2014年11月30日日曜日

2014-11-30

富士日記の様な自身の為に書いた日記が、世に出て他人の胸を打つから日記は不思議だ。

2014/11/30付

 「おれと代るがわるメモしよう。それならつけるか?」。武田泰淳は妻にこう持ちかけ、山荘での暮らしを記録させるようになったという。のちに出版され評判を呼ぶ「富士日記」誕生の経緯である。この日記で、泰淳没後にもうひとりの作家・武田百合子は出現した。

▼師走を控え、文具店などに目立つのは来年の手帳やカレンダー、それに日記帳だ。来年こそはと意気込んでもどうせ三日坊主、とは限るまい。こうして綴(つづ)られていく日記のなかにはその人にとって生涯の糧となるものがあろう。さらには世に知られ時代の貴重な記録として、文学として、輝きを放つ述懐もあるに違いない。

▼荷風に山田風太郎、古川ロッパ……。読み出したら止まらぬ日記は多い。しかし市井の人による言葉にも味があり、近刊の「五十嵐日記」など昭和30年代の東京の空気や生活者の哀歓が行間から立ちのぼる。山形から上京して神田の古書店で働いていた青年の記録だが、そこに焼きついた「戦後」の、なんと健気(けなげ)なことか。

▼ただ自身の心覚えに書いたのに、不意に世間に出て他人の胸を打つこともあるから日記とは不思議な存在だ。かの「富士日記」も、聖書のような布張りの日記帳が押し入れの隅の段ボール箱に眠っていたという。刻まれては埋もれていくさまざまな人生、知られざる事実。その膨大さも思わせてやまぬ日記帳の風景である。
「おれと代るがわるメモしよう。それならつけるか?」。武田泰淳は妻にこう持ちかけ、山荘での暮らしを記録させるようになったと  :日本経済新聞

2014年11月29日土曜日

2014-11-29

各部分が自分で動いて問題を解く粘菌の賢さに学び、地方分権による地方活性化を進めろ。

2014/11/29付

 民俗学者、南方熊楠(みなかたくまぐす)は絵が得意だった。幼時から「和漢三才図会」などを写して学んだ。先日、見つかったハガキにも味のある自画像があった。右手に空の財布を持ち、左手を差し出す。博覧強記で「歩く百科事典」と称された碩学(せきがく)は、実にユーモアあふれる人だった。

▼昭和4年、紀伊半島を訪れた昭和天皇に進講した。生物学に造詣の深い天皇は、予定時間を超えて聞き入った。このとき、熊楠は大きなキャラメルの箱に入れて標本を献上した。中身は生涯をかけて採集研究してきた粘菌だった。落ち葉の下にいる身近な生物で動物のように動き回る。かと思うと植物のような姿に変わる。

▼驚いたことに謎の生物は脳も神経もないが、迷路の最短経路を見いだす。地図上で実際の鉄道と似た路線を作る。この発見でイグ・ノーベル賞を受賞した中垣俊之・北大教授は「原始的な知性」があるとみる。脳のような中央からの指令によらず、分散した各部分が自分で動いて問題を解く賢さがあるという(「粘菌」)。

▼地方分権の動きをみていると、その賢さに学びたくなる。地方活性化のかけ声は繰り返されてきたが、実効が上がらない。権限委譲や規制緩和も一向に進まない。これまでの失敗から学んでいないからではないか。ちなみに、熊楠が「大宇宙を包蔵する」と絶賛した粘菌には、単細胞ながら記憶や学習の萌芽(ほうが)もあるそうだ。
民俗学者、南方熊楠(みなかたくまぐす)は絵が得意だった。幼時から「和漢三才図会」などを写して学んだ。先日、見つかったハガ  :日本経済新聞

2014年11月28日金曜日

2014-11-28

英語同時通訳の故国弘の様な学ぶ側の度胸や出会いこそが、人を本物の勉強に向かわせる。

2014/11/28付

 戦争中、英語を使いたくてたまらない14歳の中学生が神戸にいた。意を決して捕虜収容所を訪ねると、柵の向こうの「赤鬼青鬼みたいなやつばかり」の中の小柄で柔和そうな若者がほほ笑んできた。少年は話しかけた。What is your country? (あなたの国は?)

▼いまの中学生ならWhere are you from? と言うだろうが、そんなことは知らない。と、捕虜はさらに笑って一言、Scotland.(スコットランド)。「通じたッ」。少年は欣喜雀躍(きんきじゃくやく)、叫びながら家へ走った。運命の不思議か。英語にとりつかれた少年は長じて同時通訳の名手になる。その国弘正雄さんが84歳で死去した。

▼先ごろ、文部科学省が英語教育を見直す方針を出した。小学校3年で教え始め、中学は授業を英語で行い、高校で討論できるレベルを目指すという。幾ばくか効き目はあろう。ただ、英語に限らないだろうが、学ぶ側の度胸やふとした出会いこそが人を本物の勉強に向かわせる。国弘さんの思い出話に、そう思うのである。

▼私事だが、中学時代に国弘さんの本を読んで手紙を書いた。「いまどんな勉強をすればいいでしょうか」。返事を頂いた。「覚えるまでひたすら教科書を音読しなさい」。そうあって、一度お目にかかりましょう、と続いていた。残念、お訪ねする度胸がなかった。結果、捕虜に会った少年と大差がついた。やむを得ない。
戦争中、英語を使いたくてたまらない14歳の中学生が神戸にいた。意を決して捕虜収容所を訪ねると、柵の向こうの「赤鬼青鬼みた  :日本経済新聞

2014年11月27日木曜日

2014-11-27

違憲状態でも改革をサボる政治家の面の皮は厚みを増し、もはや鉄面皮と化している。

2014/11/27付

 「面の皮の千枚張り」という言葉がある。ひどく厚かましい人をこう呼ぶわけだが、政治家のみなさんは面の皮をどれほど張り重ねておられよう。相手が最高裁でもヘッチャラらしいから何千枚か、いや何万枚か。「1票の格差」の抜本是正を怠る先生方のことである。

▼最大4.77倍だった昨年の参院選の格差について、きのう最高裁は違憲状態との判断を示した。2010年の参院選につづく、司法からのぎりぎりの警告である。こういう展開を予期して、さすがに一時は与野党の話し合いが始まっていたのだが自民党は途中でするりと身をかわした。改革派の座長更迭劇は記憶に新しい。

