2015年1月6日火曜日

2015-01-06

苦難の道を歩んだ先人達の言葉の様に、私達も顔を見ながら語り合い次の世代に伝えたい。

2015/1/6付

 昨年の暮れ、2人の語り部が亡くなった。1人は長崎で被爆した片岡ツヨさん。原爆がもたらす被害の悲惨さを語り続けた。もう1人は女学校当時、沖縄戦にひめゆり学徒隊として動員された宮城喜久子さん。戦後は小学校の教壇に立ちながら、戦争体験を伝えてきた。

▼語り部の人たちの高齢化を止めることはできない。そうわかってはいても、戦後70年を迎えた年の初め、相次いで接した訃報に切迫感のようなものをおぼえる。宮城さんが設立に力を尽くした糸満市のひめゆり平和祈念資料館では、元ひめゆりの学徒が修学旅行生に直接語ってきた講話を、今年3月までで終了するという。

▼苦難の道を歩んだ先人たちの言葉は、書物や映像とはまた違った迫力で、受けとる側の胸に響く。もちろんそれは、70年前の戦争に限った話ではない。水俣病やハンセン病での過ちを繰り返さないためにも、風水害や地震の被害を抑え込むためにも。「聞く」ではなく「聴く」べき話が、まだまだたくさんあるに違いない。

▼思えば日常を生きる私たちにだって、次の世代に語り伝えられる話があるはずだ。ちょっとだけ気持ちを高めて、会社の後輩に自らの奮闘記や失敗談を、家で子どもに若いころの夢や武勇伝を語ってみてはどうだろうか。携帯電話やメールが当たり前の世の中だからこそ、顔を見ながら語り合い、耳を傾け合っていきたい。
昨年の暮れ、2人の語り部が亡くなった。1人は長崎で被爆した片岡ツヨさん。原爆がもたらす被害の悲惨さを語り続けた。もう1人  :日本経済新聞











[因]
苦難の道を歩んだ先人たちの言葉は、書物や映像とはまた違った迫力で、受けとる側の胸に響く。

[果]
私たちにだって、次の世代に語り伝えられる話があるはずだ顔を見ながら語り合い、耳を傾け合っていきたい。

<編集過程>
苦難の道を歩んだ先人たちの言葉のように、私たちも顔を見ながら語り合い次の世代に語り伝えたい。
苦難の道を歩んだ先人達の言葉の様に、私達も顔を見ながら語り合い次の世代に伝えたい。

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