2015年1月10日土曜日

2015-01-10

ネット告発での情報拡散防止は、速やかに情報開示し経営の透明性を高めるしか策はない。

2015/1/10付

 異物混入問題で揺れる日本のマクドナルドだが、実は米国でも以前から業績不振に悩んでいる。その米国本社が昨秋、インターネットで思い切ったキャンペーンを始めた。例えばQ&Aコーナーにはこんな質問も。「マクドナルドのビーフにミミズは入っていますか?」

▼もちろん否定し、詳しい生産工程を解説している。牛肉100%だと訴えるため、わざわざ動画も用意した。単なる工場紹介ビデオではない。有名なテレビ司会者とカメラを中に入れ、責任者が顔を出し、実名で、混じり物なしだと説明するのだ。リスクを負っても消費者とコミュニケーションしたい。その熱意は伝わる。

▼企業広報に詳しいコンサルタントの鶴野充茂氏は、この事例を近著で紹介し、経営の透明性を示し信頼を回復するには「そこまでやるか」という徹底さが要ると解説する。挑戦する姿勢こそが、消費者に「この企業を応援したい」という気持ちを起こさせるという。いったん信頼を失った企業は特にそうだと鶴野氏は語る。

▼普通の人たちがネットを通じて、企業にとって都合が悪いことをどんどん指摘し、広める事例が増えてきた。こうした「ネット告発」に対しては、情報を速やかに開示し、経営の透明性を高める以外に策はないと鶴野氏は助言する。ネットの普及が、顧客や社会との新しいかかわり方を企業に求め始めているといえそうだ。
異物混入問題で揺れる日本のマクドナルドだが、実は米国でも以前から業績不振に悩んでいる。その米国本社が昨秋、インターネット  :日本経済新聞

2015年1月9日金曜日

2015-01-09

思想、言論、表現の自由には風土、文化の違いもあれど、銃弾により抑えることは論外だ。

2015/1/9付

 手塚治虫さんは「漫画の神さま」と呼ばれる。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」など膨大な作品が世の中に与えた影響は計り知れない。歴史大作の「陽だまりの樹」や「アドルフに告ぐ」など長編が得意だったが、じつは、1コマ漫画にも並々ならぬ情熱を注いでいた。

▼そこにこそ本来の皮肉や風刺の精神があると考えていた。晩年の随筆で、言論が抑えられていた戦中の作品のつまらなさを回想している。思想、言論、表現が自由な今こそ、もっと大胆奔放、奇想天外で、痛快無比な作品を書かないと損であると指摘して、万人をうならせる質の高い傑作が出現するよう期待を述べていた。

▼フランスの週刊紙の風刺画がテロの標的となった。新聞社の本社に覆面の男たちが押し入って銃を乱射、記者や著名な漫画家ら12人を殺した。イスラム過激派の関与が疑われている。預言者への風刺が許せない。侮辱への報復だという。皮肉や批判がどれほど利いていたのかは想像できないが、あまりに卑劣な凶行である。

▼欧米流は日本人には笑えないものも多い。米紙が原発事故と原爆を同一視した絵を掲載、仏紙が放射能汚染と東京五輪を関連づけた絵を掲げ国際摩擦になったこともある。風土、文化の違いもある。過激な表現は誤解も招く。節度も必要だろう。だが、銃弾による封殺は論外だ。風刺が存在できない世界は真っ暗闇である。
手塚治虫さんは「漫画の神さま」と呼ばれる。「鉄腕アトム」「ジャングル大帝」など膨大な作品が世の中に与えた影響は計り知れな  :日本経済新聞

2015年1月8日木曜日

2015-01-08

宮尾作品で描かれた女性の人間性の深さは、自身の苦い経験を元に作り上げた業を感じる。

2015/1/8付

 作家の宮尾登美子さんが昨年末に88歳で死去していた。「歳月」と題する短いエッセーにこうある。「人間が祖国の敗戦という大きな衝撃を受け、生死の境からようやく這(は)いあがったとき、誰しも自分をたてなおすのに懸命で、人にまで手をさしのべる余裕はなかった」

