2014年3月17日月曜日

2014-03-17

PM2.5や花粉対策は大切だが、防護マスク越しでは春の郷愁を誘う香りを逃しかねない。

2014/3/17付

 香りに呼び止められた。夕暮れの街路を見回すと、薄紅の沈丁花が暗がりにぼんやりと浮かぶ。甘く濃厚な風が通り過ぎたとたん、はるか昔の光景がいきいきと眼前に広がる。童謡「ぞうさん」で知られる作曲家、團伊玖磨さんも、この花の不思議について書いている。

▼本紙「私の履歴書」の最終回を執筆中のことだ。円い顔が窓越しに書斎の中をのぞいたのでびっくりした。誰だったのか。推理するうちに、花の香りと60年前の情景とのむすびつきに気がつく。そして庭の花陰に潜んでいた3歳の自分の魂が興味津々、その後の人生の軌跡、日々の記録を読みにきたのだと想像して納得する。

▼犯人は「プルースト効果」だったのかもしれない。名称のもとになった小説「失われた時を求めて」では、紅茶にひたしたマドレーヌを口にした瞬間、忘れていた街並み、庭の花々が主人公の脳裏によみがえる。近年、脳の記憶をつかさどる部位、海馬との関係が分かって、香りによる認知症予防などの研究も進んでいる。

▼先週、環境省で専門家が「PM2.5」対策を確認した。大気を汚染し、肺の病気を招きかねない。この微小物質を含む黄砂が中国から本格的に飛来するのはこれから。花粉の飛散も始まり、通りには、見えない粒子があふれる。予防は大切だが、防護マスク越しでは、春の郷愁を誘い出す、鮮やかな香りを逃しかねない。
香りに呼び止められた。夕暮れの街路を見回すと、薄紅の沈丁花が暗がりにぼんやりと浮かぶ。甘く濃厚な風が通り過ぎたとたん、は  :日本経済新聞

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