2014年5月26日月曜日

2014-05-26

廃炉の挑戦には、現場の頑張りを支える社会の理解が必要で、情報の共有が欠かせない。

2014/5/26付

 活気にあふれた職場では、決してない。かといって、希望がなく悲壮感だけが覆っているわけではない。音が少ない静かな現場である。やらなければならない仕事が目の前にある。職員は黙々と働いている。事故から3年2カ月がたった福島第1原子力発電所を訪ねた。

▼溶けた炉心はどんな状態なのか。放射線が強い建物の中に人間は入れない。医療の内視鏡などを使えば、診断はできるかもしれない。けれども治療の方法はまだ分からない。廃炉には最低でも30~40年かかる。ひとりの働き手が一生を費やす年月である。誰かがやらなければならない。分かっているのは、その事実だけだ。

▼吉田昌郎元所長への政府事故調の聴取で、事故直後に9割の職員が現場から撤退していたと一部で報じられた。待機の指示が届かなかったか。指示を聞かなかったのか。だが、あの日の壮絶な状況を思い出したい。パニックの中で自分ならどうしたか。退避した人を責めるのではなく、残った人々に感謝すべきではないか。

▼途方もなく長い道を、福島第1は手探りで歩んでいる。現所長の小野明さんは「新しいものを作っている感覚」と語る。そうであってほしい。廃炉という未踏の挑戦に希望の光をともせるか。難しい職務に立ち向かう時、人は金銭では動かない。現場の頑張りを支えるのは社会の側の理解だろう。情報の共有が欠かせない。
活気にあふれた職場では、決してない。かといって、希望がなく悲壮感だけが覆っているわけではない。音が少ない静かな現場である  :日本経済新聞











[背景]
事故後9割の職員が現場から待避

[主張]
現場の頑張りを支えるには社会の理解のための情報の共有が欠かせない

<編集過程>
廃炉という未踏の挑戦には、現場の頑張りを支える社会の理解のための情報の共有が欠かせない。
廃炉という未踏の挑戦には、現場の頑張りを支える社会の理解のための情報の共有が欠かせない。
廃炉の挑戦には、現場の頑張りを支える社会の理解が必要で、情報の共有が欠かせない。

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