2014年3月12日水曜日

2014-03-12

日本のエネルギー事情と事故が招いた残酷とをともに見据え、未来に生かす知恵がほしい。

2014/3/12付

 これといったニュースもない金曜日の午後だった。淡々とした国会中継の画面を眺めつつ、さて、きょうのコラムは何を……。あの揺れはそのとき始まり、ものみな震えだしたのを覚えている。3.11の衝撃は、震源から離れた地域をもまず「体感」として襲ったのだ。

▼けれど3.12の、もうひとつの衝撃には揺れも音もなかった。震災発生からまる1日たった土曜日の午後3時36分、福島第1原発の1号機で水素爆発が起きた。しかしテレビにはぼんやりと、建屋外壁が吹っ飛んだ光景が映っただけである。これは何だろう? 以後のすさまじい事態を、どれだけの人が想像し得たことか。

▼目に見えにくく、体感を得にくく、それでいて戦慄をひたひたと募らせる原子力災害の脅威はなお続いている。おびただしい数の人々が故郷を追われ、帰還がかなわないという現実がいまもこの国にある。ひとたび引き起こせばかくなる悲劇をもたらす事故の実相を、日本は、わたしたちは3年をかけてすこしずつ知った。

▼こんなに怖いのだから原発は即ゼロにという人がいる。かたや「福島」を乗りこえて原発新設も考えよという声も聞こえる。二項対立の議論は歩み寄ることなく続くが、日本のエネルギー事情と、事故が招いた残酷と、2つの現実をともに見据えて道を探すほかあるまい。3.12の衝撃を、未来に生かす知恵こそがほしい。
これといったニュースもない金曜日の午後だった。淡々とした国会中継の画面を眺めつつ、さて、きょうのコラムは何を……。あの揺  :日本経済新聞

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