▼衆院のほうも面の皮は相当なものだ。2年前の総選挙のとき、自民党総裁として安倍さんは身を削る改革を請け負った。ところが圧勝した後に実現させたのは「0増5減」の弥縫(びほう)策だけである。こちらも最高裁から違憲状態の指弾を受けたままだ。それでいて踏み切った解散には政策うんぬん以前の疑わしさがつきまとう。

▼どうせ選挙無効になんかできっこない。議員が改革をサボるのは、司法をそう見くびっているからでもあろう。こんども高裁レベルでは踏み込んだ判断もあったのだが、最高裁は違憲状態にとどめた。かくて面の皮は厚みを増し、もはや鉄面皮と化しているかもしれない。堪忍袋の緒を切らせようと挑んでいるのだろうか。
「面の皮の千枚張り」という言葉がある。ひどく厚かましい人をこう呼ぶわけだが、政治家のみなさんは面の皮をどれほど張り重ねて  :日本経済新聞

2014年11月26日水曜日

2014-11-26

タカタ製エアバッグ欠陥問題はその場の空気に支配されるようであれば解決への道は遠い。

2014/11/26付

 すべてのものに名前があるとは限らない。30年以上前、言語学者の千野栄一教授が大学の講義でこんな例をあげていた。ビスケットが壊れないように缶の中に入っている。並んだ透明な気泡を指でつぶすと、気持ちのいい音がする。あの詰め物には、呼び名がない――。

▼いまではプチプチという名前がおなじみになった。シェア5割の川上産業の登録商標で一般名は気泡緩衝シート。つぶすとストレス解消や老化防止効果があるともいわれ、専用商品もある。気体の詰まった袋が、ぶつかったときの衝撃を吸収する。この仕組みを空気ばねと呼び、車のエアバッグにも同じ原理が働いている。

▼タカタ製エアバッグの欠陥問題は深刻だ。10年ほど前に生産した装置が、破裂し乗員を傷つける恐れがある。米国では死者も出た。世界で1千万台を超える車がリコール(回収・無償修理)対象になっている。なのに、対策が後手続きで、米議会が厳しく批判した。はたして会社に当事者能力があるのか疑う声さえ上がる。

▼空気ばねは気体の長所を生かす。だが、やっかいな空気もある。評論家の山本七平が「『空気』の研究」で指摘している。その場の空気に支配されて無謀な決定をする。あとから原因を追及しても、どこにも当事者が見つからない。結局、うやむやになる。製造企業にそんな空気があるとすれば解決への道は限りなく遠い。
すべてのものに名前があるとは限らない。30年以上前、言語学者の千野栄一教授が大学の講義でこんな例をあげていた。ビスケット  :日本経済新聞

2014年11月25日火曜日

2014-11-25

突然の解散が悪影響を及ぼすこと無く、北朝鮮との拉致問題交渉が実を結ぶことを祈る。

2014/11/25付

 ヤマイモの葉の付け根にできる球状の芽を零余子(むかご)という。ゆでたり煎ったりして、昔はよく食卓にものぼった。この零余子のコードネームで呼ばれる極秘作戦を、24年前に警視庁が進めていた。狙いは北朝鮮の非合法活動。拉致事件の解明につながるとの期待もあった。

▼いずれ土の中の「イモ」を掘り出せる。そんな思いとは裏腹に、作戦は立ち消えになった。ほどなくして国会議員団が北朝鮮を訪問する。真相は不明だが、当時を知る警察の幹部は「訪朝を前にした捜査は許されなかった。政治に翻弄された」と悔しがった。完全に選挙モードとなった永田町を見て、この話を思い出した。

▼どんな結果が出るとしても、公示、投票、組閣と、政治の空白は年末まで続く。「政治が解決する」「最優先の課題だ」と力説してきた拉致交渉への影響が気にかかる。ようやく再調査に重い腰を上げた北朝鮮は、その後も、のらりくらりといった印象である。突然の解散が、さらに時間稼ぎをする口実を与えはしないか。

▼新潟市内で、当時中学1年生だった横田めぐみさんが拉致されたのは、37年前の11月のことだ。下校途中の、家までわずかという場所である。連れ去られた現場に立てば、日本海から冷たい風が吹いてくる。この海の向こうに、助けを待つ人たちがきっといるはずだ。今度こそ交渉が進展して、大きな実を結ぶことを祈る。
ヤマイモの葉の付け根にできる球状の芽を零余子(むかご)という。ゆでたり煎ったりして、昔はよく食卓にものぼった。この零余子  :日本経済新聞

2014年11月24日月曜日

2014-11-24

大人になるに連れ低下する学生の平均読書冊数の改善を、向上心を削がぬよう手伝いたい。

2014/11/24付

 「2冊目の本とうまく出合うには、どうしたらいいんだろう」。そんな悩みを抱えている高校生が案外多いことを書籍編集者の石井伸介さん(50)が知ったのは、今から2年前。東日本大震災の被災地で、高校生に将来の夢などを取材しているときの雑談からだそうだ。

▼学校の課題図書や朝の読書運動などで、気になる1冊と出合う機会はそこそこある。しかしその次に読む本を自分で選ぶ方法がわからないのだという。読書の習慣を身につける絶好の機会が、これでは芽のまましぼんでしまう。何とかしたいと思い、本との出合い方をガイドする「次の本へ」(苦楽堂編)を先日出版した。

▼作家や経営者、学者など84人が本を2冊ずつ推薦している。ある本を読んだ後、どういうふうに関連した本にたどり着いたかのエッセー付きだ。同じ著者の別の作品。人気漫画と、そのテーマをより掘り下げた新書。ある企業の破綻を別々の視点で分析した本。図書館で職員に薦められて……。千差万別なところが面白い。

▼全国学校図書館協議会などの今年の調査をみると、1か月間の平均読書冊数は小学生11.4冊、中学生3.9冊、高校生1.6冊。小中学生は10年余りでほぼ倍増したが、高校生は足踏みが続く。子供向けの本を卒業し、大人と並んで本を選び始める時に戸惑うのか。向上心をそがぬよう、大人たちはしっかり手伝いたい。
「2冊目の本とうまく出合うには、どうしたらいいんだろう」。そんな悩みを抱えている高校生が案外多いことを書籍編集者の石井伸  :日本経済新聞