▼敗戦1年後の9月、満蒙(まんもう)開拓団の一員として渡っていた満州(中国東北部)から引き揚げてきた。20歳というのに骨と皮、頭はシラミだらけ、着衣は麻袋、皮膚にはコケのようにこびりついた垢(あか)。そんな姿だった。エッセーはその44年後、探しあぐねていた満州時代の知人女性の消息が分かったことをつづったものである。

▼小説、あるいは宮尾作品をもとにした芝居、映画、テレビドラマに描かれた女性の名をひとつも記憶しない人は少ないのではないか。出版社の間では「宮尾の井戸は深い」といわれた。本人もたとえ200歳まで生きても書きたいことがある、と語ったそうだから、くめども尽きぬ水脈には自負するものがあったのだろう。

▼井戸の底に、娼妓(しょうぎ)紹介業の家に生まれたことで浴びた冷淡な視線と、満州や引き揚げ後の日本での極限の暮らしがあった。人に明かしたくない話である。しかし、歳月を経て「自分を傷つけずにどうして人の心を打てようか」の境地に至ると、自伝に近い作品を書き連ねた。宮尾登美子の名を思うと「業」の一字が重なる。
作家の宮尾登美子さんが昨年末に88歳で死去していた。「歳月」と題する短いエッセーにこうある。「人間が祖国の敗戦という大き  :日本経済新聞

2015年1月7日水曜日

2015-01-07

日本経済の成長に向け小手先だけの策ではなく、狙いを定めてしっかりと準備をしたい。

2015/1/7付

 ぽつりぽつりと遅れて届いていた年賀状もそろそろ尽きた。テレビ画面や街角から晴れ着姿は消え、携帯に着信する仕事のメールが2通、3通と増えていく。どこか知らない場所で、始動ボタンはもう押されている。加速する時間に追いつこうと焦る自分がここにいる。

▼フィギュアスケートの大会で、解説者がふと漏らしたひと言を思い出す。「ジャンプが成功するかどうかは助走で8割は分かります」。氷から足が離れるその瞬間までの姿勢、速度、角度、そして顔の表情から読み取れる「気」の流れ。目を凝らして回転を数えるまでもなく、華麗に決まる跳躍は、助走のときから美しい。

▼懸命に走る通勤電車を、ほんのわずかな加速の差で新幹線がゆっくり、ゆっくりと抜いていく。空気を切り裂く最高速も迫力があるが、都会を抜け出すまで徐行で悠々と流す勇姿に出会うと、なぜだろう胸がキュンとする。助走する新幹線には「気」が満ちている。さて新しい年に向かう自分はどうか。日本経済はどうか。

▼成長を約束した安倍政権を試すかのように、株価が下がった。とはいえ財政で小手先の策を打とうと焦るのは禁物だろう。ジャンプのポイントを外せば、大切な国のお金が無駄になりかねない。英語にこんな格言がある。「もっと遠くまで跳びたいなら、ちょっと後ろに下がるとよい」。狙いを定めて冷静な助走をしたい。
ぽつりぽつりと遅れて届いていた年賀状もそろそろ尽きた。テレビ画面や街角から晴れ着姿は消え、携帯に着信する仕事のメールが2  :日本経済新聞

2015年1月6日火曜日

2015-01-06

苦難の道を歩んだ先人達の言葉の様に、私達も顔を見ながら語り合い次の世代に伝えたい。

2015/1/6付

 昨年の暮れ、2人の語り部が亡くなった。1人は長崎で被爆した片岡ツヨさん。原爆がもたらす被害の悲惨さを語り続けた。もう1人は女学校当時、沖縄戦にひめゆり学徒隊として動員された宮城喜久子さん。戦後は小学校の教壇に立ちながら、戦争体験を伝えてきた。

▼語り部の人たちの高齢化を止めることはできない。そうわかってはいても、戦後70年を迎えた年の初め、相次いで接した訃報に切迫感のようなものをおぼえる。宮城さんが設立に力を尽くした糸満市のひめゆり平和祈念資料館では、元ひめゆりの学徒が修学旅行生に直接語ってきた講話を、今年3月までで終了するという。

