリを減らすことにした。朝三、夕四でと猿に言うと立ち上  :日本経済新聞

2014年11月19日水曜日

2014-11-19

60年の映画人生を生き抜いた高倉健死去による喪失感はファンの胸に日増しに募るだろう。

2014/11/19付

 古い映画を見ていると、思わぬ俳優が思わぬ役で出てくる。高倉健さんなどその典型で、若いころは明るく爽やかなサラリーマンだったり、美空ひばりさんの軽いお相手だったりした。のちの「死んでもらいます」の気配はなく、しかし目の鋭さで健さんとわかるのだ。

▼あとから思えばアウトローにぴったりの面差しなのだが、東映ニューフェースで登場しただけに長い回り道をたどったわけである。世の理不尽に耐えに耐えたあげく敵陣に切り込んでいく、というストイシズムを鮮やかに体現できたのはそういう苦労のたまものだったかもしれない。あの寡黙にはさまざまな言葉があった。

▼60年に及ぶ映画人生を生き抜いた、われらの健さんが亡くなった。任侠(にんきょう)ものを離れてからは年々また新たな風格をたたえ、この人の名を知らぬ日本人はいないだろう。「駅」「居酒屋兆治」「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」……。そこに登場する孤高の男は、役を抜け出して高倉健そのものでもあったのだ。スターというほかない。

▼出演作は205本にのぼるという。日本映画の全盛期にデビューし、斜陽の時代にも気を吐き、80歳を超えても演じ続けた人が消えた喪失感はファンの胸に日増しに募ろう。スクリーンの健さんに揺さぶられ、映画館を出てもしばらくはその気分で街を歩いた――。それは昭和のいつかであったが、昨日のような気がする。
古い映画を見ていると、思わぬ俳優が思わぬ役で出てくる。高倉健さんなどその典型で、若いころは明るく爽やかなサラリーマンだっ  :日本経済新聞

2014年11月18日火曜日

2014-11-18

追風だった安倍政権への民意は解散による景気対策や成長戦略の対応遅れで逆風に転じた。

2014/11/18付

 先週、北京での国際会議から帰国した甘利明経済財政・再生相は、永田町に吹く解散風の激しさを次のように評した。「成田に着いたら景色が変わっていた」。きのう、足かけ9日に及んだ外遊から戻った安倍晋三首相は、別の意味で景色の変化を感じたのではないか。

▼7~9月期の国内総生産(GDP)が前の期に比べ実質で年率1.6%のマイナスに落ち込んだ。サプライズ。ショック。まさかの……。名うてのエコノミストたちが想定外の数字だと口をそろえた。事前の予想では2%程度のプラス成長になるとの見方が多く、マイナスを見込んだ人はいなかったという。確かに衝撃だ。

▼消費税率の再引き上げを先送りしたい安倍首相にとっては追い風だ、との声がある。その半面、衆院を解散して国民の信を問う必要はなくなった、という声も。そういえば、消費増税を定める法律は「経済状況」によっては停止する可能性を明記している。それを踏まえて増税を延期すれば済む話、とみる人もいるだろう。

▼解散となれば政策の実行が足踏みするのは避けがたい。ただでさえ「師走の忙しいときに」といった反発は小さくない。それより景気対策や成長戦略に全力を、との機運が高まるようだと、安倍政権には痛手だろう。首相が外遊しているうちに急速に発展した解散風は、順風が強くなりすぎて逆風に転じたようにもみえる。
先週、北京での国際会議から帰国した甘利明経済財政・再生相は、永田町に吹く解散風の激しさを次のように評した。「成田に着いた  :日本経済新聞

2014年11月17日月曜日

2014-11-17

来月の衆議院戦後は、景気回復が実感できるよう実質賃金を上げ人々の懐を温めて欲しい。

2014/11/17付

 大隈重信を推す声もあれば、平民宰相・原敬はどうかという意見もあったという。いや聖徳太子には留任してもらわねばと交代に慎重な考えも出て人事は相当もつれたそうだ。旧大蔵省での、そんな議論を経て決まったのが福沢諭吉だった。一万円札の肖像の話である。

▼ちょうど30年前の11月に、福沢諭吉の一万円札は世に現れた。バブルを体験し、金融危機に見舞われ、リーマン・ショックに苦しめられたこの30年を福沢さんは国民とともにくぐり抜けてきたわけだ。2004年に千円札の夏目漱石や五千円札の新渡戸稲造が引退したときにも続投となり、いまやその存在感は揺るぎない。

▼肖像を彫った旧大蔵省印刷局の工芸官、押切勝造さんに話を聞いたことがある。聖徳太子や伊藤博文も手がけ、名人と呼ばれた人だが諭吉にはつくづく泣かされたそうだ。「ヒゲのない平面的な顔立ちだから肉付けが難しい。線の組み立てにもてこずりましたね」。神経をやられて胃潰瘍が悪化し、胃を半分切ったという。

▼かくも難産の末に生まれた「顔」だが、目下のアベノミクスに思いは複雑かもしれない。みんなが景気回復を実感するには遠く、実質賃金は上がらず、人々のふところをなかなか温められないのだ。来月は衆院選だというが、さてその先は……。財布の中にひとり、ふたり。もっと仲間を、とぼやく30歳の福沢さんだろう。
大隈重信を推す声もあれば、平民宰相・原敬はどうかという意見もあったという。いや聖徳太子には留任してもらわねばと交代に慎重  :日本経済新聞

2014年11月16日日曜日

2014-11-16

少子化に伴う子供の声による騒音問題は、住民と保育所の双方で何とか折り合ってほしい。

2014/11/16付

 季節はずれになるが、怪談について裏話をひとつ。「体験談」を作ることが仕事だった人の話では、やはりコツが必要だという。たとえば、いくつか役に立つアイテムがある。髪の毛、動く影、水の音、黒猫。話に怖さが足りないと、こうした小道具を織り込むらしい。

▼そのなかで意外だったのが、「子どもの声」だ。恐怖とは対極のように思うが、確かに真夜中、人けのないところで突然子どもの声を聞けば、ゾッとするかもしれない。では、「日中の住宅地に響き渡る子どもの歓声」はどう感じるだろうか。保育所の子どもの声に対する近隣からの苦情が、いま大きな問題になっている。

▼少子化で子どもに接する機会が減ったため、耳慣れない子どもの声が騒音に聞こえる。そんな指摘もされている。だとすれば、なんとも皮肉な話である。施設側は子どもが外で遊ぶ時間を限ったり、敷地を高い塀で囲んだりと、知恵を絞る。それでも建設の取りやめや、住民が裁判を起こすという例まで起きているようだ。

▼近隣の人たちの気持ちもわかる。保育所を迷惑施設にすることなく、双方で何とか折り合ってほしいと願うばかりだ。町から1つまた1つと保育所や幼稚園が消え、どこからも子どもの声がしなくなる。そんな怪談はご免である。きょうは138年前、日本に初めて幼稚園ができたことを記念する「幼稚園の日」だそうだ。
季節はずれになるが、怪談について裏話をひとつ。「体験談」を作ることが仕事だった人の話では、やはりコツが必要だという。たと  :日本経済新聞

2014年11月15日土曜日

2014-11-15

大学教授の怠業率の改善に伴う学生の私語増加は、両者にとって窮屈な方に歩んでいる。

2014/11/15付

 大学の教壇に立った経験のある会社員や研究者が集まると、共通して話題に出るのは私語の多さだ。講演会などで内容に関心がわかなくても、勝手におしゃべりを始める大人は、まずいない。こっそり舟をこぐだけだ。学生は違う。時に遠慮なく私語が飛び交い始める。

▼昔の大学には授業中の私語はほぼなかった。その理由を教育社会学者の竹内洋氏が随筆で考察している。進学者が少数のエリートだった。勤勉や忍耐が美徳だった。それだけではないはずだと考えた竹内氏は、大正時代の「東京帝国大学法学部教授授業怠業時間一覧」という資料を見つける。当時の学生が集めたデータだ。

▼対象は高名な教授ばかり9人。休講、遅刻、早引けをすべて記録し、授業をすべき時間から引いていく。結果をみると、実質的に授業をした時間は規定の40%から60%前後。最も少ない教授はわずか37%だった。「この怠業率の高さが私語なし授業のしかけだったのでは」。竹内氏はユーモアを込めつつまじめに主張する。

▼機会が少なく、しかも短いとなれば、聴く側も真剣になる。「休講はよくない」とされ始めてから私語も増えたと竹内氏は振り返る。近年は学生の要望から出欠を重視し「公平に」成績をつける流れも広がっている。出席率は向上した。私語にも拍車がかかる。教員も学生も、進んで窮屈な方に歩んでいるようにも見える。
大学の教壇に立った経験のある会社員や研究者が集まると、共通して話題に出るのは私語の多さだ。講演会などで内容に関心がわかな  :日本経済新聞

2014年11月14日金曜日

2014-11-14

開高のウイスキーを褒めた有名な一節は、長い時を経ても人の心をとらえるものがある。

2014/11/14付

 美しいスコットランド民謡「ロッホ(湖)・ローモンド」にちなむ「ローモンド」という美しい名のウイスキーが、日本にはあった。なぜか労働組合がつくり、あらかじめ配られた切符で社員だけが買える珍品で、関西の人は「ローやん」と呼ぶならわしだったという。

▼ローやんを日々茶碗(ちゃわん)ですすっていた昭和30年ごろの思い出を開高健が書き残している。彼は寿屋(現サントリー)の宣伝部にいたのだが、ローやんの名一つにも本場への憧れが痛切である。長い時が流れ、英国の名の通ったウイスキーガイドブックがサントリーの逸品を「世界最高」に選んだというニュースが先日あった。

▼選ばれた「山崎シェリーカスク2013」は昨年、欧州向けに1本100ポンド(当時のレートで約1万6千円)で3千本発売した。嗜好品を褒めるのは難しい。「ほとんど言葉にできない非凡さ」「極上の大胆な香り」「豊かで厚みがあってドライで、まるでビリヤードの球のようにまろやか」。講評には美辞が踊っている。

▼開高は夕暮れになるとローやん片手に「ウイスキー用の言葉をタンポポの種子(たね)のように散らすことに従事していた」。種子からは「人間らしくやりたいナ/トリスを飲んで/人間らしくやりたいナ」という有名な一節も育った。長い時が流れ、それでもこのコピーには人の心をとらえるものがある。言葉の不思議だろうか。
美しいスコットランド民謡「ロッホ(湖)・ローモンド」にちなむ「ローモンド」という美しい名のウイスキーが、日本にはあった。  :日本経済新聞

2014年11月13日木曜日

2014-11-13

解散総選挙で圧勝した自民党に政権が移り2年が経過したが、民意に変化はあるのか。

2014/11/13付

 くもり硝子の向うは風の街――と寺尾聰さんがむかし歌った「ルビーの指環」は、別れた恋人への未練が切々と伝わる名曲だった。そして二年の月日が流れ去り 街でベージュのコートを見かけると――。どうやら別離はまだ2年前のことで、ふと記憶が甦(よみがえ)るのだ。

▼遠いような近いような、2年という歳月はそんな微妙な時間の長さだろう。振り返れば一昨年の11月14日、当時の野田佳彦首相は安倍晋三自民党総裁との党首討論でだし抜けに翌々日の解散を口にした。「嘘はつかない」「約束ですね」。あれからあすで2年。にわかに強まる解散風はあのドラマを生々しく思い出させる。

▼ほどなく政権は自民党に移り、アベノミクスで円安株高は進み、怖いものなしの1強支配が続いてきた日々である。それが最近はどうも調子がわるい。ギクシャクが目立つ。そんななかで出てきたのが2年ぶりの解散話だ。消費税の再引き上げは延期して選挙でお墨付きを。そして政権の安定を。思惑は募るばかりらしい。

▼再増税延期はリスクも大きいはずだが、将来の不安はさておき、というのが今回の11月ドラマの勢いだ。安倍自民を圧勝させた民意はこの情景をどう眺めていよう。二年の時が変えたものは 彼のまなざしと私のこの髪――。やはり「2年」を歌った竹内まりやさんの「駅」ではないが、人々のまなざしに転変はありや。
社説・春秋 :日本経済新聞

2014年11月12日水曜日

2014-11-12

頻繁に人里に出没するようになった熊と、新しい環境での共生の工夫するのは人の仕事だ。

2014/11/12付

 突然、虎が躍り出た。2発撃っても平気だ。赤い口、光る目。耳をつんざく咆哮(ほうこう)。飛びかかるとみた瞬間、向きを変えた。そこに放った1発でどうと倒れた。「虎狩りの殿様」と呼ばれた尾張徳川家の19代・元侯爵、徳川義親が「私の履歴書」で武勇談を披露している。

▼大正時代のマレー半島での話である。戦争を機に殺生はやめたが、もとは熊狩りの殿様だった。尾張家は維新後、藩士救済のために、北海道で農場を経営。周辺の熊を撃っていたことで有名になった。農村の生活は厳しく、冬は雪に閉ざされる。木彫り熊を考案し、農閑期の副業として勧めたところ、特産として広がった。

▼その熊がいま頻繁に人里に現れる。全国で出没件数が増え、ここ数年で最多の地域も多い。住宅地や駅周辺でも遭遇する。先日は岐阜で死者も出た。ドングリが不作で餌を求めて下りてくる。山村で過疎化が進み、山林の管理が行き届かなくなった影響が大きい。人と動物のすみかの境界が大移動した可能性もあるらしい。

▼江戸時代、雪国の生活を描いた「北越雪譜」には「熊は和獣の王、猛くして義を知る」とある。木の実を食し、仲間の動物は食べない。田畑を荒らさない。まれにあっても食がないときだけだという。昔からの「義獣」との共存が年々、難しくなっている。新しい環境での共生の道を工夫するのは、人間たちの仕事である。

2014年11月11日火曜日

2014-11-11

日中首脳会談による日中関係改善の成果は、記事見出しのつけにくい微妙な内容である。

2014/11/11付

 「見出しを考えて記事を書け」。若い新聞記者はよくそんなふうに教えられる。そうでないと何がニュースか分からぬ締まりのないものになるからである。ところが、かつて「見出しをつけにくいような原稿を書け」と教える人がいたという。(河谷史夫「記者風伝」)

▼「何事も単純には割り切れるものでなく複雑だから」という理由に、なるほどと思った。さしずめ外交などその最たるもので、それぞれの国が自分の側に都合よく解釈したり説明したりするから複雑さもいや増す。きのうの日中首脳会談に、3年ぶりに両国のトップが差し向かいで会ったという以上の何を見るか、難しい。

▼会談の3日前に発表された合意文書からして曖昧だ。「政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた」の「若干」とは、ほとんど不一致ということか。「対話を徐々に再開」の「徐々に」とはどの程度の速さなのか。そういえば、こうした修飾語を安直に使ってごまかすなというのも新米記者が習うイロハだった。

▼会談前の習近平主席の仏頂面は本心なのか。いや、国内の対日強硬派に向けたポーズが混じっているのかもしれない。会談後に安倍首相が繰り返した「関係改善への第一歩」の言はキーワードではあろうが、第二歩、第三歩を見なければ仲直りが進んだとはいえまい。記事には珍しく小欄に見出しがないのが幸いであった。
「見出しを考えて記事を書け」。若い新聞記者はよくそんなふうに教えられる。そうでないと何がニュースか分からぬ締まりのないも  :日本経済新聞

2014年11月9日日曜日

2014-11-09

増加する認知症の対策は、倫理と利益を兼ね備えた企業の力と熱意を大いに活かしたい。

2014/11/9付

 増える認知症に新ビジネスや新商品で立ち向かう。そんな取り組みをしている企業の事例発表会がおととい都内で開かれた。製薬会社など医療産業だけではない。高齢者と会話するロボットの開発、宅配便会社の見守りサービスと、さまざまな業界が知恵を絞っている。

▼ある不動産会社は、自社が手がける住宅地に学童保育と高齢者用グループホームが同居する施設を建てた。小さな子供を日々身近に見ることで、お年寄りたちが刺激を受け元気になる。また「将来、介護分野で働く若い人が増える。小さいうちから高齢者とふれあっておくのは、子供たちにもプラス」と担当者は説明する。

▼狙いどおり、子供たちはお年寄りたちが過ごす部屋にふだんから出入りし、双方に自然な笑顔が生まれているという。この施設、計画した当初は地元自治体の認可がなかなか下りなかったそうだ。「前例や実績に乏しい」「何か事故があったら」といった理由らしい。開設から7年以上たつが、現実に問題は起きていない。

