2014年10月6日月曜日

2014-10-06

6年後のパラリンピックでは、この半世紀で障害者福祉が進歩した姿を世界に見せたい。

2014/10/6付

 障害者の国際的なスポーツ競技会がパラリンピックと呼ばれ始めたのは、1964年の東京大会からだ。五輪に続き選手村の中の練習場などで開かれた大会に、この愛称がついた。江戸東京博物館の特別展「東京オリンピックと新幹線」がそのときの様子を伝えている。

▼この大会ではパラリンピック本来の意味である車いす競技としてアーチェリー、トラック競走など14種目が開かれ、出場者は21カ国387人にのぼった。バスケットボールで日本は英国に大差で敗れたが、健闘をたたえ合う写真がすがすがしい。視覚障害など車いす以外の競技にも、国内から480人が出て熱戦を演じた。

▼大会を裏で支えた活動もあった。通訳では学生や会社員ら156人がボランティアを買って出た。選手村に美容院がなかったので、街まで外国人選手を案内して感謝されたボランティアもいる。大会運営の一助にと全国のバーには募金箱「善意の箱」が置かれ、約330万円が集まった。助け合いの精神が随所にみられた。

▼障害があっても、全力で克服する。それを社会が応援する。64年は戦災から復興した日本を世界に示すとともに、障害をハンディとしない国へ一歩を踏み出した年でもあった。この半世紀で障害者福祉はどこまで進んだだろうか。2020年東京五輪・パラリンピックが6年後に迫る。恥ずかしくない姿を世界に見せたい。
障害者の国際的なスポーツ競技会がパラリンピックと呼ばれ始めたのは、1964年の東京大会からだ。五輪に続き選手村の中の練習  :日本経済新聞











[因]
東京発祥のパラリンピックが6年後に迫る

[果]
恥ずかしくない姿を世界に見せたい。

<編集過程>
東京発祥のパラリンピックが6年後に迫る、この半世紀で障害者福祉がどこまで進んだのか恥ずかしくない姿を世界に見せたい。
6年後のパラリンピックでは、この半世紀で障害者福祉が進歩した恥ずかしくない姿を世界に見せたい。
6年後のパラリンピックでは、半世紀で障害者福祉が進歩した姿を世界に見せたい。
6年後のパラリンピックでは、この半世紀で障害者福祉が進歩した姿を世界に見せたい。

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