▼苦難の道を歩んだ先人たちの言葉は、書物や映像とはまた違った迫力で、受けとる側の胸に響く。もちろんそれは、70年前の戦争に限った話ではない。水俣病やハンセン病での過ちを繰り返さないためにも、風水害や地震の被害を抑え込むためにも。「聞く」ではなく「聴く」べき話が、まだまだたくさんあるに違いない。

▼思えば日常を生きる私たちにだって、次の世代に語り伝えられる話があるはずだ。ちょっとだけ気持ちを高めて、会社の後輩に自らの奮闘記や失敗談を、家で子どもに若いころの夢や武勇伝を語ってみてはどうだろうか。携帯電話やメールが当たり前の世の中だからこそ、顔を見ながら語り合い、耳を傾け合っていきたい。
昨年の暮れ、2人の語り部が亡くなった。1人は長崎で被爆した片岡ツヨさん。原爆がもたらす被害の悲惨さを語り続けた。もう1人  :日本経済新聞

2015年1月5日月曜日

2015-01-05

羊の字を含む美、善、義の前向きな価値観を表す漢字の様に、改めて自らの生き方を問う。

2015/1/5付

 電話からメール、さらに交流サイト(SNS)と、人と人をつなぐ文明の利器は発展がめざましい。あおりを受けているのが手紙やはがきだ。日本郵便によれば今年の正月用の年賀はがきの発行枚数はおよそ34億。ピークだった2004年用に比べ2割あまりも減った。

▼それでも、心のこもった年賀状を受け取ったときに胸をひたす温(ぬく)もりには、格別なものがある。ささやかな近況報告にほほ笑んだり、忘れていた記憶を呼び起こされて苦笑したり。新しい年に期する決意を記した端正な文章に目を通すと、自分も新たな気持ちになれる気がする。生来の筆無精に自己嫌悪を覚えながらだが。

▼年賀状がなければめったに意識することもないのが、十二支だろう。今年は未(ひつじ)年。どういうわけか「未」という字を用いるのだけれど、要するに羊のこと。それで思い出すのは、生涯を漢字の研究に傾けた白川静さんの分析だ。美。善。義。前向きの価値観をあらわす漢字には、羊の字を含んでいるものが、いくつかある。

▼白川さんによると、漢字の原型ができたころ羊を神事に用いることが多かったからという。訴訟をさばくときなどには、羊を通じて神の判断を仰いでいたらしい。正と邪をわかち、人を導く尊い存在といえるかもしれない。美を追い求め、善をこころがけ、義を重んじる。あらためて自分の生き方を問う、仕事始めである。
電話からメール、さらに交流サイト(SNS)と、人と人をつなぐ文明の利器は発展がめざましい。あおりを受けているのが手紙やは  :日本経済新聞

2015年1月4日日曜日

2015-01-04

ゲーム、アニメ等の分野の地方勢の活躍は、人間らしい生活環境がいい仕事を生む一例か。

2015/1/4付

 帰省も終わり、子供たちは集まったお年玉の使い道に思いを巡らせているころか。有力候補のひとつが、おそらく「妖怪ウォッチ」関連のあれこれだろう。「ゲラゲラポー」に「ようかいのせいなのね」……。アニメの歌に合わせ、家族で踊った家も多いかもしれない。

▼おととしゲームが発売され、昨年のアニメ放映で人気に火がついた。ゲームをつくったのは福岡市の会社だ。東京より生活のストレスが少ない福岡はクリエーター向きだと、社長は本紙の取材に語っている。福岡市などの調査では、地元のゲーム産業で働く人の通勤時間は6割が30分未満。徒歩と自転車が多数派を占める。

▼インターネットが登場したころ、これで東京にいなくても仕事をしやすくなるだろう、と言われた。通信回線の充実などで、期待は現実のものになりつつある。ゲーム、アニメ、デジタル音楽などの分野で近年、地方勢の活躍ぶりがめざましい。福岡では「妖怪ウォッチ」以外にもゲームのヒット作が次々に生まれている。