▼企業の発展には論語と算盤(そろばん)、つまり倫理と利益の両輪が必要だと渋沢栄一は言った。認知症ビジネスも両輪を備えた企業活動だ。使う人の心をくみ、挑戦と修正を繰り返していいものに仕上げるのは企業の得意技。増える認知症に官だけで対処すればコストがかさみ、満足度は下がる。企業の力と熱意を大いに生かしたい。
増える認知症に新ビジネスや新商品で立ち向かう。そんな取り組みをしている企業の事例発表会がおととい都内で開かれた。製薬会社  :日本経済新聞

2014年11月8日土曜日

2014-11-08

地域産業育成や地方移住推進での地域創生は、地方で頑張る人材をどう増やすかが肝心だ。

2014/11/8付

 「観光宮崎の父」と呼ばれるのが大正の末にバス会社の宮崎交通を創業した岩切章太郎だ。遊覧バスを始め、日南海岸にサボテン公園やフェニックスの並木をつくって、新婚旅行客を集めた。今でいえば「地方創生」。原点は少年時代の、新渡戸稲造との出会いだった。

▼農学者、教育者として有名になっていた新渡戸が宮崎を講演に訪れ、岩切少年は学校の先生に許しをもらって聞きに行った。頭に焼きついた話があった。「豆腐は非常に良いたんぱく源だ。日本人がいい体格になるには、もっと豆腐を食べないといけない。私は大学者になるか豆腐屋になるか、一生懸命考えたことがある」

▼あらゆる仕事に意義がある。東京に出ていくばかりが能ではない。地方にいても十分に生きがいを見つけられると思うようになったのは豆腐の話からだったと、岩切は後に振り返っている。遊覧バスの事業ではガイドの説明用の原稿を書き、バスの出発を自分も手を振って見送った。社長自らサービス向上の先頭に立った。

▼政府が地方創生に向けた総合戦略と長期ビジョンの骨子案をまとめた。ビッグデータを活用した地域産業の育成や地方移住の推進などの項目が並ぶが、具体策に乏しい。肝心なのは自分は地方で頑張りたいという人を、どうやって増やしていくかだろう。子供のころの出会いや学びも大事だと、観光宮崎の父は教えている。
「観光宮崎の父」と呼ばれるのが大正の末にバス会社の宮崎交通を創業した岩切章太郎だ。遊覧バスを始め、日南海岸にサボテン公園  :日本経済新聞

2014年11月7日金曜日

2014-11-07

サンゴが中国船に不法に漁られているが、ルールを守れない者にサンゴを採る資格はない。

2014/11/7付

 宝石商の仲間うちでは、淡いピンク色の品を「ぼけ」と呼ぶそうだ。宝石のサンゴには純白から深紅まで無数の色彩がある。なかでも少し透き通ったピンクは、欧州で「天使の肌」にも例えられて珍重される。それなのに「ぼけ」などと、奇妙な名前がついてしまった。

▼極東のはずれの島国で極上のサンゴが採れるという噂を聞きつけて、イタリアの商人が大挙して土佐を訪れたのは明治の初めだった。地中海で採り尽くし、血眼になって世界中を探し回っていたのだろう。できるだけ安く入手して、高く売るために、地元の漁師に「色がぼけている」と難癖をつけては値切っていたらしい。

▼優しいピンクも魅力的だけれど、血の滴を思わせる真っ赤なサンゴには、胸を突き刺すようなすごみがある。暗く深い海の底で、厳しい潮流に耐えた証しに違いない。元から死んでいる鉱物の宝石とは何かが違う。生き物だからこその、ぬくもり。そして孤独……。その物言わぬサンゴが、中国船に不法にあさられている。

▼明治維新と貿易自由化で、日本はサンゴの輸出国となった。「ぼけ」の名を残したイタリア商人は、日本との取引で巨万の富を築いた。その商魂のたくましさは見事と呼ぶべきだろう。彼らは巧みに商売をしただけで、盗みを働いたわけではない。当たり前のルールを守れない者に、大人の宝石サンゴを愛(め)でる資格はない。
宝石商の仲間うちでは、淡いピンク色の品を「ぼけ」と呼ぶそうだ。宝石のサンゴには純白から深紅まで無数の色彩がある。なかでも  :日本経済新聞

2014年11月6日木曜日

2014-11-06

オバマ氏と民主党も中間選挙で赤点をとった、残る2年の任期のオバマ氏の責任は重い。

2014/11/6付

 「中間」という言葉を目にしたり耳にしたりすると、半ば自動的に試験を連想したころがあったように思う。高校生か、あるいは中学生だったろう。「中間選挙」なる言葉になじみ、それが米国の国政レベルの重要な選挙だと理解したのは、ずいぶんたってからだった。

▼中間選挙もテストのようなものか。そう考えるようになったのは、さらに後のことだ。もちろん、連邦議会選などで当落を争う候補者たちにとっては、全霊を傾ける闘いだろう。受験生のような立場に置かれるのは、ときの大統領と政権与党だ。4日に投票のあった今回の選挙ではオバマ大統領と民主党ということになる。

▼そして採点の結果、オバマ大統領も民主党もそろって「赤点」をとったといえるだろう。わけても大統領にとっては厳しい試験だった。ワシントンから届くニュースはその不人気ぶりを繰り返し伝えてきた。6年前、初めて大統領に当選した時のさっそうとした姿を思い浮かべると、政治の世界の転変の激しさを痛感する。

▼改めて振り返れば、中間選挙で「赤点」をとった後になって指導力を発揮し、2年のうちに「及第点」を取り戻した大統領もいる。たとえば、20年前のクリントン大統領がそうだった。残る2年の任期にどう采配を振るうか、オバマ氏の責任は重い。大統領にとっての卒業試験は歴史の審判だとすれば、なおさらのことだ。
「中間」という言葉を目にしたり耳にしたりすると、半ば自動的に試験を連想したころがあったように思う。高校生か、あるいは中学  :日本経済新聞

2014年11月5日水曜日

2014-11-05

患者の意思を尊重し医師が安楽死や尊厳死に関わることは、容易に答えの出せぬ難問だ。

2014/11/5付

 古代ギリシャの医師ヒポクラテスが職業倫理を述べた「誓い」のなかに、安楽死にかかわる一節がある。いわく「医師は何人に請われるとも致死薬を与えず。またかかる指導をせず」。時を超えて、いまでも医療に携わる人々が最高の行動規範とする誓文の言葉は重い。

▼とはいえヒポクラテスが生きた時代から、安楽死の是非は医学や哲学の「解」なきテーマであり続けてきた。死が確実に迫り、耐えがたい苦痛を訴える患者を前に医師が手を下すことは許されないのか? 患者には安らかな死を選び取る自由はないのか? 人々は2000年以上もこの問題に向き合い、なお苦悩している。

▼脳腫瘍で余命わずかと宣告され、自死を予告していた米西部オレゴン州の女性が医師から処方された薬をのんで亡くなった。日本なら医師は自殺ほう助に問われよう。しかしオレゴン州では合法化されて久しく、女性はそれゆえに引っ越してきたという。安楽死を認める州はほかにもあり、欧州ではオランダなども同様だ。

▼ヒポクラテスの教えに背く現実には違いないが、そこには生と死を直視した奥深い議論があったことも疑いない。日本での目下の焦点は今回のようなケースではなく、その手前の、患者の意志に基づき過剰な延命措置を施さない尊厳死の法制化だ。それでも容易に答えを導けぬ難問と、社会はどう格闘したらいいのだろう。
古代ギリシャの医師ヒポクラテスが職業倫理を述べた「誓い」のなかに、安楽死にかかわる一節がある。いわく「医師は何人に請われ  :日本経済新聞

2014年11月4日火曜日

2014-11-04

ユーモア溢れる逸話を持つアンダソンの人柄を知ると、その著者の本も読んでみたくなる。

2014/11/4付

 「ワインズバーグ・オハイオ」と題する連作短編が文庫になっているが、アンダソンというアメリカの作家を知る人は多くないだろう。大正末から昭和にかけ、この作家と日本人との間に交流があった。著作権のなんたるかも定かではなかったであろうころの話である。

▼翻訳にあたって許しを請う手紙を訳者が出すと、アンダソンの返事が来た。「ほかの国からは謝礼をもらっている。自分は貧しいから同じにしてほしいが、そういう慣習がないのなら無理にとはいわない」。日本の版元は結局謝礼を出さなかったが、「かまわない。今後は好きなものを訳してくれ」とアンダソンは言った。

▼逸話は先ごろ、作家・山田稔さんの随想で知った。アンダソンの作品の魅力はチェーホフと比べられるが、読書週間ただ中の3連休、チェーホフを読んだ人はいてもアンダソンを手に取った人があるかどうか。ただ、さまざまな挿話から作者、作品へと関心が進み、お気に入りに巡り合う。それもまた読書の楽しみだろう。

▼話には続きがある。今度は日本から原稿を依頼し、快諾したアンダソンはすぐ送ってくるのだが、頼んだ側は稿料を酒席に使い込んで送金が遅れてしまう。正直に白状してわびる手紙への返事はこうである。「どうか気にしないでほしい。自分もその席につらなりたかった」。こんなことが言える人だ。本も読みたくなる。
「ワインズバーグ・オハイオ」と題する連作短編が文庫になっているが、アンダソンというアメリカの作家を知る人は多くないだろう  :日本経済新聞

2014年11月3日月曜日

2014-11-03

黒田総裁には、なりふり構わない政策でなく、政府成長戦略と企業経営で驚かせてほしい。

2014/11/3付

 証券コード8301。日本銀行にも株価がある。日銀は普通の株式会社ではないので正確にいえば株券ではなく出資証券の値段だが、れっきとした上場銘柄だ。黒田東彦総裁が追加緩和を発表した途端に日経平均株価は跳ね上がったが、日銀の株価には動きはみえない。

▼上場している中央銀行は世界でもまれだ。明治の初期に、必要なおカネを集めるために株式を発行して出資を募ったのが始まりだった。貴族たちは「家宝」として額縁に入れて飾っていたそうだ。いまは資本金1億円の55%を政府、45%を民間が出資している。個人の投資家が多いというが、それが誰なのかは分からない。

▼株主総会はなく、持ち主に議決権もない。配当がとりわけ大きいわけでもない。実にユニークな日銀株だが、その株価は相場全体を映す鏡とも、円の信用を測る目安ともされる。黒田総裁が就任した昨年3月に急騰し、一時は9万円を超えたが、その後は次第に下がっていった。最近は4万9千円前後でうろうろしている。

▼黒田総裁は「できることは何でもやる」とタンカを切った。なりふり構わぬ姿に市場は「そこまでやるか」と感心するか。それとも心配になるか。日銀株が上昇に転じる気配はまだ見えない。中央銀行の独り舞台では、観客はじきに飽きる。次は中身の濃い政府の成長戦略と、価値創造に挑む企業の経営で驚かせてほしい。
証券コード8301。日本銀行にも株価がある。日銀は普通の株式会社ではないので正確にいえば株券ではなく出資証券の値段だが、  :日本経済新聞

2014年11月2日日曜日

2014-11-02

現実社会の圧力が高い日本や香港での、ハロウィンの急速な盛り上がりは納得がいく。

2014/11/2付

 にぎわうだろうとは聞いていたが、これほどとは――。ハロウィーン当日だった一昨日夜、東京・渋谷を訪れた感想だ。ハチ公像のある駅前広場や周辺の歩道が、さまざまに仮装した人たちで埋まっている。人出は6月のサッカーW杯ブラジル大会の時を超えたという。

▼仮装姿のまま電車で来る猛者もいる。繁華街のトイレなどで着替える人も多かった。帰宅時間の迫った制服姿の高校生が、血のりの付いたシャツの上からカーディガンを羽織り、脚の包帯を外して「歩く死体」から「どこにでもいる女子高生」に素早く戻った。いろいろな人が、それぞれの工夫で、盛り上がりに参加した。

▼ハロウィーンだけでなく、毎週のように各地で開かれるコスプレ(仮装)イベントの参加者は女性が多い。時間のある学生が多いイメージだが、社会学者の成実弘至氏の著書「コスプレする社会」によれば、社会人になってからコスプレにはまる女性も多いという。職場などのストレスをいっとき忘れたいのかもしれない。

▼アジアでハロウィーンが盛んなのは香港と日本だそうだ。いずれも現実社会の圧力が高い場所だと、作家のリサ・モートン氏は近著「ハロウィーンの文化誌」で分析する。かつて農村の秋祭りはストレス発散の場でもあった。その代わりがハロウィーンだと考えれば、急速な普及や渋谷の盛り上がりも腑(ふ)に落ちる気がする。
にぎわうだろうとは聞いていたが、これほどとは――。ハロウィーン当日だった一昨日夜、東京・渋谷を訪れた感想だ。ハチ公像のあ  :日本経済新聞

2014年11月1日土曜日

2014-11-01

日本銀行の追加緩和は、裏目に出ればまさかの事態を招く背水の陣だ。

2014/11/1付

 漢の名将韓信が趙(ちょう)軍と戦ったときのことである。有利な山の砦(とりで)から大軍を川辺に下ろした。見ていた敵は大笑いした。逃げ場がなく常識外れの不利な布陣だった。絶体絶命とも見えたが、別動隊が背後に回って、挟み撃ちで勝利する。「背水の陣」のもとになった話だ。

▼韓信の策は予想を裏切った。経済の分野でも当局が意表を突くことがある。想定外の発表があれば、市場関係者の心理に影響を与える。相場も動かす。それまでの予想と最新情報との開きが大きいほど、驚きも大きい。日本銀行の追加緩和もまさかの決定だった。日経平均株価は大幅に上昇し、約7年ぶりの高値をつけた。

▼「物価目標の2%の実現を確かなものにしたい。今が正念場だ」。黒田東彦総裁は発表後の会見で、心理的効果を強調した。これまでも強力な緩和策を進めてきた。それでも消費増税後の消費の落ち込みや原油価格の大幅下落で脱デフレの達成が遠のきかねない。悲観が広がるのを早めに食い止めたいとの思いがにじんだ。

▼市場の不意は突いたが、効果が続くかは不確か。副作用がでない保証はない。超緩和策が市場をゆがめているとの指摘もある。米国の量的緩和の終了でさらに円安が進めば企業への影響も心配だ。妙案も裏目にでれば、まさかの事態を招く。そのときどうするか。打つ手はあまり残っていない。まさに「背水の陣」である。
漢の名将韓信が趙(ちょう)軍と戦ったときのことである。有利な山の砦(とりで)から大軍を川辺に下ろした。見ていた敵は大笑い  :日本経済新聞

2014年10月31日金曜日

2014-10-31

日本での外来種の繁栄は、繁殖力が強いだけでなく人の行いが原因ではないか。

2014/10/31付

 福島県富岡町のJR富岡駅。この場所で、線路がどこにあるかさえわからないほど覆い茂ったセイタカアワダチソウの話を、先日の本紙朝刊が伝えていた。原発の事故で住民は避難したまま。人の姿が消えた町はこんな光景になってしまうのかと、いたたまれなくなる。

▼福島第1原発の周辺では、田畑一面にセイタカアワダチソウの花が咲き、黄色いじゅうたんが広がっているように見えるという。民家の庭にも入り込み、建物を押しつぶさんばかりに生い茂る。思い出の地を埋め尽くしていく植物の波。いまなお避難生活を送る人たちは、二重にふるさとを奪われるような思いであろうか。

▼セイタカアワダチソウは、よく知られた外来種である。原産地の北米から、荷物に種子がくっつくなどして持ち込まれたらしい。植物でも動物でも、外来種は繁殖力が強く、生態系の中で悪役となっている。ただ、多くはペットや観賞用とされたり、船や飛行機に偶然閉じ込められたりして、無理やり運ばれてきたものだ。

▼着いた先がたまたま日本で、そこで必死に生きている。原因が人の行いにあるとすれば、単純に外来種だけを責めてすむ問題ではないだろう。なにしろこんなジョークもあるくらいだ。かつてアフリカの一部にしか生息していなかったのに、世界中に広がって生き物を滅ぼしている外来種はなに? 答えは「人類」である。
福島県富岡町のJR富岡駅。この場所で、線路がどこにあるかさえわからないほど覆い茂ったセイタカアワダチソウの話を、先日の本  :日本経済新聞

2014年10月30日木曜日

2014-10-30

サマータイム制導入の是非は、五輪だけを口実にせず、しっかり議論し決定すべきだ。

2014/10/30付

 真夏の朝7時はもう暑いが、すこし涼しくする簡単にしてとっておきの方法がある。時計の針をちょいと進め、いまの5時を7時にしてしまえばいい――というわけで、東京五輪組織委員会会長の森喜朗元首相がサマータイム(夏時間)を導入するよう提唱したそうだ。