2014年11月23日日曜日

2014-11-23

人工光合成の実用化は難航しており光合成を終えた落ち葉を見ると自然の奥深さを感じる。

2014/11/23付

 海藻や植物プランクトンなどを称して藻類という。そのレベルに人間がやっと追いついたというニュースに、あらためて自然の知恵の深さを知った。太陽光と水と二酸化炭素(CO2)を使って糖などのエネルギーを生み出す光合成の新技術を、東芝が開発したという。

▼この人工光合成によって光のエネルギーを燃料エネルギーに変える効率が世界最高の1.5%で、藻類に匹敵するそうだ。これまではパナソニックの0.3%が最高だったというから大きな一歩である。これを10%にまで高め、2020年には実用化を目指すという。植物が当たり前に営む光合成をまねる長い道程である。

▼4年前にノーベル化学賞を受けた根岸英一さんが、人工光合成は化学者の最優先テーマだと繰り返していたのを思い出す。無尽蔵の太陽光と温暖化の悪役CO2が元手なのだ。資源不足も環境悪化も解決できる。難しくても植物はもうやっている。ノーベル賞も2つや3つはとれる。若者を鼓舞する根岸さんは軒高だった。

▼きのうが二十四節気の小雪。北からはすでに白の便りだが、東京では光合成の大役を終えた葉が色づき、舞っている。彼らの営みの効率は生きた環境で大きく変わるから簡単にはいえないらしい。歩道を埋め、大きな袋に詰まってごみ収集所に集まった落ち葉一枚一枚に人がまだ解けぬ謎がひそむ。つくづく自然は奥深い。
海藻や植物プランクトンなどを称して藻類という。そのレベルに人間がやっと追いついたというニュースに、あらためて自然の知恵の  :日本経済新聞

2014年11月22日土曜日

2014-11-22

期待が冷め始めている安倍政権に、今度の解散・総選挙で有権者はどんな審判を下すのか。

2014/11/22付

 人間の脳は楽観主義なのだそうだ。米ニューヨーク大学の研究によれば、過去の幸福な記憶よりも未来に起こることの方を「明るい」と思う人が多かった。脳は未来の幸福な出来事を想像した時に最も活性化するという(クリス・バーディック著「『期待』の科学」)。

▼明日への期待が持てれば、人の行動も変わってくる。そう仕向けることが安倍晋三政権の経済政策、アベノミクスの柱の一つだ。大胆な金融緩和でデフレ脱却へのムードを盛り上げる。株高を演出して給料が増える期待を高め、個人消費を押し上げる。そんなシナリオは脳科学の研究成果も参考にしているのかもしれない。

▼衆院が解散になり、事実上の選挙戦が始まった。この2年のアベノミクスを有権者はどう評価するだろう。最初は大企業が潤い、水が滴り落ちるように中小企業にも恩恵が及ぶという筋書きだった。ところが下請け企業などからは、こちらは蚊帳の外だという声が聞こえてくる。「期待」が冷め始めているようにもみえる。

▼こんどの解散・総選挙に疑問を持つ人も少なくあるまい。明確な説明がまだない小渕優子前経済産業相らの政治資金問題は、リセットされてしまうのか。企業に女性社員の育成や登用を促す法案の成立も先送りされた。期待が高い時ほど裏切られた時の落胆は大きいものだ。有権者は安倍政権にどんな審判を下すだろうか。
人間の脳は楽観主義なのだそうだ。米ニューヨーク大学の研究によれば、過去の幸福な記憶よりも未来に起こることの方を「明るい」  :日本経済新聞

2014年11月21日金曜日

2014-11-21

有権者に何を問うのか目的が曖昧な唐突な衆院解散に、国民は驚いてばかりもいられない。

2014/11/21付

 中島みゆきさんに「紫の桜」という曲がある。南半球の大陸や南洋の島で咲くジャカランダの樹に、大切な思いを託する心情を歌い上げる。~忘れてしまえることは忘れてしまえ。忘れきれないものばかり、桜のもとに横たわれ。抱きしめて眠らせて、彼岸へ帰せ……。

▼安倍晋三首相が外遊の最後に訪れた豪州のブリスベンは、その紫色であふれていた。日本人と桜に似て、この国ではジャカランダが新しい季節の到来を告げる。学期末の試験が始まり、その後に太陽の夏と年末休暇がやって来る。豪州で沈黙を守った首相も、胸中では変化の嵐を起こすボタンに指をかけていたに違いない。

▼きょう首相が衆院を解散する。政治家は慌ただしく全国に散り、地元の一票を懇願して街頭で叫び始める。けれども演説で、いったい何を訴えるのだろう。何を有権者に問う戦いなのだろう。吹き荒れる旋風のその先に、たしかに実を結ぶ政策が待っているのか。国民の幸せを願う真心が、政治の側からは伝わってこない。

▼時をリセットするように咲き誇るジャカランダの大木を撮った。迫力のない一枚になってしまった。淡い紫色が青空に溶け、焦点がぼけているのだ。歌はこう続く。~別れを告げて消えてゆくものはない。思いがけないことばかり。残されることが生きること――。思いがけない選挙に、国民は驚いてばかりもいられない。
中島みゆきさんに「紫の桜」という曲がある。南半球の大陸や南洋の島で咲くジャカランダの樹に、大切な思いを託する心情を歌い上  :日本経済新聞

2014年11月20日木曜日

2014-11-20

消費税税率引き上げ延期で、目前の政治態勢再建を急ぐあまり、後の利を失った。

2014/11/20付

 昔、宋の国に多くの猿を養っている人がいた。急に貧しくなり、餌のドングリを減らすことにした。朝三、夕四でと猿に言うと立ち上がって怒る。では、朝四、夕三ならどうかと聞くと、みな伏して喜んだ。目先の違いにとらわれるのを笑う「朝三暮四(ちょうさんぼし)」の故事である。

▼数は同じだから、満足も同じ。人間は一日を通して考えるし、先々も想定する。だから、猿と違って、ごまかされない。利益が得られるように計算して、合理的に行動する。将来に備えてお金をため、生涯の収入を考えながら使う。目先の収入の増減には、強い影響は受けない。かつて経済学はそんな人物像を描いていた。

▼現実は違う。先を見越していたはずが、ローン破産や借金苦に陥る人もいる。最新の経済学は、実験でその行動を確かめ始めている。せっかちな人は、来月の1万円より明日の5千円を選ぶ。足元の小利に目を奪われ、後の大利を失う。後悔先に立たず。不利なことは後回しにしがち。そうした感情も経済を動かしている。

