2014年3月2日日曜日

2014-03-02

おもてなしの言葉を耳にすると、夢見て永住帰国した孤児に暖かく接してきたか思い悩む。

2014/3/2付

 きょうは残留孤児の日だという。太平洋戦争の末期、中国から日本へ引き揚げる途中で親と離ればなれになり、現地に取り残された日本人孤児47人が1981年のこの日、肉親捜しのために初めて祖国を訪れた。訪日調査はこの後も毎年続き、そのたびに話題を呼んだ。

▼当時の取材メモを読み返すと、今でも胸が熱くなる。親戚に一番いい服を借りてきたと、上下の大きさが違う背広を着込んだ男性。思い出の品の、黄ばんだ家族写真を握りしめていた。再会がかなう日の目印に、母親が別れ際に泣きながら噛みちぎった耳の傷痕を、恥ずかしそうに、うれしそうに見せてくれた女性もいた。

▼新たに残留孤児と判明する人は減り、昨年は1人もいなかった。永住帰国した孤児は政府やボランティアの支援を受けて暮らしているが、言葉の壁、生活習慣の違いから日本になじめない人は多い。損害賠償を求める集団訴訟も起きた。「祖国に帰って本当に良かったのか」。そんな思いがよぎることも少なくないという。

▼訪日調査の会場となっていたのは、東京・代々木の青少年総合センターだった。64年に開かれた東京五輪の際、選手村だった施設である。そして2度目の東京五輪がめぐってこようとしているいま、「おもてなし」の言葉を耳にするたびにこう思う。私たちは母国での暮らしを夢見た同胞に、温かく接してきただろうかと。
きょうは残留孤児の日だという。太平洋戦争の末期、中国から日本へ引き揚げる途中で親と離ればなれになり、現地に取り残された日  :日本経済新聞

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