▼6年後の五輪は7月下旬から8月上旬にかけての17日間。ニュースに天気予報に「酷暑」の二文字「熱中症」の三文字があふれる時期である。「マラソンをしたら倒れる人がいっぱいいるんじゃないか」という森さんの言を杞憂(きゆう)とは決めつけられない。選手も大変だが沿道で応援する市民の方がむしろ危ないかもしれない。

▼だから森提案をくさしはしないが、気になるのが「東京五輪に向けて」の発想である。夏に時計を進めるサマータイムは日本でも占領下の一時期採用された。その後は何度話題になっても見送られている。省エネ効果を訴える声あれば睡眠への悪影響を懸念する声がある、という具合に侃々諤々(かんかんがくがく)、まとまらなかったからだ。

▼そんな経緯を吹っ飛ばした「五輪に向けて」である。あれも五輪に向けこれも五輪に向け。反論を押しのけて進むエンジンに五輪ほど都合のいい旗印はないのだろう。サマータイムは人の生活にかかわる。是非はきちんと議論しなければならない。マラソンは早朝だろうとナイターだろうと、しっかり応援すればいい話だ。
真夏の朝7時はもう暑いが、すこし涼しくする簡単にしてとっておきの方法がある。時計の針をちょいと進め、いまの5時を7時にし  :日本経済新聞

2014年10月29日水曜日

2014-10-29

ソニーは、木原氏のリーダーシップから学び、ビジョンを明確にして社員の士気をあげろ。

2014/10/29付

 きょう10月29日はソニーの歴史に残る日のひとつだ。カセット式のカラーVTRの開発を発表したのが1969年のこの日だった。テープを手でかけなければならないオープンリール式を週刊誌の半分ほどのカセットに変え、家庭にVTRが広がるきっかけをつくった。

▼開発を指揮した木原信敏氏(後に専務)は、どうすればカセット式ができるか筋道を立てて取り組んだ。テープをカセットに収めるには、その量を減らさなくてはならない。それにはテープに、できるだけたくさんの映像情報を書き込む必要がある。高密度の記録ができる材料とは――。的を絞り、技術陣をひとつにした。

▼木原氏のリーダーシップから学べるものは多い。人材の力を最大限に引き出すため、何をなすべきかを明確にし、そこに集中させる。理詰めでたどり着いたターゲットにはみんなが納得できるから、仕事のスピードも上がる。創業期からソニーの技術開発を担った木原氏を支えたのはリーダーとしての資質でもあったろう。

▼いまのソニーに必要なのも、どうやって企業を成長させるか、ビジョンをはっきりさせることだ。不振事業の止血に追われるだけでは社員の士気も上がらない。創業者の井深大氏は新製品が生まれてもすぐに、「次はもっといいんじゃないの」と、新たな目標に向かって進めとハッパをかけた。勢いを取り戻す日は来るか。
きょう10月29日はソニーの歴史に残る日のひとつだ。カセット式のカラーVTRの開発を発表したのが1969年のこの日だった  :日本経済新聞

2014年10月28日火曜日

2014-10-28

盛り上がりに欠ける六大学野球は、86連敗中の東大が頑張ればもう少し話題になるはずだ。

2014/10/28付

 野球といえば東京六大学という時代が、かつてあった。たとえば1937年に出た吉野源三郎の少年向け読み物「君たちはどう生きるか」には、主人公コペル君らが早慶戦のラジオ中継をまねて絶叫する様子が生き生きと描かれている。その興奮ぶりは並大抵ではない。

▼ところがこのロングセラー、戦後の新版では早慶戦の場面がプロ野球の巨人―南海戦の実況にまるごと差し替わってしまった。世間の目がすっかり離れたのだ。むかし神宮球場で声援を送った各校OBもさして興味を示さず、もう長いあいだ、プロ野球と高校野球のエアポケットみたいなところに六大学は落ち込んでいる。

▼盛り上がらぬ理由のひとつは「東大問題」かもしれない。毎シーズンのように最下位に甘んじ、特にここ4年間は白星もなく86連敗で今季を終えた。このままだと来年秋には100連敗に到達する。他校とはまるで選手の事情が異なるからなのだが、それにしてもちょっと負けすぎである。リーグ戦の意義が薄れもしよう。

▼奮起を迫られる東大ナインにとって、15年ぶりの優勝を狙う立教の活躍は大きな刺激に違いない。これで東大が頑張れば六大学野球ももう少し話題になるはずだ。大スタジアムは早朝より数万の観衆に埋められて立錐(りっすい)の余地もありません――「君たちはどう生きるか」の、野球が若かったころの光景は取り戻せぬにしても。
野球といえば東京六大学という時代が、かつてあった。たとえば1937年に出た吉野源三郎の少年向け読み物「君たちはどう生きる  :日本経済新聞

2014年10月27日月曜日

2014-10-27

優先席付近での携帯電話の利用には賛否あるが、影響がゼロでない限り規範はなくせない。

2014/10/27付

 必要なら守られねばならない。不要なら廃止されなければならない。規範とはそういうものだ。そんな当たり前が通じない日々は、かなり慣らされてきたとはいえ、居心地が悪い。鉄道などの優先席付近では携帯電話の電源を切る――破られている規範の代表格だろう。

▼心臓ペースメーカーなどの医療機器に影響する恐れがある。これが規範の大義である。一方には「携帯が原因で機器に重大な事故が起きたとの報告は世界にない」(総務省)という事実がある。もちろん、携帯のせいと気づかぬまま体や機器の変調をやり過ごしているのかもしれない。少なくとも、不安を感じる人はいる。

▼先に、東京工業大の1年生が「技術者倫理」の授業でこの問題を取り上げたそうだ。学生からいろんな意見が出た。「嫌がる人がいるなら電源は切るべきだ」「車内放送を流し続ける意味はほとんどないと思う」。正解はない。世の中をよくする使命を持つ技術者は難題とどう向き合えばいいか、考えさせる狙いだという。

▼医療機器と携帯の間が3センチ以内だと影響が出ることがある、15センチ以内なら電源を切るのが望ましい。これが総務省の見解である。わずかな距離でもゼロでない限り規範はなくせない。安全なものをつくる使命は技術者に果たしてもらおう。それまでの間、携帯やスマホをいじくりたければ……優先席には近づかないことだ。
必要なら守られねばならない。不要なら廃止されなければならない。規範とはそういうものだ。そんな当たり前が通じない日々は、か  :日本経済新聞

2014年10月26日日曜日

2014-10-26

正岡子規の心を捉えた秋の果物柿も、現代人には手間がかかると敬遠されがちだ。

2014/10/26付

 朝食に雑炊3杯、牛乳1合ココア入り、菓子パン2個をたいらげ、昼はカツオの刺し身、粥(かゆ)3杯に梨、ぶどう酒も。間食として団子を4本、塩せんべい、夕食はまた粥を3杯、なまり節、キャベツ……。明治34年秋の、病床での俳人正岡子規の食事だ。死の前年である。

▼当時の日記「仰臥(ぎょうが)漫録(まんろく)」には、連日こうした凄絶な「食」がつづられている。10月に入ると果物はたびたび柿で、1度に2個、3個。「かぶりつく熟柿や髯を汚しけり」の句が見える。大好物だったようで、じつは明治28年10月26日からの奈良旅行で詠んだといわれるのが、有名な「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」である。

▼句の誕生にちなんで、きょうは「柿の日」だという。世にナントカの日は多いけれど、この時期のこの果実はまさにたける秋の風情そのものだからうなずける。中国原産なのに、じつに日本的な面持ちを感じるのは栽培の歴史が古いからか。かつて谷内六郎が描いた晩秋の山里には、しばしば枝に残る黄赤色の実があった。

▼「柿くふも今年ばかりと思ひけり」。子規は死を予期してこんな句を残し、明治35年9月19日、柿の季節にはわずかに間に合わず短い生涯を閉じた。波乱の時代を駆け抜け、食べることにも最期まで懸命であった人だ。その心をとらえた秋の味も、平成の現代では皮をむくのがメンドクサイ、などと敬遠されがちだという。
朝食に雑炊3杯、牛乳1合ココア入り、菓子パン2個をたいらげ、昼はカツオの刺し身、粥(かゆ)3杯に梨、ぶどう酒も。間食とし  :日本経済新聞

2014年10月25日土曜日

2014-10-25

ハロウィンでの異文化交流を、米国の銃社会を変えるきっかけにできないか。

2014/10/25付

 魔女か怪物か、漫画の主人公か。お子さんのいる家庭などでは、仮装の準備もこの週末が山場かもしれない。毎年10月31日の「ハロウィーン」というお祭りが日本でも急速に普及し、遊園地や街なかで、奇抜な格好をして盛り上がる子供や若者を目にする機会が増えた。

▼雑貨店では衣装や化粧道具の売り込みに余念がない。貸し切り電車で仮装コンテストを開く鉄道会社もある。自分の写真をネットで公開する人たちも多い。日本記念日協会は今年のハロウィーンの市場規模を前年比9%増の1100億円と見込む。バレンタインデーを初めて上回りそうだというから、勢いのほどが分かる。

▼22年前には今より知名度は低く、「米国では子供が仮装しお菓子をねだって回る日らしい」という程度の理解だったと思う。この年、米国留学中の服部剛丈君(当時16歳)が、ハロウィーンのパーティー会場と間違えて1軒の民家に近づき、住民に銃で射殺された。両親は銃を許す米国そのものを変えようと活動を始める。

▼その一環で日本に留学生を招待し続けた。銃のない社会の良さを実感してもらうためだ。かつてはデートと美食の日だった日本のクリスマスだが、最近は家族や友人と親交を深める日に落ち着きつつある。ハロウィーンも、異文化の仮装を楽しみつつ、銃で消えた若い命の多さに思いをはせる日へと育てられないだろうか。
魔女か怪物か、漫画の主人公か。お子さんのいる家庭などでは、仮装の準備もこの週末が山場かもしれない。毎年10月31日の「ハ  :日本経済新聞

2014年10月24日金曜日

2014-10-24

相反する成長戦略と財政再建の折り合いをつけ解決しないと、日本経済は再下降する。

2014/10/24付

 東京・神田の古書店街は奥が深い。本が買えるだけではない。未発表原稿や日記など貴重な史料が発見される。大学などの蔵書も集まっているからだろう。先日も哲学者ヘーゲルが書き込みをした自身の最初の著作が見つかった。メモからは当時の様子が窺(うかが)えるという。

▼ヘーゲルといえば、弁証法を思い出す。見つかった著書に早くもこのアイデアが登場しているそうだ。2つの意見がある。正反対で相いれない。そこで折り合いをつけ、違いを克服して優れた結論を見つけ出す。矛盾にみちた現実と取り組む思考法として注目された。考えてみれば、現代でもこんな課題はあちこちにある。

▼地方創生や法人減税を掲げ、成長戦略を進めるアベノミクス。一方で消費増税で財政再建も促す。財政赤字が増え続ければ、経済への信頼が揺らぎかねないからだ。これらの政策には相反する面がある。あちら立てれば、こちら立たず。だから消費や生産に陰りが見えると、増税延期や景気刺激を求める声が上がり始めた。

▼なんとか解決策を見つけたいが、哲学は複雑な現実になじむとは限らない。ヘーゲルの考えは誤りとの指摘もある。決める役割の政治は、2閣僚辞任などタガの緩みが目立つ。中国の成長鈍化、欧州のデフレ懸念など国際環境も厳しさを増す。かといって、難問を前に腕組みしているだけでは、日本経済は再び沈み始める。
東京・神田の古書店街は奥が深い。本が買えるだけではない。未発表原稿や日記など貴重な史料が発見される。大学などの蔵書も集ま  :日本経済新聞

2014年10月23日木曜日

2014-10-23

かつて文学者の残した手紙での私信は、簡単に消せるメール時代ではみられなくなるのか。

2014/10/23付

 歌人の斎藤茂吉は50代の半ばになって、まな弟子の永井ふさ子と激しい恋に落ちた。別居中の妻があったが情熱はほとばしるばかり、30も年下のふさ子に送った手紙は150通にのぼる。「ああ恋しくてもう駄目です」「恋しくて恋しくて、飛んででも行きたい」――。

▼こういう赤裸々な書簡の束が公表されたのは本人の死後ずっとたってからだ。茂吉はいつも末尾に、読んだら火中に焼くよう求めていたのだが彼女は多くを手元に残した。その違背のおかげで天下の歌詠みの意外な一面が明らかになったのだから微妙なものである。文人の言葉は究極の私信であれ作品性を帯びてやまない。

▼エッセイストでイタリア文学者の須賀敦子さんが、友人夫妻に宛てた書簡55通が見つかったそうだ。「もう私の恋は終りました。その人をみてもなんでもなくなってしまった。これでイチ上り」。40代のころの1通である。はて身の上に何が……。随筆とは違うざっくばらんな物言いで、亡き作家はまた読者を引きつける。

▼「イチ上り」とはなんとも直截(ちょくせつ)な表現なのだが、人生の山も谷も、彼女はそうやって越えていったのだろう。そんな心情が遠巻きの読み手をも揺さぶるのだ。それにしてもいまやメール時代、文学者のこういう私信はのちの世に日の目を見るのかどうか。火中に投ぜずとも、削除ボタンひとつで消え去る文章の行方を思う。
歌人の斎藤茂吉は50代の半ばになって、まな弟子の永井ふさ子と激しい恋に落ちた。別居中の妻があったが情熱はほとばしるばかり  :日本経済新聞

2014年10月22日水曜日

2014-10-22

皇后陛下の感情を的確に言葉で表す力には、伝えるべきことを持つ表現者の覚悟を感じる。

2014/10/22付

 10月20日の誕生日に発表される皇后陛下の所感にいつも考えさせられる。ことしはA級戦犯に対する東京裁判の判決をラジオで聞いた中学生の日を振り返られた箇所があった。「(そのときの)強い恐怖を忘れることが出来ません」。そう書いたあと、続けられている。

▼「戦争から敗戦に至る事情や経緯につき知るところは少なく、従ってその時の感情は、戦犯個人個人への憎しみ等であろう筈(はず)はなく、恐らくは国と国民という、個人を越えた所のものに責任を負う立場があるということに対する、身の震うような怖(おそ)れであったのだと思います」。考えたのは次のような幾つかのことである。

▼靖国神社参拝という今日の政治問題につながりかねない東京裁判について触れる勇気。66年前の少女のころの感情にまっすぐ向き合う誠実さ。その感情を的確に言葉で表す力。「国と国民という、個人を越えた所のものに責任を追う立場」への怖れとは、自身に対しても持ち続けられてきた感情かもしれぬ、と思いもした。

▼皇太子妃時代にはあった誕生日に際しての記者会見が、「皇后の誕生日会見は前例がない」という理由で、平成に入るとなくなった。そのことに納得はしていない。しかし、担当記者たちがつくる質問に答える形の文書に、とくに最近、質問が望む以上の内容があると感じる。伝えるべきことを持つ表現者の覚悟を感じる。
10月20日の誕生日に発表される皇后陛下の所感にいつも考えさせられる。ことしはA級戦犯に対する東京裁判の判決をラジオで聞  :日本経済新聞

2014年10月21日火曜日

2014-10-21

小渕経済産業相や松島法相を辞任に追い込んだ問題は、政治に対する法の支配の現れか。

2014/10/21付

 「高速鉄道の第一人者」。中国の張曙光・元鉄道省運輸局長はかつて、こんな異名をたてまつられた。それほどに権勢をほこった元高官に北京の裁判所は先週、執行猶予つきながら死刑を言い渡した。罪名は収賄。日本円にして総額8億円もの賄賂を受け取ったという。

▼中国の高速鉄道といえば、3年前の夏に浙江省温州市で起きた事故の記憶がなお強く残っている。張元局長自身は、あの事故の前にすでに失脚していた。米国で100万ドルの別荘地を買ったなどと、派手な散財が早くから取り沙汰されていたらしい。元局長は控訴しないというから、それなりの事実はあったと推察できる。

▼それにしても死刑とは厳しい。そんな感想を抱く日本人は多いだろう。いかに巨額の収賄であろうとも、日本ではありえない判決だ。ところが一橋大学の王雲海教授によると、政治とカネの問題では日本こそ政治家に厳しく、中国の場合は厳しかったり厳しくなかったりするのだそうだ(「賄賂はなぜ中国で死罪なのか」)