▼消費税の税率引き上げ延期が決まった。景気回復が遅れ、デフレ脱却が危ういからという。アベノミクスが順調なら事情は違った。成長と財政再建、社会保障の充実を同時に追うのは難しい。それより目前の政治態勢の再建を急ぎたい。そんな心理が働いたとすれば、後に得られるはずの大きな利を失ったのかもしれない。
昔、宋の国に多くの猿を養っている人がいた。急に貧しくなり、餌のドングリを減らすことにした。朝三、夕四でと猿に言うと立ち上  :日本経済新聞

2014年11月19日水曜日

2014-11-19

60年の映画人生を生き抜いた高倉健死去による喪失感はファンの胸に日増しに募るだろう。

2014/11/19付

 古い映画を見ていると、思わぬ俳優が思わぬ役で出てくる。高倉健さんなどその典型で、若いころは明るく爽やかなサラリーマンだったり、美空ひばりさんの軽いお相手だったりした。のちの「死んでもらいます」の気配はなく、しかし目の鋭さで健さんとわかるのだ。

▼あとから思えばアウトローにぴったりの面差しなのだが、東映ニューフェースで登場しただけに長い回り道をたどったわけである。世の理不尽に耐えに耐えたあげく敵陣に切り込んでいく、というストイシズムを鮮やかに体現できたのはそういう苦労のたまものだったかもしれない。あの寡黙にはさまざまな言葉があった。

▼60年に及ぶ映画人生を生き抜いた、われらの健さんが亡くなった。任侠(にんきょう)ものを離れてからは年々また新たな風格をたたえ、この人の名を知らぬ日本人はいないだろう。「駅」「居酒屋兆治」「あ・うん」「鉄道員(ぽっぽや)」……。そこに登場する孤高の男は、役を抜け出して高倉健そのものでもあったのだ。スターというほかない。

▼出演作は205本にのぼるという。日本映画の全盛期にデビューし、斜陽の時代にも気を吐き、80歳を超えても演じ続けた人が消えた喪失感はファンの胸に日増しに募ろう。スクリーンの健さんに揺さぶられ、映画館を出てもしばらくはその気分で街を歩いた――。それは昭和のいつかであったが、昨日のような気がする。
古い映画を見ていると、思わぬ俳優が思わぬ役で出てくる。高倉健さんなどその典型で、若いころは明るく爽やかなサラリーマンだっ  :日本経済新聞

2014年11月18日火曜日

2014-11-18

追風だった安倍政権への民意は解散による景気対策や成長戦略の対応遅れで逆風に転じた。

2014/11/18付

 先週、北京での国際会議から帰国した甘利明経済財政・再生相は、永田町に吹く解散風の激しさを次のように評した。「成田に着いたら景色が変わっていた」。きのう、足かけ9日に及んだ外遊から戻った安倍晋三首相は、別の意味で景色の変化を感じたのではないか。

▼7~9月期の国内総生産(GDP)が前の期に比べ実質で年率1.6%のマイナスに落ち込んだ。サプライズ。ショック。まさかの……。名うてのエコノミストたちが想定外の数字だと口をそろえた。事前の予想では2%程度のプラス成長になるとの見方が多く、マイナスを見込んだ人はいなかったという。確かに衝撃だ。

▼消費税率の再引き上げを先送りしたい安倍首相にとっては追い風だ、との声がある。その半面、衆院を解散して国民の信を問う必要はなくなった、という声も。そういえば、消費増税を定める法律は「経済状況」によっては停止する可能性を明記している。それを踏まえて増税を延期すれば済む話、とみる人もいるだろう。

▼解散となれば政策の実行が足踏みするのは避けがたい。ただでさえ「師走の忙しいときに」といった反発は小さくない。それより景気対策や成長戦略に全力を、との機運が高まるようだと、安倍政権には痛手だろう。首相が外遊しているうちに急速に発展した解散風は、順風が強くなりすぎて逆風に転じたようにもみえる。
先週、北京での国際会議から帰国した甘利明経済財政・再生相は、永田町に吹く解散風の激しさを次のように評した。「成田に着いた  :日本経済新聞

2014年11月17日月曜日

2014-11-17

来月の衆議院戦後は、景気回復が実感できるよう実質賃金を上げ人々の懐を温めて欲しい。

2014/11/17付

 大隈重信を推す声もあれば、平民宰相・原敬はどうかという意見もあったという。いや聖徳太子には留任してもらわねばと交代に慎重な考えも出て人事は相当もつれたそうだ。旧大蔵省での、そんな議論を経て決まったのが福沢諭吉だった。一万円札の肖像の話である。

▼ちょうど30年前の11月に、福沢諭吉の一万円札は世に現れた。バブルを体験し、金融危機に見舞われ、リーマン・ショックに苦しめられたこの30年を福沢さんは国民とともにくぐり抜けてきたわけだ。2004年に千円札の夏目漱石や五千円札の新渡戸稲造が引退したときにも続投となり、いまやその存在感は揺るぎない。

▼肖像を彫った旧大蔵省印刷局の工芸官、押切勝造さんに話を聞いたことがある。聖徳太子や伊藤博文も手がけ、名人と呼ばれた人だが諭吉にはつくづく泣かされたそうだ。「ヒゲのない平面的な顔立ちだから肉付けが難しい。線の組み立てにもてこずりましたね」。神経をやられて胃潰瘍が悪化し、胃を半分切ったという。

▼かくも難産の末に生まれた「顔」だが、目下のアベノミクスに思いは複雑かもしれない。みんなが景気回復を実感するには遠く、実質賃金は上がらず、人々のふところをなかなか温められないのだ。来月は衆院選だというが、さてその先は……。財布の中にひとり、ふたり。もっと仲間を、とぼやく30歳の福沢さんだろう。
大隈重信を推す声もあれば、平民宰相・原敬はどうかという意見もあったという。いや聖徳太子には留任してもらわねばと交代に慎重  :日本経済新聞

2014年11月16日日曜日

2014-11-16

少子化に伴う子供の声による騒音問題は、住民と保育所の双方で何とか折り合ってほしい。

2014/11/16付

 季節はずれになるが、怪談について裏話をひとつ。「体験談」を作ることが仕事だった人の話では、やはりコツが必要だという。たとえば、いくつか役に立つアイテムがある。髪の毛、動く影、水の音、黒猫。話に怖さが足りないと、こうした小道具を織り込むらしい。

