2014年4月27日日曜日

2014-04-27

世間の不祥事によく登場する「欠」だが、元々の由来の欠伸のような緩さが人生に欠かせない。

2014/4/27付

 「みんな欠伸(あくび)をしていた」――。1959年に刊行された三島由紀夫の小説「鏡子の家」の、よく知られた書き出しである。戦後10年あまり、ある資産家の娘の邸宅に集う4人の男の物語だ。かれらの抱える退屈さと時代の空気を、三島は冒頭の一文で言いあらわした。

▼作品に出てくるような金持ち令嬢のサロンには縁がないが、近ごろの陽気だとうっかり人前で大あくびをしそうになり、慌てて口を覆うことがある。「欠」という字はそれだけであくびのことで、口を開けて立つ人を横から見た形だという。そう知って駅のホームなど眺めやればあちらもこちらも欠、欠、欠……の春日だ。

▼しかし「欠」といえば頭に浮かぶのはもっぱら「欠ける」のほうだろう。欠陥、欠如、欠落などと、世間の不祥事を語るときにこの文字はしょっちゅう登場する。こちらの意味の「欠」は本来は「缺」という字だったが、かつて当用漢字を決めるときにあくびの「欠」で代用させた。思えば大ざっぱな漢字改革だったのだ。

▼もともとはユルい風情だった「欠」の字も、そんなわけで現代ではすっかりあくびの面影が薄れた。せめて古典にこの字の本当の味わいを求めようと興膳宏さんの「漢語日暦(ひごよみ)」をひもとけば、白居易の朝寝の詩がある。いわく「枕を転じて重ねて安寝し、頭(こうべ)を廻(めぐ)らして一たび欠伸(けんしん)す」。こういう「欠」が人生に欠かせない。
「みんな欠伸(あくび)をしていた」――。1959年に刊行された三島由紀夫の小説「鏡子の家」の、よく知られた書き出しである  :日本経済新聞











[因]
今では不祥事の時によく登場する「欠」だが、

[果]
欠伸のようにユルい風情としての「欠」が人生に欠かせない。

<編集過程>
今では不祥事の時によく登場する「欠」だが、欠伸のようにユルい風情としての「欠」が人生に欠かせない。
今では不祥事の時に登場する「欠」だが、欠伸のようにユルい風情としての「欠」が人生に欠かせない。
今では不祥事の時に登場する「欠」だが、元々の由来の欠伸のような「欠」が人生に欠かせない。
世間の不祥事によく登場する「欠」だが、元々の由来の欠伸のような「欠」が人生に欠かせない。
世間の不祥事によく登場する「欠」だが、元々の由来の欠伸のようなユルさが人生に欠かせない。
世間の不祥事によく登場する「欠」だが、元々の由来の欠伸のような緩さが人生に欠かせない。


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