東日本大震災後の理念は実を結ばぬままだが、後世この時代を俯瞰すると何が見えるのか。
「災後」という言葉は昔からあったようだ。たとえば18世紀末の雲仙・普賢岳噴火を記録した明治時代の文献には「災後藩庁ノ用意」なる項目があるという。やはり明治期には、濃尾地震についての行政文書が「災後ノ処置ヲ図ルヘシ」などの表現を使っているそうだ。
▼もっとも、これらは単に災害後を指しているだけである。そういう言葉にうんと大きな意味を持たせ、東日本大震災後の時代を「戦後」を超える「災後」と位置づけようとする声が、一時期は説得力を持った。この震災を機に、しがらみと既得権でがんじがらめの日本を造り直そう――。そんな夢と気概が宿っていたのだ。
▼あの日から、あすで6年。残念ながら共生や共助、開かれた国づくりといった「災後」の理念は実を結ばぬままである。むしろ世間ではナショナリズムが高まり、人々の気分は内向きになっているようだ。日本スゴイの自己愛がはやり、閣僚が古色蒼然(そうぜん)たる教育勅語を評価するのだから、時節が変わったといえば変わった。
▼じつはこれこそが「災後日本」なのかどうかは、もっと時間がたたないとわからない。歴史は行きつ戻りつして進んでいく。節目に気づくのはずっと後のことなのだ。長かったような、短かったような6年である。後世、この時代を俯(ふ)瞰(かん)するときに何が見えるだろうか。もしかしたら、いまだ「災中」であるかもしれない。
「災後」という言葉は昔からあったようだ。たとえば18世紀末の雲仙・普賢岳噴火を記録した明治時代の文献には「災後藩庁ノ用意 :日本経済新聞
キーワード
キーワード |
点数 |
頻度 |
災後、(震災後) |
21.7 |
27/33 |
理念 |
13.6 |
20/33 |
6年 |
11.8 |
20/33 |
日本 |
8.9 |
15/33 |
共生 |
5.7 |
11/33 |
共助 |
4.4 |
9/33 |
結ばぬ |
5.4 |
9/33 |
実を |
4.4 |
9/33 |
東日本 |
4.6 |
8/33 |
後世 |
3.7 |
8/33 |
開かれた |
5.3 |
8/33 |
大震災 |
3.9 |
7/33 |
国づくり |
4.5 |
7/33 |
今 |
2.2 |
7/33 |
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2017年03月10日春秋要約まとめ
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[因]
開かれた国づくりといった「災後」の理念は実を結ばぬままである
[果]
後世、この時代を俯瞰するときに何が見えるだろうか。
編集過程
東日本大震災後の理念は実を結ばぬままだが、後世この時代を俯瞰すると何が見えるのか。
東日本大震災後の理念は実を結ばぬままだが、後世、この時代を俯瞰するときに何が見えるだろうか
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