▼そのなかで意外だったのが、「子どもの声」だ。恐怖とは対極のように思うが、確かに真夜中、人けのないところで突然子どもの声を聞けば、ゾッとするかもしれない。では、「日中の住宅地に響き渡る子どもの歓声」はどう感じるだろうか。保育所の子どもの声に対する近隣からの苦情が、いま大きな問題になっている。

▼少子化で子どもに接する機会が減ったため、耳慣れない子どもの声が騒音に聞こえる。そんな指摘もされている。だとすれば、なんとも皮肉な話である。施設側は子どもが外で遊ぶ時間を限ったり、敷地を高い塀で囲んだりと、知恵を絞る。それでも建設の取りやめや、住民が裁判を起こすという例まで起きているようだ。

▼近隣の人たちの気持ちもわかる。保育所を迷惑施設にすることなく、双方で何とか折り合ってほしいと願うばかりだ。町から1つまた1つと保育所や幼稚園が消え、どこからも子どもの声がしなくなる。そんな怪談はご免である。きょうは138年前、日本に初めて幼稚園ができたことを記念する「幼稚園の日」だそうだ。
季節はずれになるが、怪談について裏話をひとつ。「体験談」を作ることが仕事だった人の話では、やはりコツが必要だという。たと  :日本経済新聞

2014年11月15日土曜日

2014-11-15

大学教授の怠業率の改善に伴う学生の私語増加は、両者にとって窮屈な方に歩んでいる。

2014/11/15付

 大学の教壇に立った経験のある会社員や研究者が集まると、共通して話題に出るのは私語の多さだ。講演会などで内容に関心がわかなくても、勝手におしゃべりを始める大人は、まずいない。こっそり舟をこぐだけだ。学生は違う。時に遠慮なく私語が飛び交い始める。

▼昔の大学には授業中の私語はほぼなかった。その理由を教育社会学者の竹内洋氏が随筆で考察している。進学者が少数のエリートだった。勤勉や忍耐が美徳だった。それだけではないはずだと考えた竹内氏は、大正時代の「東京帝国大学法学部教授授業怠業時間一覧」という資料を見つける。当時の学生が集めたデータだ。

▼対象は高名な教授ばかり9人。休講、遅刻、早引けをすべて記録し、授業をすべき時間から引いていく。結果をみると、実質的に授業をした時間は規定の40%から60%前後。最も少ない教授はわずか37%だった。「この怠業率の高さが私語なし授業のしかけだったのでは」。竹内氏はユーモアを込めつつまじめに主張する。

▼機会が少なく、しかも短いとなれば、聴く側も真剣になる。「休講はよくない」とされ始めてから私語も増えたと竹内氏は振り返る。近年は学生の要望から出欠を重視し「公平に」成績をつける流れも広がっている。出席率は向上した。私語にも拍車がかかる。教員も学生も、進んで窮屈な方に歩んでいるようにも見える。
大学の教壇に立った経験のある会社員や研究者が集まると、共通して話題に出るのは私語の多さだ。講演会などで内容に関心がわかな  :日本経済新聞

2014年11月14日金曜日

2014-11-14

開高のウイスキーを褒めた有名な一節は、長い時を経ても人の心をとらえるものがある。

2014/11/14付

 美しいスコットランド民謡「ロッホ(湖)・ローモンド」にちなむ「ローモンド」という美しい名のウイスキーが、日本にはあった。なぜか労働組合がつくり、あらかじめ配られた切符で社員だけが買える珍品で、関西の人は「ローやん」と呼ぶならわしだったという。

▼ローやんを日々茶碗(ちゃわん)ですすっていた昭和30年ごろの思い出を開高健が書き残している。彼は寿屋(現サントリー)の宣伝部にいたのだが、ローやんの名一つにも本場への憧れが痛切である。長い時が流れ、英国の名の通ったウイスキーガイドブックがサントリーの逸品を「世界最高」に選んだというニュースが先日あった。

▼選ばれた「山崎シェリーカスク2013」は昨年、欧州向けに1本100ポンド(当時のレートで約1万6千円)で3千本発売した。嗜好品を褒めるのは難しい。「ほとんど言葉にできない非凡さ」「極上の大胆な香り」「豊かで厚みがあってドライで、まるでビリヤードの球のようにまろやか」。講評には美辞が踊っている。

▼開高は夕暮れになるとローやん片手に「ウイスキー用の言葉をタンポポの種子(たね)のように散らすことに従事していた」。種子からは「人間らしくやりたいナ/トリスを飲んで/人間らしくやりたいナ」という有名な一節も育った。長い時が流れ、それでもこのコピーには人の心をとらえるものがある。言葉の不思議だろうか。
美しいスコットランド民謡「ロッホ(湖)・ローモンド」にちなむ「ローモンド」という美しい名のウイスキーが、日本にはあった。  :日本経済新聞

2014年11月13日木曜日

2014-11-13

解散総選挙で圧勝した自民党に政権が移り2年が経過したが、民意に変化はあるのか。

2014/11/13付

 くもり硝子の向うは風の街――と寺尾聰さんがむかし歌った「ルビーの指環」は、別れた恋人への未練が切々と伝わる名曲だった。そして二年の月日が流れ去り 街でベージュのコートを見かけると――。どうやら別離はまだ2年前のことで、ふと記憶が甦(よみがえ)るのだ。

▼遠いような近いような、2年という歳月はそんな微妙な時間の長さだろう。振り返れば一昨年の11月14日、当時の野田佳彦首相は安倍晋三自民党総裁との党首討論でだし抜けに翌々日の解散を口にした。「嘘はつかない」「約束ですね」。あれからあすで2年。にわかに強まる解散風はあのドラマを生々しく思い出させる。

▼ほどなく政権は自民党に移り、アベノミクスで円安株高は進み、怖いものなしの1強支配が続いてきた日々である。それが最近はどうも調子がわるい。ギクシャクが目立つ。そんななかで出てきたのが2年ぶりの解散話だ。消費税の再引き上げは延期して選挙でお墨付きを。そして政権の安定を。思惑は募るばかりらしい。

▼再増税延期はリスクも大きいはずだが、将来の不安はさておき、というのが今回の11月ドラマの勢いだ。安倍自民を圧勝させた民意はこの情景をどう眺めていよう。二年の時が変えたものは 彼のまなざしと私のこの髪――。やはり「2年」を歌った竹内まりやさんの「駅」ではないが、人々のまなざしに転変はありや。
社説・春秋 :日本経済新聞

