2014年12月6日土曜日

2014-12-06

容疑者の身柄拘束を退ける割合が毎年増加している事は、検察の無頓着、無責任の証しだ。

2014/12/6付

 町奉行の下で市中の見回りや取り調べにあたる与力に辣腕でならす男がいた。ある日、思い立つことがあって家に帰ると着替えもせず下男を「金を盗んだな」と問い詰めた。無実は承知のうえである。もちろん下男は否認したが、厳しい追及にやがて罪を認めてしまう。

▼自慢の強引な吟味が冤罪(えんざい)を生むのにショックを受けた与力は、職を辞し隠居したという。東京・北の丸公園の国立公文書館で開催中の「江戸時代の罪と罰」展でそのいきさつを知った。人を裁くときいかにして冤罪を防ぐのか。いつの世も問題である。いまでいうなら、「人質司法」見直しをめぐる議論もその一つだろう。

▼逮捕した容疑者や裁判が始まった被告の身柄を捜査当局が長い間拘束する。その間に都合よく供述させたり、否認する限りは自由になれないと脅したりする。そんな批判が「人質司法」の言葉にはこもる。逃げたり証拠を隠したりの可能性を吟味して拘束の是非を決めるはずの裁判所も、検察の言いなりだといわれてきた。

▼その裁判所が変わってきたと本紙が報じていた。容疑者の身柄拘束を求める検察の訴えを退ける割合はほぼ毎年上がり続け、11年間で0.1%から1.6%になったという。これで十分だとは言えないのだろうが、むしろかつての千件に1件という数字に驚いた。事実上はゼロ。裁判所が無頓着、無責任だった証しである。
町奉行の下で市中の見回りや取り調べにあたる与力に辣腕でならす男がいた。ある日、思い立つことがあって家に帰ると着替えもせず  :日本経済新聞











[因]
容疑者を脅す人質司法による身柄拘束の検察の訴えを退ける割合はほぼ毎年上がり続けている

[果]
無頓着、無責任だった証しだ。

<編集過程>
容疑者を脅す人質司法による身柄拘束の検察の訴えを退ける割合はほぼ毎年上がり続けていることは、無頓着、無責任だった証しだ。
容疑者の身柄拘束を退ける割合はほぼ毎年上がり続けていることは、検察の無頓着、無責任の証しだ。
容疑者の身柄拘束を退ける割合が毎年増加している事は、検察の無頓着、無責任の証しだ。

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