2014年8月3日日曜日

2014-08-03

望む結果に修正された犯罪件数が判断基準とされており、数字のもつ怖さを実感した。

2014/8/3 3:30

 米国の検事に頼まれ、日本の治安状況を説明したことがある。犯罪の少なさ以上に先方が驚いたのは、小さな事件まで漏らさずに記録する日本式の統計だ。自転車を盗んだり、けんかで軽いけが人が出たりするくらいでは、米国では犯罪として扱っていないようだった。

▼「でも日本もこの先、犯罪が激増すれば米国式の統計になると思う」。検事が別れ際に笑いながらこう言ったのが印象に残っている。そんな米国方式が、ひそかに大阪で採用されていたとは驚きだ。2012年までの5年間に起きた事件のうち、1割近い8万件余りを大阪府警が犯罪統計に計上していなかった問題である。

▼多くは自転車を盗むなどの比較的軽い犯罪のようだ。こうしたやり方は「街頭犯罪」が全国で最多という汚名を返上しようとするなかで、少しずつ現場に広がったとみられている。その結果、大阪の街頭犯罪は10年から3年連続で東京を下回った。府警は胸を張ったが、実際には一度も最悪記録を脱してはいなかったのだ。

▼同じ駐車場で起きた自動車内の盗みは、まとめて1件と数える。空き巣の数が増えると上司に叱られるので、鍵を壊す器物損壊にかえる。この手の話は大阪以外の警察でも耳にした。どのくらい目標に近づいたかを判断するための統計が、望む結果にあうように修正されていく。数字の持つ怖さを実感させられる話である。
米国の検事に頼まれ、日本の治安状況を説明したことがある。犯罪の少なさ以上に先方が驚いたのは、小さな事件まで漏らさずに記録 :日本経済新聞











[因]
軽犯罪を計上せずに数字上は犯罪件数が減少した大阪

[果]
数字が持つ怖さを実感した。

<編集過程>
判断基準である統計が望む結果に修正される数字のもつ怖さを実感した。
犯罪件数の判断基準である統計が望む結果に修正され、数字のもつ怖さを実感した。
望む結果に修正された犯罪件数が判断基準とされており、数字のもつ怖さを実感した。

0 件のコメント:

コメントを投稿