▼政治資金規正法や公職選挙法のような仕組みは整っていない。野党やメディアによる追及もない。当局の捜査は共産党の政治判断が左右する。小渕優子経済産業相や松島みどり法相を辞任に追い込んだような問題は、中国だと何でもないのかもしれない。王教授が指摘する日本の厳しさは「法の支配」の表れといえようか。
「高速鉄道の第一人者」。中国の張曙光・元鉄道省運輸局長はかつて、こんな異名をたてまつられた。それほどに権勢をほこった元高  :日本経済新聞

2014年10月20日月曜日

2014-10-20

国産旅客機MRJには、ライト兄弟の様に不安定な環境下でも前に進む姿を見せて欲しい。

2014/10/20付

 19世紀末、欧米では、エンジンを使った動力飛行をめざす様々な挑戦があった。翼を鳥やコウモリに似せたり、主翼と尾翼を同じ大きさにしたり。その中で1903年に米国のライト兄弟が栄誉を手にした根本の理由は何か。佐貫亦男著「不安定からの発想」に詳しい。

▼機体を安定して飛べる構造にすることばかり考えるのを、やめたからだという。空中で不安定になるのを最初から織り込み、機体をいかにうまく操るか追求した。例えば主翼にケーブルをつなぎ、腹ばいになった人間がこれを引っ張って翼をたわませ、バランスをとる。人の操縦能力を生かそうと考え方を転換したわけだ。

▼安定志向を捨て、不安定な状態が当たり前と割り切った、いわば逆転の発想だ。空の世界をめぐっては、そうした心構えが、今の航空機ビジネスにも必要なのかもしれない。世界景気の混迷で航空機の需要予測は容易でない。新興国メーカーも手ごわい。完成披露式のあった国産旅客機「MRJ」も先行きは楽観できまい。

▼事業会社の三菱航空機(名古屋市)には不安定な環境の中でも人の知恵と工夫で前に進む姿を、ライト兄弟の飛行機のように見せてほしいものだ。兄弟は飛行技術がほどなく競合相手に追いつかれ、計画していた飛行機の開発・製造では成功者になれなかった。そのころから技術革新は速かった。教訓の多い2人の歩みだ。
19世紀末、欧米では、エンジンを使った動力飛行をめざす様々な挑戦があった。翼を鳥やコウモリに似せたり、主翼と尾翼を同じ大  :日本経済新聞

2014年10月19日日曜日

2014-10-19

中国の支配に抗う香港での大規模デモは、民主派と政府が和解する兆しはまだ見えない。

2014/10/19付

 この夏、愛読者は興奮した。川端康成が初恋の女性に書いた手紙が見つかった。「毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない」。22歳の大学生が遠隔地の恋人に、会えないもどかしさを切々と訴えていた。結局、恋は破れたが、婚約翌日に撮った写真が残っている。

▼そのときの光景が目に浮かぶ短編「雨傘」がある。霧雨のふる日、少年と少女が思い出にと写真館に立ち寄る。ぎこちない撮影のあとで、少女が先に表に出る。少年の傘を手にして、立っていた。来る道と違い、二人で入ると急に大人になった。夫婦のような気持ちがした。傘には、ほのかな喜び、幸福感がこもっていた。

▼その傘が香港では抵抗の象徴になっている。大学生、高校生などが先導する大規模デモは次期行政長官選挙での立候補制限への反発から始まった。政府が参加者を逮捕するなど強硬姿勢に転じたことで膠着が続く。降り注ぐ水、催涙弾を色鮮やかな傘の花が防いでいる。そこから運動は「雨傘革命」とも呼ばれ始めている。

▼返還から17年。中国の支配が強まるにつれ、自由が制限され、デモなどの動きに火がつく。英国と合意した30年前に事態は予想されていた(中嶋嶺雄「香港」)。だが、展開があまりに速い。50年保証した「高度の自治」も羊頭(ようとう)狗肉(くにく)だったらしい。民主派と政府が折り合い、同じ傘の下で、喜びを感じる日はまだ見えない。
この夏、愛読者は興奮した。川端康成が初恋の女性に書いた手紙が見つかった。「毎日毎日心配で心配で、ぢつとして居られない」。  :日本経済新聞

2014-10-18

国際テロ組織の温床とならぬよう、日本も資金洗浄対策をし国際社会と連携を図るべきだ。

2014/10/18付

 ちゃんとした理由があるとわかっていても、銀行の窓口でムッ!としてしまった経験はないだろうか。自分の口座からお金を送るだけなのに、目的やら何やら詳しく聞かれる。新しく口座を作ろうとすれば、「あなたは、本当にあなたですか?」というふうに疑われる。

▼こんな思いをする人が、ひょっとするとこの先増えるかもしれない。テロやマネーロンダリング(資金洗浄)を監視する国際組織が、「日本の対策は甘い」と改善を迫っているからだ。もう何度目かの指摘なので、すでにレッドカードである。政府は送金の際などの本人確認をより強める法律の案を作って、国会に出した。

▼資金洗浄を罰するという考え方自体、そもそも日本にはなかったものだ。それを海外からの強い要請を受け、取り入れてきた経緯がある。そのためか日本の対応はいつも遅れ気味で、たびたび注文をつけられてきた。幸いなことに、国際テロの脅威を欧米ほどには実感しないですんでいることも、歩みの遅い理由であろう。

▼だが世界に目を転じれば、過激派の「イスラム国」とのせめぎ合いなど、国際社会はテロとの戦いの真っ最中である。一国平和主義が成り立つはずもなく、国際社会の一員として連携していくほか道はない。そのためだと思えば、窓口で用意する書類が増え、待ち時間がいくらか延びたとしても、よしとすべきなのだろう。
ちゃんとした理由があるとわかっていても、銀行の窓口でムッ!としてしまった経験はないだろうか。自分の口座からお金を送るだけ  :日本経済新聞

2014年10月17日金曜日

2014-10-17

自撮り写真を公開し自己演出が簡単にできる時代になったが、あまりよいものではない。

2014/10/17付

 内田百間は写真嫌いだった。東京駅の名誉駅長になったときは終始パシャパシャやられ「寿命が薄くなる」と憤慨した。随筆でいわく「玄人の仕事の関係は仕方がないとして、そうでない素人がどうしてあんなに写真が取りたいか」。百鬼園先生らしい毒舌ぶりである。

▼そんな作家が昨今の「自撮り」ブームを知ったらどんな意見をするだろう。スマートフォン(スマホ)などを使った、自分で自分を撮る遊びだ。ずっと昔からセルフスナップと呼んでこの手はあったけれど、スマホの登場でやりやすくなった。最近では一般のデジタルカメラにもこの機能付きが登場してにぎやかなことだ。

▼自らハイ、チーズなんてナルシシストっぽいなどと言うなかれ。出来のいい作品をブログや交流サイト(SNS)に載せてアピールする人も珍しくない。英語圏では、自撮り写真を指すセルフィーなる新語が定着しつつあるそうだから世界的な流行だ。先日はスマホに専用の長い棒を付けて操作している若者に出くわした。

▼そういえば百間は、写真はご免と言いながら案外たくさん撮らせている。口をへの字に結んで謹厳なふうを装い、じつはなかなか自意識が強かったのだろう。そんな自己演出が自撮りで気軽にできるようになった時代を喜ぶべきか悲しむべきか。試みに1枚……スマホ画面の自身を眺めればやはり、寿命の縮む思いがする。
内田百間は写真嫌いだった。東京駅の名誉駅長になったときは終始パシャパシャやられ「寿命が薄くなる」と憤慨した。随筆でいわく  :日本経済新聞

2014年10月16日木曜日

2014-10-16

遊びの変化で子供の身体能力は急変したが野球ぐらいできてほしいと思うのは古い考えだ。

2014/10/16付

 貧しくも楽しかった少年期をビートたけしさんが「たけしくん、ハイ!」に書いている。「野球しててもさ、妹を背中におぶって、レフト守ってるやつがいたんだもんなぁ。そんで打てないから、守るだけなんだもん。……それでも、仲間入って野球やりたいんだよね」

▼男の子の遊びといえば野球。そんな記憶を持つ世代は50代半ばか60歳になっていようか。文部科学省の調査で、走力や俊敏性など子どもの運動能力が一体に向上するなか、ボール投げだけが目立って低下していることが分かった。たとえば10歳の男児は、東京五輪の年からの半世紀で投げられる距離が20%、6メートルも縮んだ。

▼そのニュースのあと、法律を変えて射撃競技用の空気銃を使える年齢を14歳から10歳に引き下げるという報道があった。6年後の東京五輪に向けた強化策だという。規制がある現在は光線銃で小中学生大会を行い、今年は100人余が参加したそうだ。少年銃士は思ったより多いが、でもほんの一握りといっていいだろう。

▼じつは、もう野球も遊びではなく、チームに入り指導を受けるのが当たり前なのかもしれない。そこにすごい球を投げる子がいて、学校にはボールを投げたことのない子が増えている。文科省の調査結果にはそう想像をしてしまう。少年よ、銃の撃ち方は知らずとも球の投げ方くらいは……。いや、旧世代の繰り言である。
貧しくも楽しかった少年期をビートたけしさんが「たけしくん、ハイ!」に書いている。「野球しててもさ、妹を背中におぶって、レ  :日本経済新聞

2014年10月15日水曜日

2014-10-15

賭博を特例で認めるカジノ開帳は、急いで法案を立案せず皆でよく議論すべきだ。

2014/10/15付

 「日本人立ち入り禁止」。終戦後の東京などにはGHQ(連合国軍総司令部)が接収したビルやホテル、住宅があちこちに出現した。「オフ・リミット」の看板ひとつでその先は日本であって日本ではなくなる。占領とはなんと無体なものかと泣いた人は多かったろう。

▼銀座の松屋や和光がPX(軍人軍属専用の売店)に衣替えしたのは有名な話だ。足を踏み込めぬ店内を想像してうらやましさも募ったに違いないが、そういうのも今は昔……では必ずしもないらしい。今国会での成立がとりざたされるカジノ合法化法案をめぐり、利用を外国人に限定する案が浮かんだり消えたりしている。

▼慎重論が少なくないなかで、とにかく施設をつくってしまうのが先決だ、と議員連盟の面々は考えたのかもしれない。先週、いったんは日本人オフ・リミットへと法案を修正する方針を決めた。ところがこれに推進派の仲間うちから疑義が噴き出したため、数日後に撤回を余儀なくされた。ずいぶん場当たり的ではないか。

▼カジノといえば格好よく聞こえるが、ようするに鉄火場である。刑法で禁じられた賭博を特別に認めようというのだから、占領下のPXみたいにする案まで出てくるのだろう。そうまでして開帳すべき座であるかどうか、ここはよくよく思案がいる。これからの議論には日本人あまねく、遠慮せずに立ち入ったほうがいい。
「日本人立ち入り禁止」。終戦後の東京などにはGHQ(連合国軍総司令部)が接収したビルやホテル、住宅があちこちに出現した。  :日本経済新聞

2014年10月13日月曜日

2014-10-13

ムラ社会的な皆での食事も愉快だが、近代的自由の象徴のひとり飯を楽しむのもまた良い。

2014/10/13付

 井之頭五郎――と聞いてピンとくる人はなかなかのドラマ好きだろう。テレビ東京系の深夜枠で先月まで4期にわたって放送された「孤独のグルメ」の主人公だ。仕事の合間に立ち寄った店で定食、カレー、回転ずし、などなどをただ食しては、あれこれ独り言を言う。

▼原作のマンガに忠実に、毎回それだけの話だがこの作品のファンは少なくない。焼肉屋で盛大にカルビをぱくついて「うおォン 俺はまるで人間火力発電所だ」などと怪気炎をあげるのがなんともほほ笑ましいのだ。しばしば否定的に語られる「孤食」だが、見わたせばあの店この店にひとり飯を楽しむ五郎さんはいよう。

▼柳田国男は「明治大正史 世相篇」で、近代以降、およそ食物は温かく、柔らかく、甘くなり、共同の飲食が減って個々の嗜好を重んじるようになったと説いている。たしかに誰にも気兼ねなく、混み合う居酒屋で好きなものを飲み食いするという図はムラ社会にはなかっただろう。ひとり飯は近代的自由の象徴なり、だ。

▼もっとも昨今の大学生など、ランチ仲間がいない「ぼっち飯」をひどく恐れるらしい。ムラ社会への退行とは言わぬが、こんなところにも同調圧力にさらされる若者のすがたがあるのかもしれない。みんなでワイワイはもちろん愉快だが、ひとりもまた良し。井之頭五郎みたいなオトナに、そのへんの流儀を学ぶのもいい。

2014年10月12日日曜日

2014-10-12

ネット普及に適した法や制度の改訂で自由な情報流通とプライバシー配慮の共存を図ろう。

2014/10/12付

 実直そうな中年女性が、母校の中学校を訪れる。訳あって就職することになり、最終学歴である中学の成績証明書を求められたという。昔の記録を見ると、決していい内容ではない。教師は言う。「すでに破棄したという書類を作りましょう」。女性は頭を下げた――。

▼昔みたドラマの一場面だ。当時の成績保管期間は20年。遠い昔に劣等生だった事実が、今の幸せを邪魔していいのか。そう問いかける作品だった。後に保管期間は5年に短縮された。文部科学省によれば、プライバシーへの配慮や、生徒の不利益になりかねない記録をそこまで保管すべきか、との考えから変更したという。

▼公的文書なら閲覧制限や破棄で現在を守る手もある。やっかいなのはネットだ。過去の言動や経歴、過ち、若気の至りで公開した写真。自分を巡るさまざまな記録が、時を超えて拡散する。中には事実無根の文章もある。気を許した相手に撮らせた写真が広くばらまかれる卑劣な例もある。法や制度は追いつけないままだ。

▼グーグルで自分の名を調べると、犯罪に関わったかのような投稿が現れる。これを止めさせたいと男性が訴え、東京地裁は削除を命じる判断を出した。自民党は元恋人などの性的画像をネットに流すことを防ぐ法案を準備している。自由な情報流通と「忘れられる権利」を、どう共存させるか。われわれの知恵が試される。
実直そうな中年女性が、母校の中学校を訪れる。訳あって就職することになり、最終学歴である中学の成績証明書を求められたという  :日本経済新聞

2014年10月11日土曜日

2014-10-11

史上最年少でノーベル平和賞を受賞したマララの武器は、本とペンともう一つは勇気だ。

2014/10/11付

 「どの子がマララだ?」。2人組のテロリストがバスに乗り込んできたのは2年前、15歳のときだ。答える間もなく銃声3発。生死の間をさまよった少女は17歳になりノーベル平和賞に決まった。パキスタンのマララ・ユスフザイさん。ノーベル賞史上最年少の受賞だ。

▼日本ならば高校2年生の、重い年月を背負った少女である。女性が笑うことさえ禁じるイスラム過激派タリバンが跋扈(ばっこ)する国で、ペンネームで「女の子にも教育を」と訴え始めたとき、11歳だった。何も悪いことはしていない、と信じて。訴えが共感を得れば得るほどタリバンの理不尽な怒りを買い、揚げ句の凶弾だった。

▼ノーベル平和賞というと、反体制につく受賞者の系譜がある一方で、いささか首をかしげる受賞者がなくはない。最近なら一昨年の欧州連合(EU)、あるいは5年前のオバマ米大統領。政治的にすぎる、という批判も的外れではないだろう。それに比べ、昨年も有力視されていたマララさん受賞の報の何と清々(すがすが)しいことか。

▼「本とペンを持って闘いましょう。それこそが、私たちのもっとも強力な武器なのです」と語った去年の国連スピーチが記憶に残る。彼女にはもう一つ、勇気という武器がある。「どの子がマララだ?」。そのときを振り返って自伝に書いた。「答えられたら、女の子が学校に行くのを認めるべきだ、といってやれたのに」

2014年10月10日金曜日

2014-10-10

言論の自由とは名ばかりに国家に不都合な記事は権力制圧する韓国を批判し肝に銘じよう。

2014/10/10付

 似たような話が日本になかったわけではない。売春防止法の制定をめぐる贈収賄、世にいう売春汚職について書いた記事の中身が名誉毀損にあたるとされ、読売新聞社会部の敏腕記者、立松和博が東京高検に逮捕された事件があった。1957年(昭和32年)のことだ。

▼経緯はノンフィクションの名作「不当逮捕」(本田靖春著)に描かれている。著者は書名で立場を明らかにし、記者が刑法の名誉毀損罪に問われる異常さや、逮捕の背後に検察の権力争いがあったことなどをつまびらかにした。それから半世紀あまり、言論の自由という同じ価値観を持つはずの国で異常なことが起こった。

