2014年5月5日月曜日

2014-05-05

徳育を型にはめる構想が現実化する中で、教科書での教育は人を騙す教育にならないか。

2014/5/5付

 「銀の匙(さじ)」というと、最近ではもっぱら同名の人気漫画を指すようだ。しかし「こどもの日」で思い出すのは、昔から有名な中(なか)勘助(かんすけ)の自伝的小説のほうである。明治時代の子どもの世界を子ども心に戻って描いたこの作品は物悲しく、いつ読み返しても胸にじんと迫る。

▼修身の授業のくだりがほほ笑ましい。みんなの興味を引こうと、ある先生はさまざまな物語の掛け図を前に面白おかしい講釈をする。ときには児童らにも話をさせるが、当てられた子は「足袋と足袋が川を流れてきて、たびたびご苦労さま」などとダジャレで済ます始末だ。教師としては、とても難しい授業であったろう。

▼明治の昔も今も、徳育なるものの悩ましさに変わりはあるまい。しゃくし定規ではなく、規範意識をいかに自然に養うか。そのために戦後の道徳教育は、教科の枠を外して学校生活全体でルールやマナーを身につけさせようとしてきた。それを大転換して「特別の教科」という型にはめる構想がいよいよ現実化しつつある。

▼安倍首相がかねて意欲を示してきたテーマだから文部科学省も躍起だ。しかし教科書のあり方など難問山積で、教科化への疑念は保守層にも少なくない。「銀の匙」では進級して修身で教科書を使うようになって少年は一転、授業が大嫌いになる。「私は修身書は人を瞞着(まんちゃく)するものだと思った」。至言であるかもしれない。
「銀の匙(さじ)」というと、最近ではもっぱら同名の人気漫画を指すようだ。しかし「こどもの日」で思い出すのは、昔から有名な  :日本経済新聞











[因]
徳育を型にはめる構想が現実化しつつあるが

[果]
銀の匙で少年が言った「修身書人をごまかすものだと思った」とう言葉は的確かもしれない。

<編集過程>
徳育を型にはめる構想が現実化しつつあるが、銀の匙で少年が言った「修身書人をごまかすものだと思った」という言葉は的確かもしれない。
徳育を型にはめる構想が現実化しつつあるが、教科書は人をごまかすものという言葉は的確かもしれない。
徳育を型にはめる構想が現実化する中、教科書は人をごまかすものという言葉は的確かもしれない。
徳育を型にはめる構想が現実化する中、教科書での教育は人をごまかすものになるのではないか。
徳育を型にはめる構想が現実化する中、教科書での教育は人を騙す教育にならないか。

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