▼札幌のベンチャー企業が送り出した歌声合成ソフト「初音ミク」。京都のアニメ会社が関西の街をモデルに制作した「けいおん!」「涼宮ハルヒの憂鬱」。いずれも世界でファンを増やし、観光客誘致に一役買った。家が広く時間に余裕があれば子育てもしやすい。人間らしい生活環境こそがいい仕事を生む。その一例か。
帰省も終わり、子供たちは集まったお年玉の使い道に思いを巡らせているころか。有力候補のひとつが、おそらく「妖怪ウォッチ」関  :日本経済新聞

2015年1月3日土曜日

2015-01-03

震災から5年目の今年は、バラバラだった松や人や地域が一層成長することを祈る。

2015/1/3付

 「がおる」と「おがる」。東北でよく使うという方言を、宮城県名取市で海岸の松林をよみがえらせようと活動する人たちに聞いた。がおるはしおれる、おがるは逆に、大きく成長するという意味だ。ふたつの言葉を行ったり来たり、一喜一憂する日々がことしも続く。

▼松林まで行政の手は回らない。人々は震災の翌年、クロマツの種をまいて苗をつくることから始めた。苗は昨年春、はじめて浜辺に植林され今は寒さに耐えている。水はけや養分、防風柵の具合など少しの差で成長が違う。去年は大敵の「蔵王颪(おろし)」が少なく雨は適量だった。運にも恵まれ幼い松は予想以上に元気だという。

▼地元の「海岸林再生の会」を非政府組織が支援する植林は7年がかり。せいぜい50センチほどの松が「湿気(しけ)っぽしい潮風」から生活を守るまでには30年、50年かかる。ボランティアの力も借り、手作業を積み重ねていくしかない。雑草ひとつがときに砂が飛ぶのを防いだりする。だから、潔癖に抜けばいいわけでもないらしい。

▼震災前の忙しさに戻ったという農家がある。まだ浜辺に近づけないという人もいる。それでも、一度はばらばらで話し相手もなくなった人たちが松林再生を目指してまた集い、語らっている。震災から5年めの年が明けた。言葉の使い方が正しいかどうか分からないのだが、松も人も地域も、一層おがることを祈っている。
「がおる」と「おがる」。東北でよく使うという方言を、宮城県名取市で海岸の松林をよみがえらせようと活動する人たちに聞いた。  :日本経済新聞

2015年1月1日木曜日

2015-01-01

戦後から70年を経た元日は、戦時中の過ちや繁栄を手にした記憶をなお胸に刻むのだ。

2015/1/1付

 「運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる」。70年前の元日、のちに人気作家となる医学生の山田風太郎は日記にこう書いた。「祈るらく、祖国のために生き、祖国のために死なんのみ」。敗北の予感は市井に漂い、悲壮な決意を強いて運命の昭和20年は始まった。

▼戦局の険しさは誰の目にも明白だった。大みそかの深夜から、東京の浅草方面はB29に襲われているから正月どころではない。前線の戦いは一段とすさまじく、ルソン島では年明け早々に米軍の猛攻を受ける。しかも補給を断たれた「自活自戦」だ。戦争とは、あの戦争とはそういうものであったと歴史をかえりみて知る。

▼戦後の節目の、新しい年を迎えた。世界には痛苦が満ちているが、わたしたちの国はまずまず平穏、帰省してふるさとの山河に心を癒やされている方も多かろう。これだけの長い歳月、一度も戦争を経ずにやってきたのは本当に貴重なことだ。そのありがたさを思い、過去の栄光も悲惨も、成功も失敗も素直に見つめたい。

▼過ぎ去った日々はしばしば美しい。たしかにあの戦争の時代に、人々は生と死にひた向きに対峙した。しかしまた、無理無策を重ねてたくさんの過ちを犯し、アジアを苛(さいな)んだ現実もあった。「運命の年」から70年。運命を乗りこえて今日の繁栄を手にした日本である。そして明日をひらくために、記憶をなお胸に刻むのだ。
「運命の年明く。日本の存亡この一年にかかる」。70年前の元日、のちに人気作家となる医学生の山田風太郎は日記にこう書いた。  :日本経済新聞