▼韓国の検察当局が、朴槿恵大統領の男性関係に関する噂をネット上でコラムにした前の産経新聞ソウル支局長を、名誉毀損罪で在宅起訴した。言論の自由と重い責任は表裏である。そのことへの不断の自問が記者には必要である。それでも、起訴には不都合な記事を力で押さえ込もうという権力のおごりを見ざるをえない。

▼領土をめぐる日中韓の確執が深刻になった2年前、国民感情に与える影響を安酒の酔いにたとえたのは作家の村上春樹さんである(朝日新聞)。「安酒を気前よく振る舞い、騒ぎを煽(あお)るタイプの政治家や論客に対して、注意深くならなくてはならない」。安酒を飲むな。安酒に酔うな。韓国を批判しつつ、そう肝に銘じる。
似たような話が日本になかったわけではない。売春防止法の制定をめぐる贈収賄、世にいう売春汚職について書いた記事の中身が名誉  :日本経済新聞

2014年10月9日木曜日

2014-10-09

赤崎教授のノーベル賞受賞は、幼なき日からの鉱物や結晶への熱意を忘れず達成した。

2014/10/9付

 宮沢賢治の作品には様々な石が出てくる。「藍晶石のさわやかな夜」「天の瑠璃(るり)」「コバルト山地」。小学生のころから熱中し、「石コ賢さん」と呼ばれた。土壌学を学び、採集に明け暮れた。銀河に浮かぶ地球。億万年の歴史が凝集した鉱物が放つ輝きに心奪われた。

▼ノーベル物理学賞を受ける赤崎勇教授も虜(とりこ)になった。父がくれた標本箱を眺めて眠った。石ごとに光沢が違う。結晶の成長度で、形も変わる。不思議さに興味が尽きない。そこから青色発光ダイオード(LED)開発につながる結晶へのこだわりも芽生えた。「後年の私の人生を暗示している」(「青い光に魅せられて」)

▼ピカピカの結晶を求め続けた。あまりの難題に失敗が続く。困難さにライバル研究者が次々に脱落した。それでも「我ひとり荒野を行く」と諦めなかった。材料の窒化ガリウムに着目したのが40歳、成果が出たのは50代後半だった。ほぼ20年かかった。初めてできたときは、コバルトブルーの光が目にしみるように感じた。

▼幼い日の情熱を保つのは難しい。だが、賢治は、鉱物のもつ神秘的な色彩を取り入れて自然や心象風景を描き続けた。「遅咲きの研究者」も鉱物や結晶への熱意を忘れなかった。ひたすら、結晶が持つ可能性を追い続けた。気がつくと、LEDが発する青い光で、白熱灯の時代に終わりを告げ、世界に革命を起こしていた。
宮沢賢治の作品には様々な石が出てくる。「藍晶石のさわやかな夜」「天の瑠璃(るり)」「コバルト山地」。小学生のころから熱中  :日本経済新聞

2014年10月8日水曜日

2014-10-08

退屈な若者を狙って戦闘員を募るイスラム国は、日本赤軍とは異なる危機を知る。

2014/10/8付

 空港での自動小銃乱射、ハイジャック、大使館占拠……。1970年代を中心に世界中でまがまがしい事件を続発させたテロ組織といえば日本赤軍である。国内で活動していた赤軍派メンバーらがひそかに出国、パレスチナゲリラと手を結び国際社会を震え上がらせた。

▼海外の戦場に「革命の根拠地」を――というのが彼らの理屈で、ようするに押しかけ部隊である。使命感に酔ってか、辛亥革命を支援した宮崎滔天を気取るメンバーもいたらしい。無法はやがて行きづまり、あの時代はすっかり遠ざかったのだが、目下の「イスラム国」をめぐる出来事は新たな脅威を見せつけてやまない。

▼「勤務地シリア 詳細は店番まで」。東京都内の古書店に張り出されていた、まるでアルバイト募集のような軽いノリのチラシが「イスラム国」への入り口だったという。こんな誘いに乗せられて戦闘員への参加を企てていた北海道大学の学生を警視庁が突きとめ、関係先の捜索などに乗り出した。出国寸前の摘発である。

▼日本赤軍などと違い、休学中のこの青年にさしたる思想性はなかったようだ。しかし「イスラム国」はいま世界中で、そういう「退屈な若者たち」をこそ狙っているに違いない。警視庁は今回の事件に刑法の私戦予備・陰謀罪を初めて適用した。耳にしたことのない物々しい罪名の登場に、往時とはまた異質の危機を知る。
空港での自動小銃乱射、ハイジャック、大使館占拠……。1970年代を中心に世界中でまがまがしい事件を続発させたテロ組織とい  :日本経済新聞

2014年10月7日火曜日

2014-10-07

台風の去来により、人が協力しあう姿をみると、他人を思う心の大切さに気づく。

2014/10/7付

 列島に混乱の渦を起こした台風18号が足早に去っていった。多くの家が水浸しになった。増水や土砂崩れで死傷者が出た。できればもう来てほしくないが、思いを新たにさせられることも2つある。過ぎ去った後の青空の美しさ。そして、普段は忘れがちな人間の絆だ。

▼「必ず安全にお送りしますので、今しばらくご辛抱ください」「改札は結構ですから、スルーでお進みください」。緊張した車掌や駅員の声から、通勤の足を預かる責任感が伝わってくる。満員電車で普段はライバルかもしれない他の乗客が、いつのまにか同志になっている。天災には、人の気持ちを結ぶ力があるらしい。

▼台風という日本語は、それほど古くない。与謝野晶子が「台風という新語が面白い」と、大正初期の随筆で書いている。それまでは野分と呼ぶのが普通だった。明治生まれの歌人は「野分には俳諧や歌の味はあるが科学の味がない」という。さらに百年が過ぎ、交通や社会基盤が発達した今は、台風の含意もまた変わった。

▼自然には善意も悪意もない。それは何億年も前から同じだ。変わったのは、人間の側の事情である。都市に住むようになり、速度と効率を重んじ、忙しさのあまり他者を思いやる心が薄れてはいないか。台風の去来は、人が大切な何かを思い出すための時間かもしれない。「大いなるものが過ぎ行く野分かな」(高浜虚子)
列島に混乱の渦を起こした台風18号が足早に去っていった。多くの家が水浸しになった。増水や土砂崩れで死傷者が出た。できれば  :日本経済新聞

2014年10月6日月曜日

2014-10-06

6年後のパラリンピックでは、この半世紀で障害者福祉が進歩した姿を世界に見せたい。

2014/10/6付

 障害者の国際的なスポーツ競技会がパラリンピックと呼ばれ始めたのは、1964年の東京大会からだ。五輪に続き選手村の中の練習場などで開かれた大会に、この愛称がついた。江戸東京博物館の特別展「東京オリンピックと新幹線」がそのときの様子を伝えている。

▼この大会ではパラリンピック本来の意味である車いす競技としてアーチェリー、トラック競走など14種目が開かれ、出場者は21カ国387人にのぼった。バスケットボールで日本は英国に大差で敗れたが、健闘をたたえ合う写真がすがすがしい。視覚障害など車いす以外の競技にも、国内から480人が出て熱戦を演じた。

▼大会を裏で支えた活動もあった。通訳では学生や会社員ら156人がボランティアを買って出た。選手村に美容院がなかったので、街まで外国人選手を案内して感謝されたボランティアもいる。大会運営の一助にと全国のバーには募金箱「善意の箱」が置かれ、約330万円が集まった。助け合いの精神が随所にみられた。

▼障害があっても、全力で克服する。それを社会が応援する。64年は戦災から復興した日本を世界に示すとともに、障害をハンディとしない国へ一歩を踏み出した年でもあった。この半世紀で障害者福祉はどこまで進んだだろうか。2020年東京五輪・パラリンピックが6年後に迫る。恥ずかしくない姿を世界に見せたい。
障害者の国際的なスポーツ競技会がパラリンピックと呼ばれ始めたのは、1964年の東京大会からだ。五輪に続き選手村の中の練習  :日本経済新聞

2014年10月5日日曜日

2014-10-05

若い創作家が同世代に問うネット社会での挑戦の中に、大きく育つビジネスが眠っている。

2014/10/5付

 60代ならトップは五木ひろし「夜明けのブルース」。50代は一青窈「ハナミズキ」。2013年にどんな歌がカラオケでよく歌われたか、業界大手が自社のデータを年齢別に集計した結果だ。40代、30代もテレビでなじみの歌が並ぶ。様子が変わるのはその下の世代だ。

▼20代、10代とも1位は「千本桜」。歌番組ではまず耳にしない。ヤマハの音声合成技術「ボーカロイド」を使い、有名無名の作り手が自作の歌をコンピューターに歌わせたボーカロイド楽曲、略してボカロ曲の1つだ。かつては「ニコニコ動画」などの投稿サイトで無料公開するしかなかったが、今や人気作はCDになる。

▼さらにカラオケでも正式配信され、作り手はきちんと収入を得られるようになった。10代のカラオケランキングをみると、すでに上位20曲のうち半分をボカロ曲が占める。ネットで歌と出会う世代の誕生といえる。若い創作家がパソコンで作品を作り、直接、同じ世代に問う。こうした挑戦が日本文化に厚みを加えている。

▼出版・映像のKADOKAWAとニコニコ動画のドワンゴが経営を統合した。昨年度、KADOKAWAの書籍売り上げ首位は「カゲロウデイズ」シリーズだった。同名のボカロ曲をもとに、歌詞の行間や背景を小説や漫画にしたものだ。大きく育つ芽が、まだネットの中に眠っている。新会社の最大の資産かもしれない。
60代ならトップは五木ひろし「夜明けのブルース」。50代は一青窈「ハナミズキ」。2013年にどんな歌がカラオケでよく歌わ  :日本経済新聞

2014年10月4日土曜日

2014-10-04

観光客誘致のための地域創生は、新たに施設を作るより今ある景観や歴史を活用すべきだ。

2014/10/4付

 もしも世界が日本の街づくりをまねしたら? 東洋文化研究者のアレックス・カー氏がそんな発想で合成写真を作り、近著「ニッポン景観論」に掲載している。例えばイタリアの港町ベネチアでは、小舟の行き交う運河が埋められ4車線道路になり、標識や看板が並ぶ。

▼他の街も同様だ。荘厳な寺院の前に大型バスがずらり。伝統建築の一部も駐車場に。街角の彫像を「禁煙」「登らないでください」などの注意書きが囲む。お遊びを込めた問題提起を笑って眺めるうちに、情けない気持ちがわく。現実の日本で、観光地や歴史ある街の多くが、まさにこの写真通りのことをしているからだ。

▼地方創生の名のもとに、人口維持や観光客誘致などに向けて、これからさまざまな手が打たれることになりそうだ。自分たちの住む街や地域の魅力を高めるために、本当に効果のあることは何か。用心深く吟味しないと、つぎ込むお金が無駄になるだけでなく、景観や歴史など、すでに持っている街の資産を壊しかねない。

▼観光振興のノウハウは世界で進化しており、日本は後れをとっているとカー氏は説く。予算を使うなら、新しい施設より建物の再生や景観を損なうものの撤去に使うべきだ、とも。実際に、昔を思わせる温泉や古民家を改装した宿は外国人にも人気が高い。いまあるものをきちんといかす姿勢も、地域再生には大事になる。

2014年10月3日金曜日

2014-10-03

地質調査技術は進んだが掌握は容易でないので、シェール資源開発での失敗はつきものだ。

2014/10/3付

 ゲーテは経済の専門家だった。主人公が恋に悩み自殺する小説で、全欧州を熱狂させただけではなかった。ワイマール公国の宰相として税・財政分野でも腕を振るった。利水、道路建設の現場に立ち、紡績や製鋼などの産業を振興した。特に鉱山経営に力を注いでいる。

▼着任当時、国庫は赤字続きだった。町づくりの費用がかさんでも増税もできない。財政破綻は必至。新しい財源として古い鉱山に目をつけて、資金をつぎ込み再開した。盛大に祝ったものの、金属層が見つからない。浸水、落盤が続き、いたずらに経費ばかりが膨らむ。機械も使えなくなった。結局、28年後に廃鉱になる。

▼安価で注目されているシェール資源開発も鉱山と似ている。原油を含む頁岩(けつがん)層が見つからなければ、投資を回収できない。住友商事は米国での採掘が頓挫、今期2700億円の損失を計上して、1年分の利益がほぼ消える見込みだ。中村邦晴社長は「掘ってみたらなかった。見通しが甘かった」と開発の難しさを強調した。

▼発祥の住友財閥は銅山経営で発展したが、お家芸を過信したわけでもなさそうだ。伊藤忠商事や大阪ガスも損失を出し、採掘の厄介さが見えてきた。技術が進み地質調査の権威も育っているはずなのに、地底の様子は容易にはつかめない。鉱山では失敗したゲーテも言っている。「権威は真理と同様に、誤りを伴うものだ」
ゲーテは経済の専門家だった。主人公が恋に悩み自殺する小説で、全欧州を熱狂させただけではなかった。ワイマール公国の宰相とし  :日本経済新聞 http://www.nikkei.com/article/DGXDZO77893300T01C14A0MM8000/

2014年10月2日木曜日

2014-10-02

裁判員へのストレス負担を減らし正確な事実を伝えられるよう、工夫を重ねよう。

2014/10/2付

 事件や裁判の記事を書く参考になればと思い、検視の本を捜査関係者に借りて読んだことがある。遺体の状態や傷の様子から、死因や殺害の方法などを見極めるためのものだ。ところがカラー写真を使った解説に堪えられなくなり、半分も見ないうちに閉じてしまった。

▼忘れていたその本の記憶が、おととい福島地裁であった判決のニュースを聞いてよみがえった。裁判員に選ばれた女性が、遺体の写真を見たり、被害者が助けを求める119番の録音を聞いたりして急性ストレス障害になり、損害賠償を求めていた裁判である。判決は「裁判員を務めたことで心に傷を負った」と認定した。

▼残虐な犯罪とは縁のない市民が、生々しい犯行の証拠を見聞きして受ける衝撃の大きさは想像に難くない。その後、各地の裁判所では写真を白黒やイラストに代えるなどの試みがなされている。だがその一方で、被害の実態をありのままに見てもらわなければ殺意の強さや犯行の残忍さが伝わらない、といった問題もある。

▼検視本の写真はしばらく頭から離れず、ふとしたときに思い出しては気が滅入(めい)った。それでも写真を見たことで理不尽な犯罪への憤りが強まり、社会の安全についてより考えるようになったとも思う。裁判員裁判が抱える二律背反の難問をただちに解決できる方策はないが、よりよい制度に向けて、工夫を重ねるしかない。
事件や裁判の記事を書く参考になればと思い、検視の本を捜査関係者に借りて読んだことがある。遺体の状態や傷の様子から、死因や  :日本経済新聞

2014年10月1日水曜日

2014-10-01

人を早く運ぶために効率化した日本の技術が、人を快適に運ぶための技術追求を開始した。

2014/10/1付

 京都8時58分着、59分発、9時01分着、02分発、04分着、05分発……。文字通り分刻みで、次々とホームに滑り込んでくる。次の駅の到着時刻に狙いを定めて、するすると加速しながら走り去る新幹線の後ろ姿は凜々(りり)しい。昨年の遅延時間を平均すると実に54秒である。

▼なぜこんな離れ業ができるのか。運転士や車掌は、私たち乗客が目にする時刻表とは別の、秘密の運行表を持っているそうだ。そこには15秒単位で発着が記されている。遅れてはならないし、早く着いてもいけない。懐中時計の秒針をにらみながら、誤差ゼロを目指して戦っているのだ。その奮闘の歴史が半世紀を迎えた。

▼これぞ日本の技術の神髄。米国のビジネススクールの討論授業で、得意げに発表した日本人学生がいる。時刻表を映し出すと、まず感嘆の声が上がった。ところが「たしかにスゴイけどまるで効率を競う日本の工場の生産ラインみたいだ」と感想が出る。そこから顧客への「おもてなし」の本質とは何かと議論が広がった。

▼一日の乗客42万人。急ぐ人間を速く運ぶためのマシンだが、50年間で乗客の心も少しずつ変化した。1分や2分の時間よりスーツケースの置き場が欲しいという外国人旅行者もいる。きょう午前6時0分、下り始発のぞみ1号の出発は開業時と同じ東京駅19番線だ。変わり続ける期待を乗せて、日本の技術が次の旅に出る。
京都8時58分着、59分発、9時01分着、02分発、04分着、05分発……。文字通り分刻みで、次々とホームに滑り込んでく  :日本経済新聞

