2014年2月15日土曜日

2014-02-15

昭和10年代前半に大人気だったテンプルさんの死により20世紀が少し遠ざかる気持ちだ。

2014/2/15付

 どこのデパート、おもちゃ屋もテンプル人形を並べ、七五三には彼女にあやかった髪形が大流行、晴れ着までテンプル風が登場するほどのフィーバーぶりだった――と秋山正美著「少女たちの昭和史」にある。先日亡くなった米国のシャーリー・テンプルさんのことだ。

▼世界中で愛された往年の名子役だが、日本での人気は特にすさまじく、昭和10年代前半にその名を知らぬ少女は皆無だったといわれる。映画は大入り、雑誌はしばしば特集を組み、スクリーンには和製テンプルちゃんも現れた。昭和戦前期の日本に、すでに米国文化がしっかり浸透していたからこそのブームであったろう。

▼日米開戦の前年までアメリカ映画は大量に封切られていたし、遠慮がちにでもジャズを聴く人は多かった。それがあっという間に世は反米一色に染め変えられ、あげく「鬼畜米英」などというスローガンが飛びだすのだから戦争というものは怖い。押し入れの奥深くの、たくさんのテンプル人形が空襲で焼けたに違いない。

▼当のテンプルさんは戦後まもなく映画界を離れ、外交官として第二の人生を歩んだ。国連代表やアフリカのガーナ大使を務め、チェコスロバキア大使だったときには「ビロード革命」に立ち会うことになる。人に歴史あり、歴史のなかに人ありを深く感じさせる軌跡というほかない。享年85歳。20世紀がまた少し遠ざかる。
どこのデパート、おもちゃ屋もテンプル人形を並べ、七五三には彼女にあやかった髪形が大流行、晴れ着までテンプル風が登場するほ  :日本経済新聞

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