2014年6月28日土曜日

2014-06-28

民族自決の象徴の足形と比べロシアのクリミア併合は博物館にすら収められない大問題だ。

2014/6/28付

 足を重ねると、重い歴史を踏むような妙な気になった。銃を構えるしぐさをする笑い顔の観光客もいた。100年前のきょう、ハプスブルク帝国の皇太子がサラエボで暗殺された。25年前に訪ねた現場には、19歳のセルビア人青年がここで発砲したという足形があった。

▼足形には、暗殺を「自由への希求」とたたえるパネルが添えられていた。暗殺犯は英雄か、それともテロリストなのか。立場によって答えは違う。事件が第1次大戦につながり、広大な領土の多民族をゆるやかに束ねていたハプスブルク帝国は崩壊し、民族自決の名のもとに多くの国が生まれた。こう書けるばかりである。

▼しかし、それぞれの民族はだれにも邪魔されず、そしてだれも傷つけずに運命を決められるのか。ヨーロッパのこの100年は、その問いかけにノーと応じているように思える。ナチスの反ユダヤ主義はゆがんだ自民族絶対の思想だろう。1990年代はサラエボも舞台にボスニア・ヘルツェゴビナで凄惨な内戦があった。

▼じつは、足形はもうない。民族間の内戦のさなかに壊され、複製が博物館にある。セルビア人を顕彰するものが目につくのをほかの民族が嫌ったためという。足形ならそうして博物館に収められる。民族紛争はどうか。ことしになってロシアがクリミアを併合した。こちらは博物館には到底入れられぬ目の前の現実である。
足を重ねると、重い歴史を踏むような妙な気になった。銃を構えるしぐさをする笑い顔の観光客もいた。100年前のきょう、ハプス  :日本経済新聞











[因]
自由への希求を例えた民族自決の象徴の足形複製は博物館に収められた

[果]
ロシアのクリミア併合という民族紛争は博物館にすら収められないのが現実だ。

<編集過程>
自由への希求を例えた足形の複製とは異なり、ロシアのクリミア併合は博物館にすら収められないのが現実だ。
自由への希求を例えた足形とは異なり、ロシアのクリミア併合した民族紛争は博物館にすら収められないのが現実だ。
民族自決を象徴する足形とは異なり、ロシアのクリミア併合の様な民族紛争は博物館にすら収められない。
ロシアのクリミア併合は
民族自決を象徴する足形とは異なり、ロシアのクリミア併合の様な民族紛争は博物館にすら収められない大きな問題だ。
民族自決を象徴する足形と比べ、ロシアのクリミア併合の民族紛争は博物館にすら収められない大きな問題だ。
民族自決の象徴の足形と比べ、ロシアのクリミア併合の民族紛争は博物館にすら収められない大きな問題だ。
民族自決の象徴の足形と比べ、ロシアのクリミア併合は博物館にすら収められない大問題だ。

0 件のコメント:

コメントを投稿