2014年9月30日火曜日

2014-09-30

政権交代の序幕となり日本政界を活性化させた土井さんが逝って、民主主義を再認識する。

2014/9/30付

 ステージではいつも艶(あで)やかだったテレサ・テンさんが、運動会の小学生のような鉢巻き姿で歌ったことがある。私の家は山の向こう……。1989年5月27日。中国の民主化を訴えていた学生らを応援するため、香港で開かれたチャリティー・コンサートでのことだ。

▼周知の通り、このときの民主化運動を共産党政権は武力で制圧した。香港のコンサートから間もない6月4日に起きた、いわゆる天安門事件だ。衝撃を受けたテレサ・テンさんはアジアを離れ、パリで暮らすようになった。42歳の若さで亡くなったのは、6年後。そして今、香港は民主化をめぐって再び大きく揺れている。

▼今回は香港の政治が焦点だ。香港のトップを決める選挙が3年後に予定されているのだが、民主派の候補を事前に排除する名ばかりの「普通選挙」を共産党政権が打ち出したことに、学生たちが反発している。デモ隊と警官隊の衝突も起きた。この四半世紀、中国の経済は目覚ましく発展したが、政治の歩みは何とも鈍い。

▼ひるがえって日本はどうか。25年前にピークを迎えたバブルが崩壊したあと経済は停滞してきた印象が強いけれど、政治の面では政権交代が何度かあった。序幕となったのが、89年7月の参院選だろう。土井たか子委員長ひきいる社会党が、自民党を第2党に後退させた。土井さんが逝って、改めて民主主義をかみしめる。
ステージではいつも艶(あで)やかだったテレサ・テンさんが、運動会の小学生のような鉢巻き姿で歌ったことがある。私の家は山  :日本経済新聞

2014年9月29日月曜日

2014-09-29

噴火はすっかり絶えたと思わせる休火山も死火山も、活火山であるという現実に向き合え。

2014/9/29付

 活火山、休火山、死火山――。むかし学校でこの3分類を教わり、頭にすり込まれた人は多いだろう。阿蘇山や浅間山は「活」、富士山は「休」、御嶽山や箱根山は「死」であった。しかし現在はこういう区分は廃され、過去1万年以内に噴火した山はすべて「活」だ。

▼歴史時代、つまり文字が生まれてからの噴火記録がなければ死んだと見なし、記録があっても長く眠っていれば休止中というのがかつての判定だった。大自然に人間の時間感覚をあてはめたのだから無理な話で、しだいに再検討が進んだ。それを決定づけたのが1979年の御嶽山の噴火だ。死火山が生きていたのである。

▼その御嶽が、また猛(たけ)っている。紅葉シーズンのおだやかな週末、不意打ちのように襲った爆発はたくさんの登山客をのみ込んだ。救援救助も思うにまかせず、被害の全容さえつかめぬ事態にもどかしい思いがただ募る。火山にしてみれば、これもほんの一瞬の身じろぎであるに違いない。人はその前になすすべもないのか。

▼真冬のよく晴れた日、濃尾平野から望む御嶽山は息をのむほどの荘厳さである。篤(あつ)い山岳信仰を生み、噴火などすっかり絶えたとも思わせてきたゆえんだ。けれど火山にあっては「休」も「死」もかりそめの姿、おしなべて「活」であるという現実にあらためて向き合わねばなるまい。それにしても御嶽よ、はやく鎮まれ!
活火山、休火山、死火山――。むかし学校でこの3分類を教わり、頭にすり込まれた人は多いだろう。阿蘇山や浅間山は「活」、富士  :日本経済新聞

2014年9月28日日曜日

2014-09-28

政府は学生支援の奨学金等の予算を惜しまず、経済的理由での学生の大学中退を防止しろ。

2014/9/28付

 「苦学」という言葉がさかんに使われた時代があった。家は貧しいけれど働いて学資を得ながら学ぶ。苦しくとも、そうすればきっと未来は開けると若者たちは夢を膨らませたのだ。明治後期にはすでに「苦学界」「東京苦学案内」といった雑誌や本も出ていたという。

▼戦後になってもそういう苦学生はたくさんいて、定時制高校や大学夜間部はよく青春映画の舞台になった。されどそれもこれも、過ぎ去った遠い昔の話と思いがちだが現実は違う。文部科学省によれば、2012年度の大学中退者7万9千人のうち20%は経済的理由での勉学断念だった。07年度調査より6ポイントも増えている。

▼お金がなくてキャンパスを去った若者がこれだけ多いということは、その一歩手前で歯を食いしばっている平成の苦学生も相当な数にのぼると知るべきである。アルバイトに明け暮れ、食べるもの着るものへの欲も抑えて過ごす4年間なのだ。親のスネをかじり放題の、バブル期あたりのリッチな学生像は遠のいて久しい。

▼政府は無利子奨学金などで学生を支えるというが、こういうところへの予算は惜しんではなるまい。苦学はしばしば美談として語られるけれど、明治大正のころの苦学生も初志を貫徹できるのは100人に1人の険しい道だったという(竹内洋著「立志・苦学・出世」)。豊かになったこの国にあってはならぬ景色だろう。
「苦学」という言葉がさかんに使われた時代があった。家は貧しいけれど働いて学資を得ながら学ぶ。苦しくとも、そうすればきっと  :日本経済新聞

2014年9月27日土曜日

2014-09-27

人の心を大切にする経済学をテーマとした宇沢氏の人生は、人間臭さに満ちた生涯だった。

2014/9/27付

 日本の大手企業のトップらで構成する日中経済協会の訪中団が、中国の汪洋副首相らと会談した。日本側は習近平国家主席か李克強首相との会談を求めていたが、実現しなかった。

 11月に北京で開くアジア太平洋経済協力会議(APEC)首脳会議にあわせた日中首脳会談の開催を期待する日本側には、中国側の姿勢を瀬踏みする思惑があった。中国側は慎重な構えを改めて示したといえよう。

 一連の会談では、日中関係の現状は打開する必要があるとの考えで双方が一致した。中国の高虎城商務相は、日本からの対中直接投資が大きく落ち込んでいることに懸念を表明した。

 今年上半期の日本から中国への対中直接投資額は前年同期に比べ48%減った。原因として中国側からは、日中の政治関係の悪化を特に問題視する声が出たようだ。確かに、政治問題は経済関係に深刻な影を落としている。

 2012年に尖閣諸島を国有化したあとの反日デモでは、日系企業への焼き打ちや略奪が起きた。昨年の安倍晋三首相の靖国神社参拝などで歴史認識をめぐるあつれきが深まるなか、商船三井の船舶の差し押さえなど経済の面でも過去を問う動きが浮上した。

 ただ、政治リスク以外の要因も少なくない。人件費の急激な上昇や依然ずさんな知的財産の保護、透明性を欠いたビジネス環境などを心配する声は多い。

 こうした問題をめぐって率直に意見交換し着実に改善していくことは、双方にメリットがある。途絶えている閣僚級の「日中ハイレベル経済対話」を再開したいと汪副首相が表明したのは、意味があろう。双方の官民がそろって知恵を出し合うべきだ。

 ここにきて日中間では政治面の接触も増えている。両国外相が会談し、東シナ海で不測の事態に備える高級事務レベル海洋協議が開かれた。とはいえ双方が掲げる「戦略的互恵関係」にはなお遠い。一層の努力が求められる。
日中の「互恵」へ一層の努力を  :日本経済新聞

2014年9月26日金曜日

2014-09-26

日本企業は環境変化の激しさへの対応が不十分なので、状況に応じた不断の改革が必要だ。

2014/9/26付

 米国の詩人サミュエル・ウルマンの「青春」は多くの経営者をひきつけてきた。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを言う……年を重ねただけで人は老いない……」(作山宗久訳)。彼の住んだ家を記念館にする際は東洋紡の宇野収氏らが寄付を募った。

▼詩の原文を自分流に意訳して、座右の銘にしていたのがパナソニックを創業した松下幸之助氏だ。「日に新たな活動を続ける限り、青春は永遠にその人のものである」。「日に新た」とはその時々の状況をみて、ふさわしい手を打つこと。独立採算で責任意識を持たせる事業部制は組織を老いさせない工夫だったのだろう。

▼このところの米欧企業の事業再編も、会社の若さを保とうとしているからに違いない。米ゼネラル・エレクトリック(GE)に続いて独シーメンスも家電事業の売却を決めた。ともに成長性の高いエネルギーやインフラ分野に集中する。過去への郷愁を捨て、長い歴史を持つ事業部門からも撤退する思い切りの良さがある。

▼日本企業も経営改革が進んできたが、消費の変化に十分対応できていないダイエーなどの例もある。好調組も環境変化の激しさを考えれば不断の改革が必要だ。ウルマンによれば、青春とは「臆病さを退ける勇気、安きにつく気持を振り捨てる冒険心」も意味する。読み直すと改めて啓発されるところがあるかもしれない。
米国の詩人サミュエル・ウルマンの「青春」は多くの経営者をひきつけてきた。「青春とは人生のある期間ではなく、心の持ちかたを  :日本経済新聞

2014年9月25日木曜日

2014-09-25

外税表示による支払い時の心理負担を解消し、消費を盛り上げる政策は企業の知恵か。

2014/9/25付

 「一つ六銭だよ」。屋台のすし屋のあるじに言われて、仙吉はつまみかけた鮪(まぐろ)のにぎりを元に戻す。ふところには4銭きり。多分これで足りると思ったのが計算違い、少年は逃げるように店を後にするのだった――。志賀直哉の名作「小僧の神様」の有名な場面である。

▼大正時代の小僧さんのような気分を、買い物のさいに味わっている人も少なくあるまい。この春の消費税アップにともない外税表示が認められるようになったため、ときとして会計の段になって往生するのだ。1980円か、こりゃあ値ごろだな……と千円札を2枚出してお釣りを待っていたら「138円足りませんっ」。

▼「外税を知らずにレジで天仰ぐ」「値札見て『込み』か『抜き』かと目をこらす」。神戸元町商店街が先月、消費税をテーマに募集した川柳にもこんな作品が並んだ。レジでいきなり8%を加算されたときの負担感はなかなかのもので、増税をいやでも意識するはめになる。ここにきての消費伸び悩みの一因かもしれない。

▼わずかな差でも「イチキュッパ」に引かれるのが人の世だ。なのにつれない外税表示だが、再増税のあかつきには内税表示に戻ると言われても「10%」が頭に浮かんでこれまた心乱れよう。かの小僧はやがて鮨(すし)をたらふく食べさせてくれる紳士に出会う。消費を盛り上げるそういう「神様」はどんな政策か、企業の知恵か。
「一つ六銭だよ」。屋台のすし屋のあるじに言われて、仙吉はつまみかけた鮪(まぐろ)のにぎりを元に戻す。ふところには4銭きり  :日本経済新聞

2014年9月24日水曜日

2014-09-24

平安期の遺跡で出土した土器片に残る平仮名が、ひじきに見えてくる我が身が情けない。

2014/9/24付

 「君からのメールがなくていまこころ〔………〕より暗し」(笹公人)。さて、カッコのなかにはどんな言葉が入るでしょう。歌人の栗木京子さんが若い人向けに書いた著書「短歌をつくろう」で、こんな練習問題を出している。比喩の面白さを分かってもらうためだ。

▼答えは「平安京の闇」。きらびやかな都の底知れない暗さが「メールの来ない絶望感を示すにはうってつけ」と栗木さんは感心しきりなのだが、闇のなか、わずかな明かりの下でしたためたのだろうか。平安期の遺跡で出土した土器片に残る平仮名が、字の稽古で古今和歌集の一首を写したものだという新説が発表された。

▼切れ切れでこれまで解読できなかった字の連なりは、詠(よ)み人知らずの「幾世しもあらじ我が身をなぞもかく海人(あま)の刈る藻に思ひ乱るる」と読めるそうだ。意味は「ずっとは生きられぬ私なのになぜ漁師が刈る海藻のように心が乱れるのだろう」。なにゆえの心の乱れか、平安人はそれを海藻のゆらめきにたとえたのである。

▼もちろん土器片をどんなに眺めたって素人にはチンプンカンプン。うまい下手も分かりはしない。で、思い出したことがある。落語家、柳家小三治師が「ひじきをばらまいたような字」と言って笑わせた高座である。どんな字をたとえたかはご想像に任せるとしても、土器片の墨跡がひじきに見えてくる我が身が情けない。
「君からのメールがなくていまこころ〔………〕より暗し」(笹公人)。さて、カッコのなかにはどんな言葉が入るでしょう。歌人の  :日本経済新聞

2014-09-23

共犯犯行の密告者への刑の軽減策は冤罪を生む可能性があるので、制度作りを見守りたい。

2014/9/23付

 03・3581・5599――。このファクス番号を聞いただけで、ピクリと反応してしまう企業関係者もおられるのではないだろうか。設置されている場所は東京・霞が関にある公正取引委員会の審査局。談合にかかわった企業が「自首」するための専用回線である。

▼不正に加わった企業がみな口をつぐみ続ければ、談合そのものが発覚しないかもしれない。だがこのファクスで最初に自白をした会社は刑事告発を免れ、課徴金も全額免除される。迷っているうちに、ほかの企業が申し出て公取の調べが一気に進むと、自社の立場は不利になる。まさに囚人のジレンマの構図に陥るわけだ。

▼これに似た形の司法取引が、刑事事件の捜査にも導入されることになった。たとえば容疑者が共犯者の犯行について話す見返りに、自分の刑をまけてもらう。そんな仕組みになる。密告は日本になじまないとの声もあるが、公取にはファクスを置いたその日から企業の自首が相次いだ。同じ効果が期待できるかもしれない。

▼むしろ心配なのは、他人に罪をなすりつけ、自分が助かろうとする容疑者に乗せられはしないかという点であろう。人の弱みや心の隙を巧みに突く犯罪者より、捜査側の方が取引上手である保証はない。新しい仕組みを設けたために新しい冤罪が生まれたのでは、元も子もなくなる。制度作りの作業をじっくり見守りたい。
03・3581・5599――。このファクス番号を聞いただけで、ピクリと反応してしまう企業関係者もおられるのではないだろう  :日本経済新聞

2014年9月22日月曜日

2014-09-22

打つ手のない大企業病のソニーは、まず初心に帰って復活への意気込みを見せて欲しい。

2014/9/22付

 復興への意気込みは格別だった。戦後、「人間宣言」した昭和天皇は精力的に被災地や生産現場を訪問して、国民と共に歩む姿勢を示した。先に公表された「昭和天皇実録」には、「今後は平和の基礎の上に新日本建設に力を尽くしたい」という言葉が記録されている。

▼昭和37年に天皇が視察したのがソニーの工場だった。世界最小、最軽量のテレビの試作品を見た。当時社長の井深大は「身を乗り出すようにして小さなテレビの絵をご覧いただいた」(「私の履歴書」)と述懐している。極秘の新製品で「まだ世の中にでていませんから」と説明、のち「天皇に口止め」と話題になった。

▼同社は独創的な製品を次々に開発して世界企業に成長した。が、いま創業以来の危機にあえぐ。伝統のテレビが売れない。活路を開こうとしたスマートフォン事業でも躓(つまず)いた。今期の赤字予想を500億円から2300億円に下方修正し無配に転落する。中国など海外勢の台頭に押されっぱなしで、打つ手が見つからない。

▼ソニーの前身は、新兵器を開発していた技術者が戦後、設立した。技術をたよりに日本再建につながる製品の開発に全力を注ごう。会社が大きくなり組織が膨らんで、その初心を忘れたのではないか。井深は早くから「大企業病」の弊害を社内に警告していた。まず初心に帰る。そこから復活への意気込みを見せてほしい。
復興への意気込みは格別だった。戦後、「人間宣言」した昭和天皇は精力的に被災地や生産現場を訪問して、国民と共に歩む姿勢を示  :日本経済新聞

2014年9月21日日曜日

2014-09-21

不気味に膨張するイスラム国との戦いは、私達の社会の中の虚しさという魔物との戦いだ。

2014/9/21付

 その支配地域をあらわす地図を見ると、かれらの活動はアメーバのごとく変幻自在、まさに筋金入りのゲリラ組織であることがわかる。それが版図を急速に拡大して国家を名乗り、無法の限りを尽くしてやまない。「イスラム国」――いま世界で最も危険な存在だろう。

▼イラクとシリアにまたがる広大な「国」は何を企て、どこへ向かうのか。残虐行為と恐怖支配はこれまでの過激派にも通じる所業だが、軍事力や統治能力はひときわ高度だという。そして何よりも戦慄すべきは外国からおびただしい数の戦闘員を集めていることだ。1万人を超すそのなかには多数の欧米人も含まれている。

