2014年3月23日日曜日

2014-03-23

東南アジアでの日本語教育を手助けし、伊集院を驚かせるような若者の育成は楽しそうだ。

2014/3/23付

 1919年(大正8年)、フィンランドが日本に公館を開設した。初代公使とともに未知の国へ向かう17歳の娘に、こう持ちかけたのが船旅で知り合った伊集院彦吉、のちに外相も務めた外交官である。「日本語は難しすぎてお父さんは勉強を放棄する。賭けてもいい」

▼3人は日本で再会し、「この賭けに負けたのは初めてだ」と伊集院を悔しがらせた。話には公使が言語学者でもあったというオチまであるのだが、そのラムステットが「日本語は学ぶには世界でも非常にやさしい部類に入るが、ただ書くことに関しては考え得るかぎり最も難しい言葉の一つだ」という見立てを残している。

▼東南アジア諸国連合(ASEAN)の日本語学習を応援しようと、国際交流基金が2020年までに3千人を派遣するそうだ。学生やシニアを公募し、数カ月間、高校などで現地の日本語教師の手助けをし日本文化も伝えてもらう。老若のボランティア精神と好奇心にたのんで日本びいきを増やす、という狙いなのだろう。

▼「漢字を覚えるため、より有意義なことを学ぶのに使うべき時間を何年も無駄にする」。ラムステットが述懐した100年近く前に比べ、日本語は少しやさしくはなった。それでもなお難物である。なればこそ、伊集院を再びギャフンと言わせるような若者を東南アジアで育てるお手伝い、というのも楽しそうではないか。
1919年(大正8年)、フィンランドが日本に公館を開設した。初代公使とともに未知の国へ向かう17歳の娘に、こう持ちかけた  :日本経済新聞











[因]
ASEANにおいて難物である日本語の教育を手助けして

[果]
伊集院をギャフンと言わせるような若者を東南アジアで育てることは楽しそう

<編集過程>
東南アジアでの日本語教育を手助けして、伊集院をギャフンと言わせるような若者を育てることは楽しそう。
東南アジアでの日本語教育を手助けし、伊集院を驚かせるような若者を育成することは楽しそうだ。
東南アジアでの日本語教育を手助けし、伊集院を驚かせるような若者を育てることは楽しそうだ。
東南アジアでの日本語教育を手助けし、伊集院を驚かせるような若者の育成は楽しそうだ。

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