2014年2月10日月曜日

2014-02-10

学問の才と洒落っ気とを併せ持つのだろう舛添さんには、創造する改革者になってほしい。

 春秋 2014/2/10付  司馬遼太郎が言っている。「幕末、江戸にぼつぼつ蘭学塾ができ始めたころ、蘭学の先生が旗本か御家人の入塾志願を『学問は田舎者に限る』といって、断ったそうです」。そのころ、学問のように洒落(しゃれ)っ気のない根気仕事は江戸の人間に向かぬと思われていたという。 ▼関西人の司馬自身は「僕は寸毫(すんごう)も東京が語れない」と断っている。それでも、日本中の人々を撹拌(かくはん)してできている今の東京のどこかにそんな気質も残ってはいるのだろう。それが知事に伝染したわけでもあるまいが、まる3年たたない間に3度の都知事選は慌ただしい。記録的大雪の後遺症もあって、投票率も低調だった。 ▼およそ改革を掲げぬ政治家はない。舛添要一氏が率いていたのはその名も「新党改革」だ。「信長が古い体制を壊し家康が江戸の世をつくったように、改革は破壊と創造とで成し遂げられる。破壊者が同時に創造者たりえないのは歴史が語っている」が持論だと承知する。続きは「今日の日本には創造者がいない」である。 ▼いよいよ自ら「創造する改革者」になろうという新知事にとって、五輪を控える東京という大舞台に不足はないだろう。その舞台ではきのう、多くの人が慣れぬ雪かきをした。東京の人間だって雪かきほどの根気仕事はやる。学問の才と洒落っ気とを併せ持つのだろう舛添さんには、根気仕事にも精を出すようお願いする。
司馬遼太郎が言っている。「幕末、江戸にぼつぼつ蘭学塾ができ始めたころ、蘭学の先生が旗本か御家人の入塾志願を『学問は田舎者 :日本経済新聞

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