▼スケールは違うが、オウム真理教を思い起こさずにいられない。教祖の妄念は国家転覆のもくろみを生み、教団にたくさんの若者が吸い寄せられた。不遇をかこつ人々だけではなく、多くのエリートが罠(わな)にはまったのである。みんな現実社会の「虚(むな)しさ」からの解放を求めていたと、宗教学者の島田裕巳氏は分析している。

▼「イスラム国」に走る欧米の若者にも、中流以上の家庭の出身者は少なくないようだ。退屈な日常、閉塞感、孤独……。誰もがさいなまれる、そんな「虚しさ」を過激思想は巧みにすくい取っていくのだろうか。不気味に膨張するその「国」との戦いは、じつはわたしたちの社会のなかの魔物との戦いであるかもしれない。
その支配地域をあらわす地図を見ると、かれらの活動はアメーバのごとく変幻自在、まさに筋金入りのゲリラ組織であることがわかる  :日本経済新聞

2014年9月20日土曜日

2014-09-20

ゴルフ発祥の地スコットランド分裂の平和的解決は、自身と戦うゴルフの奥深さに通ずる。

2014/9/20付

 記録で確認できる限りでは、日本人が初めてゴルフをしたのは1896年のことだそうだ。場所はロンドンのロイヤル・ブラックヒース・ゴルフクラブ。「世界で最も古い」という説もある、名門クラブだ。試みにサイトを開くと「1608年設立」の文字が目に入る。

▼このゴルフ場を生んだのは2つの王朝が交錯する歴史的な出来事だった。1603年にイングランドの女王エリザベス1世が亡くなったとき、あとを継ぐべき子はいなかった。お鉢が回ってきたのが、スコットランド王のジェームズ6世。長年いがみあっていた両国は、このときから1人の君主の下に収まることになった。

▼夏坂健さんがのこしたエッセーによると、ロンドンに引っ越したジェームズは故郷から人を呼んで、7ホールのコースを王立公園のなかに造らせた。これが400年を超えるブラックヒースの歴史の始まりという。そしてまた、スコットランド人の楽しみだったゴルフが世界的なスポーツへと脱皮する、出発点ともなった。

▼スコットランドとイングランドが合併して1つの「連合王国」となるのは、さらに100年ほど後のこと。このときも事態は平和的に進んだ。おととい、およそ300年ぶりの分裂をかけた住民投票も平和のうちに終わった。自分との闘いこそが問われるゴルフの奥深さに、どこか通じるような。そんな感想をふと抱いた。
記録で確認できる限りでは、日本人が初めてゴルフをしたのは1896年のことだそうだ。場所はロンドンのロイヤル・ブラックヒー  :日本経済新聞

2014年9月19日金曜日

2014-09-19

養殖量制限でなく自然界に返す量を増やし、ニホンウナギを次の世代に残したい。

2014/9/19付

 少々まやかしの匂いがする。日本、中国、台湾、韓国がニホンウナギを保護するため、養殖に使う稚魚シラスウナギの量を来年はことしより2割減らすことで合意したというニュースに、そんな感想を持った。身辺とみに騒がしいわがニホンウナギの将来が心配である。

▼ことしのシラスは5年ぶりの豊漁だった。日本では去年の3倍も捕れた。だから、養殖に使う量を来年2割減らしたところで何のルールもなかった去年よりずっと多い。来年どれくらい捕れるかはだれにも分からないのだが、目いっぱい捕って規制の上限に達しない、つまりは合意に意味がなくなる可能性も高いのである。

▼親に卵を産ませるところから始まるのとは違い、ウナギの養殖はシラスを自然界から取り上げて始まる。グアム近くの太平洋で生まれた卵は少しずつ成長しながら何千キロも離れた日本、中国などの沿岸にたどり着く。そのシラスのうち人が頂戴すると養殖に回り、捕まらなければ自然界に生きて次の世代を育むことになる。

▼かつて江戸の通人は、同じ天然ものでも何月はお台場で捕れたの、何月は江戸川の落ちウナギに限る、などとありがたがったそうだ。その酔狂は望むべくもないが、いまはがまんしてでも次の世代にかば焼きの香りと味ぐらいは伝えたい。相手は絶滅危惧種のレッテルつきだ。もう少し自然界の取り分を増やした方がいい。
少々まやかしの匂いがする。日本、中国、台湾、韓国がニホンウナギを保護するため、養殖に使う稚魚シラスウナギの量を来年はこと  :日本経済新聞

2014年9月18日木曜日

2014-09-18

批判のある南極海の捕鯨を見直し、地域沿岸の捕鯨補充で鯨食文化を守るべきだ。

2014/9/18付

 きょうのおすすめは? 客が尋ねるとカウンターのなかの店主が待ってましたとばかり「アジにブリに、それにクジラだね。うまいよ!」。さきごろ九州は長崎のすし屋で、こんな場面に出くわした。こちらも尾の身のにぎりなど食してみれば、なるほどこれはうまい!

▼聞けばこのあたりではかつて沿岸捕鯨が盛んで、それが途絶えたいまも鯨食文化はしぶとく生き残っているそうだ。現代の日本人はクジラなど見向きもしなくなった――とよく言われるが、列島のあちこちにはクジラを食べる習わしが細々とだが根付いている。宮城県の鮎川や千葉県の和田などはいまも沿岸捕鯨の基地だ。

▼そういう鯨食文化をあたまから否定する反捕鯨国の独善は困ったものである。しかしだからといって、国際司法裁判所から中止命令を受けた南極海での調査捕鯨になおこだわるのが現実的な作戦かどうか……。スロベニアで開催中の国際捕鯨委員会(IWC)で、調査捕鯨継続を訴える日本は批判の矢面に立たされている。

▼ここはやり方を考え直してもいい。遠い南極海での捕鯨に固執するより、地域に密着した、伝統的な沿岸捕鯨の拡充をはかったほうが理にかなっていはしまいか。かの長崎のすし屋ではないけれど、昔からクジラを食べてきた土地では調理法だって相当なものなのだ。守るべきは捕鯨国のメンツではなく、鯨食文化である。

2014年9月17日水曜日

2014-09-17

スコットランド独立の国民投票結果はどうなるのか、不安でもあり応援したくもある。

2014/9/17付

 空港の列に並ぶ人々の手に、それぞれの国のパスポートが見える。日本国なら漢字で3文字。英字でもJAPANの5文字で簡単だが、やたら小さな活字で長い国の名もある。代表は英国だろう。正式名称は「グレートブリテンおよび北アイルランド連合王国」という。

▼日本語では「英国」「イギリス」とひとくくりに呼ぶが、本来はスコットランドやウェールズはイングランドとは別の国である。民族意識が異なるのに、つい同一視してしまい、イングランド人ではない英国人にムッとされた経験はないだろうか。古くはケルトの流れを継ぐスコットランドが住民投票で独立の賛否を問う。

▼俳優のショーン・コネリーさんは、祖国の独立を熱烈に願うスコットランド人である。英語に独特のなまりがあるが、決してイングランド風に直そうとはしなかった。そのため映画「007」では、コネリーさんの発音に合わせて脚本をつくり、役柄のジェームズ・ボンドの方をスコットランド系という設定にしたそうだ。

▼連合王国(UK)という名の上着をまとい、時には欧州連合(EU)のコートも羽織る。衣装は何枚あっても構わないが、嫌いな服を着せられるのは気分が悪い。「中身はこの私だ」と叫んで脱ぎ捨てたくもなろう。スコットランド人はどちらの道を選ぶのか。不安でもあり応援したくもある。戸惑いながら投票を見守る。
空港の列に並ぶ人々の手に、それぞれの国のパスポートが見える。日本国なら漢字で3文字。英字でもJAPANの5文字で簡単だが  :日本経済新聞

2014年9月15日月曜日

2014-09-15

2025年には高齢者を労働力として活用する計画なので、年を取っても楽はできなそうだ。

2014/9/15付

 ややこしい話だが、きょうは「敬老の日」であり、「老人の日」である。以前は9月15日=敬老の日だった。それが祝日を土日とくっつけて3連休にするハッピーマンデー制度の採用により、2003年からは毎年9月の第3月曜日に変更された。ここから複雑になる。

▼歴史ある日を動かすとは何ごとか、などと変更には反対する声が強かった。そこで敬老の日とは別に、9月15日を老人の日として新たに指定する妥協策がとられた。祝日ではないが、15日はこれまで通りお年寄りのことを思う日として残されたのである。今年はたまたま第3月曜日が15日だったため、この2つが重なった。

▼老人の日は高齢者に自覚を求めてもいる。法律には「老人に対し生活の向上に努める意欲を促す」との定めがある。たとえば高齢者になっても、仕事やボランティアで活躍し続けることが、素晴らしい人生の一つであるのは間違いなかろう。だがよき生き方を周囲から「促され」れば、抵抗を覚える人がいるかもしれない。

▼2つの日が次に重なるのは2025年だという。この年には団塊の世代がみな後期高齢者となる。医療費や介護費が膨れあがるため「2025年問題」と呼ばれる、まさにその年にあたる。経済の活性化に向けて政府は、高齢者を労働力として活用していく計画らしい。年をとるのもなかなか大変だということになろうか。
ややこしい話だが、きょうは「敬老の日」であり、「老人の日」である。以前は9月15日=敬老の日だった。それが祝日を土日とく  :日本経済新聞

2014年9月14日日曜日

2014-09-14

過去へ希望を持つ事は愚かではあるが、それでも歴史の歩みは他になかったのか問いたい。

2014/9/14付

 きょうは3連休の中日。旅先でお読みの方も多いかもしれない。交通網の発達で、いまは遠方でもあまり時間をかけずに旅ができる。しかし時間そのものをさかのぼることは夢物語だ。もし昔に戻れたなら何をするだろう。自分の失敗を消すか、それとも誰かを救うか。

▼若い男が過去のある瞬間に繰り返し飛ばされてしまう。そんな場面を最近、日本の若者が創った演劇で見た。舞台は米ニューヨーク。行き先は2001年9月11日、世界貿易センタービルがテロに襲われる直前だ。この事件で亡くなった父の命を救おうと、男はビルへ急ぐ。迫る悲劇を前に、あの手この手で外へ誘うのだ。

▼何度試みても運命は変わらない。男の焦る気持ちやもどかしさが観客の心を揺さぶる。ついにまもなく起こる事件を予言してしまうが、父は一笑に付す。航空機の自爆テロなど想像できるはずもなかったからだ。現実にビルで働いていた人々も、きっとそうだったろう。日本の私たちも目を疑った。あの事件から13年たつ。

▼不測の事態を警戒する中、今年も遺族が追悼式に集い、オバマ大統領はテロとの戦いの再開を宣言した。「過去に向けられたる希望は凡(すべ)て痴である」とは哲学者・阿部次郎の言葉だが、それでも歴史の歩みは他にもなかったか問いたくなる。国と民族を問わず、不意に失われた命のそれぞれに愛(いと)おしむ人がいたはずなのに。
きょうは3連休の中日。旅先でお読みの方も多いかもしれない。交通網の発達で、いまは遠方でもあまり時間をかけずに旅ができる。  :日本経済新聞

2014年9月13日土曜日

2014-09-13

スコットランド独立投票結果次第で生じる、金融市場混乱や世界を巻込む急変を防ぎたい。

2014/9/13付

 猫の命日である。名前はないが日本一有名な「吾輩(わがはい)」のモデルだった。神経衰弱の気晴らしにと書いた文章が大評判になり、小説家・夏目漱石が誕生する。恩義を感じてか、書斎裏の桜の樹の下に埋めた。小さな墓標の裏に「この下に稲妻起こる宵あらん」と句を記した。

▼英国留学中も、ひどい心の病に悩んだ。ロンドンで自転車に乗る練習をし、息抜きの旅にも出かけた。山に囲まれた静かな町、秋の日に染まる大地と林に、ほっとした。一切を忘れた。よほど、愉快だったのだろう。のちに、「ピトロクリの谷は秋の真下にある」と書き出す小品「昔」で、その明るい風景を回想している。

▼町のあるスコットランドは1707年、イングランドと合併し英国の一部となった。欧州で最も遅れた極貧の地で、生き残りの最後の手段だった。「経済学の祖」スミスはこの地域出身で、合併を徹底して支持した。時代遅れの貴族の圧政を打ち砕いたとみたからだという(ジェイムズ・バカン「真説アダム・スミス」)。

▼18日、地域が再独立を問い、投票を行う。北海油田があれば自立できるとの思惑もあるらしい。独立派が勝つ可能性があり、首相が説得に奔走している。結果次第では英経済への打撃、通貨急落や金融市場の混乱を招く恐れもある。漱石はポンド高、物価高に苦しんだ。世界を波乱に巻き込む稲妻のような急変は防ぎたい。
猫の命日である。名前はないが日本一有名な「吾輩(わがはい)」のモデルだった。神経衰弱の気晴らしにと書いた文章が大評判にな  :日本経済新聞

2014年9月12日金曜日

2014-09-12

福島第一原発事故当時の感情が混じった調書から、事故の真の姿を再現するのは難事だ。

2014/9/12付

 言葉を会得するということは、自分の周囲にふつふつと沸き立っている無数にして無限の、無秩序な連続体に、言葉で切れ目を入れるということなのです――。井上ひさしの「本の運命」の一節である。えたいの知れない素材をさばく包丁に、言葉をたとえればいいか。

▼言葉にうるさかった井上さんは続けた。「切れ目を入れることで世界を整理整頓し、世界を解釈するわけですね。言葉なしでは世界に立ち向かうことができない」。その通りだ。しかしまた、切れ目の入った世界はもはや世界そのものではない、とも言える。包丁でさばいたものが往々にして原形をとどめていないように。

▼政府の福島第1原発事故調査・検証委員会が関係者から集めた調書のうち、19人分が公開された。故吉田昌郎第1原発所長のほか、菅直人首相、枝野幸男官房長官ら時の政府の中心人物が、ふつふつと沸き立って無秩序のふちにあった世界に切れ目を入れた言葉の束である。そうした世界に立ち向かった人々の記録である。

▼と同時に、調書とはそれぞれの解釈の結果でもある。思い込みや功名心、一時の感情の高ぶり、保身の情も紛れ込んだかもしれない。皿の上の料理から食材の姿を思い浮かべるのが簡単ではないように、証言だけから原発事故の真の姿を再現することはできないだろう。言葉の束にまた言葉で切れ目を入れる。難事である。
言葉を会得するということは、自分の周囲にふつふつと沸き立っている無数にして無限の、無秩序な連続体に、言葉で切れ目を入れる  :日本経済新聞

2014年9月11日木曜日

2014-09-11

企業の努力だけでなく政府も明るい未来を提示し、増税後の消費者心理を解消して欲しい。

2014/9/11付

 「これで足りないはずはないでしょう」。高級スーパーで、レジ台に置いた何枚かのお札を前に、高齢の女性が若い店員に抗議する光景を見た。商品は数本のワイン。以前も購入したからおよその値段は知っている。手に取りながら暗算もしたので間違いはないという。

▼店員がすまなそうに説明した。円安で輸入価格が上がったこと。店頭の価格表示を消費税抜きに変えたこと。納得し、気まずそうに追加のお金を取り出しながら女性はこう言った。「ずいぶん高くなったのね」。買い物は楽しくできてこそ財布のひもが緩む。この店を女性が再び訪れ、好きなワインを買うか心配になった。

▼税込みが義務だった店頭の価格表示が、今回の増税で税抜きでもいいことになった。個々の商品の値上がり感が薄まるだろうと小売店は期待したが、客にすれば支払時に総額の8%が一気に上乗せされる。円安もある。生活コストの上昇を体感する人が増えたのか、消費者心理が4カ月ぶりに悪化したと内閣府は発表した。

▼増税は必要だと思っている人も、日々の出費がかさめば面白くない。無印良品は分かりやすい税込み表示を続け、セブン&アイグループはコンビニ弁当やレストランのメニューを一新し増税色を打ち消した。ただしこうした企業の工夫にも限界がある。経済を成長軌道に乗せ、明るい未来を見せることが最大の対策となる。
「これで足りないはずはないでしょう」。高級スーパーで、レジ台に置いた何枚かのお札を前に、高齢の女性が若い店員に抗議する光  :日本経済新聞

