2014年5月28日水曜日

2014-05-28

2014/5/28付

 「愛新覚羅(あいしんかくら)」という不思議な名字を新聞の訃報に見つけて、おやっと思った人も多いに違いない。300年も続いた清朝王室の姓である。中国のラスト・エンペラーとして知られる溥儀(ふぎ)はそれを受け継いだ最も有名な人物だろう。その王族の最後のひとりが亡くなった。

▼北京で暮らし、95歳の長命を保っていた愛新覚羅顕琦(けんき)さんである。溥儀の生涯もすさまじいが、顕琦さんも凄絶な人生を送った。戦前、日本に8年間も留学した「お姫さま」は、共産党が天下を取った故国で右派分子として投獄される。服役15年、そして農村での強制労働。自由の身になったときはもう還暦を過ぎていた。

▼のちに著した手記「清朝の王女に生れて」には彼女のたくましさと、天性の明るさがにじんでいる。監獄で「思想報告」を求められて「甘いものが食べたくてたまらない」と言ってのけたり、農村の過酷な生活のなかで再婚を果たしたり、どこまでも精神の自由を失わない。こういう女性が中国現代史に息づいていたのだ。

▼姉のひとりには、日本へ里子に出された川島芳子がいる。関東軍の手先とされ、やがて銃殺刑に処された悲劇的な芳子のぶんまで顕琦さんは生きたといえるかもしれない。波乱に富んだ歳月を重ねながら、片時も忘れないのが日本のことだったという。日中のはざまで揺れた「愛新覚羅」の人々の思いでもあっただろうか。
「愛新覚羅」という不思議な名字を見つけて(春秋)  :日本経済新聞











[因]
清朝王族最後の一人愛新覚羅顕琦さんの死去


[果]
日中の狭間で揺れた愛新覚羅の人々の思いでもあっただろうか。

<編集過程>
故・愛新覚羅顕琦さんが片時も日本を忘れなかったのは、日中の狭間で揺れた清朝王族の思いでもあったか。
故・愛新覚羅顕琦さんが片時も日本を忘れなかったのは、日中の狭間で揺れた清朝王族の思いでもあったか。
故・愛新覚羅顕琦さんが片時も日本を忘れなかったのは、日中の狭間で揺れた清朝王族の思いでもあったか。
故・顕琦さんが片時も日本を忘れなかったのは、日中の狭間で揺れた清朝王族の思いでもあったか。
故・顕琦さんが片時も日本を忘れなかったのは、日中間で揺れた清朝王族の思いでもあったか。
故・顕琦さんが片時も日本を忘れなかったのは、日中間で揺れた清朝王族の思いでもある。

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