2014年11月30日日曜日

2014-11-30

富士日記の様な自身の為に書いた日記が、世に出て他人の胸を打つから日記は不思議だ。

2014/11/30付

 「おれと代るがわるメモしよう。それならつけるか?」。武田泰淳は妻にこう持ちかけ、山荘での暮らしを記録させるようになったという。のちに出版され評判を呼ぶ「富士日記」誕生の経緯である。この日記で、泰淳没後にもうひとりの作家・武田百合子は出現した。

▼師走を控え、文具店などに目立つのは来年の手帳やカレンダー、それに日記帳だ。来年こそはと意気込んでもどうせ三日坊主、とは限るまい。こうして綴(つづ)られていく日記のなかにはその人にとって生涯の糧となるものがあろう。さらには世に知られ時代の貴重な記録として、文学として、輝きを放つ述懐もあるに違いない。

▼荷風に山田風太郎、古川ロッパ……。読み出したら止まらぬ日記は多い。しかし市井の人による言葉にも味があり、近刊の「五十嵐日記」など昭和30年代の東京の空気や生活者の哀歓が行間から立ちのぼる。山形から上京して神田の古書店で働いていた青年の記録だが、そこに焼きついた「戦後」の、なんと健気(けなげ)なことか。

▼ただ自身の心覚えに書いたのに、不意に世間に出て他人の胸を打つこともあるから日記とは不思議な存在だ。かの「富士日記」も、聖書のような布張りの日記帳が押し入れの隅の段ボール箱に眠っていたという。刻まれては埋もれていくさまざまな人生、知られざる事実。その膨大さも思わせてやまぬ日記帳の風景である。
「おれと代るがわるメモしよう。それならつけるか?」。武田泰淳は妻にこう持ちかけ、山荘での暮らしを記録させるようになったと  :日本経済新聞











[因]
武田泰淳の「富士日記」

[果]
不意に世間に出て他人の胸を打つこともあるから日記とは不思議な存在だ

<編集過程>
武田泰淳の富士日記の様に自身の心覚えに書いたのに不意に世間に出て他人の胸を打つこともあるから日記とは不思議な存在だ
武田泰淳の富士日記の様に自身の為に書いたのに、不意に世に出て他人の胸を打つから日記は不思議だ。
富士日記の様な自身の為に書いた日記が、不意に世に出て他人の胸を打つから日記は不思議だ。
富士日記の様な自身の為に書いた日記が、世に出て他人の胸を打つから日記は不思議だ。

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