2014年3月6日木曜日

2014-03-06

下町の風情のある深川はお大尽遊びの場としても知られ、堂々と歩く度胸は半端ではない。

2014/3/6付

 若造の無鉄砲がまぐれ当たりしたのか、大学に入ってすぐのころに吉行淳之介を訪ね、自宅で話を聞いたことがある。中身はあらかた忘れてしまったが、それでも、こんな一言をもらったのを脈絡抜きに覚えている。「深川を顔をまっすぐ上げて歩ける男になりなさい」

▼40年前でも、東京・江東区にあたる深川はもう落ち着いた下町の風情だったから、大作家の言わんとすることはチンプンカンプンである。江戸期から材木の集積地として栄え、華やかな花街があり、この地の「辰巳芸者」はきっぷのよさから「お侠(きゃん)」と呼ばれ、というような深川のあれこれは、ずいぶん後になって知った。

▼66年前から行方不明だった喜多川歌麿の肉筆画「深川の雪」が見つかったという。縦2メートル、横3.4メートルの大画面に、雪見をする遊女らを27人も配している。1806年に死んだ歌麿最晩年の代表作だそうだ。そういえば、深川に「浮花川」の字を当てたのを読んだ記憶がある。往時の茶屋のにぎわいが聞こえるような絵だ。

▼人情がテーマの時代小説にとって、深川はいまも欠かせぬ舞台である。一方、「紀文(きぶん)」(紀伊国屋文左衛門)や「奈良茂(ならも)」(奈良屋茂左衛門)といった豪商のお大尽遊びの場でもあったことは、司馬遼太郎が「街道をゆく」でも触れている。歌麿を眺めれば、なるほど、顔をまっすぐ上げて歩く度胸は半端でないと知れる。
若造の無鉄砲がまぐれ当たりしたのか、大学に入ってすぐのころに吉行淳之介を訪ね、自宅で話を聞いたことがある。中身はあらかた  :日本経済新聞

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