2014年9月10日水曜日

2014-09-10

錦織選手を全米オープン決勝まで導いたチャン氏は、自らの功績を選手に語らないだろう。

2014/9/10付

 48時間一度も「あのころは」って言わなかったら、好きな店でディナーをおごってもいいよ――。選手にそうクギを刺されたという話を、テニスコーチのブラッド・ギルバート氏が書いている。現役としても一流だった彼は、思い出を口にせずにはいられなかったのだ。

▼テニスのトッププロは個別に専属コーチを雇っている。だからコーチにおごったりもするのだが、先輩風に鼻白みながらも勝つためには経験も教わりたい。そんな選手の心情にこたえるコーチも容易ではない。その仕事には世界の頂点に立ったことのあるかつての名選手がつく、というのがいまのテニス界の流れだという。

▼全米オープンの決勝を戦った錦織圭選手のコーチも、四大大会の1つの全仏オープンを25年前、17歳で制したマイケル・チャン氏である。その大会では、素人のような緩いサーブを打ったり常識外れの位置で構えたりして格上の相手を挑発し、「そうまでして勝ちたいのか」と騒がれたことも古いファンならご記憶だろう。

▼錦織選手は頂点には一歩届かなかったが、勝つための方策をたたき込まれたこと、コーチを信頼していることは映像からも伝わってきた。ギルバート氏は反省し、ホテルのドアの内側に「『あのころは』と言わないこと!」と紙を貼ったそうだ。チャン氏は「あのころは」を連発したりしまい、とこれは勝手な想像である。
48時間一度も「あのころは」って言わなかったら、好きな店でディナーをおごってもいいよ――。選手にそうクギを刺されたという  :日本経済新聞

2014年9月9日火曜日

2014-09-09

歴史事実から教訓を得ることは大事だが、事実不足の昭和天皇実録からは何が学べるのか。

2014/9/9付

 数ある中国の歴史書のなかで、11世紀に北宋で完成した「資治通鑑(しじつがん)」は評価が高いもののひとつだ。歴史の記述方法としては、帝王や臣下の業績を中心にまとめる紀伝体が定着していた。これに対して編さん者の司馬光は、年月の順を追って史実を記す編年体を採った。

▼古代から世の中はどのようにして乱れては治まってきたのか。歴史に学ぼうとしない風潮を憂えた司馬光は、政治はどうあるべきか、事実を示して考えさせようとしたという。公表された「昭和天皇実録」も編年体で書かれている。私たちは何を学べるだろうか。たとえば1931年9月に勃発した満州事変をみてみよう。

▼日中両軍が衝突したとの報が入ってから、天皇は若槻礼次郎首相らに再三にわたり、事態が拡大しないよう努力を求めた。だが陸軍の動きは止まらず、戦線は広がるばかり。後に天皇は満州事変で、戦争がなかなか途中でやめられぬことを知ったと語っている。始まったら戦争の制御は容易でない。私たちにとって教訓だ。

▼昭和天皇実録にはマッカーサーとの会見内容が物足りないという声や、他の文献に出ている肝心な事実が抜けているとの指摘がある。昭和の時代から教訓をつかみ取るには、この大部の資料だけに寄りかからない態度もいるようだ。資治通鑑は文字通り、為政上の「鑑(かがみ)」とたたえられた。実録はどんな評価を得るだろうか。
数ある中国の歴史書のなかで、11世紀に北宋で完成した「資治(しじ)通鑑(つがん)」は評価が高いもののひとつだ。歴史の記述  :日本経済新聞

2014年9月8日月曜日

2014-09-08

今夜の十五夜は、多様な文化や交流を生んだ珈琲を片手に、風雅を味わってみてはどうか。

2014/9/8付

 江戸の狂歌師、大田蜀山人は月を愛した。なにかにつけて、眺めては詩を詠んだ。仲間70人を集めて、5日連続の宴を張ったこともある。のちに、百人一首「月みればちぢに物こそかなしけれ」(大江千里)のパロディー「月みればちぢに芋こそ喰いたけれ」も作った。

▼本業は幕府の実直な役人だった。大阪の銅座や長崎奉行所にも転勤した。長崎には、英彦山から上る月を詠んだ歌碑も残る。外国船が近海に現れ始めたころで、ロシアの特使レザノフと会見している。オランダ船でコーヒーを飲み、日本初の体験記を残した。ただ、感想は「焦げ臭くして味ふるに堪ず」と素っ気なかった。

▼ここまでの浸透は夢想もしなかっただろう。いまや日本は世界4位の消費国。年40万トン以上を輸入、週に平均10杯以上飲む。明治以降、誕生した街の喫茶店が長く普及の核だった。音楽喫茶などの多様な文化も生んだ。最近はコンビニなどに押され気味だが、学生や勤め人の情報交換、人々の社交の場を提供し続けている。

▼モントリオール世界映画祭で審査員特別グランプリを受けた映画「ふしぎな岬の物語」は喫茶店が舞台。吉永小百合さん演じる店主が入れる1杯を求め人が集う。交流がやがて驚きのドラマを生む。蜀山人も観月の集いの効力をよく知っていた。今夜は十五夜。カップを手に「中秋の名月」の風雅を味わってみてはいかが。
江戸の狂歌師、大田蜀山人は月を愛した。なにかにつけて、眺めては詩を詠んだ。仲間70人を集めて、5日連続の宴を張ったことも  :日本経済新聞

2014年9月7日日曜日

2014-09-07

マグロ乱獲規制の国際交渉で、日本は幼魚捕獲半減策を提案し議論をまとめあげ奮闘した。

2014/9/7付

 日本がバブル景気に沸いていたころに、取材でオーストラリア北東部のケアンズを訪れた。タクシーに乗ると、こちらが日本人だと気づいたドライバーがこう問いかけてきた。「近ごろ日本人がコアラを次々と持ち帰っているようだが、あれもサシミにして食べるのか」

▼コアラが各地の動物園で飼育されるようになって、当時の日本ではコアラブームが続いていた。だがもちろん食べたりはしない。意地の悪いコアラジョークの裏には、日本の捕鯨に対する反感があるようだった。日本人が世界中のクジラをとり尽くして、食べてしまうのではないか。本気でそう心配しているようにみえた。

▼いまあのドライバーに再び会えば、心配の種はさらに増えているかもしれない。その大半が日本人の胃袋に収まっている太平洋クロマグロの問題である。幼魚の乱獲によって、成魚の資源量が過去最低の水準に近づいているという。そこで資源を管理する国際機関が、幼魚の漁獲枠をこれまでの半分に減らすことを決めた。

▼この程度では手ぬるいとの指摘もある。とはいえ半減策は日本が提案し、議論をまとめ上げたものだ。国際交渉では自らの考えを説明しきれずに、不利な立場に追い込まれてしまうことが少なくない。マグロの乱獲規制で日本は奮闘したといえるのではないか。結果的に「悪役」となった、捕鯨の二の舞いは演じたくない。
日本がバブル景気に沸いていたころに、取材でオーストラリア北東部のケアンズを訪れた。タクシーに乗ると、こちらが日本人だと気  :日本経済新聞

2014年9月6日土曜日

2014-09-06

危機的状況でも慢心のアルゼンチンは、世界経済の現実に気づかなければ破綻しかねない。

2014/9/6付

 デフォルト騒動に揺れるアルゼンチンを訪ねる機会があった。預金者が銀行に長蛇の列をつくり、デモ行進と失業者が街中にあふれ、ブエノスアイレスは緊迫に包まれている……。そんな光景を想像して身構えていたが、真実はその逆だった。実にのどかな空気である。

▼ところ変われば、善悪の物差しも変わる。この国では貪欲な米国のハゲタカ・ファンドが悪者で、自分たちは被害者である。債務不履行?冗談じゃない。債務再編に応じた93%の債権者には、きちっと返済しているではないか。ゴネ得で一獲千金を狙う連中など懲らしめてやるべきだ。当局者からそんな答えが返ってきた。

▼その誇り高きタンゴの国で、新種の恐竜の化石が見つかった。ゾウ12頭分という大きさに、研究者は腰を抜かしたという。地球上で動物がどこまで巨大になりうるのか。既成概念を塗り替えるほどの発見だそうだ。8千万年前の太古の地上では生を謳歌したが、環境の変化で洪水が起こり、泥沼にはまって絶滅したらしい。

▼洗練された文化と世界一おいしいとされる牛肉。豊かな穀物に恵まれ、シェールガスまである。鎖国しても生存できるという余裕なのか。アルゼンチンは外からの批判を気にする風でもない。デフォルト騒動が収束したとしても、世界経済の現実に気づかなければ、化石が発見された巨大恐竜と同じ運命をたどりかねない。

2014年9月5日金曜日

2014-09-05

池上彰のコラム掲載拒否と、それに対する記者の不満公表には、メディアの危うさがある。

2014/9/5付

 そこにいた記者のほとんど全部がウオツカなどで酔っ払っていた。酔い泣きに泣いている者までいた。さほど酔っていない記者が説明してくれたという。「プラハの特派員がこの侵入と弾圧はよくない、と打電してきているのに、その正反対を書かねばならないからだ」

▼「酔ってでもなければ、そんなことは書けない」。1968年、チェコスロバキアの民主化の動き「プラハの春」をソ連が戦車で蹂躙(じゅうりん)したあと、モスクワでソ連共産党機関紙プラウダの編集局を深夜ひそかに訪ねたときの光景を、作家の堀田善衛が書き残している。党機関紙であっても記者の心根に変わりはないと知った。

▼朝日新聞が一度は掲載を拒んだジャーナリスト池上彰さんのコラムを、「判断は適切でなかった」という謝罪とともにきのう載せた。その間、朝日の記者たちがインターネット上に実名で意見を公にしている。「掲載拒否」に「はらわたが煮えくりかえる」、掲載後は「拒否した理由がますます分からない」というふうに。

▼慰安婦報道に対する朝日の検証を、池上さんは「遅きに失した」「謝罪もすべきだ」と批判した。しかし朝日を侮辱しているようには読めない。なのに、なぜ記者の心根とかけ離れた方針になったのか。記者の不満が紙面以外のどこかに噴き出すのはいいことなのか。民主主義の国だってメディアは危うさをはらんでいる。
そこにいた記者のほとんど全部がウオツカなどで酔っ払っていた。酔い泣きに泣いている者までいた。さほど酔っていない記者が説明  :日本経済新聞

2014年9月4日木曜日

2014-09-04

第二次安倍内閣発足での内閣改造と役員人事は物足りないが、今後待ち受ける仕事は重い。

2014/9/4付  2012年12月26日に発足してから617日。きのうの改造まで、第2次安倍晋三内閣の顔ぶれは一人も変わることがなかった。今の憲法の下では最長の記録だという。首相はじめ閣僚たちの努力のたまものか。はたまた、野党があまりにだらしない、というべきか。 ▼閣僚の交代というと、見苦しい事情による例が近年は少なくなかった。思慮を欠いた失言や不祥事を追及されたあげく、詰め腹を切らされたり、自ら身を引いたり。第1次安倍内閣でも不祥事に起因する閣僚の入れ替えが相次いだ。その反省を踏まえ、第2次安倍内閣の閣僚たちは防御能力を高めてきたのかもしれない。 ▼戦前には、もっと長く閣僚が固定していることもあった。首相官邸のホームページを開いて歴代内閣の欄をみると、1898年11月に発足した第2次山県有朋内閣は、2年近く後に総辞職するまで。第2次桂太郎内閣では1908年7月の発足まもなく外相が代わったが、その後はほぼ3年にわたって同じ顔ぶれだった。 ▼第2次山県内閣で焦点の一つとなったのは、日清戦争で悪化した財政を立て直すための増税だった。第2次桂内閣では、減税が焦点となった。そして第2次安倍内閣は、消費税率を再び上げるかどうかを問われている。ふたを開けてみると物足りない気分も覚える改造と自民党役員人事だったが、待ち受ける仕事は重い。

2014年9月3日水曜日

2014-09-03

蚊による感染症により死者を伴う流行を繰り返した歴史があるので、その怖さを忘れるな。

2014/9/3付

 人類の全歴史を通じ、蚊は偉大な指導者を倒し、軍隊を滅ぼし、国の運命を左右してきた――。米国の感染症研究者、アンドリュー・スピールマン氏らが著書「蚊 ウイルスの運び屋」でこう警告している。あの小さな虫はバイオテロ並みの脅威をもたらすというのだ。

▼マラリアや日本脳炎などさまざまな感染症が世界に与えてきたダメージを思えば、決して大げさな指摘ではないだろう。その病原体を口移しで運ぶ蚊との戦いに人類は明け暮れ、いまも果てることがない。太平洋戦争のとき、ガダルカナルや東部ニューギニアで日本軍将兵をさいなんだのは飢餓とともにマラリアであった。

▼東京の代々木公園が感染場所とみられるデング熱患者の多発は、蚊をめぐるそんな危難をあらためて思い起こさせる出来事だ。もともと海外で感染し、帰国後に発症する人が珍しくはないこの病気である。条件さえそろえば国内で広がるのも驚きではないという。ヒトの移動の活発化は感染症を予想もつかぬ地域へと運ぶ。

▼デング熱は重症になることは少ないし、こんどの感染はごく限定的なようだ。とはいえこの病気に限らず、蚊による感染症の怖さは心にとめておいたほうがいい。かつてアフリカなどではやっていた西ナイル熱は1999年に突如として米国に上陸した。それ以後、死者をともなう流行を繰り返すようになった現実もある。

2014年9月2日火曜日

2014-09-02

かつて敵対していたドイツが、ポーランドの西欧仲間入りを後押ししていることは意外だ。

2014/9/2付

 欧州連合(EU)の多数決は各国が1票ずつを投じるわけではない。最も多いのが独仏伊英4カ国の29票、少ないのはマルタの3票。加盟28カ国をあわせると352票になり、そのうち260票で「可決」というのが一応の決まりだ。ではポーランドの持ち分は何票か。

▼答えはスペインと同じ27。人口3800万とはいってもドイツの8200万と比べれば半分に満たず、10年前にEUに入った新参の旧社会主義国である。その割に票の持ち分が優遇されているのだが、今度はトゥスク・ポーランド首相(57)が次のEU大統領に決まった。東欧出身者が初めて就くEUの主要ポストである。

▼折しも、ドイツが西からポーランドに侵攻して第2次世界大戦が始まったのは75年前のきのう9月1日のことだ。東側からは旧ソ連が攻め込み、密約を結んでいた独ソ両国が領土を分け合って占領した。ポーランドはヨーロッパで最も徹底的に破壊された国であり、当然、ドイツ憎し、ソ連(ロシア)憎しの感情は根強い。

▼曲折はあっても対独関係はよくなっている。ざっくりいえば、西欧の仲間入りをドイツが応援したからだ。票の優遇はドイツの後ろ盾あってだし、トゥスク新大統領もメルケル独首相が推したという。ポーランドはドイツとソ連が一度は本気で潰しにかかった国である。その国の首相がEUを代表する。小さな話ではない。
欧州連合(EU)の多数決は各国が1票ずつを投じるわけではない。  :日本経済新聞

2014年9月1日月曜日

2014-09-01

震災体験の継承ほど大切なものはないので、被災者の体験談を記録し継承していくべきだ。

2014/9/1付

 関東大震災から50年の節目は昭和48年、第1次石油ショックの年だった。すでに大正時代は遠い昔である。それでも惨禍を知る人はたくさん生きていて、新聞やテレビには生々しい体験談があまた登場した。このころまでは、関東大震災はじかに語り継がれていたのだ。

▼しかし歳月は流れ、記憶を持つ人は急速に減っていく。今年もその日がめぐってきたのだが体験者はいよいよ数少ない。大正12年9月1日は土曜日で仕事は半ドン、学校は始業式で子どもたちも早く帰ってくるからみんなで昼食を食べるはずだった。朝から風の強い日で……。そんな語りだしをもう聞くこともなくなった。

▼激しい揺れが襲った午前11時58分は、だから多くの家庭が火を使っている最中だった。しかも折あしく台風による強風が吹き、被害が一気に広がった事実を往年の体験談はよく教えている。命からがら避難した陸軍被服廠跡で4万人近くが亡くなった悲劇も、実際に接した人々の話はまさにこの世の地獄を知らしめていた。

▼体験の継承ほど大切なものはない。しかしそれを重ねていくのはとても難しい。東日本大震災だって、やがては社会の共通体験ではなくなるだろう。風化を防ぐのは記録である。91年前の災厄でさえ、いまも新たな証言や映像が現れてわたしたちに教訓をもたらすのだ。記憶のすごみと記録の力。継承のための武器である。
関東大震災から50年の節目は昭和48年、第1次石油ショックの年だった。すでに大正時代は遠い昔である。それでも惨禍を知る人  :日本経済新聞