2014年10月23日木曜日

2014-10-23

かつて文学者の残した手紙での私信は、簡単に消せるメール時代ではみられなくなるのか。

2014/10/23付

 歌人の斎藤茂吉は50代の半ばになって、まな弟子の永井ふさ子と激しい恋に落ちた。別居中の妻があったが情熱はほとばしるばかり、30も年下のふさ子に送った手紙は150通にのぼる。「ああ恋しくてもう駄目です」「恋しくて恋しくて、飛んででも行きたい」――。

▼こういう赤裸々な書簡の束が公表されたのは本人の死後ずっとたってからだ。茂吉はいつも末尾に、読んだら火中に焼くよう求めていたのだが彼女は多くを手元に残した。その違背のおかげで天下の歌詠みの意外な一面が明らかになったのだから微妙なものである。文人の言葉は究極の私信であれ作品性を帯びてやまない。

▼エッセイストでイタリア文学者の須賀敦子さんが、友人夫妻に宛てた書簡55通が見つかったそうだ。「もう私の恋は終りました。その人をみてもなんでもなくなってしまった。これでイチ上り」。40代のころの1通である。はて身の上に何が……。随筆とは違うざっくばらんな物言いで、亡き作家はまた読者を引きつける。

▼「イチ上り」とはなんとも直截(ちょくせつ)な表現なのだが、人生の山も谷も、彼女はそうやって越えていったのだろう。そんな心情が遠巻きの読み手をも揺さぶるのだ。それにしてもいまやメール時代、文学者のこういう私信はのちの世に日の目を見るのかどうか。火中に投ぜずとも、削除ボタンひとつで消え去る文章の行方を思う。
歌人の斎藤茂吉は50代の半ばになって、まな弟子の永井ふさ子と激しい恋に落ちた。別居中の妻があったが情熱はほとばしるばかり  :日本経済新聞











[因]
かつての文学者の手紙で残された私信

[果]
削除ボタン一つで消え去る文章はどこへいくのか。

<編集過程>
かつての文学者の手紙で残された私信も、削除ボタン一つで消え去る文章はどこへいくのか。
文学者の心情が垣間見えた手紙で残された私信も、削除ボタン一つで消え去る文章はどこへいくのか。
文学者が残した手紙での私信は読み手の心を揺さぶるったが、削除ボタン一つで消え去る時代では、私信はどこへ消え行くのか。
文学者が残した手紙は読み手の心を揺さぶったが、削除ボタン一つで消え去る時代となっては、私信はどこへ消え行くのか。
文学者が残した手紙は読み手の心を揺さぶったが、削除ボタン一つで消え去る時代となっては、私信はどこへ消え行くのか。
読み手を揺さぶる文学者の手紙に残した私信は、簡単に消せるメールでの私信はどこへ消え行くのか。
読み手を揺さぶる文学者の手紙に残した私信が簡単に消せる現代ではどこへ消え行くのか。
言葉を伝える手段は手紙からメールへと変化し、かつて文学者が残した私信は
文学者の残した手紙での私信は、どこへ消え行くのか。
私信を伝える手段は手紙からメールへと変化し、かつて文学者が残した様な私信は見れなくなるのか。
かつて文学者が手紙として残した私信は簡単に消せる現代となり、どこへ消え行くのか。
かつて文学者が手紙として残した私信は簡単に消せる現代となり、どこへ消え行くのか。
文学者の手紙に残した私信は、簡単に消せるメールでの私信はどこへ消え行くのか。
言葉を伝える手段は手紙からメールへと変化し、文学者が残した私信は
かつての文学者の手紙で残された私信も、削除ボタン一つで消える現代ではみれなくなるのか。
かつて文学者の残した手紙での私信は、簡単に消せるメール時代ではみられなくなるのか。

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