日中首脳会談による日中関係改善の成果は、記事見出しのつけにくい微妙な内容である。
2014/11/11付
「見出しを考えて記事を書け」。若い新聞記者はよくそんなふうに教えられる。そうでないと何がニュースか分からぬ締まりのないものになるからである。ところが、かつて「見出しをつけにくいような原稿を書け」と教える人がいたという。(河谷史夫「記者風伝」)
▼「何事も単純には割り切れるものでなく複雑だから」という理由に、なるほどと思った。さしずめ外交などその最たるもので、それぞれの国が自分の側に都合よく解釈したり説明したりするから複雑さもいや増す。きのうの日中首脳会談に、3年ぶりに両国のトップが差し向かいで会ったという以上の何を見るか、難しい。
▼会談の3日前に発表された合意文書からして曖昧だ。「政治的困難を克服することで若干の認識の一致をみた」の「若干」とは、ほとんど不一致ということか。「対話を徐々に再開」の「徐々に」とはどの程度の速さなのか。そういえば、こうした修飾語を安直に使ってごまかすなというのも新米記者が習うイロハだった。
▼会談前の習近平主席の仏頂面は本心なのか。いや、国内の対日強硬派に向けたポーズが混じっているのかもしれない。会談後に安倍首相が繰り返した「関係改善への第一歩」の言はキーワードではあろうが、第二歩、第三歩を見なければ仲直りが進んだとはいえまい。記事には珍しく小欄に見出しがないのが幸いであった。
「見出しを考えて記事を書け」。若い新聞記者はよくそんなふうに教えられる。そうでないと何がニュースか分からぬ締まりのないも :日本経済新聞
[因]
会談前の習近平主席の仏頂面は
[果]
「関係改善への第一歩」の言はキーワードではあろうが、第二歩、第三歩を見なければ仲直りが進んだとはいえまい。
<編集過程>
日中首脳会談による日中関係改善の成果は、記事見出しのつけにくい微妙な内容である。
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