2014年11月12日水曜日

2014-11-12

頻繁に人里に出没するようになった熊と、新しい環境での共生の工夫するのは人の仕事だ。

2014/11/12付

 突然、虎が躍り出た。2発撃っても平気だ。赤い口、光る目。耳をつんざく咆哮(ほうこう)。飛びかかるとみた瞬間、向きを変えた。そこに放った1発でどうと倒れた。「虎狩りの殿様」と呼ばれた尾張徳川家の19代・元侯爵、徳川義親が「私の履歴書」で武勇談を披露している。

▼大正時代のマレー半島での話である。戦争を機に殺生はやめたが、もとは熊狩りの殿様だった。尾張家は維新後、藩士救済のために、北海道で農場を経営。周辺の熊を撃っていたことで有名になった。農村の生活は厳しく、冬は雪に閉ざされる。木彫り熊を考案し、農閑期の副業として勧めたところ、特産として広がった。

▼その熊がいま頻繁に人里に現れる。全国で出没件数が増え、ここ数年で最多の地域も多い。住宅地や駅周辺でも遭遇する。先日は岐阜で死者も出た。ドングリが不作で餌を求めて下りてくる。山村で過疎化が進み、山林の管理が行き届かなくなった影響が大きい。人と動物のすみかの境界が大移動した可能性もあるらしい。

▼江戸時代、雪国の生活を描いた「北越雪譜」には「熊は和獣の王、猛くして義を知る」とある。木の実を食し、仲間の動物は食べない。田畑を荒らさない。まれにあっても食がないときだけだという。昔からの「義獣」との共存が年々、難しくなっている。新しい環境での共生の道を工夫するのは、人間たちの仕事である。

2014年11月11日火曜日

2014-11-11

日中首脳会談による日中関係改善の成果は、記事見出しのつけにくい微妙な内容である。

2014/11/11付

 「見出しを考えて記事を書け」。若い新聞記者はよくそんなふうに教えられる。そうでないと何がニュースか分からぬ締まりのないものになるからである。ところが、かつて「見出しをつけにくいような原稿を書け」と教える人がいたという。(河谷史夫「記者風伝」)

▼「何事も単純には割り切れるものでなく複雑だから」という理由に、なるほどと思った。さしずめ外交などその最たるもので、それぞれの国が自分の側に都合よく解釈したり説明したりするから複雑さもいや増す。きのうの日中首脳会談に、3年ぶりに両国のトップが差し向かいで会ったという以上の何を見るか、難しい。

▼会談の3日前に発表された合意文書からして曖昧だ。「政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた」の「若干」とは、ほとんど不一致ということか。「対話を徐々に再開」の「徐々に」とはどの程度の速さなのか。そういえば、こうした修飾語を安直に使ってごまかすなというのも新米記者が習うイロハだった。

▼会談前の習近平主席の仏頂面は本心なのか。いや、国内の対日強硬派に向けたポーズが混じっているのかもしれない。会談後に安倍首相が繰り返した「関係改善への第一歩」の言はキーワードではあろうが、第二歩、第三歩を見なければ仲直りが進んだとはいえまい。記事には珍しく小欄に見出しがないのが幸いであった。
「見出しを考えて記事を書け」。若い新聞記者はよくそんなふうに教えられる。そうでないと何がニュースか分からぬ締まりのないも  :日本経済新聞

2014年11月9日日曜日

2014-11-09

増加する認知症の対策は、倫理と利益を兼ね備えた企業の力と熱意を大いに活かしたい。

2014/11/9付

 増える認知症に新ビジネスや新商品で立ち向かう。そんな取り組みをしている企業の事例発表会がおととい都内で開かれた。製薬会社など医療産業だけではない。高齢者と会話するロボットの開発、宅配便会社の見守りサービスと、さまざまな業界が知恵を絞っている。

▼ある不動産会社は、自社が手がける住宅地に学童保育と高齢者用グループホームが同居する施設を建てた。小さな子供を日々身近に見ることで、お年寄りたちが刺激を受け元気になる。また「将来、介護分野で働く若い人が増える。小さいうちから高齢者とふれあっておくのは、子供たちにもプラス」と担当者は説明する。

▼狙いどおり、子供たちはお年寄りたちが過ごす部屋にふだんから出入りし、双方に自然な笑顔が生まれているという。この施設、計画した当初は地元自治体の認可がなかなか下りなかったそうだ。「前例や実績に乏しい」「何か事故があったら」といった理由らしい。開設から7年以上たつが、現実に問題は起きていない。

▼企業の発展には論語と算盤(そろばん)、つまり倫理と利益の両輪が必要だと渋沢栄一は言った。認知症ビジネスも両輪を備えた企業活動だ。使う人の心をくみ、挑戦と修正を繰り返していいものに仕上げるのは企業の得意技。増える認知症に官だけで対処すればコストがかさみ、満足度は下がる。企業の力と熱意を大いに生かしたい。
増える認知症に新ビジネスや新商品で立ち向かう。そんな取り組みをしている企業の事例発表会がおととい都内で開かれた。製薬会社  :日本経済新聞

2014年11月8日土曜日

2014-11-08

地域産業育成や地方移住推進での地域創生は、地方で頑張る人材をどう増やすかが肝心だ。

2014/11/8付

 「観光宮崎の父」と呼ばれるのが大正の末にバス会社の宮崎交通を創業した岩切章太郎だ。遊覧バスを始め、日南海岸にサボテン公園やフェニックスの並木をつくって、新婚旅行客を集めた。今でいえば「地方創生」。原点は少年時代の、新渡戸稲造との出会いだった。

▼農学者、教育者として有名になっていた新渡戸が宮崎を講演に訪れ、岩切少年は学校の先生に許しをもらって聞きに行った。頭に焼きついた話があった。「豆腐は非常に良いたんぱく源だ。日本人がいい体格になるには、もっと豆腐を食べないといけない。私は大学者になるか豆腐屋になるか、一生懸命考えたことがある」

▼あらゆる仕事に意義がある。東京に出ていくばかりが能ではない。地方にいても十分に生きがいを見つけられると思うようになったのは豆腐の話からだったと、岩切は後に振り返っている。遊覧バスの事業ではガイドの説明用の原稿を書き、バスの出発を自分も手を振って見送った。社長自らサービス向上の先頭に立った。

