2014年3月3日月曜日

2014-03-03

時を経ても、東京大空襲や震災の悲惨さ・原因を語り継いでいく大切さは変わらない。

2014/3/3 3:30

 第2次大戦も末期、一般人を巻き込んだ空襲が本格的に始まったのは、終戦の年の3月だった。10日に東京、数日後に名古屋や大阪と、軍事施設だけでなく普通の街が火に包まれていく。ある程度予想されたにもかかわらず、農村や郊外へと避難した住民は少なかった。

▼最近出版された「検証防空法」という本で、理由の一端を知った。消火活動に従事させるため避難を事実上禁止し、違反すれば懲役か罰金を科していたのだ。法律にこうした決まりが盛り込まれたのは東京大空襲の4年前。真珠湾攻撃と同じ年だ。「爆弾にあたって死傷する者は極めて少ない」といった手引書も出ていた。

▼同書によれば、戦意喪失を避ける目的も大きかった。空襲を受け郊外に逃げたら、食料配給を止めると言われて街に戻り、次の空襲で家族を失う。そんな体験をした人もいた。NHK連続テレビ小説「ごちそうさん」にも、「焼夷(しょうい)弾が落ちたら、消火しようとせず逃げろ」と指導した市役所職員が逮捕される場面があった。

▼東京大空襲などがあった3月には長らく、多くの人々が戦争の悲惨さを語り継いできた。3年前からは、震災とその犠牲者に思いをはせる季節にもなった。終戦から70年近くがたち、直接の体験者が減っていく。しかし何が起こり、それがなぜ起きたのかを調べ、伝えていく大切さはいまも変わらない。震災も同様だろう。
第2次大戦も末期、一般人を巻き込んだ空襲が本格的に始まったのは、終戦の年の3月だった。10日に東京、数日後に名古屋や大阪 :日本経済新聞

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