2014年12月4日木曜日

2014-12-04

棋界の海外勢の実力が向上し日本勢劣勢な状況を、故・瀬越なら本望だというだろう。

2014/12/4付

 「そんな素晴らしい少年を呼んだら君らは皆、やられるぜ」。こう言われて瀬越憲作は答えた。「本望です」。「やられるくらいでなくちゃ」呼ぶ甲斐がない、とも言った。こうして呉清源少年は1928年の秋、14歳で海を渡って日本の棋界に飛び込むことになった。

▼桐山桂一氏が「呉清源とその兄弟」で紹介しているエピソードだ。棋界の実力者だった瀬越八段が、棋譜をみてほれ込んだ北京の天才少年を日本に招こうと考え、政界の重鎮だった犬養毅に助力を求めた際のやりとり。からかい気味に「やられるぜ」と応じた犬養に「本望です」とたんかを切った瀬越の姿は、かっこいい。

▼来日した後の呉清源さんの活躍は言うまでもなかろう。呉さんのお弟子さんにあたる林海峰名誉天元や、呉さんの好敵手だった木谷実九段の門下の趙治勲二十五世本因坊ら、日本の棋界を引っ張ってきた海外出身の棋士は多い。呉さんはそういった棋士たちの先駆けでもあった。瀬越の「本望」はかなった、というべきか。

▼囲碁は中国で生まれたゲームだが、長く日本の棋界が研究の先端を走っていた。1980年代くらいから、中国や韓国、台湾の棋界の実力が向上し、今では国際的な手合いでは日本勢がむしろ劣勢という印象がある。瀬越が生きていたなら改めて「本望です」というのではないか――。呉さんの訃報に、そんなことを思う。
「そんな素晴らしい少年を呼んだら君らは皆、やられるぜ」。こう言われて瀬越憲作は答えた。「本望です」。「やられるくらいでな  :日本経済新聞











[因]
中国や韓国、台湾の棋界の実力が向上し、今では国際的な手合いでは日本勢がむしろ劣勢という印象がある

[果]
瀬越が生きていたなら改めて「本望です」というのではないか

<編集過程>
海外勢の棋界の実力が向上し、国際的な手合いでは日本勢が劣勢な状況を、瀬越が生きていたなら本望というのではないか。
海外勢の棋界の実力が向上し日本勢が劣勢な状況を、故・瀬越なら本望だというのではないか。
棋界の海外勢の実力が向上し日本勢劣勢な状況を、故・瀬越なら本望だというだろう。

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