▼政府が地方創生に向けた総合戦略と長期ビジョンの骨子案をまとめた。ビッグデータを活用した地域産業の育成や地方移住の推進などの項目が並ぶが、具体策に乏しい。肝心なのは自分は地方で頑張りたいという人を、どうやって増やしていくかだろう。子供のころの出会いや学びも大事だと、観光宮崎の父は教えている。
「観光宮崎の父」と呼ばれるのが大正の末にバス会社の宮崎交通を創業した岩切章太郎だ。遊覧バスを始め、日南海岸にサボテン公園  :日本経済新聞

2014年11月7日金曜日

2014-11-07

サンゴが中国船に不法に漁られているが、ルールを守れない者にサンゴを採る資格はない。

2014/11/7付

 宝石商の仲間うちでは、淡いピンク色の品を「ぼけ」と呼ぶそうだ。宝石のサンゴには純白から深紅まで無数の色彩がある。なかでも少し透き通ったピンクは、欧州で「天使の肌」にも例えられて珍重される。それなのに「ぼけ」などと、奇妙な名前がついてしまった。

▼極東のはずれの島国で極上のサンゴが採れるという噂を聞きつけて、イタリアの商人が大挙して土佐を訪れたのは明治の初めだった。地中海で採り尽くし、血眼になって世界中を探し回っていたのだろう。できるだけ安く入手して、高く売るために、地元の漁師に「色がぼけている」と難癖をつけては値切っていたらしい。

▼優しいピンクも魅力的だけれど、血の滴を思わせる真っ赤なサンゴには、胸を突き刺すようなすごみがある。暗く深い海の底で、厳しい潮流に耐えた証しに違いない。元から死んでいる鉱物の宝石とは何かが違う。生き物だからこその、ぬくもり。そして孤独……。その物言わぬサンゴが、中国船に不法にあさられている。

▼明治維新と貿易自由化で、日本はサンゴの輸出国となった。「ぼけ」の名を残したイタリア商人は、日本との取引で巨万の富を築いた。その商魂のたくましさは見事と呼ぶべきだろう。彼らは巧みに商売をしただけで、盗みを働いたわけではない。当たり前のルールを守れない者に、大人の宝石サンゴを愛(め)でる資格はない。
宝石商の仲間うちでは、淡いピンク色の品を「ぼけ」と呼ぶそうだ。宝石のサンゴには純白から深紅まで無数の色彩がある。なかでも  :日本経済新聞

2014年11月6日木曜日

2014-11-06

オバマ氏と民主党も中間選挙で赤点をとった、残る2年の任期のオバマ氏の責任は重い。

2014/11/6付

 「中間」という言葉を目にしたり耳にしたりすると、半ば自動的に試験を連想したころがあったように思う。高校生か、あるいは中学生だったろう。「中間選挙」なる言葉になじみ、それが米国の国政レベルの重要な選挙だと理解したのは、ずいぶんたってからだった。

▼中間選挙もテストのようなものか。そう考えるようになったのは、さらに後のことだ。もちろん、連邦議会選などで当落を争う候補者たちにとっては、全霊を傾ける闘いだろう。受験生のような立場に置かれるのは、ときの大統領と政権与党だ。4日に投票のあった今回の選挙ではオバマ大統領と民主党ということになる。

▼そして採点の結果、オバマ大統領も民主党もそろって「赤点」をとったといえるだろう。わけても大統領にとっては厳しい試験だった。ワシントンから届くニュースはその不人気ぶりを繰り返し伝えてきた。6年前、初めて大統領に当選した時のさっそうとした姿を思い浮かべると、政治の世界の転変の激しさを痛感する。

▼改めて振り返れば、中間選挙で「赤点」をとった後になって指導力を発揮し、2年のうちに「及第点」を取り戻した大統領もいる。たとえば、20年前のクリントン大統領がそうだった。残る2年の任期にどう采配を振るうか、オバマ氏の責任は重い。大統領にとっての卒業試験は歴史の審判だとすれば、なおさらのことだ。
「中間」という言葉を目にしたり耳にしたりすると、半ば自動的に試験を連想したころがあったように思う。高校生か、あるいは中学  :日本経済新聞

2014年11月5日水曜日

2014-11-05

患者の意思を尊重し医師が安楽死や尊厳死に関わることは、容易に答えの出せぬ難問だ。

2014/11/5付

 古代ギリシャの医師ヒポクラテスが職業倫理を述べた「誓い」のなかに、安楽死にかかわる一節がある。いわく「医師は何人に請われるとも致死薬を与えず。またかかる指導をせず」。時を超えて、いまでも医療に携わる人々が最高の行動規範とする誓文の言葉は重い。

▼とはいえヒポクラテスが生きた時代から、安楽死の是非は医学や哲学の「解」なきテーマであり続けてきた。死が確実に迫り、耐えがたい苦痛を訴える患者を前に医師が手を下すことは許されないのか? 患者には安らかな死を選び取る自由はないのか? 人々は2000年以上もこの問題に向き合い、なお苦悩している。

▼脳腫瘍で余命わずかと宣告され、自死を予告していた米西部オレゴン州の女性が医師から処方された薬をのんで亡くなった。日本なら医師は自殺ほう助に問われよう。しかしオレゴン州では合法化されて久しく、女性はそれゆえに引っ越してきたという。安楽死を認める州はほかにもあり、欧州ではオランダなども同様だ。

▼ヒポクラテスの教えに背く現実には違いないが、そこには生と死を直視した奥深い議論があったことも疑いない。日本での目下の焦点は今回のようなケースではなく、その手前の、患者の意志に基づき過剰な延命措置を施さない尊厳死の法制化だ。それでも容易に答えを導けぬ難問と、社会はどう格闘したらいいのだろう。
古代ギリシャの医師ヒポクラテスが職業倫理を述べた「誓い」のなかに、安楽死にかかわる一節がある。いわく「医師は何人に請われ  :日本経済新聞

2014年11月4日火曜日

2014-11-04

ユーモア溢れる逸話を持つアンダソンの人柄を知ると、その著者の本も読んでみたくなる。

2014/11/4付

 「ワインズバーグ・オハイオ」と題する連作短編が文庫になっているが、アンダソンというアメリカの作家を知る人は多くないだろう。大正末から昭和にかけ、この作家と日本人との間に交流があった。著作権のなんたるかも定かではなかったであろうころの話である。

▼翻訳にあたって許しを請う手紙を訳者が出すと、アンダソンの返事が来た。「ほかの国からは謝礼をもらっている。自分は貧しいから同じにしてほしいが、そういう慣習がないのなら無理にとはいわない」。日本の版元は結局謝礼を出さなかったが、「かまわない。今後は好きなものを訳してくれ」とアンダソンは言った。

