2014年6月7日土曜日

2014-06-07

貧国の子供は学ぶ喜びを自覚しているが、日本の子供や大人達はそれを忘れていないか。

2014/6/7付

 良質でも地味で、おおむね客集めに苦労する。ドキュメンタリー映画にはそんなイメージがあるが、いま異例のヒットが生まれつつある。題は「世界の果ての通学路」。週末などは映画館が満席のことも多い。上映館数も4月の公開当初に比べ2倍以上に膨らんでいる。

▼ケニア、アルゼンチン、モロッコ、インドで長い道のりを通学する子供たちをフランスの監督が記録した。例えばケニアでは、11歳の兄と7歳の妹が家から学校まで片道15キロを2時間かけて歩く。壊れたポリタンクを水筒代わりにぶら下げ、野生動物の群れがいれば遠回りを強いられる。武装ギャング団にも警戒が必要だ。

▼どの子供も苦労は大きい。とはいえ悲愴(ひそう)感はない。学校とは自分の人生を切り開くための場所だと、はっきり自覚しているからだろう。インドの少年は、廃品を組み合わせた手づくりの車イスに乗り、弟たちに助けられながら片道4キロを通う。将来は医者になりたいと語り、貧しい中で学校に通わせてくれる親に感謝する。

▼日本では幸い、ここまでの遠距離通学や自然の脅威とは無縁だ。しかし、映画のように、学びの場がある幸運を自覚している子がどれだけいるだろう。いや、子供だけではない。日本の大人たちは学ぶ喜びを忘れていないか。配給元によれば、子供より大人の観客の方が、何かを学ぶ意味について見た後で考え込むそうだ。
良質でも地味で、おおむね客集めに苦労する。ドキュメンタリー映画にはそんなイメージがあるが、いま異例のヒットが生まれつつあ  :日本経済新聞











[因]
苦労は大きいが悲壮感なく学校に通う海外の子供

[果]
日本の大人は学ぶ喜びを忘れていないか。

<編集過程>
苦労は大きいが悲壮感なく学校に通う海外の子供、日本の子供や大人達は学ぶ喜びを忘れていないか。
遠距離通学や自然の脅威と学校に通う海外の子供、日本の子供や大人達は学ぶ喜びを忘れていないか。
海外の子供は学びの場がある幸運を自覚しているが、日本の子供や大人達は学ぶ喜びを忘れていないか。
海外の子供は学びの場がある幸運を自覚しているが、日本の子供や大人達は忘れていないか。
貧しい国の子供は学びの場がある幸運を自覚しているが、日本の子供や大人達はそれを忘れていないか。
貧国の子供は学ぶ喜びを自覚しているが、日本の子供や大人達はそれを忘れていないか。

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