▼逸話は先ごろ、作家・山田稔さんの随想で知った。アンダソンの作品の魅力はチェーホフと比べられるが、読書週間ただ中の3連休、チェーホフを読んだ人はいてもアンダソンを手に取った人があるかどうか。ただ、さまざまな挿話から作者、作品へと関心が進み、お気に入りに巡り合う。それもまた読書の楽しみだろう。

▼話には続きがある。今度は日本から原稿を依頼し、快諾したアンダソンはすぐ送ってくるのだが、頼んだ側は稿料を酒席に使い込んで送金が遅れてしまう。正直に白状してわびる手紙への返事はこうである。「どうか気にしないでほしい。自分もその席につらなりたかった」。こんなことが言える人だ。本も読みたくなる。
「ワインズバーグ・オハイオ」と題する連作短編が文庫になっているが、アンダソンというアメリカの作家を知る人は多くないだろう  :日本経済新聞

2014年11月3日月曜日

2014-11-03

黒田総裁には、なりふり構わない政策でなく、政府成長戦略と企業経営で驚かせてほしい。

2014/11/3付

 証券コード8301。日本銀行にも株価がある。日銀は普通の株式会社ではないので正確にいえば株券ではなく出資証券の値段だが、れっきとした上場銘柄だ。黒田東彦総裁が追加緩和を発表した途端に日経平均株価は跳ね上がったが、日銀の株価には動きはみえない。

▼上場している中央銀行は世界でもまれだ。明治の初期に、必要なおカネを集めるために株式を発行して出資を募ったのが始まりだった。貴族たちは「家宝」として額縁に入れて飾っていたそうだ。いまは資本金1億円の55%を政府、45%を民間が出資している。個人の投資家が多いというが、それが誰なのかは分からない。

▼株主総会はなく、持ち主に議決権もない。配当がとりわけ大きいわけでもない。実にユニークな日銀株だが、その株価は相場全体を映す鏡とも、円の信用を測る目安ともされる。黒田総裁が就任した昨年3月に急騰し、一時は9万円を超えたが、その後は次第に下がっていった。最近は4万9千円前後でうろうろしている。

▼黒田総裁は「できることは何でもやる」とタンカを切った。なりふり構わぬ姿に市場は「そこまでやるか」と感心するか。それとも心配になるか。日銀株が上昇に転じる気配はまだ見えない。中央銀行の独り舞台では、観客はじきに飽きる。次は中身の濃い政府の成長戦略と、価値創造に挑む企業の経営で驚かせてほしい。
証券コード8301。日本銀行にも株価がある。日銀は普通の株式会社ではないので正確にいえば株券ではなく出資証券の値段だが、  :日本経済新聞

2014年11月2日日曜日

2014-11-02

現実社会の圧力が高い日本や香港での、ハロウィンの急速な盛り上がりは納得がいく。

2014/11/2付

 にぎわうだろうとは聞いていたが、これほどとは――。ハロウィーン当日だった一昨日夜、東京・渋谷を訪れた感想だ。ハチ公像のある駅前広場や周辺の歩道が、さまざまに仮装した人たちで埋まっている。人出は6月のサッカーW杯ブラジル大会の時を超えたという。

▼仮装姿のまま電車で来る猛者もいる。繁華街のトイレなどで着替える人も多かった。帰宅時間の迫った制服姿の高校生が、血のりの付いたシャツの上からカーディガンを羽織り、脚の包帯を外して「歩く死体」から「どこにでもいる女子高生」に素早く戻った。いろいろな人が、それぞれの工夫で、盛り上がりに参加した。

▼ハロウィーンだけでなく、毎週のように各地で開かれるコスプレ(仮装)イベントの参加者は女性が多い。時間のある学生が多いイメージだが、社会学者の成実弘至氏の著書「コスプレする社会」によれば、社会人になってからコスプレにはまる女性も多いという。職場などのストレスをいっとき忘れたいのかもしれない。

▼アジアでハロウィーンが盛んなのは香港と日本だそうだ。いずれも現実社会の圧力が高い場所だと、作家のリサ・モートン氏は近著「ハロウィーンの文化誌」で分析する。かつて農村の秋祭りはストレス発散の場でもあった。その代わりがハロウィーンだと考えれば、急速な普及や渋谷の盛り上がりも腑(ふ)に落ちる気がする。
にぎわうだろうとは聞いていたが、これほどとは――。ハロウィーン当日だった一昨日夜、東京・渋谷を訪れた感想だ。ハチ公像のあ  :日本経済新聞

2014年11月1日土曜日

2014-11-01

日本銀行の追加緩和は、裏目に出ればまさかの事態を招く背水の陣だ。

2014/11/1付

 漢の名将韓信が趙(ちょう)軍と戦ったときのことである。有利な山の砦(とりで)から大軍を川辺に下ろした。見ていた敵は大笑いした。逃げ場がなく常識外れの不利な布陣だった。絶体絶命とも見えたが、別動隊が背後に回って、挟み撃ちで勝利する。「背水の陣」のもとになった話だ。

▼韓信の策は予想を裏切った。経済の分野でも当局が意表を突くことがある。想定外の発表があれば、市場関係者の心理に影響を与える。相場も動かす。それまでの予想と最新情報との開きが大きいほど、驚きも大きい。日本銀行の追加緩和もまさかの決定だった。日経平均株価は大幅に上昇し、約7年ぶりの高値をつけた。

▼「物価目標の2%の実現を確かなものにしたい。今が正念場だ」。黒田東彦総裁は発表後の会見で、心理的効果を強調した。これまでも強力な緩和策を進めてきた。それでも消費増税後の消費の落ち込みや原油価格の大幅下落で脱デフレの達成が遠のきかねない。悲観が広がるのを早めに食い止めたいとの思いがにじんだ。

▼市場の不意は突いたが、効果が続くかは不確か。副作用がでない保証はない。超緩和策が市場をゆがめているとの指摘もある。米国の量的緩和の終了でさらに円安が進めば企業への影響も心配だ。妙案も裏目にでれば、まさかの事態を招く。そのときどうするか。打つ手はあまり残っていない。まさに「背水の陣」である。
漢の名将韓信が趙(ちょう)軍と戦ったときのことである。有利な山の砦(とりで)から大軍を川辺に下ろした。見ていた敵は